賑やかな廊下を進み教室に入ると、周囲は決まって同じ話題でにぎわっていた。
「三丁目の通りにも、昨日の夜に見た人がいるらしいよ。」
「うそ・・・。」
るりはクラスメイトに挨拶を交わすと、自分の席へと着く。
隣に見える窓から外を見れば、桜の花もほとんどが散り、葉桜へと変わっていた。
それでも舞い上がってくる花びらが、窓ガラスの向こう側でざわめいている。
まるで、自分の心のようだ。
あの一連の事件から、すでに数週間は経過しようとしている。
アリスとは会うこともなく、同じようなバケモノに遭遇することもなかった。
一見してみれば、あの時が異常な状態であって、今が“普通”なのだが。
「・・・。」
確かに日常は戻ってきた。
けれども、心の中に残ったモヤモヤとした感覚は薄れることはない。
あれはなんだったのか。・・・彼はどこへいったのか。
疑問やアリスにぶつけたい質問は、減るどころか日に日に増えている。
「るりちゃん。おはよう。」
「っあ。・・・お、おはよう!」
ふわりと後方から声をかけてきた翼に気が付かず、思わずるりは驚いた表情を向けてしまう。
すぐさま挨拶をすると、引きつった笑みを向けてしまった。
彼は、るりの隣に位置する自分の席に座ると、不思議そうな表情をして彼女を見る。
「大丈夫?」
「え?う・・・うん。大丈夫だよ。」
全く返事とはかけ離れた表情で答える彼女に、翼は苦笑いを浮かべて机の上に教科書やペンケースなどを広げてゆく。
翼がそれ以上質問をしてこない事を見ると、るりは窓の外へと視線を移した。
「(みんなの言っているフードをかぶった不審人物・・・それってきっと。)」
るりはクラス中で響いている同じ話題に、耳だけを傾けて会話をきく。
近くにいる生徒も、廊下で話をしている生徒たちも、皆一様に同じ話をしていた。
「三丁目で見た人は、何でも数名同じような格好の人を見たらしいよ。」
「えぇ・・・。なんかさぁ、だいぶこの学校に目撃情報が近づいてない?」
「こわーい。」
へらへらと笑いながら会話を楽しんでいるクラスメイト達だが、その目は全員が冗談交じりに言っている訳ではないようだった。
一部の生徒たちは、その話を聞いて震えあがっている者もいる。
その一方で“都市伝説”のような話に浮足立ったような表情で会話を楽しんでいる者もいた。
最初の話題は、数日前に戻る。
とあるオカルト雑誌に載った記事が空前の話題となり、一部の生徒たちで大きな話となっていた。
帰宅途中のサラリーマンが、自宅付近でフードをかぶった全身黒ずくめの集団を見た。
雑誌に投稿されたサラリーマンが撮ったとされる写真は、あまりに鮮明でネットやテレビのワイドショーでも取り上げられるほどだった。
しかし、専門家たちは一同そろって“季節外れのハロウィン”などと第売って話を切りあげてしまう。
面白おかしく取り上げたワイドショーでも、それほど大きな反響もなく終わったのを覚えている。
だが、噂好きの学生たちや若者の間では根強く残り、未だにその話は続いていた。
目撃情報もそれでは終わらず、日に日に桜丘市全体で話題が再熱しているように思えた。
まだ明け方の公園で、ウロウロと歩いているローブを羽織った男
深夜に出勤途中のホストが店近くで見かけ、声をかけると一瞬で姿を消した
オフィス街のとある会社入り口に、複数のローブを羽織った大人がたむろっている
朝のローカルニュース番組でも、先日は特集をしていたが、ここ数日は何も報道はされていない。
それに反比例するように、学生たちの話はエスカレートしだしており、一部の学生が塾の帰りに遭遇した。などという噂も立ち始めている。
新聞部はこぞって特集を組んで掲示板に張り出し、生徒たちから情報を収集しようと躍起だ。
そんな話を日々聞いていたるりは、自分が体験した“バケモノ”との遭遇を思いだし、彼らの会話に混ざることに気が引けてしまっている。
