白と黒の世界   作:水鏡 零

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50話

だんだんと森に夜の闇が広がり、賑やかな鳥の声も聞こえなくなる。

暖かな日差しは無くなり、窓の外にはポツポツと星の光が見えていた。

昼間に泣きはらした目はすっかりよくなり、るりは用意された部屋から空を見上げる。

自分が住んでいた世界と同じように星が瞬き、そして月のような星が煌々と輝いているのを見ると、不思議と違和感が無くなっていた。

そして、ここに来てから数週間が経っている事も思い出す。

様々な事があり、自分の元の世界を思い出そうとしても、それは遥か昔の出来事のように感じた。

「・・・お母さん・・・お姉ちゃん・・・お父さん・・・・皆・・・どうしているのかなぁ。」

自然と口からもれた言葉は誰にも聞かれず、そのまま夜の闇へと吸い込まれてゆく。

ランゼフが隣にいれば情報として話を聞くことができただろうか。と、ふいにるりは思い浮かべた。

恐らく今頃、ランゼフは自分がここに残っている事を良くは思っていないだろうと考える。

とはいえ、最後に見た彼女の姿は鮮明に残り、ランゼフがアリスに呟いた言葉を考えると、さほどアリスを毛嫌いしている訳ではない。と思えそうであった。

ジェシカや李春そしてミチルやグレイ、竜の姿で飛び去るハージェントを思い出せば、昼間にアイネ達に言われた言葉を考える。

「私には・・・たくさんの仲間がいる・・・」

両手を胸へと当てたるりは、そっと目を閉じて微笑む。

この世界に来る前には考えた事もない言葉だとるりは感じた。

 

友達もいない

 

信頼できる人も家族以外にいない

 

誰かに頼ろうとは家の外では思えなかった

 

今はどうだろうか?

 

自分を支えようと多くの人達が手を差し伸べてくれる

 

伸ばした手を握り返してくれる人がいる

 

大切な大切な存在がいる

 

愛してくれる彼がいる

 

