白と黒の世界   作:水鏡 零

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44話

青々と茂った草原を見つめて、彼女は隣で静かに微笑んでいる。

「皆はどこへ?」

「彼らは自分の故郷へ帰りましたよ。」

「・・・故郷へ?」

「えぇ。」

黒い髪を風になびかせ、彼女は屋敷へと続く森の道を見る。

そこには誰もいなかったが、彼女の目には誰かの姿が重なって見えているようだ。

静かすぎる屋敷の方には、精霊達が集まりだしている。

「最期は、自分たちの生まれた故郷で過ごしてもらいたいと思って。」

「この屋敷では駄目なのか?」

「ふふ・・・。もう、このお屋敷には“何も”彼らは残していないのよ。それにね・・・」

重い音を立てて後方の屋敷から一人の男性が姿を現す、彼は入り口に集まっていた精霊たちに何かを話すと、彼らと共にこちらへと歩いてきた。

「私と旦那様の為に、粋な計らいをしてくれたのよ。」

「いきな、はから、い?」

「そう。素敵な事って言えばいいかしらね。」

屋敷の入り口を施錠するための大きな鍵を持ち、男性は白いローブを風にあおられながら近づいてくる。

彼の姿に気がついたのか、彼女の表情は更に穏やかになった。

「ここにいたのか・・・君までいなくなってしまったのかと冷や冷やしてしまったよ。」

「まぁ。旦那様を置いて私が何処へ行くのですか?」

「そう言うでない。」

くすくすと笑った彼女は、ゆっくりと立ち上がり彼から鍵を受け取る。

「ねぇ。あなた達。お願いを聞いていただけるかしら?」

まわりに集まりだしてきた精霊たちに、彼女はそっと声をかけた。

彼らは頭を何度も縦に振り、彼女を見つめる。

「このお屋敷を次に使ってくれる人を、あなた達に探してもらいたいの。もちろん。世界を旅して見つけて。とは言わないわ。」

彼女は一際大きな精霊の手の上に鍵を乗せ、優しく話しかける。

精霊達は泣いているのか、彼女の言葉に黒い瞳からぽろぽろと雫を流し始めた。

「あらあら。泣かないでちょうだい。・・・私達にだってお別れはいつかはくるものよ。これは、仕方がない事なの。ね?」

精霊の頭を撫でた彼女は、鍵を握っている精霊へと向き直った。

「旦那様と決めたの。次にこのお屋敷を使ってくれる子の条件を・・・」

ゆっくりと精霊の手を握った彼女は、静かに目を閉じる。

手を握られた精霊たちから順に、だんだんと彼らは柔らかに発光しはじめた。

まるで、彼女の意思を受信しているようである。

「お願いしますね。」

目を開いて微笑んだ彼女に、精霊達は一斉にうなずく。

精霊から手を離し大きく息を吐いた彼女は、傍らに立っている彼と目を合わせて苦笑いを浮かべた。

「主。・・・主帝と共に部屋へ行くといい。」

「あら、どうしたの?」

静かに見守っていたが、そろそろ声をかけようと思い、私は座っていたベンチから立ち上がる。

精霊達も何かに勘付いたのか、小さな手を一生懸命に振りながら、皆が森へと戻って行く。

その中には必死に涙をこらえている者もいた。

「それなりに私もわかる・・・。何十年も主と共にいたのだ。」

「・・・ありがとう。」

言い現せない息が詰まるような感情に、私は声を必死に出して言う。

 

多くの者達と出会い、多くの者達と別れをし、長い年月を共に見届けたのだ。・・・目の前のヒトが何を考えているのかもわかっているつもりだ。

 

