ダンジョンでコミュを築くのは間違っているだろうか 作:FNBW
□
二日目の朝。
教会の地下室で寝泊まりしているのだが寝心地は悪くなかった。
夏場でも地下は涼しいらしいので年中ここで過ごしても不自由がないだろう。
夜に神ヘスティアから恩恵を賜ったのだが、ステイタスに書かれた内容を見るとどうしてもゲーム感覚になってしまうのは仕方がないと思う。
スキルから下の欄に明らかに消したような跡があるが問い詰めてもヘスティアは教えてくれなかった。
ベルも同じようなことがあったらしい。単純にすごい規模の書き間違いをしているだけかもしれない。
それはさておき、早速借金返済といきたいが。
――で、借金はいくらなのか。
「まずは教会の立て直しに100万ヴァリスだね」
通貨が違う。高いのだろうか。
「うーん…50ヴァリスでご飯1食分だと分かりやすいかな? 酒場だともっと高いしおやつ類はそれなりに値段がするけど」
1食50ヴァリスか…場所によるが日本なら500から1000円くらいで成人男性の腹は満たせる。
大体1ヴァリス10円換算するか。となると1000万円相当だな。
この世界ではこの立て直しの値段は妥当なのだろうか。
いや、単純に食べ物が飽和しているか枯渇しているかで価値は違うだろうし、
建築に至っては車などがない分要する時間や人件費や材料費などが格段に高いかもしれない。
そこは追々考えるとして、今の稼ぎを考えよう。
白髪の…ベルと言ったか。彼の稼ぎはどのくらいだろうか。
「ベルでいいですよ、トロウさん。ええと、日によって変わりますけども、運が良いと1日5000ヴァリスは稼げます」
冒険初心者の俺が加わって同じ稼ぎが出せるか分からないが、二倍して1日1万ヴァリスとみると。100日ダンジョンに潜れば返せる。
それまでにどんな出費があるか分からないが、長く見積もっても半年で返済は完了できるだろう。
…借金の利子がなければ。
え、利子がない? 大家は天使なのか?
なんにせよ、稼ぐためにはダンジョンへ向かわなければならない。
「その前にギルドに冒険者登録をしましょう。そうしないと換金ができませんし。それに装備の支給もありますよ」
…戸籍や身分証がないのだが大丈夫だろうか。
「ファミリアに所属していますから大丈夫ですよ」
ファミリアが戸籍や身分の代わりになるのか。それは助かった。
すぐに抜けられない、逃げられないということがはっきりしてしまったが。
「行ってらっしゃい。気を付けてね!」
教会から出ていく前、ヘスティアが手を振っていた。あの歩く度に揺れる胸に慣れなくてはならないのか、精神衛生上よろしくないのだが。
□
冒険者登録をしよう。
場所は変わってギルドの受付。
途中から人の流れに沿って行く内に受付まで歩いて来れた。ベルを担当しているエイナという女性職員と対面した。
「こんにちは。ベル君から話は聞きました。ヘスティアファミリアの新しい団員ですね」
エイナという女性は耳が尖がっていた。エルフという種族なのだろうか。眼鏡も相まって理知的な印象がした。
「私はエイナ・チュール、彼に加えて貴方の担当をさせてもらいます。どうぞお見知りおきを」
ご丁寧にどうも、と握手をする。
「背、すごく高いですね。体つきも他の冒険者と遜色ないくらいに引き締まっていますし。ここに来る前は何かしていらしたのですか?」
とりあえず世辞に対して礼をしておく。
何をしていたか…どう答えるか。
異世界に対してヘスティアからは特に口止めされているわけではないが。
経験上立場の上の人間に目を付けられて良かったことなど一つもない。
嘘をつくのはバレた時に信用にかかわる。
これから何度も話す相手になるかもしれない、なるべく言葉を選んで無難に答えるしかない。
「…元用心棒、ですか…。転移魔法でここへ来た、と。自分で言っていて苦しいって思いません?」
