英雄の記録 〜灯火ノ章〜   作:鬼灯 守人

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第十八話 明日を贈る曙光

『総員退避、退避ぃいいいいい──ッッ!!』

 

 絶叫があたりを満たしていた。

 響き渡る声を辿りながら、彼女は懸命に進む。

 施設はダーカーの襲撃を受け、間引かれた。

 廃棄された施設内に残された研究員たちは、ひたすら脅威から身を遠ざけるように逃げ惑っている。

 この場所が既に、逃げ場のない監獄だと知りながら。

 

『隔壁を閉じろッ! ヤツがもう、すぐそこまで迫っている──ッ!!』

 

 彼女はその奥が行き止まりであることを知っていた。

 施設が廃棄された影響で、フォトンの供給が既に止まっていることも。

 あの隔壁を閉じてしまえば、彼らは二度と外へ出ることが出来なくなってしまう。

 全力で足を回し、今にも閉じようとしていた隔壁の隙間に両手を差し込んだ。

 分厚い鉄壁が、彼女の両手によって粉砕される。

 

『ああッ、ぁああああああああああ……ッ!!』

 

 言葉にならない叫びが耐えない。

 彼女は研究員たちを落ち着かせようと、両手を上げて危険がないことを表す。

 だが、意思は伝わらない。

 

『来るな、来るなって言ってんだろッ!!』

『あっち行ってよッ、この化け物ッ!!』

 

 混乱する彼らは、既に彼女のことを正しく理解していないようだった。

 放たれる怒声を浴び、彼女は力なく項垂れる。

 瞳を伏せ、己の無力さを痛感した。

 

 ──このような境遇で、貴方が憧れるモノとは?

 

 眼前に立つ黒いシルエットを見た瞬間、いつか放たれた『問』が想起する。

 

『まさかこのような自体になろうとは。……残念です』

 

 羨望が、歓喜が、彼女の背後で身を寄せ合う彼らから沸き立った。

 言いようのない熱が、胸の内から込み上げる。

 双機銃を携えた、顔を隠した漆黒のキャスト。

 煌めく情緒とは無縁の出で立ちで居ながら、その人物はこの場の誰よりも英雄然としている。

 彼女は再び、あの時の『願望』を叶えるべく全身を震わせた。

 ああそうだ。

 いま、この時こそ。

 積年抱き続けてきたあの感情を、発露させる場面なのだと──。

 

『………………?』

 

 漆黒の銃口が、自分へと向けられていた。

 機械の髪から除く橙の瞳は、哀れみを映して揺れている。

 庇われるようにして身を寄せ合う背後の一団。

 こちらを見る彼らの瞳が、怒りに燃えていた。

 理解できない状況に、一歩、また一歩と彼女は後退する。

 そして彼女は、この施設に現れた脅威を目の当たりにした。

 

『────ッ!?』

 

 ヒビの入ったガラスの先に、その化け物は佇んでいた。

 純白の体のあちこちに侵食反応が起き、まだらに黒が滲んでいる。

 少女を模っていた五体は膨れ上がり、もはや人形とは呼べない造形だった。

 極めつけは、狂気を湛えて灯る紅蓮の双眼。

 それが彼女自身の姿であると自覚するのに、そう多くはかからなかった。

 

『……せめて、貴方の願いだけは護りましょう』

 

 思考が追いついたと同時に、眼前の憧憬が呟く。

 なにか声を上げるより速く。

 鋭い銃声が、彼女の鼓膜を劈いた。

 

 

 ◯

 

 

 その状況を言い表せる言葉は、『奇跡』以外になかった。

 本来、侵食を受け自我を失った者が理性を取り戻すことはない。

 連戦により削り取られたダーカー因子。

 それに加えてカミトの持つ浄化の力。

 そして自身が誇る特異な体質が作用して。

 彼女はただ、落下する鈍色を見つめた。

 

 ──走れ。

 

 既に音声を発することは叶わない。

 かつての肉体とはかけ離れた己の手足に苦戦する。

 それでも。

 ただその胸に燃える意思ひとつで。

 彼女は崩れ落ちる瓦礫の間を飛び移り、駆け上がった。

 

 ──走れ、もっと、もっと疾く……ッ!

 

 彼女の体は既に死んでいた。

 激情を携え燃え盛る意思系統に反して、彼女の四肢は軋み、火花を散らす。

 ひとつ足を動かすたびに、ボロボロと体から残骸が零れ落ちる。

 このままでは落ち行く少女のもとに辿り着くより速く、彼女の五体は朽ち果てるだろう。

 

 ──知ったことかッ、関係ないッ!