「・・・・。」

部屋のバルコニーから身を乗り出したるりは、アリスの部屋がある方へと視線を向けた。

薄らとではあるが、部屋のカーテン越しに明かりが灯っている。

まだ彼も眠ってはいないようだ。

「・・・アリス・・・・」

部屋の中にいるであろう彼の名を呟くが、その声は彼に届くことはない。

ふいに少しの寂しさを感じたるりは、ゆっくりとバルコニーから部屋へと戻った。

静かにカーテンを引き、窓を閉める。

柔らかに灯った部屋の明かりを見つめ、ベッドへと座った。

「・・・どうしよう、眠れない。」

ぽつりと呟いたるりは冴えてしまった頭を抱え、部屋の隅にかけられた上着を取りに立ち上がる。

柔らかな素材で作られた温かみのある上着を着込んだるりは、テーブルに置かれた小さなカンテラを手に持つと、部屋の入口へと静かに歩き出した。

別室にいるオカの所へ行くか、それとも散歩をしに外へ出ようかと、ドアノブを握りながら考える。

「・・・・。」

あまり屋敷の人達に心配をかけてはならないと思ったるりは、別室にいるオカの所へと行こうと決め、静かにドアノブをまわした。

音を立てて扉が開き、薄暗い廊下へと出る。

幸いにも廊下には屋敷に仕えている者達の姿は無く、るりはカンテラを片手に持つと扉を閉めた。

ぐるりと廊下を見回した彼女は、オカがいる部屋の方へと歩き出そうと一歩足を踏み込んだ。

「・・・どこかへ行くのか?」

「ひっ!」

突然と人がいないと思っていた方向から声が聞こえ、思わずるりは悲鳴をあげて振り返る。

と。そこには小首をかしげているコーディの姿があった。

昼間と変わらず真っ黒なマントを着込んだ彼は、不思議そうにるりを見つめている。

「あの・・・えっと・・・あの・・・さ、散歩に・・・」

「・・・こんな時間にか?」

「は、はい・・・。」

思わず口から出た言葉は考えていた事とは真逆の事で、るりは自分でも困惑してしまう。

上から下までじっと赤い目がるりを見つめると、彼はおもむろに羽織っていたマントへと手を伸ばした。

「雪が降っていないとはいえ、外は寒い。これを使いなさい。」

「えっ・・・あの・・・。」

驚くるりに気にせず、コーディはるりの肩にマントを羽織らせる。

彼にとってはちょうど良い長さのマントは、るりにとっては引きずる手前程の長さだ。

「それと・・・一人で外を歩くのは危険だ。」

「・・・すみません。」

「少し・・・付き合おう。」

「へっ?」

思わぬコーディの言葉に、るりは素っ頓狂な声をあげてしまう。

長い水色の髪を揺らした彼は、くるりと向きを変えると階段の方へと歩いてゆく。

るりが背中から声をかけようとするが、それに気がついていないのか、コーディは淡々と歩いて行ってしまう。

「私も気晴らしをしてから床に就こうと思っていたのだ。」

「そ、そうなんですか・・・。」

玄関ホールへと降り立ったコーディは、静かに入り口を開けると外へと出てゆく。

るりが同じく外へと出ると、彼は入り口を閉じた。

「アリスとあの場所には行ったかい?」

「あの、場所?」

「・・・なんだ。あの馬鹿は案内もしていないのか・・・。」

問いかけに小首をかしげたるりを見て、コーディはため息をつく。

ついて来ればわかると言わんばかりに歩き出した彼に、るりは困惑しながらも、後を着いて行った。

「君が・・・るりが初めてこの世界に来た場所だ。覚えているかい?」

「あ・・・。」

前を淡々と歩くコーディに置いて行かれないように、るりは足早に彼の後ろをついて行く。

しばらく森の中を歩いてゆくと、急に開けた場所が目の前に広がった。

「昼間と夜に見るこの場所は、姿が全く異なる顔をする。・・・あの子の・・・アイネの一番気に入っている場所だ。」

「・・・・。」

穏やかに微笑んだコーディは、るりを手招く。

木々の間から歩み寄ったるりは、コーディの横に立つと青々と茂る草原を見つめた。

鮮やかな花が風に揺られ、開けた場所を彩るように様々な色が夜の光に照らされている。

視線を遠ざけてみれば、その先に湖のようなモノが見えた。

「ここは・・・昨日・・・アリスがいた場所・・・」

「なんだ。あいつはここで頭を冷やしていたのか・・・。」

るりの声を聞いたコーディは、小さく笑うと花々が揺れている方へと歩いてゆく。

彼に続くようにるりもそちらへと歩き出した。

「十数年前のあの日、君は・・・るりはここに転移されてきた。この場所も汚染が進んできており、アイネも私もあの馬鹿にここには寄るなと言い聞かせていたのだが。・・・あいつはいう事を聞かない馬鹿息子だからな。その日も、勝手にここに来ていたのだ。」

「・・・・。」

得と言って変わり映えのない場所を見て、コーディは思い出すかのようにぽつりと語りだす。

「仮面を着けたマーラの手下たちが転移されたるりを見て、幼子の身体と魂を使えば・・・と言っていたのを聞いてしまったらしい。そしてあの馬鹿は、君のるりの姿を見つけたとたんに、敵の集まる中で手を取って我が家へと一目散に走り逃げた。」

淡々と語っているコーディを見つめ、るりはマントが飛ばないようにと手で押さえる。

コーディの目には何かが映っているのか、彼はじっと何かを見つめているかのように呟いていた。

「途中捕まりそうになりつつ、数分と言う距離を幼子の手を必死につかみながらアリスは駆けて来た。最初に見つけたアンディは、二人を守るように屋敷の中へと身を隠させた。・・・奴らは問うたよ・・・・そこに現世の子供がいるだろう。こちらに引き渡せと。しかし、我々はそれを頑なに拒んださ。・・・一番拒んだのはアリスだったがね。」

「え。」

くすりと笑ったコーディは、腕を組んで空を見上げる。

澄んだ夜空には、満天の星が瞬いていた。

「絶対に嫌だとわめいてね。どうしようにも無いものだから、私は奴らを追い払ったよ・・・。こちらとしても、領地で愚かな事をしようとした事を許せなかったのでね。丁重にお帰り頂いたさ。・・・まぁ、そのおかげで色々とその後に続くのだが。それはまた・・・。」

