運命なき浮世に候へば、日ノ本一の兵に   作:後藤陸将

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――この惑星の住人は、注意が行き届かずにミスをしてしまった時に「うっかり」という表現を用いる。
一説には、その語源は心が浮いているようにぼんやりしているところからきているらしい。
しっかりと確認していれば未然に気づけたはずの失敗を、彼らは「うっかり」やってしまう。
常に注意を怠らないこと。それは私の故郷では当たり前のことだ。しかし、彼らはそんな当たり前のこともできないでいる。
この惑星の住人は愚かとしか言いようがない。



第5話 同類は目を見れば分かる

「お、気が付いた?」

 猿轡越しの悲鳴で凛の覚醒に気が付いた龍之介は、目の前の惨劇を引き起こした犯人と同一人物とは思えないほどに人懐っこい笑みを浮かべながら凛に話しかけた。

 しかし、恐怖に震える凛には龍之介の笑みも悪魔の形相に他ならない。涙で潤んだ目を龍之介に向けること以外に彼女にできることはなかった。当然、返答などできるはずもなく、荒い息遣いだけが返ってきた。

 龍之介は腰を屈め、じっくり観察するかのように凛の全身に視線を巡らせる。

「う~ん、やっぱり君、普通のおうちの子とは違うねぇ」

 一瞬、凛は自分が魔術師であることが目の前の男に見破られてしまったのかと顔面が蒼白になる。

 神秘の隠匿。それは魔術師であればだれもが持ち合わせている心構えであり、三流であろうが一流であろうが等しく遵守すべき魔術師の絶対的なルールである。何故自分が魔術師であることが分かったのかという驚愕と、神秘の隠匿という絶対的な法を遠坂の次期当主たるべき己が破ってしまったことへの悲嘆。

 先ほどまでの恐怖とはまた違う恐ろしさが、凛の心身を蝕む。顔からは血の気が引き、真冬にも関わらず汗がサウナの中にいるかのように勢いよく噴き出す。

「育ちがいいのかな?それとも、生まれながらの資質ってやつ?まぁ、どっちにしても、そこの一般人のお嬢ちゃんとは住んでる世界が違うよね。やっぱり、ご令嬢と一般人だと中身も違ってくるのかなぁ」

 掻っ捌いてじっくり見比べるのは初めてだと宣う龍之介の発言も、混乱する凛の耳には届かない。目の前の少女たちの反応がどことなく鈍いことを察した龍之介は、一つ手を打つことにした。年端もいかない少年少女たちの感情はひたすらに純粋で、愛らしい。

 恐怖だろうと、絶望だろうと、悲痛な叫びだろうと、彼女、彼らのそれには大人と違って見苦しさがない。だから、龍之介はリアクションがないことを嫌う。苦痛を我慢する顔ならばいいが、心が壊れてまともな反応を返さなくなった玩具は、興味が失せてしまう。

「よ~し、注も~く!!」

 少女たちの目の前で手のひらを勢いよく掌を合わせて叩く。龍之介の手からパンと渇いた音が響き、茫然とした状態から自我を取り戻した少女たちの視線が龍之介に向かった。

「ねぇ、お嬢ちゃんたちは、悪魔っていると思うかい?」

 凛とコトネは、未だに恐怖に震えながらも龍之介の言葉をしっかりと認識している。そのことに気をよくした龍之介は、普段フリーターとして日雇いの現場で働いている時とはうってかわって饒舌になった。

 元々、寡黙というわけでもなく、かといっておしゃべりなわけではない。しかし、龍之介も労働の現場では普段よりは真面目な態度を見せる。コミュニケーションを最低限取らないと仕事に支障をきたすことを理解している龍之介は、現場では気さくな好青年を装っていた。

 全く趣味ではないむさ苦しい中年相手に演技することは苦でもあったが、給金のためならば仕方がない。連続殺人犯も、最低限働けねば生きていけないのだ。世知辛い世の中である。

