呼び捨てする人多いし、そうだあれにしよう。
「それで何で二人がここに?」
帰宅すると叔母とその娘、僕からすれば従妹にあたるその子が家でくつろいでいた。その姿をスルーしつつ比良平家に電話でチサキの無事と宿泊の許可を得た後、僕は再び二人と対峙していた。もちろん、チサキの両親が見ず知らずの人間の家に愛娘の宿泊を許可するなんて都合のいい展開はないので、僕の正体をばらし口止めしておいた。そうしたら速攻で許可が降りて太鼓判を押されたのは妙な気分だが、これでチサキの件は一段落ついた。
さて、問題はこの二人だ。こんな夜分に連絡もなしに訪ねてくるなんて珍しいことで僕がそう訊ねると何処か不機嫌そうな表情をするミヲリさんに背筋が凍った。
「あの、ミヲリさん……?」
叔母である潮留ミヲリに訊ねるとやはり不機嫌そうな表情。
僕は何か地雷を無意識に踏み抜いただろうか。
気づいたら、地雷原で祭りをやってることがあるからな。
自分の無自覚に地雷を踏む性格故に警戒していると、ミヲリさんは不貞腐れた表情をとてつもなくいい笑顔に変えてこう言った。
「ごめんね詠君。彼女さんとお泊りなら出直そうか?」
「違います。ただのクラスメイトです」
おそらくわざとそう言ったのだろう。普段は冗談の一つも言えない人が冗談を言うと身の危険を感じるのは何故だろうか。これは何かあったなと僕は予想する。
「そ、そうです、ただのクラスメイトですっ!」
「チサキ。わざわざ冗談に反応しなくていい」
赤面してわたわたと手を振って否定するチサキ。そんなに必死に否定されるのもなんだか傷つく。まぁ思春期はそういう噂とか過敏に反応するから仕方ないのかもしれない。
「それよりお腹すいたでしょう?二人ともご飯は?」
「まだですけど……」
「わ、私も……」
「そう。じゃあ、待っててすぐ持ってくるから」
ミヲリさんが食事の用意をしようとキッチンに消える。それを見送ったところで左隣に座っていた従妹、美海がこそっと耳打ちしてくれる。
「ママ機嫌悪いからあんまり変なこと言わない方がいいよ。お兄ちゃん」
「何があったんだ?」
「パパが浮気した」
その瞬間、僕の頭が停止した。思考回路がショートして頭が真っ白になるとはまさにこのこと。あまりの内容に耳を疑い美海の瞳を見つめるも嘘ではなく、冗談でもないらしい。僕の右隣にいたせいで話の内容が聞こえたのか、チサキが耳打ちしてくる。
「やっぱり私、帰ろうか?」
「いや、むしろいてくれません?」
こんなところに一人置いてかれるのも嫌なので、気を遣ったチサキを引き止める。その間にも料理を温め直したミヲリさんが夕食を持って現れた。カレーライスという保存も効く大多数で食べるには王道の料理。いきなりアポなしで現れたから、このメニューにしたんだろう。それが功を制してチサキの分もあるわけだ。
「いただきます」
二人して居た堪れない空気の中、合掌をしてスプーンを手にした。カレーとライスを掬い口に運ぶ。これでもかとシーフードが入っており、完全な海の幸のカレーとなっている。おそらくそこに陸の要素はない。まるで陸のものは食べたくないと言わんばかりだ。玉ねぎ、人参、じゃがいも、ナス、という野菜の欠片さえ見当たらない。付け合わせに海藻のサラダという徹底ぶり。やはりそこに陸の要素は何一つ存在しなかった。
ようやく食べ終えて一息ついたところでお茶が出て来る。ミヲリさんが自分用に持ってきたのは黄金の液体、微かに酒の匂いと甘い香りがするところからおそらく蜂蜜酒だろう。この人がお酒を飲むなんて相当珍しく、娘である美海でさえ萎縮して言葉も発さない。口をグラスにつけてこくこくと飲んでいく。そして、一気に空になった。グラスをもう一度蜂蜜酒で満たしたところでミヲリさんが口を開いた。
「夫が不倫したの。……ううん、してたの」
「至さんがですか?」
至さんとはミヲリさんの夫である。誠実そうで何処か頼りない印象の男性だが、僕や姉の一応の保護者として両親が死んだ頃からお世話になっている人だ。
