好きな人を幸せにする能力【一話完結】   作:月兎耳のべる

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纏められなくてごめんなさい。長すぎちゃってごめんなさい。
次で終わりですが、出るまで、どうかごゆるりとお待ち下さいまし。




好きな人の幸せを継ぐ為に

 敵前逃亡しようとした兵士が居る、それもよりによって自分の隊の中にと聞いて駆けつけて見れば、そこに居たのは若い男性兵士。

 年は私より少し上くらいの、くすんだ色の軍服と胸に抱えた銃が余りにも似合わない以外特徴のない男――それが○○だった。

 

 何で自分がここに居るのか、どうして自分が地面に転がされたのか分かっていない、といった顔でこちらを見上げており、その見た目の滑稽さに向かう途中まで抱いていた怒りを忘れかけそうだった。

 

「あ、あーいや、違うんです。ちょっと初陣で気が動転してしまって、そのー……ね?」

 

 軍人に似つかわぬ板についた愛想笑いは私を困惑させるのには十分で。

 第一に私を見る目に驚愕の色が含まれているのがなんとも不可思議だった。

 

 測りかねた私は○○を確かめようと、挑発をしたものだ。

 躊躇う暇があったら情け容赦なく撃ちまくれ、など。やる気がない兵士を抱えている程余裕はない、など。街を捨てて逃げ出したお偉方と一緒に逃げてみるか。など。

 

 定型化しているとは言えこれらの煽り文句は戦場という非日常では心に響くものだ。

 さぁどんな反応を返す。反抗心を見せるか、それともはいはいと頷いて立ち去るのか。

 

「……………」

 

 ……まさかの沈黙で返してくるのは想定外だったわ。

 何観客目線でいるのよ、あんた当事者なんですけど!?

 

「あ、すみません。なんというか貴方にお目見え出来た事が光栄すぎて言葉を失っていました。

 決して聞き逃していた訳では――ひぇっ!? ひぇっ!? ひぇぇっ!?」

 

 あ・な・た・だぁ!?

 仮にも軍隊で、一兵卒が上司に向かって貴方って……あんた本当何様よ!?

 

「あっぶな、それ当たったら足なんて簡単に吹っ飛ぶんですよ!? あんたに良識ってものはないのか!?」

 

 ここまでしたのにまだお客様気分なんて素敵過ぎる態度ね!?

 軍の規律すら守れないウジ虫に良識を問われるなんて世も末だわ。で、選びなさいよ。

 

「な、何を……?」

 

 この場で平身低頭して謝罪し、私の部隊で居残って粉骨砕身するか。

 この場で軍を辞めて、臆病者として街から脱出するか。

 ――あるいは、私に歯向かって撃ち殺されるか。

 

 わざとゆっくりと拳銃に次弾を装填する様を見せつけ、銃口を向けてやる。

 もちろん殺すつもりは毛頭ないが、先程と違って自分がペースを握っているという状況が私を高揚させる。あいつはわたわたと慌てるだけで何も出来ていないのが見てて楽しかった。

 カウントを取ってあいつを追い詰め、0を口ずさもうとした時――、

 

「はい、そこまでだよミスト」

 

 馴染みある声と共に私の愛銃が掴まれ、銃口がそいつから逸れた。

 私は内心の思いを隠しながらも不機嫌そうな声で、唯一無二の親友である彼女に聞く。

 

 ……どういうつもり?

 

「どういうつもりも何も、味方を味方が傷つけるのは不毛だろうに」

 

 これはうちの部隊の方針なの、放っておいて頂戴。

 

「あっはっは、少なくともアタシの眼の前ではそれは控えてくれないとね。大体この子、多分戦場は初めてだろ? だとしたら逃げたくなるのも仕方ないさ」

 

 睨みつけても唯一無二の親友、アリア=ディオルドは飄々と返すだけ。

 エスカレートしたこの場を収めるには彼女の仲裁はベストだ。

 体のいい落とし所を作り出してくれたアリアに内心で苦笑しながら、私は呟く。

 

 ……お人好しディオルド。

 

 皮肉めいた言葉に、アリアはにんまり笑顔を見せるだけ。

 本当に、彼女には敵いそうにない。

 

「なんとでも言いなよミストルティン。さって立てるかい新兵。いつまでもアタシらを見上げるのも辛いだろう?」

 

 

 

 この時に手を差し伸べたアリアに○○が向けていた表情。

 憧憬、感動、好意と愛情を多量に含んだその顔を、私は今でも鮮明に覚えている。

 

 子供のように純真で、大人にしては滑稽な、素敵とも愚かとも言える表情。

 アリアにだけ向けられ、私にはついぞ向けられなかったその表情は、○○のことを思い出すたびに、想起させられるものだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 次に○○と出会ったのはその翌日の事だった。

 部隊長だけに割り当てられた個室、そこに押し入ってきたかと思えば、開口一番言ったのだ。

 

「故にディオルド様の幸せのために俺はこの軍で尽くします」

 

 一夜明けたらあの間抜け面晒した新兵が、殉教者のような狂気を孕んだ神兵になっていたなんて。率直に言って気持ちの悪い変わりようだった。

 

「願わくばディオルドの部隊に所属したいけど、俺のステータスは多分近接じゃなくて遠距離ビルドだろうからなぁ。遠く離れても彼女が救えるように頑張るよ」

 

 うんうんと私にではなく自分に対して納得するように呟いてるけど、何なのよ私を怒らせたいの? そうなのよね?

 たまにアリアに助けられたり、見目の美しさや頼もしさに当てられてアリアの隣に並びたい、役立ちたいだなんて抜かす奴はいるが……大抵は口ばかりで実力が伴わないし、逆に迷惑しか起こさない。きっと○○もそうに違いないと、私は決めつけた。

 

 言うに事かいて、敵前逃亡しようとした弱っちいお前がアリアを救うなんて、おこがましいと思わないのかしら。

 

「勿論そんな事は分かっておりますサーイエッサー。こんなか弱い俺が出来ることなど微細な物。しかしながら俺という力でディオルド様を助けられるというのであれば全力を尽くす所存ですサー。最初は出来ずとも徐々に出来るように頑張りますサーイエッサー。エンヤコラ。チート能力とかもらってないけど頑張りますサー、エンヤトット」

 

 ……仮にも、上司に、ここまで、挑発的になれる存在だなんてトラブルメーカー以外の何物でもない!

 なら今から言う課題も余裕でクリア出来るわよねぇ!? 

 今から城壁周りを50周! しかもフル装備で日没までに! 

 こんなの熟練の狙撃兵ですらへばる距離だ。

 新兵のコイツなんて良いこと10周できれば上等――、

 

「サーイエッサー。ハードッコイショ」 

 

 ――だって言うのに最後まであいつは舐めた口のまま外を出ていった。

 

 最初はあいつが無理難題に逃げおおせたと思って追いかけて蜂の巣にしてやろうと思った。

 けど意外にも意外に、あいつは狙撃銃を構え、弾倉を携えたフル装備姿になって、本当に走り始めたではないか。

 

 でもどうせ10周……いや、5周でぶっ倒れてしまうんでしょう? 

 

 ……ほら遅い! そんな調子じゃ日が暮れるまでなんて到底無理よ!

 随分とちんたら走っているのね、ディオルドを守るんじゃなかったっけ?

 もう息が上がっているの? ほんっと呆れた決意だこと!

 

 私はいじわる軍曹まんまのやり口で、一周するたびにアイツに嘲笑の声をかけたが、○○は黙々と走るだけ。

 

 どこまで意地が張れるか見ものね、って思ってたけど、予想を裏切って○○は3周を過ぎ、5周を過ぎてもペースを変えずに走り続けている。

 予想したような結末にならなかった私は業を煮やし……残りは部下に監視を任せ、執務に戻った。ふん、つまらないの。

 

 

 

 ……あら。気付いたらお昼。

 あのウジ虫もいい加減へばって倒れてるでしょうね、どんな言い訳をするのか楽しみだわ。

 

 あら、丁度そこに。ねえあのウジ虫は? もうぶっ倒れてるんでしょ?

 それとも諦めて不貞腐れてる?

 

「み、ミストルティン隊長……いえ、それがその」

 

 ――はい?

 

 ……なんと、○○はまだ走っているとの事。現時点で27周。

 だがやはりペースは結構下がっているとのこと。

 しかし未だに弱音の一言も出していないらしい。

 

「口先だけの馬鹿かと思ってましたが……いや、新兵であそこまでの気力の持ち主は中々いないですねぇ。結構掘り出しモノかもしれませんぜ」

 

 …………。

 

「ただ、結構な消耗が見られますな。正直これ以上やらせるのも……隊長、そろそろ許してやってもよいのでは? 発言はともかくアイツの覚悟は本物です。なので……」

 

 ……なので、何? これで切り上げろって?

 冗談言わないで、私が命令したのは50周。それ以上でもそれ以下でもないわ。

 

「!? し、しかし、あいつにこれ以上やらせたら」

 

 命令は絶対よ! あんた、ちゃんとサボっていないか見張ってなさいよ!

 

 私は意固地になって部下に言い切り、また部屋に戻ってしまった。

 

 そりゃ……私とて頭では○○を見直してはいた。

 だがあんな舐めた口を聞かれたせいで素直に認められなかった。

 明らかに無理な課題ふっかけたっていうのに、ここで私が辞めたら……私が○○に折れたって思われるじゃないの。

 

 

 執務室で悶々しながら二時間、三時間、そうして四時間経過。

 

 

 待っていればきっと部下が「○○が限界を迎えて倒れた」なんて報告しに来ると思ったのに、全然来ることがないまま時間だけが過ぎていく。

 

 ……。ちょっと、気分転換しないとね。

 別に気になってる訳じゃないけど、気分転換は大事だし……なんて一人納得させながら城壁の上に向かったのだが……。

 

 

 あいつは、まだ走っていた。

 と言うより、もう体を引きずって移動するような感じで。

 すっかり真っ赤に染まった夕日の中、城壁の上をただ気力だけで移動していた。

 

 

 私は言葉を失った。

 売り言葉に買い言葉、明らかな無理難題なのにどうしてここまで出来るのか、理解に苦しんだ。

 あいつは本当に、本当にアリアを救う為にやっているとでも言うのだろうか。

 

「ミストルティン隊長。……お願いです、切り上げてあげてください。

 このままでは本当に命に関わります。それに……あれでは50周は無理だ」

 

 見守っていた部下が真剣な目をして私に言う。

 現時点で44周。日没まではあと僅か。どう見ても50周は無理だし、あいつは今にも糸が切れて倒れ込んでしまいそうな印象を受けたが……。

 

 ……………駄目よ。

 

「隊長!」

 

 駄目ったら駄目よ、私は、命令したの。50週って。途中で逃げることは許さないわ。

 

 私の声は少し震えていた。

 自分でもどうして、こんな判断を下したのか……その時は理由が分からなかった。

 でも今なら分かる。

 あの場で頷いて中断してしまうというのは○○の覚悟から逃げてしまう事で。

 それでいて○○の覚悟を踏みにじると同義だ、そんなこと……出来やしなかった。

 

 現時点で44周。日没まではあと僅か。

 だけど、それでも最後まで走ろうとする○○を、私はずっと見守った。

 もう嘲笑の声なんて、出せようもなかった。

 

 老人より歩きの遅い○○が、狙撃銃を抱えたまま移動し、途中で足がもつれて転んでは気力を持って起き上がり、よろよろと移動する。

 あまりにも見ていられない無様な姿。だけどそれが○○の決意なのであると思えば――目を反らすことは出来なかった。

 

 今日以上に日没を迎えるのが待ち遠しい日はなかっただろう。

 夜の帳が完全に降りたのを見計らって私は日没よ! と大声で言い放った。

 ○○もその言葉を聞いて悟ったのか、丁度45周目を迎えた途端その場に崩れ落ちた。

 私は小走りで彼の元へ走ってゆけば、○○はか細く口を開いた。

 

「……さ、さー……できませんでし、た……さぁ……」

 

 呆れた。あんだけ救うって言っておいて、日暮れまでに45周までしか出来ないなんて……ふん、身の程を知ったんだったらちゃんと私の言うことを聞きなさい。ウジ虫。

 

 今にも途切れそうなか細い声に対し、私の口から出たのは嘲笑の言葉。

 ほんと……この時ばかりは自分の性格を呪ったわ。

 

「……さーどっこいしょー……」

 

 でも○○は小憎たらしい態度のままそう言うと、気絶した。

 

 ……呆れた。少しは折れなさいよね。最後の最後まで舐めた態度を取るんだから。

 でもこの時だけはそんな態度が逆に清々しく思うくらいで。私は内心を隠しながら態度を変えずに部下に○○を兵舎まで運ばせたのだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 またそんな態度取って! ○○、あんたは城壁20周!!

