白と黒の世界   作:水鏡 零

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32話

窓に雨が当たる音が聞こえ、うっすらと目を開ける。

「身体に異常はありませんでした。呪いなどの後遺症もないようです。」

「それはよかった。」

懐かしい声が頭の上を過ぎてゆき、声を発しようと力を入れるがうまくゆかない。

視線を動かせば、ぼやけた視界の先で見慣れた人々の顔が映った。

「にいさ・・・?」

「っ!」

白いローブの裾を掴み、ゆっくりと腕を動かす。

何度か瞬きをして、再度彼を見ると思わず笑ってしまいそうな程の表情をしていた。

「ミチルっ!」

少しばかり痛む身体を押さえつつ、ミチルは小さく笑い出す。

見た事も無いような形相のアルスを見た彼女は、ほっとするよりも先に何故だか笑いが浮かんできてしまった。

当のアルスは、今にも泣き崩れそうな表情をしている。

「凄い顔・・・兄さん。」

「えっ・・・あぁっ、ってそういう事じゃなくてだなっ。」

背中を支えられながら、ミチルはベッドの上に上半身をあげる。

視界に広がったのは、とても見慣れた自室だった。

しかし、今は見慣れた風景でも、安心感が全身を包み込む。

窓の外では雨が降りしきり、音を立てているのが聞こえてきた。

「お前。大丈夫なのか?」

「うん・・・。少しばかり身体は痛むけれど、だいぶ良くなったわ。」

「そ。そうか。」

窓の外を流れる雨に何故かミチルは気にしつつ、慌てふためいているアルスに言葉を返す。

冷たいはずの雨が感じられず、妙に暖かい物が手の先を伝って身体へと流れてくるようだ。

「ねぇ、兄さん。あの雨は・・・。」

「えっ、あぁ。あれか。」

片腕を上げたミチルは、手の先に力を集中させる。

白い小さな光が浮かびあがり、それは彼女の手を離れて窓へと揺れるように飛び去ってゆく。

「母様が言うには、浄化の雨だっていう話だ。」

「浄化の・・・。伝承にある・・・あの?」

「そう。」

ミチルの手を離れた光は、窓の外へと出ると雨を含みだす。

光は穏やかに広がり、まるで花を開いたかのように花弁となって辺りへと舞い上がっていった。

「大地が災いに包まれた後に、新たな巫女が世界を浄化させるために降らせるという雨・・・。」

「水を司る祭壇が浄化されてさ・・・それで降ってるんだ。」

「・・・。」

アルスの言葉に目を細めたミチルは、視線を合わせようとしない彼をじっと見つめる。

何か言いたげな表情をしているが、一向にアルスはミチルを見ようとしていない。

言いにくい事でもあるのかとミチルは考えるが、思い当たる節が無く、ただただアルスを見ていることしかできない。

「その・・・ミチルを助けてくれた人が、これを降らせているんだ。」

「あら。じゃぁ、新しい巫女様が?」

「いや・・・なんていうか・・・ちょっと違っていて・・・」

「・・・?」

歯切れの悪いアルスの言葉に困惑しつつ、ミチルは身体を動かそうと足へと力を入れる。

「あら・・・。」

ふいに足の上に重さを感じ、ミチルは思わず笑ってしまう。

困惑した表情をしたままのアルスだったが、彼女の視線の先を見ると、同じように表情を明るくさせた。

「私・・・もうダメなんだろうなって思っていたの。そしたら、目の前に小さな希望が見えて。」

「・・・?」

寝息を立てているグレイへと、ミチルは手を伸ばして頭を撫でる。

ぐっすりと眠っているのか、彼は小さく唸るだけだ。

「この子が苦手な光魔法で私を探してくれていたのよ。小さな小さな蝶だったけれど・・・私、それを見つけて頑張ろうって思ったの。」

「そっか・・・ミチルの指に止まっていたのは、こいつが放った光魔法だったのか。」

「うん。」

アルスは羽織っていたマントを脱ぐと、眠っているグレイにゆっくりとかける。

相当深い眠りに浸っているのか、二人が話をしていても彼が起きる気配はなかった。

「お姉ちゃんは嬉しかったな。・・・助けてもらった後も、苦手なのに治癒魔法を使ってくれたし。」

「気が付いていたのか。」

「えぇ。わかっていたわ。」

安心した表情で寝息を立てているグレイの頭を撫で、ミチルは小さく微笑む。

アルスは手に持った長杖を傍らに置くと、近くにあった椅子へと腰をかけた。

「で・・・。兄さん。今の状況を教えてくれるかしら。」

「・・・そうだな。だいぶ体調もいいみたいだし、話をするか。」

グレイに気遣っているのか、二人は声を小さくして話し出す。

アルスは片腕を動かし、部屋の中に魔法陣を浮かび上がらせた。

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

