白と黒の世界   作:水鏡 零

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48話

ぼんやりとした意識の中で、頭の中を音が響きだす。

「う・・・?」

未だ痛みの残る身体を少し動かし、雪はもうろうとした意識の中で瞳を開けた。

身体は鉛のように重たく、とても動けそうにない。

 

まるで、身体全体を鎖か何かで拘束されているかのようだ。

 

「・・・・?」

何度か瞬きをして、辺りを見回す。

頭上では警報の音が鳴り響き、人の悲鳴が後方から聞こえてきた。

しかし、身体を動かすことができず、ただぼんやりと目の前を見つめるしかない。

足元へと視線を移せば、どうやら車いすに乗せられているようだった。

身体のあちこちに包帯が巻かれており、腕には簡易のリストバンドが装着されている。

「大丈夫ですか?」

「あ・・・。」

頭上で女性の声が聞こえ、重い頭を動かして声の主を探そうとする。

ゆっくりと車いすが止まり、後方から女性が雪の前に姿を現した。

「傷の処置が終わりましたので、移動させて頂きますね。」

「あの・・・。」

「はい?」

淡々と話し出した看護師の女性を見つめ、雪は倒れそうな睡魔に抵抗しつつ言葉を発する。

頭上で警報の音が鳴り響いているというのに、何故か頭は覚醒しない。

それどころか、どう考えても後方では異常な事態になっているはずだが、そちらに顔を向ける事も出来ない程、車いすから腕を上げる事さえできない状態だ。

切り傷の痛みも感じず、体力もそれなりに回復しているはずであるが、全く身体はいう事を聞かない。

穏やかに微笑んだ看護師は、雪の目をじっと見つめている。

「これは・・・」

「大丈夫ですよ。武藤雪さん・・・。貴女は何も考えなくていいのです。」

「え・・・?」

白い女性の手が雪の目へと迫り、眉間へと人差し指が当たる。

後方で誰かの悲鳴が聞こえ、ガラス瓶が割れるような音が響いた。

「貴女は・・・そのまま・・・私の指示に従いなさい。」

「・・・あ・・・・う・・・・?」

冷やりとしたモノを一瞬感じ、雪は女性の指をはらおうと腕へと力を込めた。

「だ・・・れ・・・?」

「あら?まだ、抵抗されるんですか?」

「・・・っ・・・・。」

雪は腕に力を込めるが、車いすの肘掛けから手をあげることができず、ガタガタと音を立てて身体を揺する事しかできない。

不自然にも、雪と目の前にいる女性以外にまわりに人の姿が無い状態だ。

後方では悲鳴や警報が鳴り響いているにもかかわらず、誰一人として雪達の方へと来るものがいない。

女性の指に力が入り、雪のみけんが押される。

「さぁ、もう身体も動かないはず。・・・貴女は・・・何も考えなくていいですよ・・・さぁ・・・さぁ・・・」

女性の顔が歪み、不気味にも見える笑みを作り出す。

頭上に響いていた警報の音が遠ざかり、見つめているはずの女性の顔がぼんやりと薄れてきた。

「だ・・・れか・・・・た・・・っ・・・」

雪は必死に声を出そうとするが、女性の指が強く額を押すごとに、身体から力が抜けてゆく。

女性の指が雪の額から遠ざかると同時に、雪は失神したように頭をうなだれる。

「・・・さぁ。行きましょうか。」

雪の前に立ち上がった女性は、おもむろに彼女の髪を掴んで顔を無理やり上げさせる。

一瞬ぴくりと肩を震わせた雪は、光の灯っていない瞳で前方を見つめた。

「・・・はい・・・。」

感情もないような声で呟いた雪に、女性は穏やかに微笑むと彼女の後方へとまわりこみ、車いすを動かし出す。

後方では変わらず警報の音が響き、人々を誘導する声が聞こえている。

まるでそこから遠ざかるように動く二人は、非常灯の明かりだけが灯っている更に薄暗い通路へと進んでゆく。

「貴女にはこれから、色々と働いていただきましょう。」

「・・・。」

通路の角を曲がり、処置室の出口が見えなくなると看護師の女性は軽く腕を振るう。

赤黒い光りが彼女を包み、看護師の姿は見えなくなる。

