部屋のカーテンを開け放った優志は、唖然と外の様子に目を疑った。
「なんだ・・・これ・・・・」
時計を見つめれば普段の起床時間と変わらず、傍らに置かれた携帯も同じ時刻を示している。
しかし、目の前で実際に見えている“風景”は目を疑う程だ。
「いったいどうして・・・そんな・・・」
まだ朝方という事もあり、静かに窓を開けてベランダへと出てみる。
初夏とは思えない程の寒気が全身を襲い、優志は身震いをした。
「やだ・・・なにこれ・・・」
「ママっ!お空っ!ママっ!」
「え・・・。」
誰の声とも分からない声がそこら中から聞こえ、優志はベランダから身を乗り出して辺りを見つめた。
アパートの住民たちも優志と同じ方向を見つめており、一軒家からは子供たちが声を荒げて親を呼んでいる声が聞こえる。
散歩に出ようとしていた男性と目が合い、彼は意味が分からないと言わんばかりに苦笑いを浮かべていた。
「っ?」
ふと後方に置いたままの携帯が鳴り響き、優志はその音に驚いて倒れそうになる。
あまりに情けない動きに彼は後方をちらりと振り返ると、ベランダから転がるように部屋へと戻ってきた。
携帯の着信を見れば、司からである。
おもむろにテレビの電源へと手を伸ばした優志は、片手で携帯の着信を止め、電話の応対をした。
「も・・・もしもし?」
「あぁっ!武田っ!外を見たかっ?見たかっ?」
「み・・・見ましたよ・・・部長・・・。」
聞きなれた声だというのに、優志は何故か声を震わせて答えてしまう。
携帯を持った手が震え、思うように声が出ない。
外から入ってくる冷気がそうさせているとは思えないが、何故自分がこれほどまで恐怖に駆られているか優志自身理解できない状態だ。
「そうか・・・。だったら、落ち着いて聞け。・・・それから、テレビだ。テレビをつけてみろ。」
身支度をしながら司は電話をしてきているのか、後方で彼の行動を咎める声が聞こえてくる。
テレビの音が響いてきているのに気がつき、優志は恐る恐る画面へと振り返った。
「―ご覧くださいっ!今朝方から、桜丘市上空は謎の物体に空を埋め尽くされており・・・・あっ!またですっ!何なのでしょうか・・・あれは・・・っあぁっ!―」
「っっなっ!」
中継先の映像が目まぐるしく変わり、ビルの屋上から見えた空を映していたかと思えば、画面は何故か地面を映し出す。
映像が酷くぶれたと感じた時には、アナウンサーの女性の悲鳴に似た声が暗闇の中で響いた。
砂嵐がテレビ画面を埋めた瞬間には、映像はテレビ局へと戻っている。
唖然とした顔で映し出されたテレビ局のアナウンサーたちは、中継先と連絡が取れなくなったことに皆が顔を青ざめさせていた。
「―え、映像に乱れが発生してしまい・・・もうしわけありま・・・―」
手に持った台本や資料を落したアナウンサーは、慌ててそれらを拾い上げると、何事も無かったかのように進行を再開する。
だが、明らかにその眼は困惑しきっていた。
「部長・・・今の映像・・・」
「どこのテレビ局も一緒だ。中継が繋がったと思えば、画面が直ぐにスタジオに戻されちまう。明らかに現場で何かあったとしか言いようがないが・・・。」
「っ。と、とりあえず署に向かいますっ。」
「い、いやまてっ。」
「え・・・?」
弾かれたようにテレビの電源を消した優志は、クローゼットからシャツやズボンを引っ手繰るように取りだす。
急いでシャツの袖に手を通した瞬間、携帯から聞こえた司の言葉でその手が止まった。
電話の向こうで優志を制止させた司は、部屋の外をカーテン越しに見つめていたのか、カーテンが勢いよく引かれる音が優志の耳に響く。
家族の悲鳴なのか、女性の声が直ぐに聞こえてきた。
「・・・やばいな・・・。外に溢れちまってる・・・・」
「あ。溢れてるって、ま、まさか・・・。」
「そのまさかだよ。」
「・・・・。」
苦々しげに電話の向こうで答えた司は、何かを考えるように静まった。
服を掴んだまま制止した優志は、自分の部屋から窓越しに外を見る。
