部屋の中に淡いオレンジ色の光が浮かび、その画面には幾つもの映像が流れている。
中央に立っていたヒーリカはコンソールを引き寄せると、一際大きな画面を皆に見えるように更に拡大をした。
「こちらの世界では汚染された水が清められ、徐々に各地で復活しているわ。現世ではるりちゃんの活躍が先にあったから、今のところは落ち着いている・・・と言っていいわね。」
「今のところか・・・。」
宙を揺らいでいる画面をヒーリカがつつくと、スクリーンに桜丘市の映像が流れ出す。
あまり長い時間こちらに来ている訳ではないが、何故だかその映像を見ているとるりは懐かしく思ってしまった。
大通りには学生が行き来し、多くの車が見える。
店先では和やかに会話を楽しむ人々の姿もあった。
「そう、今のところ。どちらも現状としては良い方向へと進んでいると思ってくれていいわ。でも、結局、元凶となる者が倒されない以上いつあのバケモノ達が暴れ出すかは分からない。」
「るりが力をつけてきている事は、先の古城で知られてしまったからね。相手も今後は用心してくると思うよ。」
「ふむ・・・。」
ヒーリカと共にコンソールを操作するランゼフは、いつにも増して生き生きとしているように見える。
なんだかんだと言いつつも、彼女もヒーリカに会えて嬉しいようだ。
表情や言葉では表立って出さないが、ランゼフの動きは機敏である。
最近妙に元気のなかったランゼフを見続けていたせいか、彼女が元気を取り戻したことにるりは内心ホッとしていた。
そんなるりの事など分からず、ランゼフは淡々とコンソールを操作し、皆の前に映像を流し出す。
そこにはるり達が今いる世界の地図が浮かび上がっていた。
「世界中に数時間前から聖水が満たされ出してきている事もあって、早い所では土地を腐食していた呪術が崩壊し、木々が復活している所も出てきているわ。」
「私と聖職者たちの予想では、ここ一週間で土地の腐食は無くなると思うの。」
「現地に住んでいる者が言うんですもの。恐らくは、そのくらいで世界は浄化されるでしょうね。」
レヴァンティアとヒーリカの言葉を聞いたミチルは、アルスやグレイの顔を見てほっと胸をなでおろす。
キノトが娘たちの方へと近寄ると、三人に何かを話し出している。
彼の言葉に少し驚いているのか、ミチルは目を見開きるりの方へと視線を向けていた。
るりはきょとんと小首をかしげるしかない。
「巫女の誕生と主帝の誕生。それを急がす声が増えるのも目に見えているけれど・・・まぁ、現状維持が今のところの目標かしらね。」
「現状維持よりも、それ以上を目指さなくてはならないわ・・・。」
「と・・・いうと?」
ヒーリカの言葉に間髪入れずに口をはさんだレヴァンティアは、穏やかに微笑む。
不思議そうに彼女を見たヒーリカは、次に彼女が言う言葉を待った。
「どんなに現状を維持しようとしても、結果としては進展が無い。敵としても今以上に事をせかすことを考えれば、この一週間で物事を更に先へと進めることが必須ではないか・・・と考えるの。」
レヴァンティアは長杖を動かし、皆の前に幾つもの魔法陣を浮かび上がらせる。
「まずは、るりが巫女の力をある程度制御できるようにすること。そして、その間に我々の戦力を高める事。」
「・・・確かに。必要性は大いにあるわね。」
「向こう側の戦力は未知だ。探りようにも時間がかかる・・・何よりも、今の我々では世界を束ねるには時間が無い。」
「なるほど・・・な。」
キノトがレヴァンティアの出現させた魔法陣に指を向けると、それらは一つに重なり大きな世界地図へと変貌した。
領土なのか、幾つもの色分けがされ、その間には都市が記されている。
「大人の事情は大人で解決すればいいさ。その間に、るりちゃんは自分の力をもっと制御できるようにしないとね。」
「聞けば、気を失う程力を何度も放出してしまったとか。」
「あ・・・は、はい。」
クスクスと笑ったレヴァンティアに、るりは恥ずかしげに頭を縦に振る。