紫色のローブを頭からすっぽりとかぶった女は、ヒールの音を響かせながら通路を進む。

車いすに座った雪の身体に赤黒い光りがまとわりつき、彼女の手足へと巻きつくように伸びてゆく。

全身へとまとわりついたそれらは、形を変えると重々しい鎖へとなり、雪の手足には枷が光る。

「おや、意外とお早いお戻りですね。」

「ふふ・・・。」

誰もいないホールへと女が進んでゆくと、暗闇から複数の人影が姿を現した。

女と雪を取り囲むように、バケモノや仮面を着けた不気味な人々が集まってくる。

ぼんやりとした表情を浮かべた雪は動くことも無く、開いた瞳には何も映っていないかのように辺りへと動くことが無い。

「聖職者たちも、騒ぎの対処に追われているようですからね。時間をかけるよりも、より早く事を済ませた方が良いでしょう。」

「っ・・・・・。」

近寄ってきた仮面を着けた者へと返事をした女は、穏やかな笑みを浮かべて手を動かす。

その合図に従ってバケモノは動き出すと、車いすに座ったままの雪へと集まってきた。

バケモノ達は雪の身体にまかれた鎖を引っ張り上げ、彼女を地面へと引きずり下ろす。

音を立てて車いすは地面に倒れ、雪は敵に囲まれるように身体を放り出された。

立ち上がる事も声も発さない彼女に、バケモノ達は近寄ってゆく。

バケモノに群がられた雪の姿は見えなくなり、覆いかぶさるようにより固まったバケモノ達の姿が不気味に蠢いている。

我先にと群がったバケモノ達は姿を変え、まるでゼリーのように一つの塊になると雪を包みこむ。

「こちら側のヒトの血が混ざっているとはいえ、ほとんどは現世の人間と変わりない身体。呪術の効きは悪くないでしょう。」

「聖職者と深い関わりがあるとすれば、奴らも迂闊に我々に手を下すことができなくなる・・・ということですわね。」

声を殺して笑い出した女が見つめる中で、雪の身体がゼリー状になったバケモノ達の中で転がされる。

無表情のまま悲鳴も上げず身体を動かされる雪は、気味の悪い液体に漬かれているように内部でたゆたう。

「一日もすれば、自我も抑え込めるでしょう。」

「・・・見つかる前に退散しましょうか。」

地面に赤黒い光りが走り、巨大な魔法陣が形成される。

ローブをまとった女は、懐から周りの者達が着けている仮面と同じ物を取りだす。

と。彼女はそのままの姿勢で停止した。

「先に行きますね。」

「・・・えぇ。」

慌てふためいたように仮面を着けた者達が蠢き、彼らは魔法陣に吸い込まれるように姿を消してゆく。

「・・・遅いご登場でしたわね・・・。」

「・・・・。」

取り繕ったように笑った女は、後方に現れた人物へと振り返る。

女の後ろでは雪が液体の中からバケモノに取りだされ、担ぎ上げられていた。

稲妻のようなモノが辺りに飛び散り、壁や天井をはってはじけ飛ぶ。

「・・・どこへ連れてゆくつもりだ?」

身体から解き放たれている雷に髪を揺らし、カーティルスが低く女へと吐き捨てるように呟く。

今にも殴りかかりそうな彼を見て、女は慌てたように仮面を顔に着けた。

まるで、自分の動揺を隠すかのように、女は着込んだローブを引き寄せ、身体をすっぽりと覆う。

「マーラ様が彼女にお会いしたいとのことでしたので。」

「っ!」

「っっとっ!」

女が喋り終わるよりも早く、カーティルスが地面を蹴り上げとびかかる。

雷鳴を轟かせてこぶしを振り上げた彼に、女はとっさに身をひるがえすと地面からバケモノ達を出現させた。

雪の目の前へと集まったバケモノ達は、怒涛のように繰り出されるカーティルスの攻撃に身を焼かれてゆく。

「そこをっ!どけぇぇっ!」

壁のように集まってきたバケモノ達を、彼はひるむことなく叩きつけてゆくが、思うように雪へと近寄ることができない。

「それ以上は動かない方がよろしいかと?」

「ッ!」

片腕を振り上げたカーティルスの目の前がいきなり開かれ、彼は思わず息を飲んで停止する。

こぶしの先には雪の顔があり、その体は気味の悪い液体と鎖に巻かれ、まるで張り付けられているかのようだ。

一言も声を発さず、ぼんやりとした瞳でカーティルスを見つめている。

