双子座のカノンとの出会いから、幾ばくかの時が流れた。
「・・・まさか、女神アテナと冥王ハーデスが地上を廻る戦いをしていたとはな」
黄道十二宮へと続く道を歩みながら、囁くように言葉を漏らす。
オリンポス十二神のうちが一柱、冥王ハーデス。
普段は天界にはおらず、冥界を統治している神であり・・・どうやら太陽の光を好まないらしく、太陽神は軒並み敬遠されていたりする。
・・・その神が聞いた話だと、地上支配を目論み、二百数十年ごとに女神アテナと聖戦を繰り返しているとのことだった。
随分と長きに渡って争っているらしいのだが、
つまり、天界に戻り確かめなければならない理由が、また一つ増えてしまったというわけだ。
というか、そもそも・・・他の神は、何をしているのか。
オリンポスが荒れなければ地上の都合などには興味が無いのか・・・はたまた、一級神同士の戦いに手を出せないのか。
「・・・まぁ、引きこもっていた俺が言えた話ではないな」
呟き、肩を落とした。
正直・・・分からないことだらけで、気持は逸る。
だが不安と焦燥に支配されてしまえば、いざというときに十分な行動がとれなくなってしまう。
今は、冷静になり、確実に情報を集めるのだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は大きく息を吸った。
「・・・もし、そこの緋色の髪の坊や。貴方はヘリオスという名の従者ではありませんか?」
ふいに、背後から声を掛けられた。
「ん? あぁ、俺がヘリオスだけど・・・」
返事をし、傍らへと歩み寄ってきた声の主へと目を向ける。
するとそこには、艶のある髪を腰まで伸ばし、母様のような穏やかな瞳をした、美しい女人が存在していた。
俺の記憶が正しければ、一度も会ったことのない人間だ。
「あぁ良かった。実は、貴方に渡すものがあるのです」
優しい微笑みを浮かべて、その者は腕に下げた籠から、何かを取り出した。
「! ・・・そ、それは、俺の布財布・・・!! 一体どこで見つけたんだ・・・!」
「私の恋人の奏でる、竪琴の旋律に誘われた猫が、口に咥えていたのです。魚座様の従者をしている少年が、布財布を探しているという話を聞いたので、もしやと思い尋ねたのですが・・・ふふ、無事に届けられて幸運でした」
どうぞ、と女人は財布を俺に手渡してくれた。
「良かった、もう無くなったものだと諦めていた! えっと・・・」
「私はユリティース。この聖域で静かに暮らす者です」
「ユリティースか・・・心の底から感謝する。この恩義は忘れず、必ず返すと誓おう・・・!」
「まぁ・・・ふふ、では、楽しみに待っていますね、ヘリオス」
花のような相貌を綻ばせて、女人は踵を返して去って行った。
なんて清らかな心をもった、親切かつ素晴らしい性格の人間なのだろう。
財布が戻ってきた喜びと良い出会いに、足取りが軽くなる。
「・・・なんだ、その腐抜けた顔は」
「うわ、アフロディーテ、なんでこんな場所にいるんだ?」
十二宮の近くまでやってきたところで、腕を組み柱に背を預けるアフロディーテと遭遇してしまった。
本来ならば双魚宮にいるはずの人間が、なぜこんなところで油を売っているのか。
不思議に思って問い掛けると、少年は眉を顰めながら口を開いた。
「教皇様の命でな、君を呼びに来た」
「教皇さんが? ・・・お、俺何かやらかしたっけ」
「『思い当たる節しかない』みたいな顔をするんじゃない・・・巨蟹宮に行けば分かる。さっさと行くぞ」
アフロディーテに連行されて、俺は長い階段を上っていく。
それにしても怠い登り道だ。
普段は十二番目の双魚宮まで上ったり下ったりをしているので慣れはしたが、鍛錬をしていないものは足腰にきそうな距離だ。
・・・そういえば教皇さんは人間であるのに二百歳を超えているらしいのだが、大丈夫なのだろうか。
