剣戟の音が聞こえる。
いつかも、こんな景色を見ていた。
自分を狙う敵、それを阻む仲間。
その結末が何をもたらすかも、知っていた。
眼前で繰り広げられる、互いに命を削り合う『死闘』。
猛火を纏う少年は、今も少女を護る為にその命を刻々と消費していた。
情景が、激音が、閉ざした少女に問い掛ける。
──『お前は何を求めて強者と成った』。
答えは見付からなかった。
元よりここに安住するつもりはなかった。
いつか帰るまでの、仮の宿。
身に付けた強さはそのための手段に過ぎない。
情報を得るために必要だった。
生き残るために必要だった。
壊れそうな心を守るのに、どうしても必要だったのだ。
それだけ。
己が五体を一振りの刀へと鍛え上げたのは、たったそれだけの理由だ。
そこに佳境に耐えうる硬度は無い。
そこに苦悩に打ち勝つ尖鋭は無い。
酷く曖昧で、その場その場の想いを重ねて継ぎ接いだ刀剣が、この絶望を前にしてどうして振るえるものか。
「畜生……、畜生ッ!!」
悔しさが思考を埋めていく。
虚しさが行動を支配していく。
いつもこうだった。
強くあろうと奮闘して、肝心な時にこの体たらく。
解けた髪を振り乱し、怒りに任せて固めた拳を水面に叩き付けた。
「──へぇ、意外だ」
俯いた顔が跳ね上がった。
カミトは依然戦っていた。
燃焼する五体に決死の形相を浮かべて、『絶望』に抗っていた。
それでも、少年は少女の慟哭に返答する。
何故なら少年は、少女を守護するためにそこに立っているのだから。
「俺からしてみれば、お前ほど守り甲斐のない奴は居ないぜ?」
脚と腕を失った化物。
しかしその勢いは衰えるどころか増すばかりだった。
得物がひとつ消え失せたことによる、至近距離での重火器の乱射。
不規則な軌道を描く三又の脚の乱撃。
癒えた体に再び死の色が見え始めている。
状況を引っ繰り返したにも関わらず、カミトは未だ勝機を図り兼ねていた。
そんな過酷に身を置いて尚、少年は少女に言葉の刃を突き付ける。
「話は聞こえてたから、事情の大枠は分かった。自分のせいで、大切な人が死んでしまったんだろ?」
頷く。
「大切な人たちに、命を賭して、守られたんだな。お前は」
涙を落として、肯定する。
少女にとっては万感のそれだった。
しかしそれを受けた少年は、その相貌を大いに歪ませる。
「……けんなよ」
「──えっ?」
少年は、怒りの丈を咆哮した。
「ふざけんなよって、そう言ってんだッ!」
叱咤にも似たその砲声。
少女の体が、別種の震えに捕らわれる。
「だったらどうしてお前はそこに居る! どうしてそこで泣きじゃくって、武器を取ろうとしない!」
少年の声が怒声に変わった。
「どうせ自分を殺すために化けて出たとか、そんな風に思ってんだろ? 全く、おめでたい頭だぜ。そんな都合のいい話、あるわけねぇだろ馬鹿野郎ッ!!」
まるで別人のように、カミトは声を荒げる。
当然、少女は反論しようとした。
カミトは何も知らない。
そんな奴に自分の過去をとやかく言われる筋合いなんて、欠片だってありはしない。
そう、思っていた筈なのに。
少女の想いが、声になることはなかった。
「そんなのはお前の罪悪感が生んだ幻想だ! 死に際に、ソイツらはお前を恨んでたか!? 違う……、違うだろ──ッ!」
記憶が想起する。
一人、二人と倒れていくかつての仲間。
その死に際。
少女の頬を撫でた彼は。
少女の髪を梳いた彼女は。
これまで見た中で一番柔らかい表情で──。
「──笑ってただろッ! 当たり前だ!
雷に打たれたような衝撃が走る。
それは常に少女が縋っていた思考。
誰もが居なくなってしまった。
故に独りで彼らの死を肯定しなくてはならなかった。
暴言とも取れる青年の言葉は、その実、少女の孤独の傍に寄り添っていた。
「俺が一番腹を立ててるのはそこだ。お前は全部分かってて、それでも命をくれたソイツらの想いを歪めたんだ!」
守り甲斐がないというのは、つまりそういうことだ。
全てを賭して救おうとした命が、捧げた願いから耳を塞いで命を絶とうとしていたのだから。
納得に傾き始めた心に、しかし『少女』が反発する。
自分の苦しみは理不尽に揉まれた末の深傷だ。
そもそも、守って欲しいだなんて自分は──
「──頼んでない、ってか?」
低い、唸るような声だった。
どうしてそんな小さな声が鼓膜を揺さぶったのか分からない。
剣戟の音は鳴り止まない。
苛烈さは増す一方だった。
その最中でも、少年の声は少女の心に強く響いている。
「じゃあ聞くぜ分からず屋。お前を救ったソイツらは笑ってたんだろ? それが何でか、お前に分かるか?」
未だカミトは少女をその背に庇っている。
仁王立つ少年の全身は銃撃によって至る箇所に風穴が空いていた。
相対する怪物も大概だ。
その巨躯には無数の斬撃の跡が走り、赤黒い液体を止めどなく流している。
『死闘』はいよいよ終幕へと差し掛かっていた。
火花を散らす情景に、少女は思考で答える。
しかし。
判らない! 解らない! 分からない!
