沙綾とあこ達と遊んだ日から暫くがたったある日の朝、俺は一階から漂ってくる微かなスープ? の香りで目が覚めた。
「……ふぁ〜あ」
寝起きの目を擦りながら現在時刻を確認する。
________8:24
平日であれば慌てて飛び起きる時間だが、今日は休日である。
俺の休日と言えば二度寝がお決まりとなっているため再び布団に潜るが、匂いで胃袋が覚醒してしまったようで出来そうにない。腹減った。
仕方なく俺は顔を洗って、この香りの発生源であるキッチンに向かうことにした。
◇◇◇
諸々を済ました俺はキッチンに近づくにつれ、濃くなっていく匂いにだらしなく表情を崩してしまう。
(この匂いはベーコンか? だとしたらメインは何だろうか? スクランブルエッグかオムレツか……ベーコンエッグもありだな)
俺は匂いの元が好物であるベーコンと当たりをつけて、それと一緒に作られる筈の卵料理に内心うきうきしながら、母さんがいると思われるキッチンの扉に手を掛けるが…………止まる。
(……あれ? 母さん今日は仕事で朝はいないって言ってなかったっけ?)
俺は少しの間逡巡するが、寝起きの頭では正常な判断が出来ないようで、直ぐに思考を切り上げて扉を開ける。
……まあ、寝起きじゃなくても正常な判断なんて出来ないのだが。
____ガラララッ
「おはよー、母……さ…………ん……?」
「あ、九十九おはよー。おばさんなら仕事に行ったよー?」
________
母さんと違って瑞々しい肌に健康的なボディ、母さんと違って透明感のある美しさに、それを強調する幻想的な銀髪ショートヘア、そして極め付けに母さんと違って若い___ってどんだけ母さんdisっとんねん!! 親不孝かッ!!
……というか、何故モカが俺の家に居るのだろうか。それも朝飯まで作って。
先程のモカの言葉から察するに母さんはこの事を知っているようだが。
それにこのシチュエーション、寝起きの俺にエプロン姿で朝飯を作っているモカ、どう見ても休日の若夫婦にしか見えない。
( ……ってあれ? ちょっと待て。え? もしかしてそういう事なの?)
マイパーフェクトブレインは高速回転してある可能性を導き出した。
まさか……まさか俺とモカは──
________結婚している!?
(いやいやいやいやいや、嘘だろ!? 結婚て、身に覚えがねーぞ!? …………夢か?)
そう思って頰を抓るが、夢ということはなさそうだ。滅茶苦茶痛い。
モカはそんな俺を見て首を傾げている。カワイイ____じゃなくてッ!! あッ! モカに直接聞けばいいじゃねーか。
しかし如何やって聞こう。
直接『俺たちって結婚してたってけ?』なんて聞いて、もし本当に結婚していたら最悪だ。修羅場に突入してしまう。
それに結婚していなかったとしても、この問いから良い方向に話が進むとは到底思えない。
俺は一瞬の間に幾つもの台詞を考えて、当たり障り無さそうなものを選ぶ。
南無三ッ!!
「な、なあモカ」
「んー? どうしたのー?」
「モ、モカの名字って何だっけ?」
俺がそう言うとモカは一瞬きょとんとするが、直ぐに蘭やひまりを揶揄う時の様に、にやりと嗤う。
「もー、揶揄ってるのー? この前、八原になったばっかじゃーん」
はい、アウトォォォォォォォォ!!!
なってこった。ガチで結婚していたとは……。
……いや、でも…………ううん、確定しちまったもんはしょうがねぇんだ。腹を括ろう。
「そ、そ、そ、そうだよな。悪いな変なこと聞いて」
「ふっふっふー。モカちゃんは心が広いので許してあげましょー」
何で結婚するまでの記憶がないのか、俺のハーレム計画は如何なったのか、など色々と気になることはあるのだが、取り敢えず牛乳でも飲んで落ち着こう。
俺はモカの先にある冷蔵庫に向けて歩みを進めるが──
「喉が渇いたのー?」
「お、おう。ちょっと牛乳飲もうかなって思って」
「そっかー。ちょっと待っててねー?」
そう言ってモカは冷蔵庫から牛乳と、食器棚からコップを出して渡してくれる。
「はい、どうぞー」
その一連の動作を見届けた俺は目頭が熱くなって、少し潤んでしまう。
「……ありがとう、モカ」
「当然だよー。だってモカちゃんは九十九のお嫁さんだからねー♪」
oh,yes.
