白と黒の世界   作:水鏡 零

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11話

夜の闇に包まれた桜丘市。

何と言っていつもと変わらぬように見えてはいたが、所々でその“異常”さが目立ち始めていた。

「今夜は星が見えないね。」

「そうね・・・。」

剣道場から頭を下げて出てきた少年が、母親の手を握りながら空を見上げる。

ゆっくりと動く雲に、薄らと月が隠れだした。

しかし、まわりには星が見えない。

まるで一枚シートをかぶせたように、真っ黒な幕が空をじんわりと覆っているように見える。

母親と少年は道場に残った者達にあいさつをすると、そそくさと山を下りて行った。

後からは同じように、家族に手を引かれて子供たちが出てくる。

いつもは一人で帰宅していく学生たちも、今日は家族が来るのを待っていた。

ふと視線を変えてみれば、雪洞に明かりが灯され、山道を照らしている。

山のふもと付近まで雪洞は置かれ、道端には“弟子”達が懐中電灯を持ちながら、帰宅する子供たちにあいさつをしている。

「あぁ。ここにいたのね。」

ゆったりとした動きで、一人の女性が道場へと入ってきた。

髪をきれいに後ろで結い、白い割烹着を着ている。

手には道場の雰囲気とはかけ離れた“オタマ”が握られていた。

その姿に、雪は瞬きをしてしまう。

隣に座った“父親”も思わず苦笑いをする。

しかし、女性はにっこりと笑っているだけだ。

「お母様・・・。どうされたのですか。」

「どうされたのですか?じゃないでしょう・・・お友達が一人残されて混乱しているわよ?」

「・・・・あ。」

雪はふっと視線を落としてから、うろたえることなく立ち上がる。

長い髪がゆらゆらと揺れ動く姿を見て、離れた場所にいた学生達が、少しざわめく。

直ぐに何処からか咳ばらいが聞こえると、彼らは視線を違う方向へと変えていた。

「お父様・・・。あの・・・。」

「先の夢郷さんという子の事かな?」

「・・・はい。」

雪の母親は彼女が立ち上がった事を確認すると、帰宅する子供たちにあいさつをしつつ道場を後にしてゆく。

子供たちは微笑む彼女に合わせて大きく手を振り、両親に手を引かれて山道を下りて行った。

「遅かれ早かれ誰かが教えてあげないといけない。が。なかなか難しい話ではあるな・・・。」

「どこからどう話していいものやら・・・。」

「うむ。」

生徒たちが全員部屋を後にしたのを見ると、“弟子”達が部屋を片付け始めた。

彼らは口々に今日あった事を話しつつ、動いている。

見れば、数人が包帯を身体に巻き、“怪我”をしたことがわかった。

雪の父親は、娘の横に立ち上がると近場にいた弟子に指示をだす。

彼は返事をすると、他の者達を集め出した。

「とりあえずは“現状”に関して知らぬ者も多いだろう。皆を集めて今後の事も含めて話をしようか。」

「・・・よろしくお願いします。」

「叔父上も今日は市長達の方から帰れないだろうからね。・・・こちらも明日に備えて“作戦”を立てなくては。」

「はい。」

雪は大きく頷くと、竹刀を棚に戻して歩き出す。

通り過ぎる者達に軽く会釈をしつつ、彼女は急ぐ。

「・・・まだ、ご機嫌斜めなの?」

「ん・・・。」

ふいに廊下を歩いていた雪は足を止め、母屋と道場をつなぐ渡り廊下から彼に声をかける。

中庭に置かれたベンチの上で、カーティルスは頬杖をついて足を組んでいた。

「だってさぁ。雪が頭叩くから・・・。」

「もうっ。」

子供のように駄々をこねるような言い方をして、彼は雪に振り返ることなく呟く。

大きなため息をつくと、雪は腕を組んで彼の背中を見た。

「思いきり叩いた事は謝るけど、年頃の女の子にあんな事するのは考えられません。・・・ルヴァンにも怒られたでしょ?」

「・・・。」

兄の名前を出されて、カーティルスはぴくりと肩を小さく揺らす。

彼は苦々しげに雪に振り返ると、首を縦に振った。

ほらね。と雪は付け足す。

「今回は翼くんだったからいいけど・・・。あそこにいたのが“同業者”の家系だったりしたら、本当に困っていたと思うわよ。」

「わかってるよ・・・。ちょっと、ハメ外しただけなんだ。・・・兄者にも言ったけど。」

