白と黒の世界   作:水鏡 零

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16話

思い出すのは、今までの自分だ。

引っ越しという引っ越しを繰り返したせいもあり、友達は手のひらで数えるよりも少ない。

むしろ、友達といえる人がいたのだろうか。

同級生はいつも笑顔で接してくれたが、それは他人行儀であり、慣れてくれば態度は一変することも少なくない。

両親には一時期心配されたが、その心配を隠すこともいつしか覚えた。

 

振り返ればどこも“闇”だ。

 

「では、この先も真っ暗でしょう。」

 

頭に響く声に、小さく頷きそうになってしまう。

聞き覚えがあるようで、無いような声だ。

「貴女が歩む道は、どれも闇です。終わりにしてはいかがかと?」

 

小首をかしげたくなる言葉を発し声の主は喉の奥で笑った。

声を発したいが、何故かうまく喋ることができない。

手を動かそうにも、身体が鉛のように重たくなってきた。

心なしか、遠くで名前を呼ぶ聞き覚えのある声がする。

「えぇえぇ。終わりがよろしいかと。」

真っ暗な闇の中で聞こえた声は、何が可笑しいのか段々と笑い声が大きくなってゆく。

同時に名前を呼ぶ声が頭を揺らし、このまま眠ってはいけないと訴えかけてくるようだ。

「わた・・し・・・は・・・」

力を振り絞って声を発すると、喉の奥が痛い。

誰かに全身を押さえつけられているのか、そう感じるほど強い力が身体中を巡った。

痛いと叫びたいが、声も呼吸もうまくいかない。

ゆっくりと瞳を閉じてみると、嫌な思い出がよみがえりそうだ。

 

「ち・・・がう・・・」

 

高笑いの嫌な声を弾くように、瞼の裏に“一人の顔”が浮かぶ。

名前と容姿だけしか知らない“彼”。

どんな所に住んでいるのか。どんな人なのか。まだ知らない。

ただ、初めて会った日が凄く鮮明に思いだされる。

きれいなきれいな青い髪。

ちょっと角ばった大きな手のひら。

そして、抱きしめてもらったあの瞬間。

 

「まだ・・・だめなんだ・・・」

 

自分の思いも何も伝えられていない。

成り行きで会った会えないを繰り返すだけで、本当は聞きたいことも、本当は知りたいことも、まだ“何も”言えてはいない。

 

「だめ・・・」

 

闇に落ちろという冷たい声が聞こえると、更に身体が重くなる。

でも、ここで諦める事は“今の自分”にはできない事だ。

知らなくてはいけない事もあれば、やらなくてはいけない事もある。

“女神様”に託されたことをちゃんと理解したい。

初めてのお友達を“助けたい”。

「ダメなの・・・」

痛いくらいの力に逆らうように、無理矢理腕を動かし、胸元にあるはずの“鍵”へと手を伸ばす。

冷たい水の中へと落とされたような感覚は全身を襲い続けるが、ここで手を戻してはいけないと何かが自分を押す。

 

両腕を力の限り動かし、そして“鍵”に指が触れた。

 

とたんに身体が温かくなり、全身を押さえつけていた力が弱まる。

 

同時に“額”がじんわりと熱を帯びた。

 

「私・・・まだ・・・何も・・・していないから。」

 

