静寂に身を委ねれば鼓膜の奥で悲鳴が木霊した。
目を閉じれば瞼の裏に焼き付いた状景が自動再生された。
俗に言う『トラウマ』と呼ばれる心傷は、
どれだけの仲間を得ても
どれだけの笑顔を経ても、
どれだけの安堵に浸っても、
しつこく、こびり付くように、日常の片隅に顔を出す。
映画やコミックでしか見たことなかった、飛び散る鮮血、耳を劈く怒号と悲鳴、冷たく重くなっていく人肌の感触。
自分がその渦中に身を置くだなんて事、これっぽっちだって想像してなかった。
『なにしょけた顔してんだ。大丈夫、お前はきっとボンキュッボンッ! なナイスバディに──ぐえっ』
『こんな時になに馬鹿なこと言ってるのよ。でも、そうね。貴方はきっと素敵な女性になるわ』
『違いねぇな。んじゃ、そういうワケだミュリエル。次に会えるのはいつかは分からんが、そんときゃ、めいいっぱい見せてくれよ──お前の、成長した姿って奴をさっ』
まるで少し出掛けてくるとでも言うような軽い所作で、彼らは行ってしまった。
微笑みを浮かべる彼らの顔を、こちらを慮る言葉を、幼い自分は受け止められなかった。
泣きじゃくって、癇癪を上げて、行こうとする戦士達を行かせまいと、ただ、感情のままに。
──だから、後悔してるんだろ?
うん。
あの時の
自分の至らなさが故に、動けなかった。
そんな自分の未熟さを、ずっと悔やんでいた。
──知ってる。いっぱい泣いたからねぇ。
そうすることしか、知らなかった。
あれは戦士でも無い、ただの少女に出来ることの全てだった。
──でも、今のアンタならどうなんだい?
どうだろうか。
同僚がドン引くくらいの筋肉質がナイスバディに入るなら、或いは。
──大丈夫さ。めいいっぱい見せ付けてきなっ。
明朗な声で白い影が微笑む。
無論、これは幻聴だ。
何処まで行っても臆病な自分が作り出した、ただの幻影だ。
暗い船内で、落ち着きを取り戻した自分の呼吸を確かめながら、立ち上がる。
「そうだね。あたしは、英雄が嫌いなんじゃない」
後悔と同じ状況に立たされて、ようやく理解した。
この苛立ちは置き去りにした彼らにではなく、自分に向けられたモノ。
「誰かに『英雄』になることを強いて、それをただ見てることしか出来ない自分が、大嫌いだったんだ」
アークスシップの操縦桿の前に立つ。
少しだけ怖い。
これをやって、その後はどうする?
今頭を埋めている『絵空事』が、不発に終わってしまったら?
不安が腹の底から湧いてくる。
でも。
きっとこれは、彼らも経験した恐怖なのだ。
すくんで震える脚を認め、諦めたように息を吐く。
「……ホントさ、皆かっこよすぎるんだって」
夜ごと罵りさえした彼らに、心からの賞賛を贈る。
虫が良い、とは思わない。
だってそれは、いつだって彼らと全力で向き合ってきた証拠なのだから。
「……でも、あたしも、あたしだって……ッ!」
自分はこれから、誰かの想いを踏み躙る。
自分が思い描く、『絵空事』を叶えに行くために。
拳を高く振り上げる。
「あたしはもっと、かっこよくなってやるんだからッ!!」
文字通り、いまの自分の『全力』を以て。
拳を操縦桿へ叩き付けた。
○
「そのフォトンの量……まさかお前、船のフォトンを……ッ!」
「うん! おかげで完全復活ってワケっ!」
「…………ッ」
完全復活どころではなかった。
星間を移動するほどの膨大なフォトンを、只人がその身に留めておけるはずもない。
事実、センカの体からは溢れ出したフォトンが陽炎のように立ち登っている。
カミトはただ押し黙るしかない。
自らの自己満足のために退路を断った蛮行。
それを攻める資格が、彼にはない。
「ここからのプランは単純。アイツを倒して、アンタの船を見つけて脱出する。簡単じゃない?」
「だったら2人で戦った方が良くないか?」
「ダメダメ絶対ダメ。だってあたし、たぶんこの戦い終わったら動けなくなるからさ」
「ぬう……」
過剰なフォトン供給を行ったのだ。
それを出し切った後の反動は計り知れない。
「……分かった。でも、危ないと思ったらすぐ行くからな」
「心配性め……」
不服そうにわざとらしく頬を膨らませ、諦めて前方を見やる。
軋む音を立てながら、船の残骸から黒い化物が立ち上がる。
破壊され欠損した五本脚。