「じゃぁ。貴女にも、お願い事を一つしても良いかしら?」

「・・・今さら・・・。何なりと申せ。」

「はい。」

精一杯に笑ってみせたつもりだったが、彼女の表情を見て笑っていないんだろうな。と自分なりに解釈する。

心なしか、彼女の手も小さく震えているような気がした。

「次に貴女の主になるであろう子に、これを渡してほしいの。」

「これは。手紙か?」

「そう。」

白い封筒の裏には、彼女の名前が書かれている。

簡素な封をされた手紙は、中に入った便箋もそれほど多くないらしく、手に持ってみると、とても薄く感じた。

「私のつたない文章だけれど、言いたい事はまとめられたと思うの。もしも、“ニホンゴ”が読めないようだったら、読んであげて。」

「・・・その読めない確率は少ないのではないか?」

「あら。・・・どうかしらね。」

ワザとらしく言ったつもりだったのだが、彼女はいつもの食えない顔をして言いかえす。

隣では、苦笑いを浮かべている彼の姿が見えた。

「その手紙が読まれる頃・・・世界はどんなに変わっているのかしらね。」

「どうだろうか。桜子の住んでいる世界のように、電気というモノがこの地にも普及しているかもしれないね。」

「まぁ。だとしたら、とても長い長い年月を経てしまっているわ。」

お互いの顔を見合わせて彼女と彼は笑いあう。

手を取りにっこりと笑った二人は、どちらからと言う訳でもなく、自分の方へと視線を向けた。

「貴女には最期まで苦労をかけてしまうわね。」

「何を今さら言うか。もっと気苦労のない言葉を選べ。」

「もうっ。」

冷たく言い放ってはみたものの、どうにも心が落ち着かない。

それはお互いに感じてしまっているのか、彼女の目も揺らいでいた。

「桜子。」

「なぁに、オカさん。」

言いなれた主の名前を呟き、それに答えるように彼女が自分に与えてくれた名を呼ぶ。

 

「ありがとう。」

 

自分の知る限りで彼女に伝えたい事を、微笑む桜子へと私は向けた。

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

るりは部屋の窓へと手を伸ばし、外へと揺れていたカーテンを掴んで中へと入れ込むと施錠をする。

「隣の部屋も、窓を閉めてきた。」

「うん、ありがとう。アリス。」

部屋の入り口へと戻ってきたアリスの方へ、るりは足早に近づいてゆく。

ぐるりと中を見回し確認すると、廊下へと出て部屋の入り口を閉めた。

「あまり、外は変わらないな。」

「昔と変わらない?」

「あぁ。」

赤い瞳を外へと向けた彼女は、るりに振り返る事無く答える。

アリスと顔を見合わせたるりは、こほんと咳払いをした。

「あの・・・。自己紹介をしませんか?」

「・・・ん?」

「俺達、流れで知り合っただけで、お互いの名前も言ってないだろ?」

「・・・。」

ゆっくりと振り返った彼女は、柔らかに微笑んだるりを見つめる。

隣では、るりの肩へと腕をまわしているアリスの姿があった。

「私の名前は、るり。」

「俺はアリス。」

「私は・・・・・。」

アリスとるりの姿をじっと見つめた彼女は、その姿に別のモノを重ねて見つめてしまう。

見慣れた二人の姿が重なり、まるで幻影を見ているかのような感覚に彼女は陥った。

「いや・・・違うな・・・」

「ん?」

ふっと苦笑いを浮かべた彼女は、白い髪をかき上げて頭を左右に振る。

「私は皆に、オカと呼ばれていた。・・・るりやアリスもそう呼んでくれればよい。」

「呼ばれていた?」

「あぁ。そうだ。」

不思議そうに小首をかしげたるりに、オカはうなずく。

「私には正確な名称が無い。それで桜子が私に与えてくれたのだ。」

「名称・・・そういえば、オカは先から自分はモノだからとかなんとか、言っていたな。」

「私達にはその・・・オカさんはヒトに見えるけど・・・。」

るりとアリスを交互に見たオカは、おもむろにるりへと手を向けた。

その手を、るりは不思議そうに見つめる。

「説明するよりも、実際に触れてみればわかる。・・・ためしに私の手を握ってみろ。るり。」

「え・・・?」

ずいと片手を出しているオカに、るりは不思議そうに目を動かす。

しかし、オカは何も言わず、ただ手を伸ばしているだけだ。

「とりあえず、言われたとおりにしてみたらどうだ?」

「え・・・う・・・うん。」

不安げにアリスの顔を見たるりに、アリスは柔らかに微笑む。

るりは小さく頷くと、彼から離れてオカの方へと進み出た。

ゆっくりと手を差し伸べたるりは、オカの手を握ろうとする。

「大丈夫だ。・・・・お前となら“同じように”力を使えるはずだ。」

「わっ!」

「っるりっ?」

力強くるりの手を握ったオカは、彼女を引き寄せるように腕へと力を入れる。

るりは足をふらつかせ、オカの手を握ったまま身体を回転させてしまう。

「え・・・おい・・・?」

「これっ・・・!」

倒れそうになったるりへと駆けだそうとしたアリスは、目の前の情景に驚いてその場から動けなくなる。

 