大きなため息をついたレヴァンティアは、目の前で微笑んでいる女性に頭を抱えている。

唖然と屋敷の者達が彼女たちを見ているが、言葉をかける者はいない状態だ。

「一石二鳥とはこういう事をいうのかねぇ。」

「あら。なんだか、私が物みたいじゃない。」

「そうは言っていないさ。」

屋敷の入り口に佇んでいる女性は、傍らに佇んでいるディルへと視線を向ける。

彼の腕の中では、静かにるりが眠っていた。

「こういう時には、大儀であった。と言うべきなのかね・・・」

「・・・。」

一向に起きる気配がしないるりの頭へと、レヴァンティアは手を向ける。

るりへと向けた手先から小さな魔法陣が幾つも現れ、瞬時にして煙へと変わっていった。

「魔力の使い方はあまりに下手ね。全然残っていないし・・・」

「無理もない事かと。・・・数日前に習得したので。」

「っっ?」

ディルの言葉に驚いたのか、レヴァンティアと女性の表情が同時に凍り付いてしまう。

近くで見守っていた屋敷の者達もざわつき、辺りが妙な空気に包まれ出してきた。

居心地が悪いのか、ディルは目を泳がせている。

彼の表情に気が付いたのか、レヴァンティアは長杖で何度か床を叩き、辺りを静まらせた。

「アイネ・・・部屋を移動しようか。ここに立っていてもどうしようもない。」

「えぇそうね。ティア。」

レヴァンティアは咳払いをすると、茶色の髪の女性アイネとディルに向かって視線を送る。

またざわつき始めていた屋敷の者達の視線を感じつつ、レヴァンティアは歩き出した。

屋敷内には雨音が響き、外の雨が激しく降り続いている事がわかるほどである。

窓の外は薄暗く、あまり良い景色ではないが、人々の喜ぶ声が微かに聞こえてきていた。

「少しばかり話をしてから、あの胡散臭い魔族の長に連絡をしなくちゃいけないわね。」

「あら、また喧嘩でもしたの?」

静かについてくるディルを気にしつつ、レヴァンティアは面白げに声を弾ませて話し出す。

その声につられたように、アイネも含み笑いを浮かべた。

「喧嘩なんてしてないさ。貴女がいない間に色々とそう色々とあの胡散臭い阿呆の相手をするのは大変だったという意味だよ。」

「ふふっ・・・。」

大げさにため息をついたレヴァンティアに、思わずアイネは笑い出してしまう。

二人の後ろをついて行くディルは、何と言って良いものかと視線をそらしていた。

ふいにレヴァンティアが足を止め、くるりと後方を振り返る。

「ディル。お前は、その子を部屋に案内してやりなさい。」

「えっ・・・は、はい。」

指の先から小さな光の鳥を出現させたレヴァンティアは、手を動かしてその鳥を屋敷の中へと飛ばす。

少しばかり遅れて、ディルはその鳥を追いかけるようにるりを抱えて姿を消した。

ディルと鳥の姿が見えなくなったのを確かめると、レヴァンティアはアイネと共に歩き出す。

「十年は時間が経ったね。お前が・・・アイネが捕まってから・・・。」

「えぇ。ディルから聞いたわ。それに、あの子があんなに素敵な男性になったんですもの・・・時間が経っていることはわかるわ。」

長杖をゆっくりと動かしたレヴァンティアは、部屋の扉を開ける。

中の明かりが魔石に灯り、二人が部屋に入ると扉が音もなく閉じられた。

「それから、あの巫女様の卵ちゃんの事も聞いたわ。」

「まるで嵐に巻き込まれているかのようだね。あの現世のお嬢ちゃん。」

窓辺に置かれた椅子へと腰をかけ、二人は部屋の中に幾つもの魔法陣を浮かび上がらせる。

世界地図やどこかの屋敷を映した見取り図などが映し出され、それらに幾つものマークや人の姿が浮かび上がってきた。

「あの子に助けてもらったお礼は言いたいけれど、それよりも私にはやらなくてはいけない事があるみたいね。」

「お前は本当に勘が鋭いねぇ。」

「ありがとう。」

テーブルに肘をついたレヴァンティアは、少し嫌味を込めたようにアイネに言う。

凛とした青い瞳で見つめ返した彼女は、片腕を振るうと目の前に一つの魔法陣を出現させた。

ぼんやりとした映像が流れ、どこかの屋敷が映し出される。

「巫女の卵ちゃんは、私達がしばらく育てようかね。アイネはその間にあの胡散臭い阿呆の角馬鹿に話を聞いてきな。」

「どんどん言い方がきつくなるのね・・・・。」

呆れたと付け足したアイネは、目の前で映し出された屋敷の映像を動かし出す。

家の中へと映像は変わり、驚いた表情を向けてくる給仕の者達を避けて奥へと進んでゆく。

「十日もあれば大地は清められるわ。そうすれば、大抵の災いは消し飛ぶでしょうね。聖職者たちも力を取り戻すだろうし・・・。私の愛しい旦那様と王族でバケモノどもは崩壊。素晴らしい計画じゃないかい?」