「・・・えっと。」

無表情な顔をいつも浮かべているコーディとは別人のように、彼はるりの前でコロコロと表情を変えてゆく。

風でなびいた髪を手で押さえたコーディは、ふいに後方を振り返った。

「もう。パパったら・・・るりちゃんを独り占め?」

「・・・そういう訳ではなかったのだがな・・・。」

「あ。アイネさん。」

遅れて振り返ったるりの前に、アイネがカンテラを片手に歩み寄る。

るりの肩にかけられたコーディのマントを見たアイネは、驚いた表情をすると、面白おかしそうに彼の顔を見上げた。

アイネの視線に気がついたコーディは、少しばかり顔を赤くしてそっぽを向く。

咳払いをしたコーディは、何も言わずに屋敷の方へと歩き出した。

彼は振り返り、アイネとるりの顔を交互に見る。

「体調を崩してはならぬからな。・・・そろそろ帰ろう。」

「もう。今到着したのに。」

「そう言うな・・・。アイネも身体を大事にしなさい。」

「あらあら。」

ため息をついたコーディに、アイネは穏やかに微笑む。

るりの肩を軽く叩いたアイネは、彼女と共にコーディの方へと歩き出す。

「パパと何のお話をしていたの?」

「え、えっと。」

「・・・昔話をしただけだ。」

「あら。もしかして、小さなお姫様のお話?」

「そうだな。」

「・・・・お、お姫様・・・。」

顔を見合わせて笑いあったコーディとアイネを見て、るりは頬が少し赤くなるのを感じる。

二人が言っているお姫様というのが自分だと思うと、どこか照れくさくなり、思わず視線を逸らしたくなってしまう。

「お姫様も王子様も、最後は幸せに・・・めでたしめでたし。っていうのが、私は好きな物語の結末なの。」

「アンハッピーエンドというのは、あまり私も好きではないな。」

「・・・・。」

先を歩くアイネとコーディは、るりに振り返る事無く言葉を紡ぐ。

彼らが言わんとしている事に勘付いたるりは、手に持った小さなカンテラをじっと見つめる。

プレッシャーとは違った感覚を覚えた彼女は、何を言おうかと二人の背中を見つめるしかない。

「そうね・・・。それには、王子様ともっと仲良くなってもらわないといけないと思うのよね。」

「・・・少し、強引にも感じるが・・・な。」

「あの・・・?」

淡々と屋敷へと戻ってきたアイネとコーディは、静かに入り口を開くとるりを手招く。

薄暗い明かりが灯った屋敷の中は、しんと静まり返っていた。

あまり遅い時間ではないが、皆が寝静まっているかのように静かである。

「王子様には内緒なんだけれどね。・・・お姫様には話しておきたい事があるの。」

「・・・・?」

「あいつは止めるだろうからな。だが、これだけは言っておかねばならないと思っている事だ。」

るりの肩からマントを外したコーディは、何故か不安げな表情をしているアイネへと視線を向ける。

コーディは何度か瞬きをすると、るりへと向き直った。

「・・・王子様は、お姫様を助けるために、悪者たちから呪いを受けました。・・・彼女が受けるはずだった呪いを全て、自分で肩代わりしてしまったのです。」

「・・・え・・・・。」

物語染みたコーディの言い方に、るりは思わずカンテラを手から落しそうになる。

動揺したるりに目を細めた彼だったが、アイネが首を横に振ったのを見ると、また語りだした。

「その呪いは誰にも解けない不思議な呪いです。どのような呪いかも、魔道士達は解読することができませんでした。・・・王子様はそれを知っても・・・それでも・・・別れたお姫様を探しました。」

「・・・お姫様にいつか自分のせいで王子様が呪われてしまったと・・・思われてしまう事もわからずに・・・」

「そ・・・それは・・・そ・・・」

震えた声でアイネとコーディを見つめたるりに、アイネはそっと彼女を抱き寄せた。

「・・・王子様はね・・・自分にかけられた呪いが何かはわかっていないの。・・・それは王子様の両親も同じ。周りの者も同じ。・・・でも、彼はそれでもお姫様を求めているの。もしも、お姫様が自分のせいだと思ってしまっても、彼は自分で呪いを解こうとしているの。」

「わ、私のせいで・・・・」

るりの言葉を否定するかのように、アイネは首を横に振る。

凛とした瞳でるりを見た彼女は、ゆっくりとしゃがみ込んだ。

「王子様の呪いを解くことができるのは、お姫様だけ・・・。巫女の力が必要だと女神様は言っていたわ。・・・彼女達にも解けない呪い。」

「私が・・・助ける・・・?」

「そう。」

柔らかに微笑んだアイネは、るりの顔を両手で包み込む。

「お姫様が王子様を助けてあげて。」

「・・・・。」

震えた手を振りほどいたるりは、アイネとコーディの顔を交互にみる。

「・・・お姫様が・・・王子様を・・・・助ける・・・あの日の恩返しをするために・・・。」

自分に言い聞かせるように、るりは片手を首から下げた鍵へと重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