──
ずっと考えないようにして来た。
何故ならその思考は、少女の心の均衡を容易く破壊してしまうモノだったから。
『お前が強ければ、少なくとも数人は逃がせた』
『お前が強ければ、彼らはそもそもお前を逃がそうとすらしなかっただろう』
『お前の無力が、彼らを殺したんだ』
少女は自分を責めることで己を静めて来た。
状況的に、少女が強くとも彼らは殺されていたのだろう。
そんな甘えた思考はとうに切り捨てている。
状況より感情に任せたかった。
その方が、楽だったから。
想いを背負うより、目を背ける方が、苦悩を忘れて居られたから。
だが、少年はそれを許さない。
「薄情者がッ……、頼まれてもないのに守りたくなっちまう程、お前が大切だったんだろうがッ! そうやって泣きじゃくる未来を与えるためじゃない。笑って、幸せな未来を選んで欲しくて、ソイツらは命懸けでお前を守ったんじゃないのか──ッ!!」
血の塊を吐き出しながら、カミトは叫んだ。
「その意味から、想いから、いつまでも目を逸らしてんじゃねぇよ……ッッ!! 思い出せ、重ねてみろ! なあ、センカ──」
少年が少女の名前を呼んだ。
愚答に曇った思考が晴れていく。
幻惑に揺れる視界が開けていく。
情景が、明確に瞳に映る。
視線の先、少年は痛みに震える五体で尚得物を振るっている。
いつ膝をついてもおかしくない、限界状態での激戦。
その最中でも、カミトの相貌は未だ笑顔を称えていた。
「もう一度、その目で良く見てみろよ」
猛威を奮う、アークスの装備を纏う異形の化物。
その装備はかつて苦楽を共にした仲間が持っていた得物たち。
その合間を埋めるように点在する、『半円』を描く飾りたち。
それらは少女と共に在った証明。
同じ『旗』の下に集った盟友の魂だ。
「アレは、お前の家族なんだろ?」
異形の声が耳朶を揺らす。
その声は酷く淀んでいた。
その端々に聞こえる、『彼ら』の声。
違うというのは分かっている。
だが、否定するには余りにも多くの片鱗を帯びていた。
故の葛藤。
故の恐怖。
その震える肢体から、痛い程伝わっていた。
だから少年は、少女の想いを汲んだ。
「その家族が人を殺してる。人を喰っている。お前はそれを、ただ見てるだけか?」
体の震えが、ピタリと止まった。
「大切な人達が悪さしてんだ。だったら『家族』として、お前にはやるべきことがあるんじゃないのか?」
なにそれ、と小さく呟く。
そんな、子供をあやすようなことを、どうして真剣な顔で言えるのか。
いいや、分かってる。
言わせているのは自分だ。
信じるのも馬鹿らしい程の、出鱈目とも取れる少年の問い。
そんな子供騙し、普通誰も信じない。
呆れてしまう。
笑ってしまう。
それでも──
「そう……だよね」
少女は、その言葉を信じた。
妄言かもしれない。
目の前にある甘言に飛び付いているだけかもしれない。
でも、充分だ。
──『戦え!』
再び聞こえた、『誰か』の声。
一度拒んだ、己が内から湧き出る激励。
先は『理由』を見出せずにいた。
だが今はどうだ?
少女はもう一度、瞳を閉じる。
逡巡すらない、呼吸ひとつの間。
そして。
仮初でもいい。
詭弁でもいい。
例えそれが、『理由』を作るためのこじつけであったとしても、少女は見出した。
少女は、再び『刀』をその手に握る。
その刀身は凹みだらけで、数多の罅が走っていた。
散々に打ちのめされ、今にも砕けそうなその『刀』。
それでもまだ、その刀は
その芯にはまだ、熱く燃える灯火があった。
故に、まだ振るえる。まだ断てる。
「ッッッ!!」
萎えた拳を固く握る。
震える脚に力を籠める。
悲嘆に暮れた朝があった。
泣いても覚めぬ夜があった。
それでも折れない不屈の闘志。
それは救われたことに対する
幾度となく折れかけた『刀』を支えたのは、その一点のみ。
誰かのために命を燃やす、その背中を強く見据えた。
あの背中には見覚えがあった。
その先には悲劇があった。
それが今。
再び繰り返されようとしている。
深く。
深呼吸をし。
集中する。
解けた髪を結い直し、体の緊張を解いた。
途中、揺れる水面に自分の顔が映り込む。
血で濡れた褪せた銀髪。
泥に塗れた少女の相貌。
みっともない。
だらしがない。
だが、そこに映る双眸は、確固たる意志に燃えていた。
その瞳が捉えた。
額に浮かぶその『半円』。
煌々と煌めく『絆の証』を。
これは同じ『満月』の下に集った者たちが持つ、『三日月の絆』だ。
(離れてても、ずっと一緒。そうだよね、
形見を経て想起するは、少女に救いの手を差し伸べた青年の言葉。
同時に、解けていた髪も、結い終わった。
これで整った。
最後に。
祈るように、確かめるように、少女は静かにその『三日月飾』に触れる。
「────」
ふっと、不意に口元が緩むのを感じた。
なるほど。
ならば状態は──これ以上なく『良好』だ。