 

「さーいえっさー、えんやこら」

 

 その後、晴れて一兵卒の身分になった○○だけど……何故か知らないけど私に対する態度が決して変わる事がなかった。

 何度私が上官だって示しても舐めた口調は変わらず、私はその度に怒り、○○に罰を出していった。

 

 誰がチビよ誰がッ!! あーもう、あんた今日はこの狙撃ノルマこなせなかったら一日飯が食べられると思わないでよッ!!

 

「さーいえっさー、どんとこい」

 

 だけど○○は課せられるタスクを、ノルマを淡々とこなしていった。

 腹が立つことに○○の才能はかなり秀でており、一を教えれば十とは言わないが五を理解し、一度言われた事もすぐさま習得するくらいには優秀だ。

 それでいてあいつは休む事がなく、自主的な努力すらも怠らなかった。

 

「○○よぉ、自業自得とは言えお前さん大丈夫か? いくらミストルティン隊長がああ言ったからって……」

 

「でぇじょうぶっす。隊長命令っていうんなら従うまででっす。仕方なくですけどね、ほんっと仕方なくですけどね」

 

「……お前、本当物好きだな。その口調さえ改めてしまえばこんな事にはならないっていうのに」

 

「ミスト隊長の事は尊敬してるっすよ、マジリスペクトっす」

 

 へーぇ、じゃあ尊敬する私の命令が更に上乗せになってもいいって訳よね? 武器庫の銃の清掃分解組立、寝るまでに全部やっておきなさいッ!!

 

「さーいえっさーい、はーチート持ってたらなー、すぐに終わるんだけどなー」

 

 厳しい情勢が続く中、才能の有無に関わらず○○のように兵士達は(態度以外は)日々備えるべきだと私が思うくらいには、あいつは模範的な兵士であった。

 だから○○の事は……まあ一定の評価はしてる。けど、やっぱり態度の事では評価しきれず、結局彼に辛く当たらざるをえなくなってしまう。しかしそれでいて○○はそんな私からの当たりを飄々と受け止めるものだから、それがまた私を不機嫌にさせてしまう。

 

 

 

「あぁ○○って……あの時の新兵ちゃんかい?」

 

 とある休日、偶然道すがら出会ったアリアを部屋に呼ぶと、私は○○の事を話していた。

 

 才能はあるんだけど、態度だけは改めない。

 言うことは聞くんだけど、言わないと勝手に動き過ぎる。

 努力は認めるんだけど、休むことを覚えない。

 

 そんな事をつらつらとお茶を飲みながら語っていると、何故かアリアは楽しそうに頷いていた。

 ……何よその顔?

 

「面白い奴が入ったもんだと思ってさ。いいねぇいいねぇ、そういう生きのいい新兵、あたしの所にも欲しいよ」

 

 他人事だと思って楽しそうにしてっ。

 私がどれだけ頭を悩ませてるかどうしたら伝わるのかしら。こうしたら伝わるっ?

 

「いひゃいいひゃい、つたわった、よーふつたわった。あたひのほっぺらはげんかいらって」

 

 ふんだ。アリアに相談して損しちゃったわ。

 

「おーいちち。あたしもなんとなく損した気分になってきたよ……ま、あれだ。あたしが思うに、○○にあんまり厳しくしすぎない方がいいと思うぜ?」

 

 ……なんでよ。私の威厳を損ねてもいいって事?

 ここで罰を緩めたら余計に付け上がるに決まってるじゃないの。

 

「聞いてる限りその新兵って今追い込まれてるって感じがするんだよなぁ。ミスト、あんたは何もしでかさないなら理不尽な罰を与えたりはしないだろう?」

 

 そりゃ、まあね。やることやらなかったら罰は与えるけど、意味もなく怒ったり当たり散らしたら下なんてついてこないわ。

 

「その通り。そして○○が入ってもう1ヶ月が経つんだ、そのルールに関しては熟知してる筈。だって言うのにわざわざ怒りを買って自ら不利益を被ってる。どう考えてもおかしいし、別にノータリンな訳でもないんだろ?」

 

 ……そう……ねぇ。まあ無駄に次言おうとする事を予測出来たりするし、言われたことが理解出来ないほどおつむが悪いとは思えないわね。

 

「だとすればだ。○○にはわざとミストの怒りを買う必要があったのかもしれないね」

 

 えぇぇ……それってようするに……ドM?

 

「うん。……いや違うって、引くなよ。あたしも一瞬それよぎったけどそういう事じゃないと思うしそうだったら嫌だ。私の想像だけどそいつはかなり自罰的になってるんじゃないかな。身近にある死の気配に参ってる、だから不安を打ち消す為に自分を痛めつける事を選んでる……とか」

 

 はぁ? ……えーっとつまり、何?

 自分を痛めつけてくれる口実を探して、わざと私を怒らせてるって言うこと?

 

「わっかんないけどね、今受けてる情報だけだとそう受け取れるってだけさ。前に別の隊でも似たような奴がいたよ、自分をひたすら卑下して、隙あらば訓練して体を痛めつけ続ける奴がさ」

 

 ……子供の頃のあんたみたいな奴って事。

 

「う。そ、その話は置いておいて……っつーことで、まあ、あれだ。またそういう態度を取ったら少しは大人な態度で流してあげてもいいんじゃないか? やりにくいって言うんならあたしの方からそれこそ声かけてやってもいいしさ」

 

 何よ、あたしが子供だって言いたい事? あんたより一つ年上なんだからね。

 

「ごめんごめんミストお姉ちゃ……ぁいったっ! 膝はやめろよなー!」

 

 ふん。まあでも……考えておくわ、ひょっとしたら頼むかも。

 あいつ、あんたの事で躍起になってたし、多分あんたの言葉が一番響くんでしょうね。

 

「……へ? あたし? 何でそこであたしが出てくる?」

 

 ふふっ、これが笑っちゃう話なんだけど、あいつと出会った次の日に私に出会ってなんて言ったと思う? 『アリアを幸せにするために軍に尽くします』って言ったのよ。

 

「は? ――………あたし、を? 幸せに?」

 

 そ。あんたをよ。

 私も最初はアリアの役に立とうとして我武者羅に頑張ってるんだーって思ったけど、話を聞くにあいつとアレ以来接触してなかったんでしょ? だったらやっぱり見せかけだけで戦争の空気にビビっているのが真実かもね。

 

「…………」

 

 アリア? ……ぷっ。何その顔、久しぶりに見たわ。

 

「……うぇっ、あっ、いや……ま、間違いじゃなくてか? よりによってあたしを?! 何かこう……何かこうー、その、な?」

 

 くく、ふふっ、ふふふふっ、あははははっ。

 大丈夫だってアリア、もしかしたら○○ったら未だにあんたの事を想ってるかもしれないじゃないっ。

 

「うーっ、み、ミストっ! あんまりからかうなよっ」

 

 この時、私はアリアの言うことをほとんど信じていた。

 確かに新兵というのは極端な傾向が出やすく、○○には自罰的傾向がくっきりと出てきた。

 彼なりの不安の現れだというのならば少しは優しくしてあげようか、なんて思って、後日アリアにそれとなく休むように言いくるめてよ。と、どぎまぎしている親友への悪戯も込めてお願いしたのだが――、

 

 

 

「他ならぬディオルド様の前だけ、俺は……いえ私はどこまでも傅きましょう」

 

「うおおいやめろって!? 何かむずむずするなぁ!? ミストみたいなノリで接してくれていいって、本当にさ。アタシとしてもそれが助かるっていうか」

 

 

 偶然、二人の出会いに出くわした私が見たのは、○○が見たことのない丁寧な口調でアリアを敬う姿であった。

 

 

「無理すんなって、夜も寝ずに訓練してんだろ? ミストが休めって言っても休まないつってたぞ? 何だかんだでアイツもお前さんの事心配なんだ。な? アタシの顔を立てると思って休んでくれよ」

 

「顔近っ、近いでっ、あっ、あっ、あっ! は、はいっ、わか、わかりましたっ!」

 

 

 アリアが語りかければ○○は非常に嬉しそうに。

 アリアが触れてくれば○○は頬を染めて恥ずかしがり。

 年頃の少年が憧れの女性に対して見せるような……そんな光景で。

 

 

「うっし、言質取ったぞ! じゃあお前は今から休みを取れ! ミストには言っておくからなー!」

 

「ディオルド様……ディオルド様の温もり……気安さ……そして仲間思い……と、尊い……。もうこれだけで俺は千年以上戦えそうだ……」

 

 

 嫉妬なんて湧きようもなかったが、決して私に対して見せることのない表情を見て浮かんだのは、ただただ()()であるという気持ち。

 

 ○○、あんたは本当にアリアの為に尽力しているっていうの?

 戦争の空気に充てられていっぱいいっぱいなだけじゃなかったの?

 そしてあんな態度が取れるなら――何故私にだけ邪険にするの?

 

 その光景を見て幼稚な感情が溢れそうになった私は……鼻を鳴らして足早にその場を去る事しか出来なかった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 時は過ぎ去り、○○が隊に入って半年が過ぎた。

 アリアとの接触以降、あいつはひたむきな自分の体虐めを控えるようになった。

 その代わり努力の質を向上させて、より効率のよい訓練や勉学に励むようになった。

 

 本人の努力気質、才能、そして別け隔てのない態度。

 更に共に戦場で背中を預け合い、命を賭して戦う事を繰り返せば――、

 

 

 何よ社長って! 罰としてあんたはこのビール樽全部飲み干しなさいよねッ! 隊長命令ッ!

 

「うわー、横暴だ~。こんな隊長が存在していいのか~。チート能力のない一般兵士にこんな事をさせるだなんて~」

 

「副長手伝いますぜ」「副長の罰は俺らの罰ですよ!」

 

 

 気付けば、あいつが同じ部隊の兵士らに囲まれて笑いあう姿があった。

 

 半年の間にあいつはメキメキと頭角を現し、狙撃の腕はあっという間に私に次ぐ物へと進化した上、肩書も一兵卒から副長へと変わっていた。

 ぽっと出の兵士が強固な絆でできた私の部隊で、半年後にいきなり副長に抜擢されるなんて通常ではありえないのだが……認めたくないが才能、技術、人望、判断力からして○○は逸材だ。

 部隊の他の面々からも反感少なく、彼は副長になってからも立派に職務を努めている。……認めたくないけどね。

 

 その理由の筆頭としてはやはり私への容赦のないタメ口と態度、これに尽きる。

 解せない事には何故かそれについては半年前に比べて更にひどくなっている始末だった。

 

「悪魔! 鬼畜! 無乳!!!」

 

 今も尚油断しているとこうして悪口が……あ゛? いまなんつったころすぞ。

 

「何も言ってません、大平原が見えますとか言ってませんサーイエッサー」

 

 本当はこんな舐めた態度を取る兵士が副長になるなんてありえないんだけどころす、とは言え戦場での活躍などを鑑みても○○は適任だうちころす、軍隊は年功序列よりかは成果主義だ。才能ある人が上に行くのは当然の話である逃げるな、○○は努力気質で才能もばっちしなのだ、一日たりとも欠かさずに努力を続けていたのだから妥当とも言えるそこにいろ。あいつが居る私達アリアドネ部隊は軍に多大な貢献を与えておりここのところは被害少なく連戦連勝だ。かざあなをあけてやる。

 

「あーあーあー!! ほらビールを飲みましょうお二方っ! 乾杯!!」

 

 ――……ふぅ。まったく。

 

 それに、今となっては○○のそんな舐めた態度は我々の部隊の日常に成り下がっており、○○のお蔭で張り詰めていた部隊の雰囲気も少し和やかになってきていた。

 私自身もこんな空気をどこか悪くないと思い始めているのでたちが悪い。絆されてはいけないというのに。

 

 

 そんな○○は従う立場から従える立場になった事によってどこか雰囲気が変わった気がする。

 何度も言うようだけど○○は努力家だ。出来ないことも何故出来ないかを理解した上で、出来るようになるまで努力する事を決して厭わない人物だ。

 

 部隊長の私の命令は当然だとして、○○は更にそこからサブプランやバックアッププランを毎度用意しており、部下達の仕事、ひいては軍の行動に支障が出ないように細心の注意を払ってくれている。まさしく至れりつくせりな献身ぶりを見せている。

 

 しかしながら○○が行軍中に、支障の出ない範囲でアリアの姿をスコープ越しに眺めているのを、私は知っている。

 

 ○○の努力は、彼の宣言通りほとんど全てがアリアに注がれていると言ってよい、のだろうか? ……当の本人が決してアリアと積極的に関わらず、今回のような遠くから眺めるだけといったストーカーじみた物になっているのは如何ともし難いのだが。

 

 本当に気持ち悪いやら焦れったいやら、少なくとも行軍中はいつもやめろと口酸っぱく言っている。けれどやめない。アリアを支えたいならもっと身近な存在になればいいのに。

 

「くそっ、あいつら正気か!? 崖の上から飛び降りてきやがったッ!!

