運命なき浮世に候へば、日ノ本一の兵に   作:後藤陸将

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第3話 立場が人を育てる

 遠坂邸の主人、時臣の部屋に遠慮がちな小さなノックの音が響いた。

 時臣は税理士から送られてきた不動産所得の青色決算報告書から目を離し、扉への視線を向けた。

 同盟者であり弟子でもある言峰綺礼からの進言もあり、普段出仕している使用人たちにも暇を出している。もう少ししたら弟子の綺礼が訪ねてくる予定であるが、今現在屋敷の中にいる人間は彼の妻子のみである。

 その妻子も今日中にはこの屋敷を離れ、妻の実家に避難することになっているのであるが。

「入りなさい」

 扉を開けたのは時臣の娘、凛だった。

 凛は時臣に促されて夕陽に照らされたソファへと腰かけた。そして、時臣がその対面に座る。

「どうしたんだい、凛。何か、この間のことで聞きたいことでもあるのかな?」

 時臣の問いかけに対し、凛は身体をビクっと震わせた。

 数日前、聖杯戦争の開戦に備え、凛と葵には葵の実家に避難することが伝えられた。

 葵は自分が屋敷に残っても時臣の助けになることはできないと分かっていたため、時臣からの提案を抵抗なく受け入れた。ところが、凛はその提案を素直に受け入れることができなかった。魔術師として育てられていた自分ならば、母と違って時臣の助けになることができるのではないかと考えたからだ。

 幼いながら、凛は自分が遠坂の魔術師であるという誇りを自覚していた。また、尊敬する父の一助になりたいという思いもあった。

 その場はあまり父親に無理を言うものではないと諫めた母親の言葉もあり不承不承でありながらも父の提案を受け入れた。しかし、本心から納得できたわけでもなく、その日の深夜にこっそりと父親の工房に忍び込み、聖杯戦争までに父親に認められるほどの魔術師になるために自習をしようと試みた。

 当然のことながら魔術師が己が娘とはいえ、工房への侵入者を見過ごすはずがない。凛は高度な魔術のかかった魔術書に襲われかかったところを侵入者の存在を察知して駆けつけた父親に救われ、己の浅慮を思い知ったのであった。

「いえ……その、実は、聖杯戦争のことでお父様に聞きたいことがあるんです」

「聖杯戦争について?何が聞きたいのかな」

 聖杯戦争について時臣から聞き出し、何か自分でできることを探そうとしている。時臣は凛の魂胆をそう予想した。しかし、時臣の予想は外れていた。

「お父様が呼び出される英霊……サーヴァントについてです」

 凛とて、先日の事件で己の力量は理解した。

 そして、父親がとても優れた魔術師であり、尊敬する存在であることを再確認した。ただ、それでも凛には不満があった。

 それは、自分と母親が去った後も時臣を支えるために言峰綺礼という男が冬木市に残るということである。

 凛は綺礼という男を初対面から嫌っていた。魂の底から相容れないような感覚が初対面の時からあったというのが理由の一つでもあるのだが、何よりも遠坂家の次期当主たる己よりも父親が綺礼の鍛錬を優先しているように見えたことが大きい。

 だから、凛には自分が冬木市に残って父親を支えることはできないことには納得できても、ほんの三年前に弟子になった綺礼が冬木市に残るということには納得できなかった。

 とはいえ、納得できなくとも凛には父親の決定をどうすることもできないし、かといって綺礼が父親を勝利に導いてくれるとも信じられない。このまま冬木市を離れることは不安でしかなかった。何より、綺礼が時臣の勝利の立役者となることが凛にとっては不愉快極まりない。

 そんな時、凛はふと思いついたのだ。もしも父親がすごいサーヴァントを召喚することができたならば、綺礼なんかの助けを借りることなく聖杯戦争を勝ち抜けるのではないかと。

「お父様はどんな英霊を呼び出されるのですか?」

「……すまないな、凛。私がどの英霊を呼び出すのかは、君には言えない」

「どうしてですか!?」

 凛はむくれながら時臣に問いかけた。以前にも見た、いかにも納得できませんという顔である。

「サーヴァントとして呼び出した英霊の名前が分かってしまうと、対策を取られてしまうからだよ。例えばアキレウスなら、おそらく他のマスターが呼び出したサーヴァントよりも確実に強いだろう。しかし、真名が分かってしまったならば、対策を取られてしまう」

