運命なき浮世に候へば、日ノ本一の兵に   作:後藤陸将

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お久ぶりです。
お待たせして申し訳ありませんでした。
今回は閑話ですが、明日、5月19日一九〇一に本編の最新話を投稿する予定ですので、お楽しみに。



閑話 もう少し、暴れてみたかったが

 長宗我部盛親は、戦場の中にいた。

 

「宮内少輔、我らはこの城と共に滅びるであろう」

 

 目の前には、今は亡き前右府様の姿がある。

 前右府様の後ろには夕陽を思わせる紅い光と、ぼんやりとこちらを焦がす熱。太閤豊臣秀吉が築いた、豊臣の天下の象徴である黒き天守閣――大坂城の天守閣が、滅びをもたらす劫火に包まれていた。

 

「お主が長宗我部の家を再興するために予に尽くしてくれたことはよく知っている。しかし、予はお主の献身に応えることができなかった。すまないな」

 

 懐かしい顔だ。あの日からどれだけの月日が流れただろう。もはや、思い出すこともできなくなっていた顔が今の盛親にはくっきりと分かる。

 これは、夢だ。

 大坂城が炎に包まれた日。豊臣家が徳川に滅ぼされた日。

 決して忘れることのできない、あの日の夢だ。

「前右府様。最期までお付き合いできない身勝手をお許しくだされ」

「なに、予に殉じる必要はない。お主は十分すぎるほどに予のために尽くしてくれた。それに、国松のことも引き受けると言ってくれた」

 前右府様は、隣の侍女が抱きかかえていた幼子の頭に手を置いた。

「千が大御所に予の助命嘆願をしているが、大御所には通じまい」

「…………」

 言葉が出ない。あの日、あの時と同じやり取りが自分の目の前で繰り返されている。

「予は、この城と共に滅ぶ。亡き父にどのような顔をして詫びればいいのか分からぬがな」

「前右府様……」

「だが、予が滅ぼうとも、豊臣の血を滅ぼしてはならぬ。国松が生き残ることができれば、豊臣の血は未来へ受け継がれる」

 夢とはいえ、何もあの日の全てをそのまま再現することはない。

 言わねばならない。あの後、自分たちにどのような試練が待っていたのか。そして、国松様がどんな若者へと成長したのか。

 しかし、口を開いても、そこから零れる言葉はあの日と同じ言葉だけ。何を伝えなければならないのか理解していても、口は自らの意思を離れて言葉を紡ぐ。

「国松様の身は、この宮内少輔が我が身に代えましてもお守りいたします。いつの日か必ず、国松様は天下人として立たれましょう」

「徳川の世を滅ぼし、豊臣の天下を創成する。この場で散る予に代わり、重いものを背負わせてしまったな」

「前右府様の御子にして、太閤殿下のご嫡孫であらせられる国松様の、責務にございます」

「そうよな、予の子である限り、これは避けては通れぬものよ」

 前右府様に促された侍女は、国松様を抱きかかえるのを止めて、地面に下ろす。

 そして、前右府様は我が子に目線を合わせるように跪き、その両肩をがっしりと掴んだ。

「国松よ、よく聞くのだ」

 つい先ほどまで、周囲の大人の物々しい雰囲気にあてられて号泣していた国松様がようやく泣き止んだ。

 子供ながらに、この瞬間が特別な時間であることを察していたのかもしれない。今にも泣きだしそうな様子ではあるが、それでも国松は自身を見つめる父親の瞳からは目を逸らさなかった。

「これが、今生の別れとなるやもしれぬ。今後は、そこの長宗我部宮内少輔盛親を其方の傅役とする。戦を知り尽くした将であり、よく国を治める国主でもある。其方が必要とする力は、全てこの者が授けてくれよう。頼りにするのだ」

 自分を買いかぶってもらっては困る。自分は結局、前右府様の期待には応えられなかったのだから――

 しかし、口はやはり動かない。あの時と同じように、前右府様に頼りにされたという感動と、国松様を逃すという大義を掲げて一人この戦場から逃げることへの悔恨が混じった感情が胸を締め付ける。

