白と黒の世界   作:水鏡 零

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38話

昼下がりの柔らかな日差しの下で、るりは木々の合間から見える空を見上げる。

自分が住んでいた世界で言えば太陽であろう物の光が、木漏れ日となって足元を照らしていた。

「毒素や悪しきものが無くなったおかげだろうな。空気も日の光も十分にある。」

「もっとここは、どんより暗い場所だったのよ。」

「そうなんだ・・・」

先導するグレイの後ろで、ミチルが穏やかにるりへと声をかけた。

王都からこの森をハージェントの背中の上で通り過ぎた際は、確かに不気味な印象を受けたのをるりは思い出す。

しかし、自身の脚で今こうやって歩いていると、それらが嘘のように感じられた。

鳥の声が何処かしらで聞こえ、動植物がざわめく音が聞こえる。

大きく深呼吸をしたジェシカは李春の手を引いて、グレイの方へと走って行った。

後方からちょっかいを出されたグレイは、二人を追うように駆けだす。

子供たちが遊んでいるかのように、三人は賑やかに先頭を進む。

「不思議だね!私はずっとハジさんと一緒だったから、こんなに色んな人といるなんて考えられないよ。」

「お友達たくさん・・・いいこと。」

「うん。それは良い事だよ。」

李春の手をとり、ジェシカは満面の笑みでるりやミチルの周りを走る。

ぼんやりとしたいつもと変わりない表情の李春だったが、どこか微笑んでいるようにも見えた。

「そういえば、ジェシカちゃんは何処の出身なの?」

「えっ?」

ミチルの何気ない問いかけに相当驚いたのか、ジェシカは前方を歩いていたグレイにぶつかる。

「おい・・・。大丈夫か?」

「あ。うん。ごめんなさい・・・」

足を縺れさせ倒れそうになったジェシカを、グレイはとっさに抱える。

ジェシカは目を泳がしながらも彼に謝ると、困った様にミチルやるり達をチラチラと見つめた。

「えっとね・・・どこって言われると・・・答えられないの。たぶん、この世界じゃない場所だと思うんだけど・・・・」

「自分で・・・ココに来たんじゃないの?」

「う、うん。」

不思議そうに皆に見つめられたジェシカは、足を止めて何もない地面をじっと見つめる。

彼女がその場へと止まったことにより、るりやミチル達もそっと足を止めてジェシカを待った。

「気がついたら・・・ハジさんに助けてもらっていて、その・・・最後に見たのが、家を出た景色で・・・」

「そうなると、ジェシカも前巫女が行った禁忌の犠牲者かもしれないな。」

「禁忌の犠牲者?」

「あぁ。」

急に顔をしかめたグレイは、ミチルと顔を見合わせ頷く。

彼は辺りをぐるりと見回すと、ぽつりと話し出した。

辺りは妙に静まり返り、動植物の気配もしなくなる。

「前巫女マーラは、自分の身が危なくなってきた際に、大きな禁忌を起こしたんだ。・・・聞いたことがあるかもしれないけどさ、色々な世界を巻き添えにして“生贄”を集めようとしたんだ。」

「生贄・・・。」

ゆっくりとうなずいたグレイは、行く先の方へと足を進めだす。

話をしながら進もうというのだろう。

「自分の魂や力を別の素体へと移しておき、それを使ってマーラが処刑されても手下たちがそれらに移し替えることによって、あいつは自分が生き延びる手はずを取ろうとしたんだ。」

「結果として、生贄として召喚された人たちは、聖職者や王族達によって助けられたのだけれど・・・。」

不安げな表情を浮かべたジェシカを気にしつつ、ミチルは彼女の手を握ってグレイの後を追いだす。

ジェシカの空いた手を、李春が何も言わずに握りしめた。

「皇帝が言うには、把握しきれていない被害者は多いだろう、と発表されているんだ。どこかに召喚され、そのまま帰り方がわからずに住むしかない状態になった人もいるだろうって。」

「もしかしたら、ジェシカちゃんもその被害者かもしれないわ。・・・被害者たちは皆そろって言っていたらしいもの。・・・普通の生活をしていたら気が付いた時には転移されていた・・・と。」

「・・・そうなのかな・・・。」

静かな森を進み、少しばかり開けた場所へと一行は出てくる。

小さな池が目の前に現れ、水面が鏡のように光を反射していた。

よく見れば、水面には切り立った崖が映って見える。

恐らく、その崖の先にはるり達が立ち寄った竜の里があるだろう。

「私はね、最初は凄く不安で怖かった。でも、おばば様やハジさん達が優しくしてくれたから、ここにいてもいいんだ・・・って思ったら・・・そういう不安とか怖い気持ちとかは薄れたよ。」

