教皇の間。
聖域を守護する黄金十二宮の更にその先、アテナ神殿の門前に位置する宮である。
平時ならば静謐かつ神聖なその宮には、しかし、騒然たる空気を纏う聖闘士たちが集っていた。
黄金が三名。
白銀が十名。
教皇に招集を掛けられた聖闘士達は、跪きながら、アテナの補佐を務める教皇の言葉を待つ。
「──罠かと」
と、玉座に腰掛ける教皇に向って、先頭の黄金の聖闘士が口を開いた。
教皇は低く問い掛ける。
「罠とは。申してみよ」
「はい」
先を促された黄金は、恭しく頭を垂れて、「僭越ながら」と言葉を続けた。
「かつて貴方が討伐された、邪なる太陽神ならびに、逆賊アイオロスの復活。神の力をもってすれば不可能ではない事象とはいえ・・・わざわざ、全世界の人間が注目をする場所に、ああも堂々と姿を現すなどという愚かな行為。これらは全て、聖域の戦力をばらけさせる目的で、何者かが仕掛けた策略としか考えられませぬ」
一息に語った黄金の指摘に、複数の聖闘士が同調をあらわに頷いた。
玉座に腰掛ける教皇は、跪く聖闘士たちの反応を観察しながらも、やがて重々しく言葉を放った。
「決めつけるには時期尚早だが、可能生はある。故にこそ、いたずらに混乱を広めぬよう、獅子座のアイオリアを筆頭とした者達には、情報統制をかけたのだ」
「・・・では、やはり。ここに集められた者達は」
「そうだ。既にかの中継で起きた出来事を知った者を中心に、招集をかけた。本件は早急かつ内々に処理する必要がある」
言いながら、時間の問題だろうがな、と教皇は心の中で付け加えた。
いくら情報が行き交わぬよう手を回したとして、既に聖域内外問わず、人づてに伝わる噂の流布はコントロールの及ばない範囲にまで広まってしまったのだ。
直ぐにでも小うるさい連中がこの教皇宮までやってくる未来が見える。
「・・・日本のグラードコロッセオに現れた因縁深き姿の者共。
「それでは!」
「うむ、アテナの意志を預かる教皇の名の下に命じる。黄金の三名は地上の脅威である存在の討伐。白銀の十名は黄金の補佐と並行しつつ、聖闘士の掟を破った
「「「──御意に」」」
「──ああ、それとひとつ、言っておくことがある」
教皇は立ち上がると、自らに向けられる視線の一つ一つを見渡してから、硬く言う。
「此度の相手は、まず間違いなく幻術を得意とする輩であるはずだ。偽物であれば見たままだが、本物の邪神ヘリオスも私と戦った際は卑怯にも幻術を用いてきた。精鋭揃いのお前達ならば心配は無いだろうが、万が一にも、敵のまやかしには惑わされぬように」
「・・・なんと! 畏まりました」
黄金も白銀も関係なく、聖闘士達は先ほどよりも表情を引き締めると、了承の意を示すよう深く頷いた。
そうして、物々しい空気を醸成しながら、聖闘士たちはそろって宮を後にする。
教皇の間は、普段の静寂を取り戻した。
「・・・・・・ハア」
黄金の兜をはずし、憂いに満ちた翡翠の瞳が露わになる。
双子座のサガ。
十三年前の事件の首謀者であり、また神の手により善と悪の二つに人格を分かたれた、哀れな人間。
苦節の時を経て、ようやっと異国の地にて生存する同胞達の姿を確認したサガは、硬く瞳を閉ざしながらも安堵の息を吐いていた。
「──生きていてくれたか、アイオロス・・・そして、ヘリオス」
『馬鹿者め。まだ本物と決まったわけでも無かろうに』
「・・・・・・」
嘲笑。頭の中に、響き渡る声。
それは、冥界の神が放った、悪霊レムールにより生まれた者。
悪徳を尊び、地上の支配を目論む、もう一人のサガの声だった。
「あれは、私が異次元の最果てに送り込んだ二人だ。間違いない」
『フン、だとすればお前の不手際だ。余計な真似ばかりに精を出しおって』
「・・・例え嘘を重ね、虚実を創り上げたとしても、お前も私もいずれ報いを受ける」
『このサガが? ハハハッ!! 笑止な、だとすれば何故、先ほどは邪魔をしなかった。あれほどの聖闘士を相手にすれば、いくらあの教皇が生きていたとしても、殲滅は避けられんよ』
「・・・・・・」
クツクツと哄笑を浮かべるもう一人の自分に、サガは、もはや哀れみ混じりに告げるのだった。
「・・・──愚かで卑劣な、もう一人の私よ。お前は十三年前の戦いを経てもなお、何一つとして、理解できていないのだな」