息を飲んだカーティルスは、振り上げたこぶしをおろし、雪へと手を向けようとする。

「それはいけません。」

「っなっ!っっ!」

雪の顔へと手を伸ばしたカーティルスを、抑え込むようにバケモノ達が群がってくる。

隙を作ってしまった事で、彼はバケモノ達に抑え込まれ、地面に叩きつけられた。

「雪っ!おいっ!聞こえてないのかっ!」

カーティルスはバケモノ達を押しのけ雪へと声を張り上げると、全身に雷鳴を轟かせて力を纏い直す。

バケモノ達は彼に触れることができなくなり、二歩三歩と後方へと下がるしかない。

「聞こえていますよ?ただ、お返事をする指示をしていないので。」

「・・・な・・・。」

低く笑った女は、雪の隣へと歩いてゆくと、乱暴に彼女の髪を掴んで顔を引き上げる。

光りの灯っていない瞳がカーティルスを見つめ、彼は背筋が凍るような感覚を覚えた。

「さぁ。聖職者の彼に、お別れのお言葉を言ってあげなさい。」

「や・・・やめ・・・ろ・・・。」

髪を乱暴に掴みあげられた雪を見て、カーティルスは声を震わせる。

雪の身体が赤黒い光りに包まれ、だんだんと地面へと吸い込まれ出した。

身体に巻きつけられた鎖が音を立ててきしみ、彼女の身体を締め上げてゆく。

「・・・・さぁ。お別れの挨拶を。」

「っあ・・・・。」

「だ、だめだっ!雪っ!」

ぴくりと身体を震わせた雪は、人形のように顔を動かし、カーティルスの顔を見つめる。

迫りくるバケモノを蹴り上げたカーティルスは、悲痛な声をあげて雪へと駆け寄ろうとした。

しかし、その前にバケモノが飛び出す。

「・・・にげ・・・て・・・カーく・・・ん・・・」

「雪っ!ゆっっ!」

バケモノを殴り上げ、カーティルスは再度雪へと手を伸ばす。

かすれるような声で雪はぽつりと呟くと、赤黒い光りに全身を包まれ、地面の魔法陣へと吸い込まれる。

「・・ゆ・・・き?」

手を伸ばした先で雪の身体が見えなくなり、カーティルスはその場で身体を震わせる。

「隙が大きいですね。」

「っっ!」

雪の姿に気を取られていたカーティルスに、仮面を着けた女が風を巻き上げて突進する。

目を見開いたカーティルスの視界の先で、女の手に持った短剣が赤黒く輝いた。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

悲鳴をあげて逃げ惑う人々を誘導し終え、優志は流星と共に病院内へと戻って行く。

司たちに言われて彼を連れてゆくように言われたは良いが、中学生の少年にあのようなバケモノが倒せるとは考えられない。

色々な人々と今回の一連では関わってはいるとはいえ、昼間に遭遇したバケモノは司や武藤でも歯が立たないくらいである。

ということは、この中学生では更に苦戦するのではないか。と優志は思ったのだが、司たちは真逆の意見であった。

「えっと・・・このような時に聞くのもなんだけれど。君は・・・。」

非常用の警報が鳴り響く中で、優志は辺りに目を光らせながら流星と院内を歩いてゆく。

先にバケモノと対立しているであろうカーティルス達のおかげもあるのか、ここまで一体も遭遇していない。

時折前方の方で雷鳴が聞こえたり、身を縮めたくなるほどの冷気が流れてきたりすることを考えると、今後もバケモノに遭遇する事が無いようにも思える。

「 “先代つき”っていう言葉、知ってる?」

「・・・いや。聞いたことが無い。」

「そっか。」

ぽつりと呟いた流星の言葉に、優志は小首をかしげる。

恐らく、その言葉の意味を知っているのであれば、話はいならい。ということなのだろう。

薬品や備品が倒された処置室の奥へと進み、病院のスタッフが利用している通路へと二人は進んでゆく。

そこにもカーティルス達の姿は無く、バケモノも見えなかった。

「先代つき・・・。いろんな言い方をする人がいるけど、多くの人はそう呼んでる。えっと、簡単に説明すると、家族を辿って行くと何処かで向こうの世界の人が家系にいるっていうことかな。・・・で。その力を貰った・・・というか、継承した?ってヒト。それが、先代つき。」