「あとは、ご両親にも連絡が取れればいいけれど・・・。」

「う・・・ん。」

ミチルは静かにるりの横を歩いてくるランゼフへと視線を向ける。

彼女は少し考えるように視線を逸らすと、ミチルへと静かに頷いた。

「探してみるよ。ジェシカの情報がある程度わかれば、君の住んでいた世界くらい探せると思うから。」

「ほ、ホント?」

「この世界じゃない場所を探索するのは、案外許可はいらないからね。・・・時間はちょっともらうけど。」

ランゼフの言葉に目を輝かさせたジェシカは、だんだんと表情を笑みへと変えてゆく。

安堵したようにため息をついたジェシカは、ランゼフへと満面の笑みを向けた。

「でも、それは全部終わってからでいいよ。」

「・・・どうして?」

ミチルと李春の手を離したジェシカは、一目散にるりへと駆け寄り、唖然とした表情をした彼女の両手を握りしめた。

「今はるりの力になりたいの。私は皆と一緒にいられれば今はいいんだ。だから、私の迷子はそこまで続いていて良いの!」

「ジェシカちゃん・・・。」

いつものように微笑んだジェシカに、るりも同じように微笑み返す。

二人を見つめていたミチルは、隣へと寄ってきたグレイの顔を見ると、彼と一緒に笑みを浮かべた。

「あ。あとね・・・。」

「・・・?」

るりの両手を握りしめたまま、ジェシカは彼女の手を見つめる。

「あのね。るり、もっと肩の力を抜いて私と話をしてほしいな。・・・ちょっと・・・るりって話し方が硬いんだもん」

「え・・・。」

「だから、これからはさ!」

ふわりと風をまとったジェシカは、るりの手を取って歩き出す。

その時、彼女が少しばかり宙を浮き足を地面につけることなく歩いていることに、るりは気がついた。

「みんなともっともっと仲良くなろう?これから、るりと私達は長い時間を過ごすんだもの!」

「ふふ・・・そうね。ジェシカちゃんの言うとおりだね。」

「ミっちゃん!」

グレイの隣で微笑んだミチルに、ジェシカはるりの手を握ったまま近くへと駆ける。

ミチルの目の前へと立ったジェシカだったが、やはり彼女の脚は地面へとついていない。

「が、頑張ってみます・・・っ!」

「あっ。敬語も無しでいこうぜ。」

「えっ・・・あ、はい。」

「・・・固いよーるりー。」

声をあげて笑ったジェシカは、るりから離れると湖へと歩いてゆく。

地面を歩くことなく宙を駆けた彼女は、静かにたゆたう水面の上で立ち止まった。

スカートが風をまとったように揺らめき、不思議な光景となっている。

「私も、隠さないでいるね。・・・私、この方が過ごしやすいんだ。」

「ジェシカ・・・羽もないのに、飛べるんだね。」

「飛んでいるって言うのかなぁ?」

羽をはためかせ、李春がジェシカの横へと飛んでゆく。

背中や足元を不思議そうに見つめた李春は、何もない状態で浮いているジェシカを見つめた。

「そういう特殊な事も含めて検索すれば、ジェシカのいた世界は見つかると思うよ。・・・でもまぁ、全部終わってから・・・の方が君はいいんだろう?」

「うん!そうだよ。ランちゃん。」

ふわりと宙を蹴ったジェシカは、ランゼフの前へと歩いてきた。

後方から李春が同じようについてくる。

「私も・・・あだ名がほしい・・・ランちゃん・・・ずるい。」

「ずるいってなんだよ・・・。」

「ふふ・・・。」

ジェシカと李春、そしてランゼフが楽しげに話をしているのを見て、思わずるりは笑ってしまう。

「おーい。いつまでも此処で道草食ってる場合じゃねぇぞー。お前ら置いて行くからなー。」

「えーっ!ちょっと、なんでー。」

「おいっ!ボクまで巻き添えを食わせるなっ!」

「お子様方は迷子になるなよー。」

「誰が子供だっ!」

ミチルと共に先を進みだしたグレイが、苦笑いを浮かべてジェシカ達へと声をかける。

彼の言葉に怒鳴り声をあげたランゼフは、ジェシカと李春の手を引いて歩き出す。

「そういうところが子供なんだよっ!」

「だから違うって言ってるだろ・・・!見た目で判断するなっ!」

声を荒げてグレイへと怒鳴り声をあげているランゼフだったが、ジェシカと李春の手はしっかりと握っていた。

「賑やかな妹が増えたみたい。」

「ランちゃん。なんだかんだで二人と仲いいみたいでよかったです。」

「ふふ・・・そうね。お姉さんぶってるのかもね。」

からかうように言葉をジェシカにかけられているのか、ランゼフは彼女の方を向いても悪態をついている。

李春は時折ランゼフへと何かを呟き、その度にランゼフはため息をついていた。

そんな三人を見つめたミチルとるりは顔を見合わせ微笑む。

「そういえば、るりちゃん?」

「・・・?」

グレイに追いついたランゼフは、彼と言い合いながらミチルとるりを追い越して先へと進んでゆく。

ミチルは意図的に少し足を進めるのを遅くすると、るりの耳へと片手を持って行った。

