運営から歌詞の引用について指摘があったので修正しました。正しい歌詞は各種歌詞検索サイトにてご確認ください。
*2019年10月15日 午後2時9分
運営の規定改定によって、曲のタイトル、歌詞の掲載が可能になったので、修正し直しました。
「アイドル?」
「そう、アイドルなの!」
彼女は言った。昼下がりのカフェ、オープンテラスで白い机を囲んでいる俺たちは、遠目に見るとどう見えるのだろうか、なんて、彼女は考えていない。
「知り合いの社長さんとご飯食べてたら、なんとその人アイドル事務所の社長さんでね? 事務所にスカウトされてさ」
「お前がスカウト?」
「ちょっと、なーに? 別に変じゃないと思うんだけどー?」
「いや、今までいろいろ失敗してるのを聞いてる身としては、ね」
「それとこれとは別よ、べ・つ」
目の前に座る彼女、百瀬莉緒は勢いを整えるように、自分のタピオカミルクティーを飲む。
「で、是非君に伝えておきたくて」
「どうして?」
「ほら、大学いる間も出てからも、いろいろ相談乗ってくれてたから、さ」
彼女はもういい大人だというのに、テストで百点を取ってきたような顔で俺に言う。
「そっか」
「うん! 私のセクシーさがどこまで通用するか楽しみだわ!」
「少なくとも今の顔はセクシーじゃないね」
「ちょっと! どういう意味よー!」
土曜の昼下がり、こうして二人で飲むミルクティーは、この日が最後だった。
*
「百瀬莉緒です! よろしくお願いしまーす!」
彼女がテレビに居た。それも偶然つけたチャンネルで。あの日以来どうやら忙しいらしく、メールで近況報告が送られてきていた。事務所に行ったら、なんと新しいアイドルが他に三十八人もいて、さらに先輩アイドルが十三人いること。なのにプロデューサーは一人しかいないこと。プロデューサーはえらくいい人で、そしてみんなプロデューサーが大好きなこと。年頃の女の子たちが可愛いこと。初めてオーディションを受けたこと。落ちて泣いたこと。プロデューサーと飲んだこと。
彼女は一歩ずつ進んでいるらしかった。それが、俺の目にもこうして現れたらしい。テレビの向こうの彼女は、あまり似合っていない濃いピンクにレースのついたヒラヒラの衣装を身にまとっていて、その表情もぎこちない。背中から棒でも差し込まれているかのように、直立不動でガチガチの立ち姿。右の表情筋が引きつっていて笑顔すらぎこちない。アイドルといえど、まだ卵。そう思わせるには十分だった。
だけど。
「新曲、『WHY?』が、来週日曜日に発売されます。是非聞いてください!」
声だけは確かにアイドルで、震えてなくて、まっすぐで、そして、遠かった。テレビ越しに聞く彼女の声は、薄っぺらくて、ふわっとしてて、だけど鋭く俺の心に刺さる。彼女は、確かにアイドルだった。
*
「もしもし」
『もしもし? 莉緒よ。元気?』
「ああ、元気だよ」
週末、彼女から電話がかかってきた。別に何をするでもない土曜日。まだ大学生活の余韻が消えなくて、仕事に慣れなくて、体を癒すどころか休めることしかできない、そんな昼のことだった。
『テレビ、見てくれた?』
「いつの?」
『結構出てると思うんだけど……』
「ああ、見たよ。CDの宣伝してたやつ」
彼女の声のバックはどうやら街らしく、雑踏と人々の声が入り混じって、彼女の声をぼかす。
『あれね! どう? 私、ちゃんとアイドルしてるでしょ?』
「まぁ、そう言われればそうだけど」
『だけど?』
「ガッチガチだったし、笑顔引きつってたぞ」
『えぇ!? そんなぁ。結構頑張ったのに』
「まだなりたてだし仕方ないだろ。俺もまだ仕事慣れてなくてめっちゃ怒られるし」
『そっか、君も今年から社会人だもんね』
「あと、衣装。似合ってなかったぞ」
『えぇ!? あれ、私が選んだのに』
「お前はああいうきついピンクよりも淡い色の方が似合うんじゃない? ほら、いつものセクシー路線で」
『も、もう、ああいうのはアイドルらしくないと思ったからやめたのにぃ』
「そうなのか」
『そうなのっ。……あ、ごめん、行かなきゃ』
「ああ、仕事か。土曜もお疲れ」
『ありがと。じゃあ、またね』
急に後ろが静かになったと思ったら、電話を切られた。おそらくテレビ局の中だろう。彼女は今日もアイドルとして働いている。働く、って言い方、なんだか似合わないような気もするが、俺と違って、彼女は今日もアイドルなんだ。
*
「今日は来てくれてありがとう!」
……来てしまった。日曜日。アイドルのCD発売といえば? そう、リリースイベント。通称リリイベ。ちゃっかりサイン入り初回限定版を予約して、この店で受け取ることになっている。まさか最寄りのショップがイベント会場なんて、誰も思うまい。開店すぐ受け取って今日も家でのんびり過ごそうと思っていたが、イベントの看板を見て急いで引き返して、今。マスクとサングラスの準備はOK。今まで着たこともないジャケットを羽織り、ばっちり変装してきた。
そもそも、何故大学の時の同級生のCDを買うのか、と聞かれたら、それは分からないとしか言いようがない。しかもこの年……まだ二十三だが、にもなってアイドルの追っかけをしているとか、笑い話にもならない。会社の同僚や上司がいないことを願うのもそうだが、何より彼女本人にバレないように、そしてこの変装が見破られないようにしなければ。
「それでは765プロ所属アイドル、百瀬莉緒の初シングル『WHY?』の発売イベントを始めます!」
司会の女の人の声が聞こえる。売り場前で待っていたのは俺を含めおよそ三十人。都内のCDショップで行うイベントにしては、かなり人数が少ない方だった。ぞろぞろと並び、列を為していく。なんだか前に並ぶ気が起きなくて、俺は列の後ろに並んだ。
「ありがとう、これからもよろしくね」
彼女は新品のCDに慣れない手つきでサインをして、手渡して、握手して、そして次へ。前より少し様になった笑顔と姿勢。パステルピンクに白のラインが入った衣装は、少なくとも前より似合っていた。そうこうしているうちに、どんどん列が短くなって、彼女が近づいてくる。
「買ってくれてありがとう! サイン、どこにする?」
ついに回ってきた自分の番。緊張と、何故か悪いことをしているような気分とで心臓が震えあがる。
「じゃあ、CDに」
