白と黒の世界   作:水鏡 零

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12話

小さな時計の音が耳に煩いくらいに響く。

目の前では白い髪の女性が穏やかに笑っていた。

「さて。ではまず、自己紹介からしましょう?“世界の順番”としては、自己紹介が最初だと聞いたことがあるわ。」

「・・・。」

唄うように言葉を紡ぐ白い髪の女性に、るりは何も言うことができない。

威圧感があるわけでもなければ、言葉を発する隙がないわけではないのだが、なぜか黙ってしまう。

白い髪の女性は変わらず穏やかな表情のまま、るりをじっと見つめた。

「まずは、私からね。・・・私の名前は・・・そうね・・・みんなからは“白の女神”と言われ続けているわ。」

「白の・・・女神・・・・さま?」

「えぇ。そうよ。」

予期せぬ言葉に更に驚いたるりは、彼女の言葉を復唱する。

“白の女神”はにっこりとほほ笑むと、更に言葉を紡ぐ。

「私は“白の女神”。正しき道へと人々を導く“巫女”を助ける者。私の愛する“私たちの世界”を共に導く巫女を神判する者。」

「・・・。」

白の女神が言っている言葉が全く理解できないるりは、じっとただ彼女の言葉を聞き続けるしかない。

疑問が増え続け、どれから何を問うべきかわからず、彼女は小さくうなだれるしかなかった。

るりのそんな表情に驚く事なく、白の女神は何も言わない。

「私の自己紹介はここまで。難しい事は“聖職者”や“管理者”に聞いていただければよろしくてよ?」

「え・・・。あ・・・。」

新たに増えた疑問に困惑し、るりは白の女神にしっかりと答えることができない。

本当はちゃんと質問をしたいのだが、やはり引っ込み思案の性格が前に出てしまうのか、彼女に問いただすことはできなさそうだ。

「あの・・・あ・・・。わ、私の名前は夢郷るりです。えっと・・・どうといって、普通の中学生です。」

目の前にいる人物は恐らく自分とは“かけ離れた身分”なのだろう。と、るりはふと考える。

普通の人間に自己紹介をする時とは違い、趣味や家の事など言ったとしても、目の前の彼女にはいらぬ情報だと思う。

そう考えてしまうと、おのずと言葉はそれ以上出なかった。

「そう。あなた、るりという名前なのね。えぇ・・・わかったわ。」

「え。っと。」

「これからは、“選抜者”ではなくて、るりと呼んでもよいかしら?」

「・・・・。」

ふんわりと優しい笑顔を向けられて、るりは不安感が薄れるのを感じる。

初対面ではあるとは思うが、目の前の人物から発せられる“安心感”や“包容力”は図りしれないくらいだ。

先までのつぶされそうな恐怖感や不安感は、今は全くない。

とても、不思議な感覚だ。

「だめかしら?」

「い、いえ。好きに呼んでいただければ大丈夫です。女神様!」

急に不安げな表情をした白の女神に、るりは戸惑ってしまい大きく首を横にふる。

彼女を不安にさせてしまったことが、妙に罪悪感を生んでしまう。

るりの言葉に安心したのか、白の女神はにっこりとまた微笑む。

「そう。それはよかったわ・・・。るり、よろしくね。」

「こ、こちらこそ。よろしくお願いします。」

身を乗り出して手を握ってきた白の女神に、るりは驚いて顔を赤らめ声を張り上げてしまう。

柔らかですべすべとした美しい掌が、やんわりとるりの手を包み込んだ。

とても、心が穏やかな気持ちになってくる。

「さて。それでは、私からお話を幾つかさせていただくわ。」

「は・・・はい。」

するりと手を離した白の女神は、椅子に腰をかけると微笑む。

「まずは、その“鍵”であり“お守り”のこと・・・。」

「っ?」

ふと指をあげた白の女神に合わせて、るりの胸元にあった“赤い石”がきらりと輝く。

それは照明の光に反射したわけではなく、自立して薄らと輝いているようだった。

るりは思わず手に石を乗せると、両手で少し持ち上げてみる。

「貴女は私の突然の申し出であっても、その“鍵”を破棄することなく持っていてくれたわね。・・・私は、とても感謝しています。」

「え・・・?」

白の女神の言葉に驚いたるりは、光り輝く赤い石から視線をあげて、微笑んでいる彼女を真正面に見つめた。

不可思議に思ったるりは、小さく小首をかしげる。