ため息をついたランゼフと大きく頷いたジェシカの顔が見え、るりはどうしてよいモノかと、困り果ててヒーリカの方を向く。
「この世界の事も文献でしか見ていないからね。るりはこの一週間で学ぶことが山積みなんじゃないかな?」
「お勉強ね。」
「う、うん・・・。」
アイネがぽんと手を叩くと、るりは苦笑いを浮かべるしかない。
頷いたヒーリカはコンソールを叩くと、何かを打ちこんでゆく。
その文字は理解できないが、高速で叩きだされた文字列は、彼女の近くに浮かび上がっていた画面へと映し出されていた。
一通りの文字列を並び終えたヒーリカは、にっこりとほほ笑むとるりへと向き直る。
「私達も一週間の間に色々とやらないといけないからね。るりちゃんも、短時間で覚えることは多いかもしれないけれど・・・」
「・・・。」
目を細め急に真面目な表情へと変わったヒーリカに、るりは姿勢を出す。
「頑張ってくれるかしら?」
重々しく言葉を発した彼女に、るりはすぐに返事をすることができない。
部屋に集まった者達の視線は彼女に注がれ、視線を逃がすところはどこにも無い状態だ。
今までの事や、先にアイネやコーディから聞いた話を思いだし、胸がつまりそうな感覚を彼女は覚える。
「(大丈夫・・・大丈夫だから・・・)」
自分に言い聞かせるように心の中で呟いたるりは、深呼吸をしてヒーリカの方へと視線を向けた。
「私・・・どこまで出来るか分からないけれど、頑張ってみます。」
手に握った鍵がぼんやりと赤く光り、それに伴ってるりの額の紋章も輝きだしていた。
――
雨が降りしきる中で、屋敷の入口へと来たアイネとコーディは、見送りに来たレヴァンティア達の方へと振り返った。
そこにはヒーリカとハージェントの姿もある。
「子供たちだけに重荷を背負わせる訳にはいかないわ。・・・お父様やおじ様たちの方へも連絡をとってみるつもりよ。」
「十分注意しなさい。敵がどういう動きを取るかは分からないわ。」
「えぇ。それは分かっているつもりよ。」
赤い宝珠の埋まった長杖を握りしめたアイネは、コーディを見る。
「こちらも、仲間部族や世界に散らばる者達に協力を要請しよう。」
「喧嘩しないようにね。」
「・・・。」
あざけるように笑ったレヴァンティアに、コーディは咳払いをするが、周りは苦笑いを浮かべている。
「竜の里も隠れている場合ではない状態になるだろうな。」
「力を欲し暴走するモノがまた現れれば、我らの里も危機に陥るかもしれんだろう・・・。今のうちに、出来る事はしておきたい。」
「そうね・・・。近くの魔道士達にも情報はある程度伝えておくわ。」
「・・・頼んだ。」
長杖を揺らしたレヴァンティアは、会話を静かに聞いていたヒーリカの方へと向き直る。
表情はいつものように穏やかではあるが、彼女の目は鋭く光っており、眼だけが笑っていなかった。
「現世で、つい先日からマーラではないか・・・という人物が目撃されている。それだけは伝えておきましょう。」
「っ・・・・。」
「やはり、復活していたか。」
ヒーリカの言葉に息を飲んだアイネに、傍らに佇んでいたコーディが肩に手を回し、彼女を自分の方へと引き寄せる。
アイネの持っている長杖が細かに揺れ、彼女が動揺しているのがその場にいる者達の誰もが感じ取っていた。
「監視者の者や、協力者が情報を追っているけれど。どこから現れたのかはまだ分からないわ。・・・こちらでは姿がばれているからね。・・・向こうの世界なら、と思って自ら行動しているようね。」
「一般人に被害は?」
「・・・聞いている限りでは未然に防げているわ。今のところだけど。」
「そちらも時間の問題か。」
困り果てた表情でヒーリカを見たキノトは、頭を左右に振ると穏やかな表情へと変わり、アイネとコーディへと顔を向けた。
「小さな巫女の卵ちゃんは、僕達が責任を持って預かるよ。聖職者の方とも君は会いたくないだろう?」
「・・・あぁ。あの阿呆とは顔も合わせたくないからな。頼んだ。」