オラリオのことを知らないくらいに遠くの国で用心棒をしていたと答えた。
彼女はあからさまに疑いの眼差しを向けたが、生憎嘘は一つも言っていない。
ベルたちのいる教会を破壊してしまったので借金返済を目的としてダンジョンに入る、と伝えた。
「私は神ではないので貴方が嘘を吐いているかどうかわかりませんが、嘘を吐くならもっとそれらしいことを言うとは思います。
とりあえずは納得しておきます。ここには様々な事情を持った冒険者も来ますので」
ため息を一つ吐いて彼女は手続きを始めた。
どうも、と頭を掻きながら短く相槌をうつ。
それからしばらくダンジョン内での注意事項や事務的な手続きを行った。
しかし自分は文字が書けなかった。読むこともできない。
日本語が通じていることがまずおかしいのだが。
「読みだけでも覚えた方が今後の為ですよ。戦うだけが冒険者ではありませんから」
この世界の字を書けないので代わりに書いてもらうことになった。文字の読み書きは要勉強だな。
声はどうなっているのだろうか。普通に日本語を話しているつもりだが、通じている。
まぁ通じているのだからどうでもいいか。
「今日はこれからどうされますか?」
もちろんダンジョンに入る。
と答えた瞬間、チュールさんが俺の手を掴んだ。ギリギリと締め付ける力が伝わってくる。
「なら、探索は1層だけにして! 最近、ベル君がどんどん下の階層へ降りてしまうんです! 絶対に止めて下さい!」
話を聞くと階層が下がればモンスターの強さも上がり、種類も増えるとか。
行ったきり帰って来ない冒険者をこれまで何度も見てきたらしい。
確かに、昨日まで言葉を交わしていた相手が死ぬのは辛い事だろう。
ベルのような子供が命の危険のあるダンジョンに潜ることも彼女にとって心配する事なのかもしれない。
面倒見がいい人だな。
「防具と武器は支給しますが、武器は何を使いますか?」
刃物は手入れが大変だ。打撃武器にしよう、棍棒とか。
「打撃武器ですね。えぇと……ありますね。メイスですけど」
仕立てする部屋に案内してもらい、実際に見させてもらうと先端に装飾の施された銀色のメイスがあった。黒いグリップが真新しい。鉄なのかどうかわからないが、まぁ金属なら同じだろう。
長さは1mくらい、メイスとして長いかどうかは知らないが鉄パイプと同じように使えるなら問題はない。
加えて言うならば左右対称ではない、これは作りの甘さからくるのだろうか。
既に先端が斜めに歪んでいる気がする。まぁ振るえば同じだ。
「二人とも近接なんですね。乱戦はなるべく避けるのと誤って味方を傷つけることのないよう注意して下さいね」
戦いには慣れている。チンピラらしい技術も何もないただの暴力だが実績(殺害経験)はある。
モンスター相手には勝手が違うだろうが。人よりも楽だろうか。
「回復手段はポーションです。飲んでも傷にかけても治ります。
他には効能の高いハイポーション、魔力を回復するマジックポーションがあります。
滅多に使いませんが万能薬のエリクサーもありますね」
瓶詰の液体を渡された。透明感はあるが水と違ってドロドロしている。
可能なら飲みたくない。かけて使おう。いや、かけたくもないなコレ。
「こんなところですかね。他にも知りたいことがあれば可能であればお教えします」
受付に戻り、全ての手続きが終わる。
ベルをこれ以上待たせるのは悪い、すぐに合流したい。
と、聞きたいことがあったのだった。ベルにも彼女に相談するべきだと勧められている。
「魔法…ですか?」
一つだけ恩恵を受けた時に発現しているが、使い方が分からない。
彼女なら何か力になってくれるだろうとベルは言った。
「…あまりこういう話はファミリア外部の人間に話すのは良くないことですよ。
まぁ…誰も詳しくないなら自分で調べるか聞くしかないですけど」
どうやらステイタス関係は口外すると碌なことにならないらしい。
