「あ、姉ちゃん久しぶり。見ない内に大分痩せたねぇ」
雨生龍之介は、五年ぶりに実家に帰省していた。
とはいえ、両親がいる母屋に顔を出すことなく真夜中に人の手が入らなくなって久しいボロボロの蔵に足を踏み入れただけのことであるが。
五年前に姉を殺害し、隠したこの蔵。姉は既に木乃伊と化し、生前の容貌は僅かに面影が残るだけであった。顔を合わせてはいないが、両親も白髪が増え、その顔に刻まれた皺も増えているのだろう。
姉の失踪当時から両親は何となく、龍之介が事件に関与していることを理解していたのかもしれない。そのころからどこか両親からの視線の色が変わったことを察した龍之介は、書置き一つ残すことなく実家を後にした。
龍之介が姉を殺害し、死体を隠匿したというのが失踪事件の真実である。両親が何を根拠に自分を疑ったのかは分からないが、どことなく気になったという理由で龍之介は出奔したのであった。
抑えきれなくなった「死」に対する好奇心が原因だった。死を知り、それによって生を知りたい。抑えきれなくなった願望の発露が、姉の死であった。
最初に姉を選んだ理由は、衝動が抑えきれなくなった時に一番近くにいたからでしかなかった。別に、姉に対して怨恨の類は一切ない。自身に疑いの目を向ける両親を殺すことなく出奔した理由も、情が湧いて殺せなかったとかというわけでもない。ただ、何となく殺さなかっただけのことであった。
龍之介自身は深く意識したことはなかったが、彼は知らず知らずの内に逮捕されないための最適解を選んで生きている。
もしも、彼が両親を殺していたならば、死体が発見されようがされまいが必ず龍之介に対して疑いの目が向く。姉が行方不明となった後に両親が行方不明あるいは死亡となれば、警察は確実に動いただろう。
一度警察の疑いの目が向き、本腰を入れられて自宅を捜索されればたやすく血痕等の遺留物が見つかり、龍之介は御用となったに違いない。初めての殺人を犯した直後の彼は、まだまだ警察を誤魔化すには未熟だった。
以来、彼は全国を渡り歩いて三〇件ほどの殺人を重ねてきた。本人は意識してきたわけではないが、実は一度として同じ都道府県で殺人を起こしたことはない。加えて、死に至る過程を観察するために被害者ごとに多種多様な殺害方法を試してきた。死を観察することが目的であるため、同一犯による連続殺人を示唆するようなシンボルを現場に残したことは一度たりともないし、死体から何かを奪い
死体が発見されなければ、行方不明者が発生してもただの失踪として警察は処理する。どこぞのM県S市のベッドタウンのように全国的平均の五倍以上の行方不明者が報告されていない限り、一人や二人行方不明者が増えたくらいでは警察が本格的な調査を行うことはない。役所は事件を選ぶのだ。小さな事件の一つ一つに人員と時間を割いてまで処理するわけではない。
また、彼の被害者の大半は殺人事件であることが発覚していないとはいえ、偶然や龍之介の失策から死体が発見されてしまったケースも存在するのも事実である。しかし、それらの事件の捜査線上に龍之介の名前が挙がったことは一度としてなかった。
龍之介が本人に繋がる証拠を死体に残していなかった――つまりは、証拠の隠匿に慣れていったことも警察の捜査の手から逃れることができた理由の一つだろう。しかし、三〇人以上の人間を殺しておいて連続殺人事件として露呈しなかった理由としては、この国の警察組織にも一因があった。
縦割行政の意識が強いために各県警の情報が共有されず、かつアメリカのFBIのような全国の犯罪情報を集約する機関のない日本においては、県を跨いだ犯罪は把握されにくい。同じ県で何度も似たような犯罪が起きていない限りは隣県に情報提供することもないだろう。
また、龍之介の犯した殺人は多種多様な殺害方法を取っており、かつ同県で同一犯によるものと思われる手口の殺人事件が起きていなかったことも、同一犯が全国を回って別々の殺害方法で殺人を繰り返しているという発想が捜査側から出てこなかった要因である。
同じ県で犯罪を繰り返すことがなく、かつ同じ殺害方法を使ってこなかった龍之介は、知らず知らずのうちに警察の捜査の盲点をついていたのである。
もしも、彼が犯した犯罪の内一件でも龍之介が逮捕されていれば、残りの全件も明るみになったかもしれない。しかし、殺人が発覚した事件も証拠不十分で迷宮入りへ一直線であったし、この時点で日本全国を渡り歩く連続殺人犯の存在を感知することのできる刑事ドラマのような有能な警察官は残念なことに日本には一人もいなかった。
そんな事件発覚に繋がるような悪手を知らず知らずの内に避け続けてきた龍之介が、事件発覚の可能性のある最初の殺人現場への回帰を行ったのには、それほど深い理由はなかった。