「部長・・・。こちらにはまだ奴らは出てきてません。・・・俺なら、署に行けると思います。」
「お前・・・。何言ってるんだ?道中で出くわしたらどうする?」
自分でも不思議な程に落ち着いた優志は、外の様子を見つめると同時に、ベッドに投げた服へと手をかける。
先程感じた冬の寒さ程の冷気は感じられず、震えていた手は落ち着きを取り戻していた。
「わかりません。あの・・・でも、部長が動けない以上。俺が行かないと・・・事情が分かる奴が署に行かないと・・・」
「だからって優志っ。外の様子を見ただろう?何が起こるか本当に分からないんだぞ?ましてや、俺達は敵に顔を知られているんだっ。」
「わ、わかってますよ。」
窓の鍵を閉じた優志は、電話越しに怒鳴りだした司に、強く言い返してしまう。
頭では考えているつもりだったが、確かに考えが無いというような行動を自分がしようとしている事はわかっていた。
司がなぜそこまで怒るかも理解できる。
しかし、この場で立ち止まっていては、それこそ今後が悪化するような感覚を優志は感じていた。
「とにかく、署に行きますっ。そこで、竜崎署長と話をします。それから・・・それから・・・そのあと考えます。」
「お前はなぁ・・・。」
寝間着を投げる様にベッドへと脱ぐと、優志は必要最低限の荷物を鞄へと詰め込む。
何故か念入りに部屋の施錠を確かめ、貴重品を鞄へと詰め込んだ。
あまり使用しない自転車の鍵をデスクの中から引っ手繰るように取り出して、大きくため息をつく。
優志の住むアパートから警察署までは、歩いて行けない距離ではない。
商店街に住んでいる司よりかは、警察署まで行くには時間はかからないはずだった。
外から聞こえる声が次第に騒がしくなり、アパートの入り口付近へと隣人が降りてゆく音が響きだす。
皆が起きだし、外の異変に気がつき始めたのだろう。
「俺も・・・ちょっと周りと相談してなんとかしてみる。・・・ドンパチ始まっちまったみたいだからな。」
「っ・・・・・。あの部長・・・」
「なんだ?」
優志の耳に、司の家の周りの音がうるさいくらい響いてくる。
ここが銃刀法のある国だとは思えない程の音が聞こえ、人の怒涛に似た声さえも電話の向こう側から響いてきた。
「ご無事で・・・会いましょう。」
「・・・あぁ。お前も、気を付けろよ。」
諦めたような司の声が聞こえると、彼の方から通話を切ってしまう。
しんと静まり返った部屋へと戻った優志は、手に持った携帯をしばらく見つめるしかない。
「俺にできること・・・考えろ・・・」
自分に叱咤するように呟いた優志は大きく深呼吸をすると、そそくさと身支度を整えだす。
水道をひねって出てきた水はいつもと変わりなく、窓のないバスルームにいれば、外の様子が嘘のようである。
冷蔵庫などに入っていた食料を取りだすと、落ち着きを自分に取り戻させるかのように、いつもと変わりない朝食を用意する。
テレビ放送が使い物にならないと判断した彼は、あまり使用しないラジオの電源をつけてみた。
「・・・?」
しかし、チューニングが合っているはずのラジオからはノイズしか入らず、いくら合わせようとしても砂嵐の音しか聞こえない。
「・・・。」
諦めて電源を落した優志は、何食わぬ顔で朝食を食べだす。
とにかく落ち着けと頭の中で優志は考えながら、変わりない朝の支度をテキパキとこなし続けた。
そして、時折外から聞こえる声を聞きわけ、恐れている“敵”が近くに出てきていない事を確かめる。
「さて・・・行くか。」
平常心を装って毎日と変わりない朝支度をし終えた優志は、大きく深呼吸をすると、傍らに置いた鞄を背負い上げる。
何食わぬ顔で部屋から出て入り口の施錠をすると、空を見上げてざわつく他の住民たちを押しのけ一階へと降りてゆく。
「あれ・・・何かしら・・・」
「ほら、数週間前に出たじゃない。変な真っ黒な壁みたいな・・・」
「でもさぁ、あの模様は何?それにほんっとに外暗すぎない?」