オカの身体が宙へと投げ出されるように動き、彼女を包むように白と黒の光がるりの腕から放出された。

まばゆい輝きが廊下や壁を伝い放たれ、目を覆いたくなるほどの光が辺りを包む。

 

「っ!」

急にオカの手が離れたような感覚がすると、るりは自然と空いた片手を動かし“柄”を強く握った。

地面を踏み込み、振り回されないように堪える。

長い“柄”が視界の先で揺れ、黒と白の光の粒が宙へと放たれた。

目の前で音を立て、大きく弧を描いたような刃先が光る。

しっかりと掴んだ黒い“柄”の先で、自分の手が離れないようにと白と黒の光が絶えず溢れているのが見えた。

「これで、わかったか?」

「オカさん・・・。」

頭に直接響く様な声がるりに聞こえ、彼女は何度も瞬きをする。

 

るりの両手には、大鎌が握られていた。

黒く長い柄の先に飾られた赤い三つの魔石が光り、更にその先には鋭い弧を描いた刃が見える。

白い模様が所々に浮き上がり、るりの手には同じように白と黒の光が溢れていた。

 

「凄い力だな。身体を引っ張られそうな程の魔力が感じられる。」

「ほとんどは私を使用する主の力だ。・・・それだけ、るりの魔力が高いという事だ。」

「そう、なんだ・・・。自分じゃ、全然わからないよ。」

おずおずと進み出たアリスは、大鎌へと手をかざす。

彼はすぐにその手をのけ、何事も無かったかのようにるりと見た。

一件不可思議なアリスの行動だったが、あまりの事に余裕が無いるりは、その行動に訝しげにも思わない。

「でも、凄い軽いんだ。なんだろう・・・全然重く感じないし、手に握っている感覚があまりないというか。」

「それだけ、お互いの力が共鳴している証拠だ。共鳴する事も出来ない者は、私を持つこともできない。」

「俺にはあんたは使いこなせないってこと?」

「うむ。」

何をいう訳でもなく、大鎌についた赤い魔石が一瞬だけ輝くと、るりの手からそれは離れてゆく。

同じように光に包まれた大鎌は、瞬時にしてヒトの姿へと戻る。

自分の手をじっと見つめたるりの目の前で、オカは何事もなかったかのように二人の方へと歩み寄った。

「しばらく、るりが私に慣れるまでは、こちらで刃先を敵に向けよう。るりは、目標の敵を教えてくれればよい。」

「えっ・・・は、はい。」

淡々と喋っているオカに、るりは目を丸くして頷く。

「まぁ。いざとなれば、俺が練習相手になるよ。」

「えっ・・・で、でも・・・それは・・・」

「お前の首が飛ぶぞ。アリス。」

「・・・・。」

るりへとほほ笑んだアリスだったが、オカの一言に一瞬で目を引きつらせる。

真面目な表情で見つめてきた彼女に、アリスは苦笑いを浮かべた。

「さて。ここで道草を食っている場合でもないだろう。・・・・行くべき場所があるのだろう?るり?」

「え・・・?」

「お前の意識と繋がった事で、大まかな現状は理解した。」

「っ。き、切り替えが早いな・・・あんた。」

桜子の使用していた部屋を見つめたオカは、アリスの言葉には反応せずに一階へと続く階段へと視線を向ける。

彼女はるりの回答を聞くよりも先に、淡々と歩き始めた。

るりは困ったようにアリスの顔を見上げるが、彼も同じように困惑した表情を浮かべている。

「この屋敷の事は大丈夫だ。桜子とシュオンの部屋が維持できているということは。あの子の力が弱まっている事もないはずだ。・・・まぁ。桜子の力を考えれば、少なくとも十年以上は持つだろう。」