「・・・そう・・・ね。」

うっとりとした表情で話しているレヴァンティアをよそに、アイネは淡々と腕を動かす。

屋敷の中にアイネが放った何かが動いているのが見えるのか、給仕の者達がそれへと手を伸ばしたり、声をかけたりしている。

しかし、アイネはそれを無視するかのように手を動かし続けた。

レヴァンティアはため息をつくと、自らの周りに集まっていた魔法陣へと長杖を向ける。

時折音を立てて魔法陣がかき消されるが、彼女はもろともせずに新しい物を浮かび上がらせていた。

部屋の中に浮かび上がった世界地図が動き、青い点が線となってだんだんと海の方へと流れてゆく。

同時に、赤いマークがうっすらと消えだし、場所によってはマークが消え去ったところもあった。

「あぁ。いたわ。」

「あら・・・。」

ぽんと手を叩いたアイネは、画面の先で驚いた表情をしている男性に微笑みかける。

その背後では、他の者達が顔をのぞかせていた。

「お久しぶりね。皆は元気かしら?」

「―えぇっ。奥様。それは家の者達は皆元気です!」

よほど男性は嬉しいのか、顔を綻ばせて何度もうなずいている。

忙しく声を発していた者達が後方で顔を覗かせ、皆同様に顔を綻ばせていた。

「―奥様。お身体は大丈夫ですか?」

「―奥様っ。直ぐにお迎えをっ!」

「―えぇいっ!うるさくて奥様のお声が聞こえないではないかっ!」

「ふふ・・・。」

「まったく、賑やかな家だこと。」

我先にとアイネへと話したいのか、画面の先では人の顔が常に動いている状態だ。

目頭に浮かんだ涙を大げさに拭いた白髪の男性に一括され、後方で騒いでいた者達がしんと静まり返る。

それでも表情は安堵と嬉しさで溢れた顔をしており、皆が同様に小声で何かを話していた。

呆れたように画面を覗き込んだレヴァンティアは、その様子を隣で静かに干渉している。

「お迎えをお願いしてもいいかしら?」

「―はい。奥様。直ぐにでも行かせて頂きます。」

「あぁ。ちょっと待ってちょうだい。」

「―レヴァンティア様?」

ふっとアイネの前に顔を出したレヴァンティアは、にんまりと笑って画面の先の人物に言う。

「迎えはお宅の長にお願いしたいんだけれど?」

「―旦那様にですか?」

「えぇ。そうよ。」

レヴァンティアの後ろで笑っているアイネは、画面の先で笑い出した男性と目があい頷く。

「―かしこまりました。旦那様に直ぐに申し伝えてまいります。」

「早く迎えに来ないと・・・角をへし折ってやると伝えてちょうだい。」

「―そ、それは困ります。直ぐに、お伝えしてまいりますね。」

苦笑いを浮かべた男性は即座に小さく頭を下げると、その場を去る。

画面の先で残された屋敷の者達と目が合い、アイネは小さく手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

