英雄の記録 〜灯火ノ章〜   作:鬼灯 守人

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後編 真月を照らす月光
第九話 エンカウンター


《AM 四:五〇》

 勤勉なアークスがぽつぽつと起床を始め、出撃の準備を始める時刻。

 普段の賑わいからはやや穏やかな空気が流れるこの時間に、その声は拭い切れない焦燥を纏って通路に響く。

 

「ゴルディ遅い。もっと早く、急いで」

 

 雑多に結われた薄桃の髪を振り乱しながら、その少女は対照的に悠然と歩む大男──ゴルディへと憤慨を示した。

 しかし依然、ゴルディは理知的な細く切れた双眸でそれを一蹴した。

 

「感情的になるな。相手の規模も目的も分からない。冷静さを欠けば、必ず足元を救われることになる」

「……っ。でも……」

「言いたいことは分かるが、ここは堪えるべき局面だ。焦って仕損じれば、今度こそ俺たちの手掛かりは潰えることになる」

 

 少女の灰の双眸がふらりと揺れ、やがて焦点が定まったかのように無機質な輝きを瞳に宿す。

 

「そうだヒヨコ、それでいい。今は、そういう時だ」

 

 納得するように頷いて、ゴルディもまた、その表情から感情を消し去った。

 歩みを止めて、二人は通路脇へと移動する。周囲に警戒色を示しながら、手慣れた動作で端末を操作し、この騒動の元凶を呼び出した。

 

『同朋の安否を伝えます。下記の座標に、必ず二人で来てください。時間は《AM 五:〇〇》を厳守。一応、尾行の可能性を警戒するように』

 

 用件のみが記載されたメール文。普段ならばこんなメールは相手にしないヒヨコだったが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 内容を反芻しながら、ヒヨコは焦燥を押し殺して思考を巡らせる。

 

「差出人、不明。文章も、暗号になってる。……相手は、『軍』の誰か?」

「いや違う。もしそうなら、こんな俺たちの身を案じるような言葉は使わない。恐らく、これを寄越した奴と俺たち同郷だろう。だが、()()()()()()

 

 この暗号を即座に読み解けたのは、形式が彼らが所属していた組織の文字列と一致したからだ。

 本来この形式の暗号は秘匿されていて、外部に渡ることは在りえない。つまりこれを扱う人間は、必然的に同業の者であることを指している。

 

「文面を見る限りは敵対の意思は見えない。だが信用し切るには、一方的に情報が行き渡りすぎている」

「……でも。手掛かりは、これだけ。……信用するしかない」

 

 迷妄する自分たちを撃ち下し、諭し、導いてくれた大切な『仲間』。センカと呼ばれる異邦人の少女が、昨晩、突如として行方を眩ました。

 何度通信を入れても応答はなし。まさかと思いヒヨコが彼女の部屋を訪れた時には手遅れだった。

 

「敢えて言おう。センカは自らの選択で行動した。俺たちが追ったところで、アイツはそれを望んじゃいない」

 

 彼女が故郷を想い内装した雅やかな一室。絢爛とも呼ぶべきその室内は見る影もなくがらんどうで、塵のひとつも見当たらない。

 徹底的なまでの存在の抹消。

 それは必然、彼女が自らの意思でケジメを付けたことを物語っている。

 

「……それは」

 

 核心を突くゴルディの言葉に、ヒヨコは俯き、言いよどむ。

 かつて『軍』の道具として育てられた彼女には、『イエス』さえあれば全てが円滑に進んでいた。与えられる役割に疑問を覚えることすらなく、一縷の迷いもなく得物を振るってきた。

 そんな唾棄すべき環境で育ってきたヒヨコが、思案し、自らの感情を引き出そうとしている。これまで向き合うことすら知らなかった情緒の激流から、次に口にするべき言葉を模索しているのだ。

 覆った常識との葛藤。しかしヒヨコは鈍麻な思考を、稚拙ながらも懸命に回している。

 彼女にとって、センカという少女はそういう存在だった。

 センカと共に過ごした時間はそれなりに長く、互いに互いを信頼していた。気恥ずかしくて口にはできないが、ヒヨコの心はセンカというひとりの少女を友として慕ってきた。

 隣に立つ居心地の良さ。言葉を交わす度に無意識で綻ぶ己の双眸。育ち始めた自意識の中で、ヒヨコは初めての友好の証を強く感じていた。

 

「……そう、かもしれない」

 

 故に、ヒヨコはセンカの憂いを機敏に察知していた。

 共に任務へ赴く時も、彼女の誘いで出掛けた時も、二人で他愛のない会話を交わした時でさえ。センカの瞳はここではない、どこか遠くを見据えていた。

 大切な友人の、執念が如き望郷をヒヨコは知っている。

 それに口出しする権利が自分にはない。ましてや、碌に事情も知らない自分が関与したところで無意味である。

 よく分かっている。ちゃんと理解している。

 でも、それでも──。

 

「だけど。センカは、道具だった私たちに……『意味』をくれた。──そうだよね、『ゴルディ・ロックス』」

 

 逡巡しながら、しかし確固たる真意を相貌に宿して。少女はハッキリとした口調で男の名前を呼んだ。

 

「……ああ。ああそうだったな、『ユズリハ・ヒヨコ』」

 

 互いに微笑みあい、確かめるように名前を呼び合う。

 かつて共にあった、得意げな笑顔はここにはない。

 まるで初めからそこに居なかったとでも言うように、その痕跡は跡形もなく消失している。

 だが、それでも。

 センカという恩人の存在は、熱く灯る心音が証明していた。

 

「そろそろ時間になる。気を引き締めて行くぞ」

「……了解」

 

 再び順路へ。

 僅かな足音すらも残さずに、二人の人間は迷いのない足取りでロビーへ辿り着いた。

 辿り着いて、瞠目する。

 

「時間通り。『ヒヨコ』、『ゴルディ』。お二人とも大変良い心掛けです」

 

 口調は限りなく温和。

 だが、語りかける声に温度はない。

 黒と深紅。まるでダーカーを彷彿とさせる機体。

 無感情を橙黄色の相貌に乗せたひとりのキャストが立っていた。

 当然その姿に見覚えはない。

 それでも一瞥するだけで報される異質さが、否が応でも両者に警戒を強いた。

 

「アンタは、誰だ……?」

「『ユウ』。それが私に与えられた名です」

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