 

 どの道自分の死は確定していた。

 だから、そのまま死に行くつもりだった。

 だが、だがしかし。

 あの光景を目の当たりにしてしまっては。

 深淵を仰いだ鈍色の、行先の定まらない、遭難者のような瞳を見てしまっては。

 怪物の身に堕ちて尚、埋み火のように灯っていた。

 果たせなかった『願望』が再燃するのは、必然だった。

 

 ──助けたかったんでしょッ!? ワタシが、自分の力で……ッ!!

 

 間接的に多くの命を救った。

 その事実を噛みしめるたびに、彼女は自身の無力さを思い知った。

 被験体である彼女では、脅威と渡り合う力が足りなかった。

 だから強く、強く憧れた。

 小さなその身一つで数多の命を救う、あの漆黒の機人に。

 それでも。

 その憧憬が言ったのだ。

 彼女の意思を護ると。

 宿願を遂げたければ、自身を倒すほどの力を付けろと。

 ならばこそ、報いなければならない。

 最悪な日々の中で、次第に膨れ上がっていた。

 自分自身の手で他者の命を救うという、出過ぎた願望に。

 

「──アンタは……ッ!?」

 

 精一杯に伸ばした右手で小さな少女の体を包み込む。

 同時に、左腕に意識を集中した。

 

『──、────ッ!!』

 

 肥大した左手が携えるのは、巨大な砲銃だった。

 音にならない声を発し、銃身にフォトンが収束していく。

 紅ではない。

 視界を覆うほどの眩い白藍の輝きが、銃の規格を超えるほど膨れ上がっていく。

 それは彼女が一心に溜め込んだ、純真の具現だった。

 声を持たない彼女を代弁するように、凝縮するフォトンが唸りを上げる。

 

「そっか。その姿が……」

 

 剥がれ落ちていく漆黒の装甲から現れたのは、純白の機人だった。

 深淵の中でも眩いばかりに輝く白。

 その相貌から覗く、曙光のような白金の瞳。

 幼い頃に読んだ、童話の精霊のように、その姿は凛々しく、美しかった。

 言葉を失う少女を横目に、白を湛えた彼女は静かに微笑む。

 そして弓なりに体をひねり、勢いよく右手を振りかぶった。

 少女の矮躯が放たれるその直前。

 ただ身を任せるように手のひらに頬を添え、少女は小さく呟いた。

 

「──ありがとう」

 

 極光は、放たれた。

 機人が誇る全力を持って射出された体を、白藍の弾丸が押し上げていく。

 アークスの持つ防具はフォトンの攻撃に耐性がある。

 直撃した極大の衝撃に従って、センカの五体は流星のように暗闇の中を駆け登っていく。

 落下する瓦礫たちの隙間を縫って、天高く。

 やがて、暗闇に一条の光が差した。

 

「センカ、手を──ッ!!」

「──ッ!?」

 

 声を頼りに無我夢中で光に向かって手を伸ばした。

 何かが手のひらを掴む感触。

 直後、センカの視界は青白いフォトンの光で満たされていく。

 やがて、落下の時とは別種の浮遊感が全身を襲う。

 それを自覚してすぐ、視界が晴れた。

 

「やっと来たか! 遅いぞお前ら!」

「まだ安全とは言えない状況です。いい加減、気を抜かないでいることを覚えてください」

 

 無機質な鋼鉄に覆われた景観。

 見慣れたキャンプシップの内装が飛び込んでくる。

 しかし、圧倒的な違和感がひとつ。

 どうして皆、逆さまに立っているのだろう?

 

「……それ、なんて曲芸?」

「えっ?」

 

 ヒヨコの視線を辿ってみると、自分の真上にカミトの顔があった。

 何かをこらえるような、苦しそうに表情を歪めている。

 危険は去ったのに、どうしてそんな顔をしているのだろうか?

 姿勢もどこかぎこちなく、地面にへたり込むように手をついて、片手を真上に掲げている。

 そこではてと気がついた。

 掲げられた右手を追ってみれば、その先に自分が伸ばした右手が添えられている。

 

「……あっ、そういうこと」

 

 みんながではない。

 自分が逆さまになっているのだ。

 恐らく打ち上げられたセンカの手を取った姿勢のままテレポートしたせいで、歪な形で転移したのだ。

 転移に運動エネルギーが働かないと、長いオラクル人生での新発見に場違いな納得感を覚えた。

 

「悪いセンカ……。もう、限界……ッ!」

「えっ、ちょちょちょちょちょぉ────ッ!?」

 