 案の上……やっぱり狙いはディオルドか! 信号弾装填――ファイアッ!!」

 

 だけどアイツのそんなストーカーのような気質が粘り強い観察力をもたらし、ひいては敵軍の行動を機敏に察知してくれるので痛し痒しという所もある。

 先日も連戦連勝で浮かれていた所でまさかの崖上からの敵増援の奇襲があり、そんな行動にいち早く気付いたのが○○だった。

 

 

 教える立場から教えられる立場へ。

 支える立場から支えられる立場へ。

 

 

 一方的なギブだったのがギブとテイクの応酬に成り代わった時、○○は軍にとっても、アリアドネ部隊にとっても無くてはならない存在になっていた。

 

 勿論それは私にとっても変わらずで。

 気が付けば○○はアリアに次ぐ気軽に接せられる親友のような存在になっていた。

 

「おいおい、また隊長と副長が喧嘩してるぜ」

「喧嘩っていうよりかはいつものだろ? じゃれあい?」

 

「いいよな~お前らの所って仲良くてさ~、あたしの所みんな部下が敬語使うから親しみというものが少なくて……え? それが普通の軍隊だって? でもあたしが寂しいじゃんかよ~っ!」

 

 悪口や悪態を軽く交わしあう関係がどこか心地が良い。

 好みも性格もお互いに違うからこそか、毎日顔を合わせても飽きという物が来ない。

 それでいて戦場では互いに背中を預け、サポートをしあえるような対等な関係がある。

 

 何気ない事でもふと話せるような気軽さは、刺々しい戦場の日々では癒しそのものだった。

 

「ミスト~、前の事は謝るから怒るなって! 今度お酒奢るからさ、な!? それにお前も○○のことは認めてるって前言ってたのは本当の事だろ? ○○も伝えたら照れてたしきっと喜――ぁいったあっ!? なんで!?」

 

 まあ当然、そんな事本人に毛ほども伝えるつもりはないのだけど。

 だって……何か癪じゃない。今更そんな事面と向かって言うのも。

 

 

 その代わりと言ってはなんだが……私はこの頃から積極的に○○とアリアをくっつけようと躍起になり初めていた。

 だってそうでしょう? 一方的に懸想しているのに実る気配が全くないんだもの。半年たってもアリアが○○を意識するような発言なんて聞いたことがないし、奥手かつ受け身過ぎるのよアイツは。ひたむきな努力をずっと隣で見せつけられるこっちのことも、少しは考えて欲しいわ。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 ○○が副長になってから更に半年が経過した頃、急遽私は上から一通の伝書を受け取った。

 そこに書かれていたのは私らの軍に軍師が派遣されるという内容。

 

 今の今まで各部隊長ごとに方針を決めて戦っていたのだから、まあ一人や二人は居てもいいかもしれないがどうして今急に? というのが正直な感想だ。

 とは言え現状、連勝はしているものの薄氷の上の勝利を積み重ねているようなものだ。最近の敵はどうにも攻め一辺倒ではなく、知恵をつけたのか小癪な動きが多い。それでいてあの物量で攻めいってくるのだからこちらもたじたじだ。だからこそ派遣されて来たのかもしれない。

 

「――軍師ですか。はぁ。……って、あーもしかして……伝説の軍師の息子?」

 

 ○○は何故か軍師を雇うという事を知っていたようだ。

 

「い、いや、何となく隊内で噂になっていたんで。ちっこい子供が来たって話も」

 

 耳ざとい事だと思ったが、どうやら既にその軍師は到着していたらしい。

 幾ら何でも派遣が早すぎる! 行動が素早いことは結構だが……私はため息をついてしまう。

 そう、その肝心の軍師とやらは齢15になったばかりの子供。

 幾らあの伝説の軍師の息子とは言え、実践すらもロクに詰んでなさそうなガキを寄越すだなんて一体どういうつもりなのかしら。

 

「ミストも背丈はあんま変わらないじゃないっすk、へい降参です降参。

 銃口向けられて生きている心地がしないっす」

 

 ○○はまたふざけた事を抜かす。

 軍でも何でも、別の意志を介入させてすぐ馴染むかと言えば否だ。

 ただでさえ敵の攻めが熾烈になってきている以上、あやふやな指揮で味方に損害が出たら本当どうしてくれるつもりなのか。もしや私らの軍で実地教育でもさせる心づもりなのか? 本当に上の事が理解できない。

 だから上層部からの命令だから一応は従うけど、おかしな命令だったら従わない。軍師より私の命令を優先するように○○に伝えたのだが、

 

「いんや、大丈夫っすよミスト」

 

「あの子なら大丈夫です。きっと良いように導いてくれる筈」

 

 意外や意外。割と現実主義寄りの○○が、どうしてか軍師に対して肯定的であったのだ。

 ……どうして? こればかりは理解できない。会った事もないってのにそんな楽観的になれるものなの?

 

「だって主人公だから。正真正銘のチート持ちの」

 

 ……頭が痛くなりそうな根拠をありがとう。もう黙ってくれる?

 ○○のアリアへの純過ぎる行動も理解しがたいが、時折出てくる妄言は更に理解出来ない。

 主人公ってどういう事よ。「ちーと」ってなんなのよ。意味分かんないわよ。

 特に「ちーと」に関してはすぐに○○が口に出す言葉なので、聞くだけでうんざりしてくるわ。

 聞いた感じ後天的に得るズルみたいな力? っていう意味らしいけど……。

 

 

「は、はじめまして皆さん! こ、この度派遣された軍師……く、クリストって言います! きょ、今日から皆さんの指揮を取らせて頂きますので……よ、よろしくおねがいします!」

「あわせてはじめまして、幼馴染のミーナって言いますっ」

 

 とは言え、新たに派遣された軍師に対する私や皆の心配は杞憂に終わった。

 クリストと名乗った少年は見た目の初々しさとは裏腹に、○○が言った通り見た目からは想像出来ない程的確な指示を出せるツワモノで。来る前と来た後で明らかに私達の戦果が変わった。

 

「アリアドネ部隊、定位置についていますね? 30秒後に敵ミノタウロス軍団が奥から現れます。足を狙って行軍を遅らせてください」

 

「挟撃のチャンスです! 魔導部隊、英雄魔法を前衛全体にお願いします!」

 

「引き寄せてください、ギリギリまで……ギリギリまで……今ですっ!」

 

 犠牲は少なく、敵の被害はより甚大に。

 

 凄いのはまるで未来を見通しているかのように敵の狙いを正確に突き止める事だ。

 

「あ、そこ罠ありますから避けてください。ん……その先は待ち伏せありますよ」

「陽動部隊です。あれは本隊ではありません。多分丘向こうに本隊が……ビンゴです。ディオルドさん横から奇襲お願いします」

「大丈夫です。敵は攻撃してこない筈です。先に魔法攻撃で奇襲かけてくるので……やっぱり」

 

 などなど。私達狙撃部隊が全体俯瞰してもわからない内容を、地図と動向だけで理解してしまうのだ。それも今の所外した事がない。

 

 更に一見して訳が分からない指揮も、命令通りこなしてみると何故か敵の裏をかく作戦になっており、親の七光りという評価を瞬く間に払拭し、まさしく天才軍師の名を欲しいがままにしている。

 

「クリストさん、先程は見事な指揮でした」

 

「お兄ちゃんありがとう~、お蔭でミルモの隊もほとんど傷つかずにすんだ~」

 

「クリスクリス! うちらも助かったぜ、気付いたら挟み撃ちになってるなんて、すっげーなー!」

 

「ううん、こちらこそいきなり変な指揮をしたのに従ってくれてありがとう。信頼してくれたからこそ勝つことが出来たよ」

 

 更にクリストは15歳にしては小さな体型と少女のように目鼻の整った顔立ちを持ち、戦場とは180度違う心優しさが庇護欲を誘うのか、はたまた持ち前のカリスマのせいか……彼の周りには自然と人が集まるようになっていた。(特に女部隊長らは我先にとクリストに群がっている……)

 

「むぅ~~っ! クリスト、ほらデレデレしないのっ!」

 

「いたた、ミーナ痛いっ!?」

 

 彼の加入と同時に押し入るようについてきた彼の幼馴染、ミーナはクリストを日々サポートしながら、そんな群がる女性達に警戒のうなり声をあげている。見ていて非常に微笑ましい。

 

「……………」

 

 意外だったのは、そんなクリストを○○すら眺めていたという事。

 いつもはアリアにしか向けない視線を、何故か半目になって眺めていた。珍しいものだ。

 何よ、今度は天才モテモテ軍師様にご執心な訳?

 

「ちゃうわい」

 

 否定する○○。だけどその視線が未だにクリストに注がれているのは同性としての嫉妬故か。だとしたら面白くて笑えてしまう。

 とは言え少しでも他人に興味を持ってアリアだけを見つめるストーカー気質が治るというのなら良い事かもしれないが。

 

「ディオルド様は神。神を見ることは不敬なれど、気付けば視界に収めてしまうのは神故の力也」

 

 本気で言ってるの? 言ってるのよね……私は大げさにため息をつかざるを得なかった。

 分からないのは○○のその一貫したアリアへの献身は、まさしく神に対する無償の奉仕のようなものであって決して異性に対する物ではないという事。

 そんな事をされてアリアが喜ぶかと言えば絶対にNOだと言えるし、第一献身するだけして見返りを求めようとしないのはまったくもって理解出来ない。○○って実は元聖職者なのだろうか? それもカルト宗教の。

 

 私はもうなりふり構うのが嫌になって、○○をはっきりと焚きつける事にした。

 あんた、あの子が好きなんでしょ――ちょ、汚いわね! ビール噴出さないでよ!

 

「す、すすすす好きって……いや、そりゃ好きですよ!? だけど異性を好む的な奴っていうよりかは憧れの存在であって、俺がそういった目を向けるのは烏滸がましいっていうか……!!」

 

 そこにあったのは部隊に入って以来見たことがない程狼狽する○○の姿だった。

 はっ、ほら見たことか、こいつは自分の恋心を表面化させるのが恥ずかしくて神聖視と混同させて誤魔化しているのだ。まるで思春期のガキね……私はずい、と身を乗り出して更に畳み掛ける。

 

 だから何よ、あんたアリアの事をずーっと見てきたんなら分かるでしょ。あの子は普通の女の子よ、どこにでもいるね! 大体下僕、他の男がアリアに絡んでいくのを見て射殺さんとする程睨みつけてたじゃない! その感情が嫉妬じゃなかったら――もがっ!?