「・・・飛勇部長たちとは違うのか?」

「あ。うん。」

暗い通路を歩いてゆくと、カーティルス達が倒し損ねたのか、一体のバケモノが蠢いていた。

腕を異様な程の大きさに膨れ上がらせたバケモノは、恐らく人の顔があるはずの場所に、歪な形の目であろうモノを光らせている。

「奈美の父さんや爺ちゃん達は、女神様から力をおすそ分けしてもらった人たちだ。・・・俺はその・・・あの、雪ちゃん達と同じっていうのかなぁ・・・あー、説明し辛い。」

「・・・・。」

バケモノが流星の姿を見つけたのか、奇怪な声をあげて地面を這いずってくる。

優志は思わず後ずさりをしたくなったが、隣にいる流星は驚く顔の一つもしない。

それどころか、自分の言った言葉に納得がいかないのか、バケモノよりも別の事を考えているようだ。

ぽつぽつと独り言を呟いており、バケモノの方へと視線をむけていない。

まるで相手をしていないかのような態度に、優志は声をあげそうになる。

ふっと視線の先でバケモノが激しく動き、音を立てて突進してきた。

優志は目を見開いて流星へと視線を向ける。

「まぁ。見てもらった方が早いかなぁ・・・」

「お、おいっ!」

ため息をついた流星は、何も持っていない両手を準備運動をするかのように揺らすと、ゆっくりと構える。

その姿勢はまるで弓を射るような姿勢だ。

「俺らは基本“鍵”を使わない。使わない代わりに、自分の力を制御するのは自分の力量だけだ。」

「っ?」

急に真剣な表情を浮かべた彼は、力を込めるかのように目を細める。

白い光が指を伝って空中に舞いあがり、優志の目の前で形を成してゆく。

身の丈ほどの大きな弓が流星の腕に収まると、真っ白な姿をした矢がバケモノへと向けられた。

「だから、自分の力を制御できないうちは、他の人達と違って力を使う事だって許されない。・・・人によっては暴走するからさ。」

「なっ・・・。」

淡々と語った流星は、勢いよく矢をバケモノへと放つ。

軽い音を立てて飛び去った矢は、白い泡のような光をまき散らせながらバケモノへと突き進む。

流星の放った矢に頭を射られたバケモノは、その勢いで後方へと転倒し地面を引きずられるように後退する。

矢が刺さった部分が白く光り、まるで岩を砕くかのようにバケモノの全身にヒビが入りだした。

ガラスが割れる音がし始め、激しくバケモノがのた打ち回りだす。

司や武藤の攻撃では現れなかった現象に、優志はぽかんと目の前の情景を見つめるしかない。

「俺の先祖には、聖職者っていう人がいるんだとさ。えっと、雪ちゃんと一緒にいたアイツらと同じ属性っていうのかな。」

「・・・。」

バケモノは刺さった白い矢へと手を伸ばすと、その姿勢のままに散り散りに身体を崩壊させてしまう。

白い光りに包まれた残骸は、矢と共に空中へと消える。

「だから、こういう奴らには有利なんだ。」

「そ・・・そうなのか。」

大きな身の丈ほどの弦を軽々と抱えた流星は、唖然とするしかない優志を横目で見ると、また足を動かし出す。

未だ理解しがたい状況に困惑しつつ、優志は彼の後ろをついて行くように歩き出した。

「先代つきになる人達は、その家でも極わずかだって聞いたことがある。まぁ、俺の家もこういう能力を持ってるのは正直俺だけと言っていいのかもしれないし・・・。母さんや父さんは鍵さも貰ってないからさ。・・・兄貴は色々あって鍵を使うのをためらっているっていうか・・・なんていうか・・・。」