カーテン越しに朝日が漏れ、眩しい程の光が床を照らしていた。

「・・・。」

いつの間にか眠っていたらしく、昨晩使ったカンテラは火の変わりに使われている魔石がぼんやりと光ったままになっていた。

「朝・・・。」

大きく背伸びをしてるりはカーテンをゆっくりと開ける。

青空が広がった森の方では、鳥たちがさえずっているのが聞こえた。

その向こうには切り立った崖が見え、鳥とは違ったモノが空へと飛び立つのが見える。

「あれ・・・は・・・。」

大きな翼をはためかせて飛び立つ竜を見た彼女は、ハージェントとは違った姿の彼らをじっと見つめてしまう。

竜の住まう里だとは聞いてはいたものの、実際に竜の姿をした里の人々を見た事は無い。

悠々と崖から滑空した竜たちは、どこかに連なって飛び去って行った。

「・・・おはよう。るりちゃん・・・。」

「っっ!」

ドアが小さくノックされ、扉の向こう側からアイネの声が聞こえる。

振り返ったるりは、急いでそちらへと歩み寄ると静かに扉を開いた。

「お、おはようございます。」

「あら。まだ起きたばかりだったのね。ごめんなさい。」

「い、いえ。直ぐに支度します。」

「ふふ・・・。ちょっと見せたいものがあるから、急いできて。」

「っえ。あ・・・はいっ。」

朝日に照らされた廊下に佇んだアイネに、るりは頭を下げるといそいそと部屋へと戻る。

クローゼットの中にかけられた洋服を掴み、慌てたように服を着だした。

「あっ。ね・・・寝癖っ・・・・」

鏡に映った自分の姿を見て、髪がうねっているのに気がつく。

用意された化粧品の数々を見つめると、はねた髪をくしでとかす。

「だ、大丈夫かなぁ・・・」

独り言を呟きながら姿見の前で回転したるりは、ふいに胸元にあった鍵へと視線を移してしまう。

常にぶら下げていたこともあり、存在すら忘れてしまった事も最近はよくある。

それが悪いのか、それとも良い事なのかはるり自身わからない。

「大丈夫・・・・大丈夫だよ。」

昨晩、アイネとコーディに言われた言葉を思いだし、不意に恐怖感が背中を滑って行く。

自分を落ち着かせるように呟いたるりは、大きく深呼吸をすると、部屋の入口へと近づいた。

大きく深呼吸をした彼女は、ドアノブをひねって廊下へと出る。

「あ。来た来た。・・・ほら、見てごらん?」

「・・・?」

朝日が差し込む窓に寄り掛かりながら、アイネはるりを手招く。

まだ日が登って時間があまり経っていないのか、開け放たれた窓から入ってくる風は冷たく感じた。

髪を揺らしながら下の方を覗いているアイネへと近づき、るりは同じように庭のほうへと視線を向ける。

「あ・・・。」

「ほら、珍しいでしょう。」

アイネが指さす方には、アリスとコーディの姿が見えていた。

二人は同じ形の太刀を手に持ち、相手に向かって剣先を向けている。

「鍛錬くらいなら、木の棒くらいにしておけばいいのに。」

「・・・。」

「意外と二人とも真面目さんだからね。」

小さく息を吐いたアリスは両手で太刀を構え直すとコーディへと突進する。

軽く一歩後方へと足を下げたコーディが片手で太刀を振り上げた。

重い音を立てて二人の武器が重なり、弾かれたアリスが後方へと武器ごと引きずられる。

「隙が大きいぞ・・・。」

「っ!」

軽々と身の丈ほどの太刀を片手で振るったコーディは、表情一つ変えずアリスへと剣先を向ける。

汗を振り払ったアリスは、迫ってきたコーディから身をひねって攻撃をかわした。

しかし、それを見通していたのか、更にコーディが太刀をアリスへと振り払う。

「っとっ!」

「・・・避けてばかりではどうする。」

「んなのっ!どうするってっ!」

慌てふためいたアリスは、二手三手と攻撃をしかけてくるコーディから身をひるがえして剣先を避ける事しかできない。

見ているだけで冷や冷やとする光景であるが、るりの隣にいるアイネは何やら楽しげに微笑んでいた。

「私が最後に見たのは、アリスがまだ全然パパの攻撃を予知できないくらいの頃だったから。成長したなぁ・・って思っちゃうの。」

「・・・。」

苦々しげに太刀を構えたアリスは額に滲んだ汗を振り払い、コーディへと太刀を向ける。

疾風を巻き上げて突進する彼だったが、その攻撃はもろくも簡単に父親の太刀に弾かれた。

「奥様。るり様。・・・お早いお目覚めですね。」

「あ。お、おはようございます。」