閉じていた瞳をゆっくりと開きながら、触れた“鍵”を両手でつかむ。

「なぜっ!あぁぁっ!」

頭を支配するように聞こえてきた声が遠ざかり、視界がどんどん明るさを取り戻してゆく。

宙を舞うように身体が“闇”から放り出され、空が眼下に広がる。

「まさかっぁぁっ!覚醒したのかっ!」

つんざくような声が響き、手にした“鍵”を強く握ると声のした方を向いた。

そこには、昨日学校で遭遇した気味の悪い仮面をつけた男が宙を漂っている姿が見える。

周りには今まで自分を包んでいた“闇”が波打ち、渦巻いていた。

「あ・・・れ?」

男の姿に驚きつつも両手に力を込めると、全身を守るように黒と白の光が閃光となり包みだす。

ふわふわとした感覚が身体を覆い、ふと視線を落としてみれば、はるか下の方で、先まで一緒にいた人たちの姿が見えた。

「私・・・飛んで?」

「まさか・・・わ、ワタシが覚醒を促して・・・あぁぁぁぁっ!!」

状況が読めず困惑と不安感で押しつぶされそうになる。

ふと目の前で大きな声が響くと、喘鳴のような声を荒げて、仮面の男が奇声を上げた。

その声に驚いて顔をそちらへと向けると、疾風のように何かが頬を掠めていった。

「まだ・・・完全に覚醒したわけではないうちに・・・」

「っ・・・!」

仮面の男が大きく腕を突き出すと、周りの“闇”から禍々しい渦を描いて槍が飛び出す。

あまりの衝撃に両手で祈るように“鍵”を握りしめると、槍のいくつかが身体の周りを繭のように動いている光によって、轟音と共に消し飛ぶ。

同時に、額が暑くなり、身体から力がゆっくりと抜けてきた。

「あ・・・れ・・・」

「あぁ。あぁ・・・そうですね。まだ、力を使いこなせないのですね・・・」

急に声を震わせて笑い出した仮面の男が、再度腕を大きく振るう。

視界がぼやけ、同じように槍が暗黒から出てきているのがかろうじて見えている状態になってしまう。

だんだんと身体が降下しているのか、男の姿が上の方へ遠ざかる。

「切り刻んで、終わりに致しましょう。」

「・・・だ・・・め・・・」

男の甲高い笑い声を頭上で聞きつつ、意識が遠ざかってしまう。

閉じてしまいそうな目を必死に開けようとした瞬間、温かい小さな手が力強く自分の手を握りしめた。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

轟音と共に槍がはじけ飛び、甲高い笑い声をあげていた仮面の男が、ぴたりとその場に制止した。

片津を飲んで地上から様子を見ていた雪達は、その瞬間に走りだす。

「あの仮面野郎!」

「まずは、周りのバケモノたちをっ!」

「承知!」

雪の指示でカーティルスとルヴァンが別々の方向へと飛び上がる。

疾風を巻きあげて更に加速した雪は、出版社の屋上へとその勢いのまま着地した。

更に頭上では、仮面の男が肩を震わせ唸っている。

 

事の始まりは数分前。

るりが突如現れた仮面の男に拘束され、“闇”に喰われた事から始まる。

ランゼフの仲間たちを待つ間に、敵は隙をついてきたのだ。

 