「あんたのエルダに対する毛嫌いは、頭が上がらないわね。」
真顔で答えたコーディに、レヴァンティアとキノトは苦笑いを浮かべてしまう。
少しばかりその会話で落ち着いたのか、アイネも微笑んでいた。
ただ、未だに手は震えており、表情は硬いままである。
心なしか、コーディの手に力が入っているようにも見えた。
「彼女がどういう選択をしても、私達は何も言えないわ。・・・無理やりここまで連れてきてしまった・・・と言っても過言ではないもの。」
「白の女神様が選んだとはいえ、こちらの要求をあの幼い子に全て託すのは、僕としても賛成ではないね。」
ヒーリカとキノトの言葉に、また辺りはしんと静まり返る。
ふいに視線を落したアイネが、ぽつりと言葉を発した。
「・・・主帝・・・。彼女に主帝として寄り添ってくれるような人が、現れれば、また違う道が広がるのかもしれない。」
「ちょっと、ちょっと。」
アイネの真面目な言葉に、何故かレヴァンティアは含み笑いをして言葉をはさむ。
小首をかしげたアイネを見て、レヴァンティアはため息をついた。
「あんたの息子はどうなの?」
「駄目だ。」
茶化すような顔で言ったレヴァンティアに、間髪入れずにコーディが口をはさむ。
「・・・・お父さん、即答だね。」
ずれた眼鏡を直す様にキノトはコーディを見るが、彼の鋭い眼光を見て、それ以上は何も言えず苦笑いを浮かべるしかない。
「お前は自分の息子を信じる事も出来ないのかい?」
「信じるも何も、あの馬鹿息子に背負える問題ではない。」
「・・・・。」
「おやおや・・・。言うねぇ。」
目を細めて笑ったレヴァンティアは、そのままコーディを冷たい目で睨み返すと、音を立ててその場から離れる。
これ以上は話すことは無いと言わんばかりの彼女に、アイネは背中から挨拶をした。
振り返る事無く片腕をひらひらと動かしたレヴァンティアは、そのまま風を巻き上げて姿を消してしまう。
困ったな。と呟いたキノトは、あっけらかんとした表情を浮かべたヒーリカとハージェントをそのままにすると、コーディの前へと進み出る。
「僕も三人の父親だから言うけれど、君はもうちょっと柔らかくアリスを見てあげた方がいいところもあると思うよ。・・・と言っても、“義兄さん”の性格だと大変かもしれないね。」
「・・・難しいな。」
「そういうと思ったよ。・・・まぁ、家庭の問題はさて置いて・・・」
ふっと視線を地面に落としたキノトは、そのままの勢いでまた顔を上げてアイネとコーディを見る。
瞬時にしてその表情は変貌し、今までのキノトとしては珍しく、眼光鋭く二人を見つめていた。
「彼の呪いの事はいつ言ってくれるんだい?」
「・・・お前・・・。」
「僕が気が付かないとでも思っていたのかい?それは悲しいな・・・。これでも魔道士を束ねる王族だ。・・・呪いなんて壁の傷を見つけるよりも簡単さ。」
「・・・・。」
禍々しくも感じるキノトから発せられる気に、ヒーリカは足を踏ん張ってしまう。
ほんの少しでも気を抜けば、彼に圧倒されてしまいそうな程だ。
じわりとにじみ出るような恐怖感を感じたヒーリカは、彼らの言葉に反応する事も出来ない。
「発動はしていないが、どういう条件で発動するのかもわからん。本人自身もわかっているようだが・・・対処を探し出せていない状態だ。」
「・・・なるほどね。・・・まぁ、考えられる事は幾つかある。」
「それは?」
自分の長杖を抱えるように持ったキノトは、腕を組んで更に目を細める。
「例えば発動する原因となる人物・・・そう・・・これは最悪の場合、アリスにマーラが近づいた瞬間・・・とか・・・ね。」
「・・・・っ。」
キノトの言葉を耳にし、ヒーリカは目を見開く。
彼らが話している内容が嫌でもわかってしまった自分に、彼女はこの場にいない“少女”を、本当にこの場にいなくて良かったと思ってしまう。
彼女自身にこの目の前にいる者達が今の話をしているかヒーリカは想定ができないが、それでも彼らが言っている事は、今の“彼女”には重すぎるだろう。とヒーリカは自分なりに思ってしまった。