「まずは、生き延びよ。何を成すにせよ、まずは生き延びなければならぬ」

 八歳の幼子が、父親の言葉をどこまで理解していただろう。しかし、前右府様には懇切丁寧に全てを教える時間などはなかった。

「豊臣の天下を取り戻す戦いが、いつか必ず起きるであろう。その時にはお主がその先頭に立たねばならぬ。しかし、逸ってはならぬ。時期を待つのだ。鎌倉の北条も、京の足利も、永遠ではなかった。いつか、必ず綻ぶ時がくる」

 この時の自分は、この言葉を前右府様自身の悔恨の言葉だとばかり考えていた。

 後三年豊臣の決起が遅ければ、ひょっとすると家康は死んでいたかもしれない。家康亡き後であれば、福島も、黒田も豊臣についた可能性があった。幸村に蹴散らされた弱卒の譜代、親藩を戦下手な秀忠が指揮したところで脅威ではない。

 あるいは、決起が後三年早ければ、加藤清正や浅野幸長がいた。例え家康が相手といえども、豊臣恩顧の大名である加藤、福島、浅野、黒田がこぞって豊臣についたならば勝算は十分にあった。

 きっと、前右府様は時勢を読み間違い勝機を逸したことを悔やんでいるのだろう。だから、我が子には同じ失敗をさせたくないのだとこの時の自分は信じていた。

「よいな、豊臣の世を取り戻すことができるのは、お主しかおらぬのだ。誰も代わってやることはできぬ。くれぐれも、逸るでないぞ!!軽々しく死を選ぶことは、お主には許されない!!」

 思うに、当時の自分はまだ、長宗我部が滅ぶことを受け入れられなかったのだろう。なまじ、一度希望の目を見てしまったからこそ、またやれると思っていた。だから、滅ぶことを半ば受け入れ、諦めていた前右府様の覚悟も、思いも分からなかった。

 豊臣家の主として、徳川に屈せよとは口が裂けても言えない。しかし、徳川打倒のために立てば、命を失う公算が大きい。我が子にはただ生きていてほしいと願った親は、時期を待つという理由で戦いを避けてもよいのだと、自身の生死を賭けなくてもいいのだと教えたかった。

 それが、前右府様の本意だったのかもしれない。

 自身が老い、死へと近づいたことでようやく、あの時の前右府様の真意が分かった。自分の至らなさを情けなく思わずにはいられない。

 

 ――問わねばならない。

 

 徳川の世は、大名への厳しい弾圧の甲斐あって盤石になりつつあると言ってもいい。

 先年、掃部(明石全登)殿が扇動して九州は島原で起こした一揆も、徳川の幕府は少なくない犠牲と引き換えとはいえど見事に制圧した。四〇〇〇〇の兵が決起するという大坂の陣以後最大規模の争乱が見事に鎮圧されたのだ。

 掃部(明石全登)殿の能力はよく知っている。あれだけの能力のある人物が副将として指揮していた軍勢が壊滅したのだ。生半可な戦力では、幕府に対抗することなど夢の又夢。徳川の打倒を目指すのであれば、島原の軍勢の倍でも足りない。

 さらに、内乱の芽がまだ日ノ本の中で燻っていることを知った幕府は、監視の目をさらに強めることは想像に難くない。その監視の目を掻い潜り、兵を集め、兵糧弾薬を都合することは至難の業である。

 決起の成功の可能性は、ない。

 今思えば、島原の乱が最期の機会だったのかもしれない。江戸で大火を起こし、大坂で決起していれば幕府を揺るがすことも不可能ではなかった。幕府に不満を持つ朝廷を抱き込んで上手く動けば、乱世へと逆戻りさせることもできた可能性がある。

 しかし、大坂の陣の後、潜伏することを優先していたとはいえ、戦力の編成にほとんど手を付けられていなかった。島原の乱の直後、自分達が動かすことができた戦力は精々が一〇〇。幕府に不満を持つ牢人を抱き込んだところで一〇〇〇人ほど扇動するのが関の山だっただろう。

 そして、時間が経てば経つほどに豊臣の威光はこの世から薄れていく。豊臣の威光が薄れるにつれ、さらに決起への賛同者は減っていく。もはや、自分には豊臣の再興の可能性を見つけることができない。