もし、自分が出会った“バケモノ”とローブを羽織った不審人物たちが同じだったら・・・
ふと思いこんだるりは、背中にヒヤリと冷たい汗が垂れるような感覚を覚えた。
自分の考えが当たってしまっては、“自分と同じような被害に会う人が出てしまう”。
「(でも、誰に相談すればいいの?アリスさんにだって会えていないのに・・・)」
脳裏に浮かんだ明るく優しそうな笑顔を思いだし、今度は頬が赤くなるのを感じてしまう。
るりは首を横に振ると、スカートを強く握りしめた。
無論、自分を見ている“生徒”のことなど、気が付いていない。
「るりちゃん?本当に・・・大丈夫?」
「へっ?!!」
突然頭上から声が聞こえ、るりは思わず勢いよく席を立ってしまった。
数名のクラスメイトがその音に驚いて振り返るが、すぐに会話を再開する。
一人深々と考え込んでいたるりは、翼の声に全く気が付いていなかった。
どうやら、何度も呼びかけていたようだ。
「・・・何か、凄い怖い顔していたみたいだけど・・・。」
「そ、そう・・・かなぁ?」
「うん。」
とても今まで考えていた事を、目の前にいる翼に言えることなどできず、るりは眼をそらす。
翼はそれでも席に戻らず、じっと彼女を見つめた。
「もしかして、最近みんなが話している“不審者”の事を考えていたの?」
「っっ?!!」
ぽつりとつぶやいた翼の言葉に、るりは矢を射られたように彼の方へと振り向く。
考えていた事を見破られたかのような感覚がして、るりは少し後ずさりをした。
心なしか、いつも穏やかそうな翼とは違い、眼が鋭さをおびえているように感じる。
「怖いよね・・・。僕の住んでいるアパートの大家さんも、なんかそれっぽい人を見たって。」
「そ・・・そうなんだ。」
しかし、次の瞬間には困惑した表情へと変わり、翼は腕を組んで考え出す。
るりはゆっくりと自分の席へと座りなおし、彼の話を聞くことにした。
「大家さんが言うには、やっぱり尋常じゃないような感じがしたらしいよ。警察にも一応は不審者情報として届け出をしたみたいだけど・・・。」
「こんなハロウィンでもない時期に、変な格好をする人が出たら、誰だって怖いよね。」
「うん。そうだよね。それに・・・」
「それに?」
ふと視線を落とした翼に、るりはきょとんとした表情を向ける。
彼は少し考えたように沈黙すると、ふいに顔を上げた。
そして、ぽつりと言葉を発する。
「それに・・・命でも狙われたら、大変だものね。」
「・・・・。」
翼の言葉に対して、るりは直ぐに会話を続けることができない。
それは、やはり先と同じような感覚で、彼に自分の内心を読まれたような感じがしたからだ。
彼自身はそのような意図はないのかもしれない。
けれども、今のるりにとっては、そうは思えそうになかった。
目を泳がせて翼から視線を一度離したるりは、苦笑いを作ってまた視線を戻す。
「そうだね。そんな怪しい人だったら。な、何をしてくるか・・・わからないものね。」
「・・・。」
言葉を選んで言ったつもりだったが、何故か今度は翼が黙ってしまう。
次に何か言おうとかと思ったが、るり自身も声がでない。
このまま話をしていると、彼に“あの日の事”を話してしまいそうだからだ。
言ったところで、信じてなどもらえないだろうが・・・。
だが、るりの中で“話してはいけない”という意思が強くなり、考えれば考えるほど、黙り込んだ方が適作なのではないだろうか。と思ってしまう。
翼としばらく沈黙を保っていたるりは、大きくため息をつくと、この不可思議な空気から脱するように鞄へと手を向けた。
中に入った教科書などを取ろうと、中を覗く。
「・・・。」
ノートや筆記用具に隠れるようにして、“あのお守り”がきらりと外の光を反射した。
