海から四人が来て数日が経過した。
「あ、潮留君おはよう」
「詠君だー。今日も眠そうだね」
「よお、潮留」
「ふぁぁ〜ぁ、おはよう」
教室に入るとクラスメイト達が挨拶をしてくる。僕は普段、会話をしないタイプだがこうして話し掛けてくれるクラスメイトは多数いる。その大半は休日に会うことなんてない、本当にただのクラスメイトで友達とは言い難い。友達認定している紡ですら休日どころか放課後話をしたりするわけでもないので微妙な話だが。
欠伸をしながら自分の席に着いた僕は鞄を机の横に引っ掛けて机に頭から沈み込んだ。そんな僕に声を掛けてくれるのが、僕の後ろの席にいる海の少女だ。
「おはよう。詠」
「比良平チサキか。おはよう」
「えっと、もう少し名前短く呼んでいいんだよ?」
「なら、チサキと呼ぶがいいか?長い」
「うん。いいよ」
長く呼んでいたのは僕だが棚に上げて文句を言う。苗字だと五文字だ。口を開いている間に寝てしまう。名前で呼ぶ了承を取ったのも、本当は別の理由だ。何故か僕は伊佐木要と先島光に睨まれていた。まさか僕が海出身の人間だとバレたわけではないだろう。光はともかく、要ならありえそうだが、チサキには何の変化もないので微妙な線だ。
「毎日眠そうだね。ちゃんと寝てる?」
「あいにく眠る時間がなくてな」
僕が眠そうにしているのを見てクスクスと微笑むチサキ。
「ちゃんと寝ないとダメだよ」
「人類は一日を二十四時間ではなく四十八時間にするべきだったな」
「それはそれで大変そうだね」
「……勉強の時間が増えそうだな」
自分で言っておいてないなと却下した。睡眠時間が増えればいいなと思って言ったが、同時に他の無駄な時間まで増えている。あと人間は二十四時間起きてると眠くなる。無茶無謀な話だった。
「そういえば聞いた話なんだけど……」
馬鹿な話をやめて、チサキが心配そうに顔を覗き込んできた。
「働きながら学校に来てるって本当?」
「誰から聞いたんだ、そんな話」
「木原君から」
あいつめ……。余計な話をしやがって。まさか海の話も喋ったのではないかと内心冷や汗ものだった。今も落ち着かず心臓が早鐘を打っている。いや、海の話はいい。僕が海の人間だとバレるのは想定の内だ。問題は、彼女達と面識がある……幼馴染であるということがバレるのを僕は恐れている。
何故だか僕はそれが怖かった。忘れられていることに関しては別に何も思うところはなかったのに。悪戯をして叱られるのを怖がる子供みたいだ。
「すごいなぁ、詠は」
「そうか?」
「私じゃそんなこと考えられないもん」
「僕も数年前まではそうだった」
凄いとか何かを言う前にやらなければいけなかった。突然、働くのをやめて家に引きこもった姉の代わりに金を稼ぐのは大変だったが。それのお陰で姉の苦労を知れたというものだ。
僕に考えている暇はなかった。雇ってもらえたのも奇跡だ。そうとしか言いようがない。
「……ごめんね」
物思いに耽っているとチサキが突然謝罪を述べる。
僕は顔を上げて、どうしたのかと首を傾げた。
「光が突っかかったりして。要も本当は突っかかったりするような性格じゃないんだけど。詠を私達の幼馴染と姿を重ねてるみたいで」
昔、光は僕と喧嘩ばかりする仲だった。だから仲が良いとは言えなかったが、毎回喧嘩するほど仲が良いと光の姉に場を収められていたのだが、昔語りをするチサキはなんだか楽しそうだった。
しかし昔の要は人に喧嘩を売ったりする性格じゃなかったのだが、今の僕に喧嘩を売っているような挑発的な態度は珍しいとのこと。喧嘩を売る心当たりは昔はあったのだが、今は状況が違う。もし昔の通りなら、要は僕の存在に気づいていることになる。だがそれだと、他の面子が僕のことを思い出さないのも不可解だった。いや、もしそうだとしたらと彼は話さないことを判断したのだろう。別に思い出して欲しいわけでもないので僕はそれで良いのだが。
でも、全く覚えていないというのも寂しいので僕はあからさまに話題を誘導することにした。
「……幼馴染か。お前達だけじゃないのか?」
「あ、うん、昔もう一人いてね–––」
それからチサキの昔語りが加速する。
僕は聞いている端から恥ずかしくて机に突っ伏した。
話題の殆どが『海滝詠』という少年の話なのだ。
聞いたのは僕だが、顔から火が吹き出そうで後悔した。
◇
「はーい。じゃあ、ペアを作ってストレッチをしようか」
四限目は男女混合で体育の授業。本来なら木陰か保健室で昼寝をしているのだが、今日は無性に体を動かしたくなって授業に参加していた。珍しい物を見たと言わんばかりにクラスメイト達が僕を見る。僕は紡とペアを組もうと彼の元へ向かおうとしたのだが、僕の前に伊佐木要が立ち塞がった。
「おーい、何してんだ要」
「ごめん光、ボクは潮留君と組むことにしたから」
そう言って微笑を浮かべる要だがそんな約束をした覚えはない。それどころか同じ学校に通っていて話したのも今日が初めてだ。
「俺は誰と組めば良いんだよ」
「木原君と組めば?」
要がそう言うとメラメラと闘志を燃やすようにギラギラとした目を紡に向ける光。どうやらあっちの方も何やら確執があるようだ。僕は名指しされたことで呆然とする紡とアイコンタクトを交わす。『お互いに大変だな』と。
