『総員退避、退避ぃいいいいい──ッッ!!』
絶叫があたりを満たしていた。
響き渡る声を辿りながら、彼女は懸命に進む。
施設はダーカーの襲撃を受け、間引かれた。
廃棄された施設内に残された研究員たちは、ひたすら脅威から身を遠ざけるように逃げ惑っている。
この場所が既に、逃げ場のない監獄だと知りながら。
『隔壁を閉じろッ! ヤツがもう、すぐそこまで迫っている──ッ!!』
彼女はその奥が行き止まりであることを知っていた。
施設が廃棄された影響で、フォトンの供給が既に止まっていることも。
あの隔壁を閉じてしまえば、彼らは二度と外へ出ることが出来なくなってしまう。
全力で足を回し、今にも閉じようとしていた隔壁の隙間に両手を差し込んだ。
分厚い鉄壁が、彼女の両手によって粉砕される。
『ああッ、ぁああああああああああ……ッ!!』
言葉にならない叫びが耐えない。
彼女は研究員たちを落ち着かせようと、両手を上げて危険がないことを表す。
だが、意思は伝わらない。
『来るな、来るなって言ってんだろッ!!』
『あっち行ってよッ、この化け物ッ!!』
混乱する彼らは、既に彼女のことを正しく理解していないようだった。
放たれる怒声を浴び、彼女は力なく項垂れる。
瞳を伏せ、己の無力さを痛感した。
──このような境遇で、貴方が憧れるモノとは?
眼前に立つ黒いシルエットを見た瞬間、いつか放たれた『問』が想起する。
『まさかこのような自体になろうとは。……残念です』
羨望が、歓喜が、彼女の背後で身を寄せ合う彼らから沸き立った。
言いようのない熱が、胸の内から込み上げる。
双機銃を携えた、顔を隠した漆黒のキャスト。
煌めく情緒とは無縁の出で立ちで居ながら、その人物はこの場の誰よりも英雄然としている。
彼女は再び、あの時の『願望』を叶えるべく全身を震わせた。
ああそうだ。
いま、この時こそ。
積年抱き続けてきたあの感情を、発露させる場面なのだと──。
『………………?』
漆黒の銃口が、自分へと向けられていた。
機械の髪から除く橙の瞳は、哀れみを映して揺れている。
庇われるようにして身を寄せ合う背後の一団。
こちらを見る彼らの瞳が、怒りに燃えていた。
理解できない状況に、一歩、また一歩と彼女は後退する。
そして彼女は、この施設に現れた脅威を目の当たりにした。
『────ッ!?』
ヒビの入ったガラスの先に、その化け物は佇んでいた。
純白の体のあちこちに侵食反応が起き、まだらに黒が滲んでいる。
少女を模っていた五体は膨れ上がり、もはや人形とは呼べない造形だった。
極めつけは、狂気を湛えて灯る紅蓮の双眼。
それが彼女自身の姿であると自覚するのに、そう多くはかからなかった。
『……せめて、貴方の願いだけは護りましょう』
思考が追いついたと同時に、眼前の憧憬が呟く。
なにか声を上げるより速く。
鋭い銃声が、彼女の鼓膜を劈いた。
◯
その状況を言い表せる言葉は、『奇跡』以外になかった。
本来、侵食を受け自我を失った者が理性を取り戻すことはない。
連戦により削り取られたダーカー因子。
それに加えてカミトの持つ浄化の力。
そして自身が誇る特異な体質が作用して。
彼女はただ、落下する鈍色を見つめた。
──走れ。
既に音声を発することは叶わない。
かつての肉体とはかけ離れた己の手足に苦戦する。
それでも。
ただその胸に燃える意思ひとつで。
彼女は崩れ落ちる瓦礫の間を飛び移り、駆け上がった。
──走れ、もっと、もっと疾く……ッ!
彼女の体は既に死んでいた。
激情を携え燃え盛る意思系統に反して、彼女の四肢は軋み、火花を散らす。
ひとつ足を動かすたびに、ボロボロと体から残骸が零れ落ちる。
このままでは落ち行く少女のもとに辿り着くより速く、彼女の五体は朽ち果てるだろう。
──知ったことかッ、関係ないッ!