「ハメ外したって・・・。」

「雪にはわかんないと思うけど!“魔族”がいるとつい・・・その・・・」

「・・・?」

カーティルスは何か言いたげに雪の顔を見ると、ベンチから立ち上がり歩いてくる。

彼は渡り廊下に立っている雪をじっと見上げた。

彼女は不思議そうに身を低くすると、彼と視線が合うようにする。

「つい・・・気持ちが強くなっちゃうというか・・・。」

「それも、“種族”のせい?」

「・・・だと思う。」

視線を逸らして空を見上げた彼は、それ以上は何も言わない。

同じように空を見上げた雪は、うっすらと赤い月を見る。

近くには“漆黒”が広がっており、心なしか先よりも広がっているような気がした。

「でも、これからは“協力”とか“和平”とか・・・そういう方向に話が進まないといけないって兄者が言ってた。」

「うん。」

「俺らみたいな勝気な奴らは、それを納得しないだろうから大変だって兄者・・・笑ってた。本当はそんな笑える話じゃないって分かってる時ハズなのにさ・・・。」

「うん。」

まるで言葉に詰まる様に、カーティルスは空を見上げたまま話を続ける。

その話をさえぎらないよう、雪は小さく返事をするだけだ。

先まで居た道場の方では、父親が弟子たちを集め終えて何かを話しているのが見える。

皆一様に真剣な表情で、彼を見つめていた。

「カーくんも、頑張らないとだね。負けていられないね。」

「・・・・。」

柔らかに微笑んだ雪は、一向に空を見上げたままのカーティルスに手を伸ばす。

その手は彼の頭の方へと動いていた。

「そうだよなっ!」

「わっ!」

ふっといきなり振り返った彼は、そのまま雪の腕を掴んで引き寄せる。

あまりの唐突な動きに、彼女はなす術もなく身を投げ出されてしまった。

地面と空が逆さまになり、動きが止まったと思えば視界に薄緑の髪が広がる。

「ルヴァン兄者に、負けていられないなっ!」

「うんうん!わかったからっ!わかったからっ!」

全身を強く抱きしめられ、雪は顔を真っ赤にしてもがく。

急に元気になったカーティルスは、彼女を抱きしめてくるりと回転した。

「あ・・・。」

「えっ?」

ふいにぴたりと彼は足を止め、悲鳴のような声を出す。

その声に弾かれたように、雪は顔だけを動かして視線を追った。

「・・・あ。・・・えっと・・・ご、ごめんなさいっ!!」

そこには、両手で赤くなった頬を押さえたるりが見える。

彼女は二人の視線に気が付き、弾かれたように母屋の入り口を閉めて走り去ってしまった。

「ま、まって!るりちゃん!!あの!まってまって!」

「んぐっ!」

目を見開いた雪は、カーティルスを突き飛ばす様に動くと、木製の柵を飛び越えて廊下に戻り、母屋へと走ってゆく。

耳まで真っ赤になった彼女は、突き飛ばしたカーティルスなど目もくれず一目散に母屋へと消えて行った。

「おう。若いの!泥沼の三角関係か?」

「なっ!ち、違っ!」

身体をゆっくりと起こした彼の頭上から、明るい声が響く。

怒りをむき出しに声の主を見ると、そこには雪の父親とその弟子たちがいた。

ニヤニヤと笑っている雪の父親を見て、カーティルスは先の事を思い出したのか、少し頬を赤く染める。

「まぁ。頑張れよ!」

「うぅ・・・。」

「チャンスはまだまだありますって。」

「ファイトー!」

「う、うるせぇぇ!」

からかうように口々に声をかけられた彼は、腕を大きく振り上げて怒りの声をあげた。

 

 

 

――

 

 

 

後方から雪の声が聞こえてきたが、るりは振り返らずに走る。

外廊下を過ぎて、彼女は肩で息をしながら部屋へと入った。

雪はこちらへと走ってこず、足音も聞こえない。

「・・・なんてタイミングが悪い・・・」

つい先程の光景を思い出し、るりは思わずまた頬に手を当てた。

雪の母親に教えてもらい、道場にいるという雪を探しに行っただけだったのだが、どうやらタイミングが大変悪かったようだ。

広い家の中に迷いつつ、なんとか道場へ行く外廊下へと出れば、眼に飛び込んできた光景が“アレ”だったという。

あまりにもタイミングが悪い。

「(そういう関係・・・なのかなぁ)」

ふと落ち着いてきたるりは、ぼんやりと外灯に明かりが灯された障子越しに外を見て考える。

 