〝九十九のお嫁さん″その一言だけで俺の脳は蕩けきってしまう。
胸の昂まりは最高潮に達し、口から愛の囁きが溢れそうになる。
……いや、もう溢れてもいいよね。
だって、俺はモカの夫だもん。いいよね?
よしッ!! 言うぞ〜。
「モカ……あ「んな訳ないでしょッ!!!!!」……ッ!?」
突如響いた怒鳴り声に、俺は驚いて言いかけていた言葉を飲み込んでしまった。
モカはそんな俺を……ではなく、俺の後ろの誰かを見て「ありゃりゃ〜」と言って頬を掻いている。
俺はあまりの唐突さに誰の怒鳴り声か判別出来なかったので、戦々恐々とした気持ちで背後に振り向くと──
________
艶々とした黒髪のショートヘアに赤いメッシュは彼女にギャップを与えて魅力を底上げし、すっと通った鼻梁にくりんとした吊り目気味の瞳は、彼女の芯の強さを表しているかのようだ。
ここまで言えばわかると思うが、彼女は紛れもない美少女である。
しかし、その美しい顔は怒りに染まっている。
角は生えて居ないが、赤く染まった肌は宛ら赤鬼のようであった。
取り敢えず俺はビクビクしながらも、聞かなければならないことを思い出し、意を決して問い掛ける。
「ら、蘭」
「……なに」
「蘭も俺の嫁、なのか……?」
「…………ッ!!」
瞬間目に飛び込んできたのは、返事の代わりの熱いビンタと、羞恥と憤怒でますます赤くなった蘭の顔だった。
「ベフッ!!!!??」
とても少女の力とは思えない怪力でビンタされた俺は、自分の意識が遠のくのを感じた。
「と、とまるんじゃ、ねぇ……ぞ」
「九十九ー!!!」
嗚呼、三途の河が見えるよ……。
……親父、俺も今からそっち逝くからな。
────
──ー
ー
目が覚めると、俺はリビングのソファで蘭に膝枕をされていた。
「あ、やっと起きた」
「……おはよー、蘭」
「おはよう。さっきはごめん、思いきり叩いて」
そう言って蘭は俺に謝ってきた。
だが、蘭が謝る必要なんてないんだけどな。
悪いの俺だし。
それに、蘭にビンタされたおかげで色々と目が覚めたから。
冷静に考えれば、俺とモカの左手の薬指に指輪が嵌められてないんだから結婚してないなんて直ぐ気付きそうなものなのに。
思い込みって怖いなぁ。
「いや、いいんだ。俺の方こそごめん」
「うん」
「……もう怒ってないのか?」
「別に、倒れた人に追い討ちかけるほどあたしは鬼畜じゃないし」
蘭はそう言うと、ほんの少しだけ頰を紅くしてぷいっとそっぽを向く。
俺はその姿に愛おしさを覚え、つい蘭の頭を撫でてしまう。
「……ッ!? ちょっと、いきなり撫でないでよ」
「わりぃ、嫌だったか?」
「……別に嫌とは言ってない。ただ、撫でるなら撫でるって言って」
「撫でるって言ったら撫でていいのか?」
俺はにやにやしながら蘭に言うと、蘭ははっとしたと思ったら直ぐに顔を真っ赤にして俺の頭を叩いてくる。
だが先程と違ってその力は弱く、蘭も本気で怒ってる訳じゃないのがよくわかる。
「〜〜ッ//」
「ハハッ。いてッ、やめろよ蘭、いてッ」
「……絶対やめない……ッ!」
────
──ー
ー
「そう言えばモカは?」
戯れ合いも一息ついた頃、俺は一向に姿を見せないモカが流石に心配になってきたので、居場所を知っている筈の蘭に聞いてみた。
「モカなら怒った後キッチンに逃げたよ」
結構近いやん。
(悪ノリしたとはいえ、今回の原因は俺だし、モカにもちゃんと謝らないとな)
俺は未だに膝枕の体勢で、首だけを動かしてキッチンの方見る。
すると──
「じ────」
________ジト目のモカが、キッチンから顔の上半分をこんにちはしながら見つめていた。
……カワイイ。
俺は起き上がって蘭の横に立ち、モカに向けて手招きをする。
「ほーらモカー、こっちおいで〜」
しかしモカは此方に来るそぶり見せず、それどころかあっかんべーをしてキッチンに隠れてしまった。
「……」
「当たり前でしょ」
隣の蘭は呆れたように言う。全くその通りでがんす。
「蘭、ちょっとモカの機嫌直してくる」
「あたしも行く。いじけたのはあたしの所為でもあるんだし」
