第1話 人は稀にFateを持って生まれてくる
慶長二〇年(一六一五年) 五月七日(旧暦) 摂津の国 茶臼山
茶臼山。山といっても、標高は二六mほどであり、元々この地は自然に存在する丘陵ではなく、墳丘長二〇〇mほどの規模の前方後円墳であった。前方後円墳の頂にはある程度の規模の軍勢が展開できるほどの開けた空間が存在する。
緩やかに北から南に下ってはいるものの、全景を見る限りはほぼ平野と言っても過言ではないこの上町台地においては、標高がさほど高くはない茶臼山も眺望がきく高所だった。そして、上町台地を一望できるこの場所は、言い換えれば上町台地の大部分から眺めることのできる位置にある。
この日、上町台地にはおよそ二〇万に及ぶ兵たちが展開していた。彼らの大部分が茶臼山を染めあげる『赤』をその視界に収めることができたのも当然のことだった。
この地に布陣する軍勢の中で、まるで茶臼山が噴火したかのように沸き立つその『赤』の正体を知らぬものはいない。
それは、茶臼山に張られた紅蓮の炎の如き赤い陣幕と、同じ赤に染められてたなびく幟旗。その陣中には、我が身を燃やし尽くす覚悟を表現するがごとき赤一色の具足を纏った精強な武士たち。そして、精兵たちの中にあってなお全く薄れない覇気と存在感を有する男。
その男は、頭には雄々しい鹿の角を一対備え付け、六文銭の飾りを前方にあしらった兜を被り、胴には赤一色に染められた具足を纏っている。
既に齢五〇近いというのに、その男は三〇代後半にしか見えぬほど若々しく、精悍な顔つき。
この男こそ、一五年前には父親と共に一〇倍の敵軍の侵攻を阻み、さらにはこの前年の戦では砦一つをもって侵攻する敵軍に一万人以上の死傷者を与えて撃退し、天下にその武名を轟かせた戦国の世の最後の英傑、真田左衛門佐幸村に他ならなかった。
後世、人々は彼のことをこう呼び、称えた。
『日ノ本一の兵』と――
茶臼山の頂に設けられた本陣の中で床几に腰かけていた幸村は、眼下に展開する大軍勢をじっと見つめていた。
早朝に開いた軍議が終わってから既に数時間が経つが、幸村は眼下の台地から視線を外していない。いつ何が起きても見逃さずにすぐに行動に移らんとする強い意思がその姿からは見てとれた。
朝方の涼しさは既に過ぎ去り、代わりに次第に日差しにが強くなる。日差しを受けた具足は熱を持ち、汗で蒸れる。それでも、幸村は床几から動こうとはしなかった。
「焦らされますな」
「それが戦というものだ。内記は私よりも数多くの戦に出ているだろう?このようなことも一度や二度ではあるまいて」
「しかし、某にとっても一五年ぶりの戦。加えて、このような万を超える軍勢がぶつかり合う戦も初めてでございます。血が滾るのも無理からぬことだと思ってくだされ」
「私とて、それは同じなのだがな……しかし、内記のように心躍らせて落ち着かないといったほどではない。何故だろうな、不思議なほど心の中に波は立っておらぬ」
傍らに立つ高梨内記が額に浮かぶ汗を拭いながら笑みを浮かべた。
「殿は徳川の大軍勢を二度も退け、天下にその智謀を称えられた御父上の息子でござる。加えて、昨年の真田丸での見事な采配。某のような槍働きしかできなかった男とは器が違うのでしょう。いやはや、此度も殿の采配が楽しみでござるなぁ」
高梨内記は幸村の傅役だ。おそらく、幸村の人生の中で最も長く付き添っていた人物だ。内記には、自身が幸村の成長の一助を担ったという自負もある。まるで好物の菓子を前にした子供のように心躍らせているのも、彼の幸村に対する期待の裏返しでもあり、自身が傅役として支えてきた幼子がついには天下の名将となり、さらにその采配の下で戦えるという喜びがあってのことだろう。
