二人の聖闘士に続き、木々の隙間を進んで行く。
「アフロディーテよ、一つ、お前に言っておくことがある」
「なんだ?」
「あと少し進めば、件の太陽神の元へと辿り着く。そして私とお前は、神と、戦うことになるのだろう」
純白の衣に身を包んだ男が足を止め、真剣な表情で振り向いた。
「力を惜しめば勝利はない。故に、一対一が聖闘士の基本であるとはいえ、共闘は必然だ・・・だが決して、私には近づくな。後方にて距離をとり、私の援護をする形で戦いに望んで欲しい」
「訳を、尋ねようか?」
問いかけるアフロディーテに、アルバフィカは僅かに沈黙してから、ゆっくりと唇を動かした。
「私の身体には、"毒の血"が流れている・・・傷から噴き出た血を浴びれば、命はない」
「・・・それは、毒を操る魚座の聖闘士であっても、耐えられぬ程のものなのか」
「そうだ。・・・現に、私の血で、魚座の聖闘士であった私の師は・・・──命を、落としている」
「・・・!」
鋭く息を呑み、俺とアフロディーテは目を見開いた。
硬直する俺達を視界に留めながら、アルバフィカは言葉を続ける。
「私の毒の血は、ルゴニス先生から受け継いだ、魚座の誇りであり・・・大切な、絆なんだ。・・・故に、この毒で守るべき民や同胞を傷つけることは、あってはならない。どうか、聞き入れて欲しい」
艶やかな長髪を揺らしながら、男は凜と紡ぐ。
研ぎ澄まされた刃の如き、真っ直ぐな視線の奥には、滲み出る何かがあった。
「・・・誇りと、絆か・・・承知した。貴公の言った通りに動くとしよう」
一瞬きの後に、アフロディーテは肯定の意を込めて応えた。
アルバフィカは小さく微笑む。
「感謝しよう、今代の魚座よ」
それだけ言って、男は踵を返して、再び歩み始めた。
衣に木漏れ日を反射させるアルバフィカを追い、俺達も足を動かす。
前へ、前へ。
生き物の死滅した森の中を、唯ひたすらに突き進む。
暫くして、濃厚な、甘ったるい香りが鼻腔をかすめた。
前方──幾つかの樹木を超えた先に、紅い光を反射する空間が拡がっている。
とうとう、目的の地へと到着したのか。
「ん・・・? あれは・・・結界か?」
前方の空間を包み込む、薄い膜のように、何者かの小宇宙が展開していた。
件の偽神の小宇宙を感じられなかっため、不思議に思っていたのだが、どうやら境界を区切ることで気配の放出を防いでいたらしい。
「・・・疑似神域でも展開して、神性を補強しているのか? 畜生、他神の管轄地で好き放題してくれるな・・・!」
「ヘリオスよ、その・・・疑似神域、とはなんだ?」
怪訝そうに問い掛けるアルバフィカに、少し考えてから口を開く。
「簡単に説明すると・・・そうだな、領域を内と外に分けることによって、自らの神域のようにして、権能を振るえる空間を作り出す技法、と言えばいいだろうか」
「ふむ・・・それは、女神アテナが聖域に貼る結界と、似た様なものだと思えば良いか?」
「あぁ、その理解で十分だ。今言えるのはそれくらいだな・・・別途、気づいたことがあれば伝える」
「承知した。・・・では、行くぞ」
真剣さを増した声で言って、アルバフィカは結界内へと侵入する。
次いで、アフロディーテが颯爽と歩みを進めた。
「・・・・・」
ごくり、と生唾を飲み込む。
美しい赤薔薇で彩られていようが、この先は
