白と黒の世界   作:水鏡 零

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3話

夕焼けに照らされた“青”は、あまりにも美しく見えた。

“彼”が手に持った“太刀”が、更に目に映る“青”を濃くしているようにも見える。

水を含んでいるのか、周囲に小さな泡が舞い散っていた。

「・・・大丈夫か?」

「あ・・・。」

目の前の青年がるりの方に振り返ることなく彼女に問いかける。

気味の悪いローブを着たバケモノは、身体をくの字にひしゃげて蠢いていた。

るりはどう言っていいかわからず、小さく首を縦に振るしかない。

ちらりとるりの方へと振り返った青年は、太刀を構えなおして前方を見る。

表情は見えなかったが、るりは不思議と自分が落ち着いてきているのを感じていた。

この異常な状態に頭を悩まされながらも、彼女は荷物を強く握る。

「おい。いつまで寝っ転がってんだ?・・・まさか、これで終わりじゃないだろ?“影野郎”。」

「アァ・・・。」

音を立てて太刀を地面に突き立て、青年はうずくまったバケモノを怒鳴る。

その声にぴくりと身体を震わせたバケモノは、ゆっくりと立ち上がった。

「ひっ・・・・。」

るりは思わず手に持った鞄を地面に落とし、口元を手で覆う。

 

バケモノのローブから見えたのは、身体ではなく“漆黒”だった。

 

真っ黒な手をローブから出すと、バケモノは青年へと突進する。

彼は大きく深呼吸をすると、太刀を構え直す。

「何故ダッ!!ナゼナゼナゼナゼ!!!!」

「うっせぇ奴だな!!」

「ギッッ!」

青年は呆れかえったように叫ぶと、思い切り太刀を振り降ろす。

ざっくりとバケモノは真っ二つになり、身体を硬直させる。

るりは震える身体を抑えられず、その場にへたりと座り込んでしまった。

「終わったか?」

青年が太刀を更に横に振ると、バケモノの姿がゆらぐ。

 

次の瞬間には、バケモノはローブごとはじけるように消え去った。

 

あまりの状況に、るりは何も呑み込めずその場で青年を見るしかない。

青年はため息をつくと、太刀を振り上げた。

すると、水がはじけ飛ぶようにして、太刀が消える。

「あ・・・。あ・・・・。」

「全く、なんでこんな“現世”の方にあんなのがでて・・・。」

「う・・・。」

思わず悲鳴を上げそうになったるりは、両手で口元を覆う。

先の事が鮮明に思いだされ、手が震えだした。

無論、青年の言葉は全く頭に入ってきていない。

「えっと。お嬢ちゃん?大丈夫っ??」

「ひっっ!!」

「わっ!!」

身体を低くした青年と目が合い、るりは悲鳴をあげてしまう。

その声に驚いて、彼も両手をあげて目を見開いた。

しばらく、二人の間に沈黙が流れる。

 

空の青と同じ髪色。少し癖のある長髪が風に揺らめき、瞳の青が更にガラス玉のように輝く。

差し伸べられた手はいかつく、男性の手よりも細く長く感じた。

そして、何よりも耳が長い。

いいかえるとしたら、おとぎ話でよく見る尖った“エルフ”の耳だ。

 