「おはよう。アンディ。・・・・ちょっと面白いモノが見えたから、ついつい見物しちゃっているの。」

「おや。そうでしたか。」

一階から階段を上がってきたアンディは、穏やかな笑みを浮かべて二人へと近づく。

窓の外では剣がぶつかる音が響き、その度にアリスの罵声にも似た声が聞こえてきていた。

「坊ちゃまと旦那様が鍛錬を・・・・おや、久しぶりでございますね。」

「全然アリスは勝てそうにないけどね。」

ため息をついたアイネの横で、るりが小さな悲鳴をあげる。

アリスの手に握られていた太刀が空を舞い、地面へと突き立てられた。

勝ち誇った様に目を細めたコーディは、手に持った太刀を軽く振り上げると、アリスの目の前に突き出す。

「隙が大きい。・・・感情で動くと相手に付け込まれるぞ。」

「っったくっっ!」

肩で息をしているアリスは、地面に座り込んだままコーディを睨みつけている。

何か言いたげに口を動かすが、相当疲れているのか息をしているだけで精一杯のようだ。

「・・・身だしなみを整えてこい、アリス。その状態で朝食の席に座られても目障りだ。」

「っ・・・。」

「・・・なんだ?」

呆れたように呟いたコーディは、座り込んだままのアリスへと手を差し伸べる。

アリスは目を見開いて、彼の手をじっと見つめていた。

「あらあら・・・。」

「おぉ・・・。」

その光景を見ていたアンディとアイネの二人が、嬉しそうに声をあげる。

るりは小首を傾げて、コーディとアリスをじっと見つめるしかない。

「早くしろ・・・。」

「あ・・・あぁ。」

舌打ちをしたコーディに、アリスは焦った様に彼の手を握る。

思い切り引っ張り上げられた彼は、軽く服を叩くとコーディへと顔を向けた。

テーブルにかけられたマントを抱えたコーディは、何事も無かったかのように屋敷の方へと歩いてゆく。

父親の背中をじっと見つめているアリスは、目を見開いて驚いた表情を浮かべたままだ。

「パパったら・・・素直じゃないのよね。」

「照れていらっしゃるのでしょう。」

お互いの顔を見合わせ、アンディとアイネは庭に残されたアリスの姿へと視線を移してゆく。

コーディに握られた手を見つめた彼は、居心地悪そうに歩き出す。

「男の子ってね。女の子と違って、結構めんどくさいの。」

「め・・・めんどくさい?」

「そう、意地っ張りと言うか、そういうところ気にしちゃう?って思うような事ばっかりでね。」

アイネは窓から離れると、一階へと続く階段の方へと歩いてゆく。

るりも彼女に続いてその場を離れた。

後方で静かにアンディが開け放たれた窓を閉じる音がする。

「本当はお互いに気にしているのに、どうしても言えない事があるんだと思うのよね。・・・言ってしまえばいいのにね。」

苦笑いを浮かべたアイネは、独り言のようにぽつりと呟く。

るりは彼女の背中を見つめながら、階段を降りて行った。

朝日が窓から溢れんばかりに入り込み、重厚な造りの屋敷の中を明るく照らしている。

すれ違う屋敷の者達とあいさつをしつつ、るりはアイネと共に玄関の方へと歩いてきた。

ちょうど同時に玄関から、コーディがマントを抱えて入ってくる。

汗ひとつにじみ出ていない彼を見ると、先の光景が夢だったようにるりは感じてしまった。

音を立てて玄関の扉が閉じられ、コーディは目の前にいたアイネとるりを見て小首をかしげる。

「パパ。おはよう。」

「お、おはようございます。」

「・・・あぁ。おはよう。二人とも早いのだな。」

アイネはコーディの方へと進んでゆくと、彼が手に持っていたマントを受け取る。

ゆっくりとマントを広げたアイネは、楽しげに彼の肩にそれをかけた。

「ちょっと面白いモノが見えたものだから。るりちゃんとご見物させて頂いてたの。」

「ん・・・。あぁ・・・。そうか。」

襟を正したコーディは、羽織ったマントをひるがえし微笑む。

アリスとの稽古を見られていた事に彼は嫌悪感は無いらしく、何故か面白そうに笑っている。

「あんまり怒ってばかりだと、アリスも嫌になっちゃうわよ?」

「そう言うな。ほとんどを独学で覚えているからこそ。あいつには自分の弱点を痛感させねばならん。」

「良い所も褒めてあげないと。・・・アリス泣いちゃうわよ。」

「っふふ。」

アイネの言葉が面白かったのか、コーディは口元を押さえて笑いだす。

この場にアリスがいたら、と思うと、二人の様子を見ていたるりも、思わず笑ってしまった。