 

「だー! こ、声が大きいです声がー!!」

 

 私は驚く。テンパった○○が顔を近づけ、私の口元を手で押さえていたのだ。

 見てはいたけど触れたことのない大きくてゴツゴツした手。

 その手が唇に触れている、と認識した瞬間、心臓が高鳴り、私の顔は一瞬で熱くなり――どうしようもなく恥ずかしくなって○○の腹を殴っていた。

 

「げふっ!」

 

 何をしてんのよっ! と怒りにかまけそうになったけれども……周りに騒がれて注目されるのも嫌だったので、心を落ち着かせるために一旦ビールを口に含み、嚥下する。……ふぅっ。

 

 兎に角、その考えを改めてさっさと思いを告げてきなさいよ。このご稼業じゃいつ死ぬかも分からないのよ、後悔だけ残してくたばるなんて、死にきれないわよ。

 

 その言葉に流石に思う所があったのか、○○は急に神妙な顔をしだす。

 伺うように、さりとて問い詰めるかのように視線を合わせていれば、ふいっと○○から逸した。

 

「…………でもディオルドは」

 

 普段の彼の態度からは考えられない程気弱で、いじらしい発言。

 私はどうにもそれがおかしくて、自然と笑みを浮かべながら彼を励ましていた。本当、しょうがないんだから。

 

 ……なんてやってると、周りがにわかに騒がしくなったの気付いた。

 

「おー! 今日は大活躍だったなクリスト! いやーちっこいのにやるじゃねえか、ほら! お姉さんが抱っこしてやるぞ~~っ!」

 

 ディオルド自らクリストに絡みに行った瞬間、途端に○○は幼稚な嫉妬の目をクリストへ向け始めたのが分かった。

 大概の事はやれば出来るし、実行力もあるというのに……。アリアへ本心を伝えるとなるとホワイトラビットのように怯えるなんてね……情けないわ。

 しかし部下のメンタルのコントロールも部隊長の仕事ではあるけど、何で私は恋愛相談なんてやっているんだろう。……恋なんて、私こそしたこともないっていうのに。

 

「何か言ったか?」

 

 なんにもないと否定の言葉を吐き出すと、私はコップに残っていたビールを一気に飲み干した。

 ……何故か私の心臓は今もなお高鳴ったままだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 その日はずっと雨模様。

 部屋に飾ったスターチスが紫の花を萎れさせていたり、食堂で苦手なキューカンバー料理が出されたりと、どことなく悪いこと続きの日、私は最悪の事をしでかしてしまった。

 

 敵軍の使う幻惑の霧に惑わされて私は同士討ちをしてしまったのだ。

 しかもその相手はよりにもよってクリストの幼馴染であるミーナ。

 

 最初は魔物だと思ったクリストを瞬間的に撃とうとしてしまい、それを庇ったミーナが致命傷を負ってしまう。

 事の全てが理解出来たのは敵軍が掃討し終えた後の事で。

 脳裏によぎった違和感は一瞬にして絶望へと塗り替えられた。

 

 クリストを守る事が出来たミーナが笑顔をみせて倒れ込む姿。

 倒れ込んだミーナへと見たこと無いほどの悲痛な表情で走り寄るクリストの姿。

 ミーナを撃った私を見て驚愕の面持ちを見せる他の皆の姿。

 

 それらを認識してしまえば体からゆっくりと力が抜け、あれだけ部下に言いつけた「戦場では銃を手離すな」という事すら守れず、その場にへたりこんでしまった。

 

 それからは記憶が曖昧だ。

 

 皆が急いでヒーラーを呼んで、ミーナを必死に看病をしていたり、何か助ける方法がないかとてんやわんやと皆で考えを論じているのを尻目に、私は何故か城壁の上で立ちすくんでいた。

 

 頭の中を占めるのは後悔の気持ちのみ。

 

 どうしてあの術を見抜けなかった?

 どうして最後まで認識が解けなかった?

 どうして敵軍に誘導されてしまった?

 

 次々と浮かぶ「どうして?」という問いに対して、考えても考えても出てくる答えは全て自分が何もかも悪いのだという自虐的な物ばかり。

 冷静になって考えれば皆の小さな慢心と、想定以上の敵の策の綿密さがあの結果を招いたのだと分かるのだが、あの時の私にそれを気付ける冷静さはなかった。

 

 ふと空を見上げれば雨雲はすっかりと消え去り、美しい満月が私を照らしていた。

 ただ今の自分には満月すら腹立たしく思えてしまう。

 だって軽率で、愚かで……救いがたい私には余りにも似つかわしくないではないか。

 いっそ大雨が降り注ぎ、雷が私に落ちてくれればいいのに、と思ってしまう。

 

 そう、私は責任を取るべきなのだ。

 ミーナの代わりに私が傷つくべきだった、だから――と腰の拳銃に手を伸ばそうとしていた時だった。

 

「ミスト、ここに居たのか、みんな探してたぜ」

 

 背中から○○の声がかかった。

 

「別にあれはお前のせいじゃない。俺らは万全だった。

 だけど、それ以上に敵が上手だったんだ。それに――あの子はまだ生きている」

 

 平静を装ったのが丸見えのどこか息の切れたような声。

 私を慰めに来たのは分かる。分かるが、今の私には辛いだけだ。

 どうか放って欲しい、黙ってよと言っても、○○は無視して喋り続けるだけ。

 

「気に病むくらいなら前に進めっていったのはミストだろ? それに責任があるとしたらミストだけの問題じゃない、あんな事態を起こすまで静観していた俺にも責任がある」

 

 いっそ責めたてて欲しい、私のせいだと声高に叫んで欲しい。

 なのに○○の声色は優しくて。言葉のひとつひとつが心に突き刺さるように痛い。

 俺にも責任がある? いけしゃあしゃあと抜かさないで。アリアにしか興味のない貴方が一体何のつもりよ。

 

「それに、俺がミストだったら同じく撃ってただろうさ。だからミスト、こんな所に居ないで早く――」

 

 

 うるさいのよ馬鹿下僕ッ!! 

 ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと、いいから放っておきなさいよッ!!

 

 

 気付いたら私は叫んでいた。

 外聞なんて捨てて、心の底で燻っていた感情を○○に叩き付けていた。

 

 自分の軽率な行いが、このおろかな結果を招いた事を。

 自ら課した誓いを自ら蔑ろにしてしまった事を。

 そして、誰かの大切な人を……この手で亡き者にしてしまった事を。

 

 こんな愚かな女が、ミーナの代わりに死ぬべきだったのに!と叫んだ瞬間、私の体は温かい何かに包まれていた。

 

「そんな事を言うな。確かに、確かに撃ってない俺にはお前の気持ちは分からない。だけど、だけどだ……まだあの子は死んでいない。だからそんな気を病む必要はないんだ」

 

 すぐ傍で耳朶の打つ○○の言葉から自分が抱きすくめられているのだと理解してしまえば……全身から力が抜け。代わりに堰をきったかのように涙が溢れだす。

 ただそれだけなのに何故か心の中で安堵を覚えてしまう事が余りにも浅ましく感じてしまい、私は腕の中から脱出しようともがくし、叫ぶけど、○○は離してくれなかった。

 

「いーや、大丈夫だ。俺を信じろ、絶対に助かる。ま、まあ医者でもないけど……仕方ないから今だからこそ明かす。俺にはチートはないって言ってたあれ。あれは実は嘘だ。本当は俺には未来を見通す力があるんだ」

 

 そんな○○が口に出すのはまたも突拍子のない言葉で。

 その想像だにしない内容に私の思考が一瞬止まってしまう。

 

「その俺の未来視によれば、あの子は助かる。つい最近味方になった魔女『キキ・ドロウシー』が魔道具を使って、疑似心臓を作成してたんだよ。それを移植すれば、あら不思議。前より強くなった幼馴染が新登場だ……あ、信じてないな? いや、マジでこれだけは100%の確実さを誇るからな」

 

 その話はあんまりにも荒唐無稽で、馬鹿げた嘘としか思えない。

 慰めにしても嘘を織り交ぜても何の意味も成さないというのに……。

 ひょっとして私を馬鹿にしているのだろうか。耳障りの良い言葉で煙に巻こうとしてるのか。

 

「馬鹿になんてしてないね。俺は嘘はつくけど、ついていい嘘と良くない嘘はしっかり分別してるんだ――ほら、聞こえたか?」

 

 抵抗もやめて睨みつけるように○○を見上げても、そこにあるのは至極真面目な表情だけ。真意が読めずに困惑していた私だが……図ったかのように突如階下から歓声の声が聞こえてきたではないか。

 歓声? 一体どうして……? 直後私の脳裏に浮かぶのは奇跡の光景。でも、まさか……そんな事って、本当にありえるのか?

 

「行って見てこいって、そしてごめんなさいもしてこようぜミスト。そしたらきっと八方よしの結末になって……いってぇマジで突き飛ばしやがったな!? この野郎、今回だけは許してやる!!」

 

 私はいてもたっても居られずに彼を突き飛ばして階下へと急いでいった。

 階段を降り、時々転びそうになりながらも全力で足を運んでゆく。

 走れば走るほど仲間の喜びの声は近づいてゆき、すれ違う彼らは私を見て早く行ってあげろと囃し立てる。そして、とうとう私は人だかりを見つけ――その中心へと体をねじこみ、出会えた。

 

 

 喜びに涙を流すクリストと。

 そしてそんなクリストに微笑んで話かけるミーナに。

 

 

 ミーナは、○○の言う通り死んでいなかった。

 胸に包帯を巻いてはいるものの、しっかりとクリストと話せるまで、回復出来ていた。

 

 私は横たわるミーナの隣にへたりこみ、そして……遅れて湧いて出た激情に翻弄されるがままに、泣いた。泣きながら、ごめんなさい、と謝った。

 幼馴染のクリストに、傷つけたミーナに、そして迷惑をかけたみんなに何度も何度も謝った。

 

 

 ミーナは子供のように泣きじゃくる私をあやすように頭を撫でながら許してくれて、クリストもみんなもそんな私を非難することなく暖かく私達を見守ってくれた。

 

 

 

 人前でわんわん泣いて疲れ果てた私は、気付けば自室まで運ばれていたようで。

 翌日、なんとなしにみんなと顔を合わせずらくなったのは当然の帰結だった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 あの事件の後から私とミーナの仲はぐっと狭まった。

 最初はあれだけの事を仕出かしたのだ、どんな償いでもするわ。と伝えたのだが……。

 

「うーん……じゃあ……えっと、お友達になってくれたら許しますっ」

 

 まさかの発言にあまりにも拍子抜けしたのだけど、毎日のお見舞いの度に目一杯話に付き合っていれば意気投合してしまい……結果としてまた一人私の中で気兼ねなく話せる大事な友達が増えてしまった。

 

「あ、ミストちゃん今日も来てくれてありがと~っ、待ってたよ待ってたよ~」

 

 ちょっとあんまりはしゃぎ過ぎないの! 安静にしてなさいって!

 

「だってずーっと眠ってるのも退屈なんだもん、それに……すっごい元気有り余っちゃって!」

 

 有り余った元気でナイフ投げの練習するの止めなさいよ!?

 ちゃんと眠ってなさい怪我人っ!!