青年は少しためらってから、るりに手を差し伸べる。

その表情はとても穏やかだ。

「びっくりしたよな?・・・でも、もう大丈夫。あの“影野郎”はもういないよ。」

「・・・。」

地面に投げ出されたままの荷物を青年がゆっくりと拾い上げる。

そして、同じように制止したままのるりに手を差し伸べた。

るりはしばらくためらっていたが、そっと彼の手を握り返す。

ゴツゴツと角ばった指が、力強く握り返してきた。

勢いをつけて彼はるりを立たせる。

「わっ。」

「おっとっ。」

足がうまく動かなかったるりは、そのまま前のめりに青年の胸へと倒れてしまった。

予期せぬことだったのか、青年の口からも声が発せられる。

「あっ。えっと。ご、ごめんなさいっ!」

「いやいや!!お、俺こそっ!」

とっさに青年から離れたるりは、顔を真っ赤にして頭を下げる。

その前では、同じように赤面した青年が、手を大げさに振って謝った。

お互いに大きく深呼吸をして顔を上げる。

「あの!」

「えっと!」

二人は同時に声を発してしまい、また同じように慌てる。

どうしたものかと、るりは困り果てて口元に手を持っていった。

「とりあえず、怪我はない?」

「あっ・・・。」

先手を打った青年が、るりに荷物を手渡しながら優しく問いかける。

るりは鞄と花束を受けると、小さく頷いた。

それはよかった。と青年が付け足す。

「あ、あの・・・。た、助けていただいて・・・あり、ありがとうございました!」

「え??あ。あぁ・・・。お礼を言われるほどの事じゃないよ。」

「で、でもっ!えっと・・・。」

ギクシャクとした会話に、お互いに顔を見合わせて黙り込んでしまう。

普通ではない尋常な状況だったとはいえ、彼がいなかったら。とるりは考えると、急に背筋が寒くなる感覚を覚えた。

思いだせば、未だにバケモノの奇声や姿が思い浮かぶ。

「ところで・・・。君、“こっち”の世界の人だよね?」

「こっち?」

「ん・・・?」

思いもよらない返答だったのか、るりの不思議そうな顔に青年は小首をかしげる。

おかしいな?というと、青年は眼を細めた。

「君。さっきの“影野郎”や“こちら”と“あちら”の世界とか、わかる?」

「・・・???」

青年の言葉が全く理解できないるりは、更に不可思議なモノを見るように困惑する。

断片的に話をされているとはいえ、先に遭遇したバケモノなど知る由もない。

「その顔は、まったく“無関係”な感じだな。おかしいな・・・。」

「えっと。あの・・・。まったくわからなくて・・・。」

うまく自分の考えや思っていることをまとめられないるりは、青年に問いかけることもできない。

先のバケモノは?あなたの姿は?

色々な質問が飛び交うが、今日だけであまりに色々な事が起こりすぎて、頭痛がしてくる。

「お嬢ちゃんの鞄から発せられてる“白様”の気配に寄ってきたんだと思うだけど・・・。」

「しろさま?」

「ん??・・・なんだ?“白様”の物じゃないのか??」

「な、なにがですか?」

相当驚いた顔をした青年に、るりは更に困惑した表情を向ける。

いったい彼が誰の事を言っているのか、そして自分の持っている物の何を言っているのか、まったく理解ができない。

気が付くと手先が震えだし、声も少しだが震えてしまう。

「そうだなぁ・・・どこから言えばいいのか・・・。」

「・・・・。」

青年は大きくため息をつくと、ふと小首をかしげる。

彼はじっと黙り込んで、空を見上げた。

同じようにるりも見上げるが、特に何も変わった物は見えない。

「色々と話してはやりたいがなぁ。“掟”はさすがに敗れねぇし・・・。」

難しそうな表情をした青年は、小さく何か呟くと覚悟を決めたように顔を上げた。

表情はとても明るい。

「まぁ、とりあえずは・・・。また、機会があったら話してやるよ。」

「え・・・。」

思わぬ回答に、るりは拍子抜けしてしまう。

彼女の顔を見た青年は、目をそらして頭をかく。

どうやら、何も言わないつもりらしい。

るりの心にモヤモヤとした感覚が押し寄せ、同時に不安感が増してゆく。

「(そんな・・・。こんな事もあったのに・・・何も言ってくれないなんて・・・)」

何か言い返そうと彼の顔を何度か見上げるが、るりはうまく言えずに口を動かすことしかできない。

ここにきて、自分の引っ込み思案な性格に、いらだちを覚えた。

「夕暮れも近いし。とりあえずは、何かの縁だ。送って行くよ?」

「・・・。」

話題を無理矢理変えたいのか、青年は大げさに笑うと腕を頭の後ろで組んでしまう。

明るすぎる彼の表情に、るりはそれ以上何も言えなくなる。

聞きたいことは頭の中で何度も浮かんでは消えてゆく。

ただ、当事者の彼があまり言いたそうな感じでは無い事を考えると、噛みついて聞くこともできない。

るりは小さく頭を縦に振ると、ゆっくりと歩きだした。

 

 

 

 

――

 

 

 