「アキレウスって確か……踵を射られて死んだ」

「そう。アキレウスはイーリオスの王子パリスに踵を射られたことで弱体化したことが原因となって死んだ。つまり、格下の英霊であっても踵を狙えばアキレウスを相手にしても勝機があるということだ。聖杯戦争ではどこから情報が洩れるか分からない。サーヴァントについての情報は、特に秘匿しなければならないんだ」

 実際には、時臣が召喚しようとしているサーヴァントにはかのジークフリートやアキレウスのような聖杯戦争において致命的な弱点にあたるような逸話はない。しかし、敵に真名を看破されないというのもまた戦いにおいて有利となる。聖杯戦争について深入りさせるにはまだ凛は幼すぎると考えていた時臣は、真名が露呈する弱点を説明することで、とりあえずは凛を言いくるめようとしていたのである。

「私はお父様のサーヴァントのことを告げ口したりしません!!綺礼にだって言いません!!」

 自分が誰かに父親の秘密を漏らすのではないかと疑われている。父親から自分が信じられていないと思い込んだ凛は思わず大声をあげた。

 しかし、ソファから立ち上がって大声をあげることが品のない行為であることは凛も即座に気づいた。醜態を自覚して耳と頬を真っ赤に染め、その瞳に涙を浮かべながら凛はソファに再度腰かけた。そして、叱られることを恐れるかのように恐る恐る父親の顔を見上げた。

「言葉が足りなかったな……凛、安心しなさい。私は凛が秘密をもらすような子ではないと信じている」

 穏やかな表情を崩さない時臣。それを見た凛は安堵の表情を浮かべる。

「他のマスターに囚われても、凛は口を割らないかもしれない。しかし、魔術師というものはね、口を閉ざす人間から情報を抜き出す方法をいくらでも持っているものなんだ。記憶そのものを覗いたり、認識をずらされて誘導したりされれば一流の魔術師であっても抗えないこともある。情報を持つというだけで、敵から狙われる可能性が高まるということだ。分かってくれるね、凛」

 先日の醜態のこともあり、自分が他のマスターに捕まらないと豪語できるほどに凛は自惚れてはいなかった。父の危惧は正当なものであり、自分の主張は我儘であるとも少しは理解している。

「私は、お父様はすごい魔術師だって知ってます」

 ただ、どうしても綺礼に時臣の身を託すことが不安だった。だからこそ、凛は時臣に問いかけずにはいられなかった。

「お父様は魔術だったら絶対負けません。でももしも他のマスターがすごいサーヴァントを召喚していたらって思うと……」

 凛の澄んだ瞳が時臣を見据える。

 その瞳に映る自分が時臣には何故か揺らいでいるように見えた。

「問題ないさ、凛」

 しかし、時臣の自信には一切の揺らぎはなかった。

 監督役と結託し、表向きは決裂したはずの弟子と裏で手を組み、弟子の召喚した間諜に特化した英霊で情報戦を制している。後は、かの最強の英雄を己がサーヴァントとして召喚すれば勝利の方程式は完成する。時臣は、開戦を待たずして己の勝利を確信しているのである。

「他の六騎のサーヴァントを必ず駆逐できる最強のサーヴァントを召喚する手はずは整っている。どんな英雄を呼ぶかは先ほど伝えた理由で教えられないが、私はあの英雄こそが、最強に相応しいと信じている」

「最強のサーヴァント……」

 尊敬する父をもって、最強だと断言するほどの英霊。その真名にはとても興味があったが、それを聞くことは許されないことは凛も先の説明で理解していた。そして、あの父が最強の英雄というのであれば、きっとその英雄は間違いなく最強なのだろうと信じることができた。

 そして、最強のサーヴァントをそろえた父にとって、自分程度の助力は不要であるということも凛は察していた。

「わかりました、お父様。私は、お父様を信じます」

「ありがとう、凛。遠坂の悲願のため、私は必ず勝とう」

 時臣は腰をあげて凛のそばに歩み寄ると静かに頭を撫でた。

 これが永遠の別れになるわけでもない。ただ一時の別居に過ぎず、期限付きの単身赴任のようなものである。

 部屋から娘を送り出す父親の瞳には、寂しさや不安などといったものは微塵も浮かんでいなかった。

 余裕をもって優雅たる、娘から尊敬されるに相応しい堂々たる父であり魔術師がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 凛が時臣の部屋を退出してから一〇分ほど経ったころ、本日二度目となるノックが部屋に響いた。