翼は何か言いたげにるりをじっと見てはいたが、彼女が“これ以上何も言わないだろう”と判断したのか、自分の席から立ち上がりその場から離れてゆく。
そして、何もなかったように、他の生徒たちと話をし始めた。
るりはちらりと彼の姿を横目で確認すると、そそくさと授業の支度をしてため息をつく。
「(・・・翼くん・・・なんだったんだろう・・・何がききたかったんだろう?)」
何か言いたげにずっと見ていた翼の表情を思いだし、彼女は膝の上に鞄を抱えるように置くと、中をじっと見つめた。
「(もしかして、何か“知っている”のかなぁ・・・。でも、そんな事ないだろうし・・・。)」
段々と自分たちの席にクラスメイト達が座り始め、辺りも静かになってきた。
それでも、近くの席で会話をしているクラスメイト達の話題は、やはり先と変わりない。
殆どの者が冗談交じりで会話を楽しみ、朝の明るい雰囲気と何ら変わりない状況だ。
だが、るりの心は裏腹で、モヤモヤとしたモノがこみ上げている。
「あれ・・・。流星遅くない?まだ、来てないの?」
「遅刻じゃない?」
「はぁ?一学期から遅刻常習犯決定?」
斜め前で話している奈美の会話が聞こえてきて、るりはゆっくりと顔をあげる。
気が付いてみると、確かに自分の席にいるはずの流星がいない。
時計を見れば、そろそろ朝のホームルームが始まる時間だ。
「え。武藤さんもいないよ?」
「めずらしいよね・・・。」
今度は別の女子生徒の声が耳に入り、るりは少し離れた雪の席を見る。
すると、確かにそこに雪の姿がなかった。
教室中を見てみれば、数人の生徒がまだクラスに到着していない事がわかる。
始業式から考えてみても、このような事が起こったのは初めてだ。
「何かあったのかなぁ。」
「もしかして、不審者関連?!!」
「えぇぇ!」
「うそ!そんなことないわよ!!」
男子生徒の声に合わせて、クラス中がざわめきだす。
複数の女子生徒が慌てたように窓越しに校庭を覗くが、歩いている生徒の姿はない。
見えるのは、見回りをしている教員の姿だけだ。
「おい!別のクラスも同じみたいだぜ!」
「マジかよ!!」
気が付くと、騒ぐ生徒の声は自分のクラスだけではないようだった。
ホームルームが直ぐにでも始まる様な時間なのに、廊下では生徒たちが走っている。
「先生も来ないんだけど!!」
「賢三がやられた??」
「んな、まさかっ!」
ひょうひょうとした男子生徒の言葉に、クラス中に笑いが起こるが、それは一時的であって、すぐにざわめきへと変わってゆく。
「(・・・・なんだろう。この感じ・・・)」
るりは騒がしいクラスを見ながら、心臓が痛いくらいに高鳴っている事に気が付く。
クラス中の雰囲気がそうさせているのか、自分が勝手に思い込んでしまっているのか。それは今のるりにはわからない。
ただ、頭の中には“バケモノ”の奇声が思いだされ、ぞわりと鳥肌が立つのを覚えた。
と。いきなり教室の扉がゆっくりと開けられる。
「あらあら。どうしたものかしら・・・?」
「え。」
「・・・?」
ざわめいていた教室中が一気に静まり返り、中に入ってきた人物に視線が一斉に集まる。
心なしか、廊下や別の教室から聞こえていた騒ぎ声も静かになっていた。
「さぁさぁ。ホームルームの時間ですよ。席に着いて。」
「・・・え・・・。“小鳥先生”?」
「賢三先生じゃない?」
黒い髪を大きな赤いリボンで結い、鮮やかな着物を着た“小鳥”が生徒たちを見て困ったように手を叩く。
席を出歩いていた生徒たちが驚きながらも、その声に言われるままに自分の席へと戻った。
小鳥は小さなため息をつくと、教卓へとゆっくりと歩いてゆく。
小さな困惑した声が所々で聞こえてくるが、彼女には聞こえていないのか反応しない。
「さて。賢三先生ですけれど、ご自宅の事情で本日はお休みをされました。」
小鳥の言葉に驚いた生徒が、近くの生徒と顔を見合わせて騒ぐ。