「そ、そんなに・・・。」

「力を完全に備えた巫女は、それだけの力を有する。」

「・・・・。計り知れないな。」

先に階段を降りはじめたオカを追うように、るりはアリスに手を握られて小走りに彼女を追う。

一階へと先に降り立ったオカは、各部屋の中を見ながら、玄関へと淡々と足を進めていた。

るりとアリスの二人は、何をいう訳でもなく彼女の後をついて行く。

「精霊たちが来てくれたようだな。」

「あ。先・・・外に集まっていた・・・。」

玄関の扉を開けると、丸く黒い目で瞬きをしながら、多くの精霊たちが集まっていた。

皆同様に、るりとオカの姿を見て、嬉しそうに微笑んでいる。

オカは赤い目を細めて笑うと、近くにいた小さな精霊の頭を撫でた。

「部屋の中は大丈夫だった。長い間、守り続けていたのだな。」

一際大きな精霊へと向き直ったオカは、目に涙をためた精霊の頭を優しく撫でる。

精霊は何度もうなずくと、オカの肩を丸い手で何度もたたいた。

「皆、元気そうでよかった。・・・色々な苦難に見舞われていたようだが、それを乗り切ったのだな。」

オカの言葉に、精霊達は何か色々と伝えたいのか、身振り手振りでざわつきだす。

言葉とも取れないその声に、るりとアリスは後方から見守るしかない。

オカは何度もうなずくと、時に目を見開き驚いていた。

「この森も、危険が迫っていたのか?アリス?」

「えっ・・・。」

ふいに振り返ったオカは、アリスの方を見つめる。

アリスは突然の事に驚くが、彼女が言わんとしたい事がわかったのか、目を細めた。

「つい先日まで、こいつら精霊を含めて、森は災厄に飲み込まれていた。」

「そうか・・・。災厄に・・・・。愚かな巫女と主帝が出てしまったのだな。」

「あぁ。十数年くらい、世界を牛耳っていたぜ。」

「・・・・。」

アリスの言葉に目を細めたオカは、未だ騒ぐ精霊達へと視線を移す。

るりはアリスの手が少しばかり震えている事に気がついた。

「・・・。」

「ん?」

それが恐れではなく怒りなのだろうと思ったるりは、何をいう訳でもなく、彼の手をそっと握ってしまう。

予期せぬことだったのか、アリスは目を丸くさせると、照れくさそうに苦笑いを浮かべる。

アリスはるりの手を握り返すと、ざわついている精霊達を見た。

皆、身振り手振りでオカへと何か話している。

「わかった。そうか・・・うむ・・・なるほど・・・。」

両手をあげたオカに、精霊達が段々と静まり返ってゆく。

彼女に伝えたい事が言い終えたのか、彼らはざわつかずに、彼女の言葉をじっと待つように止まった。

「るりが戻ってくるまで、またこの屋敷をお前達に任せてもよいか?」

目を丸くした精霊たちは、お互いの顔を見合わせて頷き合う。

「世界がまた落ち着きを取り戻したら、皆で戻ってこよう。・・・それで良いか?るり?」

「・・・。」

赤い瞳でじっとオカに見つめられたるりは、アリスの手を握ったまま精霊たちをぐるりと見回す。

皆が同じように目を真ん丸とさせ、るりやアリス達を見つめている。

「今度はグレイやミチル達と一緒に来よう。・・・部屋の内装や家具についても決めなくちゃいけないだろうし・・・な?」

「・・・。」

るりに優しく呟いたアリスに、彼女は小さく頷く。

次に来る時が何を意味しているのか考えた彼女は、アリスの言葉に無言で答えるしかない。

「ちゃんとした巫女に慣れるか分からないけれど・・・皆が私を選んでくれたんだものね・・・。」

「何もるりが一人で背負う必要はない。」

「オカさん。」

「お前には仲間がいるのだろう?それに・・・」

「?」

るりとアリスの方へと歩み寄ったオカは、繋がれた二人の手へと視線を移してゆく。

「想い人がお互いを支えているのだ。・・・その繋がりが消えない限り、大丈夫だ。・・・何も心配する事などない。」

今まで見た表情の中で、一番穏やかな笑みを浮かべたオカに、るりはつられて微笑む。

アリスの方へと視線を向ければ、彼は照れくさそうにるりを見ていた。

「私達、もう少しここに来るのに時間がかかるかもしれない。でも、それでも待っていてくれる?」

るりは一際大きな精霊へと声をかける。