死を堪能するために様々な殺害方法を試してきた龍之介であったが、思いつく限りの殺害方法を試し、どこか飽きを感じていたのである。もっと「死」を、「生」を知りたい。そのためのよいアプローチはないものか。
とりあえずは原点回帰ということで、初めて己が殺した相手である姉に会いに来たわけであるが、既に彼女の「死」と「生」を十分に堪能していた龍之介にとって新たな発見は何もなかった。木乃伊と化した姉は物言わぬただの躯でしかなく、幼少期に遊んだ玩具を見て懐かしむくらいの感傷しか龍之介には与えてくれなかった。
もっと別の方向から「生」と「死」を見つめる方法を探しに、とりあえずまた誰か殺してみようか。そんな風に考えてから姉を再度隠して蔵を立ち去ろうとする龍之介。しかし、ふと壁が崩れていた蔵の一角に目線が惹きつけられた。
そこは、龍之介の記憶では以前は崩れていなかったはず。この五年の月日で崩壊が進んだのだろう。ただ、問題は蔵の崩壊が進んだことではなくて、崩れた壁の中から現れた木箱の存在だった。
まるで隠すかのように壁に埋もれていた木箱に興味を抱いた龍之介は木箱を崩れた壁の中から取り出した。しかし、木箱を開けようとするも木箱の蓋はビクともしない。手元には道具も特にないこともあり、とりあえず龍之介はその場で木箱を開けることは断念し、その日の宿に箱を持ち帰って調べることとした。
宿に帰ってから木箱をよく観察すると、寄木細工できっちりと箱本体と蓋が接合しており、湿気を含んだ木が膨張することで密閉されているようだった。近くのホームセンターで簡単な工具を購入した龍之介は、それらを用いて箱の解体を試みた。
マトリョーシカのような多層構造となっていた箱との四時間ほどの悪戦苦闘の末、どうにか龍之介は箱の解体に成功。中から一冊の本を取り出すことに成功した。
袋綴装の古書、それも古い字体の癖の強い筆文字で書かれたそれは、常人であれば解読に難儀するところであろうが、幸運にも龍之介には高校時代に古書と触れる経験があり、その本の内容も多少苦戦しながらもどうにか読み解くことができた。
その本はどうやら慶応二年、西暦一八六六年に書かれたものらしく怪しげな魔術の儀式について解説していた。
筆者はかつての隠れキリシタンのようだ。本の中には島原や天草での争乱による数多の犠牲やその後の幕府によるキリシタンへの厳しい弾圧について事細かく記載されている。
また、筆者の家族が隠れキリシタンだと発覚して厳しい拷問の末に処刑され、筆者自身も拷問を受けて一度は教えを捨てさせられたということもあって、筆者は幕府に強い恨みを抱いていたらしい。
この魔界の神を呼び寄せる儀式をもって他の六の神を討ち取ることができれば、家族のみならず処刑された数万のキリシタンの恨みと憎しみの炎がかつての島原の地獄の如き惨状を日本全土に再現し、その浄化された地に真の神の国を作ることができるとの記述がある。
かの島原の如き惨状――その記述を見た龍之介は以前にアルバイトで参加した原城の発掘調査のことを思い出す。
フリーターの龍之介は決まった収入源は持たない。殺した相手から財布の金を抜き取ることもあるが、金目当てで標的を選んでいるわけでもないため、全国を流離う身を養うほどの収穫は得られないのである。
そのため、彼は定期的にアルバイトをして生活費を稼いでいる。全国を流離う連続殺人犯は警察からは逃れられても労働からは逃げられなかったのである。
原城の発掘調査のアルバイトも、たまたま彼の地を趣味で訪れていた際に参加したものだ。中々条件の合うバイトがなかったことや、稀に島原の乱の犠牲者の霊が出没するとも噂される心霊スポットを見てみるのも一興だと思ったことが参加した理由である。
原城の発掘調査は、結果的には彼にとって中々に満足なものであった。人骨でも出てきそうだし、趣味と実益に合っているかもしれないといった多少の期待を胸に発掘に携わった龍之介にとって、思った以上の収穫がそこにあった。
発掘現場のいたるところで人骨が出るわ出るわ。老若男女問わず大量の人骨が出土したのである。
龍之介も漢書を齧る程度には歴史に興味を持っていた時期もある。だから、かつてこの地で何が起きていたのかを高校の歴史の資料集程度の内容であれば知っている。
かつてこの地で領主の圧政とキリスト教への弾圧から一揆を起こした農民らは、天草四郎時貞というカリスマ的指導者の下で団結して幕府に対して戦いを挑んだ。この一揆には牢人となった元武士も多数参加しており、一度は討伐に派遣された幕府軍を打ち破るほどの勝利を収めている。
最終的には本腰を入れて一五万もの大軍勢を送り込んできた幕府軍に抗うことができず、原城に籠城した四万もの農民、キリシタン、牢人らは皆殺しにされるという結末を辿ったが、その余りの抵抗の激しさから幕府をして大規模な内乱をも危惧させたとも伝わっている。