本当に色々とありすぎた一日だ。

 

あれから“バケモノ”たちの襲撃もなければ、“仮面の男”にも合ってはいない。

一旦は自宅に帰ることを提案したが、何故か雪達に固く拒まれてしまった。

それについても、雪から事情を聴けるはずなのだが、“通常の生活”を壊すことが出来ないという彼女からの申し出により、剣道教室が終わるのを待っていた。

そして今に当たる。

家の方には雪の母親から連絡を入れてもらい、自分の両親とも一通りの話をした。

先程、千枝も無事に帰宅したとの連絡が入った事を知らされ、るりの中でほっと何かが和らぐ感じがした。

“家庭の事情”で翼も下宿先のアパートへ一旦戻っている。

外は危ないのではないか?と思ったりもしたが、昼間見た翼からしたら市内を徘徊しているかもしれないバケモノは何ともないだろう。

「そういえば・・・。」

頭が落ち着いてきたるりは、はっと思い立ったように立ち上がる。

一晩借りることになった部屋をぐるりと見て、“彼女”の事を忘れていた事に気が付いた。

 

ランゼフをここに来てから見ていない。

 

確かに、雪の家に到着した時は自分の隣にいた。

しかし考えてみれば、この部屋へと案内された時には姿が無かったように感じる。

 

アリスや彼と一緒にいたディルも、同じだ。

 

雪の家へと行く途中、この家までは山道を進むしか方法は無かったのだが、入り口に“鳥居”が建てられていた。

雪を先頭にくぐる瞬間、思い起こせばその時には“二人はいなかった”ような気がする。

一緒にいた方がいい。という話を学校から出る際にしたはずだが、“またいなくなってしまった”。

家の中を一通り案内されたが、一度も三人とはすれ違っていない。

「・・・。」

理由は分からないが、るりの中で安心感とは別に“不安感”がじわりと浮かんできた。

確かに、彼らやランゼフとは初対面同然だ。

どのような場所で、どのような生活をしているかは分からない。

それに、自分を助けてくれたのも“何らかの理由”であったハズだ。

アリスに関しては、初めて会った時にも理由は何も教えてくれなかった。

 

彼らは実は何も話そうとは思っていないのではないだろうか?

 

「そう・・・なのかな。」

自分の中に生まれたネガティブな考えに、るりは知らず知らずに呟いてしまう。

思えば、物事を今までポジティブに考えることが苦手な自分からしたら、当然の考えなのかもしれない。

彼らには彼らの目的があっただけであって、その先に自分がいるだけ。

 

別に自分に興味があるわけでない。

何を期待していたのだろうか?

 

急に喉の奥が詰まるような感覚がして、視線を床へと落とす。

障子越しに外の明かりがぼんやりと入り込み、畳へ自分の姿を映す。

首にさげた“赤い石”を手に持ち、るりはじっと見つめた。

「この石は何?」

思い起こせば、白い服を着た少女から“この石”をもらった事が“事の始まり”なのかもしれない。

いや、そうとしか考えられないはずだ。

お守りとして持っていたが、実際は“違う物”なのだろう。

それは、るり自身が今の状態では全く理解できない、摩訶不思議な代物であることだけは理解できる。

学校で学生に言われた一言が思い出された。

「強い力を感じる?」

手に持って揺らしたりしてみるが、得と言って何かが起こるわけではないようだ。

それどころか、るり自身からは何も感じられない。

雪や翼、流星達なら分かるのだろうか。

見つめれば見つめるほど不可思議な物に見え、思わず捨ててしまいたい気持ちも浮かぶ。

だが、奈美からもらい石に通された紐を見ると、どうしても手放す気持ちは起きそうもない。

どのような理由であれ、“友達”からもらった物まで捨てる気持ちは湧きそうになかった。

「・・・誰か教えてほしいな。」

自分で“誰か”とは言ったものの、頭の中に浮かんだのは一人だ。

るりだってその理由はわかっている。

今この場にいないからこそ、その一言は言えるものだ。

もしも、この先“また会える”のであれば、すぐにでも聞きたいことがたくさんある。

例え自分自身を必要としている訳ではなく、何かの目的の為だけに接触しているとしても、“彼”とはまた会いたい。

「・・・。」

先に見てしまった雪とカーティルスの姿を思いだし、何故だか羨ましくも思えてきた。

あんな風になれるのだろうか?