ヘスティアからも口止めがあったがこちらとしても全部を話すつもりはない。
チュールさんは腕を組んで思考を巡らせ考え込んでいる。
「詠唱式を口に出せば発動するのではないですか?」
詠唱式が空欄だ。
「……レアな魔法の可能性が高いのでぜっったいに口外しないで下さいね」
半眼になって彼女は念を押した。
「そうですね…条件を満たせば発動する魔法なのかもしれませんね」
首を傾げる。
「自分に危険が降りかかった時やモンスターと対峙した時など、何かが引き金になり発動するということです」
使いにくそうだ。
「まぁ、貴方は体格もいいですし、最初は近接のみで戦ってその魔法はダンジョンに慣れてから考えてみるのもいいのでは?」
確かにそうだ。命の奪い合いに付け焼き刃で挑むのはリスクが高すぎる。
防具とメイスを持ってギルドを出た。
その後、外で待っていたベルと合流、教会地下で着替えてダンジョンの中に入るのは昼を過ぎていた。
□
上層、第一階層。
1層は一見するとただの洞窟だった。
普通と違うところはライトなど光がなくてもある程度の距離ならば見渡すことができることだろうか。全体的に薄青い洞窟だ。
周りを見回しながらベルの後に続く。
ベルは今にも鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌だ。
何かいいことでもあったのだろうか。
「初めてパーティを組んでダンジョンに潜ってるんです。一人の時よりもわくわくします!」
そういうことか。
今までベルはたった一人で戦ってきたんだな、と彼の胆力を感心した。
どうしてベルは
「小さい頃からおじいちゃんと二人で暮らしてきたんですけど。少し前にモンスターに襲われて亡くなったんです。
オラリオに来たのは一人じゃ生計を立てることが難しかったから…ですかね」
考えてみれば一人でこの都市に来ている時点で普通の境遇とは違うと気が付くべきだった。
気軽に聞くことではなかった、と反省する。
「いえいえ! 遅かれ早かれ、団員であるトロウさんには話すつもりでしたし!」
それに、とベルは慌てたように言葉を続ける。
「ここには出会いを求めて来たんです。
昔からおじいちゃんから英雄のお話を聞いたりして、たくさんの英雄が生まれるこの都市に興味を持ったのと、女の子と出会ったり仲良くなりたかったりして…不純ですよね」
嫌々戦ってるよりも自分が望むから戦うというのはある意味理想的だとすら思うが。
もちろん、その欲望を表に出したらチャラ男と何ら変わらないが。肝心なのは節度だ。
年齢的にも見た目的にもベルならばまだ表に出してもセーフだろう。
それとは別に気になったことがあった。
出会い。
塔の正位置、運命の輪の正位置。
あの老人が言っていた。大きな災いと出会い。
もしかすると出会いとはベルとヘスティアのことだったのではなかろうか。
なら災いは一体何だろうか。
「それにこれもおじいちゃん譲りなんですけど、僕は英雄になりたいんです。
昔話や伝説にあるような、立派で格好いい英雄たち。昔はただの憧れだったんですけど。僕はそれになりたい」
子供の言うような絵の描いたヒーローのお話。
ベルの目は真剣だった。
「もしもあの時、僕に力があればおじいちゃんは死ななかった。家族を失った喪失感が、ぽっかり胸に空いたこの気持ちがたまらなく怖い」
俺には家族というものが元々いなかった。彼の言っていることを共感することはできないだろう。
しかし、彼の顔はどこまでも真面目で真剣だった。
言ってからベルは顔を少し赤くした。自分の言葉を思い出して恥ずかしがっているようだ。
「あ、トロウさんのお話、聞いてもいいですか? 二ホンという異世界の話、すごく面白そうだったので」
自分の話はそこまで明るいものではないが、と前置きをしてできるだけ彼が楽しみそうな話を詳細をぼかして話した。