「CDね? 」
彼女は黒のサインペンで、すらすらとサインしていく。ひらがなで、ももせ りお。
「はい! 今日は来てくれてありがとうね」
手を握られる。両手で握られて、思わず自分の左手も出る。数回縦に振られて、そして離れる。その時、少し体が震えた。
「? はい、じゃあこれ、家でゆっくり聞いてね? お姉さんとの約束よ?」
今度も両手で、CDを手渡す。両手で受け取る。彼女の顔を見る。自然な笑顔で、自然な手つきで、そして自然なウインクまでして、彼女はすっかりアイドルの顔だった。アイドルになる、と言ったあの日からまだ一か月しか経っていないのに。今触れていた彼女は、すっかり別人のようだった。
*
「どうして、君のこと、好きになってしまったんだろう」
家でほこりを被っていたデッキを取り出し、CDを入れるとすぐ声が聞こえた。一番トラックには新曲『WHY?』。どうやら恋をする大人の女性が、少女のような恋心を抱く、みたいな歌詞らしい。彼女の声は柔らかくて、いつも話すときのような自信満々な声じゃない、大人の声。テレビに出ていた時のあの声に少し近い、でももっと想いのこもった声。
「Love you Love you 私のことどう Miss you Miss you 思ってるの?」
彼女が歌うのが得意というのは全然知らなかった。三年ほどの付き合いだが、カラオケに行ったこともなく、するといえば電話やお茶、たまにご飯や飲み程度だったから。だから、こんなにも丁寧で柔らかくて、大人で子供っぽい声が出せるなんて、知らなかった。
「想いばかり溢れていくだけ」
素人から一か月でこんなに歌えるようになるのだろうか。他人が書いた詩を、こんなにも滑らかに、清らかに、歌い上げられるものなのだろうか。もしかすると、俺が気づかなかっただけで、彼女は天才的な素質を持つ人だったのかもしれない。知っているものと思っていた彼女が、今、分からなくなっていく。
「どうして、恋するとこんなに切ないんだろう」
*
月曜日。なんだか落ち着かないまま、朝を迎えた。シャツを着てネクタイを締めて、大きなあくびをした。あ、台所のコーヒー豆が切れている。なぜ昨日買わなかったのか。仕方ないのであまり使っていない紅茶のティーバッグを引っ張り出して、ポットにお湯を注ぐ。そうこうしていると出発時間になっていて、結局紅茶は飲まないまま家を飛び出した。
携帯につないだイヤホンからは、昨日買ったばかりの曲、『WHY?』が流れてくる。結局聴くのをやめられなくて、家でずっと、そして携帯に入れてまで聴いてしまっている。いや、きっとここまですることもないんだろうし、前から彼女の居るプロダクション、765プロを追っかけていた人からすればまだまだファンとしては素人なんだろうけど、それでも、彼女の努力とその才能がこうして認められて出てきたことへの驚きと感動のようなものが、こうさせているんだと思う。……なんて、変な話だと思う。ついこないだまでただの同級生だった彼女を、アイドルになって見る目が変わってしまうのは、自分の馬鹿さや凡人さがにじみ出るようで、でも、この声を聴いていたくて。
電車を降りる。駅を出て、イヤホンを外すと東京らしい雑踏が一気に耳に入ってくる。改札を抜けて交差点の前に立つ。今日もこの人込みの中、生きていく。
「百瀬莉緒です! 初シングル『WHY?』、好評発売中です! よろしくね!」
ふと見上げた交差点のディスプレイから、彼女の声が聞こえた。彼女は、もうすっかりアイドルで、俺はすっかり平社員だった。
*
あれから数週間経った。毎日のように来ていた彼女からの仕事報告メールは、あの日からすっかり来ていない。忙しいということだろう。実際、俺も忙しい。覚えることは山ほどあるし、ゴールデンウィークが明けて業務もいっぱいいっぱいだった。手帳を開くと、会議と取引先との会合で真っ黒のページが既に今月分含めて三ページほど。夏にやっと予定が空くのか、と考えるともうほとんど休みがない。家に着くなり靴を脱ぎ棄て、部屋の明かりをつけないままベッドで眠る日もある。今日も、なんだかもう眠い。
チロリン。
その時、携帯がベルを鳴らす。仕事関係だとまずい、と思ってベッドの上で急いで開く。
『莉緒よ。お疲れかな?』
たったそれだけの文が、新着メール欄に出てきた。無意識のうちに返信ボタンを押してしまい、それに気づいて何を返すか戸惑う。とりあえず普通に返そう。
『ああ、そっちもお疲れ。どうかしたか?』
チロリン。
『うん、ありがとう。あのね、今度の週末、どっちかでいいんだけど会えないかなって』
『日曜日だと都合がいいな。大丈夫か?』
『うん、日曜日ね。予定、頑張ってあける。ちゃんと決まったらメールで教えるわ』
『ありがとう。でも忙しいだろ、アイドル。よく見るよ、テレビで』
『ほんと? ありがとう。この前初シングルを出したんだけど、それがすごい勢いで伸びててね?』
『ああ、知ってる。CDも買った』
『あら、ほんと? 言ってくれたら手渡ししたのに』
『いいよいいよ、俺だってただの客だからさ。あと、あの曲よかった』
『よかった! あ、ごめん、まだもう少し会議があるから、そろそろ行くね。またメールする』
すぐに返ってきていた通知音が止んで、しんとした部屋に一人、ベッドに横たわる。携帯を投げて、その手でネクタイを緩める。ジャケットを脱ぎ捨て、ワイシャツの第一ボタンを開ける。そのまま、ため息を一つ。息が遠くなる。近かったものが、だんだん、ゆっくりと。いや、急に霧散して、消えていく。ああ、こんなにも遠いんだ。吐き出した息を包み込むように、逃がさないように、ベッドの上でうずくまってその日は眠った。
*
彼女のことは、別にただの友達、というかただの相談相手ぐらいにしか思っていなかった。彼女はよく「やらかす」人で、元はと言えば、俺の大学の友達に告白して見事に振られたことから始まる。それからたまたま知り合って、それで彼女の相談に乗って、彼女の話を聞いて、ご飯いったり飲みに行ったりして、時には寝落ち通話とかもしたな。でもそれ以上は何もなくて、そもそも大学は学科が違って会うこともなく、卒業してからはもっと会うことはなく、でもメールだけはたまにやりとりしてて、それなりにお互いの話で盛り上がるような仲だった。
何故?