轟々と音を立てて降り続いている雨を窓越しに見つめ、アリスは自室からゆっくりと出て行った。

何やら騒がしい屋敷の中を気にしつつ、入り口の方へと歩いてゆく。

何処と言って行くあてはないのだが、何故かこのところ落ち着いていられない時が多く、気が付けば外に出かけていた。

「ん・・・?」

ふいに視界を横切った人物に驚き、アリスは足を止める。

階段を駆け下りるように下って行った彼は、手に珍しい物を抱えていた。

その後ろから小走りに屋敷の者達がついて行く。

「すぐに帰れんかもしれん。家の事は任せた。」

「はい・・・旦那様。」

長い青い髪を揺らして玄関へと急ぐコーディは、いつもの雰囲気とは違い何かソワソワとしている。

いつも何を考えているか分からない程の無表情をしているが、今はどこか上の空といった感じだ。

長いマントをひるがえした彼の手を見たアリスは、思わず目を見開いた。

「お、おいっ!」

「ん・・・?」

開かれた玄関から出て行こうとした父親に、アリスは声をかけて駆け寄ってゆく。

苦々しげに振り返ったコーディは、唖然と立っている彼を見て小首をかしげる。

アリスは手を震わせながら、コーディの手を指さした。

コーディの手には、銀色の装飾と赤い宝珠が埋まった長杖が輝いている。

それは彼が所有するものではないと知っているアリスは、更に困惑した表情を彼に向けた。

「どこに・・・行くんだ?」

「・・・レヴァンティアの所だが?」

「な、なんで・・・。」

上手く言葉が発せられないアリスは、急ごうとしているコーディの手から長杖を触ろうとする。

身を引いたコーディはそのまま外へと出て行こうと足を踏み出した。

「なんでっ!母さんの物を持っていく?」

「・・・・・。」

雨にうたれながら、アリスは黒い翼を広げたコーディの背中に声を張り上げて問いかける。

少しばかり振り返ったコーディは、手に持った長杖を強く掴む。

「お前の相手をしている暇はない。・・・じっと屋敷で待っていろ。」

「っっなん・・・だよっ!」

地面を軽く蹴り上げ空へと舞いあがったコーディは、アリスに吐き捨てるように呟くとその場を去ってゆく。

アリスは小さく手を震わせ彼を追うように飛び出した。

後方で制止させる声が響くが、アリスは振り返らない。

「おいっ!親父っ!話を聞けってっ!」

「・・・・っ!」

「っくっ!」

降りしきる雨をもろともせずに飛ぶコーディに向い、アリスは声を限りに叫ぶ。

ふいに止まったコーディは、手に太刀を握るとアリスへと振りかざした。

とっさに自分の太刀で攻撃を避けたアリスは、灰色の翼をはためかせて後方へと下がるしかない。

「ついてくるな・・・」

「なんでだ・・・って聞いてるだろ・・・」

目を細めて睨みつけてきたコーディに、アリスはひるむことなく声をかける。

後方でアリスを追いかけて白髪の男性が翼をはためかせて飛んできた。

「言っただろう。先日と同じ、覚悟も何もないお前に言う必要もない。」

「・・・なんなん・・・だよっ!」

「っ坊ちゃまっ。」

怒りを露わにしたアリスは、力任せに太刀をコーディへと振るう。

しかし、その剣先は届くことは無く宙を切る。

「お前はついてくるな。・・・この先で彼女に会ったとしても、あの子に悪影響が出るだけだ。」

「・・・・。いるのか・・・。あの子も・・・。」

雨にうたれながら、アリスはコーディに静かに問う。

長杖を抱え直したコーディは、彼の問いに答えることなくその場を飛び去ってゆく。

彼の姿が見えなくなるまで見つめたアリスは、手に持った太刀を握りしめて空へと視線を移す。

音を立てて暗い森へと雨が降り続くが、その雫はほんのわずかだが温かみを帯びているように感じる。

不快な感じを与えない雨の感覚に何かを感じ取ったアリスは、不安げに後方で見つめていた白髪の男性へと振り返った。

苦笑いを浮かべ、ゆっくりとコーディが飛び去った方向とは真逆へと移動してゆく。

「・・・親父には勝てねぇな・・・。」

「・・・。」

大きなため息をついたアリスに、男性は微笑み返した。

「奥様がお戻りになられます。・・・それまでに奥様をお迎えする準備を皆で進めましょう。」

「・・・そう・・・か・・・。そう・・・だな。」

男性の言葉を聞いたアリスは、静かに微笑むと共だって屋敷の方へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