戦いで10人を相手にして拳一つで倒したと言ったが、実際はビルを爆破したので使ったのは爆弾と指先一つで起動できるボタンである。
話をするとベルは目を輝かせるように聞いていた。面白い話ではないと思うが。彼にとっては価値があるのだろう。
新鮮だとは思う。
「トロウさんはここに来る前は何をしていたんですか?」
そういう言葉が出るのは仕方のない事だった。
どう言うべきか。
借金の取り立て、殺し、殺しの隠蔽、交渉。主にやっていたのはそれくらいだ。
犯罪者でした、とは言いたくない。
「……あ、別に言いにくいなら大丈夫ですよ?」
言いにくいことを察したのか、ベルは頭を掻いてそう言った。
>>自分だけ言わないのは、フェアじゃない。
考えた末に自分が孤児だったことを打ち明けた。孤児院でも孤立していたが。
なるべく無難なことをベルに話した。
孤児院では不自由はなかったが、あまり勉強ができず、大人になって働ける場所が限られていたということ。
後ろ暗い仕事をしていたということ。
すぐにベルは謝ったが、お相子だと背中を叩いた。
「おかしいな」
それからしばらくして、ベルがそんなことを呟いた。
見れば周りを見回している。
釣られて辺りを見るが誰もいないし何もない。
「モンスターが出て来ないんです。珍しいな」
そういえばここはダンジョンの第一階層だ。ベル曰く、ゴブリンやコボルトが徘徊しているらしいがまだ出くわしていない。
普段と違うことなのだろうか。
「はい。あ、そういえばダンジョンに入る前に商人さんたちがモンスターフィリアがどうとか言っていたような」
少し違うような気もするが、要は祭だ。
そのせいでモンスターが少ないのかもしれない。
関係はわからないが。
「どうします? 2層ならいるかもしれませんけど」
自分がどこまでやれるのか知りたい。チンピラになりたての頃を思い出して懐かしい気持ちになった。
「種類は増えますが群れで来ることは少ない階層ですし、二人なら対処できると思います」
チュールさんには申し訳ないが、出て来ないモンスターが悪いのだ。
と、下の階層に向かおうと足を進めていると下の階層から団体が昇ってきた。
見ればモンスターを檻に入れて運んでいる最中らしく檻の中にいるモンスターが何匹も見えた。
象のマークを付けた服を着ている男性たちはこちらを一瞥すると遠くから話しかけてきた。
「おーい! 今日はモンスターを輸送しているから他の冒険者にモンスターの沸き潰しを頼んでるんだ。今日はあまりモンスターが出てこないと思うぞ!」
「そうなんですかー! わざわざありがとうございます!」
「モンスターフィリアを楽しみにしてくれよー!」
ベルが手を振って応対した。
…気のせいだろうか。
檻の中のモンスターたちがこちらを見つめている気がしてならない。
一匹ではなくすべてのモンスターからの視線。
表情が分からない、それは不気味さを助長させた。
団体を見送り、再び二人になった。
「…今日は帰りましょうか」
今は時期が悪いのか、モンスターフィリアというのは来週らしい。
「あっ! 夜に探索しませんか? 人の眠る時間ならモンスター輸送もしないでしょうし」
なるほど、それは良い。
地上へと踵を返し、再び歩き始めた。
夜になったらダンジョンへ、夜が更けたら帰るということで、祭が行われるまでの方針が決まった。
「神様は予定があって来れないんですけど、今日の夜に酒場で歓迎会をしてもいいですか? ちょっとお高い店ですけど味も量も保証できます」
そこまでしなくてもいい、金を使うのは抑えるべきだろう。
「飲み食いする余裕くらいならありますよ…嫌…ですか?」
嫌ではないが、と否定する。
「それに、ちょっと前にその店で問題起こしちゃって…どうしても謝りにいかないといけないんです。お金を渡すのとは別に、酒場なら礼儀として飲み食いしてお金を払いたいな、と」
客として礼を尽くしたいということだろうか。
□