「・・・ためらっている?この非常事態にでも?」

「あ・・・うん。」

曖昧に答えた流星は、非常口に立っている人へと駆け寄ってゆく。

彼の言葉に色々と聞いてみたいと思った優志だったが、同じように視界の先に見えた人に気がつき、話を途切れさせる。

非常口に立っていたのは看護師たちであり、彼女たちは真っ青な顔で身を寄せ合っていた。

流星と優志の姿を見た彼女達は、我先にと駆け寄ってくる。

尋常ではない彼女達の表情を見て、優志はとっさにポケットから警察である証明を取り出した。

「あの、大丈夫ですか?・・・逃げ遅れた人も此処まで居ないので、安全な場所へ・・・・」

「ち、違うんですっ!あのっ!」

「助けなきゃっ、た、助けなきゃいけなくてっ!」

「でも、でも・・・っ!」

「お、落ち着いてっ!」

慌てふためいて言葉を発する看護師たちを、優志は声を大にして言い聞かせる。

看護師たちが見つめている先へと視線を向けた流星は、弓矢を抱えて走り出した。

流星の事も気になるが、今は目の前の看護師である。と判断した優志は、彼女たちが落ち着くのを少し待つ。

「この先でっ・・・ば、バケモノと・・・変な格好の人達がいてっ」

「お、女の子がっ、襲われてっ!でもっ・・・っ」

「っ。お、女の子?」

震えあがった声で懸命に説明する彼女たちは、身を寄せ合いつつも先の方へと指を向ける。

既にその先へは流星が走り去っており、優志は冷やりと背筋を凍らせた。

ルヴァンとカーティルスの二人の姿も見えておらず、現状は優勢なのか劣勢なのかもわからない。

更に、今の彼女達の発言が正しいとすれば、彼ら以外の一般人がバケモノに襲われているという最悪な事態になっている。

例え流星が司たちと違った能力を持っているとはいえ、それらに対抗できるとは言い切れない。

「わかりました。・・・皆さんは先に避難をっ!」

「っ・・・!」

何か言いたげに手を伸ばされた優志だったが、看護師たちの手を払いのけるようにその場から駆けだす。

恐らく、自分たちでは恐怖に駆られ、動けないと言いたかったのかもしれない。

状況とすれば、彼女たちも安全な場所に誘導しておかなければならないが、今は一人で突っ走って行った中学生の方が危険である。

複数で行動していれば看護師たちは安全だろうが、単独行動はこの状況ではあまりにも危険だ。

「流星くんっ!」

名前を呼んではみたものの、彼の返事はない。

嫌な予感が頭をよぎるが、弓を射る音も聞こえず、悲鳴も聞こえない事を考えると、最悪な事態はまだ起こっていないと信じてしまう。

薄暗い通路を抜け、滑りそうな床を蹴り上げて角を曲がる。

診察室や待合の椅子が並ぶ場所を横目に、優志は流星が駆けて行った方向へと急ぐ。

いつの間にか頭上の警報は鳴りやみ、院内放送が静かに流れ出している。

病室から患者を出さないようにするのか、部屋から出ないようアナウンスが仕切りに流されていた。

スタッフをかき集めるかのような放送も流れており、病院の電気や設備には被害が少ないことが言われている。

その内容を聞いていると、どうやらバケモノ達が暴れ回ったのは、一階だけであるようだ。

エントランスへと続く方へと駆けてゆくと、ぼんやりとだが目の前に照明とは異なる明かりが見えだす。

先程見た流星の放った矢とはまた異なった光に、優志は目を細めてみるがわからない。

「流星くんっ!大丈夫かっ!」

弓矢を背中に抱えた流星の姿が見えてくると同時に、彼の前に人影がある事に気がつく。

 

そして、嫌な色が地面に流れている事にも優志は気がついてしまった。

 

