英雄の記録 〜灯火ノ章〜   作:鬼灯 守人

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第十話 デッドチェイス

『絶望を感じたことがあるか、ですか? どうしてまたそんなことを?』

 

 以前に聞いたことがあった。

 自分になにもかもを教えてくれたあの人に。

 目指すには余りに遠かった、心の何処かで憧れていたあの人に。

 至高へと至った彼女が、もし『絶望』と称される局面に立たされたのなら。

 そんな過去があったのなら、一体どのようにして乗り越えたのだろうか、と。

 

『そう、ですね。私はあまり絶望という感情を抱いたことがないので、曖昧な返答になってしまいますが……』

 

 それは彼女が『ユウ』という名を持つ前の話。

 数多の『死地』へ赴き、生還し続けた強者の言葉。

 無機質な機械の瞳に、鮮血を映し続けた過去の記録。

 

『苦難と設定される障害が、()()()()()()()()()()()()と、そう気付かされた時。その時恐らく、私は絶望を感じていたと、思います』

 

 真っ白な部屋の中。

 なにもかもを見透かすような橙黄色の瞳で。

 俺に術を教えた『師』の眼差しで、彼女は言った。

 

『口で言っても伝わらないでしょう。ですが、()()()()()()()()

 

 彼女は全てを知っているような口ぶりで、はっきりと俺にこう告げた。

 

『もしこの先。もし、貴方が苦難へと立ち向かうことになったとしたら、その時は──』

 

 あの時。

 あの人は俺になんと言ってくれたんだっけ。

 それを思い出すことが、今、どうしても出来なかった。

 

 

 ♢

 

 

 耳鳴りがする。

 悪夢にうなされる子供のような甲高い泣き声が。

 現状を認識する思考を阻もうとする理性の声が。

 頭の奥まで浸食する、本能の絶叫が。

 

「『ベイゼ』……」

 

 唇から落ちた呟きが、広がる闇に溶けて消える。

 静寂が鼓膜を突き刺していた。

 心臓の音が全身に轟いていた。

 迷宮の暗澹(あんたん)たる燐光が、俺達を抱擁していた。

 炎を彷彿とさせる真紅の光源、ダーカーの装甲を思わす漆黒の壁面、既存の知識やデータでは在り得ないほど巨大な迷宮構造。

 球体型ダーカー、『ベイゼ』。その異常種。

 落ち着き始めた思考が再び状況を整理する。

 迷宮のように思えたこの構造。そのはずなのに、何故か()()()()()()()()()で天井や壁の感覚が統一されている。ダーカーの武器は『侵食』、そして『模倣』だ。仮にダーカーの住処としてこの形を取ったのなら、俺達の技術を模倣するのも頷ける。

 だが、これは幾ら何でも整い過ぎている気がする。もしかしたらここは──

 

「…………」

 

 違和感が思考を遮る。

 頭上で何かが動く音が聞こえた気がした。

 センカを抱えたまま、首だけで辺りを見渡す。

 やはり気のせいだったのか、周囲にはダーカーの影はない。

 騒音も、気配も。

 ならばすべきことはひとつ、脱出である。

 俺とセンカが落ちて来た大穴。積み上がった瓦礫で塞がれてはいるが、僅かに『水』が漏れ出している。

 それは地上で何度も浴びた『毒の水』だ。落盤が先だった故に死体の類は落ちて来ていないが、きっとあの岩盤の上には劇毒に浸かる死体の山が形成されているのだろう。

 そこを押し広げ、群がる肉を掻い潜り、地上へと登ることが出来れば、一先ずこの【過酷】からは逃れることが出来る。

 無論、落ちた時間を考えると時間は掛かるだろう。

 だが敵の気配がない今なら、多少の猶予はある筈だ。

 

「……どうする」

 

 腕の中で力を失っている少女を見る。

 全身を守っていた鎧は剥がれ落ち、所々に素肌を覗かせている。

 そこから見えるだけでも痣が多く、きっとその内側はもっと凄惨な傷を負っているのだろう。

 特に、左脚の外傷が酷い。

 足鎧で覆われた左脚は不自然な角度に曲がり、折れていた。

 そういう俺も、血は止まってはいるが全身に重傷を背負っている。

 しかし、泣き言ばかりは言ってられない。

 この状態で崖登りは無謀ではあるが、無理ではない。

 可能であるならば、成し遂げねばならない。

 俺はなけなしの気力を振り絞って、少女を背負った。

 その時だった。

 ぱらぱら──と。

 地表へと続く大穴から、石の欠片が落ちて来たのは。

 