場所は変わって、オラリオ西区。
時間は日が落ちてすぐ。夜はまだ肌寒く、道を行く人々の多くは着込んでいた。
西区はオラリオの住人の住居があるらしく、夜でも人の数が多い。
ベルと俺の二人は彼が世話になったという酒場に向かっていた。
ヘスティアファミリアの教会はオラリオの北西と西のメインストリートの間の区画にある。歩いて数分とその酒場は意外と近くにあるらしい。
夜になると街灯が付けられるのか、ある程度は明るくメインストリートはよく見まわすことができる半面、路地に入ると夜目が利かない限りは見えないくらいに暗かった。
夜に帰宅しても教会くらいなら真っ直ぐ帰れそうだ。
辺りを見回しながら歩いているとその酒場に着いたのかベルは足を止めた。
緊張しているのか、中々入ろうとしないベルを押して無理矢理中に入れた。後に続く。
酒場の中に入ると最初に飛び込んできたのは濃厚なアルコール臭だった。
咽かえるような酒の匂い。飲み屋特有の匂いだろう。
電球色の明かりが店全体を照らし、様々な客が円のテーブルやカウンターに座り各々の食事を楽しんでいる。
ちらりと見える料理には日本でもあるようなハンバーグやパスタなどがある。
見るからに美味しそうだ。
と、厨房のある奥の部屋から給仕の女性が出てきた。猫耳がついていた、思わず凝視する。
「いらっしゃいませニャ! ああぁ! あん時の食い逃げニャ! シルに貢がせるだけ貢がせといて役に立たニャくニャったらポイしていった、あん時のクソ白髪野郎ニャ!!」
「黙っていてください」
――ひどい言われようだ。
唾を飛ばしながらベルを罵倒するネコ女がエルフの少女に黙らされ(殴られ)、ベルと一緒に厨房へ消えていく。
ベルがお金を片手に頭を何度も下げているのが遠巻きに見えた。
入口にいては出入りする客に邪魔になる。カウンターに腰を下ろした。ベルの席も確保しておこう。
「見ない顔だな兄ちゃん、景気はどうだい?」
隣の席の男が話しかけてきた。
見れば酒が入っているのかかなり臭い。赤くなった鼻が如何にも酔っているように見えた。
ぼちぼちだな。
「はっはっは! 嘘をつくなよ、モンスターフィリアのせいで上層はモンスターがからっきしだ。景気良いはずねぇわな」
…知ってるなら聞くなよ、と本音が口に出かけるが酒で酔っている相手にあれこれ言うのは争いの元だ。
聞くのに徹する。
「大半の連中はアガリが良くねぇからか飲まなきゃやっていけねぇ。
この店は高いが飯は美味いし給仕のねぇちゃんは可愛いし良い事ばかりだ。まぁ高いから懐が寒い奴は来ねぇが」
景気が悪いのか。確かにモンスターの中にある魔石を換金して金を稼いでいるのならば、モンスター自体がいなければ稼ぎは減る。当然の帰結だ。
上層だけなら中層以降に行けるレベル2以降の冒険者なら問題はないのだが。
この中年はレベル2なのだろうか。手や顔にある傷から何度もダンジョンに潜っている熟練者かと見受けられる。
自分がレベル2になるのは何年先になるだろうか。
借金さえなくなれば自由になる、どうするかはまだ考えても仕方がない。
「あとは尻の一つや二つ触らせてくれりゃ、文句はないんだがなぁ」
げっへっへ、とおっさんは笑う。
「へぇ、そいつは良い事を聞いた」
正面から声が降って来た。
前を見ると腕を組んだ女性が立っていた。女性にしては大きい、これがドワーフという種族だろうか。
「げ、ミアさん」
一瞬にしておっさんの顔が赤から青に変わった。否、鼻は赤いままで紫になった。
「今の話は聞かなかったことにしてやってもいい、ただ、もしも手が滑ったりした瞬間、私の包丁がお前の股に滑るからね」
えぐい。
「はは…冗談だよ。この前エルフの娘がドワーフのレベル2の男を蹴り飛ばしたの見てんだよ。そんな娘に手ぇだす訳ないだろ?」
「分かればいいんだよ。分かれば」
ミアと呼ばれたドワーフの女性は厨房へ戻っていった。
飲み直そうぜ。
