白と黒の世界   作:水鏡 零

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35話

清々しい青い空を見上げたるりは、大きく深呼吸をした。

柔らかな風が頬を撫で、目の前に広がる草原へと駆けてゆく。

「この一帯も、バケモノ達に荒らされていたんだけれどね。」

「一晩でこんなにも変わってしまうなんて・・・」

「驚きの一言しか言えないね。」

後方から歩み寄ってきたミチルとキノトが、るりの顔を見て微笑む。

るりは何と言ってよいモノかと照れくさそうに苦笑いを浮かべ、二人の後を追うように歩き出した。

「まずは街に出てお買い物をしましょう。魔法の練習に必要な物が色々あるから。」

「は、はい。」

「それと、一緒にこの世界の街をしっかり見てもらわないとね。」

二人が交互にるりへと話しかける。

キノトとミチルの顔を見比べたるりは、目元や笑った時の表情が親子だなぁと心の中で呟いた。

 

レヴァンティアやキノトの提案もあり、雨が開けた今日は近くの街を一緒に散策することになった。

何やら重々しい雰囲気を醸し出していたランゼフは、ヒーリカと共に部屋にこもって話をしていた為、るりは彼女達に声をかけるだけにしてきている。

ランゼフも同行しようとしていたようだが、ヒーリカに調べものが終わるまでは手伝ってほしいと言われ、しぶしぶ残ることにしたようだ。

ハージェントは今朝から姿が見えず、ジェシカが言うには昨日の事を報告するために一度竜の里に戻ったという。

 

青々と茂った草原の間には、整った街道が伸びている。

キノト達が住む屋敷は街から少し離れており、振り返れば大きな屋敷の外壁が見えていた。

改めてその外壁の大きさを考えると、彼らの住む屋敷の大きさにるりは驚いてしまう。

「空気も良くなっているね。聖水が十分に大地に撒かれた証拠だ。」

「そんなに、変わっているんですか?」

だんだんと近づいてきた街の入り口を気にしつつ、るりは長杖をついて歩くキノトに首をかしげる。

彼は頷くと、何をいう訳でもなく街道から道をそれて、二人を手招いた。

ミチルとるりは小走りに彼を追いかけ、傍らに立つ。

「大地が枯れていたからね。水源も濁っていたけれど、ほら・・・ね?」

キノトが指さす方には、毒々しい色をした煙が空気中に漂っている。

空気よりも重いのか、その煙はゆっくりと地面へと降下しているようだ。

「わぁ・・・。」

煙が地面に吸い込まれる寸前、毒々しい色を発していた煙は文字通り浄化されたように瞬時にして消えていった。

「まだ、聖水が循環しきっている訳ではないが、それでも数日でこれらも無くなるだろうさ。」

煙が漂っていた地面には、草花が一つも見えない。

「聖水によって大気に混じっていた毒素が消えているんだ。蓋をされていた草花が、毒素が無くなった事で急激に元気になり・・・見てごらん?」

キノトが静かに指を向けると、茶色の地肌が見えていた場所に、不意に小さな草の芽が生えだす。

見る間に大きく育った薄い緑の芽は、葉をつけると可愛らしいつぼみを幾つも生やした。

柔らかな日差しに照らされたつぼみは、るりの目の前で鮮やかな花を咲かせてゆく。

ほんの数分も経たない間に成長した草花を見て、るりは目を丸くするしかない。

驚いた表情をしたるりを見て、ミチルはキノトと顔を合わせて笑った。

「大地を苦しめていた毒素が無くなったから、街にだって活気は戻ってくるはずよ。今までは空気の汚染が激しく、土地から土地へ移動することもままならない所もあったから。」

「人の行き来、物の行き来が盛んになれば、自然と世界に活気が戻ってくるという事だね。」

「・・・。」

ミチルに手を引かれ、るりはキノトの後を追うように歩き出す。

街道へと戻ってきた三人は、目の前に見えた街の入り口へと進み出た。

「さて。」

「・・・?」

ふいに足を止めたキノトは、肩から下げた鞄から一枚の布を取りだす。

淡いクリーム色の布はローブのようで、複雑な模様が書かれた縁取りが付いている。

「ちょっと着なれないかもしれないけれど、一応用心しておかないといけないからね。」

「え・・・。」

ふわりとローブを風になびかせたキノトは、るりの肩にそれをかぶせて深々とフードで頭を覆いかぶせた。

肩の部分につけられたリボンを首元で結び、彼はにっこりとほほ笑む。

「気が付いていないかもしれないけれど、君にかけられていた術は消えているよ?・・・黒髪が皆に見えていたのに、るりちゃんは気が付いていなかっただろう?」

「っ?」

目を細めて呟いたキノトに、るりは目を見開いてしまう。

この世界に来る前に、確かにヒーリカによって姿をカモフラージュしてもらったはずであるが、今彼が言った一言からすると、黒髪や額に浮かんでいる紋章は隠されていないことになる。