「戻ってきた時には、仲間達と一緒にこのお屋敷を大切に使わせてもらうね。」

ぼんやりと身体に明かりを灯らせた精霊たちは、口々に言葉とは言えない声をあげだす。

怒りや焦りとは違った声は、るりの言葉に賛成しているようだ。

「それまで、このお屋敷をよろしくお願いします。」

「頼んだぜ。」

るりとアリスが深々と精霊たちに頭を下げると、彼らもつられたように皆が頭を下げだす。

まるで自分たちのマネをしているように見えたるりは、その姿に思わず笑ってしまった。

精霊達は目を細め、心底楽しそうに辺りを飛び出す。

「なんだろうな・・・。」

「オカさん?」

森の方へと飛び去ってゆく精霊達は、るりやアリスに大きく手を振りながら、姿を消してゆく。

屋敷の入り口を施錠した大きな精霊が最後に飛び去り、彼らがその場を離れてゆくと、不思議と屋敷の姿がぼんやりと薄れてきた。

まるで、霧に紛れるようにレンガの色が白へと変わってゆく。

るりとアリスの後をついて行くように、オカも屋敷から離れだした。

彼女は屋敷へと振り返り、霧の中へと消えてゆくレンガを見つめる。

「悲しい・・・という感情を、私は桜子と別れた時に抱いていた。だが、どうだろうか。今は全く異なった感情が私を包んでいる。」

「異なった感情?」

「そうだな。言葉として言うのであれば・・・」

オカの目の前で、完全に屋敷が白い霧へと包まれる。

霧は何事も無かったように晴れてゆき、今まで屋敷のあった場所は、大きく開けた草原へと変わっていた。

「期待と、幸福・・・と言えば良いのだろうか。」

木々の間を風が通り抜け、オカの白い髪を揺らめかせる。

瞳はじっと草原を見つめており、足を止めていた。

「オカさん。」

「・・・なんだ、るり?」

ふと、るりに呼ばれたオカは、彼女の方へと振り向く。

満面の笑みを湛えたるりは、アリスと共にオカを見つめていた。

「これから、よろしくね。」

「長い付き合いになるように、俺達も頑張ってみるよ。」

視界の先から屋敷の幻影が無くなり、るりとアリスの姿がオカの目の中へと入ってくる。

桜子とシュオンの姿がるりとアリスに重なって見えた彼女は、小さく頭を横へと振る。

そして、目を見開いたオカは、口元をほころばせ、微笑んだ。

「こちらこそ。よろしく頼む・・・新しい主。」

オカの瞳には、るりとアリスの姿がしっかりと見えていた。

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

割れた窓ガラスは跡形もなくなり、まるで数週間前にここで何かが起こった事などなかったように、教室は元の姿を取り戻した。

「でもさ・・・あのバケモノって何かまだ出るらしいよ。」

「うそでしょ。」

「隣のクラスの子・・・まだ見つかってないんだって。」

ざわつく廊下では、学生たちが様々な話をしており、その話題はどれもあの事件の事に関する事ばかりである。

「夢郷さんって、結局どうなったの?」

「わかんない。でも・・・あの子の持っていた鍵ってさ・・・」

教室へと入れば、クラスメイト達が何も置かれていない机を見つめてぽつぽつと会話をしていた。

そこに座るはずの少女は此処にはいないと知っている雪は、何食わぬ顔で自分の席へと座る。

ただ、その眼は少し鋭い。

「雪ちゃん?」

「えっ。」

ふっと視界の先で黒い髪が動き、雪は驚いて顔を上げた。

不思議そうな表情を浮かべた奈美が、流星と光士と共に雪を見ている。

「ごめん・・・。ちょっと考え事していた。」

「そっか。・・・雪ちゃんの家も大変なんだね。」

「・・・奈美ちゃんのお父さんも?」

「うん。」

周りのクラスメイトの様子をうかがいながら、奈美は流星の椅子へと座ると雪の方へと小声で話し出す。

光士と流星はまるで気にしていないかのように、たわいもない話を前の方でクラスメイト達としていた。

「お父さんも最近帰りが遅いんだよね。家ではさすがに喋らないけど、よくベランダとかで警官の人達と電話してるもの。」

「そうなんだ・・・。うちも、ちょっとめったに来ない客人が来たりしていて・・・なんか、家が家じゃないというか・・・。」