その日々が、背中から遠ざかっていく。そう、時間は進んで、俺は会社員として、彼女はアイドルとしてそれぞれの道を進んでいく。過去のあの日々はもう「遠いもの」で、彼女すらもう遠い場所に居て、それは当たり前なのに、何故、こんなにも寂しいんだろう。わからない。わからない。わからない。彼女の話を聞く度、歌を聴く度、分からなくなる。夢の中にも響いてくるその声は、何故こんなにも悲しいのか。
『すまねえな、飯作ってもらうことになるなんて』
『いいのよ? 君の友達の時には大分お世話になったしね。……とはいえ、生活費切り崩して趣味をする人とは思わなかったけど』
『それについては何も言い訳できねえ……』
『まぁ、これぐらいなら別に構わないわよ。一人分作るのも二人分作るのも、そんなに変わらないから』
『……恩に着る』
彼女の声は、いつも温かい。
『ねえ、何読んでるの?』
『これ? ああ、小説だよ』
『小説? あ、これ知ってる。最近映画にもなったあれでしょ』
『そうだな』
『ねぇ、次、私にも貸してよ』
『お前論文終わってないだろ』
『げっ』
『もう手伝わねえからなー、終わらせたら貸す』
『えー……ケチは女の子にモテないわよー?』
『はいはい』
彼女の声は、いつも、遠くから響いてくる。
『また振られちゃったなぁ……』
『お前今度は何したんだ』
『ちょ、そんなに言われるようなことはしてないわよ! ……ただ』
『ただ?』
『ちょーっと気合い入れて服を選んでいっただけ……なんだけど』
『どんなの?』
『こ、こんなの……』
『……馬鹿じゃねえの? 初めてのデートでそれ? 初日からホテルでも行く気か、さすがに引く』
『えぇ!? そんなぁ……』
彼女の声は、だんだん響かなくなっていく。
『ねぇ』
『なんだ?』
『君に好きな人って、いないの?』
*
待ち合わせの時間を既に一時間過ぎている。いつものカフェで一人、カプチーノを飲みながら空を仰いだ。向こうから時間を指定してきておいてこれはないだろう、なんて思いながら、一つ大きなあくびをした。眠い。眠れなかった。理由は、分からない。アイドルだし遅れるぐらいは仕方ない、と口元だけで笑って、コーヒーカップを置く。だんだんと暑くなってきた日差しがまぶしく、六月だというのに雨一つ降らず、空には雲一つない。右手の携帯には通知の一つもない。
「ごめーん! 遅くなっちゃった、お待たせ」
彼女が走ってきた。ピンクのブラウスと白のミニスカートを纏った彼女は、なんだか久々に見る気がした。彼女は手を振りながら、少し弾むように走って、そして、あっ、躓いた。
「おいおい、時間過ぎてるけどそんなに焦らなくていいだろ」
「あはは、でも君、時間にだけはかなり厳しかったな、って思ったから」
「そう言われれば」
息を整えて座る彼女に、あらかじめ注文してあったコーヒーを手渡す。
「はい」
「今日は何も入ってないわよね?」
「ああ」
「ほんとにー? この前は何故かゆずこしょうが入ってたけどー?」
「今回は何も入れてないし、そんなこと考える余裕もなかったわ」
「そ、そう? それなら、ありがと」
彼女は、いつも俺がする悪戯に警戒してびくびくしながらコーヒーを飲む。一口飲んで、安心したように一息ついてカップを置いた。
「んで? 話があるんだろ?」
「うん、まぁね」
「お前が俺を呼び出す時って大体そうだもんな」
「あはは、忙しい中ごめんね?」
「いや、忙しいのはお前だろ……俺なんかよりずっと」
「そりゃ忙しいけど、君だって忙しいでしょ?」
「まぁそうだけど、でもお前、この前のシングルオリコン十二位って聞いたが」
「あら、知ってたの?」
「たまたま耳にしたんでな」
「たまたまー? 私のこと気にしてくれてたんじゃなくてー?」
「ちゃ、茶化すな。で? 本題は?」
「もう、せっかちさんなんだから」
右手で髪をくるくるといじりながら、彼女は目線をそらした。
「私、また好きな人ができたの」
コーヒーカップを持っていた俺の右手が少し震えた。予想通りと言えば予想通り。だが、アイドルなのにいいのか? なんて思考が飛び出して、少し驚いた。
「へぇ。でもお前のとこだと出会い少ないのに、珍しいな」
「というと?」
「だって、アイドルじゃん」
彼女ははっとして、そして顎に手を当てて、
「うん、だからかもね」
と答えた。
「だから?」
「うん」
「まさか」
「うん、正解」
「まだ何も言ってないぞ」
「でも分かったんでしょ?」
「……プロデューサー、か」
「うん」
お決まりのように頬を染めた彼女を前に、俺はいつもならため息を吐くはずなのだが――
「……そうか」
「今度こそは、絶対失敗できないのよ」
「仕事も絡むから、か?」
「さすがに振った人と一緒に仕事ができるほど、私はできた人間じゃないわ」
「……なるほど」
「引退するにしても、まだデビュー一か月よ? CDの売れ行きもいいし、さすがに私情で辞めるなんて言い出すには、まだ早すぎる」
「確かに」
「でも……どうしても早く彼を射止めたいのよ。ほら、前にも言ったけど、みんな彼のこと『大好き』だから」
「もしかして、ほとんど全員がライバルとか」
「……まぁ、そういうことね」
彼女はコーヒーカップをもって一口。カップを置いて足を組んで、肘をついて、一息。合わせて俺もカプチーノを一口飲む。逸る鼓動を、一度落ち着かせようとして。
「……ねぇ」
「なんだ」
「こういうの、ほんとは駄目なのかな」
「こういうの、とは?」
一瞬、心臓が跳ねる。
「……ほら、職場恋愛的な?」
「……さぁ? いいんじゃない? 別に駄目とは決まってないし、恋愛なんて自由だろ」
「そ、そうよね……あはは」
「どうした、ぎこちないぞ」
いいや、ぎこちないのは、俺の方だ。
「ううん……ただ、そんなの、自己中だなぁ、とか、思っちゃって」
「は?」
「いや、ほら、私が彼をとっちゃったら、他のみんなが困っちゃうのかな、とか」
……。
「おいおい、もう射止めたつもりか? 同期三十八人、先輩十三人もいるんだろ?」
「うっ、べ、別にそういうつもりじゃないわよ! でも、ほら、いざ……ね?」
「何が、いざ、だよ。俺が知る百瀬莉緒はそんなの気にしなかったはずだが?」
「そ、そうかもしれないけど、ほら、私、みんなとは違って大人だから、ちゃんとそういうの気にかけてあげないと、って……」
「大人とか、子供とかそういうの関係ないんじゃねえの? だから、みんなライバルなんだろ?」
「……うん」
「馬鹿だな、ほんと。お前はお前らしくいればいい。服選びとかぐらいなら付き合ってやる」
思ってもない言葉が、次々に口を突いて出る。
「えっ……でも、忙しいでしょ、迷惑かけ――」
「気にするなって言ってんだろ。……まぁ、俺たちはもともとそういう関係だったろ」
こんなセリフ、本当は最低なんだろうな。
「……そういえばそうだったわね」
「だから、気にするな。俺は昔いっぱいおごってもらった貸しがあるから、これでチャラってことで」
「……ごめん」
「ん?」
「ううん、何でもない、ありがと」
彼女は何でもない顔に戻って、そして笑った。その顔はアイドル百瀬莉緒ではなく、一人の同級生としての顔だった。
*
『でねー? 彼ったら、わざわざそういう衣装避けるのよー』
「そうか」
次の日から、彼女から「プロデューサー」との話を電話で何時間も聞いていた。余程誰かに話したかったらしい。他愛もない話から、なんなら他のアイドルの話まで。今日ももうかれこれ二時間ぐらい話している。
『絶対、局のディレクターさんにもウケると思うのにー……ねぇ?』
「さすがにアイドルにセクシー路線求めるのはなんか違うだろ」
『でもうちの事務所の風花ちゃんなんて、私より年下だけどすっかりグラビアばっかりよ?』
「それはそれで本人も苦労してそうだが……」
『それに、最近は他の事務所では猫キャラっていって売り出してるアイドルもいるのよ?』