思い返してみれば、何度もここに来る前にバケモノ達と遭遇している。

るりの事を昨日知った仮面の男が、何処かで彼女が此処へと来る情報を仕入れることも少なからず出来ただろう。

そこまで想定する事ができなかったことを、雪は少しばかり後悔する。

とはいえ、今はそのような反省をしている状態ではない。

周りに沸いたバケモノを一掃し、刃先を仮面の男へと瞬時に向ける。

しかし、感付いたのか否か、更に新手が雪へと迫った。

小さく息を吐いた雪は、姿勢を低くすると同時に軽く踏み込み、標的を定める。

一撃で仕留める事は容易ではあるが、何分数が多い。

全ての敵を一層しても、すぐにまた新手が現れてしまい、頭上で揺らめく仮面の男へと近寄ることができなかった。

「不幸中の幸い・・・っていうのかしら・・・ね・・・。」

「さぁ。でも、るりは助かってる。それは良かったと思う。」

「・・・・うん。」

雪の背後に現れたバケモノを、ランゼフがはじき飛ばす。

片手を揺らして現れた細身のナイフが、周りに沸いたバケモノを切り刻み、音もなく宙へと消えた。

「覚醒した・・・のかな。」

「・・・したというよりも、“してしまった”という言い方が、今の君たちはとって当てはまるんじゃないの?」

「・・・。」

白と黒が混じり合った光に包まれ、るりは仮面の男が放った漆黒の槍を打ち消している。

それは成り行きで消しているだけのようにも雪には見え、彼女が意図的に行っているようには見えなかった。

心なしか、ゆっくりと身体が降下しているように見える。

地団駄を踏むように声を荒げた仮面の男は、更に攻撃を強め出す。

るりは押され気味で、光に守られつつも身体が後方へと少しずつ弾かれつつあった。

「なんとかして、るりちゃんを助けないとっ!」

「それはボクだって同じ。・・・近寄ることさえできればっ!」

雪は唐突に感情をむき出しにしたランゼフを見て、瞬きをする。

時折ランゼフはるりに興味がないような事を言っているが、先ほどからの彼女の言動で実際はそうではないと雪は確信した。

「切り刻んで、終わりに致しましょう。」

「っっ!!!」

「まって、ランゼフさんっ!」

仮面の男の言葉に弾かれるように、ランゼフがその場を駆け出す。

急に血相を変えて走りだしたランゼフを、雪は力いっぱい引き留めた。

「な、なんでっ!!離せっ!」

「ダメっ!君も巻き込まれちゃうっ!」

「やだっ!離せっ!ボクは“壊れて”もいいっ!」

「だめだよっ!!」

無理矢理にでも振り切って行こうとするランゼフを、雪は羽交い絞めにして離そうとしない。

ランゼフは雪から必死に離れようと身体を乱暴に動かした。

「るりはっ!ボクを必要としてくれたっ!だめなんだよっ!!」

「でもっ!この距離じゃっ!」

「さぁ、終わりに致しましょうっ!」

「っっっ!!!」

怒鳴る様なランゼフの声と、それを止めようと声を荒げた雪の声に交じって、仮面の男の高笑いが響く。

その声に二人が頭上を見ると、うっすらと目を開きこちらを見たるりと眼があった。

身体からは力が抜けているのか、彼女は四肢をだらんとぶら下げている。

そして、るりの額には“くっきり”と紋章が浮かび上がっているのが見えた。

今まで彼女を包んでいた光が弱まり、突き刺そうと言わんばかりに仮面の男の背後から槍が湧き出ている。

「や・・・だめ・・・だめ・・・・だめだっ!」

「るりちゃん!目を開けてっ!!」

悲痛な雪の声が辺りに響くと同時に、仮面の男が腕をしならせた。

風をまとって一直線に放たれた漆黒の槍は、るりを囲むように飛び出す。

「っっぁぁぁぁぁっあぁっ!!!」

金色の瞳を見開いて叫び声を上げたランゼフは、雪を突き飛ばして宙を蹴りあげる。

大きく手を伸ばし、るりの手を掴もうと身体を伸ばした。

 

「やれやれ。無理するなって、流くんに言われたんだけど・・・ね。」

「えっ・・・。」

 