「そ、そんな!何考えているのっ!」

誰にいう訳でもなく、るりは大きく頭を横に振って、急に高鳴った胸に思わず声をあげてしまった。

夢を見るにもあまりにも度が過ぎている。

「(雪ちゃん。探しているのかな・・・)」

考えている事を振り払うように、るりは雪の事を思い出す。

あのような状況とはいえ、何も理由を聞かずに去ってしまったことは、謝った方がいいのかもしれない。

「・・・どこかなぁ。」

そっと障子を開けてから、ゆっくりと外付けの廊下へと出る。

緑豊かな時期になったとはいえ、さすがに外は少し寒い。

それに、着なれた自分の制服は雪の母親に預けてしまっており、今は彼女から借りた服を着ている。

着なれないふんわりとしたワンピースの裾を持ち、るりは瞬きをした。

雪の母親の趣味らしいが、着るはずの娘である雪は断固として拒否をしたらしく、タンスの肥やしになっていたらしい。

断る理由も見つからず、言われるままに着てはみたものの確かにどこか気恥ずかしくも感じる。

気を良くした雪の母親から、色々と着せられてしまい、人前に出るには少々勇気がいるように感じた。

「(雪ちゃんが断る理由も・・・なんとなくだけど分かるかも。)」

背後にまわった障子の扉を閉めて、るりは小さくため息をつく。

全く自分の趣味とはかけ離れた服を着たことを、家で待っている姉が知ったらと思うと、何年もネタにされかねない。

絶対に言えない事だ。

「あぁ。こちらにいらっしゃったのか。」

「っ!」

ふと背後から声が聞こえ、思わず弾かれたようにるりは振り返る。

そこには、長い薄緑の髪をきれいに束ねたルヴァンが立っていた。

切れ長の目が動き、るりの姿をぐるりと見る。

「奥様に・・・お借りしたんですね。」

「あ・・・。は、はい。」

急に恥ずかしくなったるりは、小さく頭を縦に振ると視線を彼からそらしてしまう。

何と言っていいものか。とるりはふと考えてしまった。

「雪が頑なに拒んだとは言っていましたが・・・。まぁ“こちら”では普通の服ではないでしょうから。仕方がないかと。」

「・・・?」

言葉を選びつつ言っているのか、ルヴァンの話し方はぎこちない。

それはるりに気を使っているのか、それとも何かを“隠したい”からなのかはわからない。

彼は小首をかしげたるりを見ると、困った様に視線を移す。

やはり、言葉を考えてから話しているようだ。

「そういえば、魔ぞ・・・いえ。先ほどの青髪の青年たちは、一度帰られたようですね」

「えと・・・。アリスさんとディルさん・・・ですよね?」

「だったと・・・思います。」

少し視線を鋭くさせたルヴァンは、何事も無かったように表情を変えてるりに言う。

彼女は彼の仕草に戸惑いながらも、ぽつりと答えた。

どうやら、ルヴァンはアリス達の名前を覚えていないらしい。

「彼らは“ここ”に居辛いのだと思います。・・・彼らなりにあなたへ話をしたいようでしたが・・・まぁ、仕方がないのかもしれない。」

「そう・・・なんですね。」

曖昧に話をするルヴァンに対して、るりもおのずとしっかりとした返事ができないでいる。

お互いに初対面同然ということもあり、会話は進みそうもないようだ。

「そういえば・・・。貴女は、彼らからどのような話をきいていたのですか?」

「え・・・?」

ふっと、思い立ったようにルヴァンに言われ、るりはぴくりと肩を震わせた。

直ぐに答えることが出来ない質問に、彼女は視線を逸らすしかない。

「・・・何も・・・教えてもらっていません。」

「何も?」

今度はルヴァンが驚いた表情をして、るりを見つめる。

るりは小さく頭を縦に振ると、服の裾を強く握りしめた。

相当驚いているのか、ルヴァンは何も言わない。

それどころか、腕を組んで何かを考えだしていた。

「・・・数週間前に、昼間に見たバケモノと同じような者に襲われた時、アリスさんに助けてもらったんです。でも・・・。」

「・・・。」

「あのバケモノが何なのかも、アリスさんが何者なのかも・・・何も教えてもらえませんでした。」