「あ!あの・・・。この“お守り”は、小さな女の子からもらったものであって・・・おそらく、女神様は勘違いを・・・。」

「ふふ・・・。そう言うと思いましたわ。」

「え・・・?」

驚いた表情でとっさに喋り出したるりを見て、白の女神は口元に手を持っていき、肩を震わせて笑う。

彼女の行動を理解できないるりは、更に困惑した表情を浮かべた。

「ほら。貴女の見た“少女”はこのような姿ではなくて?」

「・・・・あ・・・。」

軽く手を合わせた白の女神が、柔らかな光に包まれてゆく。

頬を穏やかな風が過ぎると同時に、目の前にいた“女性”は“少女”の姿へと変わっていた。

白い帽子、白い髪と服。そして、金色の瞳。

るりが数週間前に出会った少女そのものの姿だ。

「ねぇ。これで分かっていただけた?」

「・・・。」

嬉しそうに笑う少女に、るりは大きく首を縦に振る。

彼女は微笑むと、また同じように光に包まれて“元の姿”へと戻った。

「私はね、こちらの世界で“鍵”を渡す人を探していたの。」

「・・・。」

「そしたら、貴女と出会う事ができたのよ?るり。」

満面の笑みで話す白の女神は、穏やかな口調で続ける。

「その“鍵”はとってもこれから大切な役割を担っているの。それは、どうしても“貴女”でなくてはいけない事。」

「私でなくてはいけないこと・・・?」

「えぇ。そうよ。」

白の女神の言葉を復唱し、るりは輝いている赤い石をじっと見つめた。

しかし、昼間に女子生徒が言っていた言葉とは裏腹に、今もなお目の前で“自立して発光している”姿を見ても、その力は感じる事ができない。

それどころか、雪や流星達と違って、“何もない”自分に何をどうしたらよいのだろう。という疑問が浮かんだ。

「でも、白の女神様。私・・・魔法も使えないし、刀も使えない。・・・何も力はないの。」

「・・・。」

「勉強だって得意な訳じゃないし・・・。それに、今の状況は全く分からない。分からないまま、時間が過ぎてしまって・・・。」

モヤモヤとした霧が立っているような自分の意見を、るりは白の女神に話し出す。

今まで誰にもいう事が出来なかった不安感や疑問、そして今起こっている事が何を意味するのかも不明であること。

自分はただ、あの日にこの桜丘市に引っ越しをしてきただけであって、何といって特別な理由はない。という事も打ち明けた。

るりが真剣な表情で自分の思いを打ち明けている間、白の女神は小さくうなずくだけで、言葉を遮ることは一度もなかった。

一通り話終えたるりを見て、白の女神は微笑む。

「るりは、独りでたくさんの事を悩んでいるのね。わからないこと。怖い事。彼らが何を目的としているのかも・・・。」

「はい。」

まるで確認するように呟いた白の女神は、眼を細めて微笑む。

るりはゆっくりとうなずくと、手に赤い石を持った。

「やっぱり、私がもらう物ではないのかもしれないです。成り行きで女神様からもらってしまったけれど・・・。私にはこの“鍵”というか“お守り”を使える自信がないです。」

「・・・。」

両手で持ち上げた石から指をはなし、るりは首からさげた紐へと手をかける。

城の女神はぴくりと肩を動かすと、不安げな表情で石を見つめたるりを見返した。

「だからお返ししま・・・」

「それは、だめ!」

「っっ!」

急に今までの口調とは変わり、鋭くとがった声になった白の女神に驚き、るりは彼女の顔を見上げた。

思わず椅子から立ち上がった白の女神は、困惑と悲しげな表情を混ぜた苦しげな瞳でるりを見ている。

一度は首からさがった紐を手に取ったるりだったが、そのあまりの悲痛な表情に驚き、思わず手を離してしまう。

「貴女しかいないの。これは・・・・その“鍵”を使ってもらえるのは、るりしか考えられないの。」

「でも・・・!」

「今は理解しなくていいの。大丈夫、大丈夫なの。」

「女神さま・・・?」

大きく首を横に振った白の女神は、祈願するように言葉を発し続ける。

るりは今までの彼女と打って変わった態度に驚き、手を震わせ彼女の顔を見上げることしかできない。

「るりはまだ“知らない”だけなの。これから、たくさんの出会いに溢れた幸せな世界を築くの。これは断言してもいいわ。“貴女の未来がどんな不幸を見ても、どんな悲しい世界を見ても、どんな悪意がある者達と対立しても、絶対に最後は光に溢れている”。」