つらつらと考えを廻らせていると、白羊宮、金牛宮、双児宮を抜けて、四番目の巨蟹宮へと辿り着いた。
「む、来たか」
金の兜で頭部を覆った人間が、俺達の到着に気づき声を漏らす。
「お待たせしました、教皇様」
「久しぶりだな、教皇さん・・・と、デスマスクは分かるが、何故アイオロスが居るんだ?」
人面のようなもので囲まれた宮の中には、微妙な表情を浮かべるデスマスクと、人馬宮にいるはずのアイオロスも存在していた。
「うむ・・・アイオロスは私が此処へ呼んだのだ。見定める者は、一人でも多い方がいいと思ったのでな」
「・・・見定める?」
真剣な表情をする人間に、促すようにして問い掛ける。
教皇さんは俺を見据えて、よく響き渡る声で話し出した。
「ヘリオス、お前がこの聖域で過ごして暫くが経つが・・・未だに、どこから来た何者なのかは調べがついてはいないのだ・・・済まなんだ。・・・だが、アフロディーテやデスマスクからの報告により、お前が特異な能力を有していたということが判明した」
一端言葉を区切り、教皇さんは若葉の如き長髪を揺らしながら歩き出す。
そして周囲に人面のない、アイオロスの傍らで止まると、再び口を開いた。
「魚座の毒を無効化し・・・この宮の魂を成仏させたという浄化の小宇宙。それを今一度、この場で振るってみてはくれぬか?」
「・・・ここで?」
「あの、教皇・・・様・・・やはり、他の方法でもいいんじゃ・・・」
「黙れデスマスク。貴様の悪列極まるほどに趣味の悪い宮を消すため・・・ではなく、ヘリオスの力を見極めるためだ、邪魔をすることは許さぬぞ」
地を這うような声を放ち、教皇さんはデスマスクを睨めつけた。
殆ど顔が隠れているのに、その眼には凍てついた光が灯っているようにも見える。
「・・・えっと、教皇さん・・・とりあえず、小宇宙を宮全体に放てばいいってことだよな?」
確認の意を込めて言うと、教皇さんは首を縦に振った。
なるほど、よし。
実はちょっと怒られるのではないかと思って緊張していたのだが、そういうことならお安いご用だ。
すう、と目を細め、宮内をぐるりと見渡す。
嘆く顔、涙を流す顔、絶望に歪んだ顔・・・まるで、死の瞬間に生者が浮かべる、最期の表情を集めたかのような、趣味の悪い装飾の数々。
──いいや。
本当は、分かってはいた。
この壁を覆う人面が、ただの内装などではないということぐらいは。
・・・だが、教皇さんの許可は得た、ならば存分にこの力を振るおう。
「──この世あらざる者どもよ」
弔いの念を込めて、言葉を紡ぐ。
今までは偶然を装って発していた小宇宙を、強く燃やし、束ねていく。
「彷徨う悲しき者、歪みし哀れなる者よ、浄化の力もて・・・世界を繋ぐ、永久へと歩み行け──
収束させた力を、自らを起点として球状に解き放った。
瞬間、純白の炎が世界を包み込む。
「──ゴフェッ!!」
「・・・っ!?」
「ヘリオス!?」
「い、いつものことだ・・・気にしないでくれ」
吐血しながら、驚愕の表情で駆け寄る教皇さんとアイオロスに笑いかける。
というかアイオロス、心配してくれるなら俺を弟の鍛錬相手に据えるのを止めてほしい・・・そろそろ本気で雷に当たりそうで怖いんだよ。
「・・・それよりも・・・上手くいったようだな」
口元を右手で拭いながら、俺は辺りを見渡す。
壁も、天井も、一面を覆っていた人間の顔は、最初から存在していなかったかのように、その全てが消滅していた。
「・・・フッ、この威力、アフロディーテが嘆きたくなるのも分かるな」
「え?」
「・・・アイオロス、余計な発言は控えてくれ」
いつもの顰め面で、アフロディーテは嫌そうに言った。
よく分からないが、そういう顔ばかりしていると、眉間の皺が取れなくなるんだぞ。
美しくありたいなら余裕を持った顔で堂々としていればいいのに。