「ふぅん。ルヴァンさんの関係の人。」

「う、うん・・・。カー君達の・・・お父さん。」

苦笑いを浮かべた雪は、大きなため息をつく。

話では色々と雪から聞いてはいるが、別世界の人と接点がほとんどない奈美にとっては、そのため息の意味があまり理解できない。

が。いつも表情を乱さない雪が、がっくりとため息をつくほどだとすると、相当な人物なのだろう。

「るりちゃんの事とかは?」

「あ。それね・・・。うん。」

クラスメイト達が自分たちから離れているのを確認し、雪は更に声を潜めて奈美に呟こうとする。

「彼女なら、そろそろこちらに戻ってくると思うよ?」

「っ?つ、翼っ?」

音を立てて椅子から立ち上がった奈美に、クラス中の視線が集まる。

彼女は目を見開いて、のほほんと微笑んでいる翼を凝視した。

雪と話していた声の大きさは、顔を近くに持っていかないとわからない程度だと思っていたが、どうやら彼には筒抜けだったらしい。

「とりあえず、落ち着いて座って。」

「ご、ごめ・・・ん。」

苦笑いを浮かべて手を動かした翼に、奈美はひょいと同じように椅子に座った。

彼女が同じように席に座ったのを見ると、クラスメイト達の視線も奈美から離れてゆく。

「家の方から連絡がきてね。そろそろ、彼女もこちらに一旦戻る時期だろうって。」

「翼の家ってさ・・・。前から思っていたけど、どういう家なの?」

「うぅん。言葉にするとちょっと説明辛いんだよね。」

へらへらと笑った翼は、流星や光士が近くへと寄ってきたのを見て、背後にあった椅子へと腰をかける。

流星や光士も、同じように彼らの会話に混ざるように椅子へと座った。

「どういう方向に向かっているかは言えないけれど・・・こちらとしては良い方向になっているみたいだね。ただ、ちょっと困った事があったりしてさ・・・。」

「困った事って、俺達ではどうにもならないのか?」

「クラスメイトを助けることくらいできたらいいんだけど。」

「うぅん・・・ちょっと、難しいかも。」

どう言ったらよいやら。と付け足して呟いた翼は、真剣な眼差しで見つめる流星と光士を交互に見て更に苦笑いを浮かべてしまう。

「巫女様っていう人には、対になる人物として主帝という役職の男性が必要だっていうのは知ってるよね?」

「相思相愛でないとならない・・・んだよね。」

「そう。ようは旦那さん。」

「・・・・旦那さん・・・・。」

「・・・・・・・。」

翼の言葉を復唱した流星は、光士と顔を見合わせる。

ふわっと奈美の髪が揺れ、見る見るうちにその顔が赤くなっていくと、雪も視線を逸らしだした。

「そういう・・・こと?」

「うん。」

「でもさ・・・日本国憲法的に、十六歳にならないと、け、結婚は・・・」

「こうちゃん。それはこちらの世界の話だよ?」

「・・・・結婚・・・中学生で結婚・・・・」

念仏のように呟いた流星に、思わず奈美は頭を抱える。

むせこむように咳払いをした光士は、流星の頭を軽く叩いた。

なんともいえぬ顔をした流星は、翼の方へと視線を向ける。

「そのへんについては、彼女の近辺が今どのようになっているか・・・という事なんだけれどさ・・・。考え付く人物って誰かいる?」

「いやいやいや。確かに引っ越してきて色々話はきいているけれど、そういった話はあの子してない・・・よな?奈美?」

「はっ?なななな、なんで私に言うのよ・・・・うぅ、でも思い当たる節は何もないんだよね。好きな同級生も先輩も言ってなかったし・・・。」

「・・・・。」

流星の足へと蹴りを入れた奈美は、顔を真っ赤にしてそっぽを向くが、頭をひねっても思い当たる人物が見つからないようで、すぐに視線を床へと落した。

光士や流星もお手上げだと言わんばかりに首をふる。

「・・・・もしかして・・・でも・・・」

「ゆ、雪ちゃん?」

四人の視線が雪へと集まり、彼女がブツブツと何かを呟いている事に気がつく。

雪は真剣な眼差しで何もない机の上を見つめ、頭を傾げては唸るような声をあげた。

「思い当たる・・・ような・・・ないような・・・・」

「えっ、ちょ、そそそそいういう話を聞いたことあるの?」

「聞いたというか・・・・見たというか・・・。」

