空と海の境界   作:黒樹

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主人公が例により不在のため、チサキ視点。


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「あーくそ、むしゃくしゃする!」

 

その日、光の機嫌は度重なる出来事により過去最高に悪かった。

 

汐鹿生にある海の学校の扉を力任せに開け放ち、ズンズンと進み机の一つに腰掛ける。ぬくみ雪が教室まで溜まったそこに私達は廃墟であることを痛感していた。僅か数ヶ月前まではこの学校に通っていたのに、懐かしいというより哀しい印象を抱いてしまうような在り方だった。壁に貼ってある最期の生徒である私達の入学時の写真も何処か色褪せているようだ。

 

取り敢えず話を戻すけど、光の不機嫌が最高潮なのは学校での出来事だけが理由ではない。海村に帰るとアカリさんが何やら村の大人達に険しい顔で連行されていたことだ。

 

その報せを受けた私達は鱗様のいる社へと向かった。

そこでは、アカリさんが中で鱗様と宮司様に言い含められている姿があった。

光曰く、中の話し声が小さ過ぎて聞こえず、私達は余儀なく退散することを選んだ。

そうしたのは光が鱗様のところに殴り込まないためだ。

今の光は本当に不機嫌過ぎて何をするかわからないのだ。

 

「なんなんだよ、大人達だけ訳知り顔しやがって」

 

結局、私達は事態がどういうことか把握できず、今後の相談をするために廃墟で顔を突き合わせていた。

 

「……いつもは優しいのに、なんだかおじさん達怖かったね」

「ほんっとなんなんだよ。あんな血相変えてよ」

 

マナカが不安そうに呟いて、光が同意する。そして、その不安を言葉にしてマナカが言う。

 

「アカリさん追放されちゃうのかな」

 

私達にはわからないことだらけだった。掟のことも、村のことも、何一つわかっていない。それは海滝詠という少年が私達の元を離れた頃からだ。私は何も知らない。

 

「だとしたらそれは男のせいだ!あいつのせいに決まってる!絶対にぶん殴ってやる!」

「で、でも……いい人かもしれないよ」

「その場合は軽くぶん殴る」

「あはは……っ」

 

憤る光に宥めるマナカ。私は何も言えない。その相手の人が浮気でアカリさんに手を出したとか。妻がいるとか。私はこの場で不用意な発言をしないよう必死に頭を巡らせる。

 

「で、でも、さすがに暴力は、ね?」

「うっせ。此処からは男の作戦会議だ。女は引っ込んでろ」

「はいはい。行こ、マナカ」

「う、うん……」

 

おろおろと他人の心配をしているマナカを連れて私は懐かしい教室を出た。

 

 

 

部屋を幾つか通り過ぎて私とマナカは音楽室に足を運んだ。何処の教室もぬくみ雪だらけで大差がない。なんとなくだけど、音楽室に入って私は窓の外を見る。マナカは木琴を叩いていた。

 

もし、海滝詠が海にいたなら……。

私達は今、どうしていたのだろうか。

彼と一緒に変わらずの関係でいただろうか。

私の初恋は実っていただろうか。

でも、どちらにしろ私は告白なんてできなかっただろう。

私は臆病だから。

 

それに彼が連絡をくれない理由。

掟とか、彼の事情とか、何かあるのだろうか。

今までどうして……?と考えていたけど。

それが明確に、形を持って、私には理解できる気がする。

考えても正解には辿り着かない。今は置いておこう。

 

それと他にも気になることができた。

 

「……ねぇ、古川さんが言ってたよね」

「ふぇ?」

 

突然、話題が変わってマナカが素っ頓狂な声を上げた。

私は構わず思い出していた。

古川さんが言ったこと。

私達に向けられた、彼女の軽蔑するような視線を。

 

『潮留詠、彼は元海の人間だよ。君達と同じね』

 

それだけ伝えると話は終わりというように彼女は詠を起こした。それからグループに誘って二人は仲良さげに会話をしていた。学校が終わるとバイトと言って教室を出て行ったため、本当に海の人間だったのか聞きそびれてしまった。私達の中に残ったのは一つの釈然としない疑問だった。

 

「……本当に詠は海の人間なのかな」

「うーん。少なくとも、エナを見たことはないよね」

 

そうだ。一度たりとも私達はエナを見ていない。どういうわけか詠の身体にエナを見たことは一度もないのだ。

 

「……でも、きっと、私の会いたいヨミとは違うんだろうな。髪の色もそうだし。姓もそうだし。本人は私のこと知らないみたいだし」

 