 自分の不甲斐なさ、先見性のなさを責められても仕方がない。

 無論、豊臣の決起がならぬのであれば、長宗我部の再興もまた、あり得ない。大坂の戦いであれほど徳川に打撃を与えたのだ。今更臣下として下ることがまず許されるはずがないし、万が一許されたとしても、牢人よりは多少マシといった待遇が与えられるかどうか。もとより、徳川には遺恨しかない身である。徳川に下るという選択肢などありえない話だ。

 しかし、自分は、長宗我部家の滅びを半ば受け入れることができた。長宗我部の滅びは、自分で決められるからだ。長宗我部は盛親という無能な当主が滅ぼしたとして歴史書に書かれる覚悟もできている。

 全ての責を自分が引き受けて、滅ぶ。潔い終わり方だろう。幕府に出頭し、市中引き回しの上で首を刎ねられることも受け入れられる。長宗我部の滅亡をここに決定づけることに抵抗はない。

 そのため、国松様には自分たちに遠慮する必要はない。もしも、前右府様の本意が豊臣の復権よりも国松様の生存にあるのであれば、国松様のお命のために別の生き方を探してもらうよう説得することもできる。

 夢とはいえ、もう一度前右府様に会う機会を得ることができたのだ。ならば、何としてもその本意を問いたださなければ。ただ、書物を音読するかのように、過去の言葉を繰り返す我が口が忌々しい。夢くらい、融通が利いた世界であってくれてもいいではないか。

 

「前右府様――」

 

 

 

 

 

 

 

寛永一五年(一六三八年) 五月七日(旧暦) 江戸

 

「父上!!」

「御爺様!?」

「盛親……」

 身体が動かない。節々が痛み、呼吸をするだけで生気が吐き出されるような感覚。

 夢の中では、あれほどまでに軽く、自由に動いた身体が嘘のように重くなっているように盛親は感じていた。まるで、鉛の鎧を身に着けているかのようだった。

 目に映る景色は、つい昨日の夜にも見た寝所の景色。枕の横には、盛親の子盛恒と孫の盛胤。そして、成長した国松――江戸では、由井正雪という偽名を名乗る青年の姿があった。

「ひどく魘されておりましたが、一体、どうされたのですか?」

「儂は、魘されていたか」

「ええ。前右府様、前右府様と」

 盛胤は心配そうに盛親を見やった。

「夢を、見ていた……」

 茫然と盛親はつぶやいた。

「夢、でございますか?」

「大坂にいた頃の夢だ。大坂城で、前右府様とお会いした」

 ここは、神田連雀町、隣の部屋の物音さえ聞こえるほどに壁の薄い粗末な長屋の一角。大坂を脱出して以降、この長屋が盛親の住まいだ。

 江戸に隠れ住んで二〇年以上が経つ。近所の子供に学問を教えることで生計を立てているが、今のところ幕府に目をつけられたことはない。幕府に不平不満を持つ牢人達とも交流があるが、あくまで彼らにはかつて諸国の戦場を巡ったことのある牢人という肩書で接している。

「父は、盛親になんと言っておった」

 自身の父が夢に出てきたと聞いて、興味をひかれたのだろう。正雪は真剣な表情を浮かべている。

 盛親は、首だけを動かして視線を正雪へと向けた。

「大坂城が焼かれた、あの日の夢です。拙者も、前右府様もあの日、国松様をお預かりした時と同じやりとりをしました」

「私に対しては、何か言っていたか?」

 盛親は一瞬躊躇した。正直に伝えるのであれば、あれは文字通りあの日のやり取りを書物のように正確になぞっただけのこと。正雪もかつて一度聞いている言葉でしかない。

 しかし、膈の病を患っており、既に床から起き上がることもできなくなったこの身が、あの夢を見たのには何か意味があるのかもしれないとも思った。

「盛親?」

 口ごもる盛親の様子を見た正雪が訝しげな表情を浮かべている。盛親はとりあえず、間をもたせようと大袈裟に咳きこんでみることとした。

「父上、大丈夫ですか!?あまり無理をなさらず、息を整えてください」

 盛親は息を荒げ、話すことも楽ではないように振舞った。そして、その間に考えを脳内でまとめようとする。

 夢で感じた、豊臣秀頼の言動の裏に隠された真意。しかし、あくまでそれは盛親がそう感じただけのこと。それを正直に伝えていいものか。

 正雪は、思慮深く落ち着きのある武者へと成長している。傅役として成長を見守ってきた盛親の最期の言葉であれば、決して無碍にはしないだろう。ひょっとすると、豊臣家の再興に命をかける必要はないと伝えれば、それを受け入れてくれるかもしれない。