「恐らくだけれど、監視者の・・・ヒーリカさんだったかな?あの方は“それ”が剥がれてしまった事にまだ気が付いてないのかも。」

「じゃぁ、一緒にいたランちゃんも・・・。」

「私達の使う魔法とは、監視者の方たちの使う術は違うと聞いたことがあるわ。だから、ランゼフちゃんも気が付いてないんだと思う。」

「・・・。」

辺りを見回したミチルは、るりのかぶったローブを少しだけ撫でる。

ローブを縁取った模様が少しだけ光ると、すぐに元通りになった。

「レヴァンティアと僕でそのローブに術を仕込んでいるから、ある程度はカモフラージュできると思うけれど、何せ君の・・・るりちゃんの力は僕達以上のものがあるから、十分でもないんだ。」

「ハージェントさん達の話からして、るりちゃんは気持ちが昂ると気が付かないうちに魔力を放出させてしまっているようだから。・・・なるべく心を落ち着かせて・・・ね?」

「・・・。」

小声でるりへと話しかけた二人は、何食わぬ顔で街の方へと歩いてゆく。

街の入り口では白いローブを着込んだ者達の姿が見え、その先には商店が軒を連ねているのが見えた。

白いローブをまとった者達は何をするわけでもなく、街の入り口で佇み会話をしている。

長杖を持ち直したキノトは、ミチルの方をちらりと見ると、彼女たちの前へと一歩進み出た。

ミチルはるりの手を握り、ローブの下で不安げに見つめてきた彼女に微笑む。

「これはっ。キノト様。」

「やぁ。お仕事ご苦労様。」

街の入口へと歩み寄ってきたキノトに気が付き、白いローブをまとった者達は駆け寄ってくる。

深々と頭を下げた彼らは、キノトの後ろに佇むミチルとるりの姿をちらりと見ると、ローブの下で微笑んだ。

「お、お嬢様がお戻りになられたのですね!」

「っということは・・・。やはり、昨晩降り続いた聖水はお嬢様が?」

「・・・・。」

感極まったように嬉しそうな表情をした彼らに、キノトは小さく首を横に振る。

ミチルはちらりとるりを見ると、目の前で不思議そうな表情を浮かべた彼らに微笑んだ。

「私はとある方に助けて頂いて・・・。その方が、水を司る祭壇で魔石を甦らせたんです。」

「なんと・・・。」

「キノト様のお嬢様以外に・・・女神の祝福を頂いていた方がいるとは・・・」

感心したようにも驚いたようにも見える彼らの表情に、るりは何故か後ずさりをしたくなってしまう。

彼らはローブを深々とかぶったるりには目もくれず、ただキノトとミチルの二人を交互に見ているだけだ。

まるで、るりには興味が無いと言わんばかりである。

「その方はどちらに?」

「そうです。きっとその方も巫女様になられるお資格を持っているはず。是非、我々もお会いしてみたいのですが・・・」

「あぁ。彼女はね・・・。」

浮き足経ったように話す彼らに、キノトは困ったと苦笑いを浮かべる。

キノトはるりの方へは向かず、演技臭く唸ると片腕を後方へと向けた。

そこには何もなく、後ろに立ったるりへとも向けられていない。

「王都へと行ったよ。皇帝や側近の方達とお会いするために・・・ね。」

「なんと・・・。」

「残念だ・・・。」

心底がっかりとした彼らは、やはりるりには目もくれずため息をつく。

この場で自分が名乗り出るような事は考え付くはずもなく、ただるりは声を潜めて様子をローブの下から見つめていた。

「何にしても、昨晩の雨で大地を枯らせていた毒素や邪気は消されたと言ってよいでしょう。」

「 “我が王が仰っておりましたので・・・確かかと。」

「そうだね。エルダが言うなら本当だろうさ。」

白いローブを着込んだ彼らは、その場にいない自分たちの主を思いだし、互いに深々と頷く。

穏やかに微笑んだキノトは長杖を掴み直すと、ミチルとるりを手招いた。

ミチルはるりの手を引くと、街の中へと歩いてゆく。

「我が王は、昨日から現世にお出かけになられておりますので、城には奥様だけがいらっしゃいます。」

「おや。珍しいね。彼が現世に出かけるなんて。」

未だ彼らと会話をしているキノトを置いて、ミチルは何も言わずにるりの手を引いてゆく。

少し離れた場所まで歩いたミチルは、ゆっくりとその場に止まった。

遅れてるりも足を止めると、キノト達の方を見る。

「なんでも。急ぎお会いしたい方々がいらっしゃるとのこと。」

「ふぅん。」

「我々も詳しくは聞かされていないのですが。・・・何やら、事が大きく動きそうだと言われておりました。」

「そうか・・・。」

不可思議そうに語る彼らに、キノトは何度も小さく頷く。

キノト自身も彼らが言う人に対して当てが無いのか、それ以上深く彼らに問いかけることはしなかった。

「彼が戻り次第。その話は後で聞くとするよ。」

「はい。我が王にはこちらにお戻りになられたらお伝え致します。」

「そうしてくれると助かるね。」

小さく挨拶を交わしたキノトは、彼らの前から離れミチル達の方へと近づいてゆく。

口元は微笑んでいるが、その眼は笑っていないようにも見える。

「待たせてしまったね。」

「いえ。」

ぽかんと見つめていたるりに気が付いたのか、キノトは何度か瞬きをしてからまた微笑んだ。

その顔には先程の鋭さは見えず、いつもどおりの朗らかな表情が浮かんでいる。