「そう・・・か。」

今まで誰にも言えなかったことを、初対面同然のルヴァンに話してしまったが、るりは何故かためらうことなく言葉が発せられてしまう。

つい先程までギクシャクとした雰囲気に包まれ、口を開く事さえも困惑していたのに、不思議だ。

「彼は・・・その・・・アリス殿は、貴女が“部外者”だと思って話をすることをためらっていたのだろうな。」

「えっ?」

急に口調が変わったルヴァンに驚き、るりは顔を上げて彼の表情を見る。

敬語口調で言葉を選んで話をしていた先よりも、彼は凛とした視線をるりに向けていた。

それは、昼間に見た雪と彼らが話をしていた時に似ている。

「私自身も、つい先まではためらっていたが・・・まぁ、遅かれ早かれ貴女は“部外者ではない”存在になる。」

「・・・あの・・・その部外者とは・・・どういう?」

「ふむ・・・そうだな。」

ルヴァンの口から発せられる言葉のほとんどが、るりにとっては理解できない単語ばかりだ。

“部外者”“魔族”“こちらの世界”・・・それだけではない単語が、疑問符と共に頭の中を巡り続ける。

一つずつ整理をしないと、とてもではないが、これから先の話にるりは付いていけそうもない。

不安げなるりの表情を見たルヴァンは、すっと指をあげた。

その指が差す方向には、るりの胸元で輝く“赤い石”がある。

「まず、その・・・貴女にとっては“ただのお守り”でしかない“鍵”について説明をした方がいいのかもしれないな。」

「かぎ・・・。」

ルヴァンは小さくうなずくと、手を招いて歩き出した。

どうやら、場所を移動するらしい。

るりは彼の背中を不安げに見上げながら、薄暗い外廊下を歩く。

障子越しに見えた室内からは、賑やかな声が響いていた。

「道場の生徒たちが集まっているようだ。皆、これからの話を“師匠”から伺う為に。」

「師匠さん?ですか?」

「そう。・・・雪のお父上だ。」

彼は振り返る事無く話しつつ、廊下を歩いてゆく。

途中、明かりの共っていない部屋を幾つか通り過ぎ、しんと静まり返った家の中に、何故か寒気さえもるりは覚えてしまった。

賑やかさと静寂の激しい雪の家に、可思議な感覚も覚える。

そして何よりも、迷子になりそうな程大きな敷地に、ため息さえもついてしまいたくなる。

恐らくは、何度も通わなくては部屋の位置は覚えられないだろう。

ある意味では、毎日この中で生活をしている雪を尊敬してしまった。

「あぁ。部屋が散らかっていてすまない。」

「えっ・・・あ。いえ。」

薄暗い外廊下へとまた出ると、ルヴァンはゆっくりとガラスのはめ込まれた障子扉を静かに開けた。

彼は中に入ると、電灯に明かりを灯し、るりを招き入れる。

中には大小さまざまな本棚が幾つもあり、その棚に囲まれるように机と椅子が無造作に置かれていた。

机の上には本やノート、筆記用具が散乱している。

よく見れば、学校の教科書も混じっていた。

「雪も呼んで来よう。その方が、君も居辛くないだろうからね。」

ルヴァンに手招きされ、るりは背丈の低い椅子に腰をかける。

彼女が座ったのを確認すると、彼は入ってきた障子扉を静かに閉めて部屋から去ってゆく。

時計の音が静かに鳴り響き、遠くからは人の声が小さく耳に入ってきた。

「(何の本だろう・・・)」

目の前に無造作に置かれた大きな革張りの本を手に持ち、るりは表紙をゆっくりと開いた。

どこの国で使われているのかは分からないが、不思議な文字の羅列が続いていた。

何枚かのページをめくると、挿絵が現れる。

「ま・・・どう・・・しょ?」

ふと目にとまった文字の羅列を見て、るりはぽつりと呟く。

円や記号を規則正しく並べられた挿絵の横には、表紙や今まで見てきたページと同じ文字が書かれていた。

指でなぞりつつ視線を動かしてゆく。

「あれ・・・なんで?」

るりは、弾かれるように本から視線を外して、そのまま手に持った本を机に投げる様に置く。

 

冷やりと冷たい汗が背中を流れた。

 

読んだことのない文字なのに、何故か頭の中で言葉に変換されたのだ。

 