彼女の行動に気がついていないのか、グレイたちは賑やかに言い合いながら前方を歩いている。

「・・・アリスさんに会った時に、何を最初に話すか決めてるの?」

「っっっ?」

ミチルの言葉に顔を真っ赤にさせたるりは、彼女の顔をぎょっとしたように見返す。

るりの反応をおかしく思ったのか、ミチルはにっこりと笑った。

「ぜ、全然・・・決めてない・・・」

「あら?聞きたい事とか、何か言いたい事とか、ないの?」

「え・・・っと。」

胸のあたりへと手を持っていったるりは、首から下げた鍵を片手で掴むと、目を左右に揺らし出す。

「色々とあったけれど・・・なんだか、会えるかどうかも不安で・・・」

「あら、会わないと駄目よ。それに・・・」

「・・・・?」

くすりと笑ったミチルは、面白おかしそうにるりの耳元へと、また片手を持ってゆく。

「母様が言ってなかったけれど・・・今夜はおば様が戻ってきたお祝いのパーティとして舞踏会が催されるから・・・」

「え・・・。」

意味深に微笑んだミチルは、何をいう訳でもなくグレイたちの方へと小走りに駆けだす。

「ぶ、舞踏・・・会?」

その場に残されたるりは、更に赤くなった顔へと両手を持って行った。

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

自室から出たアリスは、慌ただしく動いている屋敷の者達を見て眼を白黒させる。

「こちらはどうしましょう?」

「玄関に飾ってみようか。華やかな方がお客様もお喜びになるだろう。」

「もう少し、これは右の方が良くないか?」

「明かりは柔らかい方が引き立ちますし・・・」

「・・・・」

鮮やかな花々が屋敷中にちりばめられ、玄関ホールには大きな花瓶が運ばれてきていた。

夜には灯されるであろう明かりの魔石は一つずつ変えられ、いつも使われていた物は箱へとしまわれてゆく。

窓ガラスは綺麗に磨かれ、装飾品さえも変更されている場所があった。

「坊ちゃま。そろそろ、お支度されてはいかがでしょうか?」

「・・・何が起こってんだ?」

「おや?奥様からお伺いしていないのですか?」

「・・・は?」

きょとんと小首をかしげた屋敷の者達は、アリスの不思議そうな顔をみて更に首をかしげる。

「あ・・・もしかして・・・」

「あぁ・・・そういう・・・」

「まぁ、奥様ったら・・・」

突然はっとした表情をした女性は、隣にいた者に耳打ちをしてお互いにクスクスと笑いだす。

周りの者達が次々と笑みを浮かべ、アリスを残してゆくように作業へと戻っていった。

「奥様も・・・相変わらず、驚きがお好きなようですね。」

「なぁ?アンディ・・・。全くわからないんだが?」

「申し訳ありません坊ちゃま・・・。」

アリスの顔を見ては微笑んでその場を去ってゆく屋敷の者達に、彼は困惑した表情を向けるしかない。

白髪の男性アンディが、唖然とたたずむアリスに小さく頭を下げた。

彼は何をいう訳でもなく、手を差し伸べてアリスを手招く。

アンディに誘われるがままに、アリスは屋敷の奥へと進んでいった。

賑やかに作業をしている者達を通り過ぎ、扉の空いた部屋へと入る。

「か、母さん?」

「あら、ここはまだ立ち入り禁止よ?」

「いやっ、そうじゃなくて・・・」

メイドたちと和やかに作業をしていたアイネは、後方に現れたアリスに向かって不機嫌そうに頬を膨らませる。

アリスは苦笑いを浮かべたアンディを横目に、彼女へと近寄った。

「あ。それは、早く奥の部屋へ!アリスに気がつかれたら大変だわ。」

「はいっ、奥様。」

「大丈夫です奥様!守り通してみせますっ!」

「・・・は?」

困惑した表情を向けるアリスの目の前で、勢いよくカーテンを引いたメイドたちは、カーテンの向こう側でいそいそと何かを運び出す。

隣の部屋へと何かが音を立てて運ばれてゆくと、何事もなかったようにカーテンが開かれた。

そこにはぽつんと、一つのトルソーが置かれている。

「そうそう、パパはディルの家に出かけていないからね。」

「あの・・・そうじゃなくて・・・この状況は何なんだよ?」

「あら?」

縦横無尽に辺りを忙しそうに過ぎてゆく屋敷の者達を指さし、アリスは苦々しげにアイネへと問いかける。

アンディは小さく咳払いを一つすると、アイネの横へと進み出て耳元でぽつりと呟いた。

彼の言葉に微笑んだアイネは、何も言わずにアリスを手招く。

「これを見て、何か思い浮かべる事は?」

「・・・これ・・・って。」

外の柔らかな日差しに照らされながら、アリスの前に一つのトルソーがぽつんと目に入る。

黒を基調とした衣服は、所々に鮮やかな刺繍が施されていた。

「パパとも相談して作ったのよ。今後の事もあるだろうからね。」

「え・・・これ。俺の?」

「そうよっ。アリス以外に誰が着るの?」

「・・・え・・・あの・・・。」

アイネとトルソーにかけられた服を交互に見たアリスは、揃いでまとめられたアクセサリーや靴を見て唖然とする。