勢いよく駆けて来た優志は、だんだんとそのスピードを落し、肩で息をしつつも思わず歯を食いしばってしまう。

様々な事件や事故に何度も立ち会ってはいるが、それでも人の怪我とは慣れないものである。

「どういう・・・ことなんだ・・・?」

「・・・・。」

白いズボンを赤く染めたルヴァンが、床に倒れ込んでいるカーティルスの腹部に両腕を置いている。

魔法陣と呼べば良いのか、難解な模様を浮かび上がらせた円が宙に浮かび上がっており、煌々と光を溢れかえらせていた。

「わからない・・・私がここに到着したときには・・・っ。」

「っ!先の場所に看護師がいた!・・・彼女たちにっ!」

「それはできないっ!」

「っっ?」

とっさに振り返り、非常口にいた看護師たちの方へと優志が向かおうと駆けだすと、ルヴァンの怒鳴り声が響いた。

声に驚いた優志は、彼へと視線を向ける。

「・・・この傷は我々でないと修復できない。・・・人の傷とは違う・・・」

「呪術が施されているんだ。・・・普通の傷じゃないんだよ。」

「えっ・・・・。」

苦々しげにカーティルスの傷口を見つめた流星に、優志は手を震わせる。

「俺達の世界の人間がやったんじゃない。向こうの世界の奴がやったんだ・・・。」

「我々には手が出せないと見込んで?」

「可能性は大いにある。」

額に滲んだ汗を拭うことなく、ルヴァンはカーティルスへと何らかの魔法をかけ続けている。

優志の見立てでも傷口は深いように見え、ルヴァンが苦戦している事に嫌でも気がついた。

「なぜだ・・・そんなバケモノは今までいなかったじゃないか。・・・相当な力を持った奴がいるのか?」

「・・・あるいは、マーラの手下か何かだろう。」

「マーラ。」

ルヴァンは小さく呟くと、カーティルスの処置に集中するためか、それ以上口を開かない。

エントランスから外の光が入り込み、パトランプの赤い光が地面を照らし出した。

「優志っ!どうしたっ!」

「ぶ、部長・・・。」

自動ドアを手で押しあけた司が、警官たちと共に駆けてくる。

後方ではマスコミの姿がちらほらと見えたが、彼らはカメラを向ける事無く何やら警官たちに話こんでいた。

ふと視界の先で警官に紛れるように、一つの影が入り込んでくる。

「おい・・・どうした・・・どうしたんだ?」

「わかんねぇけど・・・。ルヴァンさんが来た時には倒れてたって。」

「・・・。」

血だまりに倒れ込んでいるカーティルスを覆うように、警官たちが駆け寄ってくる。

彼らは少しばかりルヴァンとカーティルスの姿に驚いているようだったが、それ以上の状況に息を飲んでいた。

「飛勇さん。我々は病院内の方を見てきます。・・・彼の事は、そちらでないと難しいでしょうし・・・。」

「そう・・だな。頼んだ!」

「はいっ!」

重厚な装備をした警官たちが司に声をかけると、彼らは薄暗い病院内へと駆けだす。

ルヴァンの魔法を横目に驚いている者達もいるが、立ち止まる事無く彼らは指揮を執る警官の後を追い病院の内部へと入って行った。

駆けだした人々の後方から、靴の音を響かせて一人の男性が近づいてくる。

その姿に驚いたのか、流星が目を見開いた。

「変われ・・・。それでは間に合わん。」

「っっ?・・・ち、父上?」

「・・・え・・・。」

司の後方から現れた人物に驚いたルヴァンは、目を見開いて彼を見る。

白いマントをひるがえしたエルダは、片膝をつくとため息をついた。

「誰に似てこうなったものやら・・・。」

エルダは軽く片手を振るうと、カーティルスの傷口へと手を乗せた。

同時に、優志の髪が少し揺らぎだし、外から入ってきた風とは別の風が巻き上がりだす。

エルダの指先が動くと、目を閉じたくなるほどの光が溢れた。

それはルヴァンの手から放出されていた光とは比べ物にならない程であり、地面や天井が煌々と光る。

何事かと後方からざわつく声が聞こえると、警官たちが病院の入り口にバリケードを作るようにブルーシートをかけだした。

恐らく、マスコミ対策であろう。

「起きろ、カーティルス。・・・・何があったか申せ。」