「・・・・。」

急に不安感が全身を襲い、震える手で本を閉じる。

挿絵も文字も見えなくなり、表紙だけが視線に入った。

「っっ!」

しかし、その奇妙な感覚は止まらない。

視線に入ってきた表紙には“聖職者向けの魔道書”と書かれているのが“理解できる”。

「なん・・・で?」

すぐ近くに置かれた同じような本を見れば、“暗黒魔術の危険”という表紙が視線に入ってきた。

震えつつも周りを見てみれば、つい先程まで理解も出来なかった文字の羅列が、気味が悪いくらいすんなりと頭に入ってくる。

紛れる様に置かれた“日本語”の学生向け教科書の文字も変わる事無く理解はできた。

この部屋に置かれている書物の殆どが“理解できる”ようになった事をふいに悟り、るりは喉が痛いくらいに息が詰まる。

理解できない事ばかりが続き、それが輪をかけて増えてゆく。

耳鳴りのような音が響き、聞こえてきていた時計の音が急に聞こえなくなってしまう。

「なん・・・で・・・?」

震える手で頭を抱える様にうずくまり、急に襲ってきた恐怖感に押しつぶされそうになる。

 

つい先日まで普通の生活だったのに

 

何も不思議な事など起こらなかった

 

こんなコワイ思いだってした事ない

 

不安感と恐怖、そして言い現せないモヤモヤとした解決しない疑問が全身を包み、このまま消えてしまえたら・・・と思ってしまう。

助けを呼びたくなるが、誰の名を呼べばいいのかも分からない。

頭の中に浮かんでは消える人々では、解決できそうな感じはしなかった。

 

そう。あの人ならきっと解決してくれる。

 

「アリス・・・さん。」

 

頭に浮かんだ顔を思いだし、不安感を抑えきれずにぽつりと名前を呼んでしまう。

ルヴァンや雪がきっとこれから“説明”してくれるはずなのだが、それでもモヤモヤとした感覚はぬぐえそうもない。

それは、知りたい事をちゃんと聞けないかもしれない。という理由ではない事を、るり自身がよく理解している。

片手程でしか彼とは面識はない。

にも関わらず、何故ここまで“彼を思い出す”のだろうか。

不思議と、視界にはアリスの微笑んだ顔がうっすらと思い出された。

 

「それは。きっと、あなたの中にある“未来”がそうさせているの。」

 

「えっ!」

 

急に柔らかな女性の声が耳に入り、るりは弾かれるように前を向いた。

 

「ごきげんよう。“私の候補者”さん。」

 

声の主は、にっこりと笑いるりを見つめている。

白い髪、白い服、金の瞳。

彼女は場に不釣り合いなほどの穏やかな表情で口を開いた。

「さぁ。物語を始めましょう。新しい章の始まりです。」

 

 

 

――

 

 

 