少年の将来をほんの僅かに心配していると、何やら考えを巡らせていた教皇さんが言葉を放った。
「ふむ・・・浄化の力を宿した小宇宙・・・それも、予想していた以上の"濃さ"。生まれ持った性質だとすれば、神にも匹敵しかねない程の純度だ・・・これならば、件の地での対処を任せられるか」
「教皇様、件の地とは一体・・・?」
問い掛けるアフロディーテに、黄金の兜を着けた者は小さく頷いた。
「実はな・・・先日、突如として異変の生じた島があるのだ。先んじて送った調査の者達も、その特異性ゆえに奥地までは足を進められん状況でな。・・・名を──『ロドス島』。エーゲ海南部の、アナトリア半島沿岸部に位置する、ギリシャ領の島だ」
「っ!? ・・・ろ、ロドス島だと」
「別名をローズ島とも呼ばれるように、太陽と薔薇の島として有名な土地なのだが・・・この地の人里を離れた小さな森に突如として──
「──!」
毒薔薇。
その言葉を聞いて、アフロディーテは小さく息を呑んだ。
それもそのはず。
毒薔薇は、魚座としての誇りを象徴するものなのだから。
だがしかし、険しい表情をする少年の隣で、俺はまた別の意味で目を見開いていた。
「ま、まて! ロドス島と言えば、
そう、その名は労いだとか何とかと言われて、俺が得ることになった島のものだ。
赴いた回数は少ないが、それでも俺の巨像とかを作り讃えてくれた管轄地。
それがなぜ、毒薔薇に塗れる特異点などになったのか。
「うむ、よく勉強しておるな・・・まぁ、正しくは太陽神ヘリオスがゼウスに与えられた島、なのだが」
「だから俺がそのヘリオスなのだと・・・いや、それよりも、島の状況はどうなっているんだ」
「・・・幸い、毒薔薇が咲き乱れておるのは人里から距離のある場所、死者は未だ確認はされていないが・・・行方不明の者が多数だ。それに加え、香気に触れるだけで、常人を昏倒させる薔薇の領域が、徐々に広がりつつある。・・・故にこそ、毒に耐性のある者を送り、早急にこの異変を解決する必要があるのだ」
険しい声で、教皇さんは現状を話した。
どうやら、事態は急を要する程に、切迫しているらしい。
・・・しかし、毒薔薇の源になるものなど、あの島に在っただろうか。
思い当たる節がない・・・だとすれば、外からもたらされた脅威と考えるのが順当か。
「・・・教皇様、一つ問いますが・・・まさか私に、ヘリオスを連れて行けと命ぜられるおつもりですか」
「決めるのはヘリオスだ。今はお前の従者をやっているそうだが、だとしても、保護した幼子には変わりない。特異な力を有しているとはいえ、未だに記憶も戻っていない様子・・・決して強制はせん」
言って、教皇さんは俺に視線を移して口を閉じた。
答えを待っているのだろうが・・・殆ど意味の無い確認だ。
目線を合わせながら、俺は朗々と言葉を発する。
「行くに決まってるだろう。ロドス島は、一応は俺が管理しないといけない場所なんだ。異変が起きているというのなら、直ぐにでもその脅威を祓う必要がある」
「ヘリオスよ・・・最悪の事態も考えられる。それでも、その覚悟は揺るがぬか?」
「もちろんだ」
力強く言って、大きく頷いた。
寧ろ俺が、アフロディーテに同行することを頼みたいくらいなんだ。
断る理由などあろうはずもない。
「そうか・・・では、その決断に最大限の感謝と、敬意を表そう。──今ここに、魚座のアフロディーテと、その従者であるヘリオスに、任務を発令する。準備が終わり次第、即刻ロドス島へと向かい、毒薔薇による異変の元凶を突き止め、排除せよ・・・! 抗戦はアフロディーテが、毒の浄化はヘリオスが主に担当し、いち早い解決へと繋げるのだ!」
「──はっ!」
「あぁ!」
巨蟹宮から双魚宮へと移動し、任務へと向かうための準備に勤しむ。
淡々と仕度をする魚座の少年に、俺は声を掛けた。
