俺は今、羽沢珈琲店の前に居る。
【羽沢珈琲店】
主婦や女子学生に人気のある喫茶店だ。その人気は山吹ベーカリー、北沢精肉店と並び、魔の三角形と呼ばれている。
──だが、それは表の顔に過ぎない。
実はこの喫茶店、午後八時を過ぎると雰囲気ががらりと変わるのだ。女性客が消え、代わりにおっさんがポツポツと入り、メニューもスイーツから軽食がメインとなる。その中にある夜限定のナポリタンは絶品で、最早『ナポリタン? じゃ、羽沢行くべ』がこの町のおっさんの共通認識となっている。だが不思議とその時間帯の客入りは少ない。おっさん達の財布は常に極寒なのだ。
さて、羽沢珈琲店の紹介も済んだことだし、中へ入ろうか。
______カランカラン
中に入ると、一人の男性が出迎えてくれた。
「いらっしゃい……って九十九君か、久しぶりだね」
この人はツグパパ、優しい人だ。
「はい、久しぶりです」
「どうしたんだい? こんな時間に」
「今日は母が飲み会でいなくて……バイトもあったし、ちょうどいいんで久しぶりにナポリタンを食べようかなって」
「ハハ、そうかい。君も大変だね、少し待っててくれるかい? 直ぐ作ってくるから」
そう言って、ツグパパは客席から見えるキッチン──ではなく家の中に入っていった。
(……え? なんでそっち? 客は今俺しか居ないけど……まあ、いっか)
そして、俺はナポリタンが来るまで音ゲーでもして待つことにした。
◇◇◇
今日、私はイヴちゃんとお泊りをしている。
蘭ちゃん達とは良くするんだげど、イヴちゃんは今回が初めてだ。
でも、友達とお泊りってなんかわくわくするよね。
夕ご飯を食べたイヴちゃんもそう感じているのかな。とてもはしゃいでるし。
「ふふっ。イヴちゃん、ホントに時代劇が好きなんだね」
「はい! サムライ、とってもかっこいいです!」
今のイヴちゃんは見てるとなんかこっちまで楽しくなってくるなぁ。
________ガララ
「おーい、つぐみ、イヴちゃん」
(あれ? お父さん? まだ閉店の時間じゃないのにどうしたのかな?)
「お父さん? どうしたの?」
「テンチョー何かゴヨウですか?」
「ああ、すまないね二人とも。実は九十九君が来てるんだが『えっ!? 九十九くん(ツクモさん)来てるの(んですか)!?』う、うん」
九十九くん来てるんだ! でも、どうしたのかな? もしかして私に会いに来てくれたりなんて……
「バイト帰りにナポリタンを食べに来たみたいなんだ」
私はお父さんを睨んだ。
イヴちゃんは頬を膨らませた。可愛いなぁ。
「ッ!? つ、つぐみ? イヴちゃん? お父さんなんかした?」
「ううん、別に」
「そうですね、ツグミさん」
「コ、コホン。それでつぐみにはナポリタンを、イヴちゃんにはさっき作って貰ったスープを、と思ったんだが……」
私はお父さんに微笑んだ。
イヴちゃんは満面の笑顔だった。すごくかわいい。
「任せて! お父さん」
「ショウチしました! テンチョー!」
「ハハ。よろしく頼んだよ、九十九君もきっと喜ぶだろうねぇ」
美味しく出来るように頑張らなきゃ!
