それは銃を撃たれたから砲撃を見舞うように。
それは剣を振り翳されたから両断するように。
向けられた意思に応えただけの条件反射だった。
自分には知性なんて上等な機能は搭載されていない。
だから、その言葉の出自すら良く分からなかった。
──『イリオス』。
それは記憶にあるどの悲鳴にも、咆吼にも、啼泣にも当てはまらない。
その音を、自分は訊いた覚えがない。
だと言うのにその音は不自然なほど自然に、叫ぶことしかしてこなかった口から零れ落ちた。
本能の思うがままに、魂の望むままに、剥き出しの激情を発露してきた。
そんな自分から発せられた、『激情』とは程遠い穏やかな音。
不可解。
あまりにも不可解だ。
ああ、そうだ。
きっとこれは、この身に起きた新たな異常に違いない。
ならば、
記憶の何処にも存在しない
肉体の何処にも存在しない
一体この体のどこから発露しているのかを。
決戦する。
打ち合う火花を目印に、互いに位置を何度も入れ替え。
ただ互いを殺すための一撃を重ねていく。
「おお……ッ!!」
雄叫びを上げ、駆ける。
外見を一新したイリオスの能力は未知数。
無策で飛び込む愚行を是とし、カミトは短期決戦を申し込んだ。
『ッ、……ッ!!』
迸る双小剣の軌跡が舞う。
漆黒の体躯を穿ち、削っていく。
強引に相手を後手に回らせる高速の斬撃。
形勢有利を捥ぎ取り、圧倒する。
息を入れる。
突進と共に放つ鋭い刺突。
直撃の寸前で拳がそれを弾き、不発。
技後硬直を狙ったイリオスが乱雑に右腕を振り下ろす。
織り込み済みだった。
軌道を完全に見切り、直撃寸前で回避。
防具を掠め引き剥がす一撃を視界の端で認めながら、更に一歩。
這うような低姿勢で巨体の下へ潜り込む。
カチ上げるように小剣を突き刺した。
──が。
『ガァアアアアアアアアアッ!』
「ッ!!」
鋭利な剣先は漆黒の鎧に阻まれ弾かれた。
繰り返すように足裏に仕込んだ隠し刃が起動するが、二度も同じ手は通用しない。
先刻腕を切り落としたイリオスの必殺がカミトの鼻先を掠める。
そのままバックステップで距離を取り、カミトは深く息を吐いて呼吸を整えた。
「流石に対策はしてる、か」
改めて、状況の圧倒的な形勢不利を認識する。
恐らく
敵の装甲は一新され、先の戦闘の名残は殆ど見受けられない。
対するカミトは傷が無い箇所を探す方が難しいほどの重症。
イリオスが放つどの攻撃を受けても致命傷になる限界状況だ。
しかし、依然笑う。
紅と紫紺の邪鬼眼は、ただ勝利を見据えて細まった。
「──【リミット・ブレイク】」
決着を申し込んだ。
死に体を使い捨てる臨界突破の炎に、イリオスは笑う。
肩に背負う銃火器を捨て去り、近接戦闘を見据え構えを取る。
直後、カミトの体が視界から消失した。
『……ッ!?』
咄嗟に取った防御の構えの上から、凄まじい衝撃が巨体を駆け巡る。
再び捉えたカミトは遙か上空。
帚星のように尾を引く紅蓮のフォトンの軌跡を認め、イリオスはそれが彼らアークスの持つ必殺だと悟る。
「──ぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
闇雲に薙ぎ払われる双小剣。
その剣戟がフォトンを纏い、風の刃となって幾条も飛来する。
これまで徹底して肉弾戦を仕掛けてきたカミトによる遠距離攻撃。
意識外の攻撃に対処が遅れ、降り注ぐ刃の雨が巨体を飲み込んだ。
ダーカー因子を取り込んだことにより先刻より機体への被害が大きい。
回避もままならず剥がれ落ちていく装甲を見送りながら、イリオスはただ衝撃が止むのを待つ。
当然、悪手だ。
『ギ……ッ、グッ!?』
交差する拳と剣の防御の上から、落下の勢いを存分に乗せた脚撃が落ちる。
こじ開けられた鉄壁。
黒い空を裂くように、紅蓮の炎がぼうと燃える。
振り上げられた右腕。
掲げる小剣が炎を纏い爆炎に包まれる。
ガラ空きの胴体を狙う邪鬼目。
結んだ口元が勢いよく開き、必殺を叫んだ。
「【フォール・ノクターン】────ッッ!!」
浮遊の停滞を裂くような急速落下。
再度閉じようとする防御の合間を縫って、カミトの体はイリオスの懐へ飛び込んだ。
爆炎を凝視する。
視界を、炎が焼き尽くした。
