空と海の境界   作:黒樹

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今回、ほとんど原作のキャラが出ません。


潮留詠の平凡な日常

 

–––キーンコーンカーンコーン。

 

お馴染みの鐘の音が鳴り、放課後を知らせる。授業開始から机に腕を組んで爆睡していた僕は目覚ましの音に目を覚ました。椅子に座ったまま伸びをしていると隣の席の親友、木原紡が誰にもわからない呆れたような視線を向けてきていた。

 

「もう放課後だぞ。今日は随分ぐっすりと寝ていたな。最近、忙しいのか?」

「おう。今日もこれからバイトだ」

「いつもご苦労なことだな」

「おまえだって朝は爺さんの手伝いだろ」

「詠と違って俺はそれほど忙しくはない」

 

僕は机の中の教科書類を掻き集めて鞄に突っ込みながら返事をしていた。宿題に自習用のノート、それから筆箱と重過ぎず軽過ぎず鞄が一杯になるまで詰めるだけ詰めた。

 

「じゃあな、紡」

「無理すんなよ。おまえが倒れたら、おまえの姉だって困るだろ」

 

いつも通りの日常だ。朝早くに家を出て、自転車で三駅隣の街に行きバイトをする。それが終わったら学校に行く。学校が終わったら夕方のバイト。中学一年の頃からやっていることだ。毎日やっていることだからもう慣れてしまった。

学校から自転車で出る。電車の方が早いがあいにくそんな金を使う余裕はない。だから、毎日、雨が降ろうが雪が降ろうが台風が来ようが僕は自転車を漕ぐ。

 

三十分ほどで、三駅先の街に着いた。その近くにある水族館が僕のバイト先だ。

 

「お疲れ様です。雪菜先輩」

「おぉ、来たな少年」

 

更衣室で着替えて裏へ回る。そこには黒い髪をポニーテールにしてもなお腰まである長い髪の女性が立っていた。彼女は僕の先輩で正社員でもある冬海雪菜さんだ。僕が此処に来た時からの先輩で凄くお世話になっている人。でもって、僕はこの人には逆らえない。上司で歳上だからな。

ぐしゃぐしゃと濡れた手で僕の白い髪を掻き乱す雪菜先輩は楽しそうに髪を弄ってきた。長い間切っていないので、僕も髪を頸の部分で縛っていた。

 

「少年、相変わらず髪が長いね。女の子みたいだ」

「髪を切るお金がないんですよ。切る暇もありません」

「大変だねー。学校通いながら、バイトもして。お姉さんは元気?」

「はい。まだ死んでません」

 

生きてて体にどこも異常がなければ元気だ。僕はそう断定して、そういう言葉を使った。

僕の冗談を何と受け取ったのか、そうかそうかと人好みする笑みを浮かべてさらに僕の髪を掻き乱した。

 

「じゃあ、いつも通り魚や動物達に異常がないか聞いて回ってくれ。それが終わったら、餌の準備の手伝い。閉館したら掃除だぞ」

「了解しました」

 

別に僕がサイコパスだとか頭がおかしいだとか、先輩が可笑しいというわけでもない。僕には海の魚や動物達と会話するという特技があった。海の生物ならおそらくどんな種類の生き物だって会話することが可能だろう。それが僕を特別に水族館に雇ってくれている理由だ。あとはエナがあるから、潜るのに酸素ボンベがいらないというのも重要である。

 

いつも通り、僕は全部の水槽を回って生き物達と会話をする。僕が合図に水槽のガラスを叩くと生き物達は我先にと近寄って来た。

 

「元気かルイ」

「キュキュキュ」

 

最初に訪れたのはイルカの水槽だった。彼女はイルカのルイ。メスである。なんだか寂しそうにガラスに体を擦り付けてくる。どうやら甘えているみたいだ。

 

「んー、なになに?他のイルカが盛ってきてうざい?」

 

ルイの背後にはギラギラした目のイルカが数匹いる。でも何故か、その頰には打撲痕があった。

 

「へぇ、尾びれで殴ったと……だから、怪我をしてるのか。発情期ね。僕から館長に報告しておこう」

 