 

 絶対安静だったミーナがベッドの上で起き上がるどころかナイフ投げするくらいには回復したある日。

 紫色の長い髪を三つ編みにした彼女と何気なしに部隊の話をしていたら、気付けば話は○○の話にシフトしており。

 そう言えば焚き付けた○○にも感謝と謝罪を言おうと思ったけど、○○だからなんとなしに言い出しづらくて言えてないわ、なんて零したらミーナがぐぐっと食いついた。

 

「人は感謝しあって、協力しあって生きているんだから。親しい仲であってもきちんと言葉に出して感謝を告げないと駄目だよミストちゃん!」

 

 結果として叱られた。

 ぷんすこぷん、なんて言葉が似合いそうなくらい可愛い顔で、みっちりと叱られた。

 でもあんなふざけた奴なのよ? だなんて思いもあったのだけど……まあミーナの話には一理どころか十理ぐらいあるし、あいつの励ましも発破になったのも確かだ。やっぱり今度会ってあいつに……あいつに――

 

 途端に思い出すのはあの日の夜の事。

 城壁の上で抱きしめられた感触は、なぜか今もなお鮮烈に記憶に刻まれており、鍛えられてゴツゴツした逞しい体とあいつの匂いを想起してしまう。

 そんな想像が渦巻く中で二人だけであいつに会って、ごめんなさいとありがとう、って言うのだと思ってしまえば――もう、私は顔を赤らめるしかなく。

 

 急に瞬間沸騰した私を見たミーナは即座にピンと来たのかにんまり。

 

「……にゅふふ。そっかそっか~ミストちゃんってそうなんだ……大事な人にはきちんと言葉に出そうね? ミーナとの約束だよ♪」

 

 な、なな何よそのしたり顔、何が言いたいのかさっぱり分からないわ。

 

「んーん。なーんにも♪ でもあの人は強敵そうだね~、すっごい一途だし……でも大丈夫、アピールしてくれればきっと振り向いてくれるよミストちゃんっ! 私応援してるからっ!」

 

 はぁっ!? 別にそんなんじゃないわよ! 私は別に○○は副長としてよくやってるし、今後共良い関係を結びたいし、その、あいつのお蔭でなんとか立ち直れた節がなくもないからただ感謝とか謝罪とかもしっかりするだけよ、あくまでビジネスライクな関係っ、上司と部下っ、それで終わり! 本当にそれだけなんだからっ! それに知っての通りあいつはアリアしか見てないし、まあアリアも振り向く訳ないけどあんまりにも無様で見てらんないから仕方がなく手伝ってあげないといけないぐらいには情けない男なのよ、誰がそんなっ! そんな、ねっ!? 分かるでしょ!? まあ悪いところは9割9分占めてるけど1分くらいは良いところもあるし、別に認めてないって訳じゃないけど……でもやっぱり、

 

「うわーミストちゃんすっごい早口~」

 

 ミーナの生暖かい目線に耐えられなくなった私は対抗としてクリストの話を振って弄りまくると、向こうも同じくらい早口になって否定しつつも微妙にのろけ始めた。わかりやすいわ……。って実は私もミーナと同じくらい分かりやすいのかしら。……そうでないと良いんだけど……。

 

 

「う、うぅ……で、でもでもっ、ミストちゃん話は戻るけどちゃんと○○さんには感謝は伝えないとだよっ!」

 

 わ、分かってるわよ……でも、何かあいつにだけは恥ずかしいというか。

 

「もうっ、可愛い事言ってもだめ! 許しそうになったけどそれじゃだめだめ! 普通に何時ものように言うだけでいいんだから……でもどうしても言いにくいんだったら、まあ物を使うってのもありかもしれないけど」

 

 物?

 

「手紙で書いて渡すとか、○○さんが好きなものを渡したりとかね。面と向かって言う方が本当はいいんだけど、それでおじおじして言い出せない期間が伸びるんだったら、そっちの方がね」

 

 そう……そうね、それだったら良いかも。

 そう言えばつい最近出来たちょっと高めの美味しいお店知ってるし……それとなく招待してあげようかしら。

 

「おぉぉぉっ、ミストちゃん大人~っ、まさか雰囲気の良さそうな場所で面と向かって!?」

 

 最初から大人よ私はっ! べ、別にそんな事じゃなくて……ほら、アリアと○○が一緒に行けるようにお膳立てしてあげるだけよっ、それが一番○○が喜びそうだし。

 

「……え? えぇ、えぇぇぇ~~~、だ、駄目だよミストちゃんそれじゃ! ミストちゃんが居ないじゃないっ!」

 

 別に駄目じゃないのっ、第一○○が好きなのってアリアなんだから、それ関連ぐらいしかお礼になるものないでしょ、それに○○はアプローチはしないしまどろっこしすぎるからいい加減この辺りでさっさとくっついて欲しいのよ!

 

「だーめーだーよー!」

 

 その後は駄目だよ、駄目じゃないわよ、なんて言い合いをぎゃいのぎゃいのやって時間を理由に対立したまま席を立ち、そして私は宣言通り、○○とディオルドをその店へと誘うように仕向ける事にした。……へたれた? ち、違うわよ!

 

 

 

「美味しい店がある? そこに○○と行ってこいって?」

 

 案の定理由が分かっていないのかきょとんとするアリア。

 ほら見なさい○○、あんたの献身はアプローチ未満、やっぱりびしっと言わないと駄目なのよ。

 とは言え全容を私が言うのは憚れるので、理由としては○○のアリアに対する緊張がほぐれるように二人で飲んできなさい、とそれっぽい理由をつけてやる。

 

「あー、確かにな~。○○のあたしに対する敬いっぷりってなんつーか異常だよな! 分かる、あたしもよくそういう目で見られるけど○○は特に凄いっつーか? 常日頃キラキラした視線感じるくらいだし」

 

 ○○ぅ……ストーカーっぷりだけしかきっちり伝わってないじゃない……。

 

「でも折角だしみんなで親睦深めるために行くって言うのも手だよn……えっ、二人限定じゃないと駄目!? なんで!?」

 

 なんでも! 二人以外がいると途端に○○が本音で喋らなくなっちゃうかもじゃない!

 

「ふーん……まあ、ミストがいいって言うなら良いけど」

 

 

 

 

「――それでさぁ、あらしとミストはこの軍に拾われてミグルドのおっさんに恩返しするんだ~~って、息巻いて、死に物狂いで、剣を振り、銃を撃ちぃ、気付いたら結構偉い立場になれてたって事だよ。分かるかぁ○○ぅ、お前は才能がある、人間誰しも誰かに助けられてるんだ、だからなぁ……あ、お姉さんこのポークチョップ3つお代わりぃ!」

 

「はいっ、ディオルド様っ。あ。すみませんこっちはお冷を追加でお願いします」 

 

「えぇ~~、なんだよ○○~、もう飲めないって言うのか~? あたしの酒らぞ~?」

 

「す、すみませんディオルド様。不肖の身として大変申し訳無い限りですが自分のキャパは少ないようで、本当にすみません……あ、ほらディオルド様来ましたよ。おみ……お酒です」

 

「ミスト~~、○○があたしの酒につきあってくんない~、あ、○○お酒さんきゅ……あれ? これ何か薄」

 

「知ってますかディオルド様、美味しいお酒って水みたいにクリアらしいんですよ。ですからこの店は最高級のお酒を出してくれてるんですよ、いやぁミスト隊長のお陰ですね~」

 

「んお、……そうかぁぁ~、ならいいか~。あっはっは、今日もみんな無事でお酒が美味しいな~! それでどこまで話したっけ。あ、そうそう、あたしが軍で頑張ってる理由ぐらいだよな~。理由としてはだ、あたしは孤児だったんけどミグルドっていうおっさんに――」

 

「ほうほう、なるほど……いやぁ、ディオルド様の話は為になるなぁ。多分この話5回くらい聞くけど、その度に全く違う発見がある。ですよねぇミスト隊長」

 

 ……えぇそうね。素敵なお話ね。

 あんたとアリアだけで話していたらもっと素敵な話だったのにね。

 

「はっはっは、神とご対面するだけで心臓バクバクなのに隊長は俺の心臓を破裂させたいのかな?」

 

 だから神じゃないっての、あんたの目の前に居るのはどこからどう見ても女……じゃなくて場末のおっちゃんじゃないのよ。

 

「今ディオルド様をおっちゃんって言ったな! 次は法廷で会おう!」

 

「あんだよ何二人で盛り上がってんだよ~~っ、あたしの話が聞けないのかよ~~っ、寂しいじゃんかよ~~っ、○○お酒お代わり~~っ!」

 

「あ、はーい。お姉さんすみません、この御方に水を。コップじゃなくてもうジョッキでください」

 

 何故か私のお膳立ての○○とアリアの強制デートプランは破綻して、その代わりに私も含めた(巻き込まれた)ただの飲み会に成り果てていた。正直、○○のヘタれっぷりやアリアの鈍感力を舐めすぎていた。

 私はふてくされながらもそれならばと強制的に二人を意識させようとしたのだが、アリアは美味しい料理と美味しいお酒を早々にかっこみ、気付けば同じ過去話を延々と繰り返す壊れたレコードと化してしまい、○○はペースの早いアリアを延々と介護して話を聞き続けるだけという謎の状態に陥ってしまった。

 

 本当あんたって……いや、あんたらって。

 

「それだからなぁぁ~~、ミスト~~~っ、あたしは会った時からずっとミストの事大好きだからな~~~っ」

 

 あーーーもう、抱きつかないでってば~、はいはいっ、私も大好きよっ。大好きだから離れて、みんな見てるからっ! あと息がお酒くさいっ!

 

「うっ……尊い……尊すぎる……し、死にそう」

 

 はぁ!? 何なのよその反応!

 

「○○は死んじゃ駄目だっ、お前にはミストが居るんだろっ!?」

 

「ビンタありがとうございますっ!? ふわ、ふわわわわぁぁっ、だだだ、抱きつかれっ、俺抱きつかれてるっ!!?」

 

 ちょ、アリアあんた今なんて言った!? 聞き捨てならないこと今言ったわよね!?

 

「だって折角あたし以外の親友が増えたんだろ、だったら大事にしないと、大事にして……大事にしてやれよぉ、○○ぅっ!!」

 

「ミスト隊長……そうか、やっぱり友達少ないんですね。ほろり……はい、自分で良ければ良い友達でいましょうねっ、俺達ズッ友だよっ」

 

 あんたらぁぁぁぁぁっ!!

 

 

 ――結局、たった3人なのにまるでいつもの宴会以上に騒ぎまくってしまい、私らはその店に出禁にされかけてしまったのだった。本当、いろいろな意味で頭が痛い話になってしまった。

 

 

 

 § § § 

 

 

 

 また月日がぴょんと飛んで、季節は冬。

 場内の到るところに設置された焚き火を兵士が取り囲んで動かなくなる時期。

 

 私はその間もアリアと○○を焚き付けてる真似をしたり、ミーナとお互いに知りもしない恋愛まがいのトークをあーだこーだと押しつけあったり、喧嘩したり。ミーナを救ってくれたキキ・ドロウシーとそれなりに交流を続けたりとしていた。

 

 アリアと○○の仲は……少しは進展している。ただの友達の一下士官から、気の良い友達と言ったくらいには。

 ただ友達感が強すぎて恋愛面に全く傾きそうにないのが頭が痛い話だ。

 その間にも何故かアリアの方からクリストへとぐいぐいと距離を詰めていってる姿がよく見られている。○○……本当に危ないわよ、今のままだったら取られちゃうわよ? まああの子の方からアプローチなんて想像もできないし、ミーナという防衛壁がある以上、当分先の話にはなりそうだけど。

 

 そんなある日の事だ。

 私はせっせせっせと胡散臭い物を作り続けるキキの元へと新しい弾丸を貰いに言ったのだが、雑談の途中、彼女から面白い話が聞けた。

 

「ヒキキ……最近はディオルドが気付いたらクリストを抱っこしてるのを見る……ねぇ」

 

 両目を覆う長い髪、そしてそばかすにギザっ歯。不格好な程大きな魔女の帽子を載せた小柄なキキは、唐突にそんな事を言いだした。

 

 そうなのよね。事あるごとにクリストを褒めに行ったり、構えって言ったり……あの子にしては珍しいとは思うわ、まあ小さくて可愛い物に目がないからってのもあるかもだけど。

 

「親友がその分構わなくなって寂しかったり……するかい?」

 

 しないわよそんなの。あの子だって癒しは必要だし、そんな事口に出す程人間小さくないわよ。

 

「ヒキキ……私と同じで背は小さいのにねぇ」

 

 うっさい。大体そういう嫉妬をするのは○○くらいよ。

 あいつアリアが他の男と絡んでいくと、すーぐに睨みつける目になるんだから……。

 

「あぁ~~、確かに言われてみれば。可愛い反応だよねぇ、ヒキキ」

 

 本気で言ってる? 正気を疑うわ……あいつが子供だったらまだしも、大人がやっても気持ち悪いだけよ。というか手を動かしなさいよ手を。

 

「まじっくはんど君が後やってくれるからいいのさ、と言うかミストルティンもまだ○○の後押しをしてやってるのかい?」

 

 不肖不肖でね。まどるっこしくてありゃしないんだから、あいつったら本当に……。

 ……何よその目。

 

「いーやぁ、なんでもないよ。キミもそろそろ正直になっても良いんじゃないかなって思ってなんて、ないよ」

 

 は、はあ!? 私はいつでも自分に正直なんですけどっ!

 どういった考えでそう言ってるのかちっともわかんないんですけど!?