 そして、正雪に対して、豊臣家の再興という理念よりも自身の命を大切にせよと面と向かって言うことができる人物は、傅役である盛親を置いて他にない。

 盛親自身、豊臣家の再興が正雪の生きている間に成し遂げられるとは到底思えなかった。鎌倉の北条家や足利の幕府が滅びるまで一〇〇年以上かかったことからすれば、徳川の世もそれと同じくらいは続くだろうと見越していた。

 時期を見極めるとはいえ、豊臣の威光は時を経れば衰えるばかり。徳川の力が弱まったとて、豊臣の威光はそれ以上に弱っている可能性が高い。時期を見極めよなどと、希望があるような言いぶりをすることは、徒に決起を煽り、正雪に非業の死を与えることに繋がりかねないとも考えられる。

 しかし、もしも盛親が考える秀頼の真意が単なる思い込みにすぎなかったとしたら、それは正雪という大器を無為に埋もれさせてしまうことに他ならない。また、正雪に対して豊臣家の再興の責務を教え込んできたのは、他ならぬ盛親自身である。

 自分のような凡才にはできなくとも、正雪ならば太閤殿下のように不可能を可能にするかもしれないという期待もあった。

 盛親は悩んだ。

「前右府様は、最後にこうおっしゃりました」

 そして――ありのまま、秀頼の言葉を伝えることを選んだ。

「まず、生き延びよ。そして、時勢を見極めよ、軽挙妄動は慎むようにと」

「ふむ、してその後は?」

「前右府様が仰ったのは、それだけにございます」

「父の言葉は、本当にそれだけか?」

 正雪の真剣な眼差しが、盛親に向けられる。

 鋭利なナイフを思わせるその視線は、盛親が何か隠していると確信していることを盛親に感じさせていた。

「……某には、前右府様の御心が奈辺にあるのか、確信が持てませぬ。ですが、仰せになられたことは、それだけでございます」

 それでも、盛親は自身の憶測を話すことはしなかった。秀頼の本意については、正雪の考えに委ねることとした。正雪も頭脳明晰で臣下の心をよく知る男だ。正雪なら、いつか必ず秀頼の最期の言葉の本意を理解できるだろうと盛親は考えた。

「時期を、待つのです。きっと、時期が……」

 盛親自身、気づいていない。『時期を待つ』という言葉を発する時、いつか必ずその日が来るという期待を声音に写している自分に。秀頼の真意を薄ら確信していながらも、あくまで自分の心象だと否定したがっている自分がいることに。

 無意識に、正雪に押し付けた期待。その願いは何れ、呪いとなり由井正雪を縛り付けるものとなる。

 由井正雪の未来を決定づけたのは、彼自身が持って生まれた才能でも、豊臣秀頼の子という出自でも、徳川の世に対する世論の不満でもない。

 最期に彼を突き動かしたのは、長宗我部盛親が彼に向けていた想いだった。

 

 

 

 この夢を見た数日後、盛親の容態は急変する。そして、容態が急変したその日の夜に盛親は静かに息を引き取った。享年六三。

 そして、盛親の死から一三年後に正雪は大坂と江戸で同時に武力蜂起を起こすものの、両都市ともに瞬く間に幕府軍によって鎮圧されてしまう。

 最後には、正雪は豊國社にて自ら命を絶つ。

 殉じる者が誰もいない孤独の自刃は、徳川に不満を持つものこそ世にあれど、豊臣に忠を尽くす者が既に絶えていることを示していた。




長宗我部盛親の末期は、だいたいジンバ・ラルのイメージですかね。
キャスバルが国松で、盛恒がランバ・ラルのポジションになる感じです。
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