他の雄イルカはルイを狙っているらしい。だが何故だろうな、その視線がルイではなくその先にある僕の方を敵視しているように見えるのは間違いで、きっと気のせいだろう。僕は次の水槽に向かうことにした。

 

「さて、次は……元気かシャチョオ」

「キュルルゥゥウ」

 

次に訪れたのはシャチがいる水槽である。海のギャングと呼ばれる鯱だ。僕が最も好きな動物だ。なんかカッコイイし。

彼は鯱のシャチョオ。この水族館の水槽の動物達を牛耳るボスである。他の水槽にいるサメと抗争を繰り広げており、どちらが覇権を握るのか揉めており喧嘩が絶えない。あぁ因みに、喧嘩すると言っても水槽越しにメンチを切っているだけだ。

 

「にしても今日はおまえも元気ないな。どうしたんだ?」

「キャキャキャ」

「彼女にフラれた?」

 

シャチョオには付き合って半年になる雌鯱のパテナがいる。どうやらその彼女と喧嘩してしまったらしい。この水族館の主(目玉)がこの様子だと、週末の鯱のステージに響きそうだ。

 

「キュクルル?」

「そんなことよりおまえ彼女いないのって?余計なお世話だ」

 

さっきフラれた鯱がなんか言ってやがる。僕だって彼女が欲しいさ。でも、できないんだ。恋人がいたとしてもバイトで遊びになんて行けないだろうし。そこはもう諦めた。これ以上話すと僕の精神がダメになりそうなので次の水槽に移動する。

 

「おーい、フカヒレ」

「キシャアアア!!!!」

 

ドン、と大きい音が水族館に鳴り響く。鮫が水槽のガラスに激突した音だ。もちろん、そんなことではビクともしない特殊仕様のガラスに傷一つつかない。

 

「おまえいつも喧嘩腰だよな。え、ビビってないで早く水槽の中に来い?表に出ろ卑怯者?今日こそはテメェを八つ裂きにしてやる?」

 

コイツはイタチザメのフカヒレ。イタチザメの中でも好奇心旺盛で気性が荒い。人を喰ったらフカヒレにすると教えてある。だから、誤って水槽に飼育員が落ちても誰も傷つけない、鮫の中のビッグボスだ。もっとも鮫の水槽に入るのは基本、僕だけだ。その鮫の親玉の目には見慣れない真一文字の傷があった。

 

「……おまえ、もしかして奥さんに怒られたの?」

「キシャアアアァァァァァァ!!」

 

図星である。何やら奇声を発しながら何処か遠くへと泳いで逃げて行った。

 

「さて、次は……ペンギンか」

 

僕が一番苦手な水槽だ。出来るなら相手をしたくない相手が何匹もいる。もうあいつら見た目に反して、可愛げがないし、僕の動物と会話できる能力が裏目に出てから嫌いになった奴らと言っても過言ではない。それでも僕はお金のために奴らの水槽に行った。

 

「……」

「ケタケタケタ」

「ギャアギャア」

 

僕を見た瞬間、ペンギン達は僕を嘲笑うように鳴き声をあげた。

だから嫌だったんだ。繁殖期のペンギンはリア充しかいないし!

 

「うるっさいな僕が童貞だとかどうでもいいだろうそんなこと!?どいつもコイツもなんなの発情期かこのやろう、つーか先輩をエロい目で見てんじゃねぇ変態ペンギンどもめ!あーもうコイツら、あの鱗みたいで腹立つ!」

「ケケケ」

「僕がエロい目で先輩を見てるって?おまえもう本当に焼き鳥にしてやろうか?」

 

ペンギンの水槽は癒しなどではない。逆にストレスが溜まる一方だ。それに数が多いだけあって数の暴力とはこのことだと、身に染みて感じることができる。

 

「もういい、次に行こう……」

 

いつも通りなので僕は異常がないことを確認した。

そして、次の水槽–––白熊の元へとやってきた。

何故、白熊がいるのかはわからない。

 

「よう、シロ。元気か?」

「……ゲプッ」

 

白熊のシロは食いしん坊だ。いつも食べ過ぎる。というか、飯を強請る。くれなきゃ飼育員に罵声を飛ばす困ったやつだ。そして、食い意地が張っていてなんでも食べる。

 