「やっぱ、人を殺すと隠すのが難しくってさ。だから俺の事件も何度かマスコミに取り上げられたりはしたんだけど、週刊誌とかだと結構な頻度で『悪魔の所業』とか、『この世のものとは思えない残虐な犯行』とかって言葉を使うんだよね。記者のくせしてボキャブラリーが貧弱だと思わない?」

 龍之介は別に自己顕示欲があるわけではない。自己顕示欲が強かったらそもそもこれだけの犯行を繰り返している時点で確実に足がついていたであろう。連続殺人犯の犯罪を天下に轟かせるということは、それなりのメッセージ性のある殺し方をして戦利品(トロフィー)を持ち去るなり、象徴(シンボル)を残すなりをしているということだ。

 そのようなことを繰り返していれば、当然証拠や個人を特定しうる手掛かりも現場に必ず残る。犯人が特定され、全国にその名と顔が知れ渡ることとなるであろう。そうなれば、仮に捕まらずとも次の犯行は困難極まりないものとなる。

 龍之介が凝っていることがあるとすれば、それは殺すことと、被害者が死に至るまでの過程だ。だからこそ、単一の殺害方法を取らないし、被害者だって多種多様。

 とはいえ、凝り性な彼の趣味の結果として残るものは大抵が凄惨としか言いようのない死体と殺害現場だ。殺人事件として判明した暁にはマスコミが半狂乱になって四六時中かすりもしない犯人像について無責任な報道をするくらいに世間は彼の犯罪に注目する。

「まぁ、俺の犯罪について『人間のクズ』とか『吐き気を催す邪悪』だとか散々にこき下ろされようが、『世紀の天才』なんて絶賛されようがそれは別にどうでもいいんだよね。別にモリアーティ教授(犯罪界のナポレオン)とか、ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)みたいな伝説を目指しているわけじゃないし。殺したことすらバレないなら、それに越したことはないんだから。でもさぁ、一つだけ納得できないことがあるんだよね。嬢ちゃんたち、分かる?」

 龍之介は言葉を発することのできない少女たちに返答を期待しているわけではない。この独白は口に出さずにはいられない高揚の発露が半分であり、残りの半分は彼らに分かりやすく怯えてもらうための段取りである。

「分かんないみたいだから、正解を発表するね。正解は、『俺って本当に悪魔呼ばわりされるべき人間なのか』でした~。でも、もしも本当に悪魔がいるとしたら、俺程度の人間が悪魔なんて大層な異名をつけられるのも恐れ多いというか……なんか、分不相応な感じがしない?そこんとこ、どーもしっくりこないし、モヤモヤしていたんだけどね。『雨生龍之介は悪魔であります!!』なんて口上、俺にはなんか合わないって思っちゃうし。そしたらこないだ五年ぶりぐらいに帰った実家の蔵でこんなものを見つけちゃってさ」

 コミカルに敬礼した龍之介は、テーブルの上に置かれていた古書を少女たちの前に広げた。その古書に描かれた術式に見覚えがあった凛は目を見開く。

「ど~も、うちのご先祖様は悪魔を呼び出す研究をしていたようなんだよね。天草島原の乱って知ってるかい?五万人の農家さんがお侍さんに惨殺されたって事件なんだけど、キリスト様を信じてたうちのご先祖様はその時の惨劇をこの儀式で繰り返すって息巻いてたみたい。この本、儀式の時期や場所、呪文や魔法陣についてもメチャクチャ細かく書いてあってさ、なんか、信憑性がありそうじゃん?だったらもう、これは実際に悪魔さんを召喚できるか確かめるしかないじゃない。本当に悪魔がいるのか確かめることができるんだから」

 凛は確信していた。間違いない、この男はこれから英霊を召喚しようとしている。床に描かれている術式は父から教わったサーヴァントを召喚するためのものによく似ているし、わざわざこの時期、この冬木で儀式を行うとなれば聖杯戦争のことを指しているしか考えられない。

