重々しい音を立てて門が開場され、その中に二人の人物が入ってゆく。
「すまないな。外で出迎えてもらって。」
「そうでもないさ。僕も家の中では居場所が無いから、ここで君を待つ役目の方が良かったんだ。」
重厚な装飾が施された長杖を掲げ、茶色の髪を短く切りそろえた男性が微笑んで彼を出迎える。
漆黒のマントをひるがえし門へと降り立ったコーディは、軽くマントを揺らし魔法で衣服を乾かす。
傘代わりに上空では魔法陣が揺れ動き、その下を二人は歩き出した。
柔らかな表情を湛えた男性は、眼鏡の下でちらりとコーディを見る。
何を考えているかは分からないが、彼が少しばかり落ち着きがないのを感じ取った。
「何年たっただろうか。あれから・・・。」
「かれこれ、十年は経っているだろうな。」
「そうか・・・。」
背後で音を立てて門が閉められると同時に、眼の先に屋敷へと続く入り口が近づいてくる。
音を立てて降り続く雨のせいか、頭上で輝く魔法陣が煌々と光っていた。
「エルダの話では、邪気や毒の霧は一週間もすれば消えるだろうと、王族は予想を立てたそうだよ。」
「あの阿呆は、どういう計算をしているのだろうな?」
「さぁ?僕は魔道士だから、聖職者のお堅い考えは分からないよ。」
小ばかにしたような言い方をしたコーディに、思わず眼鏡をかけた男性は声をあげて笑い出してしまう。
それが悪意で言った事ではないと知っている彼にとって、ジョーク気味に言ったコーディの一言に、腹の底から笑いが生まれてしまっている。
「呪いを破壊したのがこの地域だからね。一番近いこの領域では、ものの数十分でバケモノも邪気も消えたよ。」
「・・・すさまじい力なものだな。」
屋敷の玄関先に到着した二人は、屋根下からどちらと言う訳でもなく空を見上げる。
「だからこそ。僕達が守ってあげないとね。」
「・・・前巫女の残党に勝てる唯一の存在なのだからな。・・・絶対に死守せねばならん。」
「ごもっともなご意見だよ。コーディ。」
軽く玄関を長杖で叩いた男性に合わせて、軽い音をたてて入口の扉がゆっくりと開いてゆく。
辺りはだんだんと夕暮れに差し掛かり、照明代わりの魔石が家の者達によって明かりが灯されだしていた。
「彼女を交えてちゃんと話をしたいが。それは後程。」
「・・・。」
玄関先に佇んでいた女性と目が合い、コーディは何をいう訳でもなく彼女の方へと歩み寄って行った。
――
床を長杖で思い切りたたいたレヴァンティアに、るりはピクリと肩を震わせた。
怒っている訳ではないようだが、目の前に現れた人物と睨みあっているようにも感じている。
「遅いお越しで。」
「これでも、急いできたんだがな。」
「まぁまぁ・・・二人とも。」
コーディとレヴァンティアの間で苦笑いを浮かべた男性は、助けてくれと言わんばかりにるり達の方へと視線を送っている。
「二人ともね。幼馴染だから。顔を合わせるとすぐにこうなの。」
「・・・仲が・・・本当はいいんですか?」
「ふふ・・・面白い事を言うわね。るりちゃん。」
アイネがるりの耳元で呟くと、るりは何食わぬ顔でアイネに同じように小声で返事をする。
るりの言葉に肩を震わせて笑ったアイネは、咳払いをした。
「お二人とも。私をお忘れにならないで?」
「忘れているもんですか。この阿呆に説教をしていただけだよ。」
「・・・。」
不機嫌そうな表情を浮かべたコーディの角を、レヴァンティアが長杖で音が鳴るほどに叩いている。
それを止めようと眼鏡をかけた男性が間で動き回るが、絶妙な位置で腕を振るうレヴァンティアは止まらない。
軽く長杖を払いのけたコーディは、レヴァンティアの子供じみた攻撃をうまくかわしてアイネの方へと歩み寄る。
るりは何故かその場を後退し、二人の間から少し離れた。
どうしてここに一人だけ連れてこられたのかは分からないが、振り返ってランゼフ達の方へと走ってゆく気には今はなれない。
「身体は大丈夫か?」
「えぇ。どこも変わった事は無いわ。・・・家の人達は皆元気?」
「あぁ。皆、変わらずだ。」
どちらと言う訳でもなく微笑んだ二人を見て、るりは瞬きをしてしまう。
外見が親子だという事もあり、微笑んだコーディの顔はとてもアリスに似ている。
今度また会った際に、アリスに父親似だ。ということをふいに伝えたくなってしまった。