近くで聞いていたハージェントは何も言わず、表情さえも変わっていないが、少なからず何らかの危機感を覚えているはずだ。
「その危険性を冒してまで、あの馬鹿息子は彼女の傍で見届ける覚悟があるのか。・・・それが無ければ会う必要性もない。私はそう考えている。」
「厳しいお父さんだね。本当に厳しい。」
淡々と喋ったコーディに、キノトはいつものひょうひょうとした顔へと戻って声をあげて笑い出す。
とたんに辺りを縛っていた冷たい空気が瞬時にして無くなり、思わず肺の底から息を吸いたくなる程、身体が軽くなる。
「まぁ。君の息子だ。どうこの窮地を切り抜けて、怖い怖い魔族のお父さんを出しぬいてお姫様に会うか・・・僕は楽しみだよ。」
「さぁて・・・どうだろうな。」
大げさに笑ったキノトは、コーディの腕の中で同じように笑っているアイネと顔を見合わせ、また笑い出す。
どちらと言う訳でもなく会釈をした二人は、黙ったままのヒーリカの方へと向き直る。
「どんな些細な事でもいい。今後は、我々にも情報を分けて欲しい。」
「えぇ。今の話を聞いちゃったんですもの・・・。知らせない訳にはいかないでしょうね。」
「すまないね。成り行き上、とりあえずは聞いておかないといけない事だったものでね。」
「構わんさ。いずれ、知ることになるだろうことだ。」
「・・・?」
コーディやヒーリカの会話にふと入り込んだハージェントに、彼らは首をかしげてしまう。
ハージェントが呟いた言葉の意味は不可思議であり、それが意味する事などだれもわからない。
「気にするな。・・・長い年月を生きた竜の勘がそう言っているだけだ。」
「そ、そう。」
表情を和らげたハージェントに困惑しつつ、ヒーリカは話を戻そうと咳払いをした。
その言葉を最後に、ハージェントはその場からゆっくりと離れてゆく。
彼がその場から去っていく前に、アイネは何も言わないハージェントの背中に向かって別れの挨拶をした。
振り返ったハージェントは会釈を彼女へと向けると、廊下の奥へと姿を消してゆく。
「まずは、家に帰ってアリスやお屋敷の人達に無事を見せてあげなよ。」
「えぇ。たくさん話が待っていそうだから、一人ずつちゃんとお話をしてあげないとね。」
「ほどほどに・・・ね。」
穏やかに微笑んだキノトは、漆黒の翼をはためかせ先に飛び立ったコーディの背中を見送る。
彼は雨の中で空中をたゆたい、アイネをじっと空から待っていた。
「なんだか、緊張するわ。ちゃんと飛べればいいけれど・・・」
「おいおい・・・。うちの壁は壊さないでおくれよ。」
「失礼ね!壁になんて激突しないわ。」
頬を膨らませたアイネは長杖を揺らし、足元に魔法陣を浮かび上がらせる。
柔らかな光が彼女を包み込み、ふわりと彼女は空へと舞いあがった。
先に待っていたコーディの手を掴み、アイネはキノトとヒーリカの方へと視線を向ける。
「るりちゃんの事、よろしくね。」
「あぁ。心配しないでくれ、姉さん!・・・ちゃんと一週間後にはお宅の息子さんの所に送るからっ!」
「っっ?」
キノトとアイネの言葉に困惑した表情を向けたコーディに、二人は声をあげて笑い出す。
やれやれと苦笑いを浮かべたヒーリカは、二人が遠ざかってゆくまで見送ることにした。
雨の中に姿を消してゆくアイネとコーディをしばらく見つめていたキノトが、思い立ったようにその場から歩き出す。
「さてさて。今日は色々とあったからね。・・・君も泊まって行くかい?」
屋敷の入り口を閉めたキノトは、自分の周りにコンソールを出したヒーリカへと声を変えた。
彼女はしばらく画面を見つめていたが、ふいにそれらを片腕を動かし消すと、にっこりとほほ笑む。
「帰って色々と整理したいけれど、ちょっと気になる事もあるから・・・いいのかしら?」
「構わないさ。」
外は夜の暗がりになり、屋敷を照らす照明の光が煌々と輝きだす。