あえて聞く必要もないとるりは思い、彼に問いかけることはしないようにする。

「彼らはこの街を守護する聖職者の家臣だよ。最近は街にもバケモノ達が襲ってきたからね。それもあって、街の入り口にはあのように魔道士や聖職者が警備しているのさ。」

「街の奥にお城が見えるでしょう?あれが、この領地を守護している聖職者さんが住んでいる所。」

「お城・・・ですか。」

ミチルが手で示す方を向いたるりは、その先に見えた大きな城を見て何度も瞬きをしてしまう。

その城は、先に見たユウが住んでいる城とは異なり、外壁を重厚な壁で囲っている。

周囲の民家よりも高い位置にあるのか、入り口付近の階段が微かに視界の先に見えた。

「彼はこの地を代々守護している王族だからね。あの城には多くの役人や魔道士や聖職者が出入りしているよ。」

「・・・。」

「今は不在だって言っていたから、また改めて挨拶に行かないとね?」

「は、はいっ。」

キノトが軽くるりの肩を叩くと、彼女は裏返ったような声で返事をしてしまう。

驚いた顔を向けたキノトとミチルを交互に見て、るりは少しばかり視線を逸らした。

「その・・・あんな大きなお城に住んでいる方にあいさつするとか・・・今までなかったので・・・緊張してしまって・・・」

「あぁ。そういうことか。」

顔を赤くして困惑した表情を浮かべたるりに、キノトとミチルは顔を見合わせて笑ってしまう。

「そうか・・・。現世はそういう役職が無いんだったね。」

「は、はい・・・。それに一般市民と言うか、私自身がそういう方々とお会いする事なんてなかったので。」

「ふふ・・・。これからそういう場面増えるよ?」

「えぇっ。」

ワザとるりを困らせたいのか、ミチルは彼女の耳元で呟く。

目を見開き慌てだしたるりを見て、キノトは柔らかに微笑んだ。

「大丈夫だよ。そういう礼儀作法もちゃんと教えてあげるし、何より堅苦しい雰囲気に耐え抜く暴君アルスに伝授してもらえば良いと思おうよ?」

「父様・・・。それは一番辞めた方がいいわ。兄様の演技って、見ているこちらとしては冷や冷やするもの。」

「はははっ。」

ため息をついたミチルに、キノトは肩を震わせて笑う。

ふと頭の中で昨日見たアルスの変貌を思い出したるりは、彼らが言う事がわかり、思わず笑ってしまった。

「やっとるりちゃん笑ってくれた。」

「え。」

るりがクスクスと声を出して笑ったのを見て、ミチルは微笑む。

ふっと笑うのを止めたるりは、ミチルの顔を見上げた。

「だってるりちゃんったら、いつも困っているか不安げな表情をしていたから・・・。正直ね、お買い物というよりも、るりちゃんの気分転換も含めて今日は此処に来たの。」

「息が詰まるような場面ばかりに遭遇していただろうからね。ちょっとでもほぐれてくれたら、僕らの計画は成功さ。」

「ミチルさん・・・。キノトさん・・・。」

互いの顔を見て笑ったミチル達に、るりはじんわりと暖かいモノを胸に感じる。

思い起こせば落ち着いて辺りを見る事さえも最近はできていなかったように思えた。

そのことを考えてしまうと、どうしても表情が硬くなってしまう。

隠してはいたが、どうやら短い間に彼らには見通されてしまっていたらしい。

「さてさて。そういうことで、今日はゆっくり羽を伸ばしながら、この世界の事をお勉強しましょう。」

「街の中なら融通は利くだろうし。何より、敵はいないからね。」

「えっと。」

ローブを少しだけずらしたるりは、二人の顔を交互にしっかりと見つめると、彼らの前に進み出る。

「今日から色々とよろしくお願いします。先生。」

「あら。」

「・・・ふふ。だ、そうだよ。ミチル先生?」

満面の笑みで微笑んだるりに、キノトはミチルの肩を叩く。

ミチルは小さく咳払いをすると、眼鏡の位置を直してるりへと向き直る。

「こちらこそ。よろしくね。小さな巫女さん。」

「えっ。だ、だから・・・あの・・・私まだ巫女様になるって・・・」

「いいのいいの。さぁさぁ、行きましょう?」

「えぇっっ」

からかうように笑ったミチルは、るりの背中を押して街を歩き出す。

困った様にるりは振り返ろうとするが、ミチルは鼻歌交じりに後方から背中をゆく。

「まずは、練習用の道具を揃えましょう。それから、お店をまわりながらお洋服の布を買わないと。」

「お、お洋服の布ですか?」

「そうよ?だって、一週間後にはお呼ばれしているのだから。可愛いお洋服を着て行かないと。」

「お呼ばれ・・・あっそ、そうか・・・あぁででも・・・。」

楽しげに街を歩くミチルは、彼女の言葉に目を白黒させるしかないるりをからかい歩く。

その後ろをついて行くキノトは、店や民家の方へと視線を移しつつ、眼を細めていた。

「そのローブを肩から外さない限り、るりちゃんの力や姿は守られているから大丈夫よ。そうね・・・街の人達には見習いの魔道士だと思われていると思うわ。」

「そうなんですか・・・。」

「うん・・・それと・・・・」

「・・・?」

るりの隣に並んで歩いていたミチルは、ふっと歩みを遅め前方へと視線を移してゆく。

今まで周りの店を交互に見つめていた彼女だったが、表情さえも一変させて前方を見つめていた。

ミチルの顔を不思議そうに見たるりは、彼女が見つめる先へと視線を動かしてゆく。

「これは・・・」