「っっ・・・・。」

両手をしっかりと握られ、るりは痛く感じる程の優しさに溢れた笑顔を見上げて言葉を無くす。

それは、母親や姉、父親や家族とは違い、全てを許してくれそうな程の柔らかな雰囲気を醸し出していた。

決定的な理由も何もないのだが、白の女神が言った言葉には、何故か強い安心感が溢れている。

「大丈夫よ。貴女を守りそして共に困難を乗り越えてくれる仲間たちはたくさんいるわ。」

「それは・・・いったいだれ・・・?」

「今は知らない、遠い世界の仲間。」

「・・・。」

曖昧に言う白の女神に、るりは彼女に問おうとするが、うまく言葉にすることができない。

誰なのか。何者なのか。どんな人なのか。

色々な言葉が過ぎていくが、どの言葉に対しても、彼女は同じような返答をしそうだ。

そんなふうにるりは考えてしまう。

「そう・・・ね。まずは、この“災厄”を乗り切ることが重要課題ね。」

「えっと“災厄”とは・・・なんですか?」

「うぅん・・・。そうねぇ。」

るりの手を握っていた白の女神が動き、彼女は思い立ったように立ち上がると、部屋の入口へと歩いた。

ふわりと風もないのに白い髪が揺れ動き、柔らかな笑顔が外を見つめる。

「これからのお話は、外の方に聞いてもらった方がわかりやすいわ。」

「え・・・?」

障子扉にはめられたガラスから、複数の足元がちらりと覗いている。

どうやら、今の質問は白の女神は答えてくれないらしい。

おのずと彼女との別れの時間が迫っている事を感じ、るりは椅子から立ち上がって、白の女神をじっと見つめた。

何故か、彼女と出会う前でのネガティブな感情はなくなり、今は妙にすがすがしく晴れたように感じる。

だが、問題は山積みだ。

「また会いましょうね・・・・。今度は、向こうの世界で会えることを楽しみにしているわ。」

「向こうの世界?」

不思議そうなるりの表情を楽しんでいるのか、白の女神はわざと声を小さく上げて笑う。

「えぇ。私と“黒の女神”が愛してやまない世界で・・・。ね。」

「あ。あのっ!」

流れるような動きで、白の女神は障子扉へと手をかける。

るりは弾かれるように彼女の後を追って、開いた扉の外へと出た。

「きゃっ!」

「おっとっ!危ないっ!」

しかし、扉が開け放たれた向こうには、白の女神の姿は無い。

それどころか、勢い余って障子扉の前にいた人物にぶつかってしまう。

後に弾かれて転びそうになった彼女を、ルヴァンがとっさに腕をつかんで抱えた。

「お、遅くなってすまない・・・。が、どちらへ?」

「誰かいたの?るりちゃん?」

「あれ・・・?」

ルヴァンから離れたるりは、彼の後ろに立っていた雪とカーティルスを横目に、辺りを見回す。

だが、そこには他の人影はなく、薄暗い庭が見えるだけだ。

「あの・・・。その・・・。ここを、白の女神様が通らなかった?」

「えっ!」

「め、女神様っ?」

雪達なら知っているだろうと思い、るりは先まで話していた白の女神の名前を言う。

しかし、彼女たちから帰ってきた反応は、思っていたものとは違い、とても困惑している。

るりからその言葉が出てくるとは予想もしていなかったようだ。

「いや。ここに来る途中も、今も、貴女以外は見ていないが?」

「そ。そうなんですか。」

がっくりとうなだれたるりとは裏腹に、ルヴァンと雪達は顔を見合わせている。

「へぇ・・・。“現世”に来ているって聞いてはいたけど・・・。まさか、自分から“候補者”に合うなんてなぁ。」

「何か意図があるのだろう。」

「・・・そうですね。」

雪達はしばらく互いの顔を見合わせていたが、不思議そうな表情でこちらを見ていたるりに気が付き、ふと互いにうなずき合って視線をかえた。

「とりあえず。中に入りましょう。お話はそれから。」

「そうだな。」

「・・・。」

雪に促されるようにるりは元いた部屋へと足を戻す。

気が付けば、先まで発光していた“赤い石”は、元通りになっていた。

机の上に乱雑に置かれた本を手に取り、カーティルスとルヴァンが、本棚へと戻してゆく。