キノトに先導されるように、ヒーリカも屋敷の奥へと進んでいった。
――
暗い森の中に、穏やかな明かりを湛えた屋敷が見えてくる。
玄関先で空を見上げていた屋敷の者が、彼女たちの姿を見つけ、急いで中にいた者達へと声をかけた。
「お、お帰りなさいませ!奥様!旦那様っ!」
「奥様っ!お怪我はっ?」
「えぇ。大丈夫よ。心配をかけたわね。」
ざわめきのように屋敷の者達がアイネとコーディに駆け寄り、皆が玄関先へと集まってくる。
「静まりなさい。さぁ、奥様と旦那様がお屋敷に入れないではありませんか。」
白髪の男性がざわめく屋敷の者達を静かにさせ、玄関先に群がる者達をはかせた。
思い思いにアイネへと声をかけた屋敷の者達は、安どの表情を浮かべたまま、持ち場へと戻ってゆく。
「おかえりなさいませ。旦那様、奥様。」
「えぇ。皆は変わりない?」
「はい、奥様。皆変わりなく。」
長杖を揺らしてコーディと自分の服を魔法で乾かしたアイネは、男性に付き添われて屋敷の中へと歩いてゆく。
後を静かについて行くコーディは、何と言って変わりない無表情を浮かべていた。
和やかに屋敷の事を質問するアイネに、嬉しそうに答える男性は、時折目に涙を浮かべては、彼女を困らせている。
すれ違う屋敷の者達は皆、同様に微笑み、よかったと口々に呟いていた。
「そうそう。坊ちゃまがお待ちですよ。奥様が戻られるとお伝えしたときの坊ちゃまのお顔は・・・それはそれは穏やかでして・・・。」
「あらあら・・・。」
扉を開け、部屋の中へと二人を招き入れた男性は、そのまま二人の後ろへとたたずむ。
ぼんやりとした明かりが急に輝きを増し、二人が入った部屋が明るくなった。
「おかえり。母さん。」
「ただいま・・・長く待たせてしまったわね。」
照れくさそうに笑ったアリスに、アイネはゆっくりと近寄り、そっと彼を抱き寄せる。
「こんなに大きくなって。あぁ、そういえばディルにも会ったけれど、同じくらいの背丈かしらね?」
「えっ。あぁ。そのくらいかも・・・な。」
小さな子供をあやす様にアイネはアリスの頭を何度も撫でる。
ふいにコーディと目が合ったアリスは、ぎょっと目を見開くと、彼から視線を逸らした。
何をいう訳でもなく、コーディは自室の方へと戻ってゆく。
彼の後をついて行くように、部屋へと案内した白髪の男性が入り口の扉をゆっくりと閉めた。
「まったく。パパは昔と何にも変わらないわね。」
「・・・母さんがいなくなった後から、もっと堅物になったよ。」
「あらそうなの?」
アリスから離れたアイネは、力強くうなずいた息子を見て、思わず笑ってしまう。
「パパが聞いたら怒るかもね。」
「親父は怒るどころか、最近は刃先が飛んでくる。」
「まぁ怖い。」
大げさに驚いたアイネはソファに腰をかけると、手で招いてアリスを呼び寄せる。
アリスは照れくさそうながらも、彼女の横に腰をかけた。
「色々とあったみたいね。ティアから話は聞いたわ。」
「おば様から?」
「えぇ。・・・現世の事。こちらの事。それからパパの事に・・・。」
「・・・?」
ふと視線を落したアイネは、微笑みを顔に浮かべるとアリスを見つめ直した。
そしてぽつりと言葉を発する。
「るりちゃんの事。」
「・・・そっか・・・。」
苦笑いを浮かべ、アリスは母から顔を背けると、自分の手へと視線を落した。
どう言ってよいのか分からないのか、彼の目は泳いでいる。
しばらく様子を見ていたアイネだったが、先に言葉を投げかけることにした。
「アリスはどうしたいの?」
「・・・。」
「今はまだ、何も考えられない?」
「・・・そう・・・だな・・・。」
思わぬアイネからの言葉に、再会を喜ぶどころではない状態になったアリスは、困り果て顔を上げようとしない。
色々な事を聞きたいとアイネは思っていたが、それ以上に今は先まで会っていた少女の事を息子に問いたいと強く思っているようだ。
「親父にも言われた。覚悟がないなら、今は合わない方がいい。全部終わってからの方がいいって・・・。」