「・・・まだ、こんなことをしている奴がいるんだな。」

るりとミチルを隠すように前へと出たキノトは、目を細める。

その声は何処かしら棘を含んだようになり、穏やかな表情はみじんも見えなくなった。

るりの耳にざわめく人たちの声が聞こえ、その誰もが困惑した表情を浮かべているのに気が付く。

石畳の道を、キノトを先頭に歩いてゆくと、一行は広場のように開けた場所へと出てきた。

ちょうど中央部分辺りに大きな噴水が設置されたその場所は、見た目こそ穏やかではあるが、実際に目に映った風景は真逆だ。

「酷い・・・。」

「おい、あれって妖精じゃないのか?・・・」

「あの人達・・・買うのかしら?」

人々の蔑んだような声が耳に聞こえる中で、噴水の前では人だかりができている。

るりの手をしっかりと握ったミチルは、キノトの後ろに隠れるように人だかりの方へと歩いてゆく。

「奴隷商人だよ・・・。やだねぇ、まだあんな事するなんて・・・。」

不思議そうに前方を見たるりに気が付いたのか、横に立っていた女性がぽつりと呟いた。

キノトの背中越しにるりはその様子を見つめる。

そこには、重々しい枷を着けられた小さな少女の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

何と言って変わり映えのないオフィスビルの壁を見つつ、優志は目の前に座っている男性をちらちらと見るしかない。

壁に貼ってあるポスターを見つめるふりをして先程から観察をしているが、どうにも受け入れがたい姿をしていた。

緑色の髪、ルビーのような赤い瞳に真っ白な服。

腰から下げた細身の剣はさながらゲームや漫画で見たような物だ。

不思議な事が立て続けに起こっているとはいえ、ここまで別次元の人間を間近で見た事は初めてである。

「刑事さん。君はコーヒーでいい?」

「えっ。あぁ・・・。す、すみません。」

ぼんやりとした表情を浮かべた女性が、優志の前に一つのカップを静かに置いてゆく。

傍らにミルクと砂糖を置いてはくれているが、それでも一口飲んだところで状況が変わる訳ではない。

「・・・・。」

湯気の立ったコーヒーを一口飲むと眼鏡が白く曇り、目の前の人物の姿をぼかす。

「(どうしてこうなったんだ・・・というか・・・部長はどこに・・・)」

この部屋に二人だけにされてから、かれこれ数十分は経過している。

お互いに話す事などなく、それは相手も同じことを考えているのか、優志に一言も彼は話しかけてこない。

先に出会った時の事を思い出してみれば、目の前に座っている彼は、真面目な性格だと考察できる。

「・・・君は・・・」

「っ?」

ふいに口を開いた男性に、思わず優志はコーヒーをふき出しそうになってしまう。

軽く咳払いをして、動揺しきっている自分を落ち着かせるために、優志は熱いコーヒーを無理に飲み込んだ。

「な、なんでしょうか?」

「いや・・・。君は、部外者・・・ではないのかと思って・・・」

「え・・・あぁ。」

赤い瞳を細めた男性は、不思議そうに優志を見つめていた。

警戒した様子もなく、本当に優志を不思議な存在だと思っているようで、何やら小声で独り言を呟いている。

「その・・・成り行きで・・・部外者じゃなくなってしまったというか・・・。」

「成り行きで?・・・あぁ。息子たちが言っていた件か。」

「・・・?」

何やら一人で理解をしたのか、彼は小さく頷いた。

「いや。このビルで起こった事を、息子たちから聞いていたのでね。そのこともあって、今回ここへ・・・こちらの世界に来たのだが・・・状況はあまり良くないようだな。」

「良くない状況?・・・」

「あぁそうだ。」

今度は優志が小首を傾げ、彼の言葉に動揺する。

「こちらの・・・私達が住んでいるこの桜丘市は先日の空を覆い尽くした謎の現象が去ってからは、バケモノも数を減らしていますし、市内の復旧も遅いながらも順調ですが・・・?」

「・・・。」

「警察・・・あ、えっと・・・わ、私達の組織全体から見ても、桜丘市では変わった事は殆ど起きていません。むしろ・・・あの事件が無かったかのように生活している市民が過半数・・・かと。」

相手に話をしても大丈夫だろうと思った優志は、自分の思っている事を彼に向かって話し出す。

しかし相変わらず、目の前に座っている男性は目を細めたままだ。

「そうだな。表向き・・・部外者であろう者達が見ていれば、日常が戻り不可解な恐怖は取り除かれた。と言っていいだろう。」

「つまりその・・・私達にとっては良いと思っているだけ。と言う訳ですか?」

「まぁ。端的に言ってしまえばそうだよ。部外者達にだけ平穏が訪れているという訳だ。」

「・・・・根本的な問題が解決していない?」

ふと頭の中によぎった言葉を口走った優志であったが、それはあながち間違いではなかったらしく、緑色の髪を揺らして男性は頷く。

同時に冷やりとした何かが優志の背中を落ち、先にこのビルへと訪れた時に出会った謎の女性や、エレベーターホールで見た奇怪な姿をしたバケモノ達を思い出した。

「根本的な、原因となる事が解決しない限り、遅かれ早かれこの桜丘市の上空には漆黒が再出現するだろう。下手をすれば、先に出くわした影の者・・・バケモノ達が市内各地をはびこることだって考えられる。」