ランゼフがるりの手を握り、身体を引き寄せた瞬間。

背後から迫る漆黒の槍が音と爆発を重ねて弾け消えた。

るりを抱き寄せたランゼフは、そのまま雪が倒れている横に着地する。

槍の破片が軽い音を立てて地面に崩れ落ちてきた。

「ま、魔導士・・・・。」

「ひっさしぶりだねぇー。ここまで、ど派手に動いちゃうの。」

大きな声を上げ笑いながら空中で一回転した“彼”は、真っ赤な目を細めて、手に持った大きな杖を楽しそうにゆらす。

仮面の男はその表情に驚いたのか、後ろにゆっくりと身体を動かした。

「大丈夫か!雪!」

「あ・・・う、うん。」

バケモノ達を一掃したルヴァンとカーティルスが雪へと駆け寄り、倒れた彼女を抱き起こす。

あっけに囚われた雪は、上空でいつもとは別人のように笑っている“翼”をじっと見た。

「僕はねぇ、言っておくけど普通の魔導士じゃないんだ。あぁ、コレは内緒事項ってことで。」

「な、なにを言っているのですかね?」

場に不似合な程の明るい声で、翼は仮面の男に話しかける。

手に持った杖からは鮮やかな光が零れ落ち、彼の周りを漂っていた。

「るり・・・大丈夫?」

「・・・ランちゃん?」

「・・・うん。」

うっすらと目を開けたるりを見て、ランゼフは顔を隠すように彼女へ抱き付く。

とっさの事で小首をかしげたるりだったが、そっとランゼフの頭を撫でると大きくため息をついた。

「なんだ。あいつ。いつもとなんか違うぞ。」

「そう・・・だね。」

「・・・・。」

普段見慣れている穏やかな雰囲気の翼としての面影はなく、雪達の目の前で空中に佇んでいる彼は、まるで別人のようだ。

気さくそうな雰囲気も感じられるが、何処かしら残忍な印象も受ける。

彼の背中しか姿は確認できないが、そこからは確かに冷たい“何か”を感じた。

「さぁて、仮面の男。お前はどうされたい?」

「な・・・何を・・・。」

「何をって・・・。」

くすくすと声を上げて笑った翼は手に持った杖を振るい、自分の周りに数え切れないほどの魔法陣を浮かびあがらせる。

「君はあまりに罪深い事をし過ぎだ。・・・簡単にまとめてしまえば、多くの関係ない人間たちを巻き込んだんだ。・・・これ、わかるだろう?」

「ぐ・・・。」

赤い目を細めた翼は、片手を揺らすと魔法陣から光の槍をいくつも出現させる。

それはまるで、先の仮面の男が出した槍と対照的のようだ。

「わかっているだろう?黒色世界では掟がすべてだ。女神様の掟を破った者は、許されることはないんだ。・・・ふふ。」

「き、貴様・・・魔導士・・・いや・・・お前・・・“執行者”かっ?」

「なっ・・・。」

「うそ・・・。」

仮面の男の言葉に、雪とカーティルスが声を上げる。

朦朧とする頭で起き上がったるりは、ランゼフと共にその場をじっと見届ける事にした。

翼は軽く手を何度も叩くと、にっこりと笑う。

「やっと気が付いたんだねぇ。マーラの残党さん。・・・でも、だからと言って“刑は執行される”からね。・・・言いたいことは?」

「ぐ・・・そんな・・・まさかっ!」

後ずさりをした仮面の男は、自分の後ろにも光の槍が出現している事に気が付く。

翼はあからさまに嫌そうな態度を見せつけるかのようにため息をつくと、ちらりとカーティルス達を見た。

彼の視線に気が付いたのか、何故かルヴァンがるりとランゼフに駆け寄ってゆく。

はっとした表情で雪を見たカーティルスは、翼に小さく頷いた。

「え。どうしたの?」

「わっ!」

「・・・なに?」

ルヴァンはるりとランゼフの眼を腕で覆い、カーティルスは困惑する雪を抱き寄せると翼達とは背を向けるようにする。

「お嬢様方にはちょっと・・・トラウマになっちゃうからね。」

「ひっ!ひぃ!!!」

大きく杖を振りかざした翼はゆっくりと瞳を閉じると同時に、背中を丸めた。

「さぁ・・・刑の執行だ。」

一際冷たい声がるりの耳に聞こえたと思うと、身体がざわつくほどの気配が頭上で広がる。

「悔いよ。愚かな者に従った・・・愚かな仮面よ。」

「い、いやだ・・・!ワタシはただっ!マーラ様の為にっっ!!」

低くうなる様な声を発した翼は、真っ赤な目を見開き次第に丸めた背中を逸らせて行く。

弓なりにしなった翼の背に、漆黒の羽根が大きく広がり生えた。

禍々しい程の気を発したその羽根とは対照的に、手に持った杖からはまばゆい光が溢れている。

「その間違った思想は是非、来世には無いと信じさせてくれたまえ。」

「っっっっ!!!!!!」

つんざくような男の悲鳴があたりに響き渡ると同時に、目が痛くなるほどの光がはじける。

震えあがる程の男の断末魔に、雪は自分でも気が付かないうちにカーティルスの服を強く握っていた。

バケモノ達の断末魔や奇声とはけた違いの声に、辺りは凍り付いたように静まり返る。

何かを吐き散らすような音が聞こえると、それを吸い込むように強風が雪達を包んだ。

耳の奥に男の声が残る中、ルヴァンとカーティルスはるりや雪達からそっと離れる。