「潮留君、いいよね?」
「あぁ、僕は構わないけど」
別にストレッチの相手は誰でも良かったので了承した。体育で体力を使ってバイトに支障を来すなんていつもならしないのだが、今日は何故かやる気に満ち溢れている。心なしか要の方からもやる気が垣間見えた。嫌な空気だ。
ペア同士が離れた場所でストレッチを開始する。
僕はストレッチをしながら、ストレッチをする女子を観察していた。
遠くの方でマナカと組んでストレッチをしているチサキだ。
二人とも発育が良いだけあって、体操服を押し上げている胸に目が行く。
絡んで来た要に目もくれずチサキを見ていると不意に要が誰にも聞こえない声で誰何する。
「潮留詠。……いや、海滝詠って呼んだ方がいいかな?」
「誰だそれ?」
僕はあくまでしらばっくれてみた。カマをかけただけかもしれない。だが、要の目には何処か確信が宿っているように見える。僕は誤魔化すのが無理だと判断した。
「いや、詠だ。ボクが恋敵の顔を忘れるとでも思ってるの?」
「恋敵とは大層な呼び方だな。恋敵ってのは三角関係で成立するものだろう」
僕は舞台から飛び降りた演者だ。もう僕は、昔のように幼馴染達と接する気はない。ゲームから降りた敗者をまだ敵とするなんて要は何処まで馬鹿なんだろう。
僕の背中を押しながら、要は独白する。
「ボクも最初は気づかなかったさ。髪は白くなっているし苗字は違うし。だけど、君を注意深く観察しているとエナが見えた。それだけで何の確証にもなりはしないけど、ボクは確信したよ」
「察しがいいやつは嫌われるぞ」
「悪知恵なら君の方が上手だろう。ボクはまだまださ」
伊佐木要は悪知恵が働く子供だったわけではない。汐鹿生で悪餓鬼と世間一般的に評価を受けていたのは光と僕だ。順位をつけるのなら悪餓鬼としてのランクは光が上だった。だけど、僕の悪知恵はその上を行く。光が暴れる悪餓鬼で、僕は知略で悪戯をする悪餓鬼だった。少なくとも悪いことなら誰にも負けなかったと思う。
まぁ、実際腹黒いのが僕。更に腹黒いのが要だと思ったんだけどな。
「で、わざわざ僕に声を掛けるなんて何か用か?」
開き直り、要に訊ねる。
上体反らしをしているチサキが目に入った。
数分くらい眺めていただろうか。その間、要からは何のアクションもない。
まるで活火山が噴火する前のようだ。沈痛な面持ちで彼は黙り込んでいた。
ようやく、口を開いたのは周りの数組がストレッチを終えたくらいの頃だった。
「……なんで、チサキに君だって教えないんだ」
顔を伏せたまま要は呟いた。僕でさえギリギリ訊けた声量だ。僕は訊かなかったフリをする。
「うん?何か言ったか?」
「なんでチサキに君だって言わないのかって言ったんだ!」
このまま胸の内に秘めておいてくれると思ったが、意外にも要は吠えた。思わず、周りでストレッチしていた光と紡がこちらを見るほどである。遠くの方でチサキとマナカも吃驚していた。
普段から感情を表に出さない要が大声を出したのだ。それだけで、海村の奴らは驚愕した。此処数日で定着していたクールキャラに他のクラスメイト達も驚いてはいる。怒鳴られた対象が僕だというのもポイントだろう。
「……チサキはずっと待っていたんだ。君が電話を掛けてくれるのを。手紙をくれるのを。毎日毎日、待っていたんだ。何日何週間何ヶ月と来る日も来る日も、何年だって‼︎」
ストレッチをする体制を崩して僕と要は向かい合っていた。前髪から覗く要の瞳は憤怒に満ちている。あの要が、これほどまでにキレたのは初めてのことだ。
「そう怒るなよ。お前にとっちゃ都合のいい話だろ?」
「……違う」
「僕はもう君達の物語には介入しない、舞台を降りた演者だ。チサキを好きな幼馴染はもうお前だけ。邪魔者のいないその状況に何の不満がある」
「違う、ボクは……!」
「そこまで言うのなら、要がバラせばいい話だろう。僕が海滝詠だって」
「……」
それを出来ないのは要の心の弱さだ。僕は知っている。人間が浅はかで利己主義的な生き物だと。自分に不利益なことを進んで出来る人間はそうはいない。
「……辛そうだったんだ。君のことを想うチサキが。毎日、手紙や電話を待っている姿は。ボクが好きなのはそんな辛そうな顔で君のことを待ち続けるチサキじゃない!」
なおも顔を伏せて独白する要の頰には涙が流れていた。
「……おまえ、そんなやつだっけ」
「ボクだって最初は喜んださ。君がいなくなって。だけど、その感情も次第に罪悪感に変わったんだ。君がいなくなってもボクは君に勝てなかった。君の幻影にすら、勝てなかった……」
……あぁ、うん、これこそ要だ。
「ちょっと要どうしたの⁉︎」
遠くで見ていたチサキとマナカが駆け寄ってくる。何やら二人で様子を窺っているが要は「なんでもない」の一点張り。一番近くにいた紡と光に視線を向けると「聞こえてない」と首を振った。
「……要を泣かせるとか何あいつスゲェ」
光からは不名誉な称号を頂いた。
「詠、これどういうこと?」
「……さぁな。僕も何が何だか」
要から暴露するつもりはないようで、僕もしらばっくれておいた。
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