兜で隠されているために見えないが、既に高梨内記の頭には黒い髪は残っていない。顔にも、自身が幼かったころの記憶にはなかった皺が深く刻まれている。第一次上田合戦ではその槍働きで大きな手柄を立てた内記であったが、既に彼も眼下の敵軍の総大将ほどではなくとも老齢である。
本当に、長い付き合いになったと幸村は思った。
「内記。水はこまめに飲むのだ。定期的に、のどが渇く前に飲むぐらいでよい。塩もその時になめておけ」
「殿が兵に対して水と塩を定期的に取れと口酸っぱく申しておりましたから、某とて欠かしてはおりませんぞ。老体だからといって気を遣う必要はありませぬ」
内記は笑いながら腰に下げていた瓢箪を軽く手で叩いた。
幸村は心を弾ませて、戦いの狼煙のあがる時を今か今かと待ち望む内記の隣で、僅かに破顔した。しかし、その内心は全く穏やかではなかった。
――内記。許せとは言わない。
幸村は知っていた。既に豊臣の滅亡は避けられないことを。
その結末を知っていてなお、この戦いに勝利することは不可能だと知っていながらも、幸村は周囲の人間を焚きつけ、さも勝利の可能性が残されているかのごとく振る舞い、扇動してきたのである。
ただ、幸村自身の目的を果たすためだけに、幸村は彼らを死地へと送り込んだ。
――高梨内記も、青柳清庵も、三井豊前も、真田大介も、前右府様も皆死ぬのだ。否、殺されるも同然だ。この俺の策が殺すのだ。
この期に及んで余力を残す意義はないため、豊臣の兵力を大坂城に迫る徳川勢の前面に展開させる。そして別動隊に徳川勢の後方を突かせ、徳川家康と徳川秀忠を討ち取る。これが幸村の立案した作戦の概要である。
明石全登率いるキリシタン部隊で構成された別動隊が徳川勢の背後を突き、囮となり敵の目を引き付ける役目は茶臼山に陣を張った真田幸村の部隊が引き受ける。他の部隊は先鋒に毛利勝永、その他の遊軍の指揮を後藤基次、長曾我部盛親、木村重成がそれぞれ行うこととなっていた。
これらの指揮官は皆、先年の冬の戦いで豊臣方で武名を馳せた将であり、まさに豊臣最後の総力戦と言うべき布陣であった。
この最後の戦いまで豊臣方の兵力を温存するために、幸村は冬の陣の戦端が開かれた時から準備を進めてきた。
史実大坂夏の陣では善戦するも敗北を喫した河内、紀州方面の戦いでの損害を軽微なものとし、万全とはいえないものの、優秀な指揮官とそれに従う精兵をこの天王寺の戦いまで温存することができた。
しかし、幸村は知っている。豊臣が滅び、徳川がこの日本に二〇〇年の太平の世を築くという未来は既に定まっており、人理に干渉でもしない限りは決して揺るぎないということを。
それは逆説的に、幸村の立案した作戦が決して成功することがないことを証明していた。
確かに、江戸幕府を開いた徳川家康と、その後を継いで征夷大将軍となった二代将軍徳川秀忠。この二人を討ち取ることができれば、徳川の世は揺らぐだろう。いまだに豊臣恩顧の大名とて少なくなく、さらに豊臣家は朝廷との繋がりも深く大きな権威を持つ。徳川家の屋台骨となる二人をたて続けに失えば、豊臣の復権の可能性もないわけではない。
勿論、これは徳川家康と徳川秀忠を討ち取ることが前提だ。しかし、この二人を討ち取ることは不可能。
幸村は分かっている。幸村の戦いは、豊臣の滅亡と共に徳川の太平の世をもたらし、さらにその太平の世が終わったその後の未来を揺るぎないものとするための総仕上げであることを。
ここで死ぬすべての人間の命が、徳川のつくる太平の世の礎になるのだ。
そのために、幸村は口では景気よく豊臣の勝利や兵たちの栄達を謳いながら、己を含めた周囲の数多くの人間を死へと誘う。
人生を支えてくれた傅役も、命をかけて忠義を尽くす忠臣も、己を天下の名将であり誇り高き父であると信じている息子も、牢人となっていた己を引き上げてくれた大恩ある主君も、武勇に秀でた信頼できる同僚も皆巻き込んで。
――このド畜生めが。