工事中の車両を横切り、一台の自転車が通り過ぎた。

警察車両が隣を逆方向へと走り去り、人気の少なくなった方向へと彼は走り続ける。

途中、すれ違ったパトカーの中に居た青年と視線が合ってしまい、何故か気まずい雰囲気が少し流れてしまう。

「あ。お兄さん!ちょっと!」

「え・・・?」

更にスピードを上げて自転車で道を駆け抜けようとすると、警官に前方を止められてしまった。

急いでブレーキを踏みこみ、その場に止まる。

かなりのスピードを上げていたこともあり、ブレーキをかける音が辺りに響いてしまった。

「ここから先、立ち入り禁止区域になってるよ?」

「先、テレビとラジオでも放送してもらったはずなんだけど・・・聞いてなかったのかい?」

スーツの上着を自転車にかけて、青年は困ったように自転車から降りる。

交通整理用の札を抱えた警官が駆け寄り、手に持った札を彼に見える様に掲げた。

確かにそこには、“この先、関係者以外立ち入り禁止”という大きな表示が書かれている。

警官たちが待機している方へと視線を向ければ、パトカーのランプがうっすらと向こうに見えた。

「困ったなぁ・・・。嫁さんを迎えに行くつもりだったけど・・・」

「えっ?」

彼は時計を見て、苦笑いを警官たちに向ける。

はっとした表情に変わった彼らは、青年の顔をもう一度見て瞬きをした。

警官たちの後方には、中学校の校舎が見える。

そこには、校庭の街灯が煌々と光っているのが確認できた。

ちらほらと人影が出入りしているのも目視できる。

「あなたの奥さん。もしかして、そこの中学校の関係者なのかい?」

「え?あぁ。中学校の教員をしていまして・・・。」

「そうだったのか!」

困り果てた表情で頭をかいた青年に、警官たちは申し訳なさそうに顔を見合わせる。

どうやら、目の前にいる青年が部外者ではない事を理解したらしく、自分たちの早とちりに苦笑いを浮かべているようだ。

「しかし困ったな。・・・この先は、まだ“出る”んですよ。」

「山の方で“炎”が焚かれているんですがね・・・全然お構いなしに出てきちゃっていて・・・。」

「あぁ・・・そういうことですか。」

中学校の校舎側から、小さなフラッシュのような光が見える。

直ぐにその光は消えるが、警官たちは大きなため息をするしかない。

青年は、うなずくと自転車にかけた上着を鞄と一緒に荷台に詰め込み、ペダルに足をかけた。

そんな彼の行動を見て、警官たちはきょとんと小首をかしげる。

どうやら青年は、このまま先へと進んでいくらしい。

「僕も“それなりにできる”者なので、心配はいりませんので。」

「あぁ。君も“能力”持ちなのか。」

「奥さんと会えたら、すぐに帰宅してもらってください。そのうち“処理班”が来てしまうと思うので。」

軽く腕を手で叩いた青年を見えると、警官たちは封鎖していた通路を開け放つ。

バリケード用のポールが横に動かされると、青年は手を振って警官たちに軽くお礼を言うと、自転車のペダルを踏み込んだ。

「なかなかの運動量だな。今日は。」

ぽつりと呟いた青年は、振り返る事無く更にスピードをあげる。

学校の校舎へと接近すれば、警官の数もちらほらと増えだしていた。

途中、不思議そうに彼を見る者もいたが、封鎖された道を進む彼を止める者はいないようだ。

「さてさて・・・どこにいるのかな?」

中学校の校門へと到着すると、一言二言と入り口に配備された警官に声をかけて中へと自転車を押して入ってゆく。

その時に、自分の探している人物がいる場所を聞けばよかったのだが、彼もそこまで考えていないようだった。

「あぁ。そこかな?」

立ち入り禁止のテープで中学校内は封鎖されている所が多く、道はほぼ一本道のように整備されている。

視線を青年があげてみれば、校舎の奥に見えた体育館に明かりが灯っていた。

中からは、警官や教師たちが出入りをしている。

「なかなか・・・残っている人も多いもんだなぁ。」

青年はここに来るまでに街頭テレビで見た“市長の会見”をふと思いだし、苦笑いをしてしまう。

街頭テレビの周りでは罵声や怒声に似たような声をあげる市民もいた。

「まぁ。不安がるのも仕方がない。」

誰にいう訳でもなく呟いた彼は、体育館横に自転車を置くと、入り口をゆっくりと入って行った。

 

