ハリー・ポッターと運命を貫く槍   作:ナッシュ

9 / 10
 感想、評価、ブックマーク感謝です。まさかこんなに読んで頂けるとは思っておらず、有難いやらプレッシャーやらで筆が進みまくりました。

追記
 誤字修正ありがとうございます。


第9話 敗北

 幼き日の記憶が蘇る。まだ幼き少女が無垢で差別的な思想に染まっていなかった頃の、ある日の話だ。

 

 6歳になったばかりのアイリーン・シャフィは、不揃いに結われたツインテールの髪を揺らしながら書斎に突撃した。周りには自分よりも大きな本棚がまるで林のように立ち並んでいる。

 

 彼女の右手には幼女には不釣り合いな大きい本が抱えられていた。

 アイリーンはキョロキョロと辺りを見回しデスクの上で作業をしてるパパの姿を認識すると、パタパタと駆け寄った。愛らしさ極まる娘の姿に、彼女の父親はだらしなく頬を緩ませた。

 

「おはよう、おとーさま!」

「ああ、おはよう、アイリーン。何かわからない言葉でもあったのかな?」

 

 マルフォイ家が主催するようなパーティーの度に、マダムたちを蕩けさせるダンディな顔つきからは想像もつかないような猫撫で声だ。まさに親バカここに極まるとでも言うべきだろう。

 

「ええ、この本のことなの!」

 

 アイリーンは小さな手を限界まで伸ばして分厚い本を父の前に差し出した。

 

「どれ⋯⋯『穢れた血と近世以降の魔法界の衰退』か。まだアイリーンには少し早いんじゃないのかな?」

 

 少しページを捲ると、非常に専門的な単語や論文からの引用で溢れていた。彼にとっては愛読書の一つであるが、アルファベットを理解したばかりのこの少女にはただの文字の羅列くらいにしか認識できない代物だろう。

 勿論幼きアイリーンはこの本の内容については一部たりとも理解できなかった。彼女が疑問に思ったのはタイトルについてだ。

 

「『けがれたち』ってなんのこと?」

「『穢れた血』というのは⋯⋯⋯まあ、マグルたちのことだ。僕達とは違う、憐れな下等生物達だよ」

「なんでマグルが『けがれたち』なの?」

 

 こてんと可愛らしく首を傾げる姿はどこまでも純真て無垢だ。無知であるがゆえに、その思考はまるで真っ白いキャンバスのようだ。

 

 そして、それを恣意的に染めるのはいつだって偏見と凝り固まった固定観念に縛られた大人だ。

 

「マグルの者たちは僕達魔法族と違って魔法が使えないだろう?」

「だけど、マグルの中には魔法を使える人もいるってデイブが言っていたわ」

 

 父親の顔が露骨に歪んだ。思考の片隅で娘に余計な知識をつけた家庭教師を解雇しようと決意しながら、忌々しそうに口を開く。

 

「⋯⋯たしかに、そうだね。腹立たしい事に、彼らの中でも突然変異で魔法を使える者が出てくることはある」

「じゃあ────」

「だけど、それは本当に一握りで、大多数は魔法を使えず、その神秘の一端も知ることはない愚かな生き物なんだ。一人で火を起こすこともできやしないし、空も飛べない」

 

 父親が冷たい嘲笑を浮かべる。その笑みの意味することはわからなかったが、アイリーンも倣うように顔を綻ばせた。彼の思想に同調したわけではない。ただ、父が喜んでいるならそれはきっといい事なのだろうと判断したまでのこと。それの積み重ねが何を齎すのか、無知な彼女が知るわけもなかった。

 

「じゃあ、その魔法が使えるマグルたちは選ばれた人たちってことね!」

「それは違う」

 

 これまで以上に強い口調に、アイリーンは思わず肩を震わせる。父が向けてくる視線は、未だ嘗て経験のないほど冷たく、怒りを孕んだものだった。何か失言したのか、と感じたアイリーンの顔がみるみるうちに青くなる。

 その様子に気づいたのか、父はすぐに取り繕うような柔和な笑みを浮かべてアイリーンの頭を撫でた。

 