どの道自分の死は確定していた。
だから、そのまま死に行くつもりだった。
だが、だがしかし。
あの光景を目の当たりにしてしまっては。
深淵を仰いだ鈍色の、行先の定まらない、遭難者のような瞳を見てしまっては。
怪物の身に堕ちて尚、埋み火のように灯っていた。
果たせなかった『願望』が再燃するのは、必然だった。
──助けたかったんでしょッ!? ワタシが、自分の力で……ッ!!
間接的に多くの命を救った。
その事実を噛みしめるたびに、彼女は自身の無力さを思い知った。
被験体である彼女では、脅威と渡り合う力が足りなかった。
だから強く、強く憧れた。
小さなその身一つで数多の命を救う、あの漆黒の機人に。
それでも。
その憧憬が言ったのだ。
彼女の意思を護ると。
宿願を遂げたければ、自身を倒すほどの力を付けろと。
ならばこそ、報いなければならない。
最悪な日々の中で、次第に膨れ上がっていた。
自分自身の手で他者の命を救うという、出過ぎた願望に。
「──アンタは……ッ!?」
精一杯に伸ばした右手で小さな少女の体を包み込む。
同時に、左腕に意識を集中した。
『──、────ッ!!』
肥大した左手が携えるのは、巨大な砲銃だった。
音にならない声を発し、銃身にフォトンが収束していく。
紅ではない。
視界を覆うほどの眩い白藍の輝きが、銃の規格を超えるほど膨れ上がっていく。
それは彼女が一心に溜め込んだ、純真の具現だった。
声を持たない彼女を代弁するように、凝縮するフォトンが唸りを上げる。
「そっか。その姿が……」
剥がれ落ちていく漆黒の装甲から現れたのは、純白の機人だった。
深淵の中でも眩いばかりに輝く白。
その相貌から覗く、曙光のような白金の瞳。
幼い頃に読んだ、童話の精霊のように、その姿は凛々しく、美しかった。
言葉を失う少女を横目に、白を湛えた彼女は静かに微笑む。
そして弓なりに体をひねり、勢いよく右手を振りかぶった。
少女の矮躯が放たれるその直前。
ただ身を任せるように手のひらに頬を添え、少女は小さく呟いた。
「──ありがとう」
極光は、放たれた。
機人が誇る全力を持って射出された体を、白藍の弾丸が押し上げていく。
アークスの持つ防具はフォトンの攻撃に耐性がある。
直撃した極大の衝撃に従って、センカの五体は流星のように暗闇の中を駆け登っていく。
落下する瓦礫たちの隙間を縫って、天高く。
やがて、暗闇に一条の光が差した。
「センカ、手を──ッ!!」
「──ッ!?」
声を頼りに無我夢中で光に向かって手を伸ばした。
何かが手のひらを掴む感触。
直後、センカの視界は青白いフォトンの光で満たされていく。
やがて、落下の時とは別種の浮遊感が全身を襲う。
それを自覚してすぐ、視界が晴れた。
「やっと来たか! 遅いぞお前ら!」
「まだ安全とは言えない状況です。いい加減、気を抜かないでいることを覚えてください」
無機質な鋼鉄に覆われた景観。
見慣れたキャンプシップの内装が飛び込んでくる。
しかし、圧倒的な違和感がひとつ。
どうして皆、逆さまに立っているのだろう?
「……それ、なんて曲芸?」
「えっ?」
ヒヨコの視線を辿ってみると、自分の真上にカミトの顔があった。
何かをこらえるような、苦しそうに表情を歪めている。
危険は去ったのに、どうしてそんな顔をしているのだろうか?