 キャンプシップの擬似重力に、ついにカミトの右手が限界を迎えた。

 ぐらりと揺れる視界。

 受け身を取るのもままならぬまま、センカは顔面から床に突っ伏した。

 痛みに悶えていると、眼前に誰かが歩み寄ってくる。

 ふっと見上げれば、ちょこんと座り込んだヒヨコが居た。

 

「……おかえり、センカ」

「……っ」

 

 表情の乏しいヒヨコの頬が、僅かにほころぶ。

 万感が込み上げてきて、目頭が熱くなった。

 グスンとひとつ鼻をすすって。

 

「うん、ただいまっ!」

 

 センカは破顔した。

 

 

 ◯

 

 

 キャンプシップの窓際にもたれ掛かって、景観を流れていく星々を眺めている。

 彼らを脅かしていた脅威は宇宙の彼方に去り、艦内は機関の喜びを分かち合うように活気ある声が舞っている。

 しかしどこか遠くを見つめるその双眸は、とても窮地を脱したばかりの瞳ではなかった。

 思い詰めるような『弟』の傍に歩み寄り、ユウはおもむろに口を開く。

 

「報告なしの独断専行。それだけならまだしも、脱出経路を考えない強行さに、未開拓領域へ挑むくせに食料品を一切持ち合わせない無謀さ。間違っても、この生還を『成功』だとは捉えないでください」

「……ああ。ごめん、心配かけた」

 

 目を伏せるカミトから視線を切り、周囲を見る。

 五体満足で救出された要救助者と、その友人たち。

 張り詰めていた空気は既になく、和気藹々とした空気が辺りを満たしている。

 

「良くやった、とは言いません。……ですが」

 

 これは間違いなく、彼が身を粉にした結果生まれた大団円だった。

 

「貴方は正しいことをした。だから、もう自分を責めるのはやめなさい」

「……ッ!」

 

 ボロボロの体が小さく震えた。

 震えは次第に大きくなっていく。

 気付けばカミトの両手は、血が滲むほど強く握り込められていた。

 

「……ユウ姉の言う通りだ。俺は、全然……ッ」

「……そう、ですね」

「勝てなかった……ッ、俺は、俺一人じゃ、アイツに……ッ」

 

 カミトの言う『アイツ』には心当たりがあった。

 故にこそ、『勝った』という事実がユウには非常に大きな意味を持っていた。

 単騎でなくとも、幸運が重なっても、他者の力を借りてでも。

 あの不遇の戦士に、ユウは『勝つ』という選択肢すら見いだせなかったのだから。

 

「カミト、貴方は──」

 

 コツンと、ユウの方にカミトの額が乗る。

 ゆらりと垂れた前髪が、彼の醜態を晒さぬよう顔を覆った。

 次に来る言葉を、ユウは知っている。

 

「強くならなきゃ……」

 

 それは小さく嗚咽するこの戦士が、これまで幾度も口にしていた。

 呪のように染み付いた、後悔の言葉。

 

「こんなんじゃ、『英雄』になれない……ッ」

 

 彼にとって英雄とは、『全てを救い出す者』の代名詞だ。

 離れ離れになっていた家族と再会してから、強さに喘ぐ彼の悲痛さは加速していた。

 もう二度と失わないために、彼は全てを救い出すという絵空事を叶えるため、再現なく自分を追い込み続けている。

 己の弱さに打ち拉がれるその姿を見る度に、どうしようもなく自覚する。

 その言葉を受け止める自分も、とどのつまり、だた一介の戦士に過ぎないのだと。

 

「明日は模擬戦を行います。万全を期すため、早朝までに体力を蓄えておきなさい」

「……ッ、……わかった」

 

 安堵するように脱力した体を受け止めて、傷だらけの体を労わるように共に腰を下ろす。

 既に意識を手放したカミトの身体は死に体のようで、重く、弱々しかった。

 肩に寄りかかる頭の位置を直してやる。

 顔に掛かる前髪を梳きながら、習うようにユウを両目を閉じた。

 

「……貴方は、理想を遂げられたでしょうか」

 

 純心を湛えたまま怪物へと変貌した旧友のことを想う。

 遅れてやってきたセンカという少女いわく、この船へ乗り込む前に一悶着あったと聴く。

 

「きっと、さぞ苦痛に満ちた日々だったことでしょう。そして、さぞ幸福に満ちた最期だったことでしょう」

 

 もしそれが本当だったのなら、きっと彼女は、積年抱いてきた宿願を叶えたということになる。

 そこに彼女の理性があったかは分からない。

 それでもユウは、精一杯の祈りを載せて。

 

「おやすみなさい、────」

 

 呟いた彼女の名前は誰の耳に届くこともなく、船を満たす歓談の中へ消えていった。

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