彼女は咳ばらいをすると、にっこりと微笑み、生徒たちを見回した。
「ですので本日は、私が一日だけ代わりにこのクラスを担当させて頂きますので、宜しくお願いしますね。」
柔らかな声が教室に響くと、自然とざわついていた生徒たちが静まり返る。
国語の教員として馴染みのある小鳥だったが、いざ、別の時間に彼女の話す姿を見ていると、どこか独特な雰囲気に流されてしまう生徒は多いようだ。
「あぁ。それから。」
彼女は思いだしたように手を叩くと、クラス名簿をゆっくりと開く。
「数名遅刻をされているようですけれど、皆さん事前にご家庭から連絡が来ていますからね。」
何故か困惑したような表情をすると、小鳥は更に続ける。
「他のクラスにも、交通事情などが重なって遅れている生徒がいます。みなさん。勝手な“思い込み”をしないようにしてくださいね。」
優しく微笑んだ小鳥だったが、クラス中はしんと静まり返ってしまう。
まるで生徒たちが疑問に思っていた事を打ち消すように、その一言は鋭くクラス中に響いた。
数名の生徒が目配せをして苦笑いをする。
ある生徒は大きくため息をしていた。
「さて。では・・・。」
小鳥がゆっくりとした動きで黒板に文字を書いてゆく。
その姿をじっと生徒たちが見つめた。
「(・・・なんだろう・・・。)」
しかし、小鳥の言葉を聞いた後も、るりはモヤモヤとした感覚が晴れなかった。
――
桜丘市警察署
市の中央部に位置し、近くには市役所や消防署など関係各所がある。
都市とも言えるこの桜丘市にある警察署は、その規模も大きい。
「では、先日から市内で発生している不審者情報についてですが・・・」
大会議室の前方で、一人の青年が資料を手に持ちながら、大勢の警察官や関係する職員達の前で説明をしている。
彼の名前は“武田 優志”。
愛用の眼鏡に映る人々は、皆一様に真剣なまなざしで彼を見ている。
元々は自分の生まれ育った県で働いていた優志だったが、部署移動と共にこの桜丘市に引っ越してきた。
それから長くここで働いているが、今回のような怪事件に遭遇したことは一度もない。
優志自身も困惑した“目撃情報”ではあったが、彼は真剣な表情で資料を説明した。
「最近では、“桜丘第一中学校”付近でも目撃情報が出ています。子供たちに危害は及んでいませんが、相手の目的が理解できない以上、油断はできないかと思います。」
一通りの資料を読み終えた優志は、自分の意見を端的に話す。
しんと静まり返った室内ではあったが、見返してみれば複数の者達が資料を片手に近場の者と会話をしている。
自分の話が理解できなかったのか。それとも、あまりにも不可解な話で困惑しているかはわからないが、その話声は優志の耳まで届かなかった。
「実際に“相手”と接触した警官はいるのかね?」
ふと手を上げた重役の署員が、周りを見かえしながら質問する。
その質問に、優志は急いで資料を見た。
しかし、該当する返答ができそうな資料は見つからない。
「こちらに回ってきている情報としては、まだ接触した警官はいないようです。」
「そうか・・・。」
返答に遅れた優志に変わり、他部署の者が同じように手をあげて答える。
質問を投げた重役は、ため息交じりに腕を組んだ。
「(確かに・・・。目撃情報は大量にでているが・・・。巡回警備の警官が目撃した事も無ければ、実際に接触した情報はないな。・・・)」
目撃情報の資料を見てみると、この警察署近くでも何件か情報は上がってきている。
だが、署員が目撃者と共に現場に駆け付けた時には、いなかった。という結果しか記載はないようだった。
どこに隠れているか、どこに拠点を置いているかもわからない。
不可思議にもほどがある話だ。
その結果、マスコミには大々的に取り上げられてしまい、一部オカルト雑誌では何かのブームの様に連日特集記事が上がってきている。