 

「はいはい、そうだったねぇそうだったねぇ。はい、これが新作の弾丸。名付けてヤドリギ弾だよ」

 

 ったく……。ん、ありがとね。

 これって貫通させるのは駄目なのよね。

 

「そうだね、この弾の本体は薬莢内部の種子だ、ちゃんと狙った所に固着させないと効果は発揮されないから注意だよ、といっても狙った所に百発百中のあんたには、いらない助言かもねぇ」

 

 あったり前よ。

 ま、これで再生持ち対策も出来るし戦力アップ出来るのはありがたいわ。後は数が用意できれば良いんだけど……。ちらり。

 

「素材がアレば作るさ、素材があればね。さてここからは魔女の助言だ、聞いていくかい?」

 

 ……えぇぇ。

 

「ヒキキ……肯定とも否定とも聞こえるねぇ、なら話しておくよ。『片道の支え、相互に勝らず』、だ」

 

 何よそれ?

 

「要するに、偏った支えだけでは人は真価を発揮できないって事。一人ぼっちで為せる事などたかが知れてるのは当然知ってるだろう? 人は支えられてこそ真価を発揮する。だが支える方向が一方通行では誰か一人の支えがなくなると全てが瓦解する。理想なのはお互いに、寄り添うように支え会う事さ」

 

 ……だから、そうなるように私はさっさとくっつけようと。

 

「結構な事だね、でもそれなら○○を支えるミストルティンは誰が支えるのさ? 私には○○はあんたにこそお似合いだと思うけどねぇ」

 

 ……ッ、よ、余計なお世話よっ! 馬鹿っ、馬鹿魔女っ!!

 

「ヒキキキッ、おー怖い怖い~、じゃあお詫びがてらついでの魔女の助言だ~、○○は今城壁の上に行ったみたいだねぇ~」

 

 

 私はわざと勢いよく扉を閉めてその場を後にする。

 本当に失礼してしまう。私が○○とお似合いだなんて侮辱、一体どこの口が抜かすのか。魔女にたぶらかされた気分だ。

 大体あいつは……○○はアリアのために全てを賭けているし、私にはちっとも振り向こうともしないし……本当、戯言だ。だから私の顔が熱いのも、間違いなく怒ったせいだ。

 

 でも気付いたら城壁の上に足が動いていたのは……自分でも分からなかった。

 

 何度も何度もからかわれただけだ、実は城壁の上にあいつは居なくて、それを怒ると「何だ、本当に確かめに行ったのかい、ヒキキ」なんて言われるだけだ。やめておこう、なんて思ったけど……足は止まらなくて。

 

 そして本当に○○を見つけてしまえば、直前に考えてることなんてすっかり忘れてしまう。

 あいつは、何故かいつもの狙撃銃を構えて城壁の外……ではなく内側を見ていた。あいつ……。

 

 ……あんたね。夜哨ならもっと夜哨らしい事しなさいよ。ガチ覗きじゃなくて。

 

「…………夜哨です」

 

 どこの世界に外じゃなくて中を見る夜哨がいるって言うのよ。

 私は文句をつけながらあいつの隣に座り込む。

 それでも○○は私に一度も視線を向けることはなくアリアを見続けているのが、どことなく微笑ましく、そして少し寂しく感じてしまう。

 

 ふとあいつの視線の先を見てみると、案の定そこにはアリアと……ん、クリスト? 二人っきりで何かを話しているのが見えた。一体何を話しているのかしら。

 

「『……アタシの夢は将来花屋を開くことなんだって、知ってたか? いや、知るわけないよな。っていうかさ、似合わないよな! こんなアタシが花屋を望むなんて……』って感じですね」

 

 本気でゾクっとした。何?ストーカー気質ここに極まれりなの? 読唇術?

 わざわざ裏声で声真似しなくていいから。

 

「俺の隠れたちーと能力です。というかディオルドの台詞ならそらで言えるわ」

 

 また訳の分からない事を。それにしても、○○の言うアリアの言葉が本当であればアリアは本当にクリストに心を開いているという事になる。

 花屋をやってみたい、だなんて台詞は私もずっと昔に聞いた言葉なのだ、恐らく○○ですら聞いたことないだろう。……ねぇ○○、このままじゃ本当にクリストに取られてしまうかもしれないわよ。

 

「…………」

 

 まごまごしてたらこうなるのも当たり前。今更しらばっくれたりしないで、早く好意を伝えろと私はせっつく。アリアも大概鈍感な子だ、きっと面と向かって言わなければ気付く事すらないかもしれない。

 ただ、意識させれば早いのには違いない。恋なんてする余裕のない日々を送っていたのだ。きっと思ったような結末になると保証しよう、何であれば私もサポートしてあげるから……などといつも以上に推してやった時の事だ。○○がその言葉を呟いたのは。

 

「ディオルド様が幸せなら俺は別にいいんだ」

 

 ……私は聞き間違いだと思って、もう一度聞く。

 今何を言ったのだと、そうしたら○○は今度こそこちらを向いて、はっきりと告げた。

 

「いいや違う。別にいいんだ、俺は二人の仲を応援する」

 

 それは何故かいつものヘタレた表情ではなく、真剣な表情で。

 私はその発言を聞いた瞬間、カっとなってしまう。

 意味がわからない、なら○○は何のために今まで頑張って来たというのだ、好きな人を幸せにするんじゃなかったのか。ならアリアと添い遂げて最後まで幸せにするのが筋じゃないのか。

 

「……言った筈だろミスト、俺はディオルド様を救うために軍に尽力するって。救うって事は彼女を幸せにするって事だ、ただ命があってよかったねで済ますだけじゃ駄目なんだ。

 クリストと結ばれる、それこそがディオルドの最上の幸せなんだ。だから俺は二人が結ばれるように全力で応援する」

 

 ――馬鹿にしている。馬鹿が極まりすぎている。

 

 クリストとアリアがくっつく事が最上の幸せになるだなんて、誰が決めたんだ。

 それはまるで○○ではアリアは幸せに出来ないって事ではないか。

 そんなおかしな話があってたまるものか、一人の為にどこまでも命を賭けられる○○がアリアを幸せにできないなんて嘘だ。私が認めないわ。大体、そんな事ではあんたが秘めていた気持ちは、どうなってしまうのよ。忘れてもいいって言うの!?

 

「いい」

 

 良くない! それでアリアが百歩譲って救われたとしても駄目じゃないのよ!

 

「何も駄目じゃない。いいか、俺はチート持ちだ。そのチートで好きな人を幸せにするっていう目標があるんだ、だったらそのチートを使う他ないだろう? そのチートで俺が好きな人を幸せにして何が悪いって言うんだ!」

 

 初めてみたアリアにかける○○の激情。そして本音と思われる発言。

 でもその内容はあまりにも歪で、あまりにも報われないものだった。

 

 "ちーと"を持っている? だから何なのだ。

 持っていたら絶対に救わなきゃいけないのか。神にでも救えと命令されたのか。

 アリアが幸せにして欲しいだなんて、願ったのか。

 アリアが幸せだったら自分はどうでもいいのか。

 それなら何で他人に嫉妬を剥き出しにするのだ。

 それなら何でそんなに辛そうな顔をするのか。

 それなら何で、それなら何で、それなら何で――――

 

 溢れる疑問が渦巻き、重なり――そして叫びとなって私の口から飛び出した。 

 

 いっつもいっつも二言目にはチートチートって……! 何がチートよ! そんなの持ってる持ってないは関係ないでしょ! それじゃアリアが幸せになったとしても……

 

 『――あんたは幸せになれないじゃないのッ!!』

 

 

 

 ――それなら何で、○○は少しでも私を見てくれないの!

 

 

 

「……ディオルド様の幸せは俺の幸せだ」

 

「これが完全な自己満なのは分かってる。だけど今更目標を変えることなんて出来やしない。もう帰れる場所もないんだ。だったら……俺は俺の使命を全うするだけだ」

 

 ○○は私の思いを、全てを受け止めて尚悲しそうに目を伏せると、その場を静かに立ち去っていった。

 目標を変えることができない? もう帰れる場所もない? あいつが一体、何を抱えているのかが分からず……私は声をかけることは出来ても、彼を止めることは決して出来なかった。

 

 

 

 § § § 

 

 

 雪が降りしきった後、まだ雪と寒さの残る初春。

 結局、翌日以降あの日の夜の事はお互いに触れることもなく、表面上だけはいつも通りの○○との日々が続いた。

 

 いつものように次の敵の大規模攻勢に備えて書類を整理していると、○○から密書を受け取る。

 魔王軍四天王ベオ・ウルフ絡みとなると慎重にならざるを得ないのだろう、本当かどうか定かではないが内通者が紛れ込んでいるという話もある。私は○○にねぎらいの言葉をかけて封を開けようとして、

 

「あ、いや開けるのは駄目! 何か戦況が膠着したら読めってさ! 今見てしまうと作戦の意味がなくなってしまうらしいよ?」

 

 途端に慌てる○○。何だからしくない態度だ。

 とは言えクリストの作戦は突飛な物も結構多い。作戦の意図が最初から伝えられないなんて事もあったし、でも何だかんだで最後には敵軍に壊滅的ダメージを与えるんだから、信頼感もある。私は○○の言葉を信じることにした。

 

 ……そして今更気付く。私が普通に○○と呼んでいた事を。

 今の今までウジ虫だのミジンコだのと呼んでいたのに、今となってはそう呼ぶ事すらなくなっていた……何故だろう、なんてすっとぼけても仕方ないか。間違いなく、私の心境の変化だろう。

 

「で、俺はその秘密作戦で別働隊として動くことになったんで、今回は別行動です」

 

 ふぅんベツコウドウね。ベツコウドウ……別行動ですって?

 はぁ、何でっ!? そんな事聞いてない! 秘密作戦でどうして副長を……よりによって私の副長を引き抜く事になる!? 越権行為が過ぎるでしょうに!

 すると怒りを顕にする私に○○は若干引きながらも、それでも申し訳なさそうに告げてきた。

 

「ごめん、それ俺が勝手に志願した。だからクリストを怒るのはやめてくれ」

 

 ――すっと、頭に登った熱が引いて、代わりに私の心に蒼い炎が灯った気がした。

 それは、一体どういう理由で。

 

「この秘密作戦がディオルド絡みだからです。どうしてもディオルドの役に立ちたいからです」 

 

 ………………。

 

 …………もう勝手にしろ、という気持ちしか生まれてこなかった。

 ○○はどうあがいてもアリアを敬い、尊ぶ事しか出来ないのだ。隣に立って幸せに出来る自信がないのに、献身だけ繰り返すのだ。

 自分でも底冷えするような声で○○を追い出し、私は机に突っ伏す。

 

 ――分からない。○○が考えていることが、何一つ。

 ずっとアリア一筋なのに、献身もやめないのに、あいつはアリアがクリストと付き合うことを良しとしている。

 最近なんかアリアが挙動不審になるくらいにクリストにお熱なのに、○○はかつて見せていた嫉妬すらやめてただ黙々と仕事をするだけ。

 神のようにアリアを崇めるのがあいつの本当の目的なの? 本当に? ……あーもう! もう、良いわよ……馬鹿○○。ふん、何よアリアアリアって、勝手にずーっと言ってなさいよ。ばーか。

 

 

 

 

 そして数日後。大規模侵攻がとうとう始まった。

 あの日以来、○○の姿は見えていないが宣言通り秘密作戦とやらを実行しているのだろう。部下たちも○○の姿が見えないことに疑問を抱いていたが、アリアを単身で幸せにする作戦を実行中よ、なんて言ってやったら「またか」みたいな感じで納得してくれた。本当呆れる。

 

 

 さて、私達は通達通りのスポットへと移動する。

 城壁前の小高い丘の上……ここは平原全景を見渡せる絶景の狙撃スポットであり、正直ここに陣取って入れば敵の行動なんて丸わかりに等しい。等しいのだが……。

 

「ミストルティン隊長……こりゃぁ……」

 

 部下のつぶやきに私も頷く。

 呆れたことに敵の作戦は……なんと物量作戦だった。

 玉石混交の低級魔物達がうじゃうじゃうじゃと、大地を埋め尽くさん限りに侵攻してきている。

 しかも指揮官なんて見た感じいないのではないのか? というくらいには統率が取れていない。

 

 いつもと違う侵攻。気を引き締めないとあっという間に飲み込まれてしまいそうだ。

 

