武田信虎様を接待として経営している遊郭に連れていき中に入ってから丸2日……
「いい加減出てこいエロオヤジが!!」
首根っこ掴んで遊郭から引っ張り出す
「気持ち良いかもしれないですがこのままだと腹上死ですからね!!」
「あ、アァァ……」
「ダメだ飛んでる」
~エロオヤジが回復するまで今しばらくお待ちを~
「えがった、えがった。女は良いな。男を好んで抱くような馬鹿息子の気持ち等わかりたくないな」
信玄が嫌いな理由はこれかよ。
確かに少年を抱くのが趣味の大魔王晴元様との相性も悪いわなこれだと。
「良い事させてもらったから優駿と呼ぶぞ」
信玄の気持ちが何となくわかったわ。
悪く書かれてもしゃーない性格してるもんな……
「いやぁ……ここに住みたいのだが」
「働けエロオヤジ!!」
「素が出てるぞ。ん、働けばここに住んで良いのだな」
「はい、良いですよ。働けばですがね」
働く事を条件にエロオヤジこと信虎様はこの遊郭に死ぬまで住み続けるとは優駿は知らない……知りたくもなかった。
しかし、甲斐の武田家が織田により滅ぼされた後、この遊郭で生まれる堺武田衆10兄弟(女性がカウントされてないが他に4名の姉妹が生まれるため正確には14人の兄弟)が領地を持った三好優駿に合流し、武官文官各々で活躍することとなる。
尚文官の武田衆を見た優駿は
「やっぱり育て方と周りの環境で変わるよね」
と呟いたという……
はい、エロオヤジを遊郭に監禁もとい働かせることに成功した私はその後1年間京と堺を走り回りながら影響力と金、コネを集めることに集中しました。
その姿に危機感を覚えたのか単なる気まぐれか1544年 私は14歳となり、その数か月後大魔王様から招集がかけられました。
「大内から勘合貿易を潰してきなさい」
!!!??? www
ご冗談を……と言いたい所ですが大内氏は大魔王様の母体というか細川氏と勘合貿易の主権を巡り対立した歴史があります。
また大魔王様の先代や大内氏の先代は京を巡り政争及び実際に戦にもなってます。
最終的には大内氏の勝利と尼子氏の反乱、細川氏の弱体化という結果に終わりますが私経由で堺衆からの幕府に対しての投資、本願寺等の有力寺院との和解(表向き)で余裕が出てきたため少しでも大名の弱体化を謀るための1つが大内氏の勘合貿易停止令だと私は直ぐに感づきましたよえぇ……
史実にはない動きで怖いですがそれよりも布野崩れが数日前に発生しているんですよね。
毛利大内連合と尼子の戦いで最終的には大内氏の勝利ですが序盤で毛利が裏崩れとはいきませんが毛利側の指揮官数名が討ち取られ壊走しているんですよね。
しかもこの戦現在進行形で続いているため陸路で大内領地に行くことは不可能、四国経由で行きたいところですが四国は四国で細川の勢力以外に9つの勢力が犇めき合うまさに戦国時代の縮図のような場所です。
「これ死ぬかもしれない」
と思っていた所思わぬところから助け船が
そう、堺衆の商人達
堺~博多間の貿易船に商人として乗船して良いとの御達しが来ました
5隻の中型船に各15名ずつ部下(奴隷)を乗せ、博多経由で山口にある大内館を目的地として約半月の船旅を始まりでした。
【1544年8月不明日】
幕府の実権を握っていた細川晴元は幕府の権威向上及び弱体化した細川氏再建のため軍資金を数年前から蓄えはじめ、謀略と数十に渡る戦を勝利し、推定150万石以上の実効支配に成功する。
次に目をつけたのが勘合貿易で因縁のある大内氏と中国地方の大大名尼子氏であった。
ただ尼子氏は大内氏及び毛利氏との合戦で大逆転勝利し凄まじい勢いがある勢力のため、中国地方の影響力が減少した大内氏を最初の標的とした。
この時大内氏は養子であり大内義隆が大層可愛がっていた大内晴持が戦にて溺死(享年20歳)し、文弱的傾向に溺れ始めていた。
文武官達でも対立が徐々に表面化し始めており、細川晴元が三好優駿以外の部下を送った場合即座に武官に斬られていた可能性が高かったが……
希代の謀略家(本人はそんなものになるつもりは全くない)優駿は……