「お見苦しい姿は見せられないからね。もう、大丈夫だよ。」

「つ、翼・・・くん?」

「うん?」

漆黒の大きな羽根を揺らめかせ、翼がゆっくりと地面に着地する。

手に持った長杖からは、未だに小さな光の粒が溢れていた。

るりは恐る恐る空を見上げてみるが、そこには仮面の男がいた痕跡さえも無くなっている。

よく見れば、空を覆い尽くしている“闇”から、その上に広がる“青空”がぽつぽつと見え始めていた。

「君は・・・。」

「僕は黒川翼だよ。・・・今は、それでいいと思う。」

「・・・・。」

ルヴァンの言葉に小さく笑った翼は、赤い目を細めながら彼を見る。

隣に立っているカーティルスも何か言いたげな表情をしていたが、人差し指を立てて首を傾げた翼に、それ以上は何も問えない。

「さて。先の“おバカさん”はもういなくなった。・・・とはいえ、あれは“捨て駒”の一つでしかなかったみたいだね。」

「今回の件に関しての中核かと思ったが、そうではないと?」

「うん。」

急に深刻そうな表情へと変わった翼は、長杖を上空へと向ける。

ルヴァンたちは杖が示す先を見上げ、空に広がった“闇”に少しばかりの亀裂が入っている事を見つけた。

「先の仮面を倒せば、この闇が消えると思っていたんだけれどね。考えが甘かったみたいだ。」

「敵さんはまだまだいるっていうことか。」

「そういうことだね。うん、実に悔しいね。」

普段とそう変わりない穏やかな口調で話をしている翼だが、その姿からは言い表せない冷たさを感じる。

学校で会話をしている同級生として見るには、今はとても難しい。

青い髪、赤い目、黒い羽根、手に持った長杖からは柔らかな光が溢れているように見えるが、それはただ見えるだけなのかもしれない、とるりは傷む頭を抑えながら思った。

「それはそうと・・・。」

「え・・・。」

急に視線を変えた翼は、きょとんとした表情をしていたるりを見る。

雪やカーティルス達も彼女の方を向いた。

るりは一同の顔を見ても、何も言い返す言葉が無い。

「るりちゃん。何か自分でも不思議な感覚ない?」

「・・・。」

唐突な翼の問いに、るりは未だに少し熱を帯びている“鍵”を握る。

手の周りにうっすらと先のような白と黒の光が現れた。

同時に、額が少し暑くなったように感じる。

「おでこが・・・少し暑いかもしれない。・・・あと、ぼうっとする。」

「なるほどね。」

いつも普通に会話をしているはずの翼であるが、るりはこの時ばかりは別人のように緊張してしまう。

彼の容姿があまりにも違い過ぎるのも関係しているが、それ以上に翼から発せられる雰囲気がそうさせていた。

「鏡、見てみなよ。」

「・・・え・・・。」

翼が軽く地面を杖で叩くと、るりの目の前に鏡のような物が浮かびあがった。

隣にいるランゼフの姿が映っているのをみると、それが本当に鏡なのだと実感する。

同時に、自分の顔を見たるりは、水をかぶったように全身が冷える感覚を覚えた。

「なに・・・これ・・・。」

前髪を手で持ち上げ、鏡に映る自分の顔を恐る恐る見つめる。

額には見た事も無い“模様”が浮かび上がっていた。

しっかりと刻まれるように映ってはおらず、その色は少しぼやけている。

どこかで見た事があるような気がしたが、るりは思い出せない。

それよりも、何故このようなものが額に映っているのか、考えるだけで手が震えてきた。

「るりちゃんが自分の力で“鍵”を使ったことによって出た“紋章”だよ。・・・君には自覚はないかも知れないけれど、ちゃんと“覚醒”し始めている状態。」

「・・・それって、るりが“巫女”になりつつあるってこと?」

「・・・。」

困惑した表情で自分の顔を見つめ続けているるりに変わり、ランゼフが表情一つ変えずに翼に問う。

翼は無言のまま、首を縦に振った。

「悪い話ではないけれど、何よりも“この状況”はとてもまずいね。」

「それはどういうこと?るりちゃんが向こうの世界を知らない事や、こちらの戦力に対して?」

「・・・それはちょっと違うかも。」

唖然とした顔で座り込んだままのるりに、ランゼフは何も言わずにただ彼女を見つめている。

るりを置いたままの状態ではあるが、雪が重い口を開いた。

翼はるりの目の前にある鏡を消し、強制的に彼女の視線を会話に向かせるようにする。

「まず、第一に現世で起きている事件が片付いていない。」

「待てよ。これって向こうの世界が終焉を迎え、混沌時代になっているからってわけじゃないのか?」

「・・・うぅん。違うんだなぁ。」

「そんな・・・。」

声を張り上げたカーティルスの言葉に、翼は軽くあしらうように答える。

ただ、彼の答えに衝撃を受けたルヴァンや雪達は、カーティルス同様に表情を曇らせた。

「最初はそう思ったんだ。父や母が手紙として送ってきたからね。・・・でも、それとこの状態は全く別物。むしろ、向こうの世界の影響は“まだ来ていない状態”だったんだよね。」