「・・・それで、アリスはいいの?」
「・・・・。」
自分の手を見つめたままだが、アリスは小さく首を横に振る。
アイネは目を細めつつも、彼の次の言葉を待った。
「俺はそれじゃダメだって・・・自分でも思っている。首を突っ込み過ぎた事もそうだし・・・何よりも、会いたいって思っている自分がいる。・・・聞いたか分からないけれど・・・俺が一番会いたいって思っていた子だと分かったから・・・。」
「知ったのね。るりちゃんが昔・・・ここに迷い込んだ子だと。」
「あぁ・・・。かっこ悪いような知り方だったけどさ。」
自虐にも満ちた笑みを湛え、アリスはアイネへとやっと顔を向ける。
ほんのわずかだが、彼の手は小さく震えていた。
「あの子も気が付いている。でもさ・・・どう言っていいのか分からないんだ。どう接していいのかも・・・。俺が自分の想いだけで会っていいのかも・・・わからないんだ。」
「・・・。」
「だってさ。あの子はどう思っているのか分からないんだ。もしかしたら・・・会いたいとは思っていないのかもしれないし・・・・」
苦笑いを浮かべたアリスとは対照的に、アイネは呆れたような顔を息子へと向ける。
思っていた反応とは違う母に、アリスは目を白黒とさせた。
「ホント・・・。どうしてうちの男子は頓珍漢な感覚なのかしら。」
「え・・・。」
「ママは呆れちゃうわ。だって、パパもそうだったけれど、息子も同じ頓珍漢だとは思っていなかったもの。」
「は・・・?」
大きなため息をついたアイネは、やれやれと手を広げると手に持った長杖で床を突いた。
小さな魔法陣が床に浮かび、瞬時にして消えてゆく。
屋敷のどこかで何かが落ちたのか、二階の方でゴトンという音が頭上で響いた。
「もう少し。女の子の気持ちを分からないと駄目よ。・・・そのうち、ディルに追い抜かされそうね。」
「え・・・?は・・・?」
困ったものだわ。と呟き、アイネはソファから立ち上がると、あっけに囚われて座っているアリスを見る。
彼女は仁王立ちになると、アリスをじっと見た。
「一週間後にるりちゃんを家に招きます。その間に貴方も覚悟を決めなさい。」
「え・・・。」
「わかった?」
「っ。」
コツンと音を立ててアリスの頭にアイネの長杖がぶつかる。
痛みに頭を抱えたアリスは、何が起きているのかと言わんばかりに彼女を見上げた。
しかし、アイネは睨みつけるように彼を見ており、何も言わない。
「い、一週間後?」
「そうよ。一週間後にるりちゃん達を家に招くことにしているから。その間に貴方もどうするか腹をくくって考えなさい。」
「・・・。」
「わかったっ?」
「っっは、はい!」
アイネの怒り声に驚いたのか、部屋の扉が少しだけ開かれ、何事かと屋敷の者達がじっと二人を覗き見ている。
小さな声がポツポツと聞こえ、奥様が帰ってきた感じがするわ。という場には合わない小声がアイネの耳に聞こえてきた。
思わず顔を綻ばせてしまった彼女は、長杖を抱えて部屋の入口へと歩いてゆく。
「アリス。」
「な、なんだよ・・・。」
勢いに負けて立てずにいるアリスは、不敵な笑みを湛えたアイネを見て、後ずさりしたくなる。
「ちゃんと好きな子には思いを伝えないと。そのうち、愛想をつかれて逃げられちゃうわよ。」
「・・・・。」
「今日のお説教はこれでおしまい。おやすみなさいね。」
「え・・・あ・・・うん。おやすみ。」
大きく背伸びをしたアイネは、ぽかんと座ったままのアリスを置いてその場を去ってゆく。
扉を静かに開けた彼女は、待っていた屋敷の者に一言二言伝えると、自室へと歩いて行った。
「あら・・・。」
「・・・・。」
途中、二階へと階段を登り終えると、置物を抱えて自室から出てきたコーディと出くわす。
「空からこれが降ってきたのだが・・・。」
「あらまぁ。それじゃぁ、息子さんと同じ天罰が下ったのね。」
「・・・そう・・・か。」
くすりと笑った彼女は目を細めたコーディの横を通り過ぎ、鼻歌交じりに自室へと入ってゆく。