気を引き締めろ。
眉間に力を込め、神経を尖らせた俺は、力強く一歩を踏み出した。
そして。
「──ッ!? この、小宇宙は、まさか──アポロンの・・・!?」
動揺。
焦燥。
胸が詰まるような、懐かしさ。
「・・・・・・どうしてこんな所に、アポロンの小宇宙が・・・」
湧き上がってくる様々な感情に翻弄され、か細く声を零す。
すると、様子の変わった俺に気が付き、少年が振り返った。
「ヘリオス? 一体どうし──」
「──今、我が怨敵の名を呼んだ者は、誰か」
ずん、と、荘厳さに満ちた声が、世界に轟いた。
腹の奥に響くような、畏怖すら覚える声音だった。
吸い寄せられるようにして、視線が動く。
「・・・あれが、太陽神ヘリオス、だと?」
「っ・・・お前が、俺の名を騙る者か・・・!」
呻くアフロディーテに続いて、声を荒げる。
紅く咲き乱れる薔薇の園に、屹立する神が一柱。
それは、美しい、男だった。
肩まで伸びて揺れる、鮮やかな藍色の髪。
豊かな睫毛に縁取られた瞼に──虚ろに染まる、蒼の瞳。
血のように紅い衣と、それを覆う冷たい白の外套。
一目見ただけで確信する。
あれは、紛う事なき、一級神だ。
──しかし、
何よりも目を引くのは、美麗な容姿でも、圧倒的な小宇宙でもなく、
──男を中心として渦巻く"漆黒の瘴気"だった。
憤怒が、悲しみが、重苦が、拒絶が──虚無が、形を為して顕現しているかのような。
男神の足下から溢れ出る醜悪な闇に、思わず眉根を顰めた。
「・・・まるで、混沌から、負の感情だけを掬ったような有様だな」
アルバフィカの身を侵食していた瘴気など、比較にもならない。
とんでもない濃度の穢れだ。
冥界に連なる神でさえ、これ程までに暗く染まる瘴気を発することはないだろう。
「お前だな? 忌々しい、アポロンの名を口にした者は」
冷徹な声で、偽太陽神は俺を睨めつけ宣った。
途端、カチンと、頭に血が上る。
「・・・あ? 俺の名を騙るだけには飽き足らず、お前、俺の友を貶すつもりか?」
「友だと? フッ・・・矮小な人間の子が、あのアポロンの友を自称するとはな、とんだ笑いぐさだ」
「俺は人間でもなければ、虚言吐きでもないわ・・・! この偽太陽神が・・・お前は一体どこの何者なんだ、答えろッ!!」
「・・・なに?」
吠える俺を、神は、訝しむような目で見据えた。
「そこの人間から訊いてはいないのか? 私は太陽神ヘリオス、この島を統治する──」
「既に分かっている嘘を吐くな。一応はゼウスよりも先に生まれたこの俺が、一度として見たことの無い神・・・答えろ、お前は、どこから来た、何者だ」
「・・・・・・ふむ。成る程、その小宇宙・・・酷く儚いが、この島に残存していたものと同質のようだな」
すう、と目を細めて、男神は口を動かした。
「そうか、"ヘリオス"とはアポロンを指す名の一つだと認識していたが、
薄く、嘲りの笑みを讃えて、男神は朗々と言葉を発する。
「──我が名は、フォェボス・アベル。神々の父にして、全知全能の神ゼウスの子であり・・・
「・・・──は? 異界・・・っい、異世界だと!?」
愕然と、間の抜けた声を上げる。
異世界──平行世界とも言える、遙か彼方に在る時空。
その、並大抵の神では超えることの叶わぬ果てから、アベルはやって来たというのか?