「なに?落ちている変なもの食べたら気分が悪くなった?だから、おまえは拾い食いするなといつもいつも……もういい、少し手荒だが僕が取ってやる」

 

僕の日常ってやつは毎日こんなのだった。

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

バイトが終わって家に着いたのは夜の十時。ただいまと言っても誰が出迎えてくれるわけでもない。この家に住んでいるのは僕を含めてたった二人で、唯一の家族は自分の部屋に引き篭もっている。

 

「姉さん、ただいま」

 

度々、姉の部屋の前に行って自分の帰宅を知らせる。玄関で帰宅を知らせたのは、家の中にいるのが僕だと教えるためだ。姉は怖がりでもうここ二年ほどは他の人間と話せていないし、会ってもいない。唯一、顔を合わせられるのは僕くらいのもので、他の親戚でさえダメだったくらいだ。

部屋の前で声を掛けると数秒ほどで扉が開いた。僅か十センチほど開けられた扉から、姉は片目を覗かせて僕の姿を確認するや安心したような表情をする。

 

「……お帰り」

 

姉が部屋から出るのは、トイレ、風呂くらいのものだ。それから僕が帰ってくると必ず抱き着いてくる。そのために部屋を跨ぎ、廊下に出るくらいのことはできる。一応、これでも姉の世界が部屋から家に変わったのだ。僕はそれで満足だった。

 

「……名前」

「わかってるよ。渚」

 

潮留渚。僕の血の繋がらない姉だ。そして、たった一人の家族でもある。数年前、両親が再婚しお互い連れ子だった僕達は姉弟になった。家族四人で暮らしていたが両親は姉が高校生の時に他界してしまった。それから高校に通いながらバイトをして僕を育ててくれた、一生頭の上がらない敬愛する姉だ。

綺麗な亜麻色の髪に優しい琥珀の瞳で最初の印象が美人だということは僕でもわかった。内面も優しかったし文句の付け所のない良い人だった。それが今や綺麗だった髪は少し伸び放題で手入れはされていない。決してズボラだったわけではない。両親がいた頃はお洒落をしていたし誇れる自慢の姉だった。

 

けど、部屋から出て来た姉は何故かワイシャツ一枚の半裸の状態だった。

 

「渚、また服を脱ぎ散らかしてるな。服を着ろってあれほど言ってるだろ」

「…お姉ちゃん、服なんて要らないから」

 

家に引きこもっていることを自覚している渚は度々そう言って服を脱ぎ捨てる。新しく姉の服を買おうとすれば服はいらないと言って脱ぎ捨てる。まだ中学生の弟を働きに行かせているのは自分だという自己嫌悪から、できるだけ節制しようとした結果が今の渚だった。こうなってしまった姉でも一応、羞恥心はあるのか頰を赤らめている。

 

「ご飯は食べたのか?」

「……まだ」

「お風呂は?」

「……まだ」

 

今朝の時点で姉の三食分のご飯は用意しているのだが、どうしても夕食だけは僕が帰ってくるまで食べてくれない。一日のうち、姉と一緒に過ごせるのはバイトと学校に行っている時間を除いた三分の一程度しかない。寝る時間を合わせれば、顔を合わせている時間なんて一時間もないだろう。それが嫌で渚は食事もお風呂も就寝も共にしようとする。

 

「……お風呂にする?ご飯にする?それともお姉ちゃん?」

「じゃあ、一緒にご飯で」

 

一度は誰もが夢見た掛け合いもただご飯と答えれば渚は寂しそうにする。「一緒に」という言葉が必要だった。これでもトイレまで付いて来かねないところを自重させたのだ。それ以外の時間は常に一緒にあると言ってもいい。因みに、風呂もベッドも勝手に侵入してくるのでその点は諦めている。

 

 

 

 

 

翌日の朝、僕は朝早い時間に家を出る。着替えていると同じベッドで寝ていた渚が起きた。実を言えば、生活のために要らない家具は売り払っていてベッドは一つしかない。いつのまにか姉が勝手に売却していた。

 

「…もう出るの?」

「うん。ご飯はいつも通り置いておいたから」

「…行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 

そうして、僕の一日は始まる。

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