この時の幕府の抱いた恐怖は、その後のキリシタンに対する激しい弾圧からも見て取れる。九州の一部地域では、魔女狩りにも例えられるほどの惨状が生まれたこともあるそうだ。
少し地面を掘ると、龍之介もかつてこの地で起きた惨状の名残を見つけることができた。
ある人骨は人為的に頭部が切断された後が残っており、またある人骨は槍か何かで突かれたのか肋骨の何か所かに傷が刻まれていた。まるでごみ箱にでも捨てられたかのように穴の中に死体が折り重なって発見されたこともあれば、髑髏がまとまって一〇〇近く発見されたこともあった。
「生」から「死」に至る過程に心惹かれた龍之介にとって、「死」という結果単品はさほど重要ではない。白骨化された死体だけを見たところで、「生」をあまり感じることができず、あまり面白そうには見えない。
しかし、これほど多くの「死」が一度に見れる光景となると話は別だ。新鮮な腸や肝の色や触感、衰えゆく筋肉の躍動まで観察できないことが非常に残念な点ではあったが、これほど多くの「死」がそろっているここはまるで「死」に溢れた魅力的なテーマパークのように龍之介には思えた。
彼らがどのように抗い、如何なる絶望を抱き、どのような苦痛に苛まれながら死んでいったのか。このおびただしい数の白骨の上で想像を巡らす――そんな考古学もCOOLだ。
温故知新という言葉もある。この「死」の考古学もまた、自分の求めるものへのアプローチの一つであると龍之介はこの時学んだ。
もしも、あの原城のような景色が再現できるというのであれば、是非とも見てみたいものだと龍之介は思う。白骨しか残っていない惨状の残滓ですら、実に興味深い観察対象だった。それが、生で見れるとなればどれほど面白い景色なのだろうか。
俄然やる気の出てきた龍之介は、その本を必死で読み進めた。幸いなことに、虫食いや変色等で中身が読めなくなったところもなく、龍之介はその本の全ての内容をとりあえず読み解くことができた。
魔界の神とやらを呼び出す儀式の方法についても場所や時間、必要なものや術式、呪文など詳細に記載されており、本の内容が正しいのであれば龍之介が実行することもそう難しいことではなさそうだった。
また、この本には筆者の実体験に基づく江戸時代の拷問についても詳細に解説されており、その生々しいほどの苦痛の描写は是非実際にこの目で見てみたいと思うものであった。
儀式が成功した場合、魔界の神とやらならば神にしかできないような殺し方を見せてくれるだろう。こちらと上手くコミュニケーションが取れるという確信はないが、もしもこの神とやらがこの書物のとおりにこの世を恨みと憎しみの炎で焼き尽くすというのならばそれで十分だ。
多数の人々が惨たらしい死を迎える現場をリアルタイムで見届けるもよし、現場が見れずとも、新鮮な死体が溢れる死のショーウィンドウと化した街を巡るのも中々に面白そうだ。
仮に魔界の神を呼び出す儀式とやらに失敗したとしても、この拷問で死んでいく過程を見るのも一興。とにかく、龍之介はあの蔵に戻ってきた時とは打って変わりやる気に満ちていた。
「え~っと……儀式ができるって書いてある場所で、ここから近いのは…………」
気づけば、蔵から発見された古書を読み解いている内にまた日が落ちている。朝から半日近く古書の解読に費やしていた。
龍之介は旅の供であるリュックサックから地図帳を取り出した。
かれこれ五年ほどお世話になっているそれを捲り、龍之介は一つの地名を見つけた。
「一番近いのはこの冬木って街か……ここなら鉄道で行けそうだし、あんまし旅費もかからなそうじゃん」
早速取り出したるはこれも全国殺人流浪旅のお供、時刻表。龍之介は先日書店で購入した時刻表から、冬木への旅程を瞬時に頭に描いた。
善は急げって言うし、明日にでも冬木に向かおう――龍之介はそう考えながら荷物をまとめてベッドに潜り込む。
魔界の神とはどんな姿をしているんだろうか。どのように人を殺すのだろうか、その時、人はどんな表情を浮かべるのであろうか――
ベッドに入っても、想像するだけでワクワクが止まらない。
龍之介はまるで修学旅行の前日の夜の学生のように期待に心躍らせていた。
翌日、冬木の地に最悪の連続殺人犯が降り立った。
そして、最初の標的としてある家族を彼は選んだ。
単身赴任中で父親が不在で、小学生の少女と中学生になったばかりの兄、専業主婦の母親しか家にはいない。
女子供しかいない家ならば、失敗することはまずないだろうと彼は確信していた。
彼の計算外はたった一つ。その日、彼が侵入した家を、少女の友人が訪ねたということだけである。
拙作における龍之介の犯罪体系のモデル
「Vim Patior, Vim Patior……」