「・・・・?」

困ったような表情を浮かべた雪は、鼻息荒く机を叩いた奈美の威圧に押されて、少しばかり後退する。

あまり人のそういった話に興味がなさそうな翼でさえも、雪の言葉を待っているようだ。

「翼くんなら知っているのかな?・・・そのなんだったかな。・・・あっ。えっと、魔族のコーディさんっていう人の・・・」

「・・・・え・・・あの・・・え・・・・?」

「翼?」

雪の言葉に目を白黒とさせた翼は、彼にしては珍しくパクパクと口を開けたり閉めたりしている。

かなり動揺をしているのか、細い目が見開いていた。

「ほらっ。つ、翼くんも会ってるでしょ?あの灰色の羽の・・・!」

「いやいやいやいやいや・・・それって・・・えぇっ?」

「なんだよっ。お、俺らにもわかるように話してくれよっ。」

「も、もどかしい。知らない人物だからこそ、もどかしいわっ!」

慌てて立ち上がった翼に驚いたのか、クラスの視線が雪達の方へと注がれてしまう。

しかし、それに関わらず奈美や翼は頭を抱えて声を荒げていた。

不思議そうに見つめる生徒もいれば、何やら興味深そうに耳をたてている女子生徒さえも現れ出している。

「ちょっと・・・聞いてみようかな・・・知り合いに。」

「・・・・・。ねぇ、そんなヤバイ感じの人なの?」

「ヤバイというか・・・ほらっ、こうっ!流星君みたいな感じのっ!」

「はっ?!」

「いやっ、それは駄目でしょっ!!!」

雪がばっと流星へと指を向けると、今度は光士と奈美が声を合わせて椅子から立ち上がる。

がたんと音を立てて椅子が床に倒れ込み、二人はいそいそと椅子を元に戻した。

「だめよっ!絶対にヤバイわっ!」

「流星に似ている?アホじゃだめだっ!」

「アホってなんだっ!俺はそんなにヤバイのかっ!」

「ちょっと、三人とも落ち着いてっ」

音を立てて流星の背中を叩きだした奈美と光士に、流星は逃げるように席を立って二人から距離を取る。

明らかに教室内で目立ちだした三人に、翼は慌てふためいて立ち上がると、周りを見ろと言わんばかりに腕を動かした。

「っご、ごほっ・・・。」

「・・・・。」

興味深そうな生徒たちの視線に気がつき、光士が思い切り咳払いをすると、奈美と流星は静かに席へと腰をかけ直した。

しかし、すでに時遅く、そのような芝居を打っても、しんと教室内は彼らに視線が向いている。

ひそひそと女子生徒の声が聞こえ、翼は頭を抱えた。

「すまん・・・。」

「ごめん。」

「・・・ごめんな。」

これ以上話はできないと思ったのか、翼は軽く頭を左右に振ると、何も言わずに教室を後にしてゆく。

すれ違う生徒たちに声をかけられるが、彼の表情を見た者達は口々に言葉を発している。

「翼くん・・・ふられたの?」

「さぁ。誰が好きだったんだろうね。」

「なんかさ、夢郷さんの名前言ってなかった?」

「・・・。」

女子生徒たちの声が奈美や流星達の耳に入り、それは違う。と言いたくも彼らはなったが、話がこじれると思い聞こえないふりをするしかない。

「でも。翼くんの話からすると・・・あの・・・良くない事も起こるって事だと思うの。」

「よ、よくない事?」

急に真剣な顔つきに戻った雪は、未だに目を泳がせている奈美達に視線を向ける。

「事が進んでいくという事は、今起こっている事件についての元凶も活発に動き出すって事だとおじ様たちは仰っていたわ。」

「・・・・ってことはさ。この前みたいな大事件が起こるかもって事だよね?」

「うん・・・。この前は、流星君や他の人達でも勘付く事ができたけれど・・・実際今は予知できないでしょう?」

「・・・・・」

雪の言葉に返答できない流星は、未だ困惑する感情を抑え、深呼吸をして目を閉じてみる。

以前に、窓ガラスが割れバケモノ達が学校へと侵入したときは、直前であったが危機を感じ取ることができた。

それは、他の生徒たちも同じようだったがようだが、今は目を閉じようとも何をしても市内で起こっている事は感じ取れない。

「わかんねぇな。・・・バケモノが出ているっていうのは、他の奴から聞いているけど、それも今は予知できないし、どこに出ているのかも感覚的に見つけることができないんだ。」