「あなた。普段から現世の服に似たモノを着ているでしょう?どういう正装が似合うとかパパと悩んだんだからね。」

「お、親父も一緒に考えたのか?」

「当たり前じゃない。」

ぽんと軽く背中をアイネに叩かれたアリスは、未だ信じられない物を見たかのように表情を変えない。

「あなたのお父様なんだから・・・。なんだかんだ言いつつも、ちゃんと考えているのよ。アリスの事を・・・ね。」

「・・・親父・・・。」

トルソーの横に置かれたテーブルには、幾つものアクセサリーが置かれている。

よく見れば、男物のアクセサリーに混ざって、女性物の装飾品が置かれている事にアリスは気がついた。

「坊ちゃま。本日は、大切なお客様をお招きする日ですよ?」

「大切な・・・・あぁ・・・もう、そうか。」

アンディの言葉に短く答えたアリスは、ふっと視線を落してしまう。

不安げにも困惑したようにも見えたその表情に、アイネとアンディは顔を見合わせるしかない。

「アリス。貴方がどうしたいのかは自分で考えなさい。パパも・・・コーディもそう思っているのだから。」

「・・・。」

「ママもパパも、アンディも屋敷の人達も、貴方の判断を否定したりはしないわ。」

「・・・母さん。」

穏やかに微笑んだアイネは、小さく咳払いをすると傍らに控えていた者達へと視線を移す。

彼女に答えるように頷いた屋敷の者達は、服の裾から待ち針や針糸をひょいと取りだした。

おもむろにポケットへと手を入れたアンディも、何事も無かったようにメジャーを手に持つ。

「まだ少し時間はあるわ。アリス・・・急ぎましょう?」

「え・・・?」

今の今まで話していた内容とは全く関係のない周りの状況に、アリスは笑みを浮かべたまま魔の抜けた声を出してしまう。

「お客様が来るまでに、お洋服の寸法を直させて頂きます。」

「は?・・・まてっ?えっ?これ、きょ、今日着るのかっ?」

「えぇそうですよ。」

ぎょっとした表情へと変わったアリスは、微笑みを浮かべたままのアイネへと向き直る。

「奥様がお戻りになられたお祝いのパーティを今夜は催すのですよ。」

「・・・・・・・・・・・・」

にっこりとほほ笑んだアンディに、アリスはピクリと肩を動かす。

「今着ているその格好でパーティには出せません。参加しないも却下です。さぁ、やることは山のようにあるのだから、急ぎましょうね。アリス。」

「い、今の・・・話は・・・なんだったんだ・・・・」

アイネに肩を叩かれたアリスは、鼻歌を唄ってその場を去ってゆく彼女の背中を唖然と見つめるしかない。

目の前で扉が軽やかに閉じられ、アリスはため息をつく。

「坊ちゃま。そういえば、ダンスの練習は最近されてませんでしたね。」

「え・・・あぁ・・・。そういうのは、全然・・・・・・・ん?」

何事も無かったようにアンディはトルソーから洋服を外し出す。

アリスは自分の上着に手をかけたとたん、彼の言葉に腕が止まった。

質問の意味を頭の中で考えだし、そのままの姿勢で制止してしまう。

制止したアリスに気がついたのか、アンディは何故か微笑む。

「アイネ様のお考えでは、お越しになるお嬢様はこういった会は初めてであろうとの事。・・・であれば、坊ちゃまがリードしてあげなくてはなりませんよ?」

「・・・・・・・・・・・。」

小さく手を震わせたアリスは、ごくりと喉を鳴らし自分の脳裏に浮かんだ情景に頭を抱える。

「あぁぁ・・・。か、母さんっ・・・!」

してやられた。と言わんばかりに大きなため息をついたアリスは、しばらくそのままがっくりとうなだれた状態になる。

「・・・服の調整が終わったら、一通り練習したい。」

「かしこまりました。」

腹を括った様に低く呟いたアリスは、おもむろに上着を脱ぎだす。

柔らかに微笑んだアンディは、アリスから上着を預かると、手に持った真新しい服を彼の背中へと向けた。

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

鮮やかな花が咲き誇る道を過ぎ、目の前に一軒の屋敷が見えてきた。

石造りの重厚な屋敷は、レヴァンティアが住んでいた屋敷とは異なり、重々しい雰囲気を模している。

「久しぶりに来たんじゃないか?」

「えぇ。そうね。」

グレイとミチルを先頭に、るり達はその屋敷へと足を進めた。

窓ガラスの中では、屋敷に仕えている者達の姿がチラホラと見える。

重厚な造りの玄関扉が目の前で開かれ、中から人影が見えてきた。

「ようこそお越しくださいました。」

「いらっしゃい。」

深々と頭を下げたメイドの隣で、アイネがひらひらと手を振る。

「おば様、お身体はもう宜しいのですか?」

「えぇ。すっかり良くなったわ。ミチルちゃんも大丈夫?」

「はい。」

アイネとミチルが話をする中で、るりは彼女達から一歩離れ、ランゼフやジェシカと共に後方で様子を見ていた。