「礼を言わせてくれ。小さな巫女様。」
「えっ!」
「君のおかげで妻は助かった。・・・ありがとう。」
「っそ、そんなっあ、あの・・・!」
漆黒のマントをひるがえし、突然片膝を目の前でついたコーディに、るりは困惑してしまう。
まるでこの屋敷で初めてアルスと会った時と同じ感覚である。
このような状況は二度目だと思っても、それでも慣れない。
「パパ。ダメよ。現世の子はこういう事に慣れていないのだから。」
「・・・パパ。」
「・・・パパ・・・。」
アイネの言葉を背中で繰り返したレヴァンティアの声に弾かれたように、コーディは勢いよく立ち上がり、後ろで笑っているレヴァンティアを一瞬だけ睨みつける。
最初に会った時とは打って変わったような彼の表情の変化に、るりは更に困惑した。
「・・・アイネ。さすがに身内とはいえ、お嬢さんにいらぬ誤解をされても困る。・・・その呼び方は家の中だけにしてくれ。」
「あら。そう?なんだか久しぶりで良いと思ってしまったわ。ごめんなさい。」
大きく咳払いをしたコーディに、アイネはクスクスと笑う。
ふっとその表情が変わり、彼女はコーディたちが入ってきた扉の方へと視線を向けた。
しかし、そこには人影はない。
「アリスなら屋敷に置いてきた。・・・その事も、アイネに話をしなくてはならんだろう。」
「まぁ・・・残念だわ。・・・でも、えぇ・・・コーディがあの子を連れてこなかった理由はわかるわ。」
「・・・そうか。」
「え・・・あ、あの・・・?」
少しばかりがっかりしたような表情をコーディに向けたアイネだったが、慌てふためいたままのるりへと視線を向け、彼女は首を横に振った。
「・・・夫婦そろって、勘の鋭いもんだわね。」
レヴァンティアが二人に近寄り、ため息をつく。
「おいおい。僕をそのままにしておかないでくれないか?」
「忘れていた訳じゃないわ。キノト。」
何を言えば良いのかとるりが視線を泳がせた先で、茶色の髪をかき上げた男性キノトが彼女の方へと歩み寄ってくる。
穏やかな表情を浮かべたキノトは、眼鏡の中で目を細めて微笑んだ。
「娘を助けてくれてありがとう。僕はミチルとアルス・・・それからグレイの父、キノト。よろしくね。えっと・・・。」
「あ。る、るりといいます。えっと、よ、よろしくお願いします。」
「うん。明るく年相応の良い返事だ。よろしくね。るりちゃん。」
性格が穏やかだと分かるほどに、キノトの声や仕草はほんわかとした印象をるりは受けた。
眼鏡の中で柔らかに微笑んだ彼を見ると、不安な事も忘れそうである。
と、不意に自分の両親の顔が脳裏に浮かびあがり、ぞわりとした感覚が身体を駆け巡ってしまう。
「(そういえば・・・お父さん、お母さん・・・お姉ちゃんは・・・)」
レヴァンティアに声をかけられ後方へと戻って行ったキノトを見つめながら、るりは一人ぼんやりと家族の事を思い出す。
「(こっちに来る事だって言っていないし・・・今の状況だって・・・そういえば・・・こういう事になった事だって・・・)」
「・・・るりちゃん?」
「っ!」
震えだした手を押さえたるりは、ふいに視界の先でアイネの顔が見え目を見開く。
不安げな表情を向けてきたるりに気が付いたアイネは、眼を少しだけ細めて彼女を見た。
「お家の事・・・心配なんでしょう?」
「え・・・。」
「レヴァンティアに聞いたわ。成り行きで此処まで来てしまった。という事も多いのでしょう?」
「そ、それは・・・」
柔らかな笑みを浮かべたアイネに、るりは急に目頭を熱くさせてしまう。
家族の事を思い出してしまった自分自身が悪いのだが、流れるように動いていた事が一旦止まった事により、思い出さないようにしていた事が幾つも頭の中をよぎってしまった。
「大丈夫。一つずつ私達と解決してゆきましょう。」
「っ・・・」
柔らかな腕に包まれ、るりはアイネに抱き寄せられる。
「貴女が小さな頃、我が家に迷い込んできてしまったあの日から、私達は何処かでこうなってしまうのではないかと・・・思っていたの。」
頭を抱えられ、子供をあやす様に背中を撫でられると、自然とるりの目から涙があふれてしまう。
「私達にだって責任はあるわ。ねぇ?」
「・・・。」
アイネは穏やかな顔で、隣で何をいう訳でもなく寄り添うコーディへと視線を向ける。