 私は部下に激を飛ばし、そして命令を飛ばす。

 いつものように厄介な飛行部隊を落としまくれ、地上部隊の足がかりを作れと。

 

 ――そうして私の先制の一撃が先走っていたワイバーン達を5体まとめて撃ち落としたのと、地上部隊が雄叫びをあげて敵を屠り始めたのはほぼ同時の事だった。

 

 敵は低級魔物軍団。我々歴戦の勇士たちにとってはあまりにも脆すぎる。

 だが屠っても屠っても敵の数は尽きぬことなく補充されていくので、スタミナ面が先に切れかけるのは必須だ。

 その上大軍団の中から忘れた頃に大型魔法がこちらに目掛けて放たれる。わざわざ遠方から見分けがつかないようにゴブリンと同じ装いをしているのが、また姑息だ。

 まさかこういった戦術を取ってくるだなんて。

 

 戦闘が始まって少なくない時間でこちらにも少し被害状況が報告されてくる。

 

 そんな中、ついに我々は敵魔道士部隊を発見する。

 報告を受けた私はただちに厄介な魔道士を駆除しようと命じようとするが……その姿を確認した瞬間、私は狙撃を中止する。

 

 反射硬性膜だなんて、考えるじゃないの……!あれでは私達の狙撃が役に立たない。

 だが敵さんはひっきりなしに後ろから突撃しているので、押しつ押されつの状況で予想以上に魔道士が突出してしまっている。あれなら足の早い軍団なら叩ける筈。

 

「なーら、アタシの出番って訳だね。ミスト」

 

 そんな事を思った矢先に現れるのは、頼りになる大事な友人だった。

 いける? なんて聞いたら「愚問だね」だなんて返ってくるくらいには頼もしい存在だ。

 アリアは抱えていた黒いフルフェイスのヘルメットを被って、突撃の準備に備えるが……ふと、疑問に思ってしまう。○○はどこなのだ? 確かアリア絡みの作戦を実行中なのではないのか?

 

「○○? 変な質問をするもんだねミスト、○○はあんたの部隊だろ? ……んん~~~っ? 秘密、指令……? いんや、あたしは聞いたことないね」

 

 アリアはそんな話一度たりとも聞いたことがないという。私の違和感は更に膨れあがる。

 だとすれば一体○○は、今どこで何をしていると言うのだろう?

 顎に手をあてて考え込む私。だが考えは全く浮かばない。……アリアにすら言えない、アリア絡みの作戦? 考えづらいのだけれども……。

 

「ま、アタシは少なくとも○○の事は聞いてないよ。それに――」

 

 そんな私を尻目にアリアは愛用のウォーハンマーを担ぎ上げる。

 そのハンマーには既に紫電がまとわりついていた。

 

「いや、何。ミストがご執心の人をあたしの傍に置いたら、ミストに嫉妬されちゃうかもだろ? そんな事ぁしないさ! にひひひっ」

 

 そして私へといけしゃあしゃあと告げれば、かんらかんらと笑いながら敵部隊へと突貫していってしまった。こ、この馬鹿アリア~~~~~っ!!

 

 破竹の勢いで敵を屠って一直線に魔道士軍団に向かっていくアリア。魔道士軍団も気付いたのか進路を変えて逃げようとしており、森の方へと向かっている。あれじゃ殲滅も時間の問題だろう。

 

 怒りを落ち着かせようと一瞬部下をちらりと見れば、部下達が全員ニヤニヤしていたのが腹が立つ。

 殲滅ノルマとして一人あたり200体以上倒せなかったら地獄のフルレッスンだから覚悟するように、と言ったら全員表情を引きしめて狙撃を始めた。はぁ、本当○○が入ったせいで私の部隊はたるんでしまった……精度に強度は、どちらもよくなったけれども。

 

 そうして私は目の前の敵に集中しようと、○○の事は一旦忘れてしまう。

 忘れて、しまった。

 

 ――今でも、私はこの時の事を悔やみ続けている。

 ――私は決して覚えた違和感を放置するべきではなかった。

 ――だってもっと早く行動していれば……別の結末になっていたかもしれないのだから。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 愚かにも私が○○の現状を理解したのは、○○に言われたとおり戦況が膠着しだした時の事だった。

 律儀に開封のタイミングを守った私が見たのは……一枚の異動願いと、手紙であった。

 

『密書だとか嘘をついてごめんなさい。この手紙はもしもの時のための手紙です。

 もしもこの手紙が読まれて、かつ俺が生き残っていたらこの手紙の事でイジるのはやめてください。マジで泣きます』

 

 最初は何故こんなものが入っているのか理解出来ず。

 そして部下が狙撃を続ける中それを読み取ってゆく中で、手紙を掴む力が強くなってしまい、

 読み終わった瞬間、私は通信兵のもとへと走っていた。

 

『俺はこの世界の生まれではありません。そして変なことを言うようですが……俺はこの世界での出来事を『物語』として知っていました』

 

 通信兵の元へと辿り着けばひったくるように魔法球を奪い、クリストへと連絡をする。

 

「は、はいっ、クリストです。えっとどうしましたか?」

 

 クリスト、アリアは、ディオルドは今どこに!?

 

「あ、ご存知でしたか……はい、それがディオルドさんは魔導部隊を何としても仕留めようとして突出している現状で。とは言え、ディオルドさんの強さであればきっと」

 

 信じられない事だが現状は手紙に書かれていた戦況と瓜二つであり、それを理解したと同時に私の背に冷たい汗が伝った。

 

『その物語で俺はディオルド様の大ファンでした。圧倒的な強さと気さくさを見せる彼女の活躍が大好きで大好きで大好きで。でもその物語でディオルド様が死んでしまうという事を認めながらも認められない、そんなしがないただの1ファンでした』

 

 きっと!? きっとであの子を危険な目に晒していいの!? これは罠よクリスト、魔道部隊の退避場所の先を見て!

 

「え?! えぇっ、えっと……えっと……森の奥? 奥にあるのはえっと……け、ケリリル村……!?」

 

 あんた、村人達は避難させた!? 村人が敵軍の人質として利用されるかもってのは考慮したの!?

 

「っ!?」

 

 

『そう。ディオルド様は本来なら今日死にます。敵の魔術師部隊を追撃するために突出して、村で待ち構えている人質の子供を助けて。その子供に化けた魔物に騙し討ちを受け重傷を負った後、敵軍の追撃を受けて死んでしまいます』

 

 

 敵軍の狙いは私達全体じゃないわ……ディオルドよ! 強すぎるディオルドただ一人を狙っているのよ! あいつらアリアの優しさにつけこんで倒すつもりよ、きっと伏兵として精鋭部隊も居る筈だからすぐに増援を向かわせてっ!

 

「そ、そんなっ……く、えっと、今はあの人は、でも他に足の早い人がいないと……っ」

 

 ああぁもう遅いっ、私の方からアンリエッタに連絡するから! いいわね!

 

「ええっ!? ちょ、ちょっとミストルティンさん待っ」

 

 

 私は比較的すぐ近くで敵の殲滅を行っていたアンリエッタに連絡を行う。

 アリアがピンチになっている。敵の対アリア用のハイオーガ部隊が待ち構えている可能性大だと。

 アリアに○○以上に心酔しているアンリエッタは真偽すら問わずに「すぐに行きます」と二つ返事でうなずき、見紛うばかりの速さで森の奥へと突貫していった。

 

『だから俺はディオルド様を助けるという目標を達成するために、単身で動きます。敵の罠を尽く潰して、全部が全部裏目になるように動きます』

 

 そして私はと言えば一人で奮闘しているだろう○○を探しに行くため、部下に指示出ししてから単騎で森へと急いだ。

 馬を使い、馬が使えない場所なら乗り捨て、ワイヤーを使って森の奥へと急ぐ。

 痕跡は見えてこないが、主戦場を離れた森の奥からは確かに喧騒の声が聞こえてくる。

 アリアを狙う軍勢で間違いないだろう、だがそうなると○○は一体どこに居るというのだろうか? もうアリアの傍で共に戦っているというのか?

 

『本当は最初から協力を仰ごうかなと思ったけれども……ただの俺の我侭に付き合わせるのも気恥ずかしくて、あと到底信じられないだろうと思って言い出せませんでした』

 

 脳が酸素を求めて全身に苦痛を発する。

 だけど私はその信号を無視して森の中をひた走る。無駄に広い森の中を、樹上から目当ての存在を見つけようと、移動しながら目を凝らす。

 馬鹿で、分からず屋で……何もかも抱え込みたがる○○を、必死に探す。

 

『終わったら何もかも謝罪します。お許しくださいミストルティン』

 

 謝るくらいなら最初からやらないでよ。

 どうして頼ってくれなかったの、どうして私が力を貸すと思わなかったの。

 そんなに私達の関係は浅い物なの? そんなに私は力を貸すのに不十分だったの?

 

『そしてもしも俺がこの行動に失敗して死んだなら。……うーん、こんな事は本当は言いたくないですけど、一生のお願いです。急遽別地方の狙撃部隊に抜擢されて移動したと、言っておいてください』

 

 ふざけないで、何でそんな事書くのよ。

 あんたはアリアを幸せにするんでしょう? 中途半端に救って、それでずっとアリアを幸せになんて出来るわけがないでしょう。生きて帰らないと意味がないじゃないの。

 

『ディオルド様は今日の戦闘が終わったらクリストに想いを告白するというのも知っているからこそ、そんな最上の日を俺の事なんかで邪魔したくないのです。彼女には幸せになって欲しいんです。本当に。それくらい大好きなんです』

 

 自分勝手に生きないで。自分の世界に浸らないで。

 自分以外にもっと目を配って。自分が支えられている事を理解して。

 自分の事を蔑ろにしないで。自分が好かれている事を自覚して。

 

『ディオルド様と意中の仲になるのを諦めるくらいには、愛しているんです』

 

 それに何より――自分の幸せをもっと願ってよ。

 

 

 

 そして私は――甲高い1発の銃声が響き渡ったのを、耳にした。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 その光景に出くわして、悲鳴を抑える事が出来たのは奇跡だと言えよう。

 地面に両手を広げて仰向けに倒れこんだ○○は下半身がどこにも見当たらず。どこからどう見ても手遅れと言える状態だった。

 

 私は目の前の光景が信じられなくて、それでも○○が生きている事を信じたくて。

 よろよろとした足取りであいつの元へと辿り着くと、自然な動きであいつの頭を膝に載せていた。

 

「……軍規違反の○○、こんな所で何をしてるのかしら?」

 

 声をかければ、あいつはぱちくり、と目を開けて口を開く。

 

「あ……あ、えーっと……ミスト……さん?」

 

 喋らなくていい。あんたは怪我人なのだから、と動揺を隠しながら私は努めて平静に語りかける。

 それこそ鬱憤や○○へ募った思いを言うだけ言ってやるつもりだったのに、○○はまるでいつものように話しかけてくる。……本当、自分勝手な奴なんだから。

 

「そ、そういえばディオルド様は? ディオルド様はどうなった?」

 

 そんな○○の懸念は1に倒しきれなかったハイオーガ、そして2にアリアの事。

 分かり切っていたとは言え、自分の事なんて毛ほども考えてないなんて……ここまで想像通りだと笑えてしまう。

 ねぇ知ってる? あんた、もうすぐ死んじゃうのよ。こんな酷い怪我なのに……何でいつもどおりみたいに振る舞えるのよ。

 勿論、そんな事言える訳もなく……私はぐっと口を噛み締めて○○と会話を続ける。

 

「……うぐ、そう言われると弱いかもしれん。いやでも初志貫徹っていうか、俺は彼女を助けるために……」

 

「いや、本当……本当なんだって。実はミストがぬいぐるみ大好きなのも最初から知ってたし、幼馴染を撃っちゃう事も知って……」

 

「あ、あー……あの時はマジでごめんなさい。すっかり忘れていたんです」

 

 一言一言を紡ぎあう事も、今のあいつには重荷だ。

 体から刻一刻と体温が失われていくのが如実に感じられ、あいつの顔からも血の気が引いているのが見える。

 だと言うのに私には何もすることが無いのが口惜しく……それでいて○○との会話も、辞めたくはないのが救いようがなかった。

 

 何で私ったらこんな奴好きになったのかしら。

 