 凛がそんな考えを巡らせているとは知る由もない龍之介は、上機嫌に独白を続ける。

「でもさ、もし本当に悪魔がいるとして、万が一にもこの魔術書どおりに召喚が成功しちゃったらさ、最後はやっぱ五万人大虐殺なんだろうけども、それまでにちょっと話してみたいんだよね。せっかくの機会なんだし。ただ、態々ご足労いただいてるのに、茶飲み話っても失礼な話じゃん?だからさ、お嬢ちゃんたち……もしも悪魔さんが出てきたら、一つ食べられるか殺されてみてくれない?」

 自分が殺される、悪魔に食べられる――そのことを理解したコトネは、顔をクシャクシャに歪めて恐怖に震える。呼吸は荒く、痙攣のような震えが止まらない。凛も、ただ恐れおののくことしかできなかった。死への恐怖、サーヴァントへの恐怖、目の前の男への恐怖――その全てが凛の心を縛り付ける。

「悪魔さんってどうやって殺すのかな?いや……ひょっとすると、食べるのかも。丸呑みかな!?じっくり噛んで味わうのかな!?食べ比べとかするのかな!?なんにせよ、貴重な体験だ――痛ッ!?」

 恐怖に震える少女たちの姿を眺め、悦に浸り笑っていた龍之介であったが、その右手の甲に突如激痛が奔った。

 何が起きたのかも分からず、訝しげに手の甲を見ると、そこには先ほどまでなかった入れ墨のようなものが浮かんでいた。

 さらに、手の甲に気を取られていた龍之介の背後から冷たい風が噴出する。血液で描かれた陣に光が灯り、大気が震え、紫電が閃く。

 ホラー映画もスプラッタ映画も結局は作り物であり、特殊撮影技術と画面の切り取り方による誤魔化しでしかないと断ずる龍之介だからわかる。これは、つくりものではない。今、目の前には本物の超常のものがある。

 龍之介は人生で初めてお目にかかる超常現象を前に、ただ立ち竦んでいた。未知への恐怖でも、奇跡への感動でもない。この時の龍之介の胸中を表現するのであれば、無というのが正確なところだろう。

 龍之介をこの時動かしていたのは、感情ではなく反射的な反応であった。心のどこかで期待していた光景――自分が生涯探し求めていたものを見つけてくれるかもしれない未知の現象。いざそれを目の前にした時、身体は熱意に動かされるまでもなく勝手に観察へと龍之介を駆り立てていたのだ。

 そして、龍之介はその男と出会った。否、聖杯の奇跡は龍之介をその男と巡り合わせたのだ。

 

 かつて英国の奴隷廃止論者ベイルビー・ポーテューズ牧師は言った。

「一人の殺害は犯罪者を生み、一〇〇万の殺害は英雄を生む。数が殺人を神聖化する」

 牧師の言葉に則ると、龍之介の眼前に現れた男も、多くの人間を殺してきた経験の持ち主であるが故に英雄として呼ばれるべき男なのかもしれない。

 しかし、歴史は彼を英雄とは見做さない。この男は稀代の凶悪殺人犯、猟奇的殺人鬼として歴史に刻まれている。

 結局のところ、英雄と殺人鬼を別つものは大衆の認識に他ならない。その時代の価値観や、思想という流行で英雄は簡単に大罪人へと堕ちる。

 この男も、生前の絶頂期には数々の武功を挙げ、英雄として祖国で賞賛された優秀な軍人であった。しかし、晩年には神の裁き、神の不存在の証明のため、生命の真の美しさを死を通じて鑑賞するため、悪を成すために命を消費し続けてきたために、人々は彼を恐ろしい怪物として語り継いだ。

 