姿勢もどこかぎこちなく、地面にへたり込むように手をついて、片手を真上に掲げている。
そこではてと気がついた。
掲げられた右手を追ってみれば、その先に自分が伸ばした右手が添えられている。
「……あっ、そういうこと」
みんながではない。
自分が逆さまになっているのだ。
恐らく打ち上げられたセンカの手を取った姿勢のままテレポートしたせいで、歪な形で転移したのだ。
転移に運動エネルギーが働かないと、長いオラクル人生での新発見に場違いな納得感を覚えた。
「悪いセンカ……。もう、限界……ッ!」
「えっ、ちょちょちょちょちょぉ────ッ!?」
キャンプシップの擬似重力に、ついにカミトの右手が限界を迎えた。
ぐらりと揺れる視界。
受け身を取るのもままならぬまま、センカは顔面から床に突っ伏した。
痛みに悶えていると、眼前に誰かが歩み寄ってくる。
ふっと見上げれば、ちょこんと座り込んだヒヨコが居た。
「……おかえり、センカ」
「……っ」
表情の乏しいヒヨコの頬が、僅かにほころぶ。
万感が込み上げてきて、目頭が熱くなった。
グスンとひとつ鼻をすすって。
「うん、ただいまっ!」
センカは破顔した。
◯
キャンプシップの窓際にもたれ掛かって、景観を流れていく星々を眺めている。
彼らを脅かしていた脅威は宇宙の彼方に去り、艦内は機関の喜びを分かち合うように活気ある声が舞っている。
しかしどこか遠くを見つめるその双眸は、とても窮地を脱したばかりの瞳ではなかった。
思い詰めるような『弟』の傍に歩み寄り、ユウはおもむろに口を開く。
「報告なしの独断専行。それだけならまだしも、脱出経路を考えない強行さに、未開拓領域へ挑むくせに食料品を一切持ち合わせない無謀さ。間違っても、この生還を『成功』だとは捉えないでください」
「……ああ。ごめん、心配かけた」
目を伏せるカミトから視線を切り、周囲を見る。
五体満足で救出された要救助者と、その友人たち。
張り詰めていた空気は既になく、和気藹々とした空気が辺りを満たしている。
「良くやった、とは言いません。……ですが」
これは間違いなく、彼が身を粉にした結果生まれた大団円だった。
「貴方は正しいことをした。だから、もう自分を責めるのはやめなさい」
「……ッ!」
ボロボロの体が小さく震えた。
震えは次第に大きくなっていく。
気付けばカミトの両手は、血が滲むほど強く握り込められていた。
「……ユウ姉の言う通りだ。俺は、全然……ッ」
「……そう、ですね」
「勝てなかった……ッ、俺は、俺一人じゃ、アイツに……ッ」
カミトの言う『アイツ』には心当たりがあった。
故にこそ、『勝った』という事実がユウには非常に大きな意味を持っていた。
単騎でなくとも、幸運が重なっても、他者の力を借りてでも。
あの不遇の戦士に、ユウは『勝つ』という選択肢すら見いだせなかったのだから。
「カミト、貴方は──」
コツンと、ユウの方にカミトの額が乗る。
ゆらりと垂れた前髪が、彼の醜態を晒さぬよう顔を覆った。
次に来る言葉を、ユウは知っている。
「強くならなきゃ……」
それは小さく嗚咽するこの戦士が、これまで幾度も口にしていた。
呪のように染み付いた、後悔の言葉。
「こんなんじゃ、『英雄』になれない……ッ」
彼にとって英雄とは、『全てを救い出す者』の代名詞だ。
離れ離れになっていた家族と再会してから、強さに喘ぐ彼の悲痛さは加速していた。
もう二度と失わないために、彼は全てを救い出すという絵空事を叶えるため、再現なく自分を追い込み続けている。
己の弱さに打ち拉がれるその姿を見る度に、どうしようもなく自覚する。
その言葉を受け止める自分も、とどのつまり、だた一介の戦士に過ぎないのだと。
「明日は模擬戦を行います。万全を期すため、早朝までに体力を蓄えておきなさい」
「……ッ、……わかった」
安堵するように脱力した体を受け止めて、傷だらけの体を労わるように共に腰を下ろす。
既に意識を手放したカミトの身体は死に体のようで、重く、弱々しかった。
肩に寄りかかる頭の位置を直してやる。
顔に掛かる前髪を梳きながら、習うようにユウを両目を閉じた。
「……貴方は、理想を遂げられたでしょうか」
純心を湛えたまま怪物へと変貌した旧友のことを想う。
遅れてやってきたセンカという少女いわく、この船へ乗り込む前に一悶着あったと聴く。
「きっと、さぞ苦痛に満ちた日々だったことでしょう。そして、さぞ幸福に満ちた最期だったことでしょう」
もしそれが本当だったのなら、きっと彼女は、積年抱いてきた宿願を叶えたということになる。
そこに彼女の理性があったかは分からない。
それでもユウは、精一杯の祈りを載せて。
「おやすみなさい、────」
呟いた彼女の名前は誰の耳に届くこともなく、船を満たす歓談の中へ消えていった。