「アリスは泣き虫さんなのよ。・・・るりちゃん以上にね。」

「っえっ・・・あ・・・えっと。」

「るりは女の子だから良いが、あいつは男だ。・・・魔族の男だということを自覚してほしいモノだな。・・・泣いてばかりでは困る。」

マントを揺らしてるりへと歩み寄ったコーディは、軽く彼女の肩を叩くと屋敷の奥へと歩いてゆく。

少しばかり頬を赤くしたるりは、アイネと共に彼の後をついて行った。

「パパはあんな感じで言っちゃうけれど、パパとまともに稽古をしてついて行けるのは、私の知る限りでも片手程度なのよ。」

「・・・コーディさん。お強いんですね。」

「そりゃぁもう。鬼のようにね。」

前方でアンディに話しかけているコーディは、アイネの言葉に気がついていないのか、振り返る事もない。

楽しげに笑ったアイネは、るりと共に彼の横を通り過ぎてゆく。

廊下の奥からは、香ばしいパンを焼いた香りが漂い始めていた。

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

ビルの窓から大通りを眺めていた彼女は、つまらなそうに視線を移す。

人々が何と変わらぬ日常を過ごし、学生やスーツ姿の一般人が会話を楽しみながら歩いてゆく。

「まるで何も勘付いている者がいないみたい。」

「さようでございますね。」

真っ赤なドレスをひるがえしたマーラは片腕を小さく揺らす。

目の前に見えたビルの看板が音を立ててきしみ、支えていた金具が大通りへと落ちてゆく。

空から降ってきた金具に驚いた人々が急に足を止め、上空を不思議そうに見つめた。

「・・・つまらないから、楽しい事を起こしてあげましょう。」

「はい。」

軽く指を弾いたマーラに合わせ、窓の外から見えていた広告看板が不自然にきしんで外れる。

歪な音を立てて看板は急降下してゆき、次の瞬間には人々の悲鳴が窓越しに聞こえてきた。

煙が辺りに立ち込め、尻餅をついて落ちてきた看板を見ている人たちの姿がマーラの目に映る。

「潰れた奴はいないのね。・・・つまんない。」

「・・・。」

間一髪その場から避けたのか、足を引きずりながらその場から離れてゆく人々の姿が幾つも見え、マーラは大きなため息をついた。

看板を支えていたパイプへと指を向けると、マーラが指を動かせば残ったパイプや金具が落下してゆく。

「あら・・・。また、外れたわ・・・。うまくいかない。」

「残念でございますね。」

「ほんとよ・・・。」

金具やパイプが地面へと突き刺さるが、逃げ惑う人々には一つも当たることが無い。

遠くからサイレンの音が響きだし、看板の近くへと警官たちが駆けてくるのが見えた。

「手っ取り早く“力”になりそうなモノが手に入ると思ったんだけど、うまくいかないわ。まぁ・・・いいにしましょう。」

「はい。あまりこの場でお力を使えば、マーラ様のいらっしゃると皆が勘付いてしまいますので。」

「ふふ・・・。そうだったわね。場所を変えなくちゃいけなくなっちゃうわねぇ。」

サイレンの音が近づくにつれ、外の騒がしい声は大きくなる。

よく見れば、視線の先であちらこちらの窓から人々が落下した看板を見つめているのが目に入った。

「ところで。あのお嬢ちゃんはどうなったの?」

テーブルに置かれたマニキュアへと手を伸ばしたマーラは、血のように赤い液体を爪へと塗りだす。

奇怪な模様が幾重にも書かれたマニキュアの瓶は、気味の悪い光りを放っていた。

爪へと液体が塗られると、マーラの爪が更に赤くなってゆく。

陶器のように白い肌が血を流したように色が良くなり、爪にマニキュアが塗られる度に、全身が白から肌色へと変わっていった。

鏡を見たマーラは、満足そうに微笑む。

「はい。色々と情報は聞き出せたのですが、明確な場所までは知らぬようでした。」

「あら。残念。でも、利用価値はあるのでしょう?」

「・・・はい。大いに。」

マーラの傍らで淡々と語っていた男が手を動かすと、薄暗い部屋の隅に赤黒い魔法陣が現れた。

「マーラ様のお慈悲により、このように・・・。」

「・・・。」

男が手を叩くと、魔法陣から赤黒い霧に包まれて一人の影が姿を現す。

魔法陣から姿を現した雪は、光の灯っていない瞳で瞬きをすると、マーラの前まで進み出る。

雪は静かに片膝を折り曲げると、マーラに向かって頭をたれた。

「川西の方も、そろそろ準備が整う頃です。明日には魔法陣も始動できるでしょう。」