目を覚ましたるりは、ディルに意識を失った後の話を聞き足を急がせていた。

屋敷の者達に道を聞きながら、広い廊下を歩き続ける。

任務を終えたというディルは簡単にるりにあいさつをすると、この屋敷を去って行った。

自分の族長に今回の話を幾つか報告せねばならないという。

アリスも元気にしている。という話をきいたるりは、少しばかり心が穏やかになったような気がしていた。

「あぁ!るりっ!」

「っ、ジェシカちゃん。」

足早に廊下を歩いていると、前方から弾んだ声でジェシカが駆け寄ってきた。

後方ではハージェントとランゼフの姿もある。

少しばかり、ランゼフの表情が暗くなっているようにも感じた。

「もう、心配したんだよ。でも、よかった。ディルのお兄さんからお話も聞いたから、安心したっ!」

「心配かけてごめんね。」

「身体は大丈夫なのか?」

「は、はい。」

るりに抱き着いたジェシカは、顔を綻ばせて話し出す。

ハージェントへと視線を移せば、彼も同じように穏やかな表情を浮かべていた。

しかし、ランゼフは何も言わず別の方へと視線を向けている。

ジェシカはるりの耳元に手を持ってゆくと、一言つぶやいた。

「ランちゃん。るりを守れなかったってずっとこうなの。」

「そう・・・なんだ。」

るりとジェシカの視線に気が付いたのか、ランゼフは目を泳がせながらも言葉を発しようとする。

だが、うまく何か言えないようで直ぐに視線をそらしてしまった。

「ランちゃん。また、心配かけてごめんね。」

「っ・・・るり。」

静かにランゼフの頭を撫でたるりに、ランゼフは目を見開く。

何度も首を左右に振った彼女は、何をいう訳でもなくるりの服にすがるように抱き着いた。

「ボク・・・また・・・るりを守れなかった。」

「そんなことないよ。大丈夫。心配してくれてありがとう。」

「う・・・ん・・・。」

声を震わせて呟いたランゼフに、るりは穏やかに微笑んだ。

ハージェントとジェシカは、お互いに顔を見合わせて二人を静かに見守っている。

「あっ。いたいた。」

「・・・?」

ふいにジェシカ達の後方から聞きなれない声が響き、るりはそちらへと視線を移す。

そこにはアルスとグレイの二人と共に歩み寄ってくる女性の姿が見えた。

茶色の髪を揺らし、丸眼鏡をかけた彼女は、るりを見つけると小走りに駆け寄ってくる。

穏やかな表情を浮かべた彼女は、るりの目の前に佇むと、そっと手を差し伸べてきた。

ランゼフは顔を赤くして、るりの後ろに隠れる。

「ありがとう。あなたがるりちゃんね。」

「あっ・・・み、ミチルさん?」

「えぇ。そうよ。私はミチル。」

差し伸べられた手を握り、るりはおどおどと彼女にあいさつをする。

最後に見た弱弱しい彼女の姿とは打って変わった明るい表情を浮かべたミチルに、るりは瞬きを何度もしてしまった。

「色々とあったみたいだけれど、るりちゃんも無事に帰ってこれたみたいでよかったわ。」

「身体の方はもう大丈夫なのか?」