中には、数人の生徒と教員がおり、周りでは休憩を取っている警官たちの姿がある。

「あぁすみません。国語の教員の“小鳥先生”を迎えに来たんですが?」

青年は近くにいた教員に手をあげて声をかける。

小さく頭を縦に振った男性教員は、そそくさとその場を離れてゆく。

あまり中に踏み込まない方がいいだろう。と青年は一人考えて、入り口付近で待機するようにした。

「あらあら。お迎えに来て下さったの?」

しばらくその場で待っていると、体育館の奥から手荷物を抱えて、小鳥が足早に青年へと近づいてきた。

彼女は生徒たちに小さく手を振ると、体育館の外へと出る。

彼も同じように彼女の後ろをついて行った。

「小鳥さん。お怪我はないですか?」

「えぇ。この通り、私は大丈夫ですよ。柊さん。」

体育館横に停めた自転車を取りに行くと、“柊”は小鳥と並ぶように歩き出す。

彼女は穏やかに微笑みながら、彼の横顔を見つめる。

視線に気が付いたのか、柊も小さく微笑んだ。

眩しいくらいに道を照らしている外灯の下を通りながら、二人はすれ違う警官たちに小さく会釈をして歩いてゆく。

「残った生徒さんたちはどうするのですか?」

「自家用車で通われている先生達に、手分けしてご自宅へ送って頂くようになりましたわ。」

「そうですか・・・。ここに来るまでも、かなり交通整理が厳しくなっているようでしたら、お帰りまでに時間がかかってしまいますね。」

「えぇ。でも、あの場所に残すよりは断然よろしいかと。」

「・・・でしょうね。」

二人の表情は依然と穏やかな表情であるが、その口調は少し冷たくも感じる程だ。

背後で怒鳴り声のような声が聞こえると、何かが弾けた音が響く。

その音を聞きつけたのか、二人の横を複数の警官が駆け抜けていった。

「どうやら“結界”を無視している“人形”がいるみたいですね。」

「そうなんです。皆さん、そのせいでこの場に残った“部外者”を全て安全な場所に帰すまでは移動できないようですの。」

「・・・大変ですね。」

大げさに驚いた声を出した小鳥に、柊も同じような反応をする。

「楓も早々に店仕舞いを強いられたようで、可哀想な日ですよ。」

「あらまぁ。」

小鳥は小さく笑うと、校門を出て自宅の方へと歩いてゆく。

薄明りのような街灯がぼんやりと二人を照らした。

それに揺らぐように、“別の影”もじんわりと動き出す。

「今夜は、客人を招くような手筈は無いのですがね。」

「全くですわ。鈴が家で首をながぁくして待っているはずですのに・・・。」

柊は自転車を止めると、荷台に入れた鞄に手を入れて何かを探し出す。

しばらく中を確認した彼は、探し物を見つけたようで微笑む。

苦笑している小鳥は、手荷物を抱えたまま後方を振り返った。

「ア・・・。ニンゲン・・・・ニンゲ・・・ン?」

二人の後方には、漆黒のローブを引きずり近づいてくるバケモノの姿があった。

バケモノは不思議そうに小首をかしげつつ、ローブの中から鋭くとがった真っ黒な爪を動かしている。

「人間・・・。に、見えているのならありがたい話ですね。」

「まぁ。私も人間に分類されるだなんて・・・。」

鞄の中から“刀”を引き抜いた柊は、うめき声をあげて近づいてくるバケモノと向かい合うように立つ。

小鳥は何が楽しいのか、微笑んでいるだけだ。

「奥さんも守れないような軟弱者では、さすがに“義父さん”にも怒られてしまいますからね。」

「うふふ。お父様は怒ると本当に怖いのですよ。柊さん。」

風を切るような音がしたと思えば、柊は高く飛び上がりバケモノの頭上から全身の体重を刀先に入れ込むように斬りかかる。

頭から二つに身体を引き裂かれたバケモノは、悲鳴一つ上げることなく泡のように影となって消えた。

後方に揺らめいていた同じようなバケモノも、勢いを付けた柊の刀によって、同じように切り裂かれる。

「あらあら・・・数が多いこと・・・。」

残党を始末した柊が、小鳥の隣に舞うように戻ると同時に、二人の周囲を囲むようにバケモノ達が姿を現す。

最初のうちは数を数えていた小鳥だったが、突然指を止めて何故か笑う。

そして、そのまま何が面白いのか彼女は小さく笑い出した。

「ふふふ・・・。」

「あぁ。小鳥さん。あまり派手に動いては・・・。」

しばらく笑っていた小鳥は、おもむろに手荷物を柊の自転車に置いて両手をあげる。

柊は困惑したように刀を鞘に納めるが、彼女が手を降ろさない事を見るとため息をついて微笑んだ。

「今なら“ニンゲン”の気配もありませんから、大丈夫ですわ。」

「まぁ・・・そうですね。」

「ッッ!!」

つんざく様な酷い悲鳴が、二人を囲むように響き渡る。

背筋が冷め上がるような悲痛な声は、まるで波紋のように辺り一面を覆い尽くした。

 

地表から赤紫の水が小鳥を中心に湧き上がり、周りにいたバケモノ達を飲み込んでゆく。

バケモノの悲鳴ではない“悲痛な声”が赤紫の水から湧き上がる様に響きこだまする。

数秒の静寂が訪れると、まるで溝があるかのように赤紫の水は地表へと消えて行った。

同時に、周囲にいたバケモノ達の姿もなくなる。

 

近くにあった街灯の明かりが点滅を繰り返し、中の電球が割れたのか軽い音立てて明かりが消えた。

明かりの消えた街灯を見上げて、柊は思わず苦笑いを浮かべる。

小鳥は満足そうに微笑むと、何事も無かったように歩き出した。

「小鳥さん。だいぶ学校では“大人しく”戦っていたのでしょうね?」

「うふふ・・・。分かってしまいましたか。」

「えぇ。あれだけ“派手”に動けば・・・ね。」

自転車を押しながら、柊は隣で鼻歌を唄っている小鳥にぽつりと言う。

彼女はクスリと笑うと、目を細めて空を見上げる。

「今夜は“なんとかもちそう”ですが・・・さて・・・明日はどうなる事やら。」

「この様子だと“明日は天気が悪い”でしょうね。」

小鳥と同じように空を見上げた柊は、月の周りを不自然に取り囲む“漆黒”をじっと見つめた。

 

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