「まぁ、思っていたよりも早いわね。」

椅子から立ち上がったマーラは、真っ赤な口をひしゃげて笑う。

片手に赤黒い魔法陣を出現させた彼女は、魔法陣の中へと腕を入れると中から一つの物を引きずり出す。

禍々しい色をした魔石が埋め込まれたそれを手に持ったマーラは、頭をたれている雪の方へと近寄った。

切り傷の跡が無くなった彼女の身体には、変わりに赤黒い細い鎖が服の間から見えている。

鎖は手足に着けられた枷へと伸び、枷にはマーラが手に持っている物に装飾されている魔石と同じものが埋め込まれていた。

「貴女には、これからとっても楽しい事に参加してもらうわ。」

「・・・。」

雪の目の前にしゃがみ込んだマーラは、血のように赤い爪で彼女の顎を持ち上げる。

何も答えない雪は、マーラに抵抗することもない。

「さぁ。私の大っ嫌いな新しい巫女を始末してきなさい。」

重い音を立てて、マーラは雪の首に手に持った物をはめ込む。

首輪の留め具がしっかりとはめ込まれると同時に、全身にはっていた赤黒い鎖が首輪へと繋がった。

うなだれる様に頭を下げた雪を見ると、マーラは彼女の前に立ち上がる。

「・・・お任せください。マーラ様。」

ゆっくりと顔を上げた雪は、にっこりとマーラへとほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

明かりの灯っていない道場の中で、彼は静かに瞳を閉じていた。

開け放たれた入口から、灯篭の明かりが線を描いて入り込んできている。

「・・・。調子が悪いのか?」

「っ?」

ふいに後方から声が聞こえ、ルヴァンは驚いた表情でそちらへと顔を向けた。

片腕に白いマントを抱えたエルダは、息子の表情を見て目を細める。

ルヴァンは言葉も無くゆっくりと首を縦に振るしかない。

「父上。その・・・お身体は・・・。」

「私の事は案ずるな。影の者など手こずる相手ではない。」

「そうですか。・・・そうですね。」

道場の入り口に刀を置き、エルダは顔色の優れないルヴァンへと近づく。

ルヴァンは立ち上がる事無く、父親から目を逸らすと外へと視線を移した。

外では忙しく人々が動き回り、その中にはこの世界では見慣れない服装を模した者も少なくない。

「大したことではないのですが、身体の・・・内側がふつふつと湧き上がるような感覚があるのです。それが、どういう意味なのかは・・・。」

「それを抱えているお前自身が言うのだ。我々にはどうにも対処ができない。・・・すまないな。」

「いえ。」

片腕を胸へと押し当てたルヴァンは、ぽつりと何かを呟く。

淡い光を帯びた粒が指先から溢れるが、それらは直ぐに蒸発するように消えそしてまた埋めるように光が辺りに広がった。

しかしどれも形を留める事無く、床板の上で蒸発してしまう。

「マーラが復活しているとなれば、遅かれ早かれ起こりうることだったのかもしれない。お前がそれを制御するのも時間の問題か。あるいは。」

「あるいは?」

エルダに問いかけるようにルヴァンは父親の言葉を復唱する。

考えを巡らせているのか、エルダはふっと息を吐く。

「いや。やめておこう。いらぬ期待をしてはお前に申し訳がない。」

「そ。そのようなことはっ。」

「いいのだ。気にするな。」

「父上・・・。」

白いマントを抱えたまま、エルダはルヴァンの隣に座り込む。

ルヴァンは悲痛そうな表情を彼に向けるが、エルダは話を無理に途切れさせ息子の顔を見ようとはしなかった。

「カーティルスには言ったのか?」

「・・・いえ。あれには今言うような時ではないと思うのです。雪の事で酷く自分を責めているので。」

「そう・・・か。」

自室から出てこないカーティルスを思い出し、ルヴァンは更に表情を曇らせる。

「誰に似たのだろうな。」

「・・・。」

「まるで数十年前の自分を見ているようなものだ。」

「え。」

顔を息子に向ける事無くエルダは苦々しげに口元をひしゃげる。

エルダの表情に驚いているのか、ルヴァンは隣に座った父親の横顔をじっと見つめた。

「数十年前。マーラとリフを討伐すると意気込んでいたは良いものの。起こる事は良いモノばかりではなく、むしろ結果は大敗北に近い事ばかりだった。・・・家臣たちは重傷を負い、学友を責め・・・内では親友だと思っていた者を一族ごと嫌悪してしまった。若気の至りと括るにはあまりに愚かな事だ。」