その間に、雪は手に持った茶器を机に置いた。

よく見れば、雪の腰には昼間に見た日本刀が下げられている。

彼女はその刀を椅子の横へと立てかけると、るりと向かい合うように座った。

「あ・・・そういえば。」

「どうしたの?」

はっとした表情でるりは雪の顔を見る。

だんだんと雪の顔を見られなくなったるりは、視線を逸らして頬を少し赤らめた。

雪はきょとんと小首をかしげる。

「先はあの、雪ちゃんごめんね!」

「えっ!えっっ!」

一瞬何のことだろうかと雪は言いそうになったが、ふいに思い出して慌てふためいたように手をバタバタとふりだす。

彼女の後方では、同じように慌てた様子で、カーティルスが手に持った本を足の上に落として悲鳴をあげていた。

ルヴァンはそんな二人を不可思議そうに交互に見ている。

「あの!るるる、るりちゃん!!いいの!いいから!わす、忘れて!」

「でも・・・その・・・二人が・・・」

「あぁぁぁぁ!!!本題に入ろうなっ!!うん。夜も遅くなると困るからな!本題に!本題!」

気まずそうに表情を暗くしたるりとは対照的に、雪とカーティルスが声を張り上げて彼女を制止させる。

るりはそれでもと顔を上げて二人に何か言おうとするが、血相を変えて慌てふためく二人を見て、小さく首を縦に振った。

彼女のその様子に、雪は大きくため息をつく。

ルヴァンは気が付いていないのか、それとも気にしていないのか、淡々と机の上にあった書物を棚に戻していた。

 

 

 

――

 

 

 

 

警察署を後にした優志達は、混乱の残る大通りを進んでいた。

目の前には、商店街の入り口が見える。

「そうか・・・。とりあえず、無理はするなよ。」

先頭を歩いている司は、携帯越しに誰かと会話を先からしている。

優志たちが警察署を出る頃には、外で鳴り響いていたサイレンの音も減り、だんだんと夜の静寂に辺りが包まれる事だった。

別室で市長の会見を観ていた署員たちの殆どが困惑していたというのを後輩から聞いたことを、優志は思い出す。

臨時で用意され自分たちが見ていたテレビの前でさえも、かなり困惑していた者達は多かった。

それを思えば、恐らくは他の部屋で会見を観ていた多くの署員達は、未だにあの場に残っている事だろう。

「どうやら、騒ぎは収まっちゃいないみたいだな。」

「・・・。まだ、あのバケモノ達が出ているんですか?」

「あぁ。」

優志の隣を歩いている司の娘を気遣ってか、優志は言葉を慎重に選びながら彼に言う。

中学校の惨状を見てみれば、少なからずこの子にも、心の傷は追っているだろう。そう思ってしまうと、不器用とはいえども、優志は言葉には慎重になってしまった。

何を考えているのかは分からないが、彼女は先ほどから何も言わない。

「だが。おかしい話なんだよな。・・・あの山で“結界”が貼られている以上は、今夜は安全なはずなんだが。どうやら、奴さんはそれ以上の何かを持っているらしい。」

「厄介ですね。」

「あぁ。そうだな。」

未だに状況は理解できなければ、相手の情報さえもわからない。

それに、何と戦っているのかも不明確であれば、あのバケモノが一体何者であるのかさえもわからない。

優志自身も不安ではあるが、これが普通の一般市民であればもっと不安であろう。

とは考えてはみたものの、先の市長の会見では不安をあおっただけなのではないだろうか。と今はそのことが一番の疑問である。

「相手が一体何者であるのか。それくらいは、市長も話した方が良かったように僕は思うのですが・・・。」

「そうだなぁ。でも、無理だろうな。」

「・・・。」

少し薄暗い路地を通りながら、司は商店街の入り口裏へと入ってゆく。

どうやら、商店街に住む者達くらいしか使用しないらしく、辺りはしんと静まり返っていた。

所々から、家庭特有の音が聞こえてくるが、それ以外は変わりない。

「あいつらをどう説明したとしても、理解できない市民は多い。それになぁ・・・お前も感じたとおり、“現実として受け入れがたい状況”をどう説明しても、混乱が増えるだけなんだよ。」