時折視線を感じ、窓の方へと視線を向けると、るりの方を見て話をしている者達の顔がちらりと見える。

「るりちゃん。貴女も元気そうでよかったわ。」

「え。あっ。・・・はいっ。」

ふいに声をかけられたるりは、自分にアイネが言葉を駆けてくるとは思っておらず、裏返った声を出してしまう。

慌てふためいたるりを見て、アイネはクスクスと肩を震わせて微笑んだ。

「屋敷の者達がね、ソワソワしているでしょう?るりちゃんの事が気になって仕方がないみたいなの。」

「わ、私の事で・・・ですか?」

「えぇそうよ。」

隣に佇むメイドへと視線を向けたアイネは、彼女と顔を見合わせ微笑むと、何をいう訳でもなく屋敷へと手招く。

「お。お邪魔・・・します・・・」

「はい。どうぞ。」

グレイとミチルの隣を通り過ぎたるりは、アイネの後を追うように屋敷へと足を踏み入れる。

外の明るさが目の前から消え、ふっと足元から日の光が消えた。

「わぁ・・・。」

靴の音を響かせ屋敷の中へとるりが入ると、視界の先に色とりどりの花が目に入ってきた。

外装とは異なった鮮やかな色が屋敷の中に広がり、甘い花の香りが漂ってくる。

るり達を出迎えるために、玄関ホールには多くの屋敷の者達が並んでおり、皆が深々と頭をるりへと下げた。

「どう?すごいでしょう?・・・この日の為に、屋敷の者達と一緒に頑張ってみたの。」

「す、すごいですっ!・・・きれい・・・。」

アイネに手を引かれ、るりは屋敷の中へと進んでゆく。

遅れて入ってきたミチルやジェシカの声が、るりの後方で聞こえてきた。

「さぁさぁ、皆こちらへきて。」

「見慣れたお屋敷だと思ったら・・・」

「おば様が帰ってきたとたんに、明るくなったね。」

「あぁ・・・。」

るりの手を引いて屋敷の奥へと進むアイネの後ろで、グレイとミチルの小声が彼女たちの耳へと入ってくる。

その言葉に思わず笑ってしまったアイネは、振り返る事無く満面の笑みを浮かべた。

絨毯の上を颯爽と歩いて行ったアイネは、るりの手を離すことなく部屋へと入ってゆく。

柔らかな手に包まれながら、るりは抵抗することなく彼女と共に中へと入って行った。

「ようこそ、お越しくださいました。」

部屋の中には白髪の男性が立っており、彼は穏やかに微笑むと頭をゆっくりと下げる。

「アンディさん。お久しぶりです。」

「おぉ。ミチルお嬢様。・・・ご無事で何よりでございます。」

しわの寄った顔でくしゃりとほほ笑んだアンディは、るりの後に続くように入ってきたミチルとグレイへと視線を向け、更に優しい表情で二人を見つめた。

「おや。そちらは、ジェシカ様でしたね?」

「お久しぶりです。えっと、今日はハジさんはいないよ?」

「さようでございましたか。」

遅れて入ってきたジェシカと顔を見合わせ、アンディは彼女の視線に合わせて腰を曲げる。

李春とランゼフへと視線を向けたアンディは、何をいう訳でもなく二人にも同じように微笑んだ。

ランゼフは視線を逸らし李春と共にジェシカの影に隠れるように佇む。

「どうぞ。こちらでおくつろぎくださいませ。お部屋のご用意ができ次第、ご案内させて頂きます。」

「ありがとうございます。」

部屋の中央に置かれたテーブルへとティーセットが運ばれ、アンディはゆっくりとした動きで一つずつカップへ茶を淹れてゆく。

「さぁみんな。どうぞ、座ってちょうだい?」

「は、はいっ。」

アイネに招かれるようにソファへと腰を降ろしたミチルは、ジェシカやランゼフ達へと視線を向ける。

おずおずと歩み寄ったジェシカは李春を抱えて座らせると、その隣にランゼフと共に腰をかける。

「奥様。それでは、私は大事な要件がありますので・・・」

「あらあら・・・そうだったわね。・・・ふふ、よろしくね。アンディ。」

「はい。かしこまりました。」

意味深に微笑んだアンディに、アイネは答えるように笑う。

深々と頭を下げた彼は、メイド達と共だって部屋の外へと出て行った。

「あら。貴女がティアの言っていた妖精ちゃんね。」

「・・・こんにちは。」

「はい。こんにちは。」

物珍しそうに李春を見たアイネは、彼女の背中に生えた羽を見て、ぴくりと肩を震わせる。

「大丈夫・・・。私は“普通に食事ができる”から。」

「そ、そう。」

ジェシカにテーブルの上にあった焼き菓子をもらった李春は、アイネの前で一口ほおばる。

顔を一瞬ひきつらせたアイネだったが、李春のその行動にほっと溜息をつくと、いつもの穏やかな表情へと戻った。

「おば様・・・。いつまでるりの手を握って立ってるの?」

「るりも座ったら?」

「あら・・・っ。そうそう。」

「っっ?」

苦笑いを浮かべたグレイに見つめられ、るりはアイネへと視線を向ける。

アイネはしっかりとるりの手を握ったままで、彼女がたじろいでも手を離すことはない。

「到着したばかりだけど、ちょっと“借りても”いいかしら?」

