ポテト好きの氷川さん 作:主催
遂にこの日が来てしまったか。天高く登った太陽がジリジリとグラウンドを照りつけている。
「帰りたい」
「一ノ瀬さん何弱気になっているんですか!」
いつもより明らかに高いテンションでいる氷川さんが答える。運動ができる人は本当にいいよな。運動ができない人はこの日がどれだけ中止になって欲しいものか。
「なんでそんなにテンションが高いのか自分は理解に苦しみますね」
はぁ、と氷川さんはわざとらしくため息をつく。
「いいですか一ノ瀬さん。今日の体育祭は一年で一回の行事なんですよ。その一回で本気を出さないでどこで本気を出すというのですか」
「いや、それは運動ができる人に限った話ですよ」
「そんな事ありません。一ノ瀬さんもやる気があれば必ず勝てます」
熱い。氷川さんがどこぞのテニスプレイヤーみたいなことを言っている。
「いやまあ、行事は終わればそれでいいんですけどね」
「なら何が嫌なのですか」
ボッチが体育祭が辛い理由はひとつしかないだろう。そう、待ち時間が異様に長いということだ。自分の出番のとき以外は常に応援席にいなくてはならない。しかもひなたでだ。木陰がないのがまたつらい。
木陰に行こうとすれば人が大勢たむろしているせいでボッチには行き場がない。
「一人で応援席で何時間も座っていることがどれだけ苦痛か氷川さんもわかるでしょう」
「私は基本的に風紀委員で仕事をしているのでそんな経験はありません」
そう言えばそうだった。氷川さんのことだから中学から風紀委員をやっているだろうからこの辛さはわからないはずだ。小学校に至っていえば日菜さんがべったりくっついていたから一人ではなかったのだろう。
「そうですか」
「では、私はそろそろ時間なので行きますね」
「次はいつ頃帰って来るんですか」
「そうですね」
氷川さんはスマホを取り出してスケジュール表を見て答えた。
「今日は基本的に競技に出るとき以外は風紀委員の仕事なのでここに戻って来ることはないですね」
「・・・・。嘘ですよね」
「本当です」
嘘だろ。氷川さんが戻って来ないとなると、自分は一人でここに何時間も座っていることになるのか。
「それでは一ノ瀬さん午後の二人三脚で会いましょう」
「・・・・はい。わかりました」
そう言って氷川さんは今度こそ集合場所に行ってしまった。
「借り物競走に参加する生徒は集合場所まで集まってください」
遂にきた。開会式が始まってから二時間ずっと席に座っていたがついに椅子から背中を離した。
集合場所に行って見るとそこにいるのはどこを見渡しても女子ばかりだった。
(嘘だろ。なんで女子しかいないんだよ)
数が少ない男子は大半は運動ができる人ばかりなので借り物競争に出る人はいないってことか。そんなことを冷静に考えていると、体育委員から競技の説明が始まった。
大体はどこも同じようなルールだろう。スタートしたら中間地点にある紙まで一斉に走り出す。そしてそこに書いてあるお題をギャラリーの人から借りてゴールまで走る。それだけだ。
その説明を聞いているときにふと思った。自分のコミュ力じゃ人に話しかけて物を借りるなんて不可能じゃないのかと。
(や、やばい。完全にこれは誤算だった)
このまま列から抜けてどこかに隠れるかそう考えているときに一組目が走り出した。
(やばいやばいやばい。このままじゃ何百人の前で恥を晒すことになってしまう)
もう抜けようそう思っていたときにはもう遅かった。自分の番は次の次だった。
(あ、終わった)
前の人達がスタートした。やばい心臓の鼓動がこれまでにないくらい早く感じる。そして最後の人がゴールした。
「よし次の組は並んで」
先生からの指示で列に並ぶ。
(ああ、五分後に自分は生きているのだろうか)
「位置についてよーい」
ピストルの音が勢いよく鳴る。それと同時に地面を蹴り出す。一緒に走っているのは女子生徒なのにどんどんと距離を離される。
中間地点まできたときには残りの紙は一枚しかなかった。
(せめてお題は簡単なものにしてくれ)
そう願い紙をめくるがその思いは無残に打ち砕かれた。
異性。確かに紙にはそう書いてあった。
(ちょっと待て。何だこのお題は)
せめて人じゃなくてものにしろよ!そんなことを考えても現実は変わらない。周りの人たちはすでに物を借りに走り出している。
(まずいこのままじゃ生き恥を晒すことになる)
(考えろどうすればいい。そもそも友達もいない自分に異性の友達なんかいるはずないだろ)
もうリタイアするしかないのかそう思い顔を上げると目が合った。
(もうどうにでもなれ!!)