「────」

 

 髪に、肩に、降り続く欠片に動きを止めた。

 引き寄せられるように振り返り、頭上を仰ぐ。

 闇の奥から絶えず降ってくる石片。暗闇が蓋をする天井部分には、何も見えない。視覚では何も判断できない。

 だが、聴覚は違った。

 静寂に敏感になった鼓膜が、確かに、その音を拾い上げていた。

 それは──そう、例えば『何か』が、この場所を猛然と目指しているような音。

 開けられた大穴の中を、『高速』を以って突き進んでいるような──。

 その可能性に行き着いた瞬間、全身から血の気が引いた。

 脳裏に蘇るのは巨大な影。

 この肩を飛ばした『破刃』。

 この体を粉砕した『破拳』。

 この五体に風穴を開けた『破銃』。

 この背で眠る少女の大腿を抉った、『破砲』。

 そして、鮮血を思わす、憤怒に燃えた真紅の双眼。

 

(まさか──)

 

 地上で戦ったあの『化物』が、『ベイゼ』が掘った大穴を伝って、追ってきた……?

 俺達を……いや──俺を殺すために!?

 戦慄に襲われる中、確信と共に記憶が想起する。

 最後に交錯した真紅の瞳が、あの時確かに、こう言っていたから。

 

 ──『お前を殺すのは、俺だ!』、と。

 

「ちっ……くしょおおおおおお……ッ!!」

 

 空白が刻まれた思考に、焦燥という燃料が投下される。

 ──逃げろ、逃げろっ!

 ──あの化物から、早くッッ!!

 その一心だけで、死に瀕していた五体は一瞬にして加速した。

 全身に力を籠め、センカを背負い直す。一歩、踏み出した途端、まるで火がくべられたかのような感覚に襲われる。

 思考が落ち着き、行動を開始したことで、麻痺していた精神が痛覚という地獄を取り戻した。

 閉じた傷口が再びその口を開ける。

 滴る血、毒で焼け爛れた肌が呻吟(しんぎん)を漏らす。

 受けた傷が一斉に過熱(オーバーヒート)した。吐き気が込み上げ、両足が震えている。

 無視する。

 無視をして、前へ、進み出す。

 一歩、一歩、一歩を追うごとに疲労と苦痛を払い除け、体を前へと進めて行く。

 まだ動く。

 まだ走れる。

 まだ、まだ、まだだっ!

 頭上から降ってくる石片は次第に頻度を増やしている。

 それらを浴びながら、なけなしの力を振り絞って離脱を開始した。

 ぐったりと重いセンカの体を支え、無我夢中で通路を突っ切っていく。

 せめてあの曲がり角まで。

 せめて、降下する『化物』の視界から外れた位置まで。

 けれど、目的の角を目前にし右折する寸前──ドンッ! と。

 後方で積層する岩々が、煙を立てて爆発した。

 振り返った先。

 舞い散る粉塵の中で揺らめく、左腕を失った輪郭(シルエット)を見た。

 数を一つ減らした刃脚に、人型の上体、双肩に備わる長銃、グロテスクな肉片が飛び出しているのは血に濡れた同胞の装甲。

『蜘蛛が如き下半身に乗ったつぎはぎの人体』という言葉を連想させる巨躯は、体高にして3(メートル)ほど。

 大口の内で煙を上げるのは、陽光と見紛う破壊の大砲。

 薄闇に注ぐ上界の光源、ぶちまけられた赤黒い液体に浮かぶ数多の死体。

 その中心に怪しく灯るのは、赤い双眼だった。

 間違いない。

 あの簒奪者(エネミー)だ。

 

『──』

 

 ぐるりと。

 まるで初めからこちらを補足していたかのように、その化物の首が回転した。

 

『──ァアアアアアアアアアアアアア!!』

「ッッ!!」

 

 化物の咆哮が飛ぶが早いか、俺は全力で背を向けた。

 続く通路へ飛び込むように駆け込み、疾走を開始する。

 すぐさま、後を追う猛烈な足音が続いて来た。

 迷宮構造を取る複雑な通路を出鱈目に進む。

 追い付かれても終わり、行き止まりに辿り着いても詰み、ダーカーと遭遇(エンカウント)しても幕引き。最悪の窮地にもう祈るしかない。

 方向転換を繰り返しては横道へと飛び込み、敵の追跡を撒こうと試みる。

 しかし『化物』の足音は遠ざからない。

 逆に……どんどん近付いている!

