~京~
1551年(21歳)になりました。
戦国時代の数回ある時報になります
はい、大寧寺の変ですね
いやー、3年も京に貼り付けられるとは思わなかったわ……まぁ伊予はほぼほぼ手に入れました
正確には村単位で支配下に置いたので大名は健在ですが、行商で必要物資を飢饉の村に配り、地形を把握し、村の有力者に間者を嫁がせ、親三好に1つずつしていきました
こういう地道な調略は毛利元就とかよりも自分得意よ
まぁ武将寝返らせるとかだと数多の謀将らにはまだ負けるんですがねぇ……
あ、治安維持名目で山賊狩りをしたりもしてました。
……3年で色々ありましたねぇ……ねぇ大内義隆様
知っていたから動きますよね……大寧寺の変
私の数年間で作り上げた情報網及びシンパを使って貴族や大内親子を事件数日前に山口から脱出させました……脱出のために商売のコネで知り合っていた南蛮人に金を積んで山口から大坂まで彼らを輸送してもらいました。
手痛い出費でしたがそこから兄上達と面会後身分を隠してもらいながら私の本拠地である伊予の領地に移動してもらいました
長慶兄様、これで中国地方は荒れますね
兄弟達はこれを理由に中国地方への出兵を行う事が決定し、私は伊予完全平定を命令されました
三好家としてみれば6ヵ国を支配下に置く国が近くに有るので弱体化させ、将軍不在中でも中央の力強しと思わせることが目的で、裏には助けた貴族達により宮中を動かした朝命というのが事実です
陶は朝敵認定されたのでもう終わりですが、毛利元就がどう動くのかが私的には気になります
まぁ手に入れられるものは手に入れました
大友との秘密同盟
同盟と言うよりも密条約と不可侵関連ですかね
二段崩れでの混乱を回復しつつ北九州の覇権を確立させるのを目論んでいた大友宗麟(まだ違う名ですがこれで統一します)に、今回の変で完全に政治に興味を失ってしまった大内義隆様は家督を息子の大内義尊(3歳)に渡して隠居してしまいました
……完全に抜け殻みたいですね
私を見てももう抱こうとはしませんし、寺でも男を抱こうとはせずに、殿として脱出の時間を稼いで死んでいった陶隆康の供養とたまに生存確認にやって来る明からの使者との面会だけの生活になってしまいましたが、私も面会して明との貿易の継続、博多経由で伊予を中継地として堺との貿易を行う事が決められ、貿易協定、不可侵、博多の商船入船許可等々……長慶兄様は好きにしろと言われているのでガンガン決めましたがね。
兄様達的には山口に攻めて挟撃にしたかったんでしょうけど、絶対に宗麟はそんな事しないでしょうからね。
まぁ弟さんを史実のように陶に差し出さないで済みましたし、大内親子の連署で書いた北九州の権利を譲る書類を渡したので不満がある国人を倒せば北九州における覇権は確立されるので利害の一致で喜んでましたよ
私は四国を手に入れたら守りに徹することができれば良いのですよ
まぁじわじわやりますか
(最近長慶兄様以外の兄弟との仲が微妙になり始めましたが、松永久秀の弟の松永長頼とは仲良いんですがね……兄弟揃って茶器好きねあんたら、久秀も仲良いですが、長慶兄様に絶対の忠誠誓ってるので警戒されてはいるんですよね……ま、茶器の名物あげると目茶苦茶喜びますけど)
「面倒くさいな……将軍様よ」
尼子、朝倉、武田(若狭の)、六角を軸とした対三好同盟が完成
四国でも河野、土佐一条・伊予宇都宮が一時的に和睦し、連合組んで11月頃にこっちに攻めてきましたが、筆頭家老の鈴川と教官の役割を担ってきた佐々木が800名で防衛に成功
相手が連合で足並みが揃ってなかったのも有ったが7500名を800名で撃退したのは周辺諸国に衝撃を与えた
12月頃には私や京の屋敷で教育してきた子供達と帰還し、死傷で減ったが700名で進行を開始、伊予の村々に使いを出し一斉に蜂起させ、年内に掌握を完了させた。
戦の教訓はテルシオの完成、初めての大規模な火縄銃の一斉射撃の威力、クロスボウ(南蛮弓)の携帯性の良さ、騎兵の馬の乗り潰しの多さが教訓となった
伊予平定後直ぐに年貢の改定、補充兵の募集、兵器、肥料等々工場の大規模化、新農法の普及を一気に行います
金? 明、博多、堺との中間貿易でウハウハよ
両替屋業もこれで安泰ですし、伊予の石高大体35万石と貿易の約50万石の金、それ以外の収入約10万石分で約95万石動かせます
北の中国地方は毛利元就や海賊衆達も貿易の利益と朝敵認定の陶を倒し、大内の領地の継承したことを黙認を条件に数年の不可侵も手に入れました……毛利尼子攻めるって
ほら兄様達、尼子挟撃にしましたから後頑張ってね
こっち土佐の国人連合軍との攻防で忙しいから
と言うか土佐取って早めに琉球王国との貿易をしたい
明との貿易関係で商人達とのコネは有るのでなるべく早く取りたい
(ま、最終的には台湾を取れれば安泰なんだよなぁ四国の2倍の面積、米も採れる気候、島で海の壁がある、程よい中国との距離)
ま、自分の代では無理だろうなぁ
「お前らに任せるからな……と言っても14歳しか離れてないから孫世代かな」
「父上なんですか?」
「何でもないぞ」
1552年3月頃
「勝てぬ……勝てぬな」
土佐の長宗我部国親は伊予含めて四国のうち3国を手にいれた三好に頭を悩まされていた
特に伊予平定を行った三好優駿殿は傑出しておられる
前線に出られた姿を見たが……ああいうお方が英雄と呼ばれるのだな
6尺半の巨体、前線に出て弓を射ろうが腕につけた盾で弾き、巨大な棒で雑兵を叩き潰しながら戦う姿は鬼神の如し
「……このままでは我が家が滅んでしまう」
精鋭である土佐兵が野戦でこうも一方的にやられるとは……
「弥三郎を人質として降伏も視野にいれなければ……」
ただ、守るだけで全く攻めてこない三好優駿率いる伊予三好勢がとても不気味にも思えた
次に主人公の子供アンケート 子供は転生者ありかどうか
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転生者はなし
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ありありのあり
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前世が人でないもの限定よ
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(現代人は)いかんでしょ(昭和までの人)
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逆に未来から呼べよJK