「・・・親父・・・なんだよそれ・・・」
頭を押さえて近寄ってきたアリスに気が付き、コーディは苦々しげに息子を睨んだ。
訳が分からないと言わんばかりに、アリスは父親の顔を見る。
「この馬鹿息子が・・・。」
「はっ?」
「もういい。・・・さっさと寝てしまえ。」
「な、なんだよそれっ!」
履き捨てるように言い放ったコーディは、怒りだしたアリスをその場に残しふてぶてとした態度で部屋の入り口へと手をかける。
ふいにその手を止めたコーディは、背中を向けたままその場に何も言わずにたたずんだ。
不機嫌そうな顔をしたアリスが、その不思議な行動を気にしつつも、自室の方へと歩いてゆく。
「アリス・・・」
「っ・・・?」
目を見開いて振り返ったアリスは、珍しく父親に名前を呼ばれた事に驚きを隠しきれない。
「なん・・だよ・・・?」
震えたような声で答えてはみるが、顔をこちらへと向けていない父親が何を考えているかはさっぱりわからない状態だ。
「・・・アイネから話は聞いたか?」
「え・・・。あぁ・・・。」
「そうか・・・。」
コーディはぽつりと呟くと、それ以上は何も言わず自室へと戻ってゆく。
完全に彼が入り口を閉じたのを確認すると、アリスはため息をついた。
「・・・会いたくないか・・・会いたいか・・・か。」
誰にいう訳でもなく呟いたアリスは、まだうずくような痛みを持った頭を押さえて、その場を後にした。
――
屋敷の中は寝静まり、静かに雨音が響いている。
見回りで屋敷の者達が明かりを持って歩いてはいるが、会話をする者達は誰もいなかった。
「それで。いきなり連絡も無しに此処に来たのは、どういうこと?」
ぼんやりと灯った部屋の明かりとは真逆に、煌々と輝いているコンソールを叩くヒーリカに、ランゼフは枕を抱えて問いかける。
部屋の隅では、ぐっすりと寝息を立てているジェシカとるりの姿があり、ランゼフは声を潜めるように言う。
ヒーリカはコンソールを叩くのを止めると、辺りを見回してからぽつりと呟いた。
「・・・嫌な奴がね。目撃されたのよ。」
「なんだよそれ・・・。」
具体的に言わず、想像さえも出来ない言い方をされたランゼフは、苦々しげにヒーリカを見る。
彼女も同じように困ったような表情を浮かべているが、何故か大きく深呼吸をするとランゼフと向き直るように椅子に腰をかけた。
寝そべって話しかけていたランゼフだったが、ヒーリカの様子がおかしいと思い、身体を起こしてベッドわきに座る。
「目撃情報は少ないけれど、着々と距離を縮められているわ。それは私達が動く方向へと着実に・・・ね。」
「・・・え・・・。」
急にぞわりと鳥肌がたったランゼフは、彼女にしては珍しくかなり動揺し始める。
それは、ヒーリカが言わんとする人物が一人だけ脳裏に思い当たり、知らずと身体が拒否をしているようだ。
微かに“そいつではない”と願いつつランゼフはヒーリカの話をじっと聞き続ける。
「最初の目撃情報はるりちゃんの家近く。その次は、桜丘市の商店街。これはるりちゃんの同級生が住んでいる家の近くね・・・・。」
「相手による被害は?」
「・・・幸いにも被害は出ていないわ。ただ、こちら側としても“彼”が目撃されている事は鵜呑みにできないと報告がきているの。」
「・・・っ・・・。」
なるべくランゼフを刺激しない為か、ヒーリカは言葉を選んで口を開いているようである。
淡々と喋っているようだが、ヒーリカの言葉では要点が定まらない言い回しにも感じられた。
「それから、最後に彼が目撃された場所・・・それは・・・」
「っ・・・。」
何でもない物音が部屋の外から聴こえたが、思わずその音にランゼフは勢いよく振り返ってしまう。
目を見開き、手が小刻みに震えている彼女は、痛々しくも見えた。
「・・・こちらの世界・・・ランゼフ達が居た王都よ。」
「そん・・・な・・・。」
恐怖に脅え悲鳴を上げそうな程の酷い顔をしたランゼフを見て、ヒーリカは言葉を無くしてしまう。