本当にそうだろうか。

髪の色も、姓も、変えられないことはない。

もし彼が海の人間なら、その可能性は十分にある。

でも、彼は初対面だと、そう断定した。

初めて会った時、今もそう、私に気づきもしない。

忘れているのか、別人なのか、前者だとしてそれは私には少しきつい現実だ。

 

ポクポクと木琴が鳴る。

その音が不意に止まった。

パタパタと駆けた音が訊こえたかと思うとマナカがウミウシを捕まえていた。

持ち上げて、こちらに見せてくる。それもお腹を。

 

「赤いウミウシ!」

 

お腹が赤いウミウシだった。確かウミウシには色々と言い伝えられていることがあって、海の女性は誰でも知っているおまじないがあるのだ。

 

「確か、誰にも言えない想いが永遠に続くものなら綺麗なガラス玉を吐いて、それが長く続かないものなら黒いの吐くんだよね」

「それに他にも嘘発見とかあったっけ。嘘吐いたら、黒い玉を吐くって」

「……もし誰か逢いたい人がいるのなら、逢わせてくれるって話もあるよね」

 

そう。私も昔、ヨミに会いたくてウミウシを探した。でも、やっとの思いで見つけたウミウシは私の願いを聞いてくれなかった。それが凄く悲しかったことを覚えている。

 

「ねぇ、マナカは木原君のこと好き?」

「ふぇっ!?」

 

恋話なんてマナカの口から出てくるとは思わず、私はそんなことを聞いてしまった。最近のマナカは木原君の影響を多大に受けているからか変な行動をとる。それが少し羨ましかった。

 

「ち、ちーちゃんこそ、潮留君のこと気になってるんじゃないの」

「それは……」

 

気になっていない、と言ったら嘘だ。

 

「「……その、友達としてね?」」

 

ポロン、とウミウシが何かを吐いた。黒い玉だ。

 

「「……」」

 

どちらの声に反応したのか。私とマナカはお互いに無言で見つめあった。そして、さっきの話をなかったことにして話を進めることにした。

 

「やめよう。この話は」

「う、うん、そうだね」

 

なんだか気まずいなって話題を変えようとする。

でも、ポツリと吐露するようにマナカが言う。

 

「……もし、さ。陸の人と付き合いたいって思って、キス……って私エッチだよね」

 

顔を真っ赤にしてマナカが振り向く。

そんなことないから、と私は続きを促した。

 

「それで、いつかは結婚したいと思って……子供も欲しくなって……そう思うことって悪いことなのかな」

「うーん。そんなことないと思うけど」

「……それにもう一つ気になるんだけど」

「他に?」

「追放された海の人との結婚はいいのかなって」

 

私も気づかなかったことだ。海を追放された人間と陸の人間、陸の人間がダメなら、元海の人間なら、そんな疑問を私は今まで抱いたことはなかった。当たり前という枠を知らないマナカだから、気づいたことなのかもしれない。私は少し、掟というものをそんなものだと受け止め始めているから、私にはマナカと同じ考えには至らなかったのだと思う。

 

「ひーくんも、ちーちゃんも、要も、アカリさんも、みんな好き。もちろん、優しくしてくれるクラスメイトも……どうして海の人達は陸の人と仲良くできないんだろう」

「少なくとも、古川さんって差別しない人なんだよね。割と話しかけてくるし。海の話とかしたがるし。やっぱり詠が海の人間だったっていうのが関係しているのかな」

 

その時だ。ガラッと音楽室の扉が開いた。

 

「帰るよ。チサキ、マナカ」

 

要と光の作戦会議とやらは終わったようだった。

 

 

 

 

 

 

翌日、作戦決行日。鴛大師の漁協事務所の建物の横の小さな山に私達はいた。なんでも光の話だと漁協の車に乗っていたらしく、こうして待ち伏せているわけだ。あとはあの人が出てくるのを待つだけ。そして、出て来たところを取っ捕まえる作戦らしい。果たして、それを作戦というのかは微妙なところだけど。

 

「ねぇ、本当にやるの?」

 

穏便に済ませてほしい私は光にそう聞いた。あくまで私達は光に付き合っているだけで、暴走したら止める立場にある。だけど、一発くらいなら殴ってもいいのではないか、と思う私もいる。事情が複雑なだけに私達が関与するような事でもないと思うけど。

 

「決まって–––って、あいつだ!」

 