「それはそれで作るのしんどそうだな」
『逆に無個性リボンなんて呼ばれるうちの先輩までいるんだから、やっぱりキャラや路線は大事よ』
「無個性リボンってそれすごいネーミングだな、もはやファンがつけたとは思えない」
『……なんで君ってそんなに女心わかるのかしら』
「?」
『正解よ、風花ちゃんはセクシー路線ばっかりで悩んでるし、他の事務所の猫キャラのみくちゃんは作ってるからか完全になり切れなくてよくボロを出してるし、うちの先輩の春香ちゃんは昔から出てるのに、いまいちアイドルよりバラドルって感じでそう呼ばれてるの』
「……アイドルも大変だ」
『でもプロデューサー君の前では一番可愛くありたいじゃない? 春香ちゃんもよくクッキーとかケーキとか作ってきてくれるし、風花ちゃんはよく路線変更で相談したりするついでにご飯とかいってるのよー!? おいて行かれちゃう』
「じゃあお前も路線変更の話とかで掛け合ってみればいいじゃん」
『私の場合は相手にしてもらえないのー……過激すぎるとかなんとかで』
「納得」
『ひどーい!』
「さすがにプロデューサーに納得だわ、一緒に酒飲めそう」
『うぅ……私って、やっぱり、こう、体には魅力がないのかしら』
「そういうのじゃねえだろアイドル」
『わ、分かってるわよ……』
「まぁ、次に休み取る時に合わせるぐらいしてみたら? 約束を取り付けるだけでも」
『他の子が先にしてたら?』
「その時は、ほら、ぐいっと」
『きゃーだいたーん』
「……別にそういうのじゃないけど、多少強引に行ってみたらいいんじゃねえか? ほら、いつも俺に無理やり頼む時みたいに」
『そんなに無理やり?』
「……まぁ」
『じゃあやめちゃう?』
「それは昔の貸しがあるし、別にその必要はない」
『そう? ならいいんだけど』
「ほら、そのパワーでプロデューサー誘ってこい」
『誘う? 誘うだなんて……もう、君ったら』
「そういう意味じゃねえ!」
*
やらかした。寝落ちだ。あれから記憶がない。通知欄に、彼女から、
『君の寝息、久々に聞いたよ、可愛かったな♡』
……。起きるか。
『プロデューサー君の前では一番可愛くありたいじゃない?』
彼女はどうやら本気らしい。軽い気持ちの「好き」ではない、大人としての「好き」。なんとなく、それを感じた。
あくびが出て、その時アラームが鳴った。出発五分前だ。一回うんと背伸びして、ネクタイに手を伸ばす。
「これ、あいつに選んでもらったもんだっけ」
たまたま手にとったネクタイは、卒業式帰りに彼女に選んでもらったネクタイだ。何故か卒業したら君にネクタイを選びたいなんていいだして、ついていったら選ぶだけ選んで、結局俺が買ったんだっけ。当時貧乏な人を好きになって貢いで爆散していたころだった。そんなことを思い出す、青と白のストライプのネクタイ。
「あいつ、人にネクタイを贈る意味とか、知っててやってんのかよ」
独り言が飛び出す。口元だけで一瞬笑って、そしていつもの手つきでネクタイを締めた。
そして案の定、出発時刻に遅れて家を飛び出した。
*
『ねぇ、デートってどう誘えばいいの?』
「は?」
彼女からの電話と思って出たら、第一声から意味不明な言葉が飛び出した。
『だーかーらー、どう誘えば自然になるかなってことよ』
「お前今まで散々デート誘うぐらいしてきただろ、何を今更」
『そ、そうじゃなくて、ほら、ちょっと大人っぽく……? みたいな』
「いつも通りでもお前は十分大人っぽかっただろ」
『そ、そうかな』
変なことで悩むもんだ、なんて思ったけど、何故か妙にその悩みに納得してしまう俺もいた。何故?
『……うん、そうよね、いつもの私らしく』
「なぁ、もしかしてお前」
『み、みなまで言わないで! 分かってるの、でも、その、彼の前だといつも通りにできなくて、それで』
「……なら、一言、次の休み出掛けよう、ぐらいでいいじゃん。頑張りすぎなんじゃないか? お前」
『そう……かな』
「ああ、ボロ出したくないなら口数を減らしてみればいい」
『……わかった、ありがとう』
「あと、この時間はできるだけ避けてくれ。今会議中だった」
『あ、ごめんね、じゃあ、また夜に』
「ああ」
会議室の外。さすがに聞かれちゃまずいと思って喫煙所まで来ていたが、いつどこで誰が聞いてるかも分からない。ましてや、誰かに変な勘違いをされても困る。……変な? いや、変だろう。一瞬自分の心と問答して、その思考をかなぐり捨てる。なんだかこの前から自分の思考に変なものが詰まっているような気がして、仕事に集中できない。ため息を一つ。さて、ここにいるのがバレてもまずいし早く戻ろう。
今日の晩、またかかってくるであろう携帯を握りしめて。
*
夜の電車は例外なく満員で、今日もその例から外れることはない。個人にずれはあるものの、こうして集まった人にずれはそうそう生じないもので、俺がどう思っていようと、何を考えていようと、何を握りしめていようと、それはほとんど変わらない。人々の残業によって灯された夜景を眺めながら、今日も揺られる。右手でしっかり握ったつり革はぎしぎしと音を立てて、まるで揺りかごのようなテンポで揺れて、仕事の疲れとともに眠りへ誘う。
その時、ふと車内広告が目に入った。765プロ、39プロジェクト始動……フェアリースターズ、百瀬莉緒、セカンドシングル……来週土曜日リリース。今注目の、お姉さん系アイドル……。彼女だ。小さな車内広告なのに、見劣りすることなく、埋もれることもなく、彼女の笑顔が輝いていた。彼女は、あんな笑い方もするんだ。映る彼女は、可愛いとも綺麗とも違う、かっこいい笑顔をしている。少ししか映っていない立ち姿でも、前よりずっと堂々としてて、前を向いていて、何事にもまっすぐな姿勢がそこに見える。まるで覚悟を決めたような……なんて、それは言い過ぎかもしれないが、でも、確かに、見違えるほど成長した「アイドル百瀬莉緒」がいる。それだけは、きっと事実なんだろう。
ぼーっと眺めていたら、終電で乗りすぎてしまい、タクシーで帰った。
この日、彼女からの電話はなかった。もちろん、メールも。
*
今度はヘマを犯すことはなかった。サイン入りのを後日受け取りにして、発売日の次の日にあのCDショップへ行った。さらっと会計だけ済ませて店を出ると、あの日とは違ってまだ日が高かった。セカンドシングル、「Border LINE→→→♡」。ちゃっかり予約していた。もはや自分に何故とも問わない。そしてなんだかんだ、こうやって過ごす休日を楽しみにしていた節もあり、そのまま家に帰るのをやめ、近くのジャンクフード店に入った。持ってきていたノートPCを立ち上げ、ディスクを挿入する。イヤホンは忘れない。
片手でシェイクを飲みながら、もう片方の手で会議用の資料を作るためにせっせと働かせる。耳からは彼女の声。シェイクの甘さと彼女の甘ったるい声が頭の中に流れ込んでくる。彼女のシングル曲が恋愛ソングなのは、彼女の希望なんだろうか? とふと思った。前になんだか気になって765プロのアイドルの曲をいろいろ聞いてみたが、案外みんなそうでもない。確かに恋愛ソングの類は結構あるが、それでもだいたい半分ぐらいで、シングル曲が恋の歌ばかりというのは彼女ぐらいだった。となるとやっぱり彼女の希望で、そうなるとこの曲は、誰のために歌っているのか。そんなの、答えは明白だった。そしてその答えは俺しか知りえない。他の誰も知らない。……そんな曲なのかもしれない、なんて思うと、右手が止まっている。はぁ、とため息を吐いてイヤホンを外す。ナゲットのさくっとした食感を数回楽しんで、それから思いっきり目をつむって、開いて、時計を見て、今午後五時。よし、もう少し頑張ろう。
その時。
「やっほっ」
「えっ、は?」
「あら、やっぱり君だった。よかったぁ、これで人違いだったらどうしようかと」
彼女が隣に座っていた。何故?