「は。はい。」

にっこりとほほ笑んだアルスに、るりは小さく頷く。

隣ではあくびをしているグレイの顔が見え、どうやら彼がまだ本調子ではないとるりは悟った。

「兄さん達から話は一通り聞いたわ。外の雨の事も・・・ね。」

「外の雨?」

るりの視線が動き、ミチルが指さす方へと身体を向ける。

窓の外では音を立てて雨が降りしきり、その先では屋敷の者が屋根下から空を見上げている姿があった。

どうといって変わった様子はないが、空を見上げている人たちの表情は明るい。

不思議そうにミチルへと顔を向けたるりに、彼女は手招くように中庭へと続く扉へと進んでゆく。

鍵を開け、普段は開け放たれている扉を少しだけ解放すると、ミチルはるりと共に外に出た。

石畳の床に雨があたり、雫が辺りに飛び散っている。

「この雨、全てが聖水なの。」

「えっ。」

見ていて。と付け足したミチルは、驚いた顔をしたるりの横で、そっと手を広げた。

指の先から光を帯びた蝶が飛び去り、降りしきる雨の中をもろともせずにそれらは飛び去ってゆく。

光を帯びた蝶に雨が当たると、雫は蝶と同じ光を帯びて辺りをぼんやりと明るく照らした。

「私が使った魔法は属性が光と聖。同一の力を秘めたこの雨に当たる事で、更に力が強まったの。」

「逆にこの中で暗黒や邪の属性を持つ魔力を放てば、一瞬で消え去るはずだ。」

「・・・・。」

ミチルの言葉に付け足す様にアルスが後方で呟く。

「この地域は魔道士や聖職者たちの力、そして竜たちの力で守られていたから、土地があまり枯れ果てていないけれど、場所によっては砂漠化してしまった所もあるわ。」

「確か・・・前巫女のせいで・・・でしたよね?」

「えぇ、その通りよ。」

廊下へと戻ってきたミチルはゆっくりと中庭に続く扉を閉じると、目を細めて話し出す。

彼女が放った光をまとった蝶は、空高く飛び去って行った。

しっかりと扉を施錠したミチルは、廊下の壁に掲げられた絵画へと歩いてゆくとるりへと振り返る。

「前巫女が、この世界を自分勝手に作り替えようとしたせいで、世界は天変地異に見舞われ、生活に必要な水や食物は枯れ荒れてしまったわ。土を耕しても出てくるのは邪気を含んだ毒の霧・・・土地は痩せこけ、人々は得体のしれないバケモノ達に脅える日々。」

「女神は憤怒し、王族やそれに従う者達で前巫女と主帝を撃ち滅ぼしたが、世界にまき散らされた憎悪や悪意は未だ消えず。・・・結果として、君たちも何度か会っている前巫女の一派が残党として出現。」

ミチルの立っている場所に掲げられた絵画には、るりが前に雪の自宅で見た本の中身にあった物に似ていた。

女神を模した天使が空を舞い、その下では多くの人が祝福を受けているように見える。

「黒と白の女神は王族や皇帝と再び手を取り、早いうちから行動に映っているけれど、何故かそれらはうまくいかない事ばかり。バケモノは増え続け、黒の女神に選抜された巫女の卵は皆・・・滅ぼされてしまった。」

