投稿はのんびりです。
1話 地に落ちた神と、女神の名を冠する少年
「・・・君・・・しっかり・・んだ・・・きろ・・・」
何か、音が聞こえる。
鼓膜に届くその振動は、水面に投じた石のように、波紋を生み出して、俺の世界を広げていく。
次に、熱を感じた。
凍えた大地に吹き付ける、春風の如き温かな奔流が、冷たい身体を満たしていく。
鼻孔をくすぐる甘い薔薇の香りに導かれて、俺はゆっくりと、重い瞼を上げた。
「っ・・・ぐ、ぅ・・・」
言葉を発しようと口を開くが、掠れた呻き声が漏れ出るのみ。
足の先から頭の天辺まで、全身の感覚が曖昧で、酷く怠い。
一体、何が起ったというのだろう。
必死に記憶を探るが、答えは出ない。
もしかしたら、ゼウスの怒りでも買って、雷に打たれてしまったのだろうか。
「む、目を覚ましたか・・・! 咄嗟の判断だったが、小宇宙を送ったのはどうやら正解だったようだな」
「? ・・・おまえが、おれを、よんでいたのか?」
聞き馴染みのない声だ。
僅かな疑問を抱きながらも、間近の存在へと視線を向ける。
そこには、端麗な容姿をした、10歳にも満たない少女がいた。
・・・いや、声から判断すると、少年、なのだろうか?
太陽の光を反射する、櫛梳かれた空色の長髪。
深く透き通った湖を彷彿とさせる、意思の強い瞳に、艶のある林檎色の唇。
見た者の視線を惹きつけて離さない、思わずはっとしてしまうような美しさだ。
少年は、安堵の溜息を吐きながらも、俺の問いかけに答えるようにして頷いた。
「私の名前はアフロディーテ。聖域に向っていたところ、地に倒れ伏す君を見つけたのでな。簡易ではあるが、小宇宙による治療を施したのだ・・・具合はどうだろうか」
「聖域? ・・・あぁいや、助けて貰ったようで感謝する。具合はそうだな、体中が怠くて・・・──!? あ、あああ、アフロディーテだって!?」
「何だ? 私のことを知っているのか」
「知っているも何も! まさか、アーレスとの密会をヘパイストスに告げた件をまだ怒っているのか・・・!?」
全身の血がサッと下がる。
容姿が異なるため油断したが、この空色の髪をした少年は、女神アフロディーテの化身だったというのか・・・・・・一体、何を企んでいるんだ。
少年から距離をとろうと身体に力を入れるが、上手く動かすことが叶わず、
地面に引き寄せられるようにして転がってしまう。
「・・・なるほど、どうやら酷く頭を打ちつけたらしいな。神の名を子につけるなど、そう珍しいことでもないだろうに」
「・・・んん? なんだ、お前は女神アフロディーテの化身ではないのか?」
「私は神でなければ化身でもない。ただの人間だ。・・・フッ、だが、他人よりも優れた容姿をしているという点に関しては、否定する気はないのだがな」
「・・・人間だって? なんで、人の子が天界に──いや、まさか、ここは地上なのか」
咄嗟に、辺りを見渡す。
周囲は鬱蒼と生い茂る樹木と、地面の露出した道が前後に伸びていた。
知らない土地・・・地上に存在する、どこかの樹林のようだ。
うん、明らかにおかしい。
俺は確か、自分の神域に長いこと引き篭っていたはずだ。
地上に降りた記憶などない。
「ふむ・・・君、名はなんというのだ 」
アフロディーテと名乗った少年が、顎に手をあてながら言った。
名前、俺を指し示すための名称。
あぁ、それならきっちり覚えているとも。
俺は少年に向かって、意気揚々と腰に手を当てながら答えた。
「ふ、ふふ、聞いて驚くがいい。俺こそは、高みを行く者──偉大なる父ヒュペリオンと、女神テイアの息子にして、誓約の守護者──太陽神ヘリオスである!」
後光をペカーッと輝かせながら・・・あれ、出ない・・・まあ調子が悪いしな、そんな感じで俺は宣った。
人間の子供であるのなら、心底驚いて、引っ繰り返ることまず間違いなしだろう。
何せ、目の前に
ふふんと鼻を鳴らして反応を待つと、少年は哀れむような視線で静かに口を開いた。
「・・・相当、打ちどころが悪かったのだな。見ていて痛々しくなるまでの悲惨な有様だ・・・まさか、自らを太陽神と思い込んでしまうとは・・・」
「!? なっ、なんだその可哀想なものを見る目は! 俺は嘘なんてついていないぞ・・・!」
失礼な少年の態度に対し、焦ったように抗議する。
しかし、少年は困ったことを言う子供を宥める大人のようにして、言葉を発した。
「はぁ・・・だいたい、太陽神ヘリオスが君のような子供である訳がないだろう。大方、物盗りか人攫いにでも遭遇し、逃げ出した途中で力尽きた、といったところか」
「はぁ? 俺のどこが子供であると・・・・・・な、なんだ? この棒きれのように短い四肢は・・・??」
反論しようと自らの身体に視線を移し、時が止まる。
青年サイズだった俺の体躯が、なんと、頼り無い幼子のそれへと縮んでしまっていたのだ。
「・・・・・・・・・」