三人の様子を見ていたレヴァンティアは、キノトと何やら目くばせをすると、先に屋敷の奥へと進んでゆく。
落ち着いたら来いと言う事だろう。
「私達の息子が、現世の貴女を屋敷に招いてしまった。でも、それは偶然ではなく必然的にそうするしかなかったの。」
「あの場は既に安全な場所ではなかった。それをあの馬鹿息子は未熟ながらもわかっていたのだ。」
「え・・・。」
アイネとコーディの言葉を聞き、るりは涙をぬぐいながらも二人の言葉をじっと聞き続ける。
ゆっくりとアイネの腕から離れたるりは、二人の顔を交互に見つめた。
「貴女があの森に迷い込んだ時、すでに世界は混沌に満ちていた。・・・巫女の力が横暴なモノになり、取り返しのつかない所まで来てしまっていたの。」
「君をこちらの世界に引っ張り込んだモノは、現世のニンゲンを糧にしようとしていた禍々しい者達。馬鹿息子にも言ってはいない事だ。」
「・・・。」
るりが落ち着きを取り戻したのを見て、アイネは彼女の頭をゆっくりと撫でる。
穏やかに微笑んでいたアイネだったが、コーディと顔を見合わせると、少しばかり表情を鋭くさせた。
「アリスはね。貴女を屋敷に招いたのではなく、るりちゃんを禍々しい者達から守るために逃げて帰ってきたの。」
「それによって、自分が・・・呪いを肩代わりした事を知らずに。」
「の。呪い?」
るりの困惑した言葉に頷いたコーディは、周りに他人が居ない事を確かめて更に続ける。
「発症はまだしていないが、前主帝に関わる何らかの呪いを受けたのは確かだ。・・・アリス自身も気が付いているようだが・・・な。」
「私を、守るためにアリスさんが・・・」
家族を思って不安を帯びていた感情が、コーディとアイネの言葉で別の感情へとるりは変貌してゆく。
曖昧な言葉とはいえ、彼らが言おうとしている事が妙に怖くなり、思わず耳をふさぎたくなるほどである。
「前巫女達は、自分たちの命が残りが少ないと分かっていたのだろう。そして忌々しい程に、こうなる事を想定していた。」
「つまり、自分たちが一度倒されても復活すると・・・ね。」
「・・・。」
「そのためには憑代が欲しい。それを品定めするために、現世のニンゲンでさえも手当たり次第試そうとしたのだろうな。」
震えあがった手を抑え込み、るりはアイネとコーディの顔を交互に見る。
二人とも不安げに彼女をじっと見つめ返していた。
「白の女神が君を選んだのは、お嬢さんが幼いころにこちらの世界であのような事件に巻き込まれた・・・という要因があるのかもしれない。」
「まぁ。彼女が本当にどういった理由で決めたのかは、私達では億足しか考えられないけれど、ね。」
行きましょう。と付け足したアイネは、ただ佇むしかないるりの背中を押して無理やりにでも足を動かそうとする。
半端彼女に押されるように、るりはゆっくりと足を動かす。
「私のせいで・・・アリスさんは・・・」
「・・・大丈夫よ。あの子は貴女を恨んでもいなければ、憎んでもいないから・・・むしろ・・・。」
「・・・?・・・」
不安げに振り返り、るりはアイネの顔を見上げる。
何故かアイネは小さく肩を振るわせ笑い、今までの話とは打って変わった表情を浮かべていた。
アイネが何故そのような顔をしているのか、コーディは分かっているのか彼は大きなため息をつく。
可笑しそうに笑ったアイネは、るりの耳元へと顔を近づかせる。
「あの子ね・・・ずーっと、貴女に会いたがっていたの。あの現世の子が心配だから!心配だからーって駄々をこねていたわ。」
「えっ・・・。」
弾かれたように振り返ったるりに、更にアイネは可笑しそうに笑う。
「現世に行きたいって駄々をこねてね。お父様や家の者達に何度もくぎを刺されて怒られたのに、貴女を返した場所に何度も行こうとしたわ。」
「聖職者の領域だからな・・・あの場所は。・・・・こちらも何度肝を冷やされたか・・・」
「・・・。」
片腕で頭を抱えたコーディを見て、アイネは微笑む。
今までの話をまるでるりから忘れさせたいかのようにアイネは続ける。
「よっぽど貴女が気になったんでしょうね。黒髪の女の子だなんて、この世界では珍しいもの。それに、可愛い可愛いって何度も貴女に言っていたの・・・・好みだったのかしらね。」
「っ・・・。」
急に顔が熱くなり、るりは息を飲む。
