マイナー太陽神ヘリオス、人になる   作:歌詠

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9話 忘れ去られた太陽

 

 

 

 

 

 二人の聖闘士に続き、木々の隙間を進んで行く。

 

「アフロディーテよ、一つ、お前に言っておくことがある」

 

「なんだ?」

 

「あと少し進めば、件の太陽神の元へと辿り着く。そして私とお前は、神と、戦うことになるのだろう」

 

 純白の衣に身を包んだ男が足を止め、真剣な表情で振り向いた。

 

「力を惜しめば勝利はない。故に、一対一が聖闘士の基本であるとはいえ、共闘は必然だ・・・だが決して、私には近づくな。後方にて距離をとり、私の援護をする形で戦いに望んで欲しい」

 

「訳を、尋ねようか?」

 

 問いかけるアフロディーテに、アルバフィカは僅かに沈黙してから、ゆっくりと唇を動かした。

 

「私の身体には、"毒の血"が流れている・・・傷から噴き出た血を浴びれば、命はない」

 

「・・・それは、毒を操る魚座の聖闘士であっても、耐えられぬ程のものなのか」

 

「そうだ。・・・現に、私の血で、魚座の聖闘士であった私の師は・・・──命を、落としている」

 

「・・・!」

 

 鋭く息を呑み、俺とアフロディーテは目を見開いた。

 硬直する俺達を視界に留めながら、アルバフィカは言葉を続ける。

 

「私の毒の血は、ルゴニス先生から受け継いだ、魚座の誇りであり・・・大切な、絆なんだ。・・・故に、この毒で守るべき民や同胞を傷つけることは、あってはならない。どうか、聞き入れて欲しい」

 

 艶やかな長髪を揺らしながら、男は凜と紡ぐ。

 研ぎ澄まされた刃の如き、真っ直ぐな視線の奥には、滲み出る何かがあった。

 

「・・・誇りと、絆か・・・承知した。貴公の言った通りに動くとしよう」

 

 一瞬きの後に、アフロディーテは肯定の意を込めて応えた。

 アルバフィカは小さく微笑む。

 

「感謝しよう、今代の魚座よ」

 

 それだけ言って、男は踵を返して、再び歩み始めた。

 衣に木漏れ日を反射させるアルバフィカを追い、俺達も足を動かす。

 

 前へ、前へ。

 生き物の死滅した森の中を、唯ひたすらに突き進む。

 

 暫くして、濃厚な、甘ったるい香りが鼻腔をかすめた。

 前方──幾つかの樹木を超えた先に、紅い光を反射する空間が拡がっている。

 とうとう、目的の地へと到着したのか。

 

「ん・・・? あれは・・・結界か?」

 

 前方の空間を包み込む、薄い膜のように、何者かの小宇宙が展開していた。

 件の偽神の小宇宙を感じられなかっため、不思議に思っていたのだが、どうやら境界を区切ることで気配の放出を防いでいたらしい。

 

「・・・疑似神域でも展開して、神性を補強しているのか? 畜生、他神の管轄地で好き放題してくれるな・・・!」

 

「ヘリオスよ、その・・・疑似神域、とはなんだ?」

 

 怪訝そうに問い掛けるアルバフィカに、少し考えてから口を開く。

 

「簡単に説明すると・・・そうだな、領域を内と外に分けることによって、自らの神域のようにして、権能を振るえる空間を作り出す技法、と言えばいいだろうか」

 

「ふむ・・・それは、女神アテナが聖域に貼る結界と、似た様なものだと思えば良いか?」

 

「あぁ、その理解で十分だ。今言えるのはそれくらいだな・・・別途、気づいたことがあれば伝える」

 

「承知した。・・・では、行くぞ」

 

 真剣さを増した声で言って、アルバフィカは結界内へと侵入する。

 次いで、アフロディーテが颯爽と歩みを進めた。

 

「・・・・・」

 

 ごくり、と生唾を飲み込む。

 美しい赤薔薇で彩られていようが、この先は戦場(いくさば)だ。

 気を引き締めろ。

 眉間に力を込め、神経を尖らせた俺は、力強く一歩を踏み出した。

 

 そして。

 

 

「──ッ!? この、小宇宙は、まさか──アポロンの・・・!?」

 

 動揺。

 焦燥。

 胸が詰まるような、懐かしさ。

 

「・・・・・・どうしてこんな所に、アポロンの小宇宙が・・・」

 