にわかには信じられないが・・・もしも、その言葉が真実であったとするのなら。
この神は、力を失った状態で世界を超え、死者を蘇らせたということになる。
眼前の神を凝視し、硬直していると、沈黙を守っていたアルバフィカが口を開いた。
「よもや、ヘリオスの言葉が真実であったとはな。太陽神ヘリオスの名を騙る、異界の神・・・フォェボス・アベルよ。お前は
「フッ・・・私の元から逃亡した聖闘士が、自らの足で戻ってきたかと思えば・・・お前は一つ、勘違いをしているな?」
「・・・勘違い、だと?」
鸚鵡返しに問う人間に、異界の神は平然と口を開く。
「"私達の世界"と言ったが──ここは、お前が守り、戦いの果てに没した世界ではないのだぞ?」
「・・・・・・は?」
「やはり気が付いていなかったのか、アルバフィカ、気高き魚座の聖闘士よ。お前は、此処でも、私の居た世界の人間でもない・・・異なる世の冥界にて眠り、私に選ばれ、蘇った者なのだ」
「なっ・・・アルバフィカも、異界から来た者だったのか!?」
驚き叫び、アルバフィカを見やる。
前方の人間は身じろがない。
だが、ただ一つ、その指先は動揺を表すように、微かに震えていた。
「もう良いだろう──我が元に戻れ、アルバフィカよ。この地上にいる民は、お前の守った人間達とは縁はない。ここに、お前の守るべき者は存在しない。・・・故に、お前が私に逆らう理由は、既に潰えたのだ」
「・・・・・・」
「っ・・・アルバフィカ・・・!」
声を荒らげ、男の名を呼ぶ。
しかし、アルバフィカは、縫い付けられたかのように立ち竦み、何も語らない。
その胸中をはかることは叶わず、僅かな焦燥が俺の心に浮き上がり始める。
──すると、
「ふん、全知全能の神の子を名乗りながら、お前は、人というものを何も理解できていないのだな」
突如として、澄んだ声が空間に響いた。
「なに?」
「あ、アフロディーテ?」
声の主は、事の成り行きを俯瞰していたアフロディーテだった。
失笑を零し、少年はアルバフィカに視線を向ける。
「言葉にするのも愚からしいことだが・・・貴公ならば、答えられるだろう。そこの物知らぬ神のために、教えてやれ」
「・・・──そうだな」
囁くように呟いて、アルバフィカは右手に一本の薔薇を添え、それを左胸に掲げた。
「アベルよ──世界など、関係はないのだ。目の前で苦しみ喘ぐ民がいるのなら、その者を救う為に拳を握り、立ち向かうのが聖闘士だ」
敢然と言い切った男に呼応するかの如く、深紅の薔薇が宙を舞う。
「・・・縁のない者達のために、みすみすその命を散らすというのか?」
「縁ならば既に──此処にある」
迷いのない瞳で振り向き、俺と、アフロディーテを視界に納めて、戦士は言葉を綴る。
「傷に塗れ、倒れ伏す私を助けてくれたヘリオスが・・・私の誇りを信じてくれたアフロディーテが、彼等がいる・・・! 世界を超えた先で、人の世の平穏を望む、幼くも勇ましい同胞達に出会うことが出来たのだ・・・──ならば」
男は、一輪の赤薔薇を神に標準し、猛然と叫ぶ。
「例え、二度目の生を与えられたとしても・・・私はお前の軍門には降らない! この島の民のため、そして、私を信じてくれた異界の同士のため──この命、燃え尽きようとも悔いはない!!」
声は、紅く染まる天の果てまで轟いた。
異界の戦士の言葉が、長い余韻を残して消える。
俺はちらりと、視線をアベルへと向けた。
凛烈なる相貌の男神は、読めない表情で、アルバフィカを視ている。
だがしかし、その虚ろな眼に、一瞬、苛立ちにも似た色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
「・・・・・・そうか」
やがて。
少しの間を置いて、アベルは、小さく息をついた。
ピリッ、と、空気が張り詰める。
──くるか・・・!
身構え、射貫くように、異界の神を注視する。
すると、漆黒の闇を纏う神は、右手をゆっくりと持ち上げて、一言、
「──残念だ」
「──ッッ!? が、あああああああッ!!!」
アルバフィカの心臓から、漆黒の闇が噴き出した。
「アルバフィカッ!?」
「無駄な力を割きたくはなかったのだがな・・・従わぬというのなら、致し方あるまい」
憐憫にも似た空気を纏い、アベルは冷たく言葉を放つ。
不味い。
反射的に、そう感じた。
「──やらせないッ!!」
浄化の小宇宙を燃やし、暗闇に包まれる同胞の元へ駆ける。
間に合え、間に合ってくれ・・・!!