「あの子、言っていたわ。・・・小さなお姫様って。るりちゃんの事を、何度も小さなお姫様・・・僕のお姫様って。」
「っえっ・・・。」
顔を真っ赤にして目を泳がせたるりに、アイネは心底可笑しそうに笑いだす。
誰に似たのかしら。とコーディへとアイネは顔を向けるが、彼は無表情のままに視線を逸らした。
少しばかりだが、眼が彼も泳いでいるように感じられる。
るりはコーディの方へと視線を向けようとしたが、彼の長い青い髪が視界に入ると、何故かそちらを見ることができない。
目の前にいるのはコーディであるが、どうしても頭の中ではアリスの事が思い出されてしまう。
「・・・今のあの子がどう思っているのかは、アリスじゃないと分からないけれど。・・・でも、コーディやレヴァンティアの話を聞いていると自然とわかってしまったわ。・・・あの子はね・・・」
「・・・?」
歩く先に開け放たれた部屋の入り口が見え、アイネは咳払いをする。
二人の先へと歩み出たコーディは、何も言わずに部屋へと入ってゆく。
足を止めたアイネに合わせ、るりは彼女と向かい合うように立つ。
柔らかな笑みを湛えたアイネは、彼女の頭をゆっくりと撫でた。
「いいえ・・・。これは本人から言わせないと駄目ね。・・・ふふ。」
面白おかしそうにアイネは微笑むと、るりの手を握る。
「大丈夫よ。私もパパも、レヴァンティアもミチルちゃん達もるりちゃんの味方だわ。この先も何があっても、大丈夫。」
「・・・。」
「アリスだって・・・貴女の味方だわ。」
まだ熱い頬を気にしつつ、るりは言葉もなく頷く。
返事をするように頷き返したアイネに招かれるように、るりはアイネに手を引かれて部屋の中へと足を踏み入れる。
「あっ。るりっ!」
嬉しそうな声をあげ、ジェシカがソファから立ち上がってるりの方へと駆け寄ってくる。
るりから手を離したアイネは、手をひらひらと振ると、コーディの方へと歩いてゆく。
ジェシカに抱き着かれたるりは、視線の先で集まっていた者達をぐるりと見回した。
「みんな待ってたのよ。・・・あとね、なんかランちゃんの知り合いの人が来ているのっ!」
「えっ?」
ジェシカに手を引かれて部屋の中を進んだるりは、ランゼフと話をしている人物へと近寄る。
茶色の髪を揺らした彼女は、満面の笑みでるりの方へと振り返った。
「ヒーリカさんっ!」
「久しぶりね。どう?」
「えっと・・・色々と・・・大変というか。」
「まぁ。そうでしょうね。」
はきはきとした声で話すヒーリカに、何故かるりは懐かしさを感じ自然と笑みが浮かびだす。
ヒーリカは、応接間の扉が閉じられた事を確認すると、向きを変えて部屋の中を見回した。
「さぁ。始めましょうか。・・・現状を御集りの方たちに話さないとね。」
勢いよく周りにコンソールとモニタを出現させたヒーリカは、るりやジェシカ達がソファに座るのを待つ。
るりはジェシカの隣に腰を降ろすと、ヒーリカに頷いた。
――
空に現れた漆黒が消えてから数日が経ち、桜丘市の復旧も十分とは言えないが進み始めていた。
バケモノ達の目撃情報も警察に届くこともごくわずかとなり、現場に警官が到着するよりも早く、何者かが事を収めてくれている。
「上の者が言うには、四台家系の・・・川西家を除いた三家が事を収めてくれているって話だ。」
「そうですか・・・。」
すっかり先日の事などなかったかのように日常業務をこなすことになった優志は、司と共に市内を歩いていた。
被害の大きかった桜丘第一中学の修繕が始まり、現場の状況を視察した二人は、次に被害が大きかったオフィスビル街へと向かっている。
「学校の方も、思った以上に早く再開できそうだ。娘が他校は教室の配置が違って分かりにくいって嘆いてたからなぁ・・・」
「早く、復旧するといいですね。」
「あぁ。」
優志は上空を見上げ、真っ青な空を目を細めて見つめる。
あの日から数日たったとはいえ、未だに夢のような状況だと思ってしまう自分に何度か嫌気も差してきた。
他の市町村や国への報告は難を見せてはいるが、うまい具合に作られた資料が多く、大げさな出来事にはならないだろうと優志自身は思っている。
署内でも同様の意見が多く、あの事件の事すら薄れている者達も少なくないように感じた。
とはいえ、パラパラと浮き彫りになってきた事は多く、後処理はまだまだ続きそうである。