 此度の聖杯戦争において魔術師(キャスター)のサーヴァントとしてこの男を招き寄せた縁は、召喚者である龍之介と似通った殺人に対する美学。

 であれば、この男もまた英雄ではなく殺人鬼――それも、数々の猟奇的な犯罪で世界に名を刻んだ大罪の体現者としての側面が強くでてくることもまた必然。

 その怪物の名は、ジル・ド・レェ。

 フランス史上最悪の凶悪殺人犯である。

 

 

 

 

 

 目の前で、化け物が談笑している。

 化け物の容姿は、一見するとただの人間とさほど変わらない。しかし、遠坂凛は知っている。それはただ、人の姿に似ているだけであると。

 一人目の化け物は、生物学的な分類でいえば人間で間違いない。しかし、精神が人間からは大きくかけ離れた怪物であった。

 その化け物は、少しの好奇心で人を殺せる。まるで子供がちょっとした好奇心から昆虫の足をちぎったり潰したりできるように、平然と人間を壊すことができる。少女には理解できない恐ろしさを備えている。

 二人目の化け物も、特徴的で不気味な形相をしているものの、個性の範囲内ではある。しかし、こちらはまさしく怪物であった。

 魔術師の卵である遠坂凛だからわかる。この男は、この世のものではない。およそ魔術師が用いることができる使い魔の中では最高峰の兵士――サーヴァント。聖杯戦争を作り出した御三家に生まれた少女は、未だに半人前以下でありながらもサーヴァントの脅威を正しく認識していた。

 

――敵うはずがない。

 

 凛は絶望した。

 こちらは身体の自由が利かない上に、相手は体力では敵わない成人男性と、魔術師が使役する戦力の最高峰。純然たる戦力差がある敵と、その敵に命を狙われているという疑いようのない事実。

 自分はただ死を待つことしかできない。いつ、どうやって殺されるのかは、目の前の化け物たちの匙加減一つ。

 生まれて初めて味わった真の絶望が、幼い凛の心を軋ませる。

 

――――誰か、助けて。

 

 余裕を持って優雅たれ。常に家訓の通りにあろうとした少女は、生まれて初めてそう願った。

 誰かが助けにくるなんて、まずありえないことは分かっていた。

 仮に助けが来たとして、サーヴァントに太刀打ちできるはずがないことは理解していた。

 自分がもう、死ぬしかないと心のどこかで確信していた。けれどもそれを認めたくなかった。

 化け物たちの眼がこちらに向く。

 コトネと自分、どちらから殺そうかと相談していたサーヴァントがコトネの方へと歩き出した。

 止めなければ、自分がコトネを守らなければ。そう思った。思っているのに、身体は動かない。コトネはきっと、助けてと叫んでいるのだろう。

 自分の無力さが、遠坂の娘でありながら何もできない自分が醜く、憎いと思った。

 そして、サーヴァントの手が、必死に身体をよじらせて逃げようとするコトネへと差し伸べられたその時だった。

 リビングの窓ガラスがはじけ、そこから蛇のごとく撓る炎がサーヴァントめがけて飛びかかった。サーヴァントは、ローブを掲げてそれを防ぎ、後退する。

 

「そこまでだ」

 

 その声を忘れるはずがない。

 遠坂凛にとってその声の持ち主は、魔術師としての憧れであり、娘としての誇りである。

 その身を包む英国随一のテーラーのオーダースーツには皺ひとつなく、ワックスで整えられた頭髪に一切の乱れなし。その歩調は、自然体でありながらもテンポよく澄んだ靴音が響き、気品を漂わせる。

 窓から差し込む光に照らされたその男は、まさに家訓を体現する完璧な魔術師であった。

 

「この地の管理者(セカンドオーナー)として、私が誅を下す。私は君たちを、断じて許さない」

 

 遠坂時臣は、自らの領地を荒らさんとする害虫に対し、処刑を宣告した。




ただ――
時に彼らの「うっかり」は、誰かの命を救うこともある。








本日の投稿をもって連続投稿は終了です。
またストックができたら連続投稿を再開する予定ですが、いつごろになるか……
できれば、秋の間には一度投稿しておきたいですね。
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