「彼らこそ、真に淘汰されるべき存在なのだ。いいかい? マグル生まれの魔法使いというのは我々よりも遥かに劣った存在だ。そのことは、偉大なる純血の王にしてホグワーツの祖でもあるサラザール・スリザリンが認めている通りだ」

「おとっているの?」

「ああ、そうだ。この本をあげよう。まだ僕は仕事が残っているからね、お母様に朗読してもらいなさい」

 

 父から手渡された本はこの書斎にある大凡の例に漏れず、分厚く難解そうだ。背表紙にはブルータス・マルフォイを始めとした著名な純血主義の権力者や研究者が著者に名を連ねていた。

 

 父からのプレゼント。

 アイリーンは嬉しげにツインテールの先を揺らして本を胸に抱いた。

 

「ありがとう! おとーさま!」

 

 嬉しそうに母の元へと駆け出していくアイリーンの姿に、父は満足げに嗤う。

 

 彼は心の底から信じていたのだ。純血主義を信奉することこそ正しき在り方であり、それを伝えることこそ純血の家に生まれた親としての責務なのだと。

 

 

 

 

 両親による英才教育の成果か、アイリーンはシャフィク家の名に恥じない「立派な」レディに育っていた。キングス・クロス駅ですれ違うマグルたちをまるで汚物のように見る娘の姿に、両親は満足そうに微笑んだ。

 

 マグル製の蒸気機関車を不快そうに眺めるアイリーンを母が抱きしめて背中を撫でる。

 

「何か相談事があったら、母に手紙を送りなさい。緊急を要するようだったら、寮監のセブルスを頼るといいでしょう。貴女もパーティーで会ったことがあるでしょう? 彼は私たちの仲間よ、きっと力になってくれるわ」

「はい、お母様」

 

 二人とも、アイリーンがスリザリン以外の寮へ行くとはカケラほども思っていない。彼女たちは数時間後に彼女を襲う「悲劇」など予想だにしていなかった。

 

 できうる限り愛する一人娘との最後の抱擁を堪能したいのだろう。苦しそうなアイリーンに構わずに抱きしめる妻の姿に父親は苦笑を漏らした。

 

「アイリーン、ドラコ君とはちゃんと仲良くするんだよ」

「⋯⋯⋯⋯わかっているわ、お父様」

 

 聖28一族の中でも最も強い権力と莫大な資産を持ち、現存する純血の家系の中でリーダー的存在と目されているのがマルフォイ家だ。

 その一人息子であるドラコ・マルフォイとは、パーティーの度に顔を合わせる間柄だった。というより、父はアイリーンとドラコが将来的に『特別な仲』になるのを期待してる節があるようで、事あるごとに二人だけで遊ばせるように仕向けていた。

 

 だが、アイリーン自身はドラコのことを好いていなかった。父の手前表だって行動に移すことはないが、根が小心者で小狡いドラコは寧ろ嫌いなタイプですらあった。一方のドラコもアイリーンの高圧的な態度とわがまま気質に気圧され、プライドが傷つけられるのが嫌なのか、彼女のことを苦手としているようだった。

 

 両親の思惑に反して、二人は致命的に相性が悪いと言わざるを得ない。

 だが、父に嫌われたくない一心で全気力を振り絞ってアイリーンは首を縦に振った。

 

 ホッと安心するように笑い、父も母とアイリーンを両方包み込むようにして抱きしめた。

 

「⋯⋯ああ、それと、もしもフォウリー家の子供がいたら、適度な距離で付き合いなさい。特別親しくする必要はないが、彼のことで何か気づいたことがあったら逐一僕にフクロウ便を飛ばしてくれ」

 

 よくわからない要求に、思わず瞠目する。フォウリー家は聖28一族の一つだ。その子供と仲良くしろ、というのは理解できるが、どこか言い聞かせるような父の目に宿る真剣さからそれだけではないと察せられた。

 理由を問おうとしたアイリーンだが、父は曖昧に笑い、最後にもう一度強くアイリーンの身体を抱きしめると、身体を離してしまった。

 

「────さあ、ホグワーツには多くの楽しみと未知の冒険が待っている。何も寂しがる必要はない。スリザリンでは間違いなく無二の親友や大切な人ができるのだからね」

 