“最近は見なくなった”ランゼフのその表情をじっと見つめた彼女は、何をいう訳でもなくランゼフの手を握る。
「大丈夫・・・。大丈夫よ。心配しないで。」
「っ・・・ごめ・・・ちょっと・・・ごめんっ・・・」
ヒーリカにすがるように抱き着いたランゼフは、震える手で必死に彼女の服を掴む。
息ができないのか、嗚咽にも聞こえたランゼフの声に、ヒーリカはただ彼女の背中を優しく撫でた。
「それでね・・・。エナミにも協力してもらって、ブレア達と相談してここに来たのよ。その危険を知らせる為と、それから先の皆に話した内容と・・・・・・それから・・・もう一つ提案。」
「え・・・?」
震えながらもランゼフは、ヒーリカの顔を見上げる。
ヒーリカは優しく微笑んでいたが、覚悟を決めたように大きく頷き、表情を一変させた。
「一旦。私と一緒に現世へ行きましょう。」
「・・・・は?」
「るりちゃんはこちらの人達に任せて、今は貴女の身を守ることを優先したいと思うの。」
「・・・・なん・・・で?」
酷く脅えていたランゼフだったが、ヒーリカのその言葉によって、ランゼフ自身の表情も一変する。
真剣な眼差しで見つめてくるヒーリカだったが、当のランゼフは唖然としており、何度も瞬きをしていた。
「あいつは、確実にあなた・・・ランゼフを探しているのよ。もし、間違ってるりちゃん達が出くわしてしまっても、貴女が居なければ、危害を加えられる確率はかなり減るわ・・・。それに何より、貴女が心配なのよ。」
「・・・」
「あいつの事は調べるだけ調べたわ。私一人で相手に出来るような人物でもないし、この世界では私達の出来る事が限られている。・・・だったら・・・向こうの・・・現世の方にいた方が・・・」
淡々とランゼフを説得しようと話し続けていたヒーリカは、見つめる先の彼女が思っていた反応と違う表情を浮かべだした事に気が付き、それから先の言葉を言えなくなる。
すがるように抱き着いていたランゼフは、何も言わずにヒーリカから離れると、そっとベッドに座り込んだ。
手はまだ震えているが、その表情は真剣だ。
「確かに、前のボクだったらヒーリカと戻ると思うよ。でも、今のボクはそれを望んでいない。・・・どんなに怖くても・・あいつに会う事になったとしても・・・望んでいない。」
「・・・でも、ランゼフ。もしかしたら、貴女がここにいるだけで、るりちゃん達が危険にさらされてしまうことも・・・」
「それは、ボクが現世にヒーリカと戻っても同じことだよ。」
「・・・・。」
首を大きく横に振ったランゼフは続ける。
「あいつは・・・るり達とボクが一緒にいた事をもう知っているはずだ。だから、ボク達が通ってきた場所に現れている。だとしたら、あいつはきっとるりやジェシカ達に接触するはずだ。」
「だからこそ、その場にランゼフがいなければ彼女たちに危険が及ぶことは少なくなるって・・・」
「そんなことないよっ!」
「・・・え。」
ヒーリカの言葉に怒鳴るような声をあげたランゼフは、我に返ったようにるりやジェシカの眠っている方を振り返る。
幸い、二人はその声に反応しておらず、寝息を立てていた。
「わかるんだ・・・。あいつだったらどうする?って・・・。嫌な事だけれど、わかっちゃうんだ。それを考えると、るりやジェシカ達を置いてボクだけ逃げるのはできないんだ。」
「・・・。」
自分の身体を抱えるように腕を振るわせたランゼフは、苦し紛れに言葉を呟く。
痛々しくも見える彼女の声に、ヒーリカは反論することができない。
しばらく静かな沈黙が流れた後、大きなヒーリカのため息が部屋の中に響いた。
「いいのね?」
「・・・わからない。でも、それでいい。」
歯を食いしばったランゼフは、じっと自分の手を見つめると、ヒーリカの顔をしっかりと見つめた。
「ボクはるりを守るんだ。そう決めたから。」
静かな音を立てて、後方でるりが寝返りをうつ。
彼女が二人の会話を聞いていたことは、ランゼフもヒーリカも気が付いていないようだった。