「それって、流星の感覚が落ちているってことじゃないのよね?」

「・・・・。それは、違うと思う。」

奈美の言葉に首を横に振った雪は、教室でたわいもない話をしているクラスメイト達を見渡す。

その中には、以前の事件で武器を片手に戦った者もいる。

だが、今この瞬間に何かを悟った様に動く者達はいなかった。

「敵が以前よりも格段に力を増しているからみたいなの。道場に通っている人たちも皆予知できなくなっているし、予期せぬ場所でバケモノ達が目撃されているし・・・」

「そうなんだ・・・。」

「やっぱり、あのバケモノは市内にいるんだね。」

光士の方を向き、雪はゆっくりとうなずく。

彼はそれを見ると大きくため息をつき、窓の外へと視線を移した。

市長である父親を持つ彼にとっては、バケモノ達が未だにこの地ではびこっているという事は、考えたくもないのだろう。

雪や流星達は顔を見つめて同じように困惑した顔をするしかない。

 

「あ。光丘くんっ」

「え・・・?」

ふいに教室の入り口から声が聞こえ、光士はそちらの方へと振り返った。

クラスメイトの女子生徒が数名駆け寄ってくると、目を輝かせて光士の顔を見る。

「あのさ。光士くん。ちょっと聞きたい事があるんだけど。」

「え?いきなり、何?」

困惑する光士に気にせず、彼女たちは顔を見合わせ楽しげに笑いだす。

 

「光士くん。お兄さんいるの?」

 

「っっっっっ!」

 

女子生徒のたわいもない質問だったが、その言葉を聞いたや否や、光士は椅子を思い切り倒して立ち上がる。

顔面蒼白となった彼は、彼女たちの顔を唖然と見ていた。

予期せぬ光士の反応に驚いたのか、さすがに女子生徒たちは後退する。

「なんで・・・それを?」

「え・・・。あ、あのさ・・・昨日、うちの後輩が、光丘さんっていう人にね、光士くんの事を聞かれたって言っていて・・・」

「凄いかっこよくて・・・いるのかな・・・って・・・・・」

「嘘だ・・・。」

「こ、光士落ち着いてっ。」

わなわなと腕を振るわせた彼は、女子生徒の言葉を振り切るように声を荒げる。

教室中がしんと静まり返り、光士の声が響く。

彼を制止させる為なのか、奈美が立ち上がって女子生徒たちの前に立ちはだかるが、彼は歯を食いしばって怒りの表情を浮かべた。

「あんな奴がこの街に戻ってくるなんて・・・ありえないっ!」

「で、でも・・・ここ最近、うちの学校の生徒がよく声をかけられているって・・・部活で・・・」

「・・・そんな・・・。」

おずおずと声を発した女子生徒に、光士は今度は茫然とした虚無に似た表情を向ける。

顔を見合わせた女子生徒たちは、奈美に一言二言呟くと、彼から離れようとした。

「あのさ・・・まって。」

「えっ・・・な、何?」

頭を左右に振った光士は、思い立ったように女子生徒たちの背中に声をかける。

彼女たちは驚いて震えた声で光士へと振り返った。

「今言えるのはさ・・・。」

深呼吸をして自分を落ち着かせるように手を強く握った光士は、女子生徒や自分を見つめているクラスメイト達に向かって口を開いた。

「もし出会ったら、話をせずにその場から離れた方がいい。」

光士の言葉に、唖然と雪は彼を見つめる。

が。流星と奈美だけはしっかりとうなずいていた。

「あいつは、もう・・・ヒトじゃないかもしれないから・・・」

光士が苦し紛れに言葉を発すると同時に、始業のチャイムが教室中に鳴り響いた。

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