「そういえば・・・その・・・別の世界とかに行ったあの子は・・・」
「あぁ・・・それか。」
人通りが少なくなったことを確かめてから、優志は司の背中に向かってぽつりと呟く。
目の前の信号が赤に変わり、二人は並んで佇んだ。
「娘が言うには、関係者からは心配いらない・・・としか言われてないみたいだ。・・・そのへんの情報に関しては、かなり秘密事項らしい。」
「・・・川西家の捜査も同様でしたよね?」
「同じくらいのレベルなんだろうさ。」
あの事件に関して、逮捕者は一件しか出ていない
。
マスコミにも公表されていないが、四大家系などと言う大それた存在だというにも関わらず、川西家という家が今もなお取調べが進んでいた。
「先日も川西家に家宅捜索が入ったが、家の中は人の姿も無ければ出入りがあった痕跡もないらしい。」
「自分の家の当主が留置されているのに・・・?」
「逃げたのでは・・・という意見と・・・あるいは・・・」
司が喋りかけた瞬間、信号が青へと変わり反対側から人の波が押し寄せてくる。
二人はどちらと言う訳でもなく会話を切り、その人ごみの中を進む。
横断歩道を渡り終え、オフィス街の入口へと差し掛かると、平日のビル街はとても静まり返っていた。
所々で窓が開き、中から活気のある声が聞こえてくるが、平日の昼前を歩く人はとても少ない。
「・・・家の者があの事件の後に拉致されたのではないか。という意見もある。」
「っっ?」
ぽつりと言葉を発した司に、優志は目を見開く。
このご時世で、更にこの国で拉致とは?と疑問が浮かび上がるが、今回の一件ではありえない事件や案件も数多く経験している。
まさか。という事もないだろう。
「川西家の当主は、未だに訳の分からない供述をしているそうだ。あっちの世界に詳しい奴らでも不明確すぎる事を言っている。とはいえ、紐解けば敵さんとやらに密に連絡を取り合っていたのは確信が付いている。・・・とこの前の報告会で言っていた。」
「なんだか、歯切れの悪い案件になりつつありますね。」
「全くだ。」
道路の片側で行われていた工事を横目で見つつ、二人は一つのビルへと進む。
桜丘出版社と書かれた大きなビルに二人は到着した。
「先日来たばかりだが、なんだか初めて来たような感じだな。」
「雰囲気が・・・違いますからね。」
優志はこの場で起こった出来事を不意に思いだし、屋上がある方へと視線を上げる。
まるで映画のような、白昼夢を見ているような感覚だったが、その後の処理で何度もこの場に来た時には、決まって嫌悪感さえも覚えた。
気味の悪いバケモノ達の声が耳にこびりつき、それに対抗する力がない自分を未だに悔やんでいる。
「今日は復旧の進み具合と、あれから変わったことが無いか。そういう話だけで済ませるつもりだ。」
真新しいガラスの入り口をくぐり、司はビルの案内所の方へと進む。
彼が受付を済ませている間、優志はフロアをぐるりと見回す事にした。
バリケードのように積みあがっていた椅子や机は元通りになり、それらに使われていたであろう机や椅子には、商談を進めている者達の姿が見えた。
行き交う人々には不安な表情も見えず、皆、あの時の事など話をしている者はいない。
「優志。行くぞ。なんでも俺たちに話を聞いてほしい人がいるらしい。」
「え。あ、はい!」
受付カウンタから不意に声をかけられ、優志は急ぎ足で司のほうへと歩み寄ってゆく。
出口へと歩いてゆく人とすれ違いながら、受付の女性と何やら話をし続けている司へと視線を移す。
「・・・っ。」
「あ。すみません。」
急ごうと足を踏み込んだ瞬間、不意に肩が道行く者と当たり、優志は足を止めてそちらへと軽く頭を下げた。
「・・・。」
「・・・・。」
ふっと視線を上げると、そこには一人の女性が立っていた。
長い髪をかき上げた女性は真っ赤な口紅の塗られた口元を少しだけ上げると微笑む。
よく見ると瞳の色が日本人とは異なり、思わず優志は言葉が通じなかったか?とどきりとした。
彼女はうっすらと長い髪に銀色の髪の毛が混ざり、派手な赤いスーツを着込んでいる。
「(困ったぞ・・・英語なんて・・・喋れないし・・・)」
どうしたものかと口元を震わせた優志は、おもむろに頭をかくしかない。
しかし、優志が何か喋ろうとするよりも早く女性が口を開く。
「大丈夫よ。・・・気にしないでちょうだい?