「あ、あぁそうだな。飲むに限る」
酒を一杯もらって席を替えた。自分の酒代が一杯分増えたことにおそらく彼は気が付かないだろう。
しばらくしてベルが戻ってきた。手を上げて隣の席へ誘導する。
一緒に銀髪の給仕の娘が着いてきた。
「トロウさん、こちらシルさん。お世話になったこのお店の店員さんです」
「初めまして。シル・フローヴァです。貴方がミズイシさんですね。この度は態々お店まで来ていただいて、ありがとうございます」
畏まるように彼女は頭を下げて微笑んだ。
驚くほどの美人だ。
挨拶だけしておく。
この様子だとベルの方は何事もなかったようだ。
「明日にしていたら殺されていたかもしれません」
それは怖い。
さっきの男性と女性との会話を聞いて顔を青くする。
「では私は仕事がありますので。お二人とも楽しんで下さいね!」
そう言って彼女は給仕の仕事を再開した。
メニューを見て、何を選ぼうと二人で唸っていると、その前に料理が置かれた。
見ればいつの間にか先ほどのエルフがベルの隣に立っていた。酒場の環境音のせいか料理が置かれるまで気が付かなかった。
「男なんだろう? だったらこれくらい食べて力付けな」
と、厨房からドワーフの声が飛んでくる。
「失礼しました」
エルフはそう言って頭を下げ、厨房へ戻っていった。
別のテーブルで接客しているシルさんが一瞬こちらを見て、にっこりと笑った。小悪魔的な笑みだった。
「これだけで限界ですね…」
小皿に取り分けながら延々とスパゲッティの山を削った。
お代は飲み物込みで3000ヴァリスだった。1ヴァリス10円換算していたため、どう考えても高すぎるが、二人で3000ならと割り切った。
円で換算するのは止めることにしようと誓った。
□
午後8時、ヘスティアファミリアの教会地下。
拠点に帰ってきてもヘスティアはまだ帰って来なかった。
ボロいテーブルの上に置き手紙で『友神の家で泊まります』と書かれていた。
これでは恩恵の更新ができない。
といっても今日はダンジョンの散歩をしたくらいでステイタスが上がるようなことは何もしていないのだが。
「神様もいませんし、許可がなくて悪いですけどもダンジョンに行きましょう」
ベルがそう提案した。眠気もさほどないし疲れも一切溜まっていない。良好なコンディションと言えるだろう。
昼間と同じ道を歩いてダンジョンへ向かう。
同じ道のはずなのに、夜だと人通りが少なかったりたまにすれ違う人が酔っ払っていたりと町の違う顔が見れた。町が眠っている、と言うのは少し気取りすぎだろうか。
ふいに、空へ視線を上げる。
半分欠けた大きな月が目に止まる。これも月と言われているのだろうか。
おそらく半月前は大きな満月だったのだろう。オラリオは空気が澄んでいるからか、日本よりも夜空が綺麗だった。町を見下ろす丘があれば綺麗な町の夜景が見れることだろう。
物思いに耽っているとダンジョンの入り口に着いた。
「ポーションは持った…な。よし、では行きましょう」
ダンジョンへ入り1層へ、昼間と全く同じ風景だ。町は眠っているというのにダンジョンは眠らないらしい。
しばらくすると小さな人影が見えた。
「ゴブリンです! 数は2体! こっちに気が付いていません、行きましょう!」
走り出すベルに続く。
ベルはナイフを逆手に持ち、背後からゴブリンの首を切った。
直前でベルの接近に気が付いたが反応する前に絶命、もう1体が慌ててベルから距離を取る。
腰くらいの位置にいるそのゴブリンの頭に向かって、メイスをフルスイングした。
人体から出てはいけない音が辺りに響き、ゴブリンは白目を剥いて倒れた。頭から血が噴き出し痙攣している。
しばらくしてゴブリンは砂のように消えて水晶のような物が残った。
「それが魔石です。それを集めて換金するのが僕らの仕事になります」
親指程度もない小石くらいのそれ。
見た目は水晶のようで、触るとほんのりと生暖かい。