「…………」
『…………』
沈黙が流れる。
斬撃の余波が周囲を薙ぎ、同時に音を攫っていく。
動く者は居ない。
ややあって、カミトが口元を綻ばせ、呟いた。
「……まあ、なんだ」
出し切ったと言うような満足げな表情で、カミトは眼前の光景を認める。
「案外、悪くないモンだな」
炎が収まり晴れていく視界。
睥睨するイリオスの双眼。
その視線が認めるのは、己の腹を貫いた一本の『針』だった。
腹部から伸びる、『エル・アーダ』から抽出した特大針。
外観から容易に想像の付く筈だった、取り込んだダーカーの能力。
イリオスは敢えて、それらを一切カミトに見せず戦った。
全ては、確実にこの大敵の息の根を止めるために。
「強いな、イリオス──」
カミトがその力量を讃える。
応えるようにヒュンと針を振れば、カミトの矮躯はされるがままに吹き飛んだ。
腹から、口から、衝突の度に開く数多の傷口から。
バシャバシャと。
冗談みたいな量の血を吐き出して。
深紅の戦士は血に沈む。
勝敗は、呆気なく決した。
『────────────────────ッッ!!』
崩れ落ちていく星を、怪物の歓喜が震撼させた。
ゆるりと躙り寄る。
怪物は倒れ伏す戦士を睥睨し、爛々と赤熱した瞳を回す。
勝ち誇るように掲げられる漆黒の大剣。
ままあって、その一閃は重力に従って振り下ろされる。
一切の慈悲も無い一撃は、怪物が捧げる紅蓮の戦士への最大限の敬意だった。
故に。
怪物は再び口元を歪に吊り上げる。
土煙を舞上げる己の得物。
切っ先に感じる、確かな違和感。
その異常事態に、怪物は大きく跳びすさる。
深紅の瞳が、再びそれを照準した。
土煙の向こうから現れたのは、紅蓮の双小剣を掲げ、まるで何かを受け止めたかのように硬直する小さな影。
晴れていく視界。
映るのは生気を失った肌、覇気を失った五体、力の片鱗も感じない脆弱な諸手。
それでも怪物は、戦慄せずにはいられない。
戦士がこちらへ向けるその眼。
色の落ちた死人の瞳は、未だ闘志に燃えていた。
○
目を瞑る。
昔から俺は、眠るのが怖かった。
使命に駆られ奔走し、仲間のために剣を振るう。
眠らない言い訳を探すように、俺は【英雄】に没頭した。
ひとたび目を瞑れば。
何者でも無い自分に戻ってしまえば。
押し寄せる後悔の濁流で、気がおかしくなってしまいそうだったから。
──ねぇジーク。アークスって知ってる?
白一色の手狭な、部屋と呼ぶにはあまりにもお粗末な空間。
幼い頃の俺にとって、『白』だけが世界の全てだった。
白い少女と語らう外の世界に怯え、密かな憧憬を抱きながら。
白とは違う、非日常の世界に思いを巡らせていた。
これが思惑に象られた嘘であっても、どれだけ狂った日常であっても。
俺にとってはそれが普通で、かけがえのない時間だった。
異常ばかりが纏わり付く日常でも平常であれたのは、彼女の献身があったからだ。
──この個体はNo.219。そう、君と同じ名前を持つ、君のための『龍』だ。
自分と同じ、『ジーク』と名付けられたヘイズドラールだったもの。
俺の体に適合するよう調整された、龍を原型とした人工心臓。
ソレと同化し、暴走した俺は、そこで培った絆によって救われた。
義父と義母を屠り、恩師の手足を奪い、純白の少女の体に風穴を開けた。
大切な家族の血と引き換えに、俺の心は保たれた。
──カミトという名前には強い心を持ち、周りの人々を優しく支えられる人という意味がある。
施設を出た俺は、ひとりの老父に救われた。
与えられた二つ目の名前。
記号が名前だった俺にとっては、初めての『願い』が込められた、大切な名前。
棺に眠る老父が残した遺言で、俺は俺の由縁を知った。
あまりにも遅すぎた己の愚かさに打ち拉がれる俺の心は、老父の愛情によって守られた。
自分のことを強者などと思ったことは一度も無かった。
ただのデューマンに戻っても、過去の罪が消えたわけじゃない。
思い返せばやりきれない思いが溢れ出して、もう立ち上がれないなんて泣き言を吐き出そうとする。
だからこそ、もう一度力を込める。
機能しない腕を、感覚の無い脚を、鉛のように煩わしい体を。
その決意ひとつで駆動させる。
──後悔しても過去は帰ってこない。じゃから、未来のことを考えろ。