郵便受けのある入り口付近では、更に多くの人々が集まっており、皆が同じように空を見上げて不安げな表情を浮かべている。
優志はそれらの人々を押しのけてゆくと、駐輪場に置かれた自分の自転車へと歩いてゆく。
「お巡りさん。・・・これ、どう思う?」
「・・・。」
自転車の施錠を解除したと同時くらいに、後方からおびえたような男性の声が聞こえてきた。
自転車を引きつつそちらへと振り返って見ると、優志を見つめる人たちと目が合ってしまう。
「わかりません。・・・ただ、危険なモノが街に出ているという事に変わりないです。」
「そういえば・・・病院の中にバケモノが出たって・・・」
「テレビでやってたな・・・」
まるで彼らの声が聞こえないかのように、優志は淡々と自転車を引いてその場を去ろうとする。
「・・・。」
ざわつく人々へと一度振り返った優志に、住民たちは困惑した表情を向け出す。
「皆さんも、出来るだけ家から出ないようにしてください。状況がわかり次第、危険なら避難勧告がテレビ等で流されると思います。」
「は、はい・・・。」
「わかった。お巡りさんも、気を付けてな。」
「・・・ありがとうございます。」
初老の男性に肩を叩かれた優志は、静かに頭を下げると勢いよく自転車に乗り上げる。
よく見ればどの家からも住民たちが外へと出ており、皆が同じように空を見上げていた。
「・・・。」
自転車のペダルを力強く踏み込んだ優志は、警察署の方へとスピードを上げて走ってゆく。
日常と変わりなく車とすれ違って行くが、その台数はとても少ない。
「あれは・・・。」
通り過ぎる街並みを見つつ、優志は商店街の方をちらりと見る。
そこには黒煙が立ち込めており、聞きなれたパトカーのサイレンが鳴り響いていた。
出来ればそちらへと向かいたいと思ってしまうが、その心を押し込めて優志は更にペダルを踏み込む。
いつもならば、朝日に照らされている時間帯であるはずだが、今はその兆しさえもない。
見上げた空には禍々しい色を混ぜた複雑な模様が浮かび上がっている。
「これが・・・武藤さん達が言っていた・・・やつなのか?」
街灯の明かりが真夜中のように輝き、自転車のヘッドライトが道路を照らし続ける。
すれ違う自転車や歩行者たちもライトで辺りを照らしながら、不安げに空を見上げていた。
――
悲鳴一つ上げずに倒れたバケモノは、奇怪な動きをして砂へと変わってゆく。
消火器を担ぎ上げた人達が避けるように走り、火のついた場所へと向かっていった。
「これで・・・最後か?」
「みたいだな。」
大きく肩で息をした流星は、塵となって消えたバケモノを見つめると、構えた弓を降ろす。
後方では白いローブを着た者達が動いており、襲われた人々の手当てをしていた。
「あちらさんが、向こうの世界の方々か。」
「あぁ。雪ちゃん家と関わりが深い家の人だってさ。」
「・・・そうか。」
輝光の言葉に淡々と答えた流星は、不安げに見つめていた母や父の方へと歩いてゆく。
ふらりと時折傾いた息子に、母が駆け寄ってきた。
「・・・流星。お前は無理をしすぎだ。」
「輝光の言うとおりだよ。お前は無理しすぎだよ。」
「・・・。」
母と輝光に担がれるように立ち上がった流星は、ふらつく足取りで家の方へと歩いてゆく。
所々で上がっていた黒煙は消えだし、変わりに鎮火した印として白い煙が辺りに立ち込めだしていた。
「流星っ!大丈夫かっ!」
「・・・おじさん。」
斜め向かいの家から駆けて来た司に、流星は力なく答える。
家の中から流星の姿を見ていたらしく、彼の表情は困惑していた。
「お前・・・。無茶しすぎだ!応援が来るまで耐える程度にしないと、ボロボロじゃないか・・・。」
「・・・すんません。」
家の店先へと歩いてきた流星は、倒れ込むように椅子へと座る。
額からは汗が噴きだし、その呼吸は荒かった。
司と輝光は顔を見合わせ、何と言っていいものかと流星を見つめるしかない。
「雪ちゃんの事・・・お前・・・自分のせいだとか思ってないよな?」
「なんだよ兄貴。いきなりさ。」