 父の激励に胸を高鳴らせる。両親との別れは確かに悲しいものだったが、ホグワーツでの生活に想いを馳せれば涙は出なかった。寧ろそんなカッコいいことを言っている父こそ、眦がキラリと輝いていた。

 

「行ってます、お父様、お母様」

 

 遂には二人してすすり泣き始めた両親の精一杯の笑顔に見送られながら、アイリーンはホグワーツへと向かった。彼女の瞳は夢にまで見た学校生活への期待で輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホグワーツ入学してから2ヶ月ほどが経過した。

 アイリーンの学校生活は端的に言って最悪だった。

 

 それは入学初日から始まった。何をトチ狂ったのか、帽子はアイリーンをグリフィンドールに組み分けしたのだ。

 スリザリン以外の寮に行くなど微塵も想定していなかった為に、その衝撃は凄まじいもので、豪勢なディナーも満足に味わうこともできなかった。

 

 スリザリンに行くと確信しているゆえに帽子に一任していたのが悪かったのかもしれない。アイリーンはひどく後悔し、やり直しを何度も希望したがマクゴナガルには取り合ってもらえなかった。

 

 帽子は間違いなく判断を間違えた。それをアイリーンは確信していたし、彼女を知る者は皆同感だった。

 実際、彼女はグリフィンドールで相当浮いていた。腫れ物のように扱われているとも言える。親マグル派のゴドリック・グリフィンドールを祖とする上にスリザリンへの敵対心から、グリフィンドールでマグル生まれや混血を差別することはタブーとされている。そんな中で平然とマグル生まれや混血、果てはウィーズリーのような純血でも血を裏切る者と罵るアイリーンはすぐに孤立し、嫌われクイーン(双子のウィーズリー命名)などと呼ばれるようになった。

 

 何か陰口を叩かれれば真正面から狂犬の如く噛み付くため、イジメられることこそないが、代わりに誰にも話しかけられることもなかった。

 

 パーティーなどで表面上の友好関係を築いてきた同学年の純血の顔見知り達はみな当然のようにスリザリン寮だ。グリフィンドールに組み分けされたアイリーンへの接し方に戸惑っているのか、それなりに面識のあるダフネやミリセントたちとも疎遠になってしまった。

 

 唯一の救いは、嫌われるかもしれないと戦々恐々としていた両親から毎日のように励ましと慰めの手紙が送られてくることだろうか。既にアイリーンはクリスマス休暇が待ち遠しくて仕方がなかった。それもマルフォイ家のパーティーで大半が潰れるかと考えると憂鬱でもあったが。

 

 

 だが、何よりも辛かったのが授業に関することだ。

 

 ハーマイオニー・グレンジャー。彼女は純然たるマグル生まれで、身なりも小汚い典型的な『穢れた血』だった。

 

 だというのに、授業の度に嫌という程見せつけられる差。勉学に関することだけではない。杖を使う授業で、彼女は飛び抜けた成績と能力を示した。

 

 ハーマイオニーが容易く羽を宙を浮かす一方で、アイリーンはというと羽を黒焦げにすることしかできない。

 では、他の純血の者達はどうだ。アイリーンと同じく聖28一族であるウィーズリー家のロンも、ロングボトム家のネビルもハーマイオニーが出した結果には遠く及ばない。ドラコやミリセントたちにいたっては、そんな彼らにすら遅れているというではない

 

 その度に、『才能』という言葉が脳裏をチラつくのだ。それはアイリーンがこれまで築き上げてきた価値観や観念を揺さぶるものだった。

 

 ───ハーマイオニー・グレンジャーが特殊なんだ。

 アイリーンは、自分にとって決定的な何かを打ち崩すような彼女の存在に恐怖しながら、次第にそう考えるようになった。

 

 そう、彼女はマグル生まれの中でも異端。母数が母数なだけに、一人くらいはそういう者が出てくることもあるだろう。

 何かから目を逸らすようにそう考えないと、アイリーンは平静を保てそうになかった。

 

 

 しかし、そんな考えもすぐに破綻した。

 

 すっかり陽が落ちるのも早くなり、まだ夕食の時間までしばらくあるというのに薄暗くなった校舎をアイリーンは不機嫌そうに歩いていた。

 