あの怪物を行かせれば、きっと他の誰かを脅かす。
勝てなかったとか、出し切ったとか、満足したとか。
そんなのは、どうだって良かった。
──過去の行いを誇れるように。後悔しないように、今を全力で生きろ。
生きろと言われた。
後悔しない生き方をし、その上で、生きろと。
自分の身勝手さにつくづく嫌気が差す。
俺はあの時決めたじゃないか。
護れなかったは、これで最後にするのだと。
命を捨てるのではなく、命を使って生きるのだと。
──それが出来る子だと、わしは確信している。
ありがとう、じいちゃん。
○
「──寄越せ、『ジーク』」
ずっと沈黙を保っていたカミトのマグが瞬き、装備者へ超常の加護を齎すべく術式が展開する。
溢れ出す超密度のフォトン。
景観を漂白する閃光にイリオスはたまらず眼をかばう。
晴れていく視界。
機能を取り戻した視覚が捉えたのは、極彩色の【大剣】だった。
「二対一ってのはフェアじゃないからな。俺なりに譲歩はしたんだぜ?」
イリオスは瞠目する。
カミトが携えるのは、本来幻獣の戦士が持つべき超常の武装だ。
本来人が触れて良い物では無い。
その証拠に。
『…………』
その負荷に耐えられず、カミトの諸手は煙を放っていた。
焼け焦げるような異臭。
ただ触れるだけで激痛を伴うであろうその一振りを。
「第二ラウンドだ。行くぞ──」
カミトは微笑を崩さず、再度突進。
来る一撃を迎え撃つべく、イリオスは砲銃を構え、放った。
「……ッ!!」
しかし不発。
放たれた超威力の光弾は大剣の剣身が正面から受け止め、その起動を逸らす。
ただの一手で完封された遠距離攻撃。
イリオスは混乱する思考のまま、迫る致死量を目掛けて己の大剣を振り下ろした。
肉薄する距離。
互いに打ち出した大剣が交差、拮抗し──。
『!?』
融解した。
打ち出された幻獣の大剣はその超質量を以て、イリオスの得物を容易く両断する。
頭蓋を穿つ大剣の軌道から待避し、イリオスはただ事象が理解できないというように双眼を瞬かせる。
思考を埋める膨大なエラーを抜け出し、晴れる視界。
眼前には紅蓮が迫っていた。
「ぉぉぉおおおおおおおおおおお──ッッ!!」
畳み掛ける。
ダーカー因子で形成されたイリオスの体は、以前よりフォトンへの耐性が薄い。
ダーカーを殲滅するためだけに特化した幻獣の大剣との相性は最悪だった。
相手の硬直が解かれるより早く、得物をひとつ失ったイリオスを討つべく踏み込んだ。
迫り来る防御不可能の致死量の押収。
後退を余儀なくされるイリオスを逃すまいと、カミトは猛る。
『ギイィ……ァアアアアアアアアアアッッ!!』
リソースを剣ではなく、捨て去った砲銃へ回す。
あの武器に触れてはならないと本能が鳴らす警鐘のままに、イリオスは弾丸の雨を生成した。
先刻までとは違う、極小の光弾がさながら弾幕のようにカミトの視界を覆い尽くす。
とにかく、なにがなんでも、距離を取りたい。
そんな意識が滲み出るイリオスの条件反射。
「──軽い」
口元を吊り上げ、幻獣の大剣が唸る。
視界を埋め尽くす漆黒の光弾が、極彩色の一閃に溶けていく。
剣撃の余波が自傷覚悟で放った光弾の弾幕を銃身ごと吹き飛ばす。
蓄積していく膨大なエラー。
熱された計算機能が停止し、イリオスの動きが一瞬止まる。
「──ッッ!!」
再び懐へ潜り込み、繰り出される
体を形成していた鎧がガラガラと剥がれ落ちる。
内に守る核が、少しずつ、暴かれようとしている。
繰り出す攻撃後と切り裂く極彩色に為す術を見出せず、イリオスはたまらず地を蹴った。
巨体には似つかわしくない機動力を遺憾なく発揮し、ただの一蹴りでカミトの間合いを離脱する。
だが、カミトの方が速かった。
『────────ッッ!?』
まるで先読みをしていたような挙動。
飛び上がり、空中で弓なりに背筋を反らす。
飛び去るイリオスに張り付くように切迫。
カミトは渾身を込めて大剣を握り、引き絞る。
「──【オーバーエンド】」
猛り狂う。
凝縮された極彩色のフォトンが。
振り下ろされる。
アークスの戦士が持ち得る最大最強の一撃が。
思考に『死』の一文字を報せる。
イリオスはただ、開目する。