絶句。
絶句も絶句、超絶句。
いやもう本当、無理、勘弁してくれ。
キャパオーバーで発狂の3秒前、といった感じだ。
「・・・──ッッ!! いや待てよ、まだ諦めるには早いぞ、ヘリオスよ・・・!」
右拳を力強く握りしめて、よろよろと立ち上がる。
そうだ、まだ慌てる時間などではない。
確か昔、アポロンに身体の年齢を操る技を教えて貰ったはずだ。
老いることのない神には不要な力だと思っていたが、まさか役に立つ日が来ようとは。
「・・・君は先程から、何をしているのだ?」
「まあちょっとな! なに、直ぐに終るさ」
怪訝そうな表情を浮かべるアフロデイーテに、満面の笑みで答え、俺は大きく深呼吸をした。
両の足で大地を強く踏みしめ、意識を研ぎ澄ませていく。
奇跡の力を操るための鍵──詠唱に必要な言の葉を、頭の中で反芻し、調べ歌う。
「・・・
──球状の空間を作るように、胸の前で両の掌を対照的に構え、固定する。
一つの時空を、自らの手の中に創り出すイメージだ。
少しずつ小宇宙を注ぎ、乱回転させ、圧縮させていく。
「小宇宙が茜色に輝いて・・・っヘリオス、それ以上は・・・!」
激しい風が吹き荒れ、緋色の長髪が宙を舞った。
黄金の瞳を煌めかせて、俺は最後の言葉を世界に放つ。
「因を律する
突如として、全身が稲妻に貫かれたかの如く痙攣した。
どぷり、と口から赤い液体が流れ出し、口内に不快な鉄の味が広がっていく。
「・・・な・・・んで、血が・・・??」
「このッ・・・君は馬鹿か! 死にかけた身体で小宇宙を膨大に放出するなど、自ら命を削るにも等しい行為なのだぞ・・・! 何を考えているんだ!」
「は、ははは、人の子が何を言うかと思えば・・・こ、この程度の・・・小宇宙の消費で、神が死ぬわけ・・・ゲフゥッ!!」
「あああああ! おのれッ! 私に向って吐血するのは止めたまえ・・・! もう君は黙って大人しくしていろ!」
棒きれのように短い両足が、がくがくと震える。
はは、まるで我が父ヒュペリオンが
ふらり、と身体が傾く。
また地面に戻るのか・・・もういいや。
このまま倒れたら眠ってしまおう。
そんな投げやりにも近い思考に陥った瞬間、仄かな薔薇の香りと共に、背中が力強い腕によって支えられた。
「・・・アフロ・・・済まない、助かった」
「有り難く思うのならばそこで名前を省略するんじゃない・・・! ・・・全く、傷を悪化させおって・・・君の使おうとした術についても、詳しく聞かねばならなくなったぞ・・・はぁ」
溜息を吐きながら、アフロディーテは俺を雑に背負い上げて、歩き出した。
「何処に行くんだ、人の子よ」
「いい加減、神の真似は終わりにしたまえ・・・聖域だ。本来ならば部外者の立ち入りは御法度なのだがな」
「・・・聖域・・・どっかで聞いた名前だなあ・・・」
記憶の底を探るが、何もそれらしい情報はヒットしてくれない。
まぁ、着いてから考えればいいか。
少年の足取りに合わせて揺れる身体に、うとうとと瞼が下がる。
いつしか意識は微睡んで、夢の世界へと旅立っていった。
男は、穏やかに微笑む。
『・・・許しは請うまいよ』
炎のように、ゆらゆらと揺れる紅い髪。
金のサークレットの下には、悲しみに濡れた蒼穹の瞳が覗いている。
『なに、お前なら地上でも生きていける・・・この私が保証しよう』
男は、優しく言葉を紡ぐ。
嗚呼、なんと懐かしい──久方ぶりに見る、我が朋友の顔だ。
・・・しかし、些か様子がおかしい。
何故、彼は、これ程までに悲愴な空気を醸成しているのだろうか。
『お前の旅路が、太陽のように輝いたものであることを祈ろう・・・達者でな。奈落ではなく、天界に在ることを許された、もう一つの太陽、ヘリオスよ』
友の姿が遠ざかっていく。
駄目だ、待ってくれ。
数百年ぶりに会うんだ、もっと話をしたっていいじゃないか。
何も急く必要などない・・・時間は半永久的にあるのだから。
だから、だから────。
「──行かないでくれ、アポロンッ・・・!」
「・・・起きたか、ヘリオス」
「・・・ぁ?」
中性的な声が、俺の名を呼んだ。
何者だ、と目を向けると、空色の髪をした美しい少年──アフロディーテと、その横に二人の大人が並び立っていることに気がつく。
「教皇様、見ての通りです・・・少々、記憶の混濁が激しいらしく、この者は自らを太陽神ヘリオスだと思い込んでいるのです」
「ふむ・・・しかし、神の力は感じられぬ。ただの幼子なのだろうよ」
「ですが、教皇様。瀕死の状態で発見され、小宇宙を操る術を持っている・・・この少年は、その能力故に何者かの悪意に晒された可能性が・・・」
黄金のマスクに黒の法衣を纏った教皇とかいう者。
そして、額に赤いバンダナを巻いた真面目そうな男が、難しい表情で言葉を交わしてた。
「・・・・・・」
完全放置である。
この者達には不敬とかいう概念はないのだろうか?