 気付けば意識すらせずに自然に言っていた。

 恥ずかしくて認められなかった、私の本当の気持ちを。

 すると死ぬ間際だって言うのに目をぱちくりとさせて、本当に驚いてます、といった表情の○○を見ることが出来た。

 

「す、好き……? って誰が誰を」

 

 私が、あんたの事をよ。どうせ気付いてなかったんでしょうけど

 

「……………」

 

 黙らないで喋りなさい、ちゃんと。気づかなかったからこっちから告白してやったわよ。

 

「………あ、はは。ははは」

 

 朴念仁。ほんっとどうしよーもない○○ね、私がいなかったら何も出来なかった癖に。

 

 うん、ここまで予想通りだといっそ清々しいわ。

 汗を流して困惑する○○を見れば私の口元が自然と緩み、私はようやく笑うことが出来た。

 

「……………はは、は……はは……あー……あ、あれ? 遠くで歓声が聞こえるなー?」

 

 言い訳すら思いつかない○○の苦し紛れの話題転換ね。

 本当、子供みたいな誤魔化し方なんだから、なんて思ったけど……私の耳もその声を捉えていた。

 見れば、木々の向こうで帰還中の我が部隊がおり……ん。アリアとクリストの姿? もしかして――もしかしてだけど。

 

 私は動けない○○を抱えあげ、その目元にスコープをあてがって、その光景を見せてあげた。

 本当なら狙撃手なら裸眼でも見える距離だけど、もう○○にはそれを見る力も残されていないのが、とても寂しく思えた。

 

「…………あたしは、これからずっと、くりすとの、そばに、いる。なんと、いおうとも。

 ……だから、よろしく……な、くりすと、だいすき、だぜ……」

 

 案の定、○○が予言した通りアリアはクリストに告白していたようだ。

 アリアはクリストに思いを告げ、本懐を遂げる事が出来たのだ。

 これこそが○○が目指したアリアの幸せの形。だから○○は涙をこぼしながら祝福していた。

 

「……そっか、でぃおるどさまは、こんなこくはくするんだ、な。

 はは、ははは……おめでとう、おめでとう…でぃおるど、さま……」

 

 だって言うのに、どちらかと言うと喜びの涙ではなく悔しみの涙にしか私には思えなかった。

 本当……悔しがるくらいなら最初っから添い遂げようとする意志を見せれば良かったのに。

 どうするのよ、私達二人共フラれちゃったのよ。

 そしてあんたはもう逝ってしまうのよ、酷いと思わないかしら○○。

 

「……だって……だって、かのじょはしあわせになれた、んだ……おれのちからで……」

 

 大の大人が泣きじゃくりながらそう告げる姿は、本当に子供のようにしか思えず。

 私は胸が締め付けられる思いをしながら、○○に言う。

 

  ――えぇそうね、あんたの力でアリアは幸せになったわ。誇りなさい○○、たとえ全世界の人が否定しようともあたしだけは絶対に認めてあげる……○○はアリアを救い、幸せにしたと。あんたがよく言う、ちーとって奴でね……。

 

「……ちーと……?」

 

 

 あんたが持ってる特殊な能力はきっと持って生まれた才能でも未来視でも、読唇術でもなんでもないわ……『好きな人を幸せにする能力』なのよ。きっとね。

 

 

 もう体力的にも限界なのだろう、今にも目を閉じそうな○○。

 彼は私の言葉を聞くと、小さく口に笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「………そっか……。いいのうりょく、もらった……な」

 

 

 

 

 ……『好きな人を幸せにする能力』、か。

 その『好きな人』に私が対象になっていたら良かったのに。

 

 そうしたら私の幸せを叶えてくれるために○○は生きてくれて。

 私が寂しくないようにずっと傍に居てくれて。

 またいつものように悪態をつきあう日常を送れた筈なのにな――

 

 私は程なくして眠ってしまった○○の頭を撫でながら、ぼんやりとそう考えていた。

 

 ○○の冷たくなりかけた顔を撫でるたびに、私の双眸から涙が溢れ、彼の顔へと零してしまう。

 本当はこの場で泣き叫びたかったけど……そうしたら幸せそうに眠った○○が起きてしまうのだと思ってしまい、私は小さく嗚咽を漏らす事しか出来なかった。

 

 

 ねぇ○○、頑張ったからいっぱい眠ってもいいけど……その代わりに早く起きてきてよ。

 まだまだあんたには言いたいこと、一杯あるんだから――

 

 

 ――でも意地悪な○○はずっと眠ったままで、目を覚ます事は決してなかった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 敵の罠を見破り敵残存勢力を狩り尽くした数日後。

 城壁では勝利を記念した大宴会が開かれることになった。

 敵四天王ベオウルフの雲霞の如き大軍団を損害少なく撃退したのだ。当然といえば当然だろう。

 

 先程から城内も街も賑やかで、早いところではフライング宴会を始めている部隊もあった。

 私はといえば……祝宴を素直に楽しめないのは明らかだったので、今回は体調不良で欠席すると事前に伝えておいた。

 

 今あんなに喜びはしゃぐみんなや、アリア、クリストを見たら……何をしでかすか分からないから。

 

 私は酷使した体も心も休ませるために、自室のベッドに身を投げ出して横たわるも……目を閉じればすぐにあの光景が目の内に溢れ出し、眠ることが出来ない。

 

 ただ布団の上で格闘した結果、時間はそこそこ経っていたようで。

 階下から響くどんちゃん騒ぎの音がこの部屋まで響いてきた所で、外に出ようと思い立った。

 

 向かう先は、いつもの城壁の上。

 何か辛いことや我慢できない事が会った時、また落ち着こうとした時はいつもこの場所で空を眺めていたものだ。

 

 幸いな事に今日は満点の星空に満月が見えていた綺麗な夜。

 肌寒い風が吹きすさんでいたけど、悶々とした頭を冷やすには丁度良かった。

 

 そう言えば……○○ともここで何度か会ったっけ。

 城壁マラソンだったり、私を励ましてくれた時だったり、はたまた○○の決意を聞けた時だったり……この城は、この場所は○○との思い出の宝庫なのだ、と昔を懐かしんでしまえば……頬を涙が伝っているのに気付く。

 

 片目を押さえ、涙を拭おうとしても今度は反対からぽろり、ぽろりと。

 拭っても押さえても涙は溢れ続け決して止まる様子はない。

 部屋でも、あの場所でも何度も泣いたのに……存外、私は泣き虫なのだな。と頭の中で冷静に断じながら、私は空を見上げて止まるのを待つ。

 

 私のこんな所を○○が見たら、どんな反応をしてくれるのかしら。

 またあの時のように真剣に慰めてくれるのかしらね、なんてぼーっと考えて、

 

「み~~~~~す~~~~~~と~~~~~~っ!!」

 

 わ、きゃぁっ!? 

 急に回転する私の視界。

 一体何が起こったのか理解も出来ず、されるがままに体を抱きかかえられ、すとんと降ろされれば……私の目の前には喜色満面のアリアが居た。

 どうしてこの場所がわかったんだろう、もしかして心配して探しに来てくれたのかしら。

 何であれ、○○の尽力のお蔭でアリアは今非常に幸せそうだった。それであるなら、○○の為にも祝福してあげないと……と思ったのだが、アリアの顔は急に心配そうな顔になる。

 

「……ミスト? あ、悪い。その、痛かったか……?」

 

 ……しまった。私は泣いていたんだ。

 なんとかごまかそうと涙を拭って取り繕うとするけど、今更遅かった。

 アリアは私の顔を見てすまなそうな表情を見せ、途端に何かに思い至ったのか、顔を近づけてきた。

 

 まさか。

 

「もしかして……ミスト、○○は――――」

 

 まさか、まさか、まさか。もう?

 やめて。アリアやめて。その先は言わないで。

 今それを言われたら、私は。私はきっと――――

 

 

 

「○○はお前の事をフったのか!?」

 

 

 

 けど、幸いな事にアリアの発想は私の予想外のものだった。

 待ち構えていた未来を外された途端、私の体から力が抜けてゆき、安堵が心を満たしていった。

 良かった。○○の行動が無駄にならなくて、これで○○の願いどおりアリアの幸せを――――あれ? 

 

 

 ――視界が、何で。何でまた涙が出てくるの。

 

 

 バレなくて、すんだのよ。

 ○○が死んでしまった事を知られなくて済んだのよ。

 アリアの幸せを続ける事が出来るのよ。

 何でも無いように装いなさいよ、アリアを祝福しなさいよ。

 

 違うのアリア、この涙は何でもなくて。

 

「……そっか。いや、そうだな。何でも無いよな。というか無神経な事を言ってごめん」

 

 別に気にしてない、あんたの幸せを邪魔したりしない。

 私はただ、あんたにおめでとうって言いたいの。

 私は……フラれた、けどっ、それでも……○○があんたの幸せを願った、だからっ。

 

「……ごめん。でもちゃんと思いは○○に言えたんだろう?」

 

 言え……言えたっ、言えたわ……言えたけど彼はっ、○○は。

 最後までずっと。あんたしか見ていなくてっ。

 私が伝えたい事は、まだあったのに。もうっ、伝えられなくて。

 

 堰を切って溢れる私の気持ちが、感情が、意味をなさない嗚咽として溢れ出す。

 ○○がもうどこにも居ない事が。最後まで○○が振り向いてくれなかった事が。

 皆が○○の死を知らない事が。アリアが幸せそうにしている事が、何よりも我慢できなくて。

 そしてそんな○○の奮闘を今後も私しか知りえない、知られてはいけない事が何よりも悲しくて。悲しくて。

 

「そっか……いや、なんて言ったらいいかもわかんないけど……何も言う資格もないけど……でも、よく頑張ったよミスト」

 

 頭の中でぐるぐると思いが巡る。

 咀嚼できない感情の波は洪水のように荒れ狂い、火がついたように私は泣いて。泣いて。泣いて。アリアの腕に優しく包まれながらも私は大声で泣き喚いた。

 

「うん……よく頑張った、よく頑張ったなミスト。一杯泣こう、飽きるまで泣こうよ」

 

 雲ひとつない美しい満月の下、好きな人が幸せにした人の傍で……私はどこまでも孤独な涙を流し続けた。

 

 

 

 

 

 

 ――――○○、私を一人にしないでよ。

 

 

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 小高い丘の崖の下、鬱蒼と生い茂る草木の中。

 小さく開けた場所には1本の狙撃銃が突き立っている。

 

 とある特殊な魔法樹の枝から作られたその銃は、その本来の姿に戻ろうと根を這わせ、小さな芽を生やして成長を続けているのが見えた。

 

「もう、虫がすぐに群がるんだから……」

 

 私は手に持った道具を使って新芽に群がる虫を払い、周りの雑草を取り払う。

 ここへは中々来れないが、大した時間も経っていないというのに刻一刻と成長を続けている。

 恐らく、1年も経てば狙撃銃は原型を失い、代わりに小さな木へと成る事だろう。

 

「……これで、よし。と」

 

 あいつの居場所を綺麗にしてやると、私はその銃の前に座り込んでじっとそれを眺める。

 まだ肌寒い風が吹く初春。風に揺られて、小さな新芽が揺れてるのが見えた。

 

 

「…………」

 

 言葉はない。語りかけることもない。

 けど、そのまま目を閉じてゆけば、何となくだけど○○が私に語りかけて来てくれる気がする。

 多分、話すとしてもアリアの話で、私に怒られるのを恐れて謝罪から始まるんだろうけど。

 

 

 今でもあいつの死を語るか、語るまいかを迷っている。

 でも迷った時にはここに来る。するとあいつの意志を尊重しよう、なんて気持ちになる。

 

 恐らく、アイツならそんなの守らなくてもいい! と焦りながら言ってくれるだろう。

 でも「好きな人を幸せにする能力」という言葉は他ならぬ私が伝えたんだ。

 ○○の努力を……献身を嘘にしないためにも、私はその能力を本物にし続けないといけない。アリアを幸せにさせ続けないといけない。それが、他ならぬあいつの願いであるなら。

 

 

「…………ね、そうよね○○」

 

 

 

 好きな人の幸せを継ぐ為に。

 

 

 

 一陣の風が、新芽を儚げに揺らしたのを見届けると、私はその場を立ち去った。

 

 

 


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