「なぁ、アフロディーテ。今回の異変について、何か思い当たる節とかはないのか」
「・・・ないな。毒薔薇を作り出すこと事態はできたとしても、園と呼べるほど広範囲に拡げられる者など、私以外には聞いたことがない」
「・・・あぁ、まぁお前ならできるよな」
「・・・・・・」
沈黙し、アフロディーテは無表情で宮の入り口方向へと歩き出してしまう。
恐らく、怒っている訳でも、苛ついている訳でもなく、思考に没頭している状態なのだろう。
結構そのときどきの感情が顔に出やすいため、最近は無駄に地雷を踏まずに済んでいる。
というか前に無表情のアフロディーテに話しかけたら『考え事の邪魔をするな』と薔薇を頂戴するはめになったことがあるため、その可能性がとても高い。
少年の背を追い、宮の外へと出る。
階段をいくつか下ったところで、前方から声が響いた。
「ヘリオス・・・今回は随分と、君らしくはなかったな」
「俺らしくない・・・任務の話か?」
「巨蟹宮の壁を覆う人面の方だ。・・・てっきり君は、あの人面がただの装飾だと思い込み放置しているのかと思っていたが・・・あれが成仏の叶わぬ魂だと知っていたのならば、ああいうのは気にくわないと手を出す質だと認識していたぞ」
「・・・何を言っているんだ? 俺は、その者が望まないことを強制するような、身勝手な神ではないぞ」
「なに・・・?」
懐疑的な視線を寄越す少年に向かい、言葉を続ける。
「確かに、この世に留まることを望まない幼子や、ただ嘆き悲しむだけの魂達は、既に輪廻へと送っていたが。・・・先程まであの巨蟹宮に浮き上がっていた者達は、己の意思であの場に留まっていたんだぞ」
「・・・あの魂達の声が、聞こえていたとでも言うのか?」
「俺だけじゃなく、教皇さんやデスマスクにも聞こえていただろうさ。『この男を殺せ』『無念を晴らすために死ね』・・・死んでも死にきれず、怨念となってデスマスクを呪い殺そうとする者達の恨みの声が」
・・・初めてあの宮を通ったときは、冥界に足を踏み入れてしまったのかと錯覚するほどに、怨念のこもった声達に動揺させられた。
今までにも残酷かつ残忍なものは沢山目にしてきたが・・・人間という存在を図りかねていたのかと思い直すほどに、驚愕することとなったのだ。
それなのに。
宮の主は残虐な人間なのだろうと身構えてみれば、案外気の良い人間で・・・最終的に俺は、混乱することになった。
「己が殺し、己を呪い殺そうとする魂に囲まれ過ごす人間を見て、俺は判断に迷った。死に急いでいるのか、嘆く声が心地いいのか・・・それとも既に狂ってしまっているのか。・・・どちらにせよ、魂達が成仏すること以上に、デスマスクを呪い殺す方を優先していたから、俺は小宇宙を振るわなかった」
殺した者と、殺そうとする、殺された者達。
何とも歪で、理解の遠い関係なのだろうか。
「・・・・・・力こそが、正義である」
「うん?」
「前にあの蟹が言っていた言葉だ。どのような相手であろうと、殺すことが出来る。それが己の強さの根源であり・・・あの壁の魂こそが、己の強さの勲章なのだと」
「・・・強さの証、か」
小さく呟き、俺はかぶりを振った。
「本当に、自らが強い戦士であると主張するのなら・・・証なんてものは不要なんだけどな」
実際のところ、デスマスクがどう思っていたのかは定かではないが。
もしも死者の魂を勲章として飾っていたのなら、それは、自らの弱さを認めているのと相違ない。
強さとは、きっと、その者の内に宿るものなのだから。
リアル事情で更新が危ういですがのんびり書いていきますので温かい目で見守っていただければと思います。
最近、ロストキャンバス外伝に手を出したのですが、聖闘士星矢への愛がなければ描けないすこぶる凄い作品でめっちゃ感動しました。
本編も早く読まなくては…。