悲鳴にも似た叫びが、心の中で木霊する。
全身全霊をかけて、地面を蹴る。
しかし。
「──ヘリオスッ!!」
「えっ──」
バキンッッ!!!
と、鈍い音が、耳朶を打った。
何が起きたのか理解出来ず、呆然と瞬きを繰り返す。
──視界に拡がるのは、小さな、金色の背中だった。
心臓がけたたましく、ドクドクと脈打つ。
「・・・・・・あ、アフロディーテ・・・?」
「ぐっ・・・聖衣も纏わず、この威力か・・・!」
呻く少年に、何故、と問おうとして、その先にいる存在に、息を止める。
「・・・そん、な」
一回り小さい、アフロディーテの右手に止められる、
漆黒の闇に包まれ、虚ろな瞳で少年を見据える、魚座の聖闘士。
その姿が意味することは、ただ一つ。
異界の太陽神による、人心の掌握──完全支配。
「はあぁぁッ!!」
猛り吠えて、アフロディーテは空いた左腕を突き出した。
何の飾り気も無い、光速の、小宇宙を込めた正拳突き。
しかし、アルバフィカは後ろに飛び退き、それを難なく躱してみせた。
「忌々しいアポロンの結界により、私はこの場を動くことが叶わなかったが・・・フッ、私の小宇宙により蘇り、私の意思によって命を繋がれている人間が・・・何故、このアベルに盾突けるなどと思えたのか」
異界の神は、嗤う。
「その身を蝕む小宇宙をいくら祓ったとしても、その命が私の力によって維持されている以上、この支配から逃れる術などないのだ」
「・・・・・・」
アルバフィカは、アベルを守る騎士のようにして、赤薔薇を構えた。
信じたくない。
だが、目の前で起きている全てが、現実なのだ。
異界の同士は、魚座のアルバフィカは、もういない。
熱い闘気は失われて、誇りは、暗闇へと沈み、消えた。
俺達の前に立ち塞がるのは、太陽神アベルの手により蘇った、コロナの聖闘士。
「・・・アルバフィカ」
「ヘリオス、君は、下がっていろ。君は十分、役割を果たした」
「だけど・・・!!」
「──ここから先は、聖闘士の務めだ」
少年は、見たことの無い厳しさを漂わせ、足を踏み出した。
何故そうも粛然としていられるのかと疑念を抱くが、その背に溢れる攻撃的な小宇宙を認識し、悟る。
──アフロディーテは、激怒しているんだ。
「・・・確かお前は、我が妹、アテナの聖闘士にして、私に忠誠を誓った魚座の・・・」
「どこの世界での話をしている、私を愚弄しているのか?」
「・・・フッ、まぁ良い・・・私の邪魔をするというのなら──慈悲はない」
太陽神アベルは、冷ややかな声で、裁定を下す。
「そこの者達を殺せ、アルバフィカよ。この島を・・・この世界を我が手中に収め──真なる太陽神とは誰なのかを、愚かな神々に知らしめるのだ」
「──・・・御意」
「行くぞッ・・・!」
アルバフィカと、アフロディーテ。
二人の魚座による戦いの火蓋が、切って落とされた。
真紅の少年伝説視聴後の作者。
「・・・結局、真紅の少年は誰だったんだ・・・?」
困惑しています。
お気に入り登録、温かい感想など、本当にありがとうございます。
好き勝手に書いているので、評価バーに色がついたのはとても驚きました。本当にありがとうございます。
リアルが忙しすぎて執筆速度が落ちていますが、のんびり更新していきますので、読んでいただけるととても嬉しいです。
今話は、ヘリオス以外の登場人物の名前が「ア」から始まる方しかいなかったので、結構混乱しながら書いてました(白目)