 今度は先ほどの遠慮がちなノックと違い、どこか力強さを感じる鈍い音だ。来訪の知らせを予め受けていた時臣はその音の主を部屋の中に招き入れた。

「失礼します」

「ああ、綺礼。手配していた聖遺物がつい先日届いたところだ」

 時臣は綺礼をソファにかけさせると、楢でできた重厚感のあるデスクの引き出しから小包を取り出して綺礼の前に置いた。

「これが、手配されていたという聖遺物ですか」

 時臣は頷くと、包装を外し、中に入っていた木箱の蓋を開けた。

 箱の中のものは、一見すると縄か太い蔦かを思わせる紋様が刻まれた石か何かにしか見えない。しかし、時臣と綺礼はその石の真の価値を知っている。

「それが、遥かな昔、この世で初めて脱皮した蛇の抜け殻の化石……ですか」

「そう。かの神話に登場する蛇の抜け殻だ。手配を依頼してからもう五年になるか、どうにか間に合った」

 イラクから届いたばかりのそれは、考古学や神話にはさしたる興味を持たない綺礼をして、感嘆させたのだろう。普段から表情を滅多に崩すことのない綺礼の眼に僅かながらに常とは異なる感情が浮かんでいることに、時臣は気づいた。

「この化石を触媒として、かの大英雄を召喚することに成功したならば、それは聖杯戦争に勝利したと同義だ。我々の勝利は、召喚した時点で確定する。ことサーヴァントの戦いにおいて、かの英雄に対して個で対抗できるものはいまい」

「……父によれば、今朝の時点で召喚されたサーヴァントは私のアサシンのみとのこと。かの大英雄を三騎士のクラスで呼ぶことも、不可能ではないかと」

 時臣は綺礼の報告に頬を緩めると、触媒の化石を手に取り綺礼に対して召喚の準備のために工房へと移動すると告げた。

「そうか、それは朗報だ。他のクラスが埋まる前に、今夜にもサーヴァントを召喚するべきか。これから、私は工房で召喚の準備に入ろう」

 遠坂時臣は常日頃から自信に満ち、堂々とした態度を崩さない人物であった。三年前、令呪が現れたことをきっかけに父が引き合わせた時からそうだったが、この日の時臣はこれまでに見たことがないほどに自信に満ち溢れていると綺礼は感じていた。

 時臣の立てた必勝の方程式に必要な要素は、ほぼ全て揃っている。これまで万事想定どおりに進んでいることもあり、時臣が楽観主義へと偏りつつあるのも無理はないだろう。そこに一抹の不安を感じていたが、時臣とて綺礼からの進言を楽観的な予測を理由に却下するということはない。綺礼は、実戦経験が豊富な自分と老獪さと慎重さを兼ね備えた父親が上手くバランスを取れば彼の楽天主義も大きな問題にはならないだろうと考えていた。

 ふと、綺礼の視線が先ほど時臣が聖遺物を取り出したデスクの上へと向いた。

「あれは、予備の聖遺物でしょうか?」

「ん?ああ、あれか。そうか、忘れていたな」

 綺礼の視線の先、机の上には蛇の抜け殻の化石が入っていた小包と同じ包装に包まれた包みがあった。大きさは、先ほどのものと比べると少し小さいぐらいだろうか。綺礼はそれを、目当ての聖遺物が手に入らなかった時に備えての予備の聖遺物ではないかと予想したが、時臣は否定した。

「これは聖杯戦争とは別件で手配していたものだ。まぁ、これも英霊と所縁のあるもの……サーヴァントの召喚の際に触媒たりうるものではあるが、第四次聖杯戦争においては役に立たない」