真田左衛門佐
永禄一〇年(一五六七年)、表裏比興の者と呼ばれた信州上田城主、真田安房守昌幸の二男として一人の男が生を受けた。幼名を、真田源次郎。そして、彼には生まれながらにして前世の記憶があった。
それも、この時代から四〇〇年後の未来で生きた記憶があるのだ。
とはいえ、前世の名前や家族のこともほとんど思い出せない。自分がどのように生き、どのように死んだのかすらわからない。
何となく、大学を出て、就職して、内部事務をいろいろとやってきたことは分かるが、そこで誰とどんな関係にあったのかも思い出せない。
明確に思い出せるのは自身の培ってきた知識と経験ぐらいだった。
ただ、何故か自分がどうして転生したのかはわかる。
誰かをかばってトラックに轢かれたり、通り魔に殺されたりした後で、夢か何かで神様やら閻魔さまやらが、うっかり死なせてしまったからお詫びにチートをあげますとか言ってわざわざ転生させてくれたわけではない。それだったらどれだけ気楽に第二の人生を謳歌できたことか。
誰かに教えられたのか、そもそも自身を転生させた存在が名乗っていたのかどうかすら分からないが、母の胎内から生まれたその時から、彼は知っていた。
自分を転生させたものが『抑止力』と呼ばれる力だということを。
『抑止力』
一般的には、「核抑止力」に代表されるように、何かを思いとどまらせる力という意味の言葉であるが、この場合は意味が異なる。
抑止力とは、集合無意識によって作られた、世界の安全装置のことを指す。
この抑止力には厳密にいえば二種類が存在する。共に世界を存続させ続けることを目的としているものの、優先目的が異なる。
幸村を転生させたものは、人類の集合無意識による破滅回避の祈りである、俗に言うところの「アラヤ」の抑止力、霊長の抑止力である。
抑止力という存在については、彼の知識の中にあった。しかし、彼にとって抑止力というものは彼の生きる世界にあるものではなく、創作の中の存在でしかなかった。
『月姫』、『Fate』、『空の境界』
いずれも彼が前世で読んでいた小説やゲームである。
抑止力はこれらの作品に共通する世界観の中で登場するものであり、各作品の登場人物等とも大きな関わりを持つものであった。
ただ、彼は知っている。抑止力というものはまさにシステムそのものであり、それに巻き込まれる人間にとってはろくでもないものであると。
抑止力に酷使された挙句に摩耗していった正義の味方になりたがっていた青年がいい例である。抑止力の発動に巻き込まれて町一つが灰燼に帰した例も少なくない。
そして、彼もまた抑止力から■■■■■を大坂夏の陣にて討つという使命を与えられて転生させられた。
抑止力によって与えられた使命を果たすことが彼の生まれついてから終生変わらない最優先目標であるが、これは彼が抑止力の考え方に同意しているからでも、抑止力の使命を果たすことによる意義を理解しているからでもない。
端的に言えば、彼は魂に抑止力に与えられた使命を果たすように刷り込まれていた。彼自身、どうして自分が使命を果たそうとしているのかはわからないが、どうしても使命を最優先にしてしまうという己がいることを自覚していた。洗脳に近いやり方で己の価値観を捻じ曲げられたことに彼は激しい憤りを覚えずにはいられなかった。
また、普段であれば直接的にサーヴァントを差し向けて人類の存続を脅かす元凶を直接排除するのが抑止力の定番のやり口であるが、今回は何故か彼をわざわざ転生させて、使命をその魂に刻み付けるという非常に遠回りな方法を取っている。脅威に対処できる人材が近くにいる場合は、当人にも気づかれない形で抑止力が脅威の排斥のために後押しする例もあるが、今回は直接的というにも、誰からも気づかれない形で間接的というにも、中途半端な介入であった。