半分に切断された大剣。
へし折れ片方しか機能しなくなった機銃。
砕けてタダの塊になった拳。
なぜまだ起動しているか分からないほどの損傷をもってしても、怪物は未だ健在だった。
戦いに誘われるように、センカは歩き出す。
一定の距離を置いて、互いに静止した。
「大丈夫だよ、カミト」
センカは目を閉じて、握り固めた拳を胸の前に置く。
ひとつ息を置いて、獰猛に笑った。
「今のあたしは、最強なんだから……ッ!!」
見開いた瞳が満月を映す金色に輝く。
同時に、空気が発火した。
『────ァァ』
怪物の双眼が認めたのは、少女を取り囲むように浮かぶ【12の火球】。
その物量が自分を殺し得る必殺であると、怪物は認識する。
絶対にアレを貰ってはいけない。
思考が至り、防戦の構えを取った頃。
懐に、ソイツは居た。
「アンバぁあああああああああああああ……ッ!!」
『……ッ!?』
打ち出す拳に合わせて、怪物の懐に特大の火球が炸裂した。
肉迫し爆発した火力は容易く怪物の装甲を打ち砕く。
ボトリ、と。
へし折れた『槍』の破片が、静かに落ちた。
『グギ……ガ……ッ!!』
一撃で理解した。
炸裂した直後に全身を駆け巡った『灼熱』。
炎の熱さとは別種の、自らの根底を揺るがす熱量。
まるで毒が巡るように、一瞬、身体の制御が奪われた。
いち早く離脱を図り、体勢を立て直さなければならない。
だと言うのに。
「ノースッ!!」
『────ッ』
自分の『五体』が、彼女の声から逃れることを拒んでいる。
否。
避けるに値する『殺気』が、その拳には乗せられていなかった。
──『んで、楽しかったか?』
死闘の最中、彼女が想起するのは少女の幼い頃の記憶。
軍人の父から鍛え上げられ、培ったその膂力を遺憾なく発揮し、学校のお調子者をとっちめた日のことだった。
──『良い戦いをした後ってのは、勝っても負けても楽しいもんだ。出し切った後の高揚感は何にも代えがたい。それは、戦士にのみ許される快感だ』
その児童は何かにつけて他の子の物を盗ったり、壊したり、それはもう横暴な振る舞うような、各学校で付属品のように必ず目にするような問題児だった。
彼の傍若無人っぷりを傍目で見ながら、子供だなぁと、彼女は心底で他人事のようにそれを見ていた。
とある問題が起きるまでは。
──『喧嘩も試合も戦争も、結局全部暴力だ。実際そこにたいした差なんかありゃしねぇ。だがな──』
その肥大した童心が彼女の友人に向けられたとき、彼女は培った技を惜しげも無くその児童へ見舞った。
童子は泣いてこれまでの横暴を謝罪し、友人からは感謝され、周囲からはさながら英雄のように祭り上げられた。
それは良いことをしたと意気揚々に帰宅し、己の戦果を嬉々として師へと報告した、その日のこと。
思い返すだけで身震いするほどの気迫を以て父に諭された、原点の言葉だ。
──『どうせ同じ暴力なら、心躍る方へ切っ先を向けろ』
父の言葉に己の浅薄さを悟った彼女は、言い訳も出来ず、ただ己の未熟さに涙ぐんだ。
まだ子供だからとか、そんな言い訳がましい思考が巡る。
だが、その言葉が口を衝く前に唇を噛み締めた。
それほどに、悔しかったのだ。
──『心が躍れば拳は冴える。拳が冴えればまた心が躍る。強いヤツってのはな、自分を高める方法を知ってるヤツの事を言うんだ。……なあ、ミュリエル』
諭すような口調が一変して、温和に染まる。
俯く小さな頭にポンッと、ゴツゴツした大きな手のひらが乗せられた。
──『お前は、どうして強くなりたいんだ?』
幼い心で答えなど出るはずのない問い掛け。
返答は、今、明瞭となる。
「シス、ジェード、アトリア……ッ、あたしは……ッ!!」
足裏を、至近距離で放った火球が叩く。
自傷行為にも等しい蛮行。
その愚直さを以て、少女の身体は疾風が如く加速する。
(誰かを護るとか、助けるとか。そんなの、あたしには分からない)
自分は兵士でも軍人でも、ましてや英雄などでもない。
一般的な家庭で育ち、人並の教育を受け、ごく普通の将来を描いていた、ただの子供だった。
本来明るく、リーダー気質な性格が幸いして、結果的に
だがそれは単なる結果論であり、その過程にあるのは一個人の
(でも、だからこそ! ここで出し切らなきゃいけないんだ……ッ!)