「流星。お前さぁ、自分でも気づいているとは思うが・・・雪ちゃんが連れ去られてからお前・・・。」
「・・・・。」
輝光は最後まで言葉を言わず、小さく頭を左右に振るだけにする。
歯を食いしばった流星の顔を見て、彼は声をかけるのを辞めたようだ。
「こちらとしても、様々な方法で探している。・・・奈美や光士だって言葉では言っていないが、自分を攻めている部分があるんだ。・・・流星、今お前がここで倒れたらな・・・本当に必要な時に何もできないんだぞ。」
「・・・おじさん。」
流星の肩を叩いた司は、それ以上は言葉をかけずに家の方へと静かに戻って行く。
玄関から奈美が出てくるのが見えると、彼女は父親に何かを言いだす。
司は顔を左右に振ると、奈美と共に家の中へと戻って行った。
「外の様子がおかしいんだ。全身がピリピリ痺れるみたいにさ。」
「今起こった事を見ただけで、俺達だって何となく勘付く。それに、空のアレが誰にでも見えているんだ・・・。テレビでも中継ができない状態なんだし・・・。」
落ち着きを取り戻した流星は、椅子からふらりと立ち上がると、アーケードの先に見えた空を睨みつける。
「この前の空よりも、なんだかひどく禍々しいわね。」
「裏から外に出てみたが、夜中のような暗さだった・・・。商店街の明かりが無ければ、この辺は真っ暗闇だぞ。」
「・・・。」
いつの間にか白いフードをかぶっていた者達の姿は無くなり、入れ替わるように警官たちがアーケード内へと溢れてゆく。
状況を見ていた住民たちが、警官たちに話をしているが、誰もが表情が暗く、バケモノがいなくなったというのに、不安げな顔をしていた。
間もなくして救急車両の音が辺りに響きだし、怪我を負った者達が担ぎ込まれてゆく。
傷口はふさがっているのか、一通り身体を確認された彼らは、救急隊に言葉をかけて自力で立ち上がる。
先までいた白いフードをかぶった者達に関して問いかけている者もいるが、警官や救急隊は顔を横に振るだけだ。
バケモノが倒された場所を確認した警官たちは、自然と住民の話を聞いて流星の家へと近づいてくる。
勘付いた流星の父が、彼らの方へと進み出た。
状況を話す為か、流星の父は家から少し遠ざかると、警官や救急隊と共にアーケードを歩き出す。
「・・・兄貴。」
「なんだ?」
椅子から立ち上がった流星は、輝光の腕を借りながら家の中へと入ろうとする。
未だに足はふらついている彼を見て、輝光は表情を曇らせた。
「何が起こるかわかんねぇ。とりあえず、いつでも家から出られる様に支度だけはしておこう。」
「・・・そうだな。」
何かを悟ったかのように、流星の表情が鋭くなる。
母と共に首を縦に振った輝光は、家の中へと流星を引っ張ってゆく。
「すまないな・・・流星。お前ばっかりに背負わせちまって・・・」
「へへ。そんなこと言うなよ。兄貴。」
力なく声を発した兄に、流星は苦笑いをするしかない。
輝光はそれ以上何も言わず、ただぼんやりとした表情で前を見つめている。
「俺も・・・そろそろ腹くくる時期なのかもな。」
「・・・え?」
ぽつりとつぶやいた輝光の言葉に流星は思わず目を丸くする。
居間で流れていたテレビ画面に、ノイズが走り出したのには彼らは気がついていなかった。
――
空を見上げた千枝はその光景に言葉を失くしてしまう。
上空には雲とは言い難いモノが市内を覆い尽くしており、幾重にも重なるように赤黒い模様が浮かび上がっていた。
車のライトが煌々と光る中で、千枝はじっとそれを見上げる。
市内へと進むにつれて、空に浮かび上がっている模様は濃くはっきりと浮かび上がっているように見えた。
「・・・大丈夫ですか?」
「は、はい。」
後部座席に座っていた母の声が聞こえ、千枝は後ろを見る。
顔色の優れない母の横で、武藤の妻が穏やかな表情で彼女に声をかけていた。
その横では、父が不安げな表情で同じように空を見上げている。
「バケモノ達が市内全土に出てき始めているようです。・・・情報を元に迂回路を進んでいますが、場合によっては車を降りて行動しなくてはいけませんね・・・。」