「そういうものなので・・・しょうか?」

「そういうもんだ。今回の件に関してはな。」

何件かの家を通り過ぎ、司が突然大きく前方に向かって手を振りだす。

視線をその先へと向けてみると、懐中電灯を片手に歩いてくる白髪の女性が見えた。

「ばあさん!一人で歩いていると、バケモノに食われるぞ!」

「馬鹿言うんじゃないよ!あたしゃねぇ、今日だけでに十匹くらいは仕留めてやったんだからねぇ!なめるんじゃないよ!」

「おぉ・・・こえぇ。」

初老の女性は大きく歯を見せて笑うと、オーバーリアクションを取っている司の背中を音が出るほど強く叩いた。

しかし、二人は豪快に同じように笑うだけだ。

あまりにも似すぎている。

「おばあちゃん!怪我はない?」

「あははは。大丈夫だよ!・・・奈美も良く頑張ったねぇ。」

「あたしは平気。」

「怪我もしてないなら、ばあちゃんは安心したよ。」

力なく笑った司の娘を見て、彼女の祖母は優しく微笑む。

家族の些細な日常を隣で眺めていると、優志自身も自然と暖かな気持ちに包まれた。

「母さん。俺の部下の武田だ。」

そんな自分の視線に気が付いたのか、司が優志の方へと視線を移し、母に彼を紹介する。

姿勢を直ぐに正した優志は、深々と司の母に深々と頭を下げた。

「はじめまして。飛勇部長にお世話になっております。武田優志と申します。」

「お世話になっているのは、こっちの方だよ。いつも、司が世話ばかりかけているんだろうけど・・・」

「え・・・いや・・・あの。」

ため息交じりに言われてしまい、優志は困惑した表情で司の母を見る。

隣では司本人が苦笑いをしていた。

「結界がはられているが、どうやら“あちらさん”は出入りできてしまってるみたいでな。武田自身は“部外者”だ。街中で一人暮らしっていうのも危なく感じてな・・・連れてきたんだ。」

「そうだったのかい・・・。いざとなって結界が用を足してないというのは、厄介だね。」

「あぁ。」

親子の会話に疑問を持ちつつ、優志は再度二人に向かって頭を下げる。

事情がどうであれ、一晩泊めてもらうのだから、礼儀はしっかりしておきたいと思っているのだ。

「色々と混乱しているだろうね。まぁ、こんな状態だからね。一晩うちに泊まってゆっくりしていきなさい。・・・じいさんのすばらしく長い長い眠くなるほどの昔話でも聞きながらね。」

「え?・・・あ。ありがとうございます。」

意味深に笑った司の母に困惑しつつも、優志はお礼を言って彼女の後をついてゆく。

ぼんやりとした街灯に照らされた家の入口は、レンガ造りのレトロな印象を受けた。

見上げてみれば、細長い三階建ての家も、ツタがはびこっていて趣のある感じがしている。

二階の窓からは明かりが見えており、ふんわりと美味しそうな香りが漂ってきていた。

「あの。お父さん。」

「どうした?」

二階の玄関へと上がる最中、後方から司の娘が声をあげる。

振り返れば、彼女は階段を上がってきていない。

「あの・・・流星のとこ・・・様子見てくる。」

「おう。そうだったな。星のトコ、怪我したんだったな。」

「う・・・うん。」

司が二階から鍵を投げ、それを下で彼の娘がキャッチする姿が見えた。

彼女は大きく手を振って、父親に礼を言う。

「裏道は“何が出るかわからん”。明るい店先から行きなさい。」

「うん!わかった!」

階段横にあった扉へと彼女は鍵を入れ中へと彼女は入ってゆく。

どうやら、この家は一階すべてが店舗のようだ。

「表の店側にも小さい玄関があってな。こっちの裏通りは今何が起こるかわからん。お前も出る時は、店側の入り口を使えよ。」

「あ・・・はい。わかりました。」

足元の方で明かりがうっすらと灯り、一階が明るくなる。

中の方で、司の娘が入り口の扉に鍵をかけた音が聞こえた。

優志はそれを見てから、玄関先で待っている司の方へと歩いてゆく。

階段から歩いてきた道を見返してみると、何故だか妙に不安な気持ちがのし上がってきた。

彼はなるべく階段下を覗きこまないように、玄関へと向かった。

 

 

 

――

 

 

 

 