「・・・・っぐ。」

「そんな、ウソだろ・・・。」

エルダがぽつりと呟くと、彼はカーティルスの腹部を叩く。

ぎょっとした顔で優志が二人を見ると、あれほど深い傷だったカーティルスの傷は何もなかったように無くなっていた。

周りにいた警官たちの驚いた声が聞こえるが、エルダもルヴァンも振り返ろうとしない。

「起きんか。馬鹿息子っ。」

「げほっ!」

「お、お父さんっ!落ち着いてくださいっ!」

「む・・・。」

乱暴にカーティルスの頭を叩いたエルダに、思わず優志は声をあげてしまう。

様子を見ていた警官たちも同様に、手をあたふたとさせていた。

「・・・父上?」

「あ。気がついたみたいだ。」

「カーティルス・・・。」

薄らと目を開けたカーティルスに、周りにいた者達の安堵の声が響く。

何度か瞬きをした彼は、ルヴァンと流星に支えられながら身体を起こす。

自分の血で服を濡らしたカーティルスは、辺りをぐるりと見回すと目を見開いた。

そして後方に倒れている車いすを見つめる。

「何があった・・・。早く、申せ。」

「父上っ、父上っ、お、俺はどうしたらっ!」

「落ち着けっ!」

「兄者っ!」

「・・・・。」

急に取り乱したカーティルスは、青ざめた顔で何かを探すかのように辺りを何度も見る。

異様な彼の行動に、周りにいた者達も同じようにフロア全体を見つめた。

しかしそこには倒れた車いすしかなく、他には何も変わったモノは無い。

ふと、優志の脳裏に先の看護師が言っていた言葉が思い出される。

「・・・バケモノに襲われていた・・・女の子・・・」

「えっ。優志?今なんて?」

思い出した言葉を唐突に呟いた優志に、カーティルスが身体を震わせながら振り返る。

彼は身体をふらつかせながらその場に立ちあがり、そしてそのまま倒れ込むように座り込んでしまう。

「っっそうだよっ!あぁっ!どこにっ!」

「だから落ち着いて申せ!」

「ッ!」

動揺しきって周りの見えなくなっているカーティルスに、エルダは思い切り蹴りを入れる。

到底父親とは思えない行動に、辺りは騒然とし始めた。

「・・・・すみませっ・・・。でも、雪が・・・。」

「っ?」

腹部を押さえて立ちあがったカーティルスは、エルダの一撃にもろともせずに立ち上がる。

ふら付いた弟を支えるように肩へと腕をまわしたルヴァンは、ぴくりと肩を震わせた。

「雪が・・・敵に捕まりました・・・俺のせいで・・・俺が間に合っていればあの子は・・・っ。」

「なん・・・だと・・・。」

「武藤さんっ。」

ブルーシートの向こう側から姿を現した武藤が、司の身体を押しのけてカーティルスやルヴァン達の方へと歩み寄ってくる。

「飛勇部長すみませんっ!報告ですっ!」

「ど、どうしたっ。」

廊下の奥から血相を変えて駆け寄ってきた警官に、周りの者達の視線が一斉に集まる。

驚いた警官は目を白黒とさせながら、手に持ったメモ帳へと視線を移し、大きく深呼吸をすると言葉を発した。

「姿が見当たらない患者が一名います。・・・名前は武藤雪さん・・・最後に姿を見たのは処置をした看護師・・・で・・・・。」

メモ帳から顔を上げた警官は、唖然と自分の方を見つめている武藤と目が合い、思わず話すのを止めてしまった。

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

煙の上がっている建物を見上げ、竜崎は目を細める。

外では救急車のサイレンが鳴り響き、負傷者が外へと次々に運び出されていた。

「相手の顔を見た者はいるか?」

「いえ・・・。怪しげな仮面をかぶった男達としか・・・」

「そうか。」

ダイナマイトか何かで吹き飛ばされたような大穴を見て、竜崎は言葉を無くしたように内部へと入ってゆく。

内部の照明は壊され、非常用の外灯がぽつぽつとついているだけだ。

「皆、ご苦労。」

「署長・・・。」

「・・・。」

壊されたデスクや棚を乗り越え、竜崎は更に奥へと進む。