「ならば・・・。君のその話から推測すると・・・この状況を作り出しているのは・・・・・。」

ルヴァンの言葉にうなずいた翼は、辺りをぐるりと何故か見回してから口を開いた。

「前巫女であり、今も暗躍しているマーラが起こしている。」

「そん・・・な・・・。」

状況の全く理解できないるりは、翼や雪達の言葉をただ黙って聞いていることしかできない。

隣に座っていたランゼフも、翼の言葉に衝撃を受けたのか、その場に立ち上がった。

「先の仮面が言っていただろう。それで確信したよ。」

「だが、前巫女はすでに他界し残党もいないと聞いたが。」

「それは噂話さ。」

「おいおい、じゃぁ・・・“掟破り”でマーラがまだ生きているっていうのかよ!」

だんだんと声を荒げてきたカーティルスとルヴァンに、翼は困ったようにため息をつく。

「えっと、るりちゃん。話ついて来てないよね。」

「えっ・・・・。」

ふいに彼らの言葉を遮るためなのか、黙ったままのるりに向かって翼は声をかけた。

るりはあまりに唐突で、ぴくりと身体を震わせることしかできない。

「これから話の中核になる彼女を、話に入れずに会話をするのは止めた方がいいだろう。」

「・・・。」

「それに、得体の知れない奴らを、全く意味が解らない存在として相手をしてもらうのは・・・“あちらの世界の住人”としては申し訳ないと思うけどね。」

場を和ませるためなのか、翼はクスクスと笑う。

困惑したままの一同を見回し、翼は大きくため息をついた。

そして、手に持った杖を一振りする。

「まずは時間の許す限り、るりちゃんに色々説明しないとね。」

「・・・・。」

杖から発せられた光の粒を、翼は四方八方へと飛び散らせた。

それらは塊となって、翼たちが立っているビルの周りを囲みだす。

「さて。何から話をしてあげようか。」

翼は未だ何か言いたげな表情をしているカーティルスやルヴァンを気にしつつ、いつもの柔らかい笑顔でるり達を見渡した。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

薄らと見えた青空に、優志はあっけに捕らわれるしかない。

隣で立つ司や竜崎もただ黙っているだけだ。

「先の爆発音のせいで?」

「どうだろうな・・・・。」

警察署を出発してからものの数分たらず。

何と言う会話もなく、司や竜崎たちの後ろをついて行った優志は、とあるオフィスビルの近くまで来ていた。

辺りのビルは平日にもかかわらず一連の事件のせいか人通りは少なく、外からは中の明かりが見えない。

恐らく、営業すらしていない店舗が多いからだろう。

ふいに上空から何かが爆ぜる音がしたと思うと、今まであれほど真っ暗だった空が、急に光を地面へと映し出した。

爆発音が聞こえた方向へと視線を移せば、空にひびが入った様に、漆黒が割れている部分が見える。

そこから更に上に広がる青空が顔を覗かせているようだ。

「これは急がねばならんな・・・。」

眉間にしわを寄せ険しい表情を浮かべていた竜崎の顔が、更に目を細めて苦々しげに空を見た。

ひびの入った様に青空はゆっくりと漆黒を割っているようにも見えるが、それを拒むように周りの黒さが増しているようにも見える。

寺院や寺関係の実家を持つとはいえ、不可思議な事は今まで遭遇はしていない優志であったが、それでも上空を埋め尽くす漆黒を見れば、嫌でも気味の悪い雰囲気を感じ取っていた。