「触媒たりうる英霊所縁の品でありながら、聖杯戦争に使えないとは、どういうことでしょうか」

「冬木の聖杯が君たち教会が定義する聖杯とは別物であるという説明は、以前しているね」

 時臣はデスクに置かれたその小包を手に取ると、包装を剥がし始めた。

「アインツベルンが作成した術式を基盤とする冬木の聖杯戦争というシステムは、東洋の英霊を呼ぶことに適していない。正確に言えば、西洋圏に知名度のない英霊を呼べないということだ。まぁ、例外もあるが」

 時臣の簡潔でありながら要点を抑えた説明を受け、綺礼は即座に自身の問いに対する解答を得た。

「なるほど、その触媒は東洋の英霊所縁の品ということですか」

 我が意を得たりとばかりに時臣はほくそ笑んだ。

「そのとおり。元々は凛への誕生日の祝いとして用意していたものだ。少し前に別のものをプレゼントとして渡していたが、今年ぐらいは二つプレゼントを渡してもいいと考えていた」

「娘の誕生日に英霊所縁の品ですか」

「ここ一年ほどは聖杯戦争の準備もあって凛にも色々と不自由をさせた。父親としても、師としても少々至らざるところがあったという自覚はある。それの償いといったところだよ」

 確かに、ここ一年時臣はほとんど聖杯戦争の準備や綺礼の手ほどきで忙しかった。世間一般的な家庭のような家族サービスは皆無といってよかっただろう。また、魔術師としても時臣は聖杯戦争において協力者となる綺礼への教授を優先し、凛への指導は後に回されていた。

 家庭よりも魔術師としての己を優先する時臣を理解している葵はまだいい。彼女は夫をよく理解して全てを覚悟し、受け入れている。

 しかし、年の割には聡明といっても未だ幼い凛にとっては中々寂しい一年であっただろう。妹を失った直後にも関わらず、その傷を癒す家族の温かさも欠けた環境。気丈にふるまってはいたが、やはり色々辛い思いをさせたかもしれないという反省が時臣にはあった。時臣自身はこの一年の選択に後悔こそしていないが。

「これは、ある戦国武将所縁の品だ」

 時臣は包みの中から出てきた木箱の蓋を取った。その中に入っていた白い布の包みを開くと色あせた赤い縄の切れ端のようなものが現れた。

「戦国時代には兜の緒を締めた際に緒の余った部分を切り落とすことで、この兜を生きて脱ぐことはないと覚悟を決めたという。これも、切り落とされた兜の緒の余りだそうだ」

「中々貴重な品ですね。しかし……ご息女はこのようなものを集める趣味でも?」

 いくらなんでも戦国武将所縁の品をそろえることは小学生の趣味としては異色である。魔術師の卵に贈るにしても、聖杯戦争で使えない触媒に何の意味があろうか。綺礼は時臣が何故娘の誕生日プレゼントにこのようなものを選んだのか理解できなかった。

「凛がこのようなものをもらって喜ぶのかと考えているんだろう?」

「率直に申し上げれば、小学生への贈り物にはふさわしくないかと」

 時臣は苦笑した。

「まぁ、君の考えていることは分かる。普通の少女ならば戦国武将所縁の品を誕生日プレゼントでもらったところで喜びはしない。だが、あの武将所縁の品だけはおそらく例外だ」

「あの武将?」

「君も、去年巷で話題になったあのドラマを知っているだろう。凛もあのドラマに随分と熱中していた。大坂城に行きたい、上田城に行きたいと夏休みと冬休みにはよく言っていたものだ」

 綺礼とて世俗のことに全くの無関心というわけではない。一般教養として新聞くらいは読むため、時臣の言うドラマのタイトルにも、そしてその主人公にもすぐに思い至った。

「そういえば、ご息女はかのドラマの放送時間にはいつもテレビの前にいらっしゃいましたな。なるほど、かの武将所縁の品であれば、喜ばれるでしょう」

「私もそう思うよ……ああ、そうだ。私はこれを凛に渡してくるとしよう。しばらくは直接会うこともできないからね。綺礼、君はすまないがまた今晩父君と一緒に来てくれないか。我が遠坂の悲願が成就するその記念すべき第一歩を見守ってもらいたい。首尾よくかの英雄を呼び出せたならば、我が遠坂の勝利はその時点で確定するのだから」




召喚まではもう少しお待ちください。
次々話でそこまでいく予定となっておりますので。

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