うん、我ながら時間かかりすぎですね。
少女、遠坂凛にとって、父親は憧れだった。
理想の父親だった。
目指すべき指標だった。
そして、誰よりも遠坂の魔術師だった