」
「あ・・・。はい。」
ふっと笑った女性から発せられた言葉が聞きなれた言語だとわかり、優志は魔の抜けた返事をしてしまった。
「私もちょっとよそ見をしていたから。」
「いえ。こちらこそ、本当にすみません。」
「いいのよ。」
クスクスと笑った女性の態度が、やはり自分と同じ人種とは違った感じを漂わせており、優志は少しばかり緊張してしまう。
仕事がら女性とも話はしない訳ではないが、いつも見慣れた者達ばかりで、街でしかもこのような場所で話をすることなどほぼ無いに等しい。
一向に来ない優志を見かねたのか、司が二人の方へと歩いてきた。
「どうしたんだ?」
「あ。よそ見をして、ぶつかってしまったので。」
「そうだったのか。いや、部下がすみません。」
「いいのよ。ふふ。私、気にしてないから。」
真っ赤な口を緩めた女性は、クスクスと笑う。
切れ長の目が少しばかり細くなると、女性は手に持ったハンドバッグをおもむろに開ける。
真っ白な手が鞄の中を動き、何かを探し出した。
くすりと笑った彼女は、バッグの中から一つの紙を取り出し指先でつまむと、ひらひらと何度か揺らす。
「ねぇ。お兄さん達、私・・・ちょっと、こういう子を探していて・・・」
「人探しですか?えぇっと・・・」
彼女は赤い口を皿にひしゃげて笑みを浮かべると、二人の目の前にそれを突きだす様に見せた。
それは一人の人物が映し出された写真だった。
「っ・・・・・・。」
「この子、知らない?」
含み笑いを浮かべた女性とは裏腹に、優志は背中に気味の悪い物を見たように凍りつく感覚を覚える。
思わず声に出しそうになってしまうが、何も知らないと言わんばかりに優志は司へと顔を向けた。
見れば、彼は小首をかしげている。
「いやぁ。すみません。・・・知り合いにも思い当たらないですね。」
「あら、そう・・・。残念だわ。」
心底つまらなそうに表情をぐるりと変えた女性は、手に持った写真をハンドバッグに乱暴に入れ込みため息をつく。
息を飲んだ優志は、司の視線を感じて何も言えなくなる。
むしろ、何もいうなと言わんばかりの威圧が、彼から発せられていた。
「この子、今すっごく探しているの。・・・ちょっと急いでね。」
「そうですか・・・。心当たりがなくてすみません。」
「うぅん。いいの。どうでもいいの。」
「・・・?」
少しばかり不可思議な言葉を呟いた女性に、優志は違和感を覚える。
小さく鼻を鳴らした彼女は、赤いピンヒールで床に音を立てながら歩き出す。
ひらひらと手を動かした彼女は、二人に言葉もなく別れの挨拶をしたようだった。
「な・・・・んだ・・・?」
完全に女性がその場から姿を消し、ビルの外へと出て行ったのを見届けると、司は息を止めていたかのように肩を大きく動かす。
「あの・・・部長。これ・・・誰に言ったら・・・」
「・・・。」
優志は何度も瞬きをし、自分を落ち着かせるために深呼吸を何度もしてしまう。
視界に残った写真を思い出すと、冷やりとしたモノが背中を流れる感覚を覚えた。
身の毛がよだつような恐怖感が背中を覆い、今一人になると狂ったように自分が何を仕出かすか分からないと言わんばかり言い表せない感覚が覆い尽くしてゆく。
「俺の知る限りでは、一人しか思い当たらん・・・。」
震える手でポケットから携帯を取り出した司は、思うように操作できない画面に苛立ちながら電話をかけだす。
二人はゆっくりとエレベーターホールの方へと向かい、周りに他人が居ない事を確かめて互いにうなずく。
と。タイミングよく司の携帯に相手が出た。
「あ・・・。すみません。昼間から。奈美の・・・飛勇奈美の父親です。えっと、あの・・・旦那さんはご在宅ですか?」
優志は平常心を取り戻そうとエレベーターの操作ボタンを押し、隣で電話をかけている司へと顔を向けた。
彼は何度も額に浮かんだ汗をハンカチでぬぐいながら、落ち着かない様子で何度もその場を行ったり来たりと動いている。
エレベーターが段々と降下し、自分たちが立っているフロアの番号へと降りてきた。
優志がぐるりと辺りを見ると、そこには司と優志以外の人間がホールにいないことに気が付く。
妙にソワソワとし始めた気持ちを抑える為、優志はなかなか開かないエレベーターの入り口をじっと見つめた。
「えっ?・・・んん?」
「どうしました?」