日本刀を鞘に納めながら、雪は大きく息を吐く。

周りには断末魔さえあげることなく“バケモノ”が散り散りに消えていった。

しばらく辺りを見回して、他に敵がいない事を確認すると、雪は深呼吸をする。

「雪。お疲れ。あっちも兄者と片付けたよ。」

「どうやら、下っ端共が徘徊していただけのようだな。」

「そうでしたか。・・・お二人ともお疲れ様です。ありがとうございました。」

薄い緑色の髪をなびかせて、二人の青年が雪の前にゆっくりと降り立つ。

静まり返った住宅街をぐるりと見てから、雪は方向転換をして歩きだした。

「お父様の話では、“白の女神”様がこちらの世界に足を運んでから、あまり時間が立っていないようです。」

「つまり、“覚醒”する前に探し当てて、ターゲットを捕獲しようとしているという事か?」

「あるいは・・・抹殺か。」

雪の後ろを歩く青年たちは、思い思いに意見を言いながら歩く。

雪は真剣な表情で前方を見ながら、二人の会話を聞いていた。

「私の予想が当たってしまっているのであれば、恐らくは近しい者が該当しているかもしれない・・・。」

「ちょっ!お、おい?!雪、そりゃぁどういう??!」

振り返らずに呟いた彼女に対して、勝気な喋り方をする青年が声を荒げる。

その横では、もう一人の青年が目を細めて雪の背中を見た。

「今日。“ご加護を受けた物”を持った少女が、私の学校へ転校してきました。」

「それは・・・見間違いではないのだな?」

「・・・。モノ自体は見てないけれど・・・あの強大な力・・・間違えるはずはないと思うの。」

「マジかよ。」

雪は大きく頷くと、話を続ける。

「 “あの方”も気が付いていたようだし、何よりあの方も不思議がっていました。」

「 “外部”から来た者に、何故“白の女神”様はお力を託したのか。」

「・・・わっかんねぇなぁ。」

三人は道行く人達と合わないように小道に入りこむと、来た道と同じように民家の屋根へと飛び移った。

辺りの景色が一望でき、夕暮れの空によって、まわりが赤く染まっているのが見えた。

それに混じるように、桜の花が散り不思議な風景を醸し出している。

「あるいは・・・“外部”の人間ではない。のかもしれないな。」

「可能性はあるとは思うの。自らの家系を知らずに生きて、必然的にここに戻ってくる方もいると父上はおっしゃっていたこともあるし。」

「それも、女神様の言う通り。でございますかねぇ~」

大きなあくびをした青年が、遠くに見える山を見て背伸びをする。

雪は眼下に見える街並みを確認すると、また歩き出した。

 

 

 

――

 

 

 

 

互いに話をするわけでもなく、るりと青い髪の青年は歩く。

それほど長い距離ではなかったが、二人には酷く長い時間を共にしたように感じた。

「そういやぁ。俺、名乗りもしてなかったなぁ。」

「あっ・・・。」

思い立ったように呟いた青年に、るりはふっと顔を上げる。

「ほら、一応・・・見知らぬ誰かさんで終わったら悪いかなぁってさ。」

「えっと・・・」

「名乗っておいた方が君も少しはモヤモヤしなくなるだろ?」

「・・・。」

ゆらゆらと長い髪を風になびかせながら、青年は彼女の視線に気が付いて微笑む。

何故かるりはその顔を見て、顔を背けてしまった。

ほんのりと頬が赤くなる。

「俺の名前は“アリス”・・・。」

「あ。アリス??さん?」

「ん??」

にっこりと笑ったアリスとは対照的に、るりは眼を見開いて瞬きをしてしまう。

彼女の反応に驚いたのか、思わずアリスは小首をかしげた。

「・・・いえ。」

るりは小さく呟くと、ふと視線を落とした。

「(女の子の名前みたい・・・。)」

とてもそのような事など言えるはずもなく、るりはこほんと咳払いをした。

名前と見た目のギャップに、彼女は思わず何度もアリスを見てしまう。

視線に気が付いているかはわからないが、彼はじっと前を向いている。

はっと気が付いたように、るりは足を止めた。

気が付けば、自宅の前に到着していたのだ。

アリスも遅れて足を止めて振り返る。

「あの・・・。先はありがとうございました!えっと・・・。」

「そんなに何度もお礼を言われるほどじゃないよ。」

「そんなことないです!アリスさんのおかげで・・・おかげで・・・。」

脳裏にバケモノの奇声と顔が浮かび、思わずるりは頭をふるう。

「えっと、あの・・・。私の名前は・・・・!」

「あら?るりじゃない!!」

「っっっ!!」

ふいに後ろから聞きなれた声が響き、るりは思わず振り返る。

そこには、買い物袋を持った母と千枝の二人が立っていた。

あっけに囚われたるりは、千枝が話しかけるよりも早く、アリスの方へと視線を移す。

 

「えっ?!」

 

しかしそこにアリスの姿はない。

 

「どうしたの?」

「・・・。」

そこに人が立っていた事さえウソのように、道路には何もない。

ふわりと風に舞って花びらが舞うだけで、人の姿など無かった。

るりは手に持った荷物を落としそうになり、首を横にふる。

「そこに、今!人がいたよね?!」

「えー?」

突然声を張り上げたるりに、千枝は驚いて笑いだす。

母も近くに寄ってくるが、二人は顔を見合わせて笑うだけだ。

「るりったら、学校初日で疲れちゃったの?」

「大丈夫?・・・。」

「・・・そんな・・・。」

千枝に肩を叩かれたるりは、彼女に促されるように家の中へと入ってゆく。

不可思議な事が起こりすぎているせいで、るり自体も彼女たちにうまく説明はできなさそうだ。

もう一度振り返ったるりは、そこに何も無い事を確かめてから扉を閉める。

小さな音を立てて、玄関の扉が閉じられた

 