しかし、某大企業の有名週刊誌にこの記事が載らない事を推測すると“デマ”も含まれているのだろう。
同部署で何度も会議を開いてはいたが、一向に出てくる資料は同じ雑誌と同じネットの目撃情報サイトだけだ。
「愉快犯・・・ということはないのかね?」
「その可能性も、無いとはいえないですなぁ。」
話がまとまることなど無く、所々で出てくる質問はあいまいな回答で消えてゆく。
対策会議を開くよう指示があったとはいえ、このままではらちが明かないと優志自身も思い始めていた。
後方で聞いていた者たちが、静かに会議室を後にしてゆくのが見える。
「何はともあれ、ここまで騒ぎを大きくされてしまった以上、我々警察が野放しにする訳にはいかないだろう。」
ふと、ざわめきだした会議室の中に、威圧感のある声が響き渡った。
その男はためらうことなく立ち上がると、自らの資料を持って前方に歩いてくる。
白髪の整った髪型に、がっしりとした体格の男はネクタイを直しつつ優志の隣に立った。
優志は思わぬ助っ人に目を見開いてしまう。
「今後も市民からの目撃情報は、小さかろうと収集するように。そしてもし、何らかの“事故”や“事件”が起こった場合は、すぐに私に報告してもらいたい。」
男は張りのある声で、全体に聞こえるように喋る。
マイクも使用していないというのに、彼の声はどこまでも通る程すっきりと耳に入ってきた。
今までざわついていた会議室が、彼の声によって静まり緊張感が戻ってくる。
「それから、中学校や小学校の通学路については、学校の了承を得て我々が警備に当たろうと計画をしている段階だ。」
「何にしても、先手が必要ですからな・・・。」
ぽつりとつぶやいた重役の言葉に、男はしっかりと頷く。
「さて・・・今後のことについてだが・・・」
優志は背筋を正すと、彼から少し離れたところに移動して、話を聞く側になった。
会議が終了し多くの警官たちがいなくなり、優志は同僚と会議室の片づけを始めている。
資料を残していった者は一人もいないようで、最後の机を元の位置に戻し終えると、自然と大きなため息が出た。
「まさか・・・あんな助っ人が登場するとはなぁ。」
「ある意味・・・気が滅入った。」
片づけを手伝ってくれた署員が、思わず優志の顔を見て苦笑いをする。
未だに耳に残る威圧感のある声に、彼らは顔を見合わせるしかない。
「なんで“署長”が普通に一般職員と紛れているんだよ・・・。今回の会議には、参加しないって聞いてたのに・・・。」
「まぁ、“竜崎署長”がいなかったら、俺らお偉いさんたちに今頃怒られていたんだし。」
「それを思えば、偉大なる助け船だな。」
スクリーンの電源を消して、優志達は部屋を後にする。
優志の隣に立った男は、この桜丘警察を束ねる署長“竜崎”だった。
年に数回程ある全体集会などでしか見た事がなく、後はローカルテレビのニュース番組や、旅番組にひょうひょうと出てくる姿を見るくらいだ。
上司の話からは“隙が一切なく、鋭い考察力や指導力”を武器にしているとは聞いたことがあったが、実際に近くで見ると、納得せざるを得なかった。
手の付けようのない程まとまりのなかった会議が、彼の一言で一転してしまう状況。それは、どんなに自分の意見に自信があったとしても、あれ程まで出来るとは言い切れない。
決して全体的に鋭さのあった意見ではないとは思うが、それでも喋り方や声のトーンを思いだせば、誰しも背筋を正したくなるほどの威圧感があった。
「一部の人からは、“本物のドラゴン”じゃないか・・・なんて噂がでたことがあるらしいなぁ。」
「馬鹿言うな。」
自分たちの部署に戻ると、優志は会議で使用した資料をファイリングしてゆく。
どんなに不確かな情報とはいえ、自分の置かれている立場からすればないがしろにはできない。
「武田さん。お疲れ様。」