 その右手には一冊の教科書が握られている。彼女のものではない。ハロウィーンの日に隣に座っていたアレステット・フォウリーに投げ渡された本だ。

 その時は「教科書の読解が足りてないんじゃないのか?」と遠回しに皮肉られたと勘違いし、怒りに打ち震えたものだが、中身を読んで心底驚いた。

 

 教科書の中で難しい内容のところに付けられた注釈や、まるで教科書の間違いを訂正するように付け加えられた文。アイリーンが半信半疑ながら書いてある通りに魔法を使ってみると、これまでよりもはるかに手応えのある結果が出た。

 何かと皮肉を言ってくる腹立たしいあの男のお陰、というのは少々癪ではあったが、呪文学の成績が僅かに上向いたのも事実。なぜ自分を嫌っているであろう彼がこんなものを貸してくれたのかは全く分からなかったが、アイリーンは一シックルほどの感謝を抱いていた。

 

 しかし、いつまでもこの教科書を借りているわけにもいかない。前回の呪文学では当たり前のように教科書を持っていたが、恐らくは先生に借りたか図書館で借りてきたのだろう。このままだと借りパクの汚名を着せられるかもしれない。それはシャフィク家次期当主としてありえないことだった。

 実は複製呪文を使った為、アレステットは実質ほぼノーコストなのだが、それはアイリーンが知る由も無い。

 

 そこで翌日に呪文学を控えたその日に教科書を返そうと思ったのだが、談話室で待っていても帰ってくる様子がないので、仕方なくこうして自分から足を運んでいるのだ。夕食後まで待てば良いのだが、彼女は悲しいことに短気で浅慮だった。

 

 だが、この学校は見た目以上に広く複雑だ。しかも学校全体がまるで一つの生き物のように嫌がらせをしてくる。

 無計画に探し始めたアイリーンはすぐに後悔した。しかし、ここでUターンして談話室で待つのもなんだか負けたような気がするし、あそこはアイリーンにとって決して居心地のいい場所では無い。

 

 その結果、小一時間近く血眼で構内を探し回る羽目になったアイリーンは既にアレステットへの理不尽な怒りで爆発寸前だった。

 

 やっとの事で────なぜか閑散とした教室に立つ────アレステットを見つけた時は、その爆発を現実のものとして教室内に炸裂しそうになった。

 

 それを押しとどめたのは、教室にアレステット以外の人影を視認したからだ。

 

 思わずドアの影に隠れて息を潜め、そろりと顔だけを出して中の様子を観察する。

 

 ──そこでは、目を疑うような光景が繰り広げられていた。

 

「ルーモス、光よ」

「ノックス、闇よ」

 

 それは、アイリーンにもまだ使えない魔法。最近授業で扱ったばかりのもので、アレステットから借りた教科書を参考にしてもなかなかうまくいかなかった魔法と、さらにはその反対呪文。

 それをしていたのがアレステットだったなら、きっと驚くことはなかっただろう。

 

 だが、辿々しいながらもその呪文をキッチリと成功させていたのは彼ではなく癖のない真っ赤みがかった黒髪を腰まで伸ばした小柄な少女────シルフィ・コールフートだった。

 

 彼女もハーマイオニーと同じだ。ホグワーツから手紙が来るまで魔法のまの字も知らなかったような、生粋のマグル生まれ。その癖して、アイリーンがどれだけ願ってももう手が届かない名誉あるスリザリンに組み分けされた忌々しき少女。

 

 しかし、ハーマイオニーほど嫌っているわけではなかった。事あるごとに自分に反論してくるのはたしかに腹立たしかったが、ハーマイオニーのように魔法の才でアイリーンの心をかき乱すことはない。つまるところ、安心して見下すことができた。

 

 だが、それももはや過去の話。

 

 アイリーンの前で自在に魔法を操るシルフィに、アイリーンの顔から血の気が失せる。心臓は早鐘を打ち、今までにないくらい胸が騒ついた。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーもシルフィ・コールフートも特別ではないのかもしれない。

 

 では、なぜアイリーン・シャフィクは彼女達に遅れを取っているのか。

 深く思考する必要もなく、目を背けたくなるような結論が自然と浮かび上がる。

 

 ────それを認めることなど到底できなかった。

 