 

 

――

 

 

 

 

るりの家から少し離れた民家の屋根の上。

そこに、二人の青年が立っていた。

青い髪と灰色の翼を風に揺らしながら、“アリス”はるりの家を見ている。

「へぇ。るりちゃんっていうのかぁ。」

「・・・お前は・・・。」

にっこりと笑うアリスとは対照的に、隣にたたずむ青年の表情はさえない。

それどころか、口元をストールで隠していることもあり、目の動きくらいでしか彼の表情を追えるものはなかった。

「親方様から探すように言われて来てみれば・・・。“現世”の人間に接触したなんて聞かれたら、外出禁止どころの騒ぎじゃないぞ?」

「わかってるって。・・・それに、あの子“ちょっと変わった現世の子”だったから。オヤジに言えば、納得してくれるって。」

「・・・は??」

アリスの言葉に疑問しか浮かばず、青年は更に顔をしかめる。

急に真剣な表情になったアリスを見て、彼は小首をかしげた。

「“ディル”。・・・“白様”がこっちに来たって情報・・・知ってたよな?」

「・・・。あぁ。我が部族の間で、数週間前に話題にはなっていたな。お前にも話しただろう。」

「だよな。」

まるで確認を取るようにアリスは問いかけると、“ディル”に小さく頷く。

表情さえ変化は見られなかったが、ディルはぴくりと腕を動かした。

「あの子。“白様の物”を持っていた。」

「・・・“現世”の人間が何故?」

「んなこと、俺が知るかよ!」

大きくため息をついたアリスは、ディルに顔を向けることなく続ける。

「それもあってか、“影野郎”に命を狙われてた。るりちゃん自体は、全然“こっち”の事は知らないみたいだったな・・・。まったく、理解できねぇよ。」

「・・・“残党”が、現世にまで手を出し始めたか。」

「それでだ・・・。」

二人はそろって互いの顔を見ることなく、後方を振り返る。

アリスの手には先の戦闘で使用した太刀が握られ、ディルは腰にさげた短剣へと手を伸ばす。

少し間合いを取るためか、二人はギリギリまで後方へと下がった。

「よう。“聖職者”。なんか、用か?」

「・・・。それはこっちのセリフだぞ。“魔族”。」

アリスとディルの前には、二人の青年と一人の少女が同じように武器を構えている。

お互いに一歩も譲らず、睨み合うだけだ。

「問わせてもらいたい。なぜ、貴殿のような“魔族”がこちらの世界にいる?」

「気分転換。観光目的っていう理由は通るか?」

「・・・。」

レイピアを構えた青年が、アリスに向かって鋭い眼光を向ける。

ディルはとっさに短剣を抜こうとするが、その手をアリスが止めた。

「あんたらと戦う理由は“今日はない”。俺はただ“被害者”を家に届けただけだ。」

「被害者?」

「なんだ。気が付いてないのか?」

日本刀を構えた少女が、隣に立つ青年に武器を仕舞うように指示をだす。

自らも手に持った刀を鞘にしまった。

それを見たアリスとディルも、そっと武器を納める。

「そこの家に住んでる“現世”のお嬢さんが、“残党”に襲われたのを助けたんだよ。」

「残党っ?・・・一般市民にも手を出していたのか!」

「私達が相手をしていた者達とは別にもいたのね・・・・。」

互いに武器を向けなくなったとはいえ、両者の間にはまるで大きな溝があるかのように、一向に歩み寄る気配はない。

「そんじゃ、用がないなら帰らせてもらうぜ?“聖職者”さん。」

「現世の人間を助けてもらったことは感謝する・・・。だが、あまり派手に動かぬよう気を付けてもらいたい。」

「へーい。」

ため息をついたアリスは、ディルに目配せをするとその場を後にする。

二人の姿が完全に消えるまで、三人はじっと後を目で追い続けた。

 

 

――

 

 

 