「・・・父上。それはご自分を責め過ぎではっ。」

表情を変えないエルダだったが、その視線の先には庭の景色は見えていないのだろう。

遠い昔かそれよりも前の情景なのか、エルダの目には様々な物が見えているようである。

ルヴァンが咎めるかのように父親へと声を荒げるが、エルダは更に話を続けだす。

「事を収めるのに時間がかかり過ぎたのだ。振り返ってみた時の、あの惨状は未だに忘れることができぬ。・・・お前の事もそうだルヴァン。何故、実の息子をあのような目に合わせてしまったのか・・・。」

「父上・・・。もう、もうおやめください。」

凛とした表情をし、厳格な態度を崩さない父親とはかけ離れたエルダの顔に、ルヴァンは喉の奥が詰まるような悲痛な声をあげるしかない。

諦めにも悲しみにも似たエルダの顔があまりにも惨めで痛々しくも感じてしまう。

現状として起こっていることが、あの頃を彼に思い出させている事はルヴァンもわかっている。

だが、それでも目の前で見えるエルダの言動や表情はまるで別の人が乗り移ったかのような感覚がしてきており、恐怖さえも感じられてしまう。

震えた手を押さえつけ、ルヴァンは強く頭を左右に振った。

「何を私は言っているのだろうな。・・・すまん。」

「っい、いえ。」

大きくため息をついたエルダは、何をいう訳でもなくルヴァンの肩を軽く叩く。

強く握りしめたこぶしをほどき、ルヴァンは父親の顔を見つめた。

「お前の内で燻るソレは、いずれ・・・遅かれ早かれ外へと出てゆくのだろう。」

「理解しているつもりです。その時が最後のチャンスであり、逃してはならぬ時期だということも。」

「うむ。」

マントを抱え直し、エルダはゆっくりと立ち上がる。

外では相変わらず慌ただしく人々が行き交い、怒声にも似た声がどこからか聞こえてきた。

道場の入り口の方へ、エルダはルヴァンに言葉をかける事無く歩き去ってゆく。

「あの。父上。」

「・・・なんだ?」

先の弱弱しい表情は消え、エルダはいつもと変わりない鋭い眼光をルヴァンへと向けた。

ルヴァンはその場で立ち上がり、おもむろに片腕を自分の胸へと押し付ける。

「お話を聞かせて頂きありがとうございます。・・・その、また宜しければ私でよければお話を聞かせてください。」

「・・・。」

自分が今できる精一杯の笑みを浮かべ、ルヴァンは少しばかり恥ずかしさを感じながらも父親へと言葉を向けた。

息子のそんな仕草に思いもよらなかったのか、エルダは目を見開きルヴァンを見つめ返した。

そして、ふっと表情を一変させる。

「そうだな。気晴らし程度に話をしてやろう。・・・今度は雪やカーティルスを交えて、辛気臭い学友の話でもしてやろう。」

「はいっ。是非。」

ひらりと片腕を揺らしたエルダは、道場の入り口に立てかけた愛用の剣を持ち上げてその場を去ってゆく。

父親の姿が見えなくなるまで見つめたルヴァンは、服を強く握っていた片手を降ろす。

降ろした手と同じように地面へと顔を向ければ、外の明かりと屋敷の暗さによって、自分の影が視界に入ってきた。

「お前には負けない・・・。」

真っ黒な影の中で丸い目がぐるりと動き、ルヴァンの顔を見つけるとまるで嘲るようにひしゃげる。

「これは私の身体だ。お前は私に使われて消えればよい。」

ルヴァンの足元へと影を伝って近づいてきた目に向かって、彼は指先から淡い光を放つ。

ぎょっと見開いた気味の悪い目はすぐさまその場を動き、まるで影の中を泳ぐようにルヴァンから離れてゆく。

一定の距離を置いて影の中から彼を見つめた目は、先とは違い苦々しげにルヴァンを睨んだ。

「以前のようなひ弱な私ではない。父上との鍛錬、皆と切磋琢磨して鍛えた剣術。・・・カーティルスとて同じことだ。」

足元から淡い光を放ちながら、まるでそれ以上近づくなと言わんばかりにルヴァンは影の中で動く目を追いながら道場の外へと向かって歩き出す。

影の中でルヴァンを見つめる目は常に動き回り、床にまき散らされた光の粒を避けて睨むような視線を彼へと向けている。

「数十年前の惨劇を繰り返させない。・・・絶対に。」

腰にレイピアを抱え直したルヴァンは、じわりと床に溶け込むように消えてゆく影の中の目を見つめる。

影の中で動いていた目はルヴァンを見返すと、笑っているかのように弧を描き、その姿を消していった。

 

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