これにも彼は疑問を抱いたのだが、結局は彼とて抑止力に遣わされた存在でしかなく、抑止力に対してお伺いを立てるようなことができるはずもない。何故使命を果たすように己に洗脳じみた真似をして真田家の二男として送り出したのかも、直接サーヴァントを派遣しなかったのかも、彼には何もわからなかった。
結局、彼にはただ真田源次郎として、抑止力のためにその人生を費やす以外の道は残されていなかったのである。
しかし、何も悪いことばかりではない。歴史の教科書に登場する偉人と直接対面でき、現代では残っていない城を見ることや、大河ドラマの名場面に立ち会うこともできるのだ。そして、真田信繁の一世一代の名場面、大阪の陣に主役として登壇することができる。彼も戦国武将に憧れる部分があり、彼らと同じように生きてみたいと思ったことがないわけではない。
せっかく安土桃山時代に生まれてきたのだから、歴史学者でも味わえない本場の戦国を堪能しようと彼は前向きに考え直すこととした。
安土桃山時代の歴史については生前興味があったのか、歴史学者ほどでなくとも趣味人程度には知っている。そのため、うまく立ち回れるだろうと半ば期待しつつ彼は第二の人生のスタートを切った。
ところが、良い誤算と悪い誤算が彼の当初思い描いていた人生設計を大きく狂わせることとなる。
まず良い誤算は、彼の身体能力が明らかに異常だったことである。
どうやら、この真田源次郎の身体にはタイプムーンの世界に登場する遠野秋葉や巴御前のように鬼種の血が入っているらしく、身体能力は明らかに一般的な人間のそれを凌駕していた。どこかの無双ゲームかBASARAの英傑並の身体能力と言ってもいいかもしれない。
幼少期から、彼の身体は常人なら骨が砕けるほどの打撃でも痣一つですむ程度の頑強さと、牛を抱え上げることができるほどの怪力、平地であれば馬に匹敵する足の速さを有していた。
父、真田安房守昌幸も、母の山手殿も共に鬼種の血が入っているような能力も容貌も持ち合わせていないので、これは隔世遺伝というやつなのだろうと彼は結論づけている。
この頑丈な身体の恩恵を受け、彼は幼少期から身体を鍛えぬいた。時には城を抜け出して山に入って猪や熊を仕留め、タンパク質も積極的に摂取するように心がけた結果、背丈は史実の真田信繁の一五七cmを大きく超え、元服時には一八〇cmに達した。
恵まれた体格と鬼種の血の恩恵を受け、槍働きを期待される若武者へと成長した彼であったが、彼の前半生でその恵まれた体躯と鬼種の血が活かされる槍働きが求められる機会はほとんどなかった。
悪い誤算は、彼の期待していた第二の人生を大きく狂わせることとなった。
史実における真田信繁の前半生と同様、彼も滝川一益への人質から、上杉家への人質を経て、豊臣秀吉の近習として仕えることとなるのが大まかな流れである。当然、その間に参戦した歴史に名を残すような戦いといえば第一次上田合戦くらいであり、それ以外の実戦経験と言えば、精々が野盗との戦闘ぐらいだった。
その中で、彼が歴史を変えるために全く何も動いていなかったというわけではない。本能寺の変を防げないか、知識チートができないか等々いろいろと彼も試みてはいたのだ。しかし、彼が思い描いていたように都合よくいくことはまずなかった。
そもそも、彼を転生させた背景にあるのは、抑止力だ。これは世界の存続を望むものであり、抑止力が守ろうとする世界を揺らがし、世界を剪定事象へ変えてしまったり人理定礎を乱す可能性のある規模の歴史改変は抑止力の望むところではなかった。
勝手に信濃を飛び出して京まで行って本能寺で窮地に陥った信長を救い、そのまま士官できないか。関ケ原の戦いで父共々東軍に参加できないか等という戦国のIFを考えたことは何度もある。しかし、そのような歴史改変の具体的な実行計画を考えるたびに、彼の中の何かが警鐘を鳴らすのだ。