「ミチルさんが・・・最後のお一人だったんです・・・よね?」

おずおずと口を開いたるりに、ミチルはしっかりとうなずく。

目を細めていた彼女は、口元を緩め穏やかに微笑んだ。

「でも。るりちゃんや兄さん・・・それからジェシカちゃん達のおかげで、私はこうやって生きて帰ってこれた。これって、敵からすれば、かなりの大誤算だと思うの。」

「敵はミチルの力を使って何かをしようとしていた。それらも全てお嬢ちゃんに破壊されたことによりかなりの痛手を負っただろうさ。」

「ありがとう。るりちゃん。改めてお礼を言わせて。ね。」

「・・・・。」

穏やかに微笑むミチルやアルスたちを交互に見て、るりは少しばかり頬を赤くする。

成り行きで色々とここまで来たところはあるが、それでも人に感謝を心から言われると、なんとも言いなれない幸福感が身体を満たす。

「・・・こんなこと言うのは変かもしれないですけど。・・・私、皆の役に立ったんだな・・・って凄く嬉しいです。」

「役に立っているどころか。世界から感謝されるべきことを貴女は知らずと行っているの。もっと、胸を張って堂々としていいのよ。」

「え・・・。」

るりの肩を両手で叩いたミチルは、そのまま彼女の手を握りしめる。

「貴女が降らせたこの雨は聖水。枯れた大地を甦らせ、はびこるバケモノを破壊する希望の雫。世界中が飢えや恐怖から解放されるのよ。」

「そ。そんな・・・っ」

「それだけの事を、お前はやっているのよ?」

「っ!」

ふいに背後から気配を感じると、いつの間にかそこにはレヴァンティアが佇んでいた。

ほんの一瞬で気配を現した彼女に、ハージェントやジェシカも目を丸くしているのがるりの視界に入る。

「お母様。普通に登場した方が・・・皆が驚かないのに。」

「少し急いで客人を招くことになったの。だから、玄関に急いでいるの。仕方ないと思ってちょうだい。」

黒く長いつばの帽子を揺らし、その下でレヴァンティアは意味深に微笑むと自分の後ろへと視線を向ける。

彼女の視線が見つめる先へと皆が顔を向けると、そこには一人の女性が微笑みながらるり達を見ていた。

彼女は茶色の髪を揺らし、青い瞳でるりをじっと見つめている。

「あぁ、紹介が先ね。えぇ・・・彼女は私の親友。アイネ。貴女が先の祭壇の一件で助けたもう一人の被害者よ。」

「もう一人の被害者?」

「そう。」

るりの方へと歩み寄ったアイネは、きょとんとした表情をした彼女を見つめて小さく微笑む。

「彼女は前巫女から忌々しい呪いを何重にも受けて、地下深くの海底にバケモノとして姿を変えられていた。」

「貴女が私を捕らえられていた場所の呪いを解放した事により、私も水の魔石と共に呪いから逃れることができたの。」

「・・・・私が・・・?」

信じられないと言わんばかりにるりは顔を横に振るが、アイネは穏やかな表情ながらも、しっかりと彼女の目を見つめた。

その深い青い瞳に見つめられたるりは、自然と否定する言葉を無くしてゆく。

「るりちゃん自身が思っている以上に・・・貴女の力は本当に強力で人々を救う事が出来るの。ありがとう。」

「あっ・・・。」

「小さなお姫様・・・」

「っっ!」

アイネに抱き寄せられたるりは、彼女が耳元で呟いた言葉に目を見開く。

忘れかけていた事が頭の中を駆け巡り、息をするのがやっとな程の重い空気が身体を埋め尽くし出した。

恐怖でもなく、言葉にならない重い空気は、小さな悲鳴の様な声によって和らぐこともない。

「・・・アリスさん・・・の・・・・お母さん・・・?」

「あらっ」

「・・・おや。」

目を見開いたまま本当に小さな声で呟いたるりに、アイネは嬉しそうに彼女から少し離れる。