「いや、別に何かあったわけでもないんだけど、たまたま仕事帰りに前通ったら、見慣れた顔が見えたからつい来ちゃった☆」
「……なるほど?」
「全然なるほどって感じじゃないわね」
そりゃそうだろ……こっちは完全オフモードで、いや、まぁ仕事のことはしてたし、でもオフっぽくぐだぐだ音楽聞きながら……あ。
「あら、イヤホンなんてしてるの? 何聴いてるの?」
「え、いや、別に」
それはまず――
「あ、これ新曲! 君ったら隅に置けないなぁ!」
「いや、それは、その」
「うんうん、別に何も聞かないわよ。でも、よかった」
「え?」
「だってこれ――」
「おーい、莉緒―!」
焦る俺の気持ちと彼女の声を遮るように、若い男の声が聞こえた。
「あ、プロデューサー君」
「莉緒、いきなりどこ行くかと思えば、変装もなしで店の中突っ込んでいくなんて……はぁ、はぁ」
「ご、ごめんね? つい知り合いの顔が見えたものだから……」
「こちらは?」
水を差すようで悪いとは思いつつ、そしてこの質問の答えなんて分かりきっているとは思いつつ尋ねる。
「あ、こちらは私のプロデューサー君」
「ど、どうも、765プロのプロデューサーです」
「ああ、この方が。彼女から話はいっぱい聞いてましたが、確かに――」
「も、もう君ったら!」
「あはは……」
どこかひょろっとしてて、頼りなさげなスーツの男は、右手を後頭部に当てて苦笑いをした。つられて俺も笑った。
「で、莉緒、彼は?」
「彼は、大学時代の同級生なの」
「どうも、同級生一号です」
「ど、どうも?」
「ちょっと、なんで戸惑うような自己紹介するのよ」
彼女は少し困った顔で笑う。うん、これが、彼女の笑い方だ。普段のアイドルの時の笑い方でもない、俺の前でよく見せたこの笑顔。これが、彼女の、百瀬莉緒の――
「おっと、すまん莉緒、春香とミーティングがあるんだった、先帰らなきゃ」
「あ、そっか……こっちは大丈夫だから、安心して?」
「ああ、分かった。すまない、この埋め合わせは必ずするから、じゃあ!」
彼は携帯を見て、何かを思いついたように、店を飛び出していった。
店の一角には、彼女と俺。
「……いいのか?」
「ん? 何が?」
「彼、追っかけなくて」
「あ、あぁ……いいのよ、彼、ああなると……ほら、一人で突っ走っちゃうから」
「へぇ」
ひょろっとしてる割には、必死で全力でまっすぐで芯が強そうな男だったな、となんとなく思う。
「場所、変えよう」
「え?」
「ここじゃ人目に付くだろ。アイドルなんだから、気にしないと」
「あ、うん……」
*
「おじゃま、します」
「どうぞ」
部屋の電気をつける。こんなことになるならちゃんと部屋を片付けておけばよかった。さすがにワイシャツや着替えが部屋の隅に固められた、ぐちゃっとしたワンルームは、あまり客人を入れる部屋とは言えない。
「……随分忙しいのね」
「お前ほどじゃないけどな」
持ち出していたノートPCをデスクにおいて、カバンをベッドの方に投げる。キッチンの電気をつけて、冷蔵庫を開く。……うん、二人分ぐらいなら作れそう。
「何か食べたいものあるか?」
「いや、い、いいわよ、なんか悪いじゃない」
「気にするなよ。『一人分作るのも二人分作るのも、そんなに変わらないから』、だろ?」
「……覚えてるのね」
「そりゃ、貸しだからな」
冷蔵庫から玉ねぎ、にんじん、豚肉に、うん、今日はカレーでいいや。ルーも余ってるしこれを機に食べ切ろう。
「でも、泊まりは無しな。撮られるとまずいだろ?」
「そ、そんなのまだないわよ。私なんてまだ人気ほとんどないんだし」
「嘘つけ。この前電車の車内広告で、『今注目のお姉さん系アイドル』って書いてあったぞ」
「えっ、ほんと? ……善澤さんったら、すぐ盛るんだから」
「まぁ、お前に迷惑かけるわけにもいかないしさ」
とりあえず刻んで炒めて、あとはカレールーだけど――
「それ、ファーストシングルのやつ?」
「ん? 何が?」
「その鼻歌よ、は・な・う・た」
気づかぬうちに『WHY?』を口ずさんでいたらしい。
「あ、あぁ……そうだな。なんだか耳から離れなくて」
「分かるわ。あれ、作詞家の人と私、一緒に歌詞を作ったのよ」
「へぇ、お前そんなセンスあったのか」
「いや、私はただ案を出しただけよ? それをメロディーに合うように作ってもらったの」
「そんなうまくいくもんなのか」
「君がそう思ってるってことは、うまくいったってことよね?」
「……まぁ」
「あはは、君ったら素直じゃないのは大人になっても変わらないのね」
なんだか上手く言いくるめられたみたいで、ガキっぽいけど、ちょっと腹が立って、しばらく無言になってしまう。
そうか、ここで口ずさむほどに、俺はあの曲を聴いていたことになるのか。なんて、今更ながら思ってしまう。そんなに聞いていたつもりもないのに、知らぬうちに、アイドル百瀬莉緒は俺の中に浸透しているらしい。
「ねぇ」
そんな沈黙を破るように、彼女は口を開いた。
「ごめんね、最近連絡全然できてなくて」
「ああ。そりゃ忙しいからだろ。仕方ねえじゃん」
「うん……」
それだけ言うと、彼女はまるで見知らぬ人に出くわした猫のように、縮こまってしまう。
「別に気にしてないから」
「え?」
「ほら、忙しいのももちろんあるだろうけど、もし休みになっても連絡がこないってことは、つまりはあのプロデューサー君とうまくいってるってことだろ? いいじゃん、気にするなよ」
「ま、まぁ……ね?」
「なんだよ、嬉しくないのか」
「いや、ううん、別に、そういうわけじゃないんだけど」
「なんだよはっきりしろよ」
フライパンをゆする手とヘラを動かす手が止まる。はっきりしていないのは、きっと俺も。
「ねぇ、君って、私のこと、いつも見透かしてるわよね」
「どういう意味だよそれ」
「今もそう、別に何も気にすることないって思うべきだって言いつつ、だけどそうじゃないこと、分かって聞いてるでしょ」
「……まぁ」
煮詰まったカレーが危うく焦げそうになって、急いでゆすって、そのまま盛り付ける。ご飯は完全に冷めたままだが。
「でも、肝心なところは見えてないのね」
「どういうことだよ」
「さぁね。ほら、食べましょ、冷めちゃう」
「あ、あぁ、いただきます」
「いただきます」
その日のカレーは味がしなかった。目の前で彼女は無言で食べているし、その間、一度も目が合うこともなかった。彼女は、ついに、俺の何かに迫りつつあるのかもしれない。俺にもまだ分からない、何かに。
*
次の土曜日。毎週毎週、こうして平日の疲れを癒すだけの休日も、すっかり慣れてきた。入社して三か月。やっと、何がどうとか、いろいろ分かってきた。それと、如何に今まで友達に助けられてきていたか、も。
「さすがに暇すぎるよなぁ」