「そうですか。」
運転席に座った青年が、少しばかり青ざめた顔で呟く。
助手席で携帯を片手に地図を見つめた男性は、何やら赤いペンで印を紙面に付け続けていた。
「武藤さんも、お嬢さんが大変な時だというのに・・・」
「そんなこと言わないでくださいな。・・・あの子は大丈夫ですよ。」
「・・・。」
穏やかな表情を浮かべた武藤の妻は、千枝の母が困惑した顔をしているにもかかわらず表情を崩さない。
数日前から彼女とは何度も会話をしているが、その度に肝の据わった人だと千枝は感じていた。
数日前、出版社でのバケモノ襲撃から、千枝たち家族は武藤の家に身を寄せていた。
情報によれば、自宅には何度と妖しげな格好の者達がうろついており、近所の人達も警戒しているという。
この家に身を寄せ、るりと友人だという武藤家の娘雪と様々な話をしたが、どうやら彼女自身もるりが別世界でどのような行動をしているのか、あまり知らないという事だった。
そしてつい先日、彼女は突如として姿を消してしまう。
仕事を終えて武藤家に戻ってきた千枝の前で、唖然と立ち尽くしていた雪の母親の顔は忘れようにも忘れられない。
淡々と話をしている雪の父親だったが、その眼は泳ぎ言葉は途切れ途切れとなっていた。
どうやら雪は敵に捕まったという話である。
そこから事態は急変し、家の中が慌ただしくなった。
そして、今朝の出来事である。
目が覚めると外は暗く、未だ日が登っていないのかと目を疑っていた矢先、慌ただしく駆け回る人々の足音が耳について千枝は起きるしかなかった。
居間の方へと歩いて行けば、そこには多くの人が右往左往しており、見た事も無い格好をした者達がざわついていた。
聞けば、向こうの世界から来た協力者とのことである。
外は真夜中のように暗くなり、分厚い真っ黒な雲のようなものが空を覆い尽くしていた。
その黒い塊には気味の悪い色をした模様が浮き上がり、時折赤黒く光ってはその度に市内のどこかでバケモノが出現したとテレビで報道される状態である。
テレビ報道は全て緊急速報へと変わり、中継が繋がったと思えばすぐさま画面は暗転した。
更に事態は悪化し続け、武藤家に身を寄せている事も危なくなってきたと告げられた千枝たちは、何処へ行くとも聞かされず、雪の母と共に場所を移動することになったのだ。
「まずいな・・・。」
ふいに困惑した声が聞こえ、千枝は車の前方へと視線を移す。
赤いランプが視界に見えだすと、ゆっくりと車が停車した。
見れば、前方は封鎖され、黒煙が立ち上っているのが見える。
「迂回路を探すしかないかもしれない・・・」
「いや、ここからなら・・・歩いて行った方がいいかもしれないが・・・」
「し、しかしだな・・・。」
運転席と助手席の二人が、地図を見ながら声を荒げだす。
外では青ざめた顔をした人々が行き交い、皆が同じように黒煙が立ち上る方向から小走りに逃げてゆく。
その中には警官の姿もあり、彼らは路肩に停車された車の方へと近寄ると運転席へと声をかけていた。
千枝たちが乗っている車の方へも警官が近寄ってくると、運転席に乗っていた青年が窓を開ける。
「この先は封鎖されています・・・。現状として迂回路もありますが・・・そちらもいつ“アレ”が出るかはわかりません。」
「・・・そうですか。」
地図を片手に説明をする警官を横目で見ながら、千枝は開けた窓から顔を出して空を見上げる。
まるで今にも落ちてきそうな黒い塊に、ひやりと背筋に冷たいモノが流れる感覚を覚えてしまう。
「どこかで、エルダさんの家臣さんと合流できればいいのですが・・・」
「そうね・・・。彼らと共に行動できれば、歩いて移動するとしても安心なのだけれど・・・。」
後部座席へと振り返った男性に、雪の母親は目を細める。
今まで柔らかな笑みを浮かべていた彼女だったが、警官たちの会話を聞いて、その表情は鋭くなっていた。
恐らくかなり状況としては良くないのであろう。