「……わかった。二人で行こう」
「うん」
……機嫌を直しに行くだけなのに、何だろうこの感じ。まあ、いいか。
キッチンを覗き込むと、モカが体育座りしているのを発見した。
俺は蘭に此処で待っているように告げ、キッチンの中に入ってモカの横に座ると、モカは態とらしくぷくーっと頰を膨らませる。
「……九十九なんて知りませーん」
俺はモカのそんな姿を見て思わず頰を綻ばせてしまう。
何故なら、今のモカの拗ね方は昔と何にも変わらないからだ。
昔もよく頬を膨らませていたし、それを思い出すと、つい懐かしさに緩んでしまう。
そう言えば、今はキッチンの前で心配そうに見守ってる蘭だって、昔はかなりの甘えん坊で寂しがり屋だった。
今は如何かと聞かれれば、別にそこは変わっていないだろう。
ただ、プライドがそれを邪魔しているから表に出ないだけで、蘭ほど兎みたいな奴は他に有咲くらいしか知らない。
そう考えると、少し面白いな。
「ハハッ」
「何がそんなにおかしいのかなー?」
モカはジト目で頰を膨らませながら睨んでいた。
「んにゃ、別に。……それよりもモカ」
「……」
「ありがとな。さっきは乗ってくれて、おかげでいい夢が見れたよ」
この時謝らなかったのは、何となく謝罪よりも感謝した方がいい気がしたからだ。
俺はモカの頭を撫でる。
モカは撫でる瞬間に膝に顔を埋めたから、どんな表情になっているのかはわからないが、耳が真っ赤になっているのである程度予想できる。
それに昔からモカが拗ねた時はこうしてきたしな。
「なあ、モカが拗ねてるのは別に蘭に怒られたからって訳じゃないだろ?」
モカの身体がびくっとした。ビンゴ。
「モカは蘭よりも嫉妬深いからな。大方、俺と蘭が戯れ合ってるのを見て嫉妬したんだろ?」
モカはこくりと返事をする。
「ハハッ、可愛い奴めッ!」
俺はモカの肩を抱いて頭をくしゃくしゃに撫で回す。
「おりゃー! どうだー!?」
「う──//モカちゃんはそれくらいじゃ許しませーん!」
漸く顔を上げたと思ったら、モカはそんなことを言うが、顔がふやけているために何の説得力もない。
「はいはい。後どれくらいで許してくれる?」
「今日ずーっと撫でてくれなきゃ嫌でーす♪」
「…………え? マジ?」
「ふっふっふー。モカちゃんは拗ねるとめんどくさいのだ〜」
モカは体育座りを崩して抱きついてくる。
多分、今日はもう離さないという意思表示のつもりなのだろう。
……でも流石にトイレとか風呂は離れてくれるよね?
もし離れそうになかったら蘭に助けを求めよう。
俺はそう決めて何気なく蘭に視線を向けると、何を察したのか、蘭は俺の隣に座ってきた。
「???」
俺は困惑していると、蘭は顔を紅くして呟いた。
「……モカばっかずるいじゃん」
蘭はそこまで言ってぷいっと顔を背ける。
あー!!! もー!! 可愛いなぁ! チクショー!!!
「あれれ〜? もしかして蘭嫉妬してる〜?」
「……うるさい、モカに言われたくないから」
モカはにやにやしながら蘭を揶揄っている。
さっきまで嫉妬しまくりだったくせに。
モカのこの身のこなしの軽さはトップレベルだな。
モカに揶揄われた蘭はますます顔を紅く染めてしまっている。
「蘭」
「……なに」
「撫でていいか?」
「………………ん」
短い返事をして蘭は頭を差し出してきたので、俺はモカ同様に優しく撫でる。
撫でられてる蘭とモカはとても嬉しそうにしていた。
「よっしゃ! これで、取り敢えず一件落ちゃ『グ〜〜〜』……」
……両隣から冷たい視線を感じる。
見ないでッ!! そんな冷たい目で俺を見ないでッ!!!
この後めちゃくちゃア〜ンされた。
◇◇◇
「そう言えば、今日は何でウチに来たんだ? それも連絡もしないで」
「それはね〜、モカちゃんと蘭の細やかなサプライズだよー」
「あたしは別にしたくてしたんじゃないから」
「……あ、そう。ていうか、母さん居なかったら如何するつもりだったんだ? 俺寝てたし」
「その時はねー? 如何しよっか蘭ー」
「起きるまで電話掛け続ける」
「……はぁー……。ちゃんと連絡しろよな」