冷たい玉座から立ち上がると、サガは足早に歩き出した。
床を蹴る硬質な音が、教皇の間に響き渡る。
──どうにも先日から、嫌な予感が胸中をざわつかせてくれる。
得体の知れぬ焦燥感に苛まれながら、サガは星読みの地であるスターヒルを目指した。
声はもう、聞こえなくなっていた。
「一輝様! 我ら
時刻は夕方。
まばらに立ち並ぶ摩天楼の海の中、天を穿つ超高層ビルの屋上に、彼等は集結していた。
私利私欲のために力を使う彼等は、聖闘士になれなかった者や聖闘士の資格を剥奪された者たちにより構成されている。
その存在はアテナにさえ見離れたと言われるほどだ。
「・・・揃ったか」
沈み行く太陽を眺めながら、フェニックスの一輝は煮えたぎる殺意に満ちた声を漏らす。
「お前達を急遽招集したのは他でもない。あれだけ探しても見つからなかった怨敵がのこのこ姿を現した。憎き血筋もろとも、根絶やしにしてくれる」
「あのヘリオスとかいう巫山戯た子供と、城戸光政の血をひく者達ですね」
暗黒ドラゴンが跪きながら言った。
一輝は振り返ると、部下である暗黒四天王と、その後ろに控える暗黒聖闘士たちに、憎悪に濡れた双眼を晒す。
「そうだ! あの憎きヘリオスの首は俺が獲る。お前達の使命は、俺の邪魔をする聖闘士どもの抹殺と、射手座の黄金聖衣の奪取だ」
「一輝様!」
暗黒ドラゴンの隣に膝をつく、暗黒スワンが口を開いた。
「グラードコロッセオにて一瞬、黄金聖衣を纏った、アイオロスとかいう男はいかが致しますか? どうも諜報部隊の情報によれば、十三年前に聖域を荒らした射手座のアイオロスが蘇ったなどという巫山戯た噂も流れているようなのですが・・・」
「──・・・お前達では相手にならん。俺に奥義を放ったときの容体からして今頃寝こけているはずだが・・・今は手を出すな。此度は、怨敵の心臓を引きずり出すことだけに集中する」
「ハッ! 畏まりました!」
「・・・・・・行け」
指示を受けた暗黒聖闘士たちは、屋上の鉄柵を飛び越えて、ビルの側面を駆けて消えていく。
「それでは、我らも御前を失礼します」
「我らが主、一輝様に輝かしい勝利を!」
暗黒四天王たちも、恭しい礼とともに、夕日とビルの光に彩られた下界へ飛び込んでいった。
「・・・・・・」
一人残された一輝は、自らの聖衣に刻まれた傷を手でなぞった。
グラードコロッセオにて、怨敵を前にみすみす撤退を余儀なくされた、アイオロスとかいう男の奥義──アトミックサンダーボルトによる、聖衣の損壊。しかしその一撃により破損した傷は、聖衣の自己修復機能によって、徐々に塞がりつつあった。
──射手座のアイオロスが蘇ったなどという巫山戯た噂も──。
「・・・フン、仮に黄金聖闘士だったとしても、俺の邪魔をするなら殺す」
そう、殺す。
例え差し違えてでも、あのヘリオスを殺す。
今の一輝にあるのは、罪なき少女の遺体を攫った悪魔をばらばらの残骸にしてやりたいという衝動だけだった。
「・・・日が沈んだか。太陽を騙る貴様が死ぬには、良い頃合いだ」
──荒れ狂う憤怒の炎が無限に内圧を高め、解き放たれる瞬間を今か今かと渇望している。
一輝は鈍色の瞳で東京の町並みを睥睨すると、勢いよくビルから飛び降りた。
黄金の瞳を輝かせながら、たっぷりの蜂蜜を入れたホットミルクを見つめる。
食欲をそそる香り。ほかほかの湯気も黄金の蜂蜜が溶けた絹色のミルクの見た目も大変グッド。
グビッと一気に飲みほしたい。
しかし、重要なのは味だ。
コーヒーとかいう、香りは良いのに苦くて酸っぱい飲み物に一敗をきしたばかりのヘリオスは、慎重にコップへ唇をつけた。
「──う、美味い・・・!!」
「よかった、お口に合いましたか」
ニコニコと頬を綻ばせる瞬に、ヘリオスは心の底から首を縦に振った。
アイオロスの治療や、聖域や一輝たちとの話し合いの準備を終えたヘリオスは、所定の位置に向って廊下をあたふたと走り回っていた。
そんな折に「少し休みませんか?」と提案をしたのが瞬だった。
アンドロメダの瞬。彼はこれから襲撃をしてくる、フェニックス一輝の弟である。
辰巳を除き使用人の避難が終った城戸邸の厨房を借りて、瞬はわざわざ皆のために茶や珈琲を用意してくれたのだった。
つかの間の休息ではあるが、椅子に腰を下ろす瞬間、必要以上に自らの筋肉が強張っていたことに気がついたので、ヘリオスにとって瞬の提案は僥倖でしかなかった。