ただの石ころだと価値は付かないだろうがこれ自体を加工して街灯などで使うことができるそうな。
こんなに小さいのか。
「ええ、ですが敵が強くなれば魔石も大きくなりますし種類によってばらつきもあります。塵も積もればなんとやら、です」
袋に魔石を入れる。どうやら先は長そうだ。
ゴブリンを殺した感触は人とほぼ同じだな、ということだけ。
それよりも驚いたのは自分の力が増していることだ。本気ではなく軽いスイングの力しか込めてないが日本にいた頃の全力に近い威力が出た。
自分本来の力とは別に力が加わっている。これが神の恩恵(ファルナ)というものだろう。
――この力が日本にいた頃にあれば、誰も自分には敵わなかっただろう。
頭を振って考えを払う。
「次が来ます。おそらくコボルト、向こうはこちらに気が付いているようです」
ベルの言葉に頭を上げる。二足歩行をしている犬のような獣、コボルトが1体、こちらに向かって近付いている。
走る速さは人と同じくらい、恩恵がなければ恐ろしく思うかもしれない。
接近したコボルトが右腕を大きく振るい、爪で引っ掻く。
手首を掴みそれを受け止める。
左手を同様に振るう、メイスを地面に落とし同様に掴む。
一瞬、一秒に満たない時間。コボルトと俺が止まった。
コボルトが噛み付こうとするのとその両手首をへし折るのは同時だった。
噛み付きに対し身を低くしてそれを交わしコボルトの腹を蹴った。
くの字になってコボルトは飛んでいく。
内蔵にダメージは入ったと思うが、殺してはいない。
起き上がったコボルトは雄叫びを上げ、両手を下げたまま再びこちらへ突進してくる。戦意喪失はしていないようだ。
左手を盾にするように掲げ、コボルトに噛み付かせる。
それを見てベルがナイフを構えるが右手で制した。
腕にコボルトの歯が食い込み皮膚を破った。
血が腕を伝って肘から落ちる。
痛い、が昔ほどではない気がする。おそらくこれも恩恵だろう。
普通ならば腕を噛み千切られるだろうが、骨に達してもいない。
体もかなり固くなったと言えるだろうか。
分析は終わった。
コボルトの喉仏を握り締め、潰した。
ごぼり、と血の塊を噛み付いた腕に降りかかりコボルトは地面に倒れた。
しばらく痙攣している様を眺める。まだ辛うじて生きている。
ぐったりとしているコボルトは次第に痙攣がなくなり、ゴブリンと同様に消え去った。
「大丈夫ですか?」
我慢できないほどではない。
丈夫さには元から自信があったが、恩恵のせいか以前よりも丈夫になっている。
ポーションを取り出して腕にかける。
染みることなく傷が塞がっていく。
それを見て軽く面食らうが呆気に取られている間に傷は塞がった。
これは…すごい。
これも恩恵の力の一つなのか、と治った腕を見つめた。
「僕も最初そう思いましたよ。恩恵があるからこんなに早く治るらしいです。
といっても今のはそこまで酷いケガではないですし、骨が折れたりすれば普通に病院通いになりますよ」
どうやらポーションで直せる限界を超えると普通の人間と同じ治療法で直さなければならないらしい。外傷が一番効果が出やすいのだろう。
「今のゴブリンとコボルトが1層で出てくるモンスターの全てですね。
流石というか、全く動じてませんねトロウさんは」
これでも大人だからな。と鼻を鳴らして答えた。
2層は別のモンスターがいるのだろうか。
「はい、さっきの二体に加えて、ダンジョン・リザードとフロッグ・シューターが2層から出てきますね」
どんなモンスターだろうか。とはいえ名前で大方予想がついてしまったが。
「僕自身あまり戦ったことがないのですが…ダンジョン・リザードは僕くらいの背丈でフロッグ・シューターは大型犬くらいの大きさです」
想像すると少し気分が悪くなる。
人間に近いほどやりづらくなりそうだ。今相手したコボルトは思考回路なんてあったもんじゃなかったがこれから先は頭の良いモンスターも出るに違いない。