「え。流星・・・入院になったの?!」

「そうなんだよ。」

花屋の入り口から顔を覗かせた奈美は、流星の兄の言葉に思わず大きな声をあげてしまった。

はっとした表情で、彼女は手を口で覆う。

学校での一連の騒動で、流星が救急車で運ばれていった姿は光士と見てはいたが、そこまで怪我が悪いとは思ってもおらず、事の重大さにやっと奈美は理解する。

「あいつ、かなり無理しただろ?」

「・・・そう、なんだ。」

「足にかなり負荷をかけたみたいだったらしい。」

「・・・。」

流星の兄は店先と家をつなぐ土間で、奈美と隣り合わせに座る。

急に表情を暗くした彼女を気遣ってか、その表情は言葉とは違い穏やかではあった。

しんと静まり返った家の中では、家族がいないのか妙に寒く感じる。

うっすらとだが、テレビの音が廊下を伝って聞こえてきていた。

「一応。今は親父が肉屋のおじさんと一緒に様子を見に行ってる。肉屋の姉さんも怪我を負ったらしいからな。」

「そうなんだ。確か、桜丘高校だったよね?」

「あぁ。校外で遭遇したバケモノに負けて怪我したらしい。命に別状はないらしいが・・・な。」

半分開け放たれた店先のシャッターから、商店街のアーケードの明かりが入り込んでいる。

いつもなら、更に薄暗くなっている時間帯だが、今日は事情が事情だけあって明かりが消えることはないだろう。

「サッカーで鍛えた両足でさえも、威力が抑えられぇとはなぁ。」

「数えきれないほどの敵を、いっきに一人で相手したから・・・あいつ。」

「そりゃ、無理しすぎだろ!」

「・・・。」

奈美の言葉に流星の兄は驚いて、目を白黒させてしまう。

大きくため息をついた彼は、苦笑いを浮かべて天井を見つめた。

「俺にはそれだけの“能力”が無いからわからないけど、アイツにとっては自分の命も身体も投げ打ってでも守りたい気持ちが湧いたんだろうな。・・・親父も母さんも笑うしかないみたいだったけど。」

「あたしだって、何もできないから・・・。止めることなんてできなかった。・・・きっと、光士だって同じなんだと思う。」

「だな。」

二人は同時にため息をつくと、家の奥から出てきた流星の母親の顔を見て小首をかしげる。

彼女は無言のまま手を振って、中に入ってくるように言っているようだ。

奈美と流星の兄は小首を傾げながらも、ゆっくりと家の中へと入る。

薄暗い廊下を歩いて居間へと入ると、テレビ番組が始まっていた。

「―ご覧ください。桜丘市内は現在も交通規制が解除されず、未だ混乱の中にあります。更に、今入った情報によると、不審者情報も後が絶たないとのことです。これは・・・―」