「また、あのバケモノ達が?」

「そうだ。」

淡々と話した男性は、壁にかけられた時計へと視線を移す。

優志も同じようにそちらへと視線を移すと、自分たちだけがこの部屋に残されてから一時間近く立っている事に気が付いた。

小さなため息をついた男性は、おもむろに片腕を動かしだす。

「・・・っ。」

視界の先に光が溢れ、目の前で起きている事に優志は息を飲む。

白い服から伸びた手が動き、男性の手に小さな魔法陣が幾つも現れては消えている。

まとった服と同じ色をした魔法陣は、彼の手の中で揺らぎ形を変えて消えては新たな物を生み出していた。

「そろそろ。到着するころか?」

「っ?」

男性が言葉を発するや否や、会議室の扉が開かれ、中へと人々が入ってくる。

「待たせたな。」

「・・・部長・・・その方々は・・・。」

携帯を片手に入ってきた司の後方から、先に出会った黒髪の女性と、先程優志たちにコーヒーを運んできた女性が入ってくる。

そして、彼女たちの後ろからはあまり見慣れない人物たちが入ってきた。

「夢郷さん?」

「・・・あれ、あの時の警官さん?」

資料を抱えて入ってきた千枝に声をかけた優志は、ゆっくりと席を立つと彼女に向かって頭をさげる。

千枝は目を白黒させながら、後ろから入ってきた自分の両親を席へと座らせた。

そして最後に、一人の男性が入ってくる。

その人物は、テレビで見かけた事のある程度の人物で、優志自身も初めて対面する男性だった。

彼は司と何やら話をすると、優志の前に座っている男性の隣へと向かって歩いてゆく。

「エルダ。すまないな・・・。まさか、こちらに足を運んでくれるとは思ってもいなかった。」

「いや、状況が状況だ。家臣や息子たちに任せていては手遅れになる。」

朗らかに微笑んだ緑色の髪の男性エルダは、スーツをきっちりと着こなした男性と固く握手を交わすと共だって席に座る。

「武藤家のご当主さんです・・・よね?」

「あぁ。そうだよ。・・・えっと・・・」

「武田優志。俺の部下だよ。武藤さん。この前話した“あの彼”。」

「・・・あぁ。君が。」

「?」

短く切りそろえた黒髪に、がっちりとした体格をした武藤は、司の言葉に頷き、優志に小さく会釈をする。

優志も困惑しつつも頭を下げ、一同が席に座るのを見届けた。

静かに会議室の扉が閉じられると同時に、部屋の中が重々しい雰囲気へと一変する。

優志の隣に腰をかけた司は、ホワイトボードの前に立っている黒髪の女性へと視線を移した。

「さて。それじゃ、そろった所で話をしようか。」

「自己紹介はいいの?」

「・・・必要ならするさ・・・ヒスイ。今は、現状を話した方がいい。」

「そっか・・・。ユナがそれでいいなら、いいよ。」

黒髪の女性ユナは、隣に佇むヒスイと呼ばれた女性に静かに答える。

ヒスイは長い髪を揺らすと、何をいう訳でもなく近くに置かれた椅子へと腰をかけた。

「まずは、あたしから先に謝りたい。」

「っっ!な、何をっ!」

突然頭を下げようとしたユナに向かって、エルダが声を荒げ席から勢いよく立ち上がる。

よほど困惑しているのか、彼は手を震わせていた。

「エルダ。これはけじめだ。あたしが手を下したわけではないとしても、こういう事になったのは、我々“王族”が放置してしまったのが原因だ。・・とりわけ、あたしは弟の分まで責任を取らねばならない。」

「・・・・。」

座ってくれ。と付け足したユナに押されるように、エルダは片手で頭を抱えると席に崩れるように座り込む。

唖然と彼と彼女の会話を聞くしかない優志たちは、何が起こっているのだと困惑する。

「すまないね・・・。特に夢郷さんには、本当に謝らないといけない事ばかりだよ。申し訳ない・・・。いや、この一言だけでは済まされないと分かっている。だが、言わせてほしい。・・・我々の身勝手さが招いた状況だ。・・・謹んでお詫びを申したい。」

「・・・ユナ・・・。あの・・・。」

深々と頭を下げたユナに、千枝は頭を左右に振る。

とたんに千枝の母親が静かに泣きだし、彼女の隣で座っていた父親は何をいう訳でもなく表情を暗くさせテーブルへと視線を落した。。

彼の行動は、何も言えないといわんばかりの行動である。

「色々な事は、るりがいなくなってから・・・武藤さんや市長さん・・・それから警察の方や・・・多くの人から話は聞いているわ。」

泣き続けている母親の背中を撫でながら、千枝がぽつりと声を発した。

「私の娘が今どこにいるのかも。先日、お話を聞いているが・・・」

意を決したように顔を上げた千枝の父親は、ユナの方へと視線を移す。

「それほど遠くない時期に、彼女は帰ってくると思います。ただ、その時に彼女がどういう選択をするのか・・・私達には決めることができないのも事実です。・・・あとは、彼女自身がどうしたいのか・・・。」