「恐らくは、あの状態を作ったのはこちらの味方・・・であると言っていいだろうが、それとこれとは別だ。」

「あの・・・先に敵側と接触して相手を倒した・・・という状態も考えても良いのでは?」

「どうだろうな・・・。」

先頭を切って歩く竜崎の背中に向かって、おずおずと優志は声をかける。

竜崎は振り返る事無く答えるが、その声は少し重い。

隣を歩く司へと視線を移すが、彼も同じように切羽詰った表情だ。

「飛勇くん。例の子に関してだが・・・ご家族とは接触したのか?」

「あ、いえ・・・。武藤家の方と共に行動されていたので・・・俺達からは何も言ってはないです。」

「・・・そうか。」

ふと足を止めた竜崎は、一つのビルをじっと見上げた。

“桜丘出版社”目的のビルだ。

メモに記されていた場所である桜丘出版社は、市内外共に名をはせた大企業と言える。

その名を知らぬ者はいない。とも言ってよいのかもしれない。

「昨日、市内で起こったバケモノ騒動だが、この桜丘出版社にも奴らは姿を見せたらしいな。」

「最初から、目的地として何か計画していたのでしょうか?」

「うむ。あるいは・・・別の事も考えられる。」

「別のこと?」

しんと静まり返った出版社の入り口を開けると、中は人の気配を感じることができない。

恐らくは、昨日の件もあってか出勤している者はいないのだろう。

普段ならば受付のスタッフがいるべき場所に、人の姿は無い。

内部は最低限の明かりしか灯っておらず、不気味にも見えた。

「昨日は派手にあったようだな。」

「・・・。」

竜崎が淡々と内部へと足を進める中、優志たちは辺りを見回して言葉を無くしてしまう。

バリケード代わりにしたのか、戸棚や机があらぬ方向へと積み重なり、その先を見えないようにしている。

ホールに置き去りにされた椅子に至っては、背もたれが凹み、クッションが破れている物もあった。

「エレベーターは使用できるみたいです。」

「そうか・・・・。」

静かに起動しているエレベーターを見上げると、優志の背中に寒気が走ってしまう。

普段見慣れている物であるはずなのに、異常なこの状況の中では、歪でどこか不安感を覚えるものにみえた。

「さて。目的のフロアは・・・。」

壁に貼られた案内板を見つめ、竜崎はじっとそれを見つめる。

「メモには、どのフロアかまでは書かれていなかったような・・・。」

「そういえば・・・そうだったな。」

一人小首をかしげている竜崎を見ながら、司と優志は小声で話す。

優志のデスクに貼られた不可思議なメモには、この出版社のビルに関しては書かれていたが、どのフロアへ行けとは記載がなかった。

風に舞うようにメモは姿を消してしまってはいるが、覚えている限りではそのような部分は書かれていないと優志は記憶している。

ましてや、そのメモを見てもない竜崎だ。

何故彼がそれでもフロアの案内掲示を見ているのか、優志には理解できなかった。

「ここだな。二人とも、行くぞ。」

「え、あ。はい。」

小さく頷いた竜崎は、到着したエレベーターに早々に乗り込む。

彼に遅れて続くように司と優志も後を追う。

軽い音がしてエレベーターの扉が閉じると同時に、竜崎が一つのボタンを押した。

「会議室・・・?副社長室?」

「あぁ。そうだよ。」

電光掲示板の下に記載されている文字を、優志は不思議そうに読む。

竜崎の押したボタンは、副社長室と会議室があるフロアのようだった。

「ここの副社長なら、何か知っていると思ってね。」

「・・・。」

ゆっくりと停止したエレベーターは、同時に重い扉を開かせる。

扉の先に広がったエレベーターホールも、下層階と同じように薄暗く、人の気配さえもしなかった。

しかし、妙な雰囲気を醸し出している。

「昨晩までは、市内のどこでもバケモノは建物内に現れることはごくまれであった。」

「・・・学校や一部施設だけ・・・でしたね。」

司の言葉に、優志はふいに昨日の事を思い出す。

警察署に集まっていた情報を思い起こしてみても、確かに建物内に出現したバケモノの情報はごくわずかだったように記憶している。

司や同僚たちと共に向かった中学校は、特例だったのかもしれない。

「建物内で暴れたバケモノ達の多くに関しては、桜丘第一中学校とこの桜丘出版社の二つだ。」

「え・・・。」

薄暗いエレベーターホールを抜けると、しんと静まり返った通路へと進むしかない。

竜崎の声が通路に響くように聞こえ、彼らの歩く足音だけが聞こえた。

時折、開いたままの会議室入り口から見える窓から、薄らと光が差しこんできている。

恐らくは、先に見た“空の割れ目”から太陽の光が注いでいるのだろう。

「何らかの目的があったのは確かだが、確定的でもなければ、不確かな情報だけでね・・・この場は“ハズレ”だと思っていたんだが。」

「は、ハズレですか。」

「あぁ。そうだ。」

ふいに足を止めた竜崎は、司と優志の前で小さく手を振る。

そこで止まれという意味らしく、司は歩き出そうとした優志の腕をつかんだ。

優志は驚いて司を見るが、彼の顔を見てから竜崎の方へと視線を変える。

「今朝も、市内の建物内でバケモノが発見された事例はとても少ない。屋内で遭遇した連絡も数件はあるが、それらは全て入り口か駐車場くらいで、本当の室内で発見された件数は未だない状態だ。」