大学時代はよく友達と外へ出かけて、なんなら土曜日からキャンプしたりして、さんざん遊びつくした記憶がある。それに引き換え今は、ただこうしてぐうたらベッドの上でネットサーフィンするだけ。パジャマから着替えることもなく、毛布をたたむこともなく、足をばたつかせてみて、ため息を一つ。インターネットのブラウザを立ち上げて、ニュースを一見。
「最近はアイドル多いんだな」
エンタメ欄にはアイドルの話ばかり。最近はプロダクションも増えてきて、どこも人気を得ようと必死で、まさにアイドル群雄割拠の時代とも呼べそうなほど、その話題で持ちきりだった。アイドルに疎かったのは、もはや俺だけなのかもしれないとまで思わせるほどに。
もちろんそこに、彼女の名前もあった。セカンドシングルは週刊オリコンチャート八位。この前の音楽番組の影響もあって、検索ワードランキング五位にも入っているらしい。今度、同じ765プロ所属アイドルたちと、三姉妹カフェというドラマに出演するらしい。しかも、月九で。彼女はメキメキと力を伸ばしていて、それでいて留まるところを知らないらしい。まったく、そういうすごい一面があるなら早く言えよ、なんて思ってしまう。それなら、大学時代のうちにサインもらっておいたのに。
その時。
『もしもし? 莉緒だけど』
「もしもし。急にどうかしたか?」
彼女から電話がかかってきた。昼の十二時。おそらく彼女はまだ仕事中だと思うが……。
『うん、あ、あのね、決まったの!』
「は? 何が」
いつも主語がない彼女らしい切り出し方で、悪態をつきつつも笑ってしまう。
『ライブ!』
「ライブ?」
『そう! 大型ライブ! しかも、ソロなの!』
「ソロライブ? マジか」
『そうなの! で、それで、君に最初に伝えたくて』
「え、何故?」
『ほら――』
それに続く言葉を、俺は知っている、それは「大学いる間も出てからも、いろいろ相談乗ってくれてたから」。
しかし、返ってきた反応は、予想を裏切るものだった。
『や、やぁねぇ! 別に何でもないわよ!』
「は?」
『ただ、ほら、君が一番上の通話履歴に来ていただけよ! この喜びを、とりあえず誰かに伝えたかったの!』
「そ、そうか」
変な奴だな、って笑えばいいところを、俺も何故か変な奴らしく、そう流せない。
『確か君、セカンドシングルのCD、買ってたわよね?』
「ああ、そういやそうだな」
『あれ、先行予約の優先券ついてるから! ぜーったい、来るのよ? いい?』
「お、おう」
『じゃあね! あ、今行きまーす――』
プツ。
嵐のような電話が去って、部屋にはまた静寂が戻る。
「……CDケース、どこだっけ」
*
嵐はどうやら収まっていなかったらしい。CDケースを探すために部屋を底からひっくり返したかのように散らかし、やっとの思いで見つけたCDケースから予約券の番号を探し、抽選の結果発表までひやひやしながら毎日を過ごし、そして、当選が来てやっと嵐が去った。部屋を片付け、そしてやはり洗濯物の山ができあがった。
「アイドルのライブなんて初めてなのにな」
すっかり追っかけになってしまったらしい。
当選までの間、無我夢中に仕事に取り組んでいたし、家でしていたことと言えば休息、食事、排泄、風呂のみで、娯楽にかまけることなく我武者羅だった。ちなみに、彼女からあれ以来連絡はない。でも、こんなにも夢中に生きたのは、数年ぶり……いや、大学時代にもなかったから、きっと高校時代以来だろうと思う。
「来ちまったな」
そう、高校時代以来だ。こんな胸の高鳴りは。こんな風に緊張するのは。確かに、人前でしゃべるとかになるとそれなりに緊張することは、結構な頻度であったとはいえ、ここまで緊張するのは、きっとあの日々以来。
「開場します!」
係の人の声が聞こえて会場の入り口が開く。集まったファンは数えきれないほどで、あのファーストシングルの時のような寂しさはなかった。というより、そもそも会場の大きさが違う。都内のこじんまりしたCDショップなんかじゃない、大型のライブハウスはそれなりの風格と威厳を携えて、そこにたたずんでいる。そして、その中に彼女と、前々から存在する「何か」の答えがあるはずだ。
*
ざわついた会場内は東京の街よりも騒がしかった。そもそも、ライブに一人で来るというのがマイノリティなのだろう。相手もいない俺はただ携帯でSNSやメールを確認するだけで、話すことは何もない。案の定、彼女からの連絡もない。会場にはライトのセッティングのためか、時折端々でチカチカとライトが光り、暗幕の外へ漏れてくる。入場からしばらくして、立ちっぱなしでいるのもしんどくなって、座ってその始まりを待つ。
「まもなく、765プロ所属アイドル、百瀬莉緒単独公演、『ひらりひらりと魅せられて』を開演いたします」
場内アナウンスが聞こえ、会場は一気に静かになる。その場にまるで竜が現れるかのような緊張感と期待が渦を巻く。
「どうして、君のこと、好きになってしまったんだろう」
『WHY?』のメロディーと共に幕が上がる。そこには、黄色のラインが入った白地のドレスを纏った彼女がいた。
「どうして、恋すると欲張りになってしまうんだろう」
彼女は少し困った顔で、首をかしげて、ピンと伸びた指で頭を指す。その振付に乱れはない。フレーズを歌い切った瞬間、会場はわぁっと声が上がり、ケミカルライトが一斉に揺れ始める。大きな波のように、そして彼女を励ますように。
「Love you Love you 私のことどう Miss you Miss you 思ってるの?」
フレーズに合わせてコールも飛び出す。デビューから三か月。彼女は、もう立派なアイドルだった。時折泣きそうな表情になるも、ウインクで返して、彼女はそのまま踊り続け、歌い続ける。恋の歌を。
「Want you Want you このまま時をずっとずっと止めてしまえたのなら」
*
「お前は卒業したらどこ就職するつもりなんだ?」
「私? ……そうね、なんだかいまいちどこもパッとしないのよ。君は?」
「うーん、家から近そうなところにいいところがあるから、そこかな」
「家からの近さが判断基準なの?」
そう、あの時はまだ同じ場所に居た。
「就職決まったんだって? おめでとう!」
「ありがとな」
「ねーえ、お祝いにこれからどこか飲みに行きましょうよー」
「いいのか? お前まだ決まってないのに」
「いーの、君のお祝いはまずは私がするって決めてたから!」
あの日はまだ俺の方が前に居た。でも、決して遅れることなく、彼女はついてきた。
「えーん、また振られたぁ……」
「今度は何をしたんだ」
「い、いやそれが……何もできなくて」
「何も?」
「その、実は、いつも私、何もできないまま告白しちゃうのよ」
「はぁ、お前ってやつは」
あの日はまだ彼女はか弱い少女だった。恋愛に敏感なくせに奥手で、そして告白だけは思い切りのいい奴だった。
「今日、初出勤だっけ?」
「ああ。お前は……結局どこにもつかずか」
「まぁね。もう少しバイトだけでやりくりしてみるわ」
「困ったらいつでも相談に来いよな。昔の分の貸しがある」