「ありがとうございます。」
「会議・・・なんか・・・すごかったね。」
「・・・はい。」
優志は自分のデスクに戻り、パソコンの電源を立ちあげる。
後ろを通った上司は、先の会議を思いだしたように苦笑いを浮かべながら通り過ぎていった。
周りからもねぎらいの言葉をかけられながら、優志はメールや署内通知を確認する。
と。見慣れない名前が目に飛び込んで、思わず何度もその通知を見てしまった。
「・・・。部長。ちょっと、席外します。」
「ん?戻ったとたんにどうした?」
震える手を押さえつけるように上着を羽織ると、目を丸くした上司に声をかける。
彼は小首をかしげて、優志を見つめた。
「呼び出し・・・食らったんで。」
「誰から?」
「・・・竜崎署長から・・・。」
「・・・・。そ、そうか。」
先の会議でのふがいなさを指摘されるのか、もしくは何を言われるのかは分からない。
だが、目の前の上司はぴくりと口元を動かすと、早く行けと言わんばかりに目を逸らす。
優志は、小さく行ってきます。と呟くと、心配そうに見つめる部署のメンバーを背に感じながら、部屋を後にした。
署長室へと入った優志は、しんと静まった部屋と目の前に座る人物に圧倒され、耳が痛くなる感覚に襲われる。
しっかりと手をズボンにしわが寄る程握りしめ、震えそうな歯をしっかりとかみしめた。
彼の緊張しきった顔に、“竜崎”は秘書に一言二言伝える。
秘書はそのまま奥の部屋へと姿を消してしまった。
「さて。君をここに呼んだのには、少し話をしておかなくてはいけないと思ってね。」
「は・・・はい!」
「まぁ、そう硬くなるな。」
「は・・・。い。」
奇妙な程の大声をあげて反応した優志に、竜崎は思わず笑ってしまう。
思いがけない相手の反応に、優志は眼を白黒させるしかなかった。
「私も、“ここに来た”ときは同じような感じだったな。」
「・・・。」
「前任の署長は、もっと真面目で堅物だったぞ。」
「そ、そうなんですか。」
会議で感じた威圧感のある雰囲気は、今目の前に座る竜崎からは感じられない。
確かに同一人物であるはずなのにも関わらず、優志はあっけらかんと笑う彼に戸惑った。
「まぁ、それは置いておくとしよう。本題だ・・・。」
ふと視線を落とした竜崎は、手元に置かれたファイルを優志の前に置く。
優志はファイルと竜崎を交互に見ると、促されるように表紙を開いた。
白紙のページを更に開くと、何枚もの写真が出てくる。
写真と共にページには、撮影された時刻や場所などが記載されていた。
「これ・・・は・・・。」
優志は驚いた顔で、ページを一つ一つめくっていく。
4月AC日 PM8時
桜丘市中央図書館前 3名のフードをかぶった人物に遭遇 話しかけるが応答なし こちらが近づくと走って逃走
4月AB日 PM6時
桜丘出版社横路地 先日と同じ服装の人物に遭遇 話しかけるがこちらの質問に応じず 近づくと逃走
・・・
どのページにも同じように場所と端的なコメントが添えられている。
そして同様に場所の写真と、遠巻きに取られた相手の写真が添付されていた。
どれも、この警察署で勤務する署員が撮影した物ばかりだ。
「 “これ”に関しては、実は上層部の極秘事項となっている。」
「な、何故ですか?先の会議でこれを提示すれば・・・」
「それはできないんだ。」
「え・・・?」
困惑した表情で竜崎を見つめた優志だったが、彼は首を大きく横にふった。
竜崎の予期せぬ返答に、優志は思わず言葉を詰まらせてしまう。
あれほどまでに、“市民の平和が第一優先”と言っておきながらも、今の返答はおかしい。
今追っている怪事件に対して、これだけの資料があれば更に話は進展するはずだ。
だが、竜崎はファイルに“持ち出し・他言厳禁”と張り付けてしまっている。
彼の意図に全く理解できない優志は、黙ったままの竜崎を自然と睨みつけてしまった。