拳に寄り添うように、火球が舞う。
その熱量に呼応するように、心臓は高鳴った。
この戦いに大義はない。
恐怖を押し込め、衝動が痛む身体を疾駆させている。
彼女の
「あたしは、皆の期待に応えたいッ。応えなきゃ、いけないんだ……ッッ!!」
只人だった自分に、献身を捧げてくれた彼らに、報いなければ。
これは孤独だった彼女に与えられた、最期の恩返しの機会なのだから。
『ギ、ギィイイ……ッ!!』
再び火球が怪物に炸裂する。
揺るがす爆風に巨体はたまらず後退する。
勢いを殺し切り、再び構えを取ろうとして、ゴトリと。
腹部の補強を担っていた銃剣の破片が役目を終えたように零れ落ちた。
怪物は悟る。
自分ではなく、自分を構成する『何か』に作用する攻撃。
五体を穿つ強襲は、自分に向けられた攻撃では無いのだと。
己を映す満月の相貌は、端から自分など、見てもいなかったのだと。
『グガ、ゲ……ガァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
巨体が怒りのままに躍動する。
誇示するように残る武装を振り翳し、猛り狂った。
「──エレティナ」
『ッ!?』
肉迫する直前、怪物の巨体がグラリと揺らぐ。
地雷のように設置された火球が、怪物の脚関節を焼き切った。
脚を失い横転する巨体。
揺らぐ視界の先、関節の留め具を担っていた『小杖』が乾いた音を立てて転がった。
『──ッ!!』
ならばと、即座に肩の機銃を起動し、標的を照準する。
少女の矮躯に風穴を開けるべく、凝縮したフォトンが光線となって迸った。
硬直する少女にその音速を避ける術はなく、その姿はたちまち土煙の中に消える。
直撃した。
怪物がそう悟った直後、炎が、吹き上がった。
「リエン、ありがとう」
光線が着弾したのは、さながら少女を護るように鎮座するひとつの火球だった。
慈しむようにたゆたう火球に触れると、火球は役目を終えたようにふっと消えた。
「かましてやろうよ……ゾルッ!!」
言葉と同時に、グッと、少女は腰をグルンと捻って拳を引き絞った。
所作に習うように、ひときわ大きい火球がその眼前に舞い降りる。
大地が割れるほど強く踏み込み、そして少女は渾身を込めて火球をぶん殴った。
降り掛かる危機を察知した怪物は焦燥のままに次なる光線を放つ。
だが、無意味。
打ち出された火球は光線をものともせず、それを散らしながら爆進。
その勢いは止まることなく、機銃を肩ごと抉り取り、怪物の遙か後方で爆散した。
「ふっ……ッ!!」
少女の身体が、輪郭が霞むほどの速度で加速する。
その猛進を止める術が、いまの自分にはない。
怪物の双眼が焦りに歪んだ。
「出来ないとは言わせないよ、ミラッ!!」
『ガグ……ッッ!?』
誰に物を言っているのかと、そう誇示するように火球はひときわ強く輝いた。
怪物を構成する中で最も分厚い装甲。
自身の根幹を担う核を覆うプレートが、たった一撃で消し炭となった。
怪物の心臓部。
赤黒く脈打つ核が、ついに姿を晒した。
だが。
『ギギ──ッ!!』
その窮地は織り込み済みだ。
まさしく肉を切らせて骨を断つ。
鮮血を撒き散らしながら迫る、1度自分を地に沈めた紅蓮の戦士の決意に習い、怪物はその致命傷を許容した。