「え?」

「・・・るりとお出かけ?」

ジェシカに顔を拭かれながら、李春がぽつりと言葉を発する。

るりの顔をちらりと見たアイネは、彼女の返答を待つことなく、深く頷いた。

「ミっちゃん・・・もしかして・・・」

「っふふ・・・そうかもね・・・」

「何?二人とも・・・」

アイネの顔を見たグレイは、ミチルの耳にぽつりと小声で耳打ちする。

ミチルは何故か頬を少し赤くし、グレイに頷いた。

訝しげに見つめるランゼフだったが、隣に座ったジェシカもミチルと視線を合わせてにやける。

「後で、屋敷の者が皆にも説明すると思うけれど、とりあえず、今はメインのお姫様に・・・ね?」

「え・・・あの・・・」

「さぁさぁ、行きましょう?」

「えぇっ?」

思い切りるりの手を引っ張ったアイネは、ミチル達に手を振るとアンディが去って行った方へと部屋を出てゆく。

軽い音を立てて扉が閉まると、ミチルは肩を震わせて笑い出した。

「アイネおば様って、ほんっと面白いわね。」

「面白いというか・・・行動的というか・・・ね。」

「あー。ロマンスだねぇ~。」

「っっ!」

グレイとミチルの言葉を聞きつつ、ジェシカは大人ぶった様にカップに注がれた茶を飲む。

ジェシカの言葉を聞いたランゼフは、ぎょっとした顔でソファから飛び上がるように立ち上がった。

「ボク・・・様子を見て・・・・」

「駄目だよッランちゃん!」

「駄目だよっ。ランちゃんっ!」

「っっお、おいっ!」

立ち上がった勢いで走り出そうとしたランゼフの腕をつかみ、ジェシカとミチルが声を合わせて制止させる。

「・・・・・。」

「絶対だめだからね。」

「邪魔はだめよっ!」

二人の異様な威圧に負けたランゼフは、しぶしぶとソファに倒れ掛かるように座り直した。

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

アイネに手を引かれ、るりは屋敷の中を歩く。

茶色の髪が外の光に照らされながら、アイネは浮き足経ったように屋敷の中を進んだ。

「ふふ・・・どんな感じになっているのやら・・・」

「あ・・・あの・・・アイネ・・・さん?」

一つの扉の前へと立ち止まったアイネは、声を発したるりの唇に、自分の人差し指を静かに当てる。

るりは目を真ん丸とさせてその指を見つめた。

「声を発しちゃだめよ?・・・あれでも、結構鋭い子だから。」

「・・・?」

静かにね。と付け足したアイネは、ゆっくりと目の前の扉を少しだけ開けてゆく。

音を立てないように慎重に開けたアイネは、面白おかしそうに微笑むと、るりへと手を手招いた。

「あ・・・。」

隙間から覗き見るように顔を覗かせたるりは、扉の隙間から自分たちの方へと漏れた光の先で人影が揺れているのに気がつく。

「ほら、パパと言った通り。似合ってるじゃない。」

「・・・・。」

アイネとるりの不思議な行動に小首を傾げ、彼女たちの後ろを屋敷の者達が何人も通り過ぎてゆく。

同じように後方から立ち止まった者達は、小さなため息をついて中の様子を覗き見だした。

「正装すれば、いい男なのにねぇ。」

「もう、奥様ったら・・・。」

「・・・・。」

クスクスと笑っているメイド達とアイネの前で、るりは隙間から見える青年をじっと見つめる。

「この辺りは、曲調にお合わせになられればよろしいかと。」

「そうか・・・。」

真剣な目つきで足を止めた彼は、青い髪を揺らしてため息をつく。

黒い服をひるがえし、少し考えるように立ち止まった彼は、るり達に気がついていないらしく、切れ長の細い目で瞬きをする。

「ゆっくり進んでいただければ、足を縺れさせる事もないでしょう。」

「あまり、無理はさせたくないしな・・・。」

「お優しいですね。」

「いや・・・その・・・。」

アンディの言葉に苦笑した彼は、着なれない服に戸惑っているのか、襟を正すような素振りをする。

トルソーにかけられたマントを取りそれを着ると鏡の方へと歩いて行った。

るりやアイネの前から、彼の姿が見えなくなる。

「坊ちゃま。練習はもう宜しいので?」

「っっ?」

ワザとらしく声を発したアンディに、アイネは弾かれたようにるりの手を握ってその場から離れる。

よろめくように立ち上がったるりは、メイドに手招かれるように向かい側の部屋の中へと駆けこんでいく。

後方で勢いよく扉が閉じられると、アイネはるりと共に駆け込んだ部屋の入り口へと静かに近寄った。

「ぼ、坊ちゃま・・・よよよ、よくお似合いですよ。」

「見とれてしまいましたっ!」

「・・・いや、そんな隠れて見られてもなぁ・・・。」

「っももも、申し訳ありませんっ!」

扉の向こうでは慌てふためくメイドたちの声が響き、呆れたような青年の声が続いて聞こえてきた。

アイネはほっと溜息をついて、足音が無くなったのを確認すると外に出ようとドアノブを握る。