「・・・?」

優志はふっと会議から外れるかのように目線をユナから逸らす。

彼女たちが話している内容がイマイチ理解できず、自分を落ち着かせるために考え出した。

「(確かに・・・先日の件でご家族には彼女がどういう状況にあっているのかは説明されていたが・・・彼女が今どこに居るのかは俺がいた時には話の中では出ていなかったはず・・・でも・・・彼らの言葉では・・・)」

エルダの姿をちらりと見て、司や武藤そして夢郷家の者達を順に視線を移してゆく。

「(そういえば、この場に彼女たちが入ってきた時。あまり夢郷さん達はエルダさんと言う方を見ても、困惑していなかった。ということは・・・)」

「娘さんが行った世界は、前にもお話をしましたが、行きたいと言って簡単に行き来をしては良い場所ではないのです。それは、ご理解頂けているかと思いますが・・・」

「・・・それは・・・。」

武藤の声が優志の耳へと入り込み、その言葉に優志自身が考えていた事と合致して彼は目を見開く。

「(表向きは行方不明・・・。実際は部外者には知られてはいけない世界・・・という所にいる・・・やっぱり、俺があの席を離れた後に彼女の家族には向こうの世界に関する説明をしていたのか・・・。)」

淡々と話している武藤であるが、その表情は困惑をしている。

優志が耳を別の方へと向けていた時に、少しばかり話がずれたようだ。

現状を話そうとしていたユナが黙っており、変わりに武藤が説得するかのように夢郷家の者達に話をしている。

「私がどう動いたとしても、妹が今すぐに戻ってこない。というのは、理解しているつもりです。でも・・・その・・・両親としては・・・どうにかならないものかと・・・」

「・・・やはり、あの子は普通の静かな中学生です。私達の中では、そのような存在なのです。・・・皆さんが言う、大それた存在であるとは、到底考えられないんです。」

「・・・るり・・・。」

今まで静かに泣いていた千枝の母親が、この場にいない娘の名前をぽつりと呟く。

どうしたものか。と武藤がエルダへと視線を移すが、彼も首を横に振るしかない。

「今の今まで、我々が住む世界とは無縁だった方々に“承認してくれ”と言うのは酷な事だとは思う。だが・・・現状として事は動いている。そして中心となっているのが・・・貴方達の娘様なのだ。」

「・・・いえ・・・あの・・・これは、話しておいた方が・・・いいのかもしれないが・・・」

「・・・何か?」

最初に話を進めようとした内容とは少し異なりだしてはいるが、ユナは気にせずに彼らの会話をじっと聞いている。

必要な事だと思っているのか、彼女も耳を傾けているようだ。

ため息交じりに小声で妻へと語りかけた千枝の父親は、彼女が頷いたのを確認すると意を決したように皆を見つめた。

「十年以上前でしょうか。家族で一度だけここに旅行へと来たことがあるのです。・・・その時にるりが神隠しのような現象にあって・・・」

「あぁ。それ言ってましたね。確か、娘さんが目を離したすきに姿を消してしまって、夕方近くに山の中で見つかったって・・・。」

司が千枝の父親の言葉をフォローするように、彼へと視線を向ける。

千枝の父親は頷くと、更に話を進めた。

「警察の方にも協力して探したのですが、本当に夕暮れになるまで目撃情報の一つも出てこず、途方に暮れていた所に湧いて出たように娘が見つかって。」

「その時に、見た事もないような花を束になって握っていたんです。」

「見た事も無いような花?」

武藤の方を向いた千枝は、ゆっくりとうなずいた。

「・・・あの子、誰に貰ったの?って問いかけた時に、青いお兄ちゃんって言っていたのを思い出したんです。」

「青いお兄ちゃん?」

「最初は服だと思ったんです。でも、どんな人って聞いても、画用紙に青い髪の男の子や角の生えた人を描いて・・・この人だって言い張るものだから・・・さっぱりわからなくて。」

「・・・・。」

ぽつぽつと途切れ途切れに言葉を発する千枝の母親に、今度はエルダが目を丸くして彼女たちを見つめだす。

「青い髪・・・角の生えたヒト・・・まさか・・・な・・・」

よほど驚いているのか、彼は苦笑いを浮かべだした。

意味は分からないが、エルダはぽつぽつと独り言を呟いている。

「あぁそうそう。当時の資料を署内で探したんですが、犯人は見つかっていない状態で未解決のまま捜査終了。聴取した内容も不明確だったと。当時の担当者が書いてましたよ。」