自室に戻ったるりは、大きなため息と同時にベッドに倒れこむ。

朝から続いた緊張感がふっと消え、急に全身を重い疲労感が押し寄せた。

床に置かれた鞄からは、ちらりと赤い石が見える。

考えるだけで頭が痛くなったが、彼女は瞳を閉じて色々と思い返していた。

家に入ってからも、千枝や母に先ほどの話をする気力はなかった。

恐らく、話をしたとしても何も信じてくれないだろう。

自分自身でさえも、どことなくモヤモヤとしていて、整理はできていない。

だが、流星の家で貰った花束の包みがグシャグシャになっていた事や、気が付かずについていた擦り傷などを見てみると、にわかに信じがたいことだが実際にあったことだと思い知る。

誰かに相談をしたいと思っても、その相談相手は脳裏に浮かばなかった。

「・・・アリス・・・さん。」

ぽつりと小さく彼の名前を呼んでみる。

夕暮れ時で、顔は少しぼんやりと見えていたが、青い瞳と髪は鮮明に覚えていた。

そして、にっこりと微笑む彼の表情。

「もっと、ちゃんと話をすればよかった。」

色々な疑問がまた浮かび上がり、何故無理にでもあの時に問わなかったのだろうか。と後悔する。

いつまた出会えるのかもわからなければ、今後も会うのかさえもわからない。

あの一瞬のような出来事だけで、この先一生会えない事だって考えられる。

「・・・名前、教えられなかった。」

引っ込み思案な自分の性格のせいで、彼にちゃんと名前を教えることができなかったことを一番今は後悔している事に、るりは自ずと気が付いていた。

初対面とはいえ、恐怖心からではない胸の高鳴りに対する感情が今になってわかってくる。

同時に、恥ずかしさと寂しさが混じった思いが溢れ、また大きくため息をついた。

「こんな思い初めてかもしれない・・・」

異性に助けてもらう事など、今までだってあった事はある。

しかし、ここまで気にする程のことはあっただろうか。

自分に問いかけるようにアリスの事を思い出そうとすると、やはり心臓が高鳴る様なモヤモヤとした感情が湧き上がってきてしまう。

「考えていても・・・仕方ないか・・・」

大きくため息をついたるりは、制服を気だるげに着替え、普段着へと手を伸ばす。

「・・・あれ?」

ふと、鏡を覗き込んだ自分の顔を見て、るりは驚く。

 

いつ付いたのか覚えがない“痣”が、うっすらと額に現れていた。

手でこすってみるが、取れそうもない。

まるで十文字になったような“痣”は、おでこの辺りに大きくうっすらと見える。

「やだ・・・。これ、いつ付けたんだろう?」

机に突っ伏したわけでも、先の奇妙な体験をした時でも、顔を打ち付けた覚えはない。

思い当たる節が全く見当たらないため、彼女は急いで服を着替えると洗面台へと向かった。

「あぁ。るり!そろそろ、夕飯だってよ?」

「あ。お姉ちゃん。ちょっと、見てもらえる?」

「・・・何?」

一階から階段を上がってきた千枝に、るりは勢いよく声をかける。

千枝は困惑することなく、妹が指差す額を見つめた。

「ここ、変な痣ができてるんだけど・・・わかる?目立つかなぁ?」

「え~?どれどれ?」

るりは前髪をあげると、千枝によく見えるように顔をあげる。

うーん。と声を出しながら、千枝はぐるりとるりのひたいに顔を近づけてみた。

「何も付いてないじゃないの!」

「え・・・?」

どうしたの?という千枝の言葉も聞かずに、るりは彼女を押しのけて洗面台へと向かう。

勢いよく鏡を覗き込んで、再度自分でも“痣”を確かめた。

「そんな・・・消えてる?」

あれほどまで、うっすらとではあったが、形もわかるように付いていた“痣”が、今は何事もなかったように見えない。

見間違いだったのだろうか。と思い起こしてみても、十文字のような“痣”の形は脳裏に残っていた。

「るりさぁ。ちょっと、疲れてるんじゃないの?」

「・・・。」

ため息交じりに話しかけた千枝に振り向いて、るりは困惑した表情をする。

「(確かにあったのに・・・なんで?)」

「とりあえず。転校初日で、色々と整理できてないんじゃない?早く今日は寝なよ。」

「う、うん・・・。」

千枝に頭を撫でられたるりは、小さく頭を縦に振ると姉の姿をじっと見つめた。

大きなあくびをした千枝は、そのまま洗面所から出てゆく。

「おかしい・・・。」

一人洗面所に残されたるりは、じっと自分の手を見つめた。

考えてみれば、先日から姉と自分が見ている“モノ”に何か違いを感じている。

「アリスさんに聞けば・・・わかるのかなぁ。」

“この世界”では考えられない姿をした青年。

るりは、すがるように彼の名前をつぶやいていた。

 

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