「あっ。ダメだわ・・・。」

「えっ・・・あのっ。」

突然苦笑いを浮かべたアイネに、るりは困惑した表情を向ける。

るりへと振り返った彼女は、るりに“静かに”と指を立てると同時に、頭へと手を向けた。

小さな光がるりを包み込むと、足元へと魔法陣が描かれる。

「るりちゃん・・・そこに力を少し注いでっ。早くっ・・・」

「えっあ、は、はいっ」

声を押し殺して言葉を発したアイネに押され、るりは指先から少しだけ魔力を放出させると、彼女が出現させた魔法陣へと落す。

るりを包んでいた光が白と黒に変わり、瞬時にして身体を包み込んだ。

目の前では、ガチャガチャと音を立ててドアノブが回されそうになっているのが見える。

「な、何が出てきても、絶対に動いちゃ駄目よ。」

「っ・・・。」

両手で口元を覆ったるりは、アイネに小さく頷く。

彼女にはるりが見えていないのか、ちらりと後方を向いたアイネは、ドアノブから手を離す。

「っっ!」

思わず叫びそうになったるりは、歯を食いしばってその場から動かないように足を踏ん張った。

「やっぱりな。あのさぁ、母さん・・・なにやってんだよ・・・。」

「な、何って?」

呆れた表情で扉の前に立ったアリスは、苦笑いを浮かべたアイネをじっと見つめている。

アリスはるりの姿に気がついていないらしく、アイネの後ろで目を見開いて佇んでいる彼女へは視線を移していない。

「ほ、ほら・・・。邪魔しちゃいけないかなぁって・・・・。」

「・・・はぁ。」

「服・・・似合ってるかなぁって気になって・・・」

「だったら、普通に部屋に入ってくればいいのに・・・。」

真っ黒なマントをひるがえしたアリスは、アイネの顔をじっとりと見つめると、ため息をついて向かい側の部屋へと入ってゆく。

その間では、力不足でした。申し訳ありません。と小声でつぶやいているメイドたちがいた。

「開けておくから。気になるなら見てくれていいよ。」

「・・・・え。あぁー・・・・。」

真新しい靴で地面を鳴らす様に歩いたアリスは、困った表情を浮かべたアンディへと視線を移す。

「あ・・・。」

「どうしましょう・・・。」

るりが立っている方へと視線を向けたアイネは、同じように困惑した表情を浮かべているメイドたちと苦笑いを浮かべるしかない。

アリスが部屋の入り口を開け放ったことで、るりをその場から動かすことができなくなってしまったのだ。

「どうしたら・・・」

「・・・・さぁ、どうしましょう。」

慌てふためくメイドたちが、ふいにぴたりと動きを止める

彼女たちは、廊下の先を見て急いでその場から離れた。

メイドたちは静かに壁の方へと寄ると、小さく頭を下げる。

急に態度を急変させたメイドたちにるりは小首をかしげるしかない。

「なんだ・・・。騒がしい。」

「おかえりなさいませ。旦那様・・・。」

男性の声が聞こえるや否や、ふいに目の前が暗くなり、アイネが立っている先が黒一色へとなる。

るりの視線の先でに真っ黒なマントをひるがえしたコーディの姿が見え、彼は呆れたようにアイネを見ると、彼女の視線の先へと向きを変えた。

「馬子にも衣装だな。」

「うるせぇっ!」

あざけるようにアリスへと声をかけたコーディに、アリスは怒鳴り散らす様に声を荒げる。

声は怒っているようだが、アリスの表情は困惑しているようだった。

「・・・ったく。ありがとな。親父殿っ!」

「気持ちが悪い・・・。お前の為ではなく、客人の為に用意しただけだ。」

「そいつぁ、どうもっ!」

喧嘩腰に言い合う父と息子に、アイネは思わず笑ってしまう。

彼女の後ろでは、未だに両手で口元を覆ったるりが立っている。

コーディの背中越しに、アリスの照れくさそうな表情が見え、るりは自分の心臓がはちきれるのではないか、と錯覚してしまう。

「そのような未完成の姿を屋敷中に見せるな。はしたない・・・。」

「っ・・・!」

指を弾いたコーディに合わせ、何か言いたげなアリスの顔がるりの視界に映り込むと、音を立てて扉が閉じられる。

完全に部屋の中が見えなくなったのを見届けると、コーディはアイネの方へと向きを変えた。

「そろそろ。お嬢さんも皆に姿を見せてくれないか。・・・もう、あの阿呆には見えていない。」

「あぁ。パパには見えているのね。」

「・・・。」

ほっと胸をなでおろしたアイネに合わせて、るりは口元から両手を離すと一歩前へと出た。

白と黒の光が粒となって身体から剥がれ、どう言って良いものかと、おずおずとコーディの顔を見上げる。

「まったく。アイネの悪い癖がお嬢さんに移ったらどうする?」

「あら。それはそれで良いと思うけれど?」

「え・・・っと。」

るりの手を握って部屋から廊下へと出たアイネは、コーディと向き合って意地悪そうに微笑む。

長い青い髪を揺らしたコーディは、おもむろにるりの頭へと手を向けた。

「よく来てくれたな。歓迎するよ。」