司が思い出したように千枝や両親たちに向かって言う。

そうでしたか。と小声で千枝の父親が呟くと、彼は武藤やエルダの顔を交互に見た。

「今だから言えます。その時に、あの子だけがそちらの方々の世界と関わってしまったのだ・・・とね。」

「・・・なるほど・・・。あぁそういうことか。」

「なるほど・・・ね。」

エルダとユナの声が重なり、二人は何かに確信を持ったのか、互いの顔を見合わせる。

頷いたエルダは、咳払いをすると口を開いた。

「数十年前。我々の住む世界でも厄介な事件が多発しましてね。恐らくそれらにお嬢様が被害者として関わってしまったのでしょう。」

「人さらいみたいな話でね。現世の・・・えっと、こちらの世界の子供や何やら手当たり次第に、あたしたちの世界に引っ張りこんで来た連中が現れてね。」

苦々しげに口を開いたユナはエルダに続いて話し出す。

「今、この世界とあたしたちの世界を滅茶苦茶にしている奴らがね、その時の事を起こした元凶なのさ。」

「そいつらが、また暴れ出したことによって、先日の怪奇現象がこちらで起こり、つられて色々な厄介ごとが起きているということ。です。」

「・・・・・そしてまた、るりが巻き込まれた。」

「まぁ、そう言っていいでしょうね。」

履き捨てるように言った千枝の母親に、異論はないとユナは視線を落してしまう。

彼女に不信感や苛立ちを与えてしまうと思ったのか、何か言いたげにヒスイやエルダがユナを見るが、彼女はその視線を気が付かないふりをしているようだ。

「話を続ければ時間が足りない程ですが、今はとにかく、現状を話した方がいいでしょう。・・・この場に夢郷さん達を留めておくのは危険だ。」

「・・・?」

武藤の言葉を不思議に思った優志は、思わず司へと視線を向ける。

「とりあえず、後で話す。」

「え、あ、はい。」

ぽつりと司に小さく答えられ、優志は困惑しつつも言葉をつぐむ。

今は他の人達の話を聞けと言われたように感じた優志は、武藤へと顔を向けた。

「こちらの世界の状況も最悪だ。先、このビルにマーラが来ちまっていたからね。・・・いつ、こっちに仕掛けてくるかもわからん。」

「っ・・・・。それで先の影の者達が現れたのですか・・・!」

「あぁそうだ・・・。んで、運悪くそちらの警官さんが目を付けられちまったという訳だ。」

「・・・・。」

皮肉っぽく笑ったユナは、優志と司へと手を向ける。

司は苦笑いを浮かべ、優志はどう答えてよいものかと口をもごもごとさせるしかない。

「玄関先で、この少女を知らないか?と、夢郷さんの娘さんの写真を見せられた時には・・・正直ゾッとしましたよ。部外者が彼女の事を知る事なんてないですからね。」

「彼女の件については、関係各所以外には“関わっている”事さえも公表していないので、あの場で彼女を探している人物が現れる事自体が不可思議だったのですが・・・。すみません。とっさに嘘をついてでも我々が怪しまれないようにしなくてはいけなかったのですが・・」

「いえ、そう自分を責めないでください・・・。」

申し訳ない。と頭を下げた優志に、武藤は優しく彼に言う。

千枝たちの方へと視線を移せば、彼女たちも同じ意見なのか、鋭い視線を彼へと向けている者はいなかった。

「敵の親玉が復活しているという事がわかった以上、こちらも事を慎重に動かしてゆく必要性は大いにある。・・・現にあたしも此処でのんびりと現世の仕事をしている状況じゃない。」

「・・・・。」

ユナの言葉に何かを言いたげに千枝は言葉を発しようとするが、この場でいう事ではないと自分で思ったのか、手に持った資料を強く握る。

会議には関係ない資料なのか、建物や衣服の写真がファイルの合間から見えており、彼女がこの場で家族や優志たちと会っていることは、内密になっているのだろう。

「夢郷さん達は普段通りの生活をしてくれればいい。大勢の人間たちがいる中では、さすがに敵も手を出さないだろう。・・・ただ、状況が落ち着くまではある程度こちら側の人間を傍に置かせてもらうよ。」

「・・・。」

「自宅の方も危険性が高いからね。そのへんに関しては、武藤や警官さん達に任せるよ。」

「・・・わかりました。」

「わかった。」

渋々ながらも頭を下げ返事をした千枝の両親を見て、ユナは武藤や司たちへと視線を向ける。

彼らも彼女の顔を見て頷くと、急ぎ早に席を立つ。

「どういう風に向こうさんが来るかはあたしもわからんからね・・・」

会議室にあった小窓から、ユナはビルの下へと視線を向ける。

何と言って変わりない日常の風景が広がっているようだが、彼女の目はとても鋭い。

「状況は逐一、お互いに把握してゆきたい。何か異変があれば、武藤に相談してくれ。あたしもそれなりに気を付けてゆくよ。」

「わ、わかりました。」

「よく分からない事ばかりで申し訳ないけれど、時間も待ってはくれないだろうからね。・・・すまないが、娘さんとまた再会した時までには、ご両親や千枝も覚悟は決めて欲しい。」