 

「クソっ、クソっっ、クソ……ッッ!!」

 

 肺が燃えている。汗が止まらない。喉が焼け落ちてしまいそうだ。

 負傷者(センカ)を抱えている今、泣けるほどに進行速度が遅すぎる。足が全く上がらない。体中で悲鳴が輪唱していた。それでも、全力で逃げ惑う。

 まともな思考力などとうに失われている中頭の奥で響くのは、いくつもの自問の声。

 一度は追い詰めた相手だ、向かってくるのなら迎え撃って憂いを断つべきでは?

 今逃げ出して、それが何になる?

 きっと地獄の果てまで追いかけてくるあの簒奪者(エネミー)から逃げるのは愚策ではないのか?

 これは、判断の先送りに過ぎない?

 でも、ダメだ。

 今だけは、ダメだ。

 自惚れるなカミト!

 賭けてもいい。このままあの『化物』と交戦すれば、俺かセンカ、そのどちらかが確実に死ぬ。

 連戦に次ぐ連戦、加えて一気に振り下りて来た倦怠感で襲われるこの体では、もはやまともな戦いにすらならない。上階で戦った時とは状況が一転している。

 今、あの『怪物』と戦ってはいけない!

 縋るような思いで、俺は辺りの景色に目を配る。

 先程からずっと気になっていた、この迷宮の構造。

 ダーカーの巣であるにも拘わらず、人間が通るのを最適化された構造を取っているのは、何故だ?

 

(もしかして──)

 

 肩越しに後方を見やる。

 まだ『化物』の巨躯は視認できるほどまでは来ていない。

 ならばもう、この可能性に賭けるしかない……!

 

「ここの壁もだ。やっぱり、不自然な凹みがある」

 

 その凹みは壁から天井を伝い、対角の壁まで続いていた。

 これまで幾度も見かけた、通路に等間隔に設けられた溝、或いは収納場所とも取れる凹み。

 俺の記憶が正しければ、『それ』は通路の構造的にこの位置にある筈だ。

 なければ、終わる。

 だが試す価値は充分にある。

 

『────ッ!』

 

 数瞬の推敲。

 その一瞬の静止で、簒奪者(エネミー)の体躯が先に曲がった角から爆音と共に躍り出た。

 真紅の双眼が歓喜に揺れる。

 脅威は目前。

 もう四の五の言って居られない。

 決行するしか、生存への道は無い!

 

「──ッッ!!」

 

 膨れ上がる殺意に限界を悟り、センカを己の後ろにそっと寝かした。

 振り向きざま。

 強く握り締めた得物に力を送り込んでいく。

 刃が藍の燐光を帯びていき、伸縮の動きに合わせて金属音に似た音を鳴らす。

 

『!!』

 

 簒奪者(エネミー)も気付く。その金属が如き摩擦音に。

 両の腕に携えた《ルグドフラン》から溢れ出す、全長の『光粒』に。

 真紅の双眼が驚愕を宿し、次には怒りの叫喚が打ち上がる。

 これでもかと、全身からフォトンを絞り出す。

 灼熱する五体を根性で支え、俺は砲声した。

 

「【ブラッディサラバンド】!!」

 

 祈るような気持ちで打ち出したのは、『化物』ではなく頭上の天井。

 射出された七撃のフォトンの刃が漆黒の繊維を砕いて切り刻む。

 直後、爆発が巻き起こる。

 土壌を支える機能を断った斬撃の影響で天井が音を立てて崩れ落ち、勢い良く通路を崩壊させた。

 

「ぐうっっ!?」

 

 舞い上がる砂埃。乱反射する爆発の破片に視界を庇う。視界が失われた数瞬後、けたたましく鳴る()()()()()を聞いた。辺りを『ベイゼ』とは別の光源が激しく照らし出す。

 勝ったと、俺は震える拳をグッと握り固めた。

 先に目視した通路の窪み。それらが破壊の一撃を受けて一斉に稼働した。

 

『アアアアアアッッ──』

 

 肉厚の二枚の壁が左右から折り重なるように通路を閉鎖していく。

 ずっと気になっていた通路の違和感。その正体が確信へと変わる。

 ダーカーの巣だと思われていたこの場所。

 しかしこの場は、アークスの領域(テリトリー)でもあったのだ。

 

「じゃあな、化物(くそやろう)

 

 積層していく景色に、俺は小さく吐き捨てる。

 雪崩れ込む土砂の山を簒奪者(エネミー)の絶叫ごと、現れた鋼鉄の防壁が遮断した。

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