 ゆえに、アイリーン・シャフィクはシルフィ・コールフートに決闘を挑んだ。純血こそが真に優れた存在であるということを証明する為に。

 

 

 

 

 

「んっ⋯⋯」

 

 意識が浮上する。なんだか長い夢を見ていたような気がした。目蓋を貫通するチカチカとした光に身じろぎをする。

 全身を包み込む柔らかな感触に覚醒しかけて思考がまた融けそうになるが、微かに香る薬草の匂いと遠くから聞こえる話し声に徐々に目が覚めてきた。

 

「────つまり、貴方のミスが原因だと?」

「はい、俺の不覚の致すところです。浮遊呪文の制御を失敗したばかりに、誤って彼女を昏倒させてしまいました」

 

「グレンジャーといい、貴方といい、まったく⋯⋯。グリフィンドールに5点減点。シャフィクが目を覚ましたら、彼女にも事情を聞きますからね。もし先ほどの説明が嘘だった場合は貴方がこれまで稼いできた得点が全て無くなると思いなさい。私は戻りますが、貴方も出来るだけ早く寮に戻りなさい。それでは」

 

 コツコツと床を叩く音が遠ざかる。

 

 それと同時に、音を立ててカーテンが開き、アレステットが入ってきた。半目で睨むアイリーンに気づいたのか、驚いたように眉を上げた。

 

「起きてたのか」

「⋯⋯ここは?」

「医務室だ」

「はあ? なんでわたしがこんなところに────って、そうか⋯⋯」

 

 ズキンと刺すような頭痛とともに、気を失う前のシーンが脳裏に映し出された。シルフィの杖から真っ直ぐに伸びる赤い光が自分の胸を穿ち、杖を奪い取られる光景だ。

 

 完敗だった。

 恐らく本当は最初の一撃が当たった時点で、アイリーンは何もす事もできずに負けていた筈なのだ。しかも運良く初撃を相手が失敗してくれたというのに、その後の攻撃で攻め落とせず、挙句には消耗して身動きを取れないところを一発。

 

「負けたのね、わたし⋯⋯。何よ、わざわざ嫌味でも言いにきたの?」

「いや、たしかに大口叩いた割にはあっさり負けたなとは思うが、別にそれを言いに来たわけじゃない」

「充分言ってるわよ!」

 

 アレステットは懐から何かを取り出してアイリーンに手渡した。白い手袋だ。

 

「⋯⋯なによこれ」

「いや、お前のだろ」

 

 よく見れば、丁度1週間前にシルフィへの果たし状として投げた手袋だった。別に高価なな物でもないし、なんなら今の今までこの存在すら忘れていた。

 

「⋯⋯⋯⋯まさか、これを渡すためだけに来たの?」

 

 時計を見やれば、あの決闘から数時間が経過していた。もし彼があの後ここまで運んだくれたとしたら、こんな物を渡すためだけにもう一度医務室までやって来たということになる。

 

「それこそまさか。マクゴナガルに事情を説明するついでだよ」

 

 ふうんと、頷きながら何の気なしに手袋を手の中で転がす。すると、地面に放ったにも関わず真っ白なままであることに気がついた。魔法で清めたのだろうか。変なところでマメな男である。

 

 マクゴナガル。

 そうだ、さっきの話し声はアレステットとマクゴナガルの声だった。

 

「⋯⋯⋯⋯なんで、わたしを庇ったのよ」

「なんのことだ?」

「白々しいわよ。わたしが気絶したのを自分のせいにしてたじゃない。自己犠牲のつもり? 言っておくけど、全然かっこ良くないわ。頼んでもないし、余計なお世話よ」

「別にお前を助けたなんて思ってない。決闘のことを話せば、グリフィンドールから引かれる点数は5点じゃ済まないだろう。それに、シルフィにも迷惑がかかることになるからな」

 

 本音は最後の部分だろう。彼が誰よりもシルフィのことを大事に思っているのは周知の事実だ。きっと寮の得点なんて毛ほども気にしていないだろう。

 

 これ以上話すことはない、とアレステットが踵を返した。その背を睨みながら、ポツリと呟く。

 

「⋯⋯⋯⋯わたしは、負けてないわ」

「⋯⋯なに?」

 