「うふふ、じゃあ、困ったら助けてもらおうかしら」
「ああ、いつでも来い」
あの日はまだ何も知らなかった。彼女の素質も、未来も、そして、自分の想いも。
*
「想いばかり溢れていくだけ」
周りに流されるようにケミカルライトを振ってみる。彼女の顔がよく見えた。不安そうな、少女の顔。彼女が精いっぱい描く、この歌の少女の姿が、そこにある。
「一秒が永遠に思えるの、もう待てない!」
そうか、俺は――
「どうして、君のこと、好きになってしまったんだろう」
「どうして、恋すると、こんなに切ないんだろう」
「Love you Love you ほんとは今すぐ Miss you Miss you 逢いたいけど」
「Want you Want you このまま時をもっともっと早く進められたら――」
*
「昼休憩に入ります。午後の公演は一時半開演ですので――」
ファーストシングルの「WHY?」や765プロの全体曲が数曲あって、トークがあって、ってあっという間に午前二時間が終わってしまった。呆然とピンクのケミカルライトを振って、呆然と聞いて、よく響く会場と綺麗に照らされる彼女の姿が脳内に張り付いて剥がれない。
「あの、鳴ってますよ?」
すっかり昼休憩で静かになった会場の中で呆然と立ち尽くす俺に、隣の人が携帯を指さして声をかけてくれた。
「すいません、ありがとうございます」
そのまま立ち去っていく彼を横目に、どうやら着信らしい携帯を開く。かけてきたのは。
『もしもし? 莉緒だけど』
「お、お前っ!?」
『しーっ、今プロデューサー君に隠れて電話してるんだから』
「す、すまん」
いや、何が済まないのか。悪いのは俺ではないはずだ。だが、反射的にそんな意見も引っ込んでしまう。
『あのさ、今日、来てくれてる?』
「ああ、いるよ。今も客席にいる」
『ほんと? 嘘じゃないのよね?』
「嘘じゃねえよ。なんなら今日の衣装の色まで言えるが」
『そ、そう……嘘じゃないんだ、あはは』
「で? どうしたんだよ。隠れて電話しなければいけないほどの急用って」
『あ、うん、あのね、その、ライブ終わったら、裏の搬入口の近くにいてほしいの』
「は? なんで」
『その、渡したいものがあって』
「お、おう」
搬入口から出てくるようなデカいもの、俺は持って帰れるのだろうか、なんて発想が湧き出る。いや、意味不明すぎる。なんだ、この違和感は。
『来てくれる……?』
戸惑っている時間は、おそらくないらしい。
「分かった」
『ほんと!? ありがとう! じゃあ、また午後の公演で――』
あっ。
「待った」
『えっ?』
「ちょうどいい。会って話したいことがあったから、その後、時間作ってくれ」
『えっ、あ、うん、分かった』
「じゃあな、頑張って」
*
「それでは、ただいまより午後の公演を開演いたします。携帯電話はマナーモードにしていただき、使用はお控えいただきますようお願いいたします――」
午後の公演の幕が上がると、お色直ししたらしい彼女が今度は濃いピンクのドレスで出てきた。そう、あの日、まだ似合ってなかったあのドレス。
「気づいて。迷いの数だけ夢を見てる。本当も嘘も不意に“未読”にして」
恋する少女でもただの大人の女性でもない、色っぽい歌い方。ウィスパーボイスと柔らかく短いビブラートがマイクを伝って会場いっぱいに響き渡る。それはいつも彼女が追い求めていた「セクシー」そのもの。
「仲のいい友達じゃ物足りない、あなたの瞳に映る日まで、恋に恋してる」
会場は前半と異なり、盛り上がるというより聴き入っているようで、ゆっくりとケミカルライトを振り、ゆったりとプールのような波で彼女の声に応える。ピンクと白のライトがきらきらと彼女を照らして彼女の髪、ドレスに反射する。スポットライトが何度もめまぐるしく交差して、彼女を精いっぱい演出する。
「Tell me Tell me Tell me Why, Love me Love me Love me do どうしたって大好きよ」
ウインクも、指先も、その心を観客席の端から端まで振りまいて、彼女は会場を大きく包み込むように歌い上げる。
彼女のぬくもり、恋心。それらが向けられた方向を知るものは、自分だけ。この会場では、他の誰も気づかぬまま、彼女に恋している。アイドル、百瀬莉緒に。
*
「冷えるな」
搬入口付近は風が強く、夏も近いというのに体の熱を奪っていくばかりで、一向に適温になる気配がない。ただ、ライブ会場は暑すぎた。人との距離があまりにも近すぎて、まるで満員電車に何時間もいるような感覚で、それに加えて全員で声出したりライト振ったりと、おそらく下手にランニングするより体力を消耗した気がする。通路脇のコンクリ塀にもたれかかって、たばこを吹かすわけでもないのに、上を向いて一息吐く。
ライブは大盛況の中幕を閉じた。アンコールにもう一度「WHY?」が来て、さらにもう一回アンコールが来て、その時は765プロ全体曲「Thank you!!」が来た。彼女なりに精いっぱい歌いきっていて、彼女がステージを去るその瞬間まで、その姿勢と彼女自身をほめたたえる声が止まなかった。
「アイドル、悪くないな。いいじゃん」
今更、なんて思っていた自分を一発殴ってやりたいほど、初めてのライブは衝撃的で感動的だった。もっとも、これが彼女じゃなければ来てなかったかもしれないが。
「ごめーん! 遅くなっちゃった、お待たせ!」
搬入口の奥、ピンク色の影がうっすらと見え、そこから見覚えのある声と姿が迫ってくる。
「待ってねえよ、俺もさっき出てきたところだから」
「いやぁ、迷ってないかとか思って、客席全部見て回ってたら遅れちゃって……あはは」
こいつ……――
「で? 渡したいものって?」
「も、もう、君ったら、せっかちなんだから、はぁっ、もうちょっと休ませてよ」
「す、すまん」
膝に手をついて息を荒げる彼女は、ステージに立っていた彼女とはまた違う人に見えた。
「ふぅ……さて」
一息ついて、笑顔に戻った彼女は右手に握っていたものをこちらへ突き出した。
「じゃじゃーん! 君が口ずさんでたファーストアルバムの、直筆サイン入り初回限定盤―!」
「……」
「あ、あれ? あんまり嬉しくなかった?」
「いや、それが、その」
「な、なによ、はっきりしないわね」
「……持ってるんだ、それ」
「えっ、じゃあ、まさか」
「初めてのリリイベ、居た」
「えぇっ!? そ、そんな話聞いてないし、ていうかあの時そんなに人数多くなかったから、君がいればすぐわかると思ったんだけど――」
「……すまん」
「い、いや、いいのよ? 君がそこまで熱心なファンでいてくれたなんて、私ちょっと、いや、とっても嬉しいな、って……」
彼女は驚いたり頬を染めたりと変化に激しい。そこにいるのはステージ衣装をまとっているとはいえどいつもの彼女で、さっきの彼女のようなアイドルの姿はどこにもない。