上司からも一度言われたことがあるが、優志は“人一倍正義感が強い”。
“自分が住む市民を守りたい”という警察官の鏡のような考えに、尊敬する後輩もいた。
今その“人一倍ある正義感”が顔に出てしまっているようだ。
「そうだな。まずは、どこから理由を言っていいのやら。」
真剣な優志の表情に困り果てたのか、竜崎は大きく肩を落とす。
それ相当の理由があるのか、それとも“それ”さえも他言できないのか、優志はじっと次の言葉を待つことにした。
「恐らく。武田君はこれから“予期せぬ事態”を何度となく見ることになるだろう。」
「はい?」
竜崎の思わぬ言葉に、優志は不安げな声を出した。
しかし、竜崎は更に続ける。
「それは“予期せぬ事態”を通り越し、“理解できない事”が増えてくる。これは、断言してもいい。君が“この怪事件”を調べなくてはいけない身である以上、“絶対に受け入れなくてはいけない状況になる”。」
「待ってください!!意味がぜんぜん・・・」
「今は分からないのは当然だ。だがっ。」
「!!!」
優志が無理矢理話を切りだそうとした瞬間、ふっと竜崎から発せられる雰囲気が変わった。
それは、先に会議室で感じた威圧感そのものだ。
「 “理解してもらわなければ、我々が困る”のだよ。武田君。」
「え・・・。」
凛とした目とは違い、眼光は鋭く獲物を狙うかのようにとがったように見えた。
まるで目の前にいる男が“獣”のように感じる。
喋ることなど絶対に許されない状況に、優志は言葉を無くした。
ただただ、目の前の男を見るしかない。
「先に言っておこう。“すまなかった。部外者である君”を捜査から外すことが遅れてしまい申し訳ないと思う。」
「・・・。」
竜崎はそれだけ言うと、小さく頭を下げる。
更に思わぬ“署長”の行動に、優志はついにそれ以上考えることができなくなった。
――
大きなため息をついて、優志は警察署近くの公園で手に持ったコーヒーを一口飲む。
眼鏡が白く曇ってしまったが、そんなことを考える余裕はなかった。
目の中には竜崎が言っていた言葉が、何度も繰り返され頭痛を生んでいる。
全くどの言葉も理解できなければ、何をどうしていいのかもわからない。
“あのような”資料を見せられたのにも関わらず、“他部署へは絶対に言うな”と言われてしまった結末は、なんとも言えなかった。
驚いたことはもう一つある。
部署に戻って上司に報告しても、竜崎と“全く同じ”返答をされたのだ。
信頼する部長にも言われ、後輩や同期からも“見た事は言わないように”と念を押され、ついに息苦しくなった彼は、今にあたる。
あのまま“あの場所”で仕事をしていても、頭痛は止まらないだろう。
「(つまり、部署内で何らかの事を知らなかったのは俺だけってことか・・・)」
話の内容からして、恐らくは同部署の人間は、自分以外は“事態を把握している”のだろう。
ふがいなさと何とも言えぬ“部外者感”を覚えた優志は、更に大きなため息をついた。
「(とはいえ・・・こんな事している場合でもない・・・のか。)」
おもむろに自分の手を見て、優志は空を見上げる。
「何を受け入れろっていうんだか・・・。」
飲みほしたコーヒーをごみ箱に入れて、彼は大きく背伸びをする。
今までも悔しいながらも“自分が折れなくてはいけない”事はよくこの仕事ではあった。
考えてみれば、それと同じなのではないか?とふと考える。
「そういうもんだと・・・思わないといけない・・・か。」
新人時代の恩師たちの事を脳裏に浮かべ、仕方がないかと優志は歩きだす。
時計を見てみれば、そろそろ昼頃だ。
そのまま部署に戻るのは気が引けるので、近場で何か差し入れを買おうと考える。
「確か・・・この・・・・」
大通りを横切り、人通りの少ない路地へと入り、優志は視線を上げた。