「わたしは、アンタに負けたのよ。優れた純血のアンタが、あの女に魔法を教えて上達したから、わたしに勝った。アンタが何もしなかったら、アイツは手も足も出なかった筈よ」

 

 それはきっと事実だ。シルフィが一人練習したところで、才能や知識の面でアイリーンが上回っていたのは明らかで、アレステットもシルフィ自身も認識していた。だからこそシルフィはアレステットを頼り、彼は教鞭をとったのだから。

 アレステットに借りた教科書のことを思い出す。読むだけでアイリーンの魔法の腕が上達したのだ。直々にその薫陶を受けたシルフィが自分よりも上を行くというのも納得できる。

 

 そうして、自分に言い聞かせようとした。

 

「そうか、それは残念だったな。俺は純血じゃない」

「⋯⋯え?」

 

 身体をこちらに向き直し、視線がぶつかる。何かを抑え込むようなその強い意志の宿った瞳に自然と目が吸い寄せられた。

 

「生物学上の俺の父親は混血だった。だから、俺はお前のように純血じゃない。⋯⋯まあ、今はそんなことどうでもいい。

 本当はお前だって分かっているんじゃないか? アイリーン・シャフィク。お前が負けたのは、俺がシルフィを成長させたからじゃない。お前よりも彼女の方が努力したからだ」

 

「ど、りょく⋯⋯。は、はは⋯⋯。そう、努力なんてしないと、才能の差を埋められないのね。やっぱりマグル生まれは────」

 

 

 

「お前だって、努力してたじゃないか」

 

 ひゅっと喉が鳴った。呼吸が乱れる。それはナイフのように鋭い一言だった。

 

 聞きたくない。耳を傾けるな。

 

 そう本能が自己防衛のために訴えかけてきても、アイリーンはアレステットの黄金のように輝く瞳から目を離せなかった。

 

「これ見よがしに談話室で紅茶なんて飲みやがって。今までしたこともない癖に」

 

 

 ───皆が寝静まった寝室で、布団を被りながら高学年用の教科書に噛り付いた。放課後、誰も来ないような寒い森の中で何度も杖を振るった。

 

 冷たい視線に晒されながら談話室で好きでもない紅茶を啜った。自分は才能だけで勝つのだ、努力なんてしていないのだと見せつけるように。

 それがアレステットへ示すためのものだったのか、自分自身を騙していたのかは分からなかった。

 

「純血も、マグル生まれも結局差なんて殆どありはしない。そこからどうなるのかは、そいつ次第なんだよ。本当は気付いていたんだろう? 一体何をそんなに怖がってるんだ?」

 

「わたしが、怖がっている⋯⋯⋯⋯?」

 

 まるで全てを見透かすようなアレステットの言葉は、心の奥底で鍵をかけていた記憶を呼び覚ました。

 

 

 あの日の情景が呼び起こされる。

 

 呆然と杖を握る自分と、怯えるように引き攣った笑みをこぼす彼女。

 

 

 それはまだアイリーンが『シャフィク』ではなかった頃の話。

 




穢れた血
→ここではマグルとマグル生まれの魔法使いを同じ文脈で使っています。概念的には同じものですので。

ブルータス・マルフォイ
→ダンブルドアに論破されたのは秘密。

セブルス
→残念ながらグリフィンドール生になったので贔屓はされず。しかし露骨に嫌がらせをされることもない。

ドラコ・マルフォイ
→父は2人を婚約者にしたく、ルシウスたちも満更ではないようだが2人の相性が悪すぎて話が纏まらない。

アレステット
→とある理由からアイリーンの父親はアレステットを特別視。しかし彼の扱いを決めかねている。

嫌われクイーン
→普通に傷ついた。

ハーマイオニー
→価値観を壊す存在として恐怖。それを隠すためによく突っかかる。

教科書を返そうとするアイリーン
→出来るだけ汚さないようにしていた。何だかんだで几帳面。

庇うアレステット
→たぶんありのままに話したら減点は10倍ではすまなかった。

純血じゃない
→父親が混血。生まれてこの方会ったことはない。

見透かすような視線
→開心術は使っていない。作中で語られるか微妙だが、偶然彼女の練習を目撃した。が、シルフィの方が頑張っていた。


 深夜テンションで書いたので暴走気味かもしれません。改稿するかも。





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