2010年7月19日・夜
第7学区・とある高校女子寮前
「わざわざ送ってくれなくても良かったのに」
「いやいや、上条さんは女の子を夜道で1人にするようなことはしませんのことよ」
「フフッ、ありがとね。おやすみ、当麻くん」
「おう。じゃあな、麻琴」
上条麻琴は、上条当麻に送ってもらい、現住所である女子寮まで帰って来た。
彼女が階段を上りながら下を見ると、当麻の後ろ姿が見える。
(お父さん…)
どうしても彼を見ると気持ちが揺れてしまう麻琴であった。
「ハア…」
(ダメだな、私…)
嘆息し、頭を振った麻琴は、そのまま自分の部屋へと帰った。
極端にものが少ない部屋。
麻琴の部屋には、ベッド、テレビ、箪笥などの基本的な家具は揃っているが、女の子らしい小物やぬいぐるみなどは一切なかった。
彼女の部屋は、およそ3年前から…より正確に言えば、この時間軸に来てから、同じような装いを保っている。
麻琴は、まず風呂場に入り、シャワーを浴びた。
(いよいよ、明日か…)
短い黒髪を濡らしながら、涙を堪えるかのような表情で、彼女は思考する。
(お父さんとお母さんはいつの間にか出会ってたみたいだし、結局ほとんど元通りに進んでる。でも、多分それも今日まで)
3年前の9月18日、アレイスターが麻琴に指示したことはたった3つだけ。
『タイムスリップのことは誰にも知らせるな』
『“幻想喰い(イマジンイーター)”について誰にも知らせるな。但し、上条当麻は例外とする』
『学園都市の外に出るな』
そして、彼女は当麻と同じ中学校に転入生として通い始めた。
身分を用意したのはもちろんアレイスターであるため、これも指示になるのかも知れないが、それは今はさて置いておこう。
それからは、麻琴はごく普通に学生として生活して来た。
上条当麻を初めとする同級生たちとの仲も良好である。
土御門元春は得体の知れない彼女を警戒している節もあるが、表向きは普通の友人として接している。
成績は校内トップクラスなのだが、表向き“LEVEL0”であることと、頻繁に(当麻と同じくらいの頻度で)面倒事を引き起こすため、小萌先生にも気に入られている。
そして、当然のように学校中の男子──当麻以外──及び、一部の女子にフラグを立てている。
もちろん、自覚はしていない。
そんな麻琴だが、これまでアレイスターに抗したことは1度もなかった。
何故か?
24時間、彼女は…いや、この街全体がアレイスターに監視されているからだ。“滞空回線(アンダーライン)”によって。
麻琴は自由に動いているように見えても、完全に“籠の鳥”だった。
麻琴が風呂からあがると、彼女の携帯電話が鳴った。
『響き合う願いが今、覚醒てく。譲れない未来のために~♪』
「非通知ねえ…」
ディスプレイを見て一言呟いてから、麻琴は通話ボタンを押す。
『久しいな、上条麻琴』
案の定と言うべきか、麻琴が最も聞きたくなかった声がした。
「ええ、そうね。出来れば2度とアンタなんかと話したくなかったんだけどね、アレイスター」
『フフッ、そう言うな』
毒づいた麻琴の言葉を一笑に付し、アレイスターは本題を切り出す。
『明日の朝、上条当麻には会うな』
「何で?明日はインデックスさんが来るんじゃないの?」
『そうだ。“予定通り”彼女はこの街に入った』
「それが原因でお父さんが記憶をなくした」
麻琴の語調が強まった。
「黙って見てろって言うんじゃないでしょうね?」
『まさか』
アレイスターはあくまでも平生の調子を保って返す。
『君には別件を任せたいだけさ。どの道、上条当麻が記憶をなくすのは数日後だったろう?』
「あっそ。で?“別件”って何よ?」
『“木山春生”だ』
「木山先生?」
『“幻想御手(レベルアッパー)”の件については知っているだろう?彼女と交戦することは君にとって大いにプラスとなるはずだ』
「“多才能力(マルチスキル)”から能力を写せってこと?」
『その通り。君の使用可能な能力が増えることは“プラン”にとって非常に有益なのだ』
「その“プラン”ってのについては、一っ言も聞いてないんだけど?」
『君が知る必要のないことだ』
「チッ…」
『必要な情報は君の携帯電話に送信しておく。では、しっかりな』
アレイスターは通話を切った。
「ハア…」
麻琴は携帯電話を畳んで、ベッドに放り投げる。
それから自分もベッドの上に身を投げた。
(始まったのか…)
仰向けになり、右手の甲を額に当てて思考する。
(ねえ、お父さん。お父さんなら“あの日”、アレイスターに立ち向かえたのかな?私はできなかったよ。ごめんね。私、お父さんの娘なのに。上条当麻の娘なのに。私、すっごく弱かったんだ。ねえ、お父さん。寂しいよ。会いたいよ。そっちはどうなってるの?私がいなくなってから何かあった?心配してくれてる?ねえ、お父さん…)
麻琴は口は開かず、ここにはいない父親を呼ぶ。
(助けてよ…)
麻琴の心は悲鳴を上げていた。
けれど、彼女は決して泣かない。
3年前から、1度として瞳を濡らしたことはない。
(泣かないって決めたから…)
アレイスターに屈したあの日、麻琴は己に誓った。
涙を流したりしない、と。
“アイツ”に涙を見せたりしない、と。
彼女は強いのか、それとも脆いのか。
どちらととるべきかはわからない。
されど、そんなことはお構いなしに世界は回る。
1人の人間の手の上でクルクルと回り続ける。