光は漁協から目を逸らさなかった。そんな時、漁協から一台の車が出て行く。運転席には詠の家で見た写真の人物が乗っていて、何処かへと向かい軽トラックを走らせた。

 

「待ちやがれ!」

 

駆け出した光を私達が追い駆ける。漁協の前で一度停止して、光は悪態を吐いた。

 

「くそっ、逃げやがって!」

「えっと、会う約束はしたの……?」

「んなもんしてねぇに決まってんだろ。どこの誰かもしらねぇし!」

 

潮留さん家の潮留至さんです。とは、言えなかった。

 

光がキョロキョロと辺りを見回す。そして、漁協にあった自転車を見つけるとパクッ–––借りて来て車を追いかけ始めた。

 

「追いかけないと!」

「ちょっ、光!」

「ひーくん!」

 

置いてけぼりの私達はそれはもう必至に走った。海沿いの堤防を延々と。何処までも続くと思ったその道を。ただひたすら光が見えなくなっても走った。

無我夢中で追い駆けること一時間ほど、息も絶え絶えで虫の息の私達はまったく知らない場所に辿り着く。幸いにも海沿いをずっと走っただけだから帰り道に迷うことはないだろう。ほっとしたのも束の間、既に光は潮留至さんらしき人を押し倒している。それも誰とも知らぬ人の家の前で。

 

「なんとか言えってんだよ!」

「ぼ、僕は……」

 

見知らぬ人に押し倒されて動揺する男性。

なんだか気の弱そうな人、というのが第一印象。

ようやく二人のいる場所まで辿り着いたけど、結局、私は何をしに来たんだろうか。

この人については知っている。誰々の噂って程度だけど……。

でも、一応、止めるべきだろう。詠の話を……というか、流れで聞いてしまったけど、私達の関わっていい範囲というのは決まっている。最終的にどうするかは当人達次第なのだ。

 

「光、一旦落ち着いて!」

「ひーくんダメだよ!」

「ちょっとストップ」

 

走った後だから息を整えるのに時間を要した。されど、光は止まらない。こうなった光を止められるのは誰一人としていないのだ。

 

「光って……アカリの弟!?」

 

事情を察したのだろう。気まずげに顔を逸らす。できれば私もこの話は聞かなかったことにしたい気持ちでいっぱいだ。成り行きで巻き込まれただけなのだから。

 

「潮留、至さん……ですよね?」

「えっ、どうして僕の名を……?」

 

更に知りもしない私から名前を呼ばれて男性は驚いていた。できれば、人違いであってほしかった。

 

「あぁ、みんなアカリから……いや、詠君から聞いているのかな?」

 

押し倒されたまま勝手に納得する至さん。

その押し倒した張本人がくるっと矛先を変えた。

 

「おい、なんでこいつの名前知ってんだよ!」

「えっと……一応、その人は詠の叔父さんらしいから」

「あぁ?あいつの身内かよ!って……ん?こいつは陸の人間で、あいつは元海のだろ?あぁもう意味わかんねー取り敢えずぶん殴る!」

 

話もせずに殴りかかるところが光らしいというかなんというか。

せめて、殴るのは話を全部聞いてからにしてほしい。

どうにかしようとして。

私はどうにか話題をすり替えようとした。

 

「そ、その……詠の叔父さんはなんでここに?」

「そ、それは、ミヲリに話があって……」

 

墓穴を掘った。

 

「は?ミヲリ?誰だよそれ」

「そ、それは……一応、僕の妻、というか……」

「……」

 

光がフリーズした。マナカも要も凍りついたように動かない。私達が何を追っていたのか、何に首を突っ込んだのか、ようやく理解したようだ。

 

「テメェ女がいながらアカリにも手ェ出したのか!」

「うっ。それは……」

 

ゴッ。という音が鈍く響いた。

光が詠の叔父さんを殴った音だ。

ガッ。という音が鈍く響いた。

光が詠の叔父さんを逆の手で殴った音だ。

 

 

 

周囲に民家の少ない海に鈍い音が響く。流石の私達も光の暴走を止められず、ただ呆然と光がマウントを取りながら成人男性を殴り続けるのを見ていた。

それが終わったのは、家の中から一人の小さな女の子が顔を出した時。

美海ちゃんだ。

 

「帰って。ママは会いたくないって。それにそんな煩いと渚お姉ちゃんが怖がるから、帰って。迷惑」

 

その時、ようやくそこが詠の家の前だと気づいた。




パターンを変えて主人公の家の前。
喧嘩を止めてくれる木原さんはいなかった。
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