 湧き上がってくる様々な感情に翻弄され、か細く声を零す。

 すると、様子の変わった俺に気が付き、少年が振り返った。

 

「ヘリオス? 一体どうし──」

 

 

「──今、我が怨敵の名を呼んだ者は、誰か」

 

 

 ずん、と、荘厳さに満ちた声が、世界に轟いた。

 腹の奥に響くような、畏怖すら覚える声音だった。

 吸い寄せられるようにして、視線が動く。

 

「・・・あれが、太陽神ヘリオス、だと?」

 

「っ・・・お前が、俺の名を騙る者か・・・!」

 

 呻くアフロディーテに続いて、声を荒げる。

 紅く咲き乱れる薔薇の園に、屹立する神が一柱。

 

 それは、美しい、男だった。

 

 肩まで伸びて揺れる、鮮やかな藍色の髪。

 豊かな睫毛に縁取られた瞼に──虚ろに染まる、蒼の瞳。

 血のように紅い衣と、それを覆う冷たい白の外套。

 

 一目見ただけで確信する。

 あれは、紛う事なき、一級神だ。

 

 ──しかし、

 何よりも目を引くのは、美麗な容姿でも、圧倒的な小宇宙でもなく、

 

 ──男を中心として渦巻く"漆黒の瘴気"だった。

 

 憤怒が、悲しみが、重苦が、拒絶が──虚無が、形を為して顕現しているかのような。

 男神の足下から溢れ出る醜悪な闇に、思わず眉根を顰めた。

 

「・・・まるで、混沌から、負の感情だけを掬ったような有様だな」

 

 アルバフィカの身を侵食していた瘴気など、比較にもならない。

 とんでもない濃度の穢れだ。

 冥界に連なる神でさえ、これ程までに暗く染まる瘴気を発することはないだろう。

 

「お前だな? 忌々しい、アポロンの名を口にした者は」

 

 冷徹な声で、偽太陽神は俺を睨めつけ宣った。

 途端、カチンと、頭に血が上る。

 

「・・・あ? 俺の名を騙るだけには飽き足らず、お前、俺の友を貶すつもりか?」

 

「友だと? フッ・・・矮小な人間の子が、あのアポロンの友を自称するとはな、とんだ笑いぐさだ」

 

「俺は人間でもなければ、虚言吐きでもないわ・・・! この偽太陽神が・・・お前は一体どこの何者なんだ、答えろッ!!」

 

「・・・なに?」

 

 吠える俺を、神は、訝しむような目で見据えた。

 

「そこの人間から訊いてはいないのか? 私は太陽神ヘリオス、この島を統治する──」

 

「既に分かっている嘘を吐くな。一応はゼウスよりも先に生まれたこの俺が、一度として見たことの無い神・・・答えろ、お前は、どこから来た、何者だ」

 

「・・・・・・ふむ。成る程、その小宇宙・・・酷く儚いが、この島に残存していたものと同質のようだな」

 

 すう、と目を細めて、男神は口を動かした。

 

「そうか、"ヘリオス"とはアポロンを指す名の一つだと認識していたが、()()()()()()()()()、個別に存在する神であるようだ。そして、お前は太陽神ヘリオスに連なる者、といったところか──いいだろう、幾分か力は取り戻した。最早この名に拘泥する必要は無い」

 

 薄く、嘲りの笑みを讃えて、男神は朗々と言葉を発する。

 

 

「──我が名は、フォェボス・アベル。神々の父にして、全知全能の神ゼウスの子であり・・・()()()()()()()、忘れ去られた太陽神である」

 

「・・・──は? 異界・・・っい、異世界だと!?」

 

 愕然と、間の抜けた声を上げる。

 異世界──平行世界とも言える、遙か彼方に在る時空。

 その、並大抵の神では超えることの叶わぬ果てから、アベルはやって来たというのか? 