多くの警官たちが辺りを見て何かを話しあい、時に応援に来た消防士にも話しかけていた。

現場の写真をカメラに収めている者は、獣の爪痕のような壁の傷を見て唖然としている。

「やはり、川西の姿はありません。」

「バケモノもいませんし・・・目的は奴の奪還では・・・。」

「だろうな。」

一際激しく壊された部屋の一つへと近づき、竜崎は今まで人が座っていただろう場所へと視線を向けた。

壊された椅子の近くには、恐らく怪我を負った者の血痕であろうモノが散乱している。

扉はひしゃげて転がり、ガラス破片が飛び散っていた。

「相当な格闘戦だったようです。幸いにも軽症で済んだ者が言っていましたが、魔法・・・のようなモノをぶつけられた。と言っている者もいます・・・つまりその・・・」

「向こうの人間がやったという事か。」

「は・・・はい。」

未だ信じられないとばかりに、自分の発した言葉に首を傾げた警官は、竜崎の一言に頷く。

「信じたくは無いが、一連の騒動から連なっているとしたら、信じるしかないだろう・・・な。」

「そうですね。」

この場にいる者達が、皆“向こうの世界”をそれなりに理解している者だと思った竜崎は、怪我を負っても残っている警官の方へと歩いてゆく。

恐らくは軽傷だったのか、彼は周りの者達に淡々と話をしていた。

「君は、大丈夫だったのか?」

「あ。しょ、署長。・・・はい。私は騒ぎの音を聞きつけて来ただけなので・・・ここに到着したときにはもう。」

「そうか。」

先程までの惨状を思い出したのか、彼は頭を軽く左右に振ると、顔色を悪くしてうつむく。

彼自身も未だに色々と信じられていないのだろう。

話していた内容をまとめていた署員も、何と言ってよいモノかと言わんばかりに竜崎を見つめていた。

「留置されていた川西は恐らく近くにはいないだろう。・・・奴らの目的が彼の身柄を確保するという事ならば、現場近くにいる必要性もない。」

「下手をしたら“向こう”に帰っている・・・かもしれないですしね。」

竜崎の言葉に付け足した警官は、彼があまりその言葉に同調していないと表情で理解する。

小さく頭を左右に振った竜崎は、皆をぐるりと見つめた。

「外に出て上空を見つめてみるといい。・・・奴らがこの市内に潜伏している事に気がつく者がいるだろう。」

「え。しょ、署長それは・・・」

「・・・理由がわかった者がいれば、周りの者に警戒するよう伝えよ。」

「・・・はい。」

何を言っているのだと言わんばかりに皆が顔を見合わせるが、外へと竜崎が歩いてゆくのを見ると、同じように連れだって外へと向かう。

現場の検証をしている者達を除いて、中にいた者達は皆で外へと出た。

夜の闇が空に広がってはいるが、まだぼんやりと空は明るい。

「・・・・え・・・・」

「・・・なんだよ・・・あれ・・・」

「どうしたんだ?」

竜崎に続いて外へと出た警官たちは、ぽつぽつと口を開きだす。

困惑して空を指さす者もいれば、後ずさりをする者もいた。

そうかと思えば、“それ”が見えていないのか、彼らの様子を不思議そうに見つめている者達もいる。

辺りがざわつき始め、つられる様に様子を見ていた一般市民も空を見上げだした。

途端に悲鳴のような声が辺りから聞こえ出す。

穏やかな初夏の夜空には、転々と星々が見えている。

薄らと雲の合間からは月が見え、何と変わりない空が広がっていた。

 

ある一つを除いて。

 

「あれ・・・何?ま、魔法陣?」

「うそだろ・・・そんなゲームみたいな・・・」

「でも、バケモノだって出ているんだしさ・・・でも・・・」

ざわつく人々は口々に困惑した声を発し、その声はだんだんと渦を巻いて広がってゆく。

「・・・事が始まるのが早いか・・・それとも・・・」

視界の先で赤黒い光りが走り、それが文字盤のようなモノへと吸い込まれる。

桜丘市を覆い尽くすかのような大きな赤黒い魔法陣は、まるで街を押しつぶすかのようにゆっくりと動いていた。

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