自分が発した言葉だというのに、確信もなく漏れた言葉に驚いたるりは、どうしてよい物かと手で口元を覆った。

二人のやり取りが聞こえていないランゼフやジェシカ達は、互いの顔を見合わせ小首をかしげるしかない。

「ティア!やっぱり、大当たり。この子だわ。」

「おやおや。それは良い事で・・・。」

子供のようにはしゃぎだしたアイネに、レヴァンティアは大きなため息をついて苦笑いを浮かべる。

「ほら、前に話したでしょう?アリスが小さい時に、現世の女の子が迷子で来ちゃったって話。」

「あぁっ!お、おじ様が怖かったのか泣いちゃったっていう・・・って。えぇぇ?」

「えぇぇぇっっ!」

声を弾ませてミチルやアルス達に声をかけたアイネに、彼女たちは同時に悲鳴のような驚いた声をあげる。

ウソだろ。と呟いたグレイはレヴァンティアへと顔を向けるが、彼のその表情を否定するように、彼女は首を横に振った。

頭が追い付かないるりだったが、アイネの言葉を聞いた瞬間、ぴくりと身体が震えるような感覚を覚えた。

「確かに。あんた達魔族の族長の屋敷に、るりは迷い込んだ事があるよ。」

「あらあら・・・。?・・・あなたは?」

ぽつりと言葉を発したランゼフに、今度はアイネが小首をかしげる。

「ボクは監視者のランゼフ。」

「まぁ!こんなに可愛らしい監視者ちゃんがいるのねっ!」

「っっ?」

ふっと笑ったアイネは、ランゼフが動くよりも早く彼女の手を握る。

子供のようにコロコロと表情を変えるアイネに、るりは唖然と彼女を目の先で追うしかない。

瞬きを何度もしてアイネをぎょっと見つめるランゼフだが、アイネはお構いなしで何度も握った手をユラユラと揺らした。

「お前はちっとも変わらないわね。・・・ほら、今は長居をしている場合じゃないでしょう?」

「えぇ。そうだったわ。ティア!」

ふいにランゼフの手を離したアイネは、ランゼフの頭を軽く撫でてレヴァンティアの方へと歩いてゆく。

ミチルやアルスたちは小声で何やら賑やかに話をしており、彼女たちの方へと視線は向けられていない。

「運命というものかしら。それとも、貴女が我が家に来た時から、何かが始まっていた・・・と思ってもいいのかもしれないわね。」

「私が・・・。」

るりへと柔らかに微笑んだアイネは、何を答える訳でもなくるりの手を取ってつぶやく。

色々な事が短時間で頭へと流れ込んできたるりは、アイネの言葉も半端聞き流してしまう程に、頭が混乱している。

先を急ぐように歩き出したレヴァンティアが振り返り、賑やかく話をしている息子たちへと視線を向けた。

「アルス。お前達は先に応接間に竜族や異界人をお連れしなさい。」

「っえ。あぁ!」

「私はこれから呼んでも呼びたくない客人を出迎えに行ってやるから。先にお前達は行きなさい。」

「わ、わかった。」

棘のある言い方をしたレヴァンティアに、アルスはこれから来るであろう客人を予想し、苦笑気味に答えた。

横ではミチルが小さく笑い、ジェシカやハージェント達に声をかけ歩き出す。

「この子はちょっとお借りしてゆくわね。あの人にもちゃぁんとお話しないといけないから。」

「えっ!あ、あの・・・」

るりの背中を押す様に歩き出したアイネは、彼女に撫でられた頭を何度も触っているランゼフを面白そうに見つめる。

アイネの視線に気が付いたランゼフは、遅れてるりの方へと駆け寄ろうとしたが足が止まってしまう。

「・・・?」

来るなと言わんばかりの鋭い表情をレヴァンティアがしている事に気が付き、ランゼフはそれ以上足が動かない。

後ろ髪を引かれるようにるりから視線を逸らしたランゼフは、賑やかに逆方向へと歩き出したジェシカ達を追って行った。

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