 

 にわかには信じられないが・・・もしも、その言葉が真実であったとするのなら。

 この神は、力を失った状態で世界を超え、死者を蘇らせたということになる。

 

 眼前の神を凝視し、硬直していると、沈黙を守っていたアルバフィカが口を開いた。

 

「よもや、ヘリオスの言葉が真実であったとはな。太陽神ヘリオスの名を騙る、異界の神・・・フォェボス・アベルよ。お前は何故(なにゆえ)私達の世界に降臨し、この地の平穏を脅かそうとするのだ・・・!」

 

「フッ・・・私の元から逃亡した聖闘士が、自らの足で戻ってきたかと思えば・・・お前は一つ、勘違いをしているな?」

 

「・・・勘違い、だと?」

 

 鸚鵡返しに問う人間に、異界の神は平然と口を開く。

 

 

「"私達の世界"と言ったが──ここは、お前が守り、戦いの果てに没した世界ではないのだぞ?」

 

 

「・・・・・・は?」

 

「やはり気が付いていなかったのか、アルバフィカ、気高き魚座の聖闘士よ。お前は、此処でも、私の居た世界の人間でもない・・・異なる世の冥界にて眠り、私に選ばれ、蘇った者なのだ」

 

「なっ・・・アルバフィカも、異界から来た者だったのか!?」

 

 驚き叫び、アルバフィカを見やる。

 前方の人間は身じろがない。

 だが、ただ一つ、その指先は動揺を表すように、微かに震えていた。

 

「もう良いだろう──我が元に戻れ、アルバフィカよ。この地上にいる民は、お前の守った人間達とは縁はない。ここに、お前の守るべき者は存在しない。・・・故に、お前が私に逆らう理由は、既に潰えたのだ」

 

「・・・・・・」

 

「っ・・・アルバフィカ・・・!」

 

 声を荒らげ、男の名を呼ぶ。

 しかし、アルバフィカは、縫い付けられたかのように立ち竦み、何も語らない。

 その胸中をはかることは叶わず、僅かな焦燥が俺の心に浮き上がり始める。

 

 ──すると、

 

「ふん、全知全能の神の子を名乗りながら、お前は、人というものを何も理解できていないのだな」

 

 突如として、澄んだ声が空間に響いた。

 

「なに?」

 

「あ、アフロディーテ?」

 

 声の主は、事の成り行きを俯瞰していたアフロディーテだった。

 失笑を零し、少年はアルバフィカに視線を向ける。

 

「言葉にするのも愚からしいことだが・・・貴公ならば、答えられるだろう。そこの物知らぬ神のために、教えてやれ」

 

「・・・──そうだな」

 

 囁くように呟いて、アルバフィカは右手に一本の薔薇を添え、それを左胸に掲げた。

 

「アベルよ──世界など、関係はないのだ。目の前で苦しみ喘ぐ民がいるのなら、その者を救う為に拳を握り、立ち向かうのが聖闘士だ」

 

 敢然と言い切った男に呼応するかの如く、深紅の薔薇が宙を舞う。

 

「・・・縁のない者達のために、みすみすその命を散らすというのか?」

 

「縁ならば既に──此処にある」

 

 迷いのない瞳で振り向き、俺と、アフロディーテを視界に納めて、戦士は言葉を綴る。

 

「傷に塗れ、倒れ伏す私を助けてくれたヘリオスが・・・私の誇りを信じてくれたアフロディーテが、彼等がいる・・・! 世界を超えた先で、人の世の平穏を望む、幼くも勇ましい同胞達に出会うことが出来たのだ・・・──ならば」

 

 男は、一輪の赤薔薇を神に標準し、猛然と叫ぶ。

 

 

「例え、二度目の生を与えられたとしても・・・私はお前の軍門には降らない! この島の民のため、そして、私を信じてくれた異界の同士のため──この命、燃え尽きようとも悔いはない!!」

 

 

 声は、紅く染まる天の果てまで轟いた。

 異界の戦士の言葉が、長い余韻を残して消える。

 

 俺はちらりと、視線をアベルへと向けた。

 凛烈なる相貌の男神は、読めない表情で、アルバフィカを視ている。

 だがしかし、その虚ろな眼に、一瞬、苛立ちにも似た色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。

 

 

「・・・・・・そうか」

 

 やがて。

 少しの間を置いて、アベルは、小さく息をついた。

 ピリッ、と、空気が張り詰める。

 

 ──くるか・・・! 

 

 身構え、射貫くように、異界の神を注視する。

 

 すると、漆黒の闇を纏う神は、右手をゆっくりと持ち上げて、一言、

 

 

「──残念だ」

 

「──ッッ!? が、あああああああッ!!!」

 

 翠色(すいしょく)の小宇宙が男神から迸ると同時に、

 アルバフィカの心臓から、漆黒の闇が噴き出した。

 

「アルバフィカッ!?」

 

「無駄な力を割きたくはなかったのだがな・・・従わぬというのなら、致し方あるまい」

 

 憐憫にも似た空気を纏い、アベルは冷たく言葉を放つ。

 

 不味い。

 反射的に、そう感じた。

 

「──やらせないッ!!」

 

 浄化の小宇宙を燃やし、暗闇に包まれる同胞の元へ駆ける。

 

 間に合え、間に合ってくれ・・・!! 