「指定された場所まで行くことができれば、あとは合流した方々と行動するだけなのですが・・・。」
「迂回路を使って、逃げる事を想定して車で移動した方がいいかもしれないですね。」
「えぇ・・・。」
雪の母親が頷いたのを確認すると、運転席の青年は警官を呼び寄せる。
小走りに近寄ってきた警官へ彼は話をし始めると、困り果てた表情で警官は道を説明し始めた。
あまり利用してほしくないのか、警官の表情は険しい。
それでも話を一通り聞いた運転席の青年は、車から離れた警官をじっと見つめている。
車両で固められた道路へと駆けて行った警官は、複数の者達をひきつれて千枝たちの乗った車へと戻ってきた。
「こちらの方で誘導をします。・・・一般市民は殆ど避難している地区になります・・・警官も配備していますが・・・あの・・・気を付けて・・・」
「はい。ありがとうございます。」
窓を静かに閉めた運転席の青年を合図に、車がゆっくりと前進する。
その前を一台のパトカーが先導するように動きだし、まわりの通路を歩いていた人々が千枝たちの車へと視線を向けてきた。
黒煙が立ち上る方へと進む千枝たちは、注目されてしまう。
「・・・。」
何も言わずに窓を閉めた千枝は、窓ガラスの先を見つめながら、何故か身体に力を込めてしまう。
特に変わったところが見当たらない市内であるが、人が殆ど見えない風景は、恐怖感さえも感じてしまう程静かだ。
「指定された場所はこの先です。広場で皆が待っているはずです。」
「そこまでいけば一安心なのだけれど・・・。」
「はい・・・。」
距離にすればさほど長くもなく、車で走行すれば二分と掛からない程であるが、目の前の道路は妙に重々しい。
途中まで先導していたパトカーが横へと止まり、千枝たちを乗せた車の前が開ける。
目の前には多くのビルが集まっている場所なのだが、そこに人の姿は見えない。
そして、真夜中のような暗い道路は、街灯や建物の明かりがついているにも関わらず、不気味さを漂わせていた。
後方でパトカーから警官たちが出てくるのが見え、彼らがじっとこちらを見ているのに気がつく。
「・・・。」
「あれ・・・は・・・」
視界の先で何かが動き、思わず千枝は肩を震わせる。
後部座席から雪の母親の声が聞こえると、地図を手に持っていた助手席の男性が、息を飲む声が聞こえた。
車のライトに照らされた人影は複数あり、車両が通行する道路だというのに、ゆっくりと歩み寄ってきている。
「だめだ・・・。」
「っ。」
大きな悲鳴にも似たため息をついた男性は、シートベルトを外しドアへと手をかける。
その手には赤い石が握られ、少しばかり身体が震えていた。
「奥さん。夢郷さん達を連れて先に行ってください。・・・俺達で何とか突破口を開きます。」
「・・・。」
「そ、そんな・・・。」
静かに車を路肩に止めた青年は、助手席に座った男性と共に車から降りてゆく。
何も言わずにうなずいた雪の母親は、後部座席の扉を開けて彼らの後ろから車を降りる。
青ざめた顔で彼女を見ていた千枝の両親は、連れだって車を降りた。
千枝も手荷物を持つと、彼女たちと共に路肩へと出てゆく。
目の前には、到底ニンゲンとは思えない姿をしたバケモノ達が、奇怪な声をあげて迫ってきている。
手に武器を握った男性と青年は、苦々しげにそれらを睨みつけた。
「後ろに逃げる事は・・・。」
「っひっ。」
車が走ってきた後方へと視線を向けると、そこには同じようなバケモノ達がいつの間にか出現していた。
更に向こう側では、警官たちが声を張り上げて何かを言っている。
武器を構えた警官がバケモノ達へと発砲するが、少しばかりふらつくだけで、バケモノ達は動きを止めない。
「このくらいになると我々の“鍵”は使い物になりません。時間を稼ぐくらいしかできないのでっ。」
「それでは、君たちがっ!」
「・・・今は、奥様と皆さんを指定された場所にお連れするのが、我々の仕事ですのでっ。」
「そ、そんな・・・。」