少女が居るのは自分の眼前。
彼女の頭上に位置する核を狙うには、どうしても飛び上がらなければ届かない。
制動の効かない、空中に漂う少女の身体。
隙だらけの五体を目掛け、怪物の大剣が鋭く閃いた。
「上手くいったね、バルっ」
『ッ!?』
振り抜いた切っ先が少女を穿つ寸前。
剣が切り裂くより先に、少女の身体が爆発した。
まるで怪物の短絡な思考をあざ笑うように、ひらりと少女の身体が舞う。
火球によって巻き上げられた少女は空中で位置を変え、掻い潜るように大剣の軌道を逃れる。
状況は入れ替わった。
脚の掛けた状態では姿勢を保てず、無様に崩れる巨体。
見上げた視界の先には、拳を業火に包んだ少女の姿があった。
凌ぐ術が無い。
耐える術が無い。
避ける術が無い。
その致死量は、受けざるを得ない……ッ!!
思考がエラーで埋め尽くされていく、その時。
「……ッ!?」
怪物が次に取った行動に、少女は息を呑んだ。
少女と怪物の間を遮ったのは、先刻自分が放棄したアークスシップの残骸だった。
必殺を叩き込む寸前に現れた、最後の障壁。
フォトンに耐性を持つあの装甲を貫き、更に怪物の核を破壊する。
いまの少女に、そんな超火力は備わっていなかった。
湛えた一撃を放てば、折角の好機を不意にしてしまう。
この好機を逃せば、体勢を立て直したあの怪物を穿つ術が潰えてしまう。
故に、少女は小さく微笑んだ。
逡巡する思考を攫うように駆け出した、一筋の光を見たから。
「流石だよ、シルファ」
残骸の隙間を縫うように、小さな火球が鋭く駆ける。
火球は残骸を掲げる怪物の腕に炸裂し、内側から『大盾』を払い除けた。
こちらを見上げる深紅の双眼と、視線が交錯する。
その眼の中に、『彼ら』は居ない。
同じく、少女が産み出した火球にも、『彼ら』は宿らない。
分かっていた。
認識していた。
理解していた。
いま起きている事象はただ、それを想起させているだけの幻想に過ぎないことを。
「決着を付けよう──アルカッ!!」
だからこそ。
願いを込めて、
祈りを込めて、
決意を込めて、
彼女は、叫ぶ。
携えた拳が炎で燃え上がる。
噴出する炎を推進力に変え、少女は一条の流星となって降下する。
抵抗する一切の術を失った怪物は、ただ静かに、炎の揺らめきを見つめた。
「──【イリオス・ヒリト】」
炸裂する。
少女の拳が今、怪物の心臓に届く。
異境の地で束ねた絆の集積が、凝縮された金色の炎となって、剥き出しになった怪物の核を焼き焦がす。
『ッ────────────』
直撃した致死量の衝撃を殺しきれず、巨体はボロクズのように地面を転がる。
集めた『残骸』達を撒き散らしながら、怪物の巨体は対面の瓦礫の山へ突っ込んでようやく停止する。
チラチラと明滅する紅蓮の双眼が、静かに色を失った。
「……」
少女はただ、静かに立つ。
はだけて乱れた髪。
傷だらけの手足。
甲冑を模した武装はあちこちが破損している。
戦場の余波を一身に受け止める、ボロボロの少女。
仇敵を見据える黄金の瞳はただ鋭く、澄んでいる。
その光景を認め、カミトはひとり理解する。
それはさながら一振りの刀の如く。
そこに在るのは紛れもなく、研ぎ澄まされた『戦士』の佇まいだった。