「いえ。あの、こちらこそ。お招きいただいて・・・ありがとうございます・・・っ?」

「まぁ。」

大きなゴツゴツとした手がるりの頭上で動くと、彼女の頭をその手が優しく撫でてくる。

思わぬコーディの行動に、るりは目を白黒させるしかない。

「君には話したい事がアイネと同じくらいあるが、まずは今宵を楽しんでもらえば何よりだ。」

「パパもね、るりちゃんに会いたがっていたのよ。」

「え・・・。」

よほどコーディが笑っているのが珍しいのか、るりの視線の先では屋敷の者達が驚いた顔を向けているのが見えた。

るりの頭を撫でたコーディは、咳払いをすると背後で閉じられている扉を見つめる。

「あの阿呆も色々と考えたのだろう・・・。まぁ、覚悟ができたのかは知らんが・・・。ここまで来た以上は腹を括ってもらおう。」

「やっと折れた。」

「・・・?」

ほっと胸をなでおろしたアイネは、るりの肩を軽く何度か叩く。

後方に佇んでいる彼女の顔を見上げたるりは、柔らかに微笑んだアイネと目が合って小首をかしげる。

「るりちゃん。ちょっと顔が赤くなってる。」

「ッっっ!」

「・・・・・。」

子供のように無邪気に笑ったアイネに、コーディの呆れたため息が聞こえてきた。

アイネの言葉に顔を真っ赤にさせたるりは、どこを見てよいものかと目を右往左往とさせるしかない。

少しでも止まって考えてしまうと、先に見たアリスの姿が脳裏にくっきりと映し出され、心臓が張り裂けんばかりに高鳴りだしてしまう。

「お嬢さんをあまりからかうんじゃない。」

「良いじゃない。私は嬉しいのよ。“また”ここに訪れてきてくれた事がとっても・・・とってもね。」

「・・・。」

微笑んだアイネはコーディと目くばせすると、るりの肩を掴んで方向転換させる。

「パパもちゃんとお支度しておいてね。アンディの手が空くのは、ギリギリかもしれないから。」

「・・・そうだな。自分なりに身支度はしておくつもりだ。」

「ふふ。そうしてちょうだいな。」

「あ・・・あの?」

小さくコーディに手を振ったアイネは、るりの肩を掴んだまま歩き出す。

アイネに押されるように足を動かし出した彼女は、コーディの顔を振り返る事無く廊下を進んだ。

「ティアから、今夜の事は何も聞いていない?」

「え。は・・・はい。特には・・・。」

「ならばよろしい。」

「・・・?」

小さく扉をノックしたアイネは、中から音が聞こえない事を確かめて、そっとその扉を開く。

カーテンの引かれた薄暗い部屋の中に、幾つものトルソーやドレスや服が置かれている。

るりと共にそこに入った彼女は、そっと後方で扉を閉めた。

窓脇のカーテンを静かに引いたアイネは、るりを手招く。

「るりちゃんの住んでいる世界は、白いドレスは婚儀の儀式で着るんでしょう?」

「え・・・。あ、はい。」

柔らかな布がかけられたトルソーへと手を伸ばし、アイネは布を取り外してゆく。

傍らのテーブルに布を置いたアイネは、るりの手を引いてそのトルソーの目の前まで連れてくる。

「白と黒のドレスは、こちらの世界はパーティなどで着られる正装なの。でも、きっと白いドレスを選んだらるりちゃんびっくりしちゃうと思って・・・この色にしたの。」

「・・・・。」

クリーム色のドレスには、黒や銀の糸で幾重にも刺繍が施されている。

トルソーにかけられた髪飾りは同じ布を使って花を模っており、可愛らしい印象を受けた。

「あの・・・これ・・・私・・・が?」

「そう。るりちゃんが今夜着るの。・・・そっちは、ミチルちゃん。」

「・・・・きれい。」

ふんわりとドレスのスカートに手を当てたるりは、顔を綻ばせる。

彼女の顔を見つめたアイネは、壁にかけられた時計へと視線を移した。

「ティアと一緒に選んだの。あの人も相当なセンスの持ち主ね。他の子たちのドレスも、ぱぱっとこの短期間で選んだのだから・・・。」

「い、一週間で・・・ですか?」

「そう。貴女があの屋敷に滞在している間に、淡々とアクセサリーや靴まで選んでいたの。」

「・・・・すごい。」

るりの脳裏には長いつばの帽子の中で妖艶に微笑むレヴァンティアの顔が浮かび上がる。

彼女とは毎日会っていたとはいえ、ランゼフやましてや李春の服さえも選んだというのであれば、相当な者だろうとるりなりに考えてしまう。

「大丈夫。貴女達はのんびり参加してもらえばいいし・・・何より、今夜は“これ”以外に意図があって行うから。それを成功させれば、親としては何よりだわ。」

「・・・?」

意味深に微笑んだアイネは、不思議そうに見つめ返してきたるりの頭をそっと撫でた。

「・・・さぁ。どんな決断をあの子がするのか、親として見届けないといけないわね・・・。」

ぽつりと呟いたアイネの言葉に、るりは意味が分からず首をかしげるしかなかった。

 

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