「・・・・。」

凛とした表情で千枝たちを見つめたユナは、ヒスイと顔を見合わせ会議室から出てゆく。

「飛勇さん。警察署までは送りますよ。・・・この先は何があるか分からない。」

「嫌な雰囲気が流れ出している。先のようなモノが現れては、貴殿たちの“鍵”では太刀打ちできないだろう。」

「そんなに・・・。」

おもむろに剣を鞘から抜いたエルダは、ユナや千枝たちが向かった先へと足早に歩いてゆく。

武藤に押されるように部屋から出た司と優志は、白いマントをなびかせたエルダの後を追う。

昼間のオフィスビルだというのに関わらず、先程から人の気配すらない事に気が付き、優志は辺りをぐるりと見渡す。

幾つかの会議室が使用中となっているが、その中から人の声が聞こえてはこない。

それどころか、他の部屋は不自然にも扉がすべて閉じられている。

「先のバケモノどもは、場所を選ばないみたいだからね。用心して、部外者に危害が加わらないようにちょっと細工をしたのさ。」

「できるだけ、気がつかれないように動きたいし・・・何よりこの場に“聖職者”がいる事は、一般人に見られちゃ困るからねぇ」

「・・・すまない・・・。」

先頭を歩くユナの横で、ふわりと風に揺らぐように動いたヒスイが、エルダの方を向いてぽつりと呟く。

マントをひるがえしたエルダは辺りを警戒しつつも、口元に苦笑いを浮かべていた。

彼自身、自分の姿がここに不似合いだと気が付いているらしい。

「なんて言っていても・・・お相手様は早々にあきらめないようだ。」

「っっ!」

千枝の母親が声にならない悲鳴をあげ、彼女を守るように父親が一歩前に出る。

大きなため息をついたユナは、苦々しげに前方を睨む。

そこには、奇怪な声をあげて蠢くバケモノ達がユナ達へと進んでいた。

その先には、下へと下がるためのエレベーターが見える。

「後方は大丈夫だ。ちょっと下がっていてくれ。」

「・・・ゆ、ユナ・・・?」

千枝の背中を押して、ユナは彼女たちを後方へと下がらせる。

充分な距離を開けた彼女は、両手を叩き合せると、軽く地面を蹴ってバケモノの方へと駆けだす。

「飛勇さんたちも下がっていてくれ。」

「えっ・・・。」

司と優志の隣を武藤が通り過ぎ、服の裾から赤い石を取りだす。

瞬時に赤い閃光が走ったと思えば彼の手に日本刀が握られ、バケモノへと振りかざされる。

「確かにこれは切れにくいっ」

「っ!」

千枝の母親が目の前の状況に悲鳴をあげると、バケモノの頭が武藤の刀によって切り落とされる。

黒い煙を上げて切り落とされたバケモノの頭は消え去るが、残された身体は地面を這いずるように動いていた。

「人の集まっているホールまで行けば安心だろう。」

平然とバケモノを乗り越え、ユナがエレベーターの操作盤を押す。

軽い音を立てて文字盤が動きだし、優志たちのいるフロアへとエレベーターが近づいてくる。

「数はさほど多くないなっ」

「多くなくても面倒な奴らだよ・・・」

風を巻き上げてエルダの剣が四方八方へと振りかざされ、同時にバケモノが奇怪な悲鳴をあげて煙へと消えてゆく。

よく見れば、彼の持った剣の刃先には光が溢れており、エルダが振るった方向へと白い光の粒が飛び散っている。

床に当たる前に粒は音もなく消えているが、それらがバケモノへとぶつかると、まるで身体を溶かすかのように音を立てて煙が巻き上がった。

バケモノ達にはエルダの放つ光が猛毒のようであり、彼が近寄るや否やあれほど活発に動いていたバケモノ達は、後ずさりをする。

たが、ひるむことなく剣を振るうエルダの猛攻に、ものの数十秒でバケモノ達は皆姿を消した。

「あ・・・。来たよ。」

「同時だな。」

ヒスイがぽつりと呟くと、優志たちの目の前でエレベーターの扉が静かに開く。

中には誰もおらず、しんと静まり返っていた。

「建物の中にも動じずに入ってくるとは・・・ね・・・」

「厄介なモノだよ。」

千枝や優志たちがエレベーターへと乗り込んだのを見ると、ヒスイとエルダを残して扉がゆっくりと閉まりだす。

「こっちの後処理は任せて。」

「頼んだ。」

ひらひらと手を振ったヒスイの姿を最後に、エレベーターの扉は静かに閉まると、一階へと降下を始める。

数秒も経たずとして扉が開かれると、目の前に明るい世界が広がった。

「本当に・・・何も変わりないのね・・・」

ユナを先頭にホールへと降り出た一行は、いつもと変わりのないエントランスを見て唖然としてしまう。

まるで先の出来事が夢だったかのように、穏やかな世界が広がっている状態だ。

「じゃぁ。我々はここで一旦別れましょう。」

「あぁ。そっちは頼んだ。」

「はい。」

放心状態の千枝の両親と優志や司と共に、武藤は出口へと歩き出す。

途中振り返っては、司や千枝の父親に何やら話をしつつ、彼はガラス扉をくぐって外へと出て行った。

外では車が待っており、彼らはそれへと乗り込んでゆく。

「あの・・・さ・・・」

「何?」

武藤たちが乗り込んだ車が過ぎるまでユナはその場を動かず、ただじっと外を見つめている。

千枝はおずおずと言葉を発し、ユナの背中に問いかけた。

「ユナ・・・って、何者?」

「・・・。」

「いや、もう先の事もあるわけだし・・・ヒスイちゃんもそうだけど・・・隠してもらっても困るんだけど・・・」

「・・・。」

二人の間を人々が通り過ぎ、日常の中に取り残されたように、ユナと千枝はその場に佇む。

周りには多くの人の声が響いているが、まるで遠い世界で聞こえているかのようにぼやけ、千枝の声がはっきりとユナの耳に入り込んでいた。

「そうだな・・・」

何をいう訳でもなく振り返ったユナは、千枝の前で腕を組む。

「あたしは・・・」

エレベーターホールへと人々が降り立ち、いっそう周りが騒がしくなってゆく。

ざわめく人々の中でユナは淡々と言葉を発してゆき、彼女の言葉に驚いた千枝は、眼を見開き彼女をじっと見つめるしかなかった。

 

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