と。思わず足が止まってしまう。
「・・・・・・おいおい・・・まさか。」
彼は目の前に見える人物を見て、ぴくりと肩を揺らした。
手にはじわりと汗がたまり、耳の奥が痛くなる。
喉の奥が痛くなり、呼吸ができにくくなった。
「・・・・っ・・・っ・・・。」
黒いフードを深々とかぶり、そこから地面に垂れ下がるように長いローブを着こんだ人物。
背格好から“男”なのだろうか。
布を引きずるように足を動かしながら、片言に何かを呟いている。
どう考えても、異質な存在に優志は腰に手を当てた。
「・・・。」
しかしそこには何もない。
業務連絡用の通信機材を置いてきた数十分前の自分を、今ここで叱ってやりたいと優志は思った。
「おい。そこの君!警察だ・・・!」
「ア・・・・。」
深呼吸をすると、優志は声を張り上げて目の前の“男”に声をかける。
しかし、返答はなく同じような行動をしているだけだ。
「聞いているのか?!おい!!返事をしなさいっ!」
声を荒げているのにも関わらず、“男”はまるで反応がない。
優志はこちらを向くこともない彼に、思わず駆け寄って肩を掴む。
こわばった冷たい感触が、手のひら全体に広がった。
「君っ・・・!一体ここでなにを・・・し・・・・。」
「アァ・・・・ア・・・。」
半端無理矢理に“男”の顔をこちらに向かせた優志は、そのまま停止してしまう。
深々とかぶったフードの下には“漆黒”が広がっているだけだったのだ。
思わず優志は、“バケモノ”を突き飛ばし、肩を持った手を抑える。
ヒヤリとした汗が背中をすべり、自然と口元が震えてしまう。
実家が神社で、昔から色々な話を聞いてはいたが、“実際にこんなバケモノ”を見たことなど今の一度もない。
それどころか、このような“存在”を完全否定していた優志にとって、目の前にいる“バケモノ”を脳が受け入れることなどできなかった。
「誰ダ・・・?誰?・・・・」
「ぐっ!!」
くぐもった声に押されるように、優志は一歩一歩後退してゆく。
だが、それと同時に目の前にいる“バケモノ”は自分に近づいてきた。
相手の動きを見ていると、背中を向けて、この場をやり過ごすことは容易だ。
「(いいのか?それでいいのか?!)」
優志は後退しつつも、その場を去ることができない自分に、歯がゆくも感じてきた。
今まで身に付けた武術で応戦できるかは不明だ。
しかし、このようなモノをそのままにして去ることはできない。
「・・・・っ。」
覚悟を決めた優志は深呼吸をすると、ゆっくりと迫りくる“バケモノ”に向き直った。
「・・・一か八か・・・。」
大きく息を吐いた彼は、すっと姿勢を低くする。
とにかく相手を抑え込めばいい、その後は声をあげて人を呼ぶ。
近くには人通りの多いオフィス街が広がっている。
誰かしらが声に気が付き、駆けてくるはずだ。
「後は署で話を聞かせてもらおうかっ!」
気合を入れるように大きく息を吸い込んだ優志は、踏み込む。
ぐらりと目の前のバケモノが傾き、まるでこちらを見るようにフードが動いた。
「離れろ!!!ぶつかるぞ!!!」
勢いをつけてバケモノへと近づこうとした優志の頭上から突然として、“少年”の声が響く。
「なっ?!!」
その声に驚いた彼は、思わずこけそうになりながらも、ビルの壁へと身を返した。
とたんに、頭上から“光の矢”が降り注ぐ。
目を開けていられないほどのまばゆい光に、優志は腕で顔を覆う。
雨のように降り注いだ光が数秒で無くなると、しんと辺りを静けさが包んだ。
「なにが・・・どうなって・・・」
頭を左右にふった優志は、はっとした表情で前方をみる。
が。案の定、そこには“バケモノ”の姿はなかった。
更に驚くことに、怒涛のように降り注いだ“光の矢”の跡さえもない。
「・・・・なにが・・・」
“元から何もなかった”ような現場に彼は唖然と立ちつくしかなかった。