「あはは……えっと、私からはこれだけなんだけど」
俯いて、目線だけをこちらに向ける彼女に、少し心臓が暴れるような衝動を覚える。そうか、次、俺の番なんだ。
「あ、ああ、それなんだけど」
覚悟を決めろ。ちゃんと向き合え。自分をちゃんと整理するんだろ。
「プロデューサーと、どうだ?」
「えっ?」
「いや、ここまでデカいライブをするまで成長したんだ。ライブ、見ていってたんだろ、彼も」
「え、うん……そうだけど……」
「何か進んだか」
「……ううん、まだ、何にも」
目線をそらされてしまう。
「じゃあ、今じゃないのか」
胸が、締まる。
「えっ」
「今、伝えてくるべきなんじゃないのか」
今、伝えて、お前は今度こそ、振られずに、結ばれるべきなんだ。俺はただそのための後押し役。
「で、でも……」
「でもじゃない」
でもじゃない。もう、逃げちゃ駄目だ。
「……どうして」
「ん?」
「どうして、君はそこまでしてくれるの……」
「どうして、って……それが俺たちの――」
「そうじゃなくて!」
彼女の声は、震えていた。どんな状況でもまっすぐだった、彼女の声が。
「君は……いつも私のことばっかり気にかけてくれて……自分のこと全然省みなくて、だから、私がいなくなれば、きっと君はもっと自分のために時間を使ってくれると思ってた……」
「お、おい、何言って――」
「でも! ……君は違う場所でも、いつも私のこと考えてくれて、私、甘えちゃって、何度も連絡して、でも、ほんとは駄目だって……分かってた」
「ちょ、ちょっと待て。どういうことだ、一体――」
「街で会った時も、声かけても嫌な顔一つしなくて、おまけに家でご飯までごちそうになっちゃって、私、君にばっかり負担かけて、何もしてあげられなかった」
「……お前」
「ねぇ、君は、どうして、人にそこまでできるの……?」
「それは……」
言えない。
「私じゃ、言えない……?」
「それは、そうじゃなくて」
「ごめんね、私……薄情な女よね。昔したことだけでこんなにいっぱい無理強いしちゃって」
違う。
「……もう、大丈夫よ。私……一人で、ステージに立てるんだから。君の手を借りなきゃいけない、弱い私はもういない、ううん、いちゃダメなの」
違う。
「だから、私なんて」
――違う!
「そんなこと言うな!」
思わず声が出る。搬入口の奥まで響いて、そして、返ってくる。
「えっ……」
「……そんな風に言うなよ。俺だって、嫌だったらやってない」
「でも、私の話を聞く君はいつもつらそうで――」
「ああ、つらかったよ。なんでか分からないまま、ずっとつらかった」
ああ、こうして溶けていくんだな、胸を押さえつけていたこの閉塞感は。
「ここ最近、なんか変で、ずっと苦しくて、モヤモヤしてて、何か食べても味が分からない日もあって、それで」
ずっと遠回りしてた。素直に言える彼女が羨ましかった。
「ずっと考えてて、でも分からなくて、それで、今日ここへ来た」
でも、ここで踏ん切りつけなくて、いつつけるんだ?
「それで、今日ここで初めて生でお前の歌聴いて、ようやくわかった」
そう、ようやく。この気持ちに。
「俺、お前のこと、好きだ」
ああ、言っちまった。他の男のことが好きな女に向かって、わざと困らせるような言い方して、回りくどく、そして、かっこ悪い。
でも彼女は笑わない。そんな俺を笑うことなく、ただ俯いたまま、そして、涙が一滴。
「……ばか」
「え?」
返ってきたのは、また、予想外の反応だった。
「ばかぁ! ずっと、ずっとその言葉を待ってたんだから!!」
「えっ、おま」
彼女が飛びついてくる。俺はあまりの驚きとその軽さにうろたえながら彼女を抱きとめる。
「君が全然振り向いてくれなくて、それで、どうしようかと思って、他の人の話出したら気にしてくれるかもって思って、でも全然で、君、応援ばっかりしてて」
「えっ、それ、どういう――」
「全然振り向いてくれなくて! 私なんかに興味ないのかなって思って! 私……私!」
俺の胸の中で、彼女はこらえていたものを全て吐き出していく。両手でしがみついて、顔をあげることすらできないまま、何度も、何度も。
「私……ほんとはずっと君のことが好きで……それで……」
「お前……」
「ずっと、言い出せなくて、それで、私、お姉さんぶってるけど、恋愛なんて全然上手くなくて、上手く気づいてもらう方法なんて思いつかなくて」
「……すまん」
「……謝らないでよ。気づいてもらえなかったのは、私が悪いんだから」
「でも――」
「君が謝ることあるっていうなら、私にだってある。でも、もう、謝るのは……いいでしょ?」
「……そうだな」
「ねぇ――」
腕の中に居た彼女は不意に顔を上に向け、そのまま、一回、少し涙の味。
「……おい、俺、初めてだったんだが」
「奇遇ね、私もよ」
彼女は顔を今度はまっすぐにうずめてくる。もぞもぞと動いて、ドレスの裾がひらひらと揺れる。
「………はぁ」
「な、なによ! 私じゃダメだったっていうの!?」
「いーや」
彼女ばかり、いい顔させるわけには、いかないよな?
*
「ねぇ、君は、こっちの水着とこっちの水着、どっちがいいと思う?」
「俺は右」
「ちょっと、見ないで答えるのはやめてくれない?」
彼女はもう既に三十分も水着コーナーで悩んでいる。ちょっとは有名人であることを自覚していただきたいと思うばかりである。
ライブの後、何故か彼女のプロデューサーと会うように仕向けられ、そのまま彼女がすべてのことの顛末を話した。彼は、よかった、と笑って彼女を迎えてくれた。そして、祝福してくれた。どうやら、彼は彼女の希望で、いろいろ協力していたらしい。もちろん、彼女が俺のことを気にしていることから、振り向いてくれないと悩んでいたことまで、全部。彼女にとっての相談役はもはや俺ではなく彼であって、メールを送ることすら忘れてしまっていたらしい。ことの本質を理解しない、彼女のしそうなことである。そう思うと、俺は本当に些細なことで悩んでいたのだと思わされてしまうが。
「じゃーあ、こっちのきわどーいの着て、セクシーな感じはどうかしら! これなんてテレビでやれば――」
「それは駄目」
「えー、どうしてー?」
「駄目なもんは駄目」
「もう、そんなに私って魅力ない……?」
でも、こうして彼女の隣に立って、こうして話しているのも、それがあったからなんだよな、って思えば、それも大きなことだったように思える。
「ああもう上目遣い禁止、それでも駄目ったら駄目」
「あら、ちょっとドキッとしちゃったー? うふふ、じゃあ、こっちも一緒に買っちゃおーっと」
「あ、こら、だから駄目だって」
彼女は今日も笑ってくれる。アイドル百瀬莉緒として、ではなく、ただ一人の存在である百瀬莉緒として。
「あ、あっちにいいのあるじゃなーい! ほら、こっちこっちー!」
「あぁ、もう待ってくれ!」
何故? って聞かれても、それは分からない。
ただ、それが莉緒なんだ、って思うから。