ふいに隣から魔の抜けた声が聞こえ、優志は司へと声をかける。
携帯を片手に目を白黒させている彼は、画面を優志へと向けた。
「・・・圏外?・・・こんな街中で?」
「なんだよ、いきなり・・・」
通話を切った司の声と合わせて、静かにエレベーターの入り口が開く。
「・・・まずは、目先の案件を・・・」
「そうですね。」
お互いに落ち着かせるためか、二人は開いたエレベーターに乗り込もうと足を動かす。
「あ。」
「・・・。」
二人が勢いよくエレベーターに乗り込もうとすると、中に人影がある事に気が付き、急いで後方へと共だって後方へと下がった。
くせのある黒髪を短く切りそろえた女性が、資料を手に抱えた状態で司たちをじっと見ている。
「あの。どうぞ。すみません。」
「・・・。」
一向に降りようとしない女性に、優志はおずおずと手を動かして誘導しようとする。
しかし女性は降りる気配が無い。
鋭い眼光で二人を交互に見た女性は、逆に無言で手招いた。
「え・・・。あの・・・」
「どういう・・・」
唖然と女性を見続ける優志と司に嫌気がさしたのか、女性の眼光が更に鋭くなる。
困ったと言わんばかりに互いの顔を見た二人は、おずおずとエレベーターに乗り込んだ。
「・・・。」
勢いよく扉を閉じるボタンを押した女性は、無言でボタンを操作する。
「まったく・・・運のないニンゲン共が。」
「は・・・?」
目の前で静かに扉が閉まると、今まで無言だった女性がぽつりと呟き、ボタンを操作しようとした優志の手を払いのける。
今日は女性運に見舞われないと言わんばかりに、優志は彼女の方をおずおずと見た。
切れ長の目が青く光り、おもむろにエレベーターの入り口へと女性が手を伸ばす。
「っっ?」
「目を付けられたぞ。先の件でな。気を付けろ。」
「あ・・・あなたは?」
指先から黒い光が溢れ、女性の手を覆うように大きな魔法陣が浮かび上がってゆく。
「あたしの事は・・・今はどうでもいい。とにかくもっと気を付けて行動しろ・・・警察だろう?お前達は・・・。」
「え、えっと・・・」
三人を乗せたエレベーターの壁にまとわりついた魔法陣は幾つも広がり、まるで囲むように広がった。
「あのなぁ。“先のバケモノ”は、言いおおせない程の厄介者だぞ。・・・まぁ、わかっていないとは思うが・・・」
「っ・・・や、やっぱり・・・先の女性は・・・ひ、人じゃない?」
「当たり前だ!こんな時にピンポイントで中学生の少女を探す阿呆なんて限られているだろう。」
「あ・・・はい・・・。」
履き捨てるように言葉を返してくる女性に圧倒され、優志は困惑した表情で司へと視線を向ける。
何故、あの場に姿がなかった目の前の女性が“先の女”の事を知っていたり、写真のことについても触れていたりするのかは理解できないが、とても彼女に問いただすことができない。
それだけ、目の前の女性から発せられる威圧感が強いのである。
助けてくれと言わんばかりに彼を見るが、司は重々しい表情で携帯を見つめているだけだ。
「あの場で電話などされたら、理由も知らされる前に電話の相手側が危険にさらされていたぞ。」
「だから、圏外に・・・。」
「あぁ。それと、あたしが声を発すれば、“あたしがここにいる”こともばれてしまっていたな。」
「・・・?」
軽い音を立ててエレベーターが止まり、一つのフロアへと入り口が開かれる。
エレベーターの中は相変わらず黒い光を帯びた魔法陣が揺れ動いているが、機械に異常はきたしていないのか何事も無く動いているようだ。
「先に出ろ。あたしが先に出たらお前らが捕まる。」
「・・・え。は、はい。」
「なんだっていうだ?」
慌てるように外へと出た優志は、司と共にエレベーターから離れて女性が外へと出てくるのを待つ。
何事も無くエレベーターから降りたった女性は、手に持った資料を優志に投げる。
「えっ。ちょ、ちょっと・・・?」
「下がってろ。来るぞ。」
「っっっ!」
何かがはじけ飛ぶ音がすると、エレベーターを漂っていた魔法陣がガラスを割れるかのように吹き飛ばされる。
黒い泡となった魔法陣と入れ替わるように、床や地面から気味の悪い声が響きだした。
「ば、バケモノが・・・こんなに?」
一歩後方へと下がった女性に合わせて、司が手の中に赤い石である鍵を掴む。
瞬時にして銃へと変わるが、女性は振り返らずに彼を制止させた。