「・・・ジャミールで振る舞って貰ったバター茶も美味かったが、このミルクも驚くほど美味しい。材料が良いのか蜂蜜とミルクの比率が良いのかはわからないが、ほっとする味だ。セレネにも飲ませてやりたいくらいだ」
「セレネ? ああ、そういえば、貴方も妹が二柱いる、兄でしたね」
「そうとも。俺より大人っぽいのが暁の女神エオス、目に入れても痛くないほど可愛いのが月女神セレネだ。・・・というより、瞬はあっさりと俺が神なのだと受け入れてくれたな」
「ええ、嬉しかったので」
「嬉しかった?」
不思議そうに問うヘリオスに、瞬は澄んだ瞳を向けて答える。
「僕を庇いながら“兄弟は助け合うものだ"と言ってくれた言葉が、嬉しかった。だから僕は、貴方を信じることにしたんです」
「・・・それだけで?」
「それだけで」
「・・・・・・」
・・・恐らく根が正直で真っ直ぐなのだろう。
信じてもらえるのはヘリオスとしても大変嬉しかったので、そう納得することにした。
するとヘリオスの意味ありげな沈黙に察しが着いたのか、瞬は付け加えるように言葉を連ねる。
「それに、アテナの聖闘士である僕は言うのもおかしく聞こえるかもしれませんが、僕は出来ることなら誰も傷つけたくない。戦いは苦手なんです。ですから、話し合いで戦いを収めようとする貴方に、協力したいと思った」
「! ・・・そう、だったんだな。戦いが苦手だと明言する聖闘士には、初めて会った」
「フフ、そうでしょうね。僕もよく女々しいと言われます」
「・・・女々しい、か」
自嘲的な笑みをつくる瞬に、ヘリオスは僅かに思考を回した。
やがて空になったカップを手に立ち上がると、瞬へ身を向けて言葉を放つ。
「瞬は、格好いい奴なんだなあ」
「・・・あれっ? 今の話を聞いた感想がそれですか・・・!?」
「だって、そうだろう。周りにどれだけ言われても、自らの意志を揺るがすことなく、傷つく痛みを知っているから傷つけることを拒んで・・・そして、戦いを嫌っていても、フェニックスとの誓いを果たすために、命懸けの修行を乗り越えて聖闘士になった」
満面の笑みで、ヘリオスは確信を込めて言った。
「アンドロメダの瞬。お前は太陽の照り返しがなくとも、自ら光り輝ける、格好いい奴だよ」
「・・・ヘリオス神」
「そろそろ、時間だな」
「!」
窓枠越しに沈み行く太陽を見つめながら、ヘリオスは真剣に言う。
ガラリと纏う雰囲気の変わったヘリオスの姿に、瞬も倣うように意識を切り替えた。
「──ヘリオス神、どうか兄さんを、よろしくお願いします」
「ああ! 偉大なるティタンの神々と、輝かしい太陽の名に誓う。必ずやフェニックスをお前とエスメラルダの待つ場所へ帰してみせる」
ヘリオスの不手際と、先ほどアテナの口から語られた恐ろしい真実により生まれた、一輝の憎悪の念。
一人の少年を蝕むには、あまりにも冷たく重すぎるそれらの憎しみに、決着を着ける時が来たのだ。
「あー、見つけた。二人ともここにいたのか」
と、開け放たれた扉から、ペガサスの星矢を先頭に、ドラゴンの紫龍、琴座のオルフェが現れる。
「星矢! ・・・って、どうしたんだい。ふらふら歩いて、顔色も最悪だよ・・・!?」
瞬が困惑混じりに声を上げる。
すると、星矢に変わって紫龍が苦笑いを返した。
「色々あってな。だが俺も星矢も、これできちんと戦力に加われるようになった」
「・・・って紫龍もか! おいおい、怪我ならちゃっちゃと治療するぞ!」
「いや、大丈夫だ。ヘリオスもこれからかなりの小宇宙を使うのだろう? 気持ちだけ受け取っておくさ」
「そうは言ってもだな・・・」
「どうかご安心を。青銅の少年たちには、彼等の知らぬ小宇宙の真髄について、可能な限りレクチャーしました。今は、彼等を信じましょう」
「ムッ・・・オルフェがそう言うなら」
先ほどまで血色も良く元気だった二人が、青白い顔をしているのはかなり気になるが・・・ヘリオスは渋々といった様子で引き下がった。
合流した一柱と四人は、アテナである城戸沙織の待つ部屋へと移動する。
城戸邸の最上フロアの一室に辿り着いたヘリオス達は、重厚な作りの扉を押し開けて、中へ入る。