理由もないのに何故か怖く感じる感覚。彼が感じたそれを例えるのであれば、一時期インターネット上で流行った蓮の種が詰まっている穴の画像を人間の皮膚に合成させた画像を見せられた時の生理的な忌避感に近い。
しかも、その感覚は計画を具体的に考えれば考えるほどに、さらには実行しようと考えるほどに酷くなっていく。無理に大規模な歴史改変を実行しようとすれば眠ることすらできなくなるほどの強い恐怖に襲われるとなると、流石に鬼種の血を引く彼であっても耐えられず、計画を破棄せざるを得なかった。
おそらく、人理を守るために派遣したものが逆に人理を歪めないようにする安全装置として組み込まれた枷であると彼は理解した。
使命を果たすように刷り込み、さらに暴走を防ぐために縛る。人の価値観を歪め、尊厳を踏みにじる行為も、人類の破滅を回避するためならば抑止力にとっては何の問題にもならなかった。
しかし、世界はそれこそ僅かな差異によって無数の枝葉のように分かれるものである。多少の差異はあっても未来が同じ方向に向かっている限り、より多くの分岐を作りえる可能性に満ちた未来を是とするこの宇宙は枝分かれした世界をも許容する。逆に言えば、未来の道筋を歪めない程度の差異であれば、抑止力の枷に囚われることがないということである。
皮肉なことに、歴史に大きく干渉する行動かそうでない行動かは、歴史の改変に警鐘を鳴らす抑止力の安全装置によって察知できた。そのため、彼は抑止力に埋め込まれた安全装置が動かないギリギリの範囲で小さな歴史の改変を進めていった。抑止力の予定調和のためだけに第二の人生を費やすことには我慢ならず、せめて少しでも抑止力の意図しない歴史改変を成しえて一矢報いてやろうという彼の意地でもあった。
結果、彼は大河ドラマでは「ちょっと主人公を盛り立てすぎじゃないか」と非難がくるだろう創作エピソードのようないくつかの歴史改変を成しえた。
とはいえ、彼にできたことはそれだけでしかなく、彼の習った教科書に載っている歴史からは全く乖離することがないまま時が過ぎ、関ケ原の戦いを迎える。
史実と同様に父と共に西軍についた彼は、第二次上田合戦に参戦して史実よりも大きな被害を中仙道を進まんとする徳川秀忠率いる軍勢に与えるも、それで関ケ原の戦いの結末が変わるわけがない。関ケ原の戦いに勝利した徳川家康によって、西軍に属して徳川秀忠の軍勢に無視できない損害を与えた真田親子は紀州高野山麓九度山村に配流された。
九度山村に配流されて一一年後に父真田昌幸はこの世を去る。これを機に彼はそれまで名乗ってきた真田信繁から、真田幸村へと改名する。
彼は本来、元服した時から史実の信繁とは別人であることから真田幸村を名乗りたかったのだが、父が与えた信繁という名は第四次川中島の合戦で壮絶な死を遂げた信玄の弟である武田信繁に肖ってつけられた名前であった。彼は父が二男に信繁の名をつけたいと態々武田家に許可まで取っていたことや、彼が死の直前まで武田家のことを想い続けていたことを知っていた。父の想いを汲んで、彼は父が死んだ後に改名したのである。
彼の知る真田信繁という存在からの別離、そして史実の真田信繁とは違う結末で自身の第二の人生を終えるという覚悟、真田信繁の本来の人生を意図したものではないとはいえ奪ってしまったことに対する懺悔を込め、彼は幸村を名乗った。
後世まで講談で語られ続けられる
大坂の陣の結末まで書いてみて分かりました。
フォント機能は自分の筆力じゃ使いこなせません。
使いこなしてらっしゃる方々は本当にすごいですね。
とりあえず、新機能の使いかたが下手で恥ずかしいという理由から限定公開していた(仮)の時に使ってた見苦しいフォントを外してストック分をちょくちょく放出していきたいと思います。