 

 悲鳴にも似た叫びが、心の中で木霊する。

 全身全霊をかけて、地面を蹴る。

 

 しかし。

 

「──ヘリオスッ!!」

 

「えっ──」

 

 バキンッッ!!! 

 

 

 と、鈍い音が、耳朶を打った。

 何が起きたのか理解出来ず、呆然と瞬きを繰り返す。

 

 ──視界に拡がるのは、小さな、金色の背中だった。

 心臓がけたたましく、ドクドクと脈打つ。

 

「・・・・・・あ、アフロディーテ・・・?」

 

「ぐっ・・・聖衣も纏わず、この威力か・・・!」

 

 呻く少年に、何故、と問おうとして、その先にいる存在に、息を止める。

 

「・・・そん、な」

 

 一回り小さい、アフロディーテの右手に止められる、()()()()()()()()()()()

 漆黒の闇に包まれ、虚ろな瞳で少年を見据える、魚座の聖闘士。

 その姿が意味することは、ただ一つ。

 

 異界の太陽神による、人心の掌握──完全支配。

 

「はあぁぁッ!!」

 

 猛り吠えて、アフロディーテは空いた左腕を突き出した。

 何の飾り気も無い、光速の、小宇宙を込めた正拳突き。

 しかし、アルバフィカは後ろに飛び退き、それを難なく躱してみせた。

 

「忌々しいアポロンの結界により、私はこの場を動くことが叶わなかったが・・・フッ、私の小宇宙により蘇り、私の意思によって命を繋がれている人間が・・・何故、このアベルに盾突けるなどと思えたのか」

 

 異界の神は、嗤う。

 

「その身を蝕む小宇宙をいくら祓ったとしても、その命が私の力によって維持されている以上、この支配から逃れる術などないのだ」

 

「・・・・・・」

 

 アルバフィカは、アベルを守る騎士のようにして、赤薔薇を構えた。

 

 信じたくない。

 だが、目の前で起きている全てが、現実なのだ。

 

 異界の同士は、魚座のアルバフィカは、もういない。

 熱い闘気は失われて、誇りは、暗闇へと沈み、消えた。

 俺達の前に立ち塞がるのは、太陽神アベルの手により蘇った、コロナの聖闘士。

 

「・・・アルバフィカ」

 

「ヘリオス、君は、下がっていろ。君は十分、役割を果たした」

 

「だけど・・・!!」

 

「──ここから先は、聖闘士の務めだ」

 

 少年は、見たことの無い厳しさを漂わせ、足を踏み出した。

 何故そうも粛然としていられるのかと疑念を抱くが、その背に溢れる攻撃的な小宇宙を認識し、悟る。

 ──アフロディーテは、激怒しているんだ。

 

「・・・確かお前は、我が妹、アテナの聖闘士にして、私に忠誠を誓った魚座の・・・」

 

「どこの世界での話をしている、私を愚弄しているのか?」

 

「・・・フッ、まぁ良い・・・私の邪魔をするというのなら──慈悲はない」

 

 太陽神アベルは、冷ややかな声で、裁定を下す。

 

 

「そこの者達を殺せ、アルバフィカよ。この島を・・・この世界を我が手中に収め──真なる太陽神とは誰なのかを、愚かな神々に知らしめるのだ」

 

「──・・・御意」

 

「行くぞッ・・・!」

 

 アルバフィカと、アフロディーテ。

 二人の魚座による戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

 







真紅の少年伝説視聴後の作者。
「・・・結局、真紅の少年は誰だったんだ・・・?」
困惑しています。

お気に入り登録、温かい感想など、本当にありがとうございます。
好き勝手に書いているので、評価バーに色がついたのはとても驚きました。本当にありがとうございます。

リアルが忙しすぎて執筆速度が落ちていますが、のんびり更新していきますので、読んでいただけるととても嬉しいです。

今話は、ヘリオス以外の登場人物の名前が「ア」から始まる方しかいなかったので、結構混乱しながら書いてました(白目)

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