そんな人がミヲリさんほど綺麗な妻を持ちながら、不倫なんて何かの間違いではないかと僕は疑った。証拠もなしにそんな話をしに来たのではと僕自身、疑いたくもないミヲリさんを疑わなければならない。いや、やめよう。話を聞くだけにしよう。どうせ僕には何もできることはないのだから。
「それで相手は?」
「……アカリ」
「「えっ!?」」
驚いたのは僕だけではなかった。そりゃそうだ。アカリとは光の姉であり、チサキ達も面識がある相手、そんな人の名前が不倫相手の名前として出て来たのだ。驚いて当然だろう。いや、同姓同名の可能性もある。今の僕が苗字はともかく同じ名前なのに気づかれていないのと同じように。
「サヤマートでバイトしてる?」
「うん」
「光の姉の?」
「うん」
これは幻聴だろうか。もしくは夢か。チサキ達と再会してからというものの急速に運命が廻り出しているような気さえする。言うなれば、神様の悪戯が過ぎるだろうに。
「こんなこと言いたくはないですけど、証拠とかは?」
「……私見ちゃったかも」
ミヲリさんではなく、右隣から目撃証言が上がってしまった。チサキだ。
「今日、夕方にアカリさんを送って行った男の人とキスしてるのを見た、んですけど……」
「いや、でも別の人って可能性も……」
確認する術は今はない。そう思っていた矢先だった。リビングと繋がるキッチンの陰から、ぽいとアルバムが一つ投げ入れられた。姉が帰宅の報告が中々来なくて、ビクビクしながら階下に降りて来たのだ。それでも他の人と面と向き合うのは無理らしく、柱の影でこちらを覗いているだけだが。
そりゃ他人がいる中で僕がいないとなると渚はパニックになる。それが怖くて確認しに降りて来たのだろう。僕の姿を一目見ると、トタトタと二階に逃げて行った。
「それでその人ってこの人?」
ミヲリさんがアルバムの一頁から僕と姉、潮留夫妻と美海が写った写真を見せつける。それを見たチサキが間違いなく至さんを指差した。
「この人です」
誠実そうな顔をして、浮気をした潮留至。いくら恩人といえど僕は立場に困り果てていた。できれば認めたくなかったが、もうここまでくると認めざるを得ない。
「……一体いつから?」
「私が原因不明の病で倒れてる頃だって」
「うわぁ」
ミヲリさんは昔、病気を患っていた。原因不明の病。いきなり胸が苦しくなったり、肺や心臓に異常が出て死に至る病気だと医者には伝えられ、かなり長い間入院していた時期があった。おそらく、その頃に二人に何かがあったのだろう。頭の中から不倫だの浮気の話は吹っ飛んだらしく、チサキが神妙に訊ねた。
「えと、それって今は……」
「あぁ、うん、今は問題ないよ。月に一回検診しないとダメだけど」
「……治っていないんですか?」
「治ったわけじゃないかな。原因もわかって危険な状態は脱しているけど、完治できるような方法があるわけでもないから、今のところ延命しているだけの状態」
そう言ってミヲリさんは僕を見た。僕もまた、曖昧に返すミヲリさんに話を合わせる。僕はその詳細を知っているし結末も何もかもを理解している。しかしそれは、至さんの知るところではない。知っているのは僕とミヲリさんの二人だけだった。そんな秘密を赤の他人に話すなど僕達にはできることではない。
「それで至さんの浮気って具体的には……」
聞きづらいことなので言葉の語尾を濁しながら話題を元に戻した。暗い話に変わりはないが、まだ幾分かマシな話である。
詳細を知ろうとする僕によく訊いてくれたと言わんばかりに酒を一口飲んで、ミヲリさんはいい笑顔で告白した。
「最初は私が病気で入院してた時、アカリに家事を手伝ってもらっていただけだったらしいんだけど……ある日から肉体関係を持つようになってズルズルとそれが続いてたんだって。子供もできたって」
「……それは僕からは何とも。至さんもアカリさんも隠し事得意なタイプじゃないですからね」
「しかも密告してくれたのは、美海」
「ぶふぉっ!?」
思わぬ密告者に僕は隣に座る従妹を見た。
一体何があればこんな幼い少女が……まさか入院期間中の不貞に気づいたわけではあるまいし。
だいたい、その時期はまだ美海は小学生にもなってなかったと思う。いくら堂々と浮気しても、幼い美海にそれがわかるはずもない。