小型のテレビ画面が壁一面を覆うこの部屋は、城戸邸の周囲に張り巡らされた監視カメラの映像を逐一映し出す役割を担っていた。
「来たか」
城戸沙織と会話をしていたらしいシオンが振り返り、ニッと口角を上げる。
部屋には既に聖域の重鎮たるアテナとシオン、そして青銅聖闘士の氷河と邪武、那智が揃っている。巨大なスクリーンの前には、沙織の執事として唯一残る事を選択した辰巳の姿があった。
ヘリオスが口を開く。
「アイオロスの治療は完了したが、まだ意識は戻らない。だけど、聖域との話し合いの準備はアテナと皆のお陰で、滞りなく完了した」
「有り難うございます、ヘリオス神。・・・予想だにしない方法でしたが、無事に結界の構築が済んで安心しました。問題はフェニックスの一輝ひきいる、暗黒聖闘士たちの相手ですが・・・」
「そちらは手はず通り俺達がなんとかしますよ! どうかご心配なさらずにお任せください、沙織お嬢様!」
「頼りにしています、邪武、青銅の聖闘士たち」
「!! は、はい!」
アテナの言葉に、
心強い人の子だなあとヘリオスが眺めていると、呆れたように星矢が小声でぼやく。
「・・・ほんと、相変わらず簡単に言ってくれるよな」
「ハッ、怖いならお前は隠れてろよ。聖衣もないお前じゃ、速攻で退場を余儀なくされるだろうよ」
「ああ?」
「煽るな煽るな、星矢も邪武もうるせえぞ」
「アハハ・・・星矢達は、六年前と変わらないなあ」
那智が諫め、瞬が苦笑いを浮かべる。
ここだけ切り取れば年相応なやり取りに映るのだが、しかし彼等は聖闘士だ。
──パキン、パキン。
「こっ、これは・・・」
「辰巳、襲撃者ですか?」
「いいえ、人の姿はありません! ですが、カメラの画面に
「霜?」
奇妙な発言をする辰巳に、ヘリオスは視線を監視カメラの画面へ向ける。
「・・・ん? おお、三番と位置的に真逆の百八番の画面に雪が降ってるぞ。今の時代、この温かい時期でも雪は降るんだなあ」
「っ・・・!? 違う、この雪は自然現象などではない・・・!!」
「氷河?」
終始冷静に振る舞っていた氷河の焦りように、紫龍が驚いて首を傾ける。
三番のカメラは城戸邸の前門付近。
百八番のカメラは後門を通過した広大な林地点に設置されてる。
と、皆が眺めている一瞬のうちに、一番から三十番までと、百番台の数個の画面が凍り付き駄目になってしまう。
物知り顔で頷いたのは聖域の教皇シオンだった。
「なるほど面白い。奴ら、同時に凍気を放ってきたか」
「シオン、分かるように説明してくれ」
「とどのつまり、
「・・・はあ、聖域にもフェニックスの方にも凍気使いがいるってことか? 手を組んでるわけにもあるまいに、同時に仕掛けてくるとか仲良いな」
「呑気に言ってる場合か! カメラの損傷数が膨大な前門には、俺の師である黄金聖闘士、
「大丈夫だ
「ええ、全て、想定内です」
「!!」
力強く言ったヘリオスとアテナの足下から、眩い閃光が迸った。
魔方陣。
時間の都合上、青銅聖闘士たちには簡易な説明しかできていなかったので仕方が無いが、いつ襲撃者が来ても問題が無いように、準備は万全にすませてあるのだ。
アテナとヘリオス、そして協力者の小宇宙により生成された黄金の光に包まれながら、ヘリオスは一同の視線に頼もしい笑みで返す。
「──よし。アテナと聖闘士達、心の準備は済ませたか? 作戦会議の最初に言った通り、
今までは小宇宙も神力も足りず上手くいかない事ばかりだったが、知の女神たる母様の息子としての、本領を発揮する時が来たのだ。
意気込むヘリオスに城戸沙織──女神アテナは、芯の籠もった目線で合図する。
「──それでは、結界を発動します。太陽神ヘリオスよ・・・!」
「ああ、頼んだ、戦神アテナ!」
アテナの合図と共に、ニケの杖が、星の光を凝縮したかの如き、美しい輝きを解き放つ。
聖闘士達が見守るなか、星光に包まれたヘリオスは──そのまま、光に溶けて、姿を消した。
──さあ、話し合いの始まりだ!
29話をお届けいたします。
読んでくださってありがとうございます。
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お陰様で、ストーブをつけたり毛布にくるまったりしながら、楽しく執筆させていただいております。
次話から聖闘士星矢での恒例行事が始まります。