──────
──ー
──
「……うまっ」
俺は今し方食べ切った二つの品に、思わずそう呟いてしまった。
それらは羽沢珈琲店のナポリタンと、サービスで出されたクラムチャウダーで、どちらもべらぼうに美味く、しかも沙綾の弁当を食べた時と同じ満足感があった。そう、それはまるで愛情が込められてるかのような……もしかしてツグパパはそっちの気があるのだろうか。今も何故かにやにやして此方を見ているし……。おっさんのにやけ顔は気持ち悪いだけなので即刻やめて頂きたいんだが。
すると、俺の思いが伝わったのか、ツグパパはにやけ顔のままで此方に向かってきた──って、ちょっと待てッ‼︎ 何も伝わってないじゃん‼︎ おっさん何勘違いしとんねん‼︎ 俺はホモじゃねぇ‼︎ ヒィィィィ‼︎ 悪かった‼︎ 俺が悪かったからこっち来ないで〜〜‼︎ アッ──‼︎
「九十九君、どうだっかな? ……って聞くまでもないかHAHAHA」
ツグパパは空き皿を見てそう言った。
もしかして『私の愛情を受け取ってくれた』とでも勘違いしてるのだろうか。
だとしたらヤバい。何とかして尻だけは守らなければッ‼︎
「お、おじさん……どうか……どうかケツだけは勘弁を……!」
だが悲しいかな、俺には直談判しか思いつかなかった。クソッ……‼︎ 俺の頭脳が恨めしい……ッ‼︎
「ん?? 九十九くん?? 何言ってるのかな……?」
ツグパパは俺の言葉に困惑している。
だが俺はそんなツグパパの様子に困惑している。
(どういうことだ? ……もしかしてネコなのか? いやいやいやいや‼︎ ちょっと待ってくれ‼︎ おっさんにカルピスをエクスポートってどんな拷問だよ⁉︎ インポートされるのも嫌だけど‼︎)
俺は血の気が引いていくのを感じた。
ツグパパはそんな俺を見て、首を傾げて顔にハテナを浮かべている。
カワイイ……なわけねぇだろッ‼︎ や、やべぇ、頭がイかれてやがる……ッ‼︎
『元からだ』と母さんの声が聞こえた気がした。遂に幻聴まで……。
──とその時……
「お父さん、九十九くん、何してるの?」
「ツクモさん、私とツグミさんの料理、どうでしたか?」
……え⁉︎ つぐみとイヴ? いつの間に……てか『私とツグミさんの料理』ってもしかして……
「おじさん、この料理作ったのって……」
「あ、ああ、つぐみがナポリタンでイヴちゃんがクラムチャウダーだよ」
「おじさんがにやにやしてたのって……」
「そんな顔だったかい? 娘とイヴちゃんの料理を美味しそうに食べてるのが嬉しくて、つい顔に出てしまったのかな?」
……そうだったのかぁ。
「……すみません、おじさん」
「えぇ⁉︎ どうしたんだい⁉︎ いきなり⁉︎」
ツグパパは突然謝られてあわあわしている。でも謝罪の理由なんて言える訳がない。『ホモと勘違いしました』なんて、勘弁してくれ。
それより、つぐみとイヴが待ち遠しそうに俺を見ているのが気になる。多分感想を聞きたいのだろう。なら言わねばなるまい‼︎
「つぐみ、イヴ、すっごく美味かった! ありがとう」
「えへへ。こちらこそ美味しそうに食べてくれてありがとう!」
「ふふ〜ん。リサさんに料理を習ってよかったです!」
おぉ……。つぐみは照れ臭そうに頬を搔きながら、イヴは豊かな胸を張って誇らしげに、二人とも喜び方は違うがとても嬉しそうだ。その様子を何時までも眺めていたいが、そろそろ閉店の時間だし、飯も食い終わったので帰らないと。それに、バイトでおっぱいに接客したり、おっぱいを陳列したり、おっぱいに挨拶をしたりで、精を出したと言うより溜め過ぎてしまったのだ。早く処理しなければ。
「おじさん今日はありがとうございました。お会計よろしくお願いします。つぐみとイヴもホントにありがと、また今度な」
俺は会計を済まして帰ろうとするが……
「ま、待って‼︎ 九十九くん‼︎」
つぐみが引き留めてきた。
「どうした? つぐみ」
「……イヴちゃん、いいかな?」
「はい‼︎ ファイトです、ツグミさん‼︎」
「……?」
「えと、あのね、九十九くん……」
つぐみはもじもじしながら──言い放った。
「今日、もし良かったら泊まっていかない?」
「「エッ」」
ツグパパとハモった。
そして、俺はツグパパと顔を見合わせてアイコンタクトをする。
こくり、とツグパパが頷いた。
よしッ。
「こらこらつぐみ、九十九君にだって予定はあるんだか『お父さんは黙って』……はい」
(ええぇぇぇぇぇ⁉︎ おいッ‼︎ 一家の大黒柱がそんなんでいいのかよッ‼︎ 弱過ぎだろ‼︎ 少しは威厳見せろよおっさん‼︎ )
だが、そんな思いも虚しくツグパパは終始情けなかった。
仕方がない、此処は俺が如何にかするしかないようだ。娘に尻に敷かれてるおっさんは其処で刮目するがいい。俺が本当の漢ってやつを見せてやる。こういう時はな、堂々としているべきなのだよ。申し訳なさそうにしては駄目なのだ。隙を見せたらおしまいなのだから。
「おい、つぐ『九十九くん、ダメかな……?』……オーライ」
ツグパパ、ごめんね。俺は漢じゃなかったみたいだ……。
「ツグミさんすごいです‼︎ 『母は強し』ですね‼︎」
イヴ、それ全く意味ちゃうで……。
そんな訳で、俺はつぐみとイヴと泊まることになりました。