報道陣が警察署の周りに集結しているのか、テレビ画面の中で女性キャスターがマイクを持って凛とした表情で話し出していた。

後方では警察官やパトカーがせわしなく動いている。

「結界がはられている。っていうのに、どういう事かしら。」

「うまく作用されていないってことじゃないのか?」

「・・・。」

流星の母は困惑した表情でその場から離れると、携帯を取り出して電話をし始める。

どうやら病院にいる父親に連絡を取っているようだ。

「光士の家も大変だな。この状況を説明しようにも説明できないわけだし、このまま事が大きくなればなるほど、対処ができにくくなる。」

「うちのお父さんだってそうよ。警察だって下手に口外できないもん。どう説明しようにも、できない事だってあるわ。」

「最悪な状況だな。」

テレビの向こうでは場所が変わり、市内の至る所が映し出される。

だが、どこも警察によって封鎖されているらしく、同じ場所が何度も代わる代わる映し出されるだけだ。

「今のところ。病院の近くは落ち着いているみたい。」

「そりゃぁ・・・よかった。」

ほっとした表情で居間に戻ってきた流星の母は、大きくため息をつく。

しばらくテレビを見ていた奈美は、立ち上がると店先へと戻って行った。

「おばさん・・・あの・・・とりあえず、流星にはお大事にしてって伝えてちょうだい。」

「えぇ。ありがとう。奈美ちゃんも気を付けてね。」

「うん。」

奈美は流星の母と兄に向って挨拶をすると、靴を履き始めた。

半分空いたシャッターの先では、人通りがほぼなくなったのか、人の声さも聞こえない。

薄暗い店内から外を眺めていると、なぜか胸がざわついてくる。

「明日の学校はどうなるか・・・これじゃ見当もつかないな。」

「学校の中は、滅茶苦茶だったから・・・あったとしても、片づけて終わりそう。」

「そうか・・・。」

店先まで見送りに来た流星の兄に、奈美は振り返る事無く答えた。

いつも見慣れた風景だというのに、この店から出たシャッターの先が、とても不安に感じてしまう。

テレビの報道を不安げに見てしまったからだろうか。

流星の家から、奈美の家は斜め向かい側だ。

走れば十秒も経たず、店の入り口へたどり着く。

「・・・。」

「大丈夫か?奈美?」

「えっ?う、うん・・・。」

靴を履いて立ち上がってから動こうとしない奈美を見て、流星の兄は不思議そうに彼女の名前を呼ぶ。

奈美は振り返って笑いかけるが、何故か思うように体が動いてくれない。

足が急にすくんだように震えだした。

「・・・送ってくよ。」

「ごめん・・・。なんか、変だわ。」

「いいって。色々ありすぎたからな。今日は本当に。」

土間に置いてあったサンダルを履いて、流星の兄が奈美の肩を軽く叩く。

彼女は苦笑いを浮かべながら、シャッターをくぐった彼の後ろをついて店の前へと出た。

 

とたんに、ぴたりと二人は足が止まってしまう。

 