それに発覚したのも最近だろう。
話はまだ続いていたらしく、事の経緯を教えてくれた。
「美海ってよくサヤマートに行くんだけど、裏で遊んでたら二人が会話したりキスしたりしてるのを見たらしいんだ。それに隣街でホテルに入る姿を見たっていう漁協の人もいるし」
思いの外、狭い世界だった。
「流石にそれだけで……」
「問い詰めたら、二人とも白状してくれたよ?」
「それでここに来たんですか」
「実家に帰らせていただきます、なんてできないしね」
しかも全部ゲロった後ときた。そりゃいい笑顔で僕の帰宅をお出迎えしてくれるわけだ。姉の分は夕食を用意していたものの、自分の分と急遽チサキの分を用意することになってそれをしなくてよかったのは助かったものの、現状の問題は解決していない。
しかしこれは潮留夫妻の問題。僕に介入する余地がなければ、どちらかを擁護することもない。いくら叔父叔母という立場の人間でもぶっつりと二つに分かたれてはどっちの擁護もしづらい。二人には本当にお世話になっているのだ。
「それでこれからミヲリさんはどうしたいんですか?」
だから問うべきは彼女の意思。
まぁ僕にとってはどちらとも血の繋がりもないのでどう転ぼうが、なるようになれというのが僕の意思だ。
きっと二人が別れても僕は二人と関わることになる。非常に気まずいが。
因みに、姉の方が潮留家の家系の血を引いているのでそちら寄りにはなるだろう。だけどそれで、ミヲリさんが僕と無関係になるような間柄ではない。
これにはやはりミヲリさんも不安は掻消せないらしく、グラスに残った蜂蜜酒を飲み干して少し火照った顔をしながら呟くように言った。
「……海を出て、結婚する時に決めてたんだ。浮気したら離婚って。ほら、私海に帰れないからさ。それに娘もいるしどちらにしても帰るわけにはいかないんだけど」
とても弱々しい姿だった。普段、ミヲリさんが誰にも見せない姿だ。それは病気をしていた時だって滅多に見せたことはない。娘がいる前でなんてなおさらだ。
「それって至さんが責任を取ってアカリさんとくっついても、くっつかなくてもですか?」
「……うん。居場所なんて無くなっちゃうんだけどね。でも、居場所がないからってズルズルと引き摺っているのも私にはできないから。それじゃあ私都合がいいだけの女でしょ」
「まぁ、ミヲリさんなら綺麗で美人だし子持ちでも引く手数多でしょうね!結婚したいって人が山ほど現れますよ」
「残念だけど、私はもう当分恋とかはいいかなぁ。この人なら絶対に裏切らないって思ってた人に裏切られたし。私、男の人見る目ないのかもね」
そう言って苦笑いする姿を見て、僕は何故か居た堪れない気持ちになった。行くとこのないミヲリさんを放置しておくことはできない。どうしたものかと僕は悩む。けれど、ミヲリさんはまた冗談めかして僕にこう言った。
「そういうわけで先立である君のとこしか私には行く宛がなくてね。詠君なら収入もそこそこあるし、二人で働いたら生活もきっと楽になるでしょ。それに詠君は渚ちゃんがいるから結婚とかする気もないだろうし、詠君さえ良ければどうかなぁって」
「あぁ、そういえば、姉さんがああなってから自分のことで手一杯でそんなこと言いましたっけ」
実際、 彼女を作る暇もなければこのまま姉の奴隷として一生涯を費やすつもりだった。もちろん比喩ではなく本気である。姉さんが引きこもるために僕はいるのだ。
「どう?お買い得だよ」
「契約書にサインしましょう」
《契約書》とは《婚姻届》のことである。僕は何処からともなく取り出されたそれにサインをしようとした。しかし、ペンを握った瞬間、両脚から海月に刺されたかのような激痛が奔る。
「いったぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
サインしても提出しなければ問題ないだろうに。というか提出できないし。僕の両隣に座る二人に視線を向けると二人は何故か決まって目を逸らす。冗談だったのに突っ込みが激しくはないだろうか。