「そいつじゃ、こいつらは倒せねぇよ。」
「なっ!」
優志の声が響くよりも早く、エレベーターの中から這い出たバケモノが女性へと飛びかかる。
今まで見たバケモノとは形が異なり、赤黒いぎょろりとした目玉を見せたバケモノは、人とは思えない方向にひしゃげた足を使って走り出す。
「あたしには興味ないか。それか・・・わかってないか・・・かっ!」
軽く地面を蹴り上げた女性は、両腕に黒い光をまとわせてバケモノに殴りかかる。
後方に佇んでいた二人を突風が包み込み、思わず司は地面に手を付いた。
「うそだろ・・・。」
壁にぶつかったバケモノは小さく震え、のた打ち回りながら立ち上がる。
顏が真逆の方向へとひしゃげ、到底ヒト型とは言い得ない姿になっていた。
それでもなお、バケモノは立ち上がる。
エレベーターから気味の悪い悲鳴をあげながらバケモノが複数現れ出す。
「安心しろ。下の階にはこいつらは出てない。」
「・・・安心していいのか・・・悪いのか。」
重々しい音を立てて、女性は淡々とバケモノ達に殴りかかる。
平然とした顔で動く彼女に、司は苦笑いを浮かべるしかない。
「とはいえ。こいつらを仕留めるには“聖職者”じゃないと無理だな。」
「えっ!ちょ、ちょっと。」
一通りバケモノを殴りつけた女性は、バケモノが立ち上がるよりも早く、司と優志の首根っこを掴んで駆けだす。
とても女性とは思えない力で掴まれた二人は、自分たちの身体が宙に浮いている事に悲鳴さえも上がらない。
首元が締り苦しいが、目の前で迫ってきているバケモノを考えると、そんな流暢な意見は言いだせない状態だ。
「広い方が戦いやすいだろうな。こっちでいいか。」
「ぐえっ!」
風を巻き上げて廊下の角を勢いよく曲がられ、優志は胃の中がせりあがるような感覚を覚える。
視界の先でバケモノが壁にぶち当たり、音を立て束となりぶつかりもがく姿が目に移りこむ。
勢いを付けてバケモノが地面を蹴り上げたのが見えたと思えば、優志の視界に明るい照明が入り込んできた。
少しばかり開けた場所にかけてきた女性は、そのまま優志と司を乱暴に後方へと降ろす。
司の咳き込む声が響き、優志自身も彼に何か言おうとするが、喉が痛みを帯びてそれどころでない。
「きたぞ。」
「っぐっ!」
女性の淡々とした声が頭上で聞こえると、目の前にふらつきながらも近寄ってくるバケモノ達の姿が見えた。
皆、とても動いているのがおかしいと言わんばかりの方向へと、顔や腕がひしゃげている。
「気味の悪い上級のやつらだ。」
「っ!」
両腕に黒い光を帯びた魔法陣をまとわせた女性は、壁や床そして天井へとそれらを放ってゆく。
先のエレベーター内部で行ったように、それらはまとわりつき、音もなく光り出した。
「いいぞ。一思いに切っちまえ。」
「え・・・。」
ふっと優志と司の横を疾風が通り過ぎ、視界の先で白い光が閃光となって飛び去ってゆく。
悲鳴一つ上げる暇もない程に、目の前のバケモノ達が音を立てて身体を崩していった。
頭部や腕が切り落とされ、白い光が過ぎていくほどにそれらは切り刻まれてゆく。
床に崩れ落ちたバケモノ達は、女性の放った魔法陣の上に落ち崩れると、煙を立てて姿を消してゆく。
「・・・。女帝。あまり・・・ご無理をせず。」
「何を言うか馬鹿者。」
剣を鞘に納める音が優志の耳に響くと、静かな声が辺りに響いた。
目の前を漂っていた光の閃光が無くなり、変わりに白いマントが視界へと移りこんだ。
真っ白な服に真っ白なマントを漂わせた男は、短く切りそろえた淡い緑の髪をゆらし、女性の前で片膝を立てて頭をたれている。
何が面白くないのか、女性は彼の前で仁王立ちをしていた。
「この者達は・・・」
はっとした表情で立ち上がった男は、唖然と座り込んでいる優志と司を交互に見て目を細める。
「マーラに目を付けられていた。だから助けた。」
「っ・・・。や、奴がここにっ!」
「もう姿を消している。・・・どこかに気配も消えた。」
「なんと。」
優志の傍らに落ちていた自分の書類を持ち上げた女性は、大きなため息をつき司を指さす。
「あんた。電話が鳴っている。ちょうどいい・・・出てやれ。」
「っ。」
弾かれるようにポケットに手を入れた司は、静かに着信音を響かせていた携帯を手にとる。
そこには、先に電話をしようとしていた相手の名前が示されていた。