「・・・マジか。」

「こ、こんな所にもっ?!」

流星の兄は、奈美をかばうように立ち後方へと下がった。

二人の前には、アーケードの明かりに照らされて、ユラユラと動いているバケモノが数体いる。

辺りを彷徨っていたのか、奈美達の姿を見つけて布を引きずる様に近づいてきた。

「奈美!とりあえず、店先に戻れっ!」

「無理だよっ!それに、おばさんに迷惑かけちゃう!」

「あぁ!そうかっ・・・くそ。母さんがいたっ」

後方へと向きを変えて、すぐに身をかがめばシャッターの中へと入ることは出来る。

しかし、それを見て同じように店先にバケモノ達が入ってきては元も子もない。

ここで大きな声を出せば、誰かが気が付いて来てはくれるだろうが、それでも相手との距離はとても近く、助けを呼んだところで間に合う保証は殆どない状態だ。

「おじさんを呼んで来い。それまで、なんとかするからっ!」

「なんとかするって?ちょ、ちょっとやめなよっ!無理だよっ!」

「どうもこうも・・・なんとかする!」

「そんな無茶苦茶なっ!」

うめき声をあげながら歩いてくるバケモノを見て、奈美は言葉を飲んでしまう。

昼間に見た時は、周りに守ってくれる人がいたが、今はそのような者は近くにいない。

それに、一緒にいる流星の兄も、彼女と同じく“今は何もできない”ただの人間だ。

「タマシイ・・・・ニンゲン・・・チカラ・・・」

「俺に力はねぇってぇの!」

「怒鳴っても無駄だからぁっ!」

奈美の手を強く握った流星の兄は、店とは逆に走り出そうとする。

「うわっ。」

「うそでしょ・・・」

前方にいるだけかと思えば、左右からも何体かバケモノが姿を現す。

明るいところを避けているのか、アーケードの照明が薄暗くなっているところを選びつつ、彼らは近づいてきていた。

その中には、腕が獣のように大きくとがっている者もいる。

「どうしたの?・・・今声が・・・」

「母さん出てきちゃだめだっ!」

「おばさん!家から出ないでっ!危ないからっ!」

「っっ?」

店のシャッターの中から、流星の母が近寄ってくる。

その声に驚いた奈美と彼は、大きな声をあげて彼女を制止させた。

スリッパの音がぴたりと止まり、震えるような声が小さく聞こえる。

「こんな場所に出てくるなんてさ・・・ホント、結界が作用してないってことだよなぁ。」

「流暢に言ってる場合じゃないわ。」

手を伸ばしてきたバケモノを避けて、奈美がかすれた声で流星の兄を怒鳴る。

倒れたバケモノが店の中で流星の母が姿を見たらしく、今度こそ悲鳴が店の中から響いた。

とっさに動いた流星の兄が、店横にあったシャッターの自動開閉ボタンを押して完全にシャッターを降ろす。

店の中から母の悲痛な声が聞こえるが、それを無視して彼はその場から動いた。

「こういう時に限って、どうにもならないんだよな・・・」」

「今さら言ってもどうにもならないわよっ!」

風を切る音が聞こえたと思えば、奈美の頭上をバケモノの腕がかすめる。

身体をひねる様にその場から逃げた奈美は、流星の兄の手を握って、自宅の方へと走った。

「やべぇっ!」

「わっ!!」

後方から声が聞こえたと思うと、奈美の身体は浮き上がり、行こうとしていた方向とは別の方へと身体が向く。

流星の兄に抱えられるように動いた彼女は、自分が行こうとした方に重たい音がして、振り返る。

地面が少し抉れ、その横ではバケモノが獲物を逃したのを悔しがるように地面を叩いていた。

「こんなに騒がしいっていうのに、誰も気が付かないのか?」

「・・・。」

先程から、バケモノの雄叫びや奈美たちの声がアーケードを駆け抜ける様に響いている。

しかし、考えてみれば確かに、誰も家から出てこない。

まるで聞こえていないかのような異常な状況に、奈美は息を飲んだ。

そして先に独りでこの場にいたと思うとすると、背筋がぞくりと冷えてしまう。

「ここで助っ人登場だと・・・かなりいいんだけどな。」

「う・・・。」

じわじわと迫ってくるバケモノを見て、奈美はすがる様に自宅を見る。

確かに二階からは明かりが灯っているが、人が出てくる様子はない。

「お父さん・・・気が付いて!おばあちゃん!おじいちゃん!」

思わず大きな声をあげた奈美だったが、その声に反応するように人の気配はしてこない。

急に手先が震えだし、昼間には感じなかった恐怖感が溢れ出てくる。

あれほどまで、学校にいた時は自分よりも状況が読めていないるりをかばって歩けたというのに、今はそんな余裕さえなくなっている。

奈美をかばうように立っている流星の兄が、まるでいないかのように思い、いつ自分にバケモノが襲って来るのかと不安に押しつぶされそうになった。

「奈美・・・お前だけでも・・・逃げ・・・」

「ちょ、ちょっとそんなこと言わないでよっ!できるわけなっ!」

ふいにそのような事を言われ、奈美は声を荒げる。

彼が言葉を言い終わる前よりも先に、彼女はその言葉を遮る様に叫んだ。

自分でも思ってもいないぐらいその声は震え、とてもか細い。

いつもの奈美からしてみれば、あまりにも情けない声だ。

「(もう、この際だれでもいいからっ!)」

脳裏に浮かんだ人物は、今は病院のベッドの上にいる。

更に浮かんだ雪は、恐らく遠く離れた自宅にいるはずだ。

そんな来るはずもない人物たちを思い浮かべてしまい、奈美は頭を大きく横にふった。

背中越しにバケモノのローブが近づいてきて、彼女は歯を食いしばる。

 

と。その時だった。

 

「なん・・・だ?」

流星の兄の声がしたと思えば、ふわりと柔らかな風が駆け抜けた。

同時に、悲鳴も上げぬままバケモノ達の身体が吹き飛ばされる。

「銀の槍・・・?」

彼の言葉に弾かれるように、奈美は辺りを見回す。

持ち主が見当たらないが、辺りには風をまとった“銀の槍”が何本も浮遊していた。

近くでは、バケモノの身体を貫いて飛び去る物もある。

「誰だか分からないが・・・助けてくれたみたいだ・・・な。」

「う。うん・・・。」

銀の槍を動かしている持ち主を探そうと、辺りを二人で見回してみるが全くその姿は見当たらない。

それどころか、周りにいたバケモノ達が一体もいなくなり、心なしかアーケードの照明が、先よりも明るくなったように感じる。

「輝光!どうしたの!大丈夫なのっ!」

「母さんっ!」

店の横にある細い路地を通って、流星の母が息子の名前を叫びながら走ってくる。

彼らの周りに飛んでいた銀の槍は、彼女が走ってくるよりも早く、風をまとったまま飛び去ってゆく。

「あら・・・。何・・・これ・・・。」

「助けてくれたみたいなんだけどさぁ・・・持ち主がいなくて、お礼も言えてなくて・・・。」

「・・・。」

群を成して飛び去って行く槍を見て、流星の母も輝光もその光景をじっと見ているしかない。

奈美も、見た事が無い“能力”に驚いているのか、飛び去って行く銀の槍を見つめていた。

「あれ・・・?」

「どうした?」

ふいに視界を別の物が飛び去り、奈美は思わず声をあげる。

その声に驚いた輝光と流星の母は、奈美の顔を見た。

「いま・・・槍の上に女の子が乗って・・・。」

「えっ?俺には見えなかったぞ?」

「私も・・・何も見えなかったけど・・・。」

奈美の言葉を不可思議に思った二人は、小さくなっていく槍を見送る。

「見間違い・・・だったのかなぁ。」

彼女は小首を傾げて、飛び去って行く銀の槍を見つめていた。

 

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