『────────────────────』
悲鳴は上がらない。
直撃した超濃度のフォトンに焼かれ、イリオスの巨体は紙屑のように大地を転がった。
対面の壁に衝突し、巨体が動きを止める。
再び、静寂。
「はぁ……はぁ……ッ、キッツいな、これ……ッ」
フォトンを消費し尽くした大剣が、役目を終えたように消えていく。
支えを失ったカミトの体は崩れ落ち、片膝を突いて意識を手放すのをどうにか堪えた。
乱れた息を整えようと喘ぐ。
その度に全身に激痛が走り、繋ぎ止めた意識を散らそうとする。
勝ち取った勝利を吟味する余裕も無いほどの疲弊に、カミトは自虐めいた笑みを浮かべた。
「なんで生きてんだろうな、俺。まあ細かいことはいい。後は帰る方法を探せば────」
もう一度体に活を入れようとした、その時。
カミトの脳裏に過去の
祈るような面持ちで振り返る。
蹲るイリオスの巨体。
再起を疑ったが、依然動く素振りを見せていない。
ただひとつ、こちらを捉える『砲身』以外は。
「……け」
砲身に熱が籠もっていく。
それに呼応するように、イリオスの巨体は蠢くように再起を始める。
あれを喰らってはならない。
全身が逃げろと悲鳴を上げる。
でも、でも、でも……ッ!
「……動けよ、動けッ!!」
照準から逃れようと藻掻くも、あらゆるリソースを吐き出した五体は動かない。
無理矢理に立ち上がろうと試みるも、失敗。
無様に大地に転がったカミトの体は、もうそれ以上、動く気配を見せなかった。
「生きなきゃ、いけないのに……、死んだら、意味ねぇのに……ッ」
辛うじて動く右腕が大地に爪を立てる。
しかし、それはあまりにも力なく、まるで大地を撫でるような動作だ。
最早残されている力では、悔しさに拳を立てることも叶わなかった。
砲身が漆黒の輝きを増していく。
瞠目するカミトの視界を埋め尽くしていく。
今に、自分の命は潰えるのだと。
そう確信し唇を噛んだ。
瞬間。
「──うわぁあああああああああああああああああああああああああっっ!!」
情けない悲鳴が空より響く。
情報の整理が追い付かない思考のまま、吊られるように天を仰ぐ。
見上げた視界に、漆黒の空を裂く
『キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……ッ!!』
流星はそのままイリオスへと降り注ぎ、爆炎を上げて大破する。
いや、あれは星では無い。
カミトが先刻送り届けたばかりの、箱舟の残骸だった。
「……あたし、やっぱりあんたのこと大っ嫌い」
後ろの方で声が響く。
袂へ降り立った少女の言葉に、カミトはただ口を紡ぐ。
足音が近付いてくる。
次いで訪れるであろう怨嗟の言葉に覚悟を決め、カミトは受け入れるように目を閉じた。
「だけど、それだけじゃないんだ」
「……えっ?」
倒れ伏す背中に少女の手が触れる。
途端に、傷が癒えていく感覚が全身を巡った。
見る間に感覚が戻った体を確かめるように体を起こす。
視線の先に映るのは変わらない背中。
だが、そこに漲るフォトンが桁違いだった。
その所以を探ろうと視線を巡らせて、カミトはただ呆れた。
「……冗談だろ」
一周回って賛辞すら感じる声音だった。
諦めて、砕け散ったキャンプシップから視線を切る。
「英雄譚はここまで。だから、そこで見ててよ」
少女が肩越しに振り返る。
それは望郷に駆られる少女でも、恐怖を圧し殺す戦士でも、明朗な彼女のモノとも違う。
瞳には使命を宿し、ただ他が為に戦場に立つ。
──英雄ってのはつまるところ、気に入らない現状を私情で塗り替える暴君の名なのさ。
カミトの脳裏に、過去に貰った言葉がよぎる。
こちらを見つめる少女の瞳。
宿すのは紛れもなく、強く堅牢な鉄の信念。
それは彼女が忌み嫌う、英雄豪傑が如き眼差しだ。
「言っとくけど、邪魔したら絶交だからね? だって、この戦いは──」
言葉を切り、短く息を吐いた。
鈍色の瞳が、再起する仇敵を捉える。
もう一度、深く息を吸って。
「これは、あたし達の喧嘩なんだから……ッ!!」
センカは己が真意を叫ぶ。
決意を固めるように双拳を抜き放つ。
その体躯は一縷の揺らぎも見せない。
それはまるで、鍛え抜かれた一振りの刀身のようだった。