両手で口元を覆った千枝の母親は、倒れそうな身体を父親に押さえられながら青年たちを悲痛な目で見つめる。
明らかに手が震えている彼らだったが、その眼はしっかりとバケモノ達の動きを見つめていた。
「応援が来るのを待っている事もできません。とにかく・・・先にっ」
「っっ!」
青年が話し終わるよりも早く、目の前に迫ってきたバケモノがとびかかってくる。
声にならない悲鳴をあげた千枝の母親は、その場から転がるように父親と共に走り出す。
彼女たちを追うように動いたバケモノを止める様に、男性がバケモノ達へと武器を向けた。
剣先がバケモノへと当たるが、まるで鉄へと切り付けたかのように武器が弾き飛ばされる。
「早くっ!」
「こちらですっ!」
雪の母親が叫び、その声に押されるように千枝たちは走り出す。
奇怪な声をあげて迫りくるバケモノを背後に感じ、思わず振り返れば、男性が壁になるように千枝の間に滑り込んで武器を振り下ろした。
バケモノは勢いで転倒するが、すぐにうめき声をあげて立ち上がる。
「ッッッ!」
息を飲むような悲鳴が聞こえ、千枝はその声に驚いて足を止めてしまう。
声のした方を向けば、母親の目の前にバケモノが現れていた。
「う・・・そ・・・」
その光景に息ができなくなるような感覚を覚え、千枝は停止してしまう。
と。ふいに背中へと気配が近寄り、目を見開いたまま振り返る。
「ア・・・ガ・・・」
「ひッ!」
目と鼻の先で歪な目が動き、千枝は倒れそうになる。
赤黒い爪が頭上へと迫り、彼女は思わず顔を手で覆った。
「ッッぐっ!」
「ち、千枝っっ!」
母親の痛々しい声が聞こえるや否や、腕に激痛が走った千枝は腕を押さえて路上に倒れ込む。
感じた事のない程の激痛が腕を引き裂き、歯を食いしばっていないと気を失いそうな感覚が全身を襲う。
「く、くそっ!」
「あと少しだというのにっ!」
激痛に視界が揺らぐ中で本能的に目を開けると、地面をすべるように、赤い塊が弧を描いてまき散らされている。
それが自分の腕から出ていると千枝が気が付いた時には、また同じような激痛が腕を襲いだした。
「ンンゲン・・・ニンゲン・・」
「チカラ・・・チカ・・・ラ」
「千枝っ!立ってっ!千枝っ!」
「っっ!早くっ!」
母親と父親の悲痛な声が耳にこだまするが、思うように身体が動かずその場にうずくまってしまう。
腕を押さえようにも手に血が滑り、思うように止血できない。
布を引きずる音が近づき、バケモノの足が視界に入る。
千枝へと近づくバケモノ達を懸命に青年や男性が弾くように動かすが、その動きは次第に鈍りだす。
数が増えてきているのか、後方で聞こえていた警官たちの声が、怒声から悲鳴へと変わっているのに千枝は気がついてしまう。
耳を塞いで助けを呼びたくなるが、あまりの激痛で視界が揺らぎ声さえも出なくなってきた。
「かさぁっ!にげっ!逃げてっ!」
「千枝っ!早く立ってっ!」
「だめっ!にげっ!うあぁっ!」
あまりの激痛に声をあげて身をよじらせるが、それ以上に両親の身を案じて言葉を張り上げる。
だが、自分の意思とは真逆に、両親達の姿は遠のかない。
頭を左右に振りたくった千枝は、再度声を張り上げようとする。
「ッッぃッッ!」
しかし腕からの痛みでうまく呂律が回らず、千枝はもうろうとする頭で視界に映るものを見つめるしかない。
「ぐっっあっ・・・」
「ち、千枝ぇっ」
突然背中が持ち上げられ、首を絞める様に冷たい腕のようなものが巻きついてくる。
それがバケモノの腕だと気が付いた時には遅く、千枝の足が地面から離れた。
「・・・死ぬ・・・の?」
誰にいう訳でもなく呟いた千枝の声が静かに響き、耳の中で母親の悲鳴がこだまする。
ぼやけた視界の中で気味の悪いバケモノの顔が近寄り、千枝は激痛さえも感じなくなってきた。
腕を押さえていた手に力が入らなくなり、冷たい水に落ちたような感覚が全身を覆い尽くし出す。
「死なせるか。馬鹿。」
「え・・・?」
ふいに頭の中に聞きなれた声が聞こえると、柔らかな風が千枝の頬をかすめ流れていった。