そのまま震える足で走り出す。
「氷川さんお願いします!」
「一ノ瀬さん何をやっているんですか!?まだレース中でしょう!」
「氷川さんが必要なんです!!」
氷川さんは気がついたのかハッとした顔をする。
「そうですか。何を借せばいいのですか?」
「ものじゃなくて氷川さんが必要なんです」
「何を言っているんですか」
「だから、氷川さんが自分に借りられてください!!」
「お題はなんなんですか」
氷川さんはそう言って紙に手を伸ばしてくる。それを払いのける。
「そんな事している時間はないですよ。他の人達はもうゴールしますよ!」
「はぁ、仕方ないわね。一ノ瀬さんしっかりと捕まっていてください」
そう言って氷川さんは自分を持ち上げる。それは、世間で言うお姫様抱っこだった。
「ちょっ!何やっているんですか氷川さん!!」
「飛ばすからしっかり捕まってなさい!」
そのまま氷川さんはグラウンドに飛び出した。やばいこれ思ったよりも結構揺れる。振り落とされないように氷川さんの首に腕を回す。するとさらに氷川さんは速度を上げた。
そのまま氷川さんは先頭集団を追い抜いてぶっちぎりでゴールした。
「ふう、一ノ瀬さんは相変わらず軽すぎます」
「そんなことより氷川さんそろそろ下ろしてください」
「そうですね」
そう言って氷川さんはゆっくりと下ろしてくれる。
「乗り心地はどうでした。プリンセスさん」
「最悪でしたよ。プリンスさん」
そして午後になった。段々と時間の経過ともとに肌が焼けていくのを感じる。
「一ノ瀬さんそろそろ行きますよ」
「ああ、氷川さん。自分はもうだめです」
「何言っているんですか。早く行きますよ」
氷川さんに腕を掴まれて集合場所に引きずられるように連れて行かれた。
「一ノ瀬さんもっと近づいてください」
「ちょっとまってくださいよ」
氷川さんはそう言って足首を固定する。
「いいですか。いちに、で合わせますよ」
「わかりましたよ」
そのままタイミングを合わせて足を動かす。
「あれ、案外簡単じゃないですか」
「そうですね。掛け声無しでやってみましょう」
そのまま掛け声をなしでやって見るが簡単に息が合う。
「・・・・・。簡単ね」
「そうですね。・・・・まあこれも日々の練習のおかげじゃないですか」
「それにしても一ノ瀬さん。あなたもしかしてずっと一人で応援席にいたの?」
「そうですよ。一人でずっとあそこに座っていましたよ。おかげで肌が焼けましたよ」
「あら、引きこもっているあなたにはちょうどいいじゃないですか」
正直言って日焼けはしたくない。お風呂に入るときのあのひりひりする感じが痛いんだよなぁ。
「さて、そろそろ並ぶわよ」
そのまま列に並ぶ。周りの人たちは掛け声はどうだとか、転ばないようにしようねなど話し合っている。
それにしてもやけに視線を感じる気がする。
「氷川さんなんだか視線を感じませんか」
「そうですね。やけに視線を感じます」
周りを見渡して見るとほとんどの人たちがこちらを見ていた。
「なんでこんなに見られているんでしょうか」
「さあ」
氷川さんはあっとした顔で何かを思い出した。
「そう言えば男女で参加するのは私達だけでしたね」
・・・・・またか。確かに他のペアは女子同士男子同士で組んでいる。その中で男女のペアは自分たちだけだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいです。私達の相性を見せつけてあげましょう」
「頼みますから走らないようにしてくださいね」
「そう言う一ノ瀬さんこそ歩かないようにしてくださいね」
その言葉にカチンとくる。
「だいたい氷川さんはいつもそうです。こんなときは走りがちになるんで自分が合わせてあげるしかないんですよね」
「あら、一ノ瀬さんの方こそ私との距離が近いからと言ってやらしいことでも考えているんじゃないですか」
「それこそありえない話です。そもそも氷川さんになんか興味ないですから」
「そんなんだからぼっちのままなんですよ」
「ぼ、ぼっちじゃないですし」
「あら、一ノ瀬さんみたいな人を相手してくれる物好きなんかいたんですか」
「そんなやつにいつも何かしらやってくる物好きが目の前にいるんですけどね」
「「ふん」」
最近少し見直したと思ったけど氷川さんはこういう人だ。
そのまま険悪なままスタート位置につく。
「足を引っ張らないでくださいよ」
「それはこっちのセリフです」
ピストルの合図で走り出す。
お互いに顔も声も合わせることもなくただ黙々と走っている。っていうか走るに近いスピードだった。
「この程度ですか一ノ瀬さん」
「そんな安い挑発には乗りませんよ」
口ではそう言ったが足の速度を少しだけ上げる。そのまま全速力に近いスピードでゴールした。
後ろを見てみると他のペアはまだスタートに近い場所にいる。
「まあ、私と一ノ瀬さんが組めばこんなもんよね」
「そうですね。正直余裕でした」
「それにしても一ノ瀬さんあんなに早く走れたんですか」
「流石に馬鹿にしすぎですよ」
「それじゃあ、応援席に戻りますね」
そう言って足首の手ぬぐいを取ろうとしたが固くて取れない。
「何をやっているんですか。変わってください」
氷川さんは外そうとしてみるがなかなか取れない。
「この!」
無理やり外そうと力を入れたら更にきつく絞まる感覚がした。
「何やってるんですか」
「私は悪くありません。この手ぬぐいがわるいのよ」
その後も二人で試行錯誤してみるが結局はずれずにそのまま風紀委員の集まりの時間だとか言うのでしょうがなくついていったら席に戻っていいと言われ氷川さんと席に戻った。そのまま二人で座る。とんでもない視線を感じて正直生きた心地がしなかった。
結局そのまま最後まで外れずに閉会式のあとに氷川さんのお父さんになんとか外してもらった。
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