・・・よし、やることもないしな、ここらで自らの状況の整理でもしておこうか。
まず、神域に引きこもっていたはずが、気づいたら地上で行き倒れており、何故か身体が幼くなっていた。
そして、元のサイズに戻るために神の業を使おうとするが、小宇宙が足りず、ぶっ倒れる。
最終的には、アフロディーテという少年に背負われ、聖域に向う途中に眠ってしまい・・・今の状況に至る・・・か。
アポロンに教えて貰った業すら使用できないことから鑑みるに、今の俺には自力で天界に戻る力もないのだろう。
・・・なんで?
何がどうしてこうなった?
反射的に緩まる涙腺が、決壊してしまわぬよう空を仰ぐ。
すると、教皇とかいう怪しい男が、俺に声をかけてきた。
「ヘリオスとやら、お前はアフロディーテに拾われる前は、どこに居たのだ?」
「どこって・・・天界だな」
正確には、天界にある自分の神域だ。
「・・・生まれは、どこなのだ」
「天界だな」
天界生まれ天界育ちの純粋培養だな。
「・・・・・・何か、今の状況に思い当たる節は?」
「思い当たる節? ・・・あっそうだ」
「む、何か手がかりが──」
「ここ数百年は神の役割を放棄して、自分の神域に引きこもっていたからな・・・怒ったゼウスの雷に打たれて、地上に落ちたのかもしれない」
「・・・・・・・・・なるほど、よく分かった」
教皇と呼ばれる人間は、重苦しい溜息を吐き出した。
黄金のマスクをしているため、口元しか表情を伺うことはできないが、どうやら酷く悩ましげな雰囲気だ。
そういえば、アポロンもよくこんな感じになっていたっけ、懐かしいな。
思い出に浸っていると、少しの間を置いて、教皇が口を開いた。
「幼い身空で外界に放り出す訳にもいかぬ・・・ヘリオスよ、元来た場所を思い出すまでは、この聖域で過ごすが良い・・・そうだな、アフロディーテ」
「は、はい」
「聖衣の争奪試合前に悪いのだが・・・この者の世話を焼いてやることはできるか?」
「っ私が、ですか? コホン・・・いえ、謹んでお受けいたします」
「うむ、頼んだぞ。困ったことがあれば、周りの助力を仰ぐが良い」
「ははは、忙しくなるな、アフロディーテよ。何か、私でも力になれることがあれば、いつでも人馬宮の門を叩くと良い。喜んで協力しよう」
「アイオロス・・・有り難うございます。恐らく、明日にでもお邪魔することになるかと」
どんよりと曇った瞳で、アフロディーテは肩を落とした。
俺を背負って長い道を歩いた疲れだろうか、可哀想に。
労うように少年の背をぽんぽんと叩き励ますと、アフロディーテは顰め面で俺の腕を掴んだ。
「・・・ほら、行くぞヘリオス」
「あっ、ちょっと待ってくれ。俺の傷は、誰が治療してくれたんだ?」
「む? お前の傷を癒やしたのは私だが・・・まだ痛むところがあるのか」
「教皇・・・さんか、感謝する・・・! いいや、どこも痛いところなどない。むしろ、平時よりも身体が軽いくらいだ! 素晴らしい癒術の腕前・・・手放しで賞賛しよう」
「フッ・・・それは上々。・・・これからは、自らの身体は大切に扱うのだぞ」
「あぁ、もう少し気を遣うことにするよ」
そう言って、俺は手を振りながら、教皇さんとバンダナの男に別れを告げた。
「・・・君には、ここでの礼儀作法も教えなくてはならないな」
げっそりとした表情で呟く、アフロディーテに引きずられながら。