「さぁ、行きましょう!」
ベルは明らかにテンションが高かった。
チュールさんにまた心の中で謝り、ベルの後に続いた。
洞窟を抜けてまた洞窟、2層は1層と比べて地形的な変化も何もない。相変わらず薄青い洞窟だ。
「ゴブリンです。今度は僕が行きます!」
了解、と短く答えた。ベルは言うや否や駆け出していく。
サイドステップとバックステップでゴブリンの攻撃を回避している。
明らかにベルの方がスピードで圧倒している。
それでもゴブリンは執拗にベルを追い続け腕を振り回している。
子供の遊びに付き合う大人のようだ。違いは、その子供が明確な殺意を持っていることだろうか。
いつ終わるかも分からないダンスを見ていると、天井から小石がベルの傍に落ちるのが見えた。
「っ!」
それが何か確認するより先にベルが動く。
体をひねりベルは天井からの奇襲を回避した。
落ちてきたのは茶色い皮膚の人型だった。尖る口と尻尾は蜥蜴を彷彿させる。
蜥蜴(リザード)、なるほどこれがダンジョン・リザードか。
手に吸盤のような器官が付いている。これで天井に張り付いていたのだろう。
これは厄介だ。飛び道具がなければ先手を打てる状況でもどうすることもできない。
「やぁあああッ!」
ベルはゴブリンを無視して飛びかかってきたダンジョン・リザードを攻撃した。着地狩りだ。
ダンジョン・リザードは逃げようと背を向けた瞬間にベルのナイフが背中に突き刺さった。
短い断末魔を上げ、ダンジョン・リザードは動かなくなった。
「ギィッ!」
背を向けた相手を見逃さないほどゴブリンは間抜けではないらしい。
背後を取ったゴブリンはベルに飛びかかる。
メイスを握る手に力が入る。
「大丈夫です!」
それに察していたのか、ベルは振り返り際に持っているバックパックを投げつけた。
思った以上に鈍い衝突音が響き、ゴブリンが尻もちをついて倒れた。
「ふッ!」
ベルは倒れたゴブリンの首を蹴り、その骨を折った。
ゴブリンは痙攣し、動かなくなった。
天井も含め、辺りを確認しモンスターを全滅させたことを確認してベルに近寄った。
自身の警戒不足である。危うく取り返しのつかないことになるところだった。
ベルの俊敏さ故に助かった、自分ならば怪我ではすまなかったかもしれない。
「いえいえ、僕も言ってなかったですし、むしろ二人いるからと警戒を怠った僕に責任がありますよ」
お互いに謝った。
お相子ということで手を打ち、それから魔石を回収し、2層を探索した。
数時間が経過し、3層へ。
3層の次は4層へ。
5層への階段を見つけた頃にはベルの魔石入れが入り切らなくなった。
「帰りの遭遇戦もありますから、今日はこれで引き返しましょう」
帰りの遭遇戦か。帰りにも気を配らなくてはならないのは辛いことだな。
常に余力を残さなくてはならないということだから。
地上に着くころには丁度二人とも魔石袋が満杯になるだろう。
モンスターの血で様々な色が付いているメイスを地面に擦り付けて血を拭い、地上へ向けて歩き出した。
「地上に着く頃にはもう朝ですかね。先にバベルのシャワー室で体を洗いましょう。背中を見られないように注意して下さいね」
また数時間経ち、地上へ着いた頃にはすっかり日が昇っていた。
他の冒険者の姿が見え、肩の力が抜ける思いだった。疲れが一気に押し寄せてくる。
一杯になった二つの魔石入れの擦れ合う音を耳元に近付けて二人で聞きながら歩いていると、受付よりもかなり離れたところでチュールさんが立っていた。丁度出勤時間らしい。光を失った目をしていた。
神の恩恵をフルに使い、追いかけてくる彼女から逃げた。
魔石の換金時に待ち伏せされすごく怒られた。
換金結果、ドロップアイテムを含めて二人で7000ヴァリス。あと一往復すれば一日のノルマを達成できたが、チュールさんが常に目を光らせていたので帰って寝ることになった。