「つまり、この状況はまだ連絡さえもない事だということですかね?」

「そういうことだ。」

スーツのポケットに入れ込んであった赤い石を取り出した司は、優志を自分の後ろへと下がらせる。

司が石を強く握りしめると同時に、石が銃へと変わった。

竜崎は彼の前に立ちはだかるように前方を睨んでいる。

「ア・・・人間ニ・・・ニンゲ・・・ン?」

彼らの前の前に、ゆっくりとした足取りでバケモノが姿を現した。

恐らくは、この先に続いている通路をうろついていたのだろう。

ズルズルと布を引きずる音を立てながら、気味の悪い声をあげてバケモノは近寄ってくる。

「一つの過程としてだが、奴らの目的は一つでないと思われる。」

「その・・・目的の人物を探す事。だけではないと?」

「そうだな。」

優志は近寄ってくるバケモノの後方を見て、つい息を飲んでしまった。

バケモノは一体だけではないらしく、通路の奥から複数の声が聞こえてくると同時に、我先にと押し合うように黒ずくめのバケモノが見えた。

このような状況であるのに関わらず、何故か竜崎の声は穏やかだ。

「手当たり次第に市民を襲っているのではないか。と仮定している者達もいてね。そう考えると、確かに・・・と腑に落ちる点もある。」

「それはその・・・目的の者が誰かわからず闇雲に人を襲っている訳ではないと・・・?」

「あぁ。そうだ。」

「ッッ!!」

両腕を広げ、竜崎へと突進してきたバケモノに、思わず優志は声をあげてしまいそうになる。

だが、バケモノの身体は竜崎に届く前に悲鳴一つ上がらぬまま姿を消してしまった。

それが勝手に消えたわけではないと優志は遅れて確認する。

「まぁ、コイツらの動きを見ていれば、そうとも思えるな。」

「は・・・はぁ。」

低い姿勢からこぶしを振り上げたのか、竜崎は軽く腕を振るうと両手を叩いて立ち上がった。

鈍い音が聞こえたようにも優志は感じたが、それ以前に風を切るような突風が一瞬だけ顔を駆け抜けた事により、他の事が頭に入らない。

目の前にいる司も驚いたのだろう、彼は何故か振り返り優志の顔を見つめていた。

「若い者にも負けてはいられん。ここは任せてくれ。」

「えっ!」

「わっっ!」

司が声をあげるよりも早く、竜崎はその場を蹴り上げて走り出していた。

広いとは思えない通路だというのに関わらず、彼は二手三手とバケモノ達を殴りつけてゆく。

まるで野球の素振りを間隣で見ているような突風が、二人の全身をつつむように消えて行った。

それどころか、優志が見る限り竜崎は“素手”でバケモノを殴りつけ一発で仕留めているように見える。

動きが少しだけ止まった瞬間に彼の腕を見ても、何処にも司たちのような武器が見えない。

「これが・・・噂の・・・」

「いやいやいや!こ、これはもはや人のなされる業ではないような・・・」

感心したような声で言う司に、思わず優志はツッコんでしまう。

今まで確かに竜崎署長の人ならざる伝説の数々は署内で聞いたことがあるとはいえ、その事を鵜呑みにすること一度もない。

ただのジョークだろうと思っていた。

「訓練された人・・・と言うべきか・・・。」

「えぇ・・・。」

司自身も理解が及んでいないのか、彼はただ苦笑いを浮かべている。

気が付けば、竜崎の姿は通路の先に消えており、その先でも同じような鈍い音が響いていた。

恐る恐る司と共に歩き出すと、ふいに気味の悪い気配が無くなる。

同時に、竜崎の動きも止まったのだろうか、鈍い音もしなくなった。

「ざっと。十体くらいか。」

「・・・・。」

大きく背伸びをした竜崎は、後方から目を丸くして歩いてきた司たちに咳払いをする。

とっさに手に持っていた銃をしまった司は、何とも言えない状況に視線を彼から逸らすしかなかった。

「ちょっと特別な訓練をしているからな。二人とも、マネをして“素手”でバケモノは殴らない方がいいぞ。」

「は、はい・・・。」

「・・・・。」

何故か苦笑いを浮かべた竜崎は、再度咳払いをすると、目の前に見えた副社長室の扉へと歩み寄った。

更にその奥には、大会議室の入り口が見える。

どちらも、先と変わらず人の気配は無い。

「さて何が待ち受けているのやら・・・」

ぽつりと呟いた竜崎は、軽く手を振るうと副社長室のドアノブを掴む。

部屋には鍵がかけてないのか、ドアノブは簡単に開いた。

ノックをせずに入ろうとしている自分たちは不可思議ではあるが、それ以上に外や今までの事を考えてみれば、通常のマナーなど通用するとは思えない。

副社長室に人がいない事を前提として、竜崎は中へと進もうとしているのだろう。

「失礼するよ。」

誰に対して言ったのかは不明だが、竜崎は大きく扉を開けると同時に、ぽつりと呟いて中へと入った。

彼に続くように司と優志も部屋へと足を踏み入れる。

と、彼らはそのままぴたりと足を止めた。

「まずいな・・・。」

「これ・・・は・・・。」

窓ガラスがカーペットの上に散らばり、破られたカーテンが外からの風で音を立てて棚引いている。

大きなデスクには数々の本が雪崩のように床に落ち、応接用の机は無残につぶされていた。

「先手を打たれたか・・・?」

「・・・。」

竜崎は窓側へと歩み寄ると、冷たい外の風に髪をゆらしながら、ゆっくりと窓の外を見上げた。

優志や司も同じように窓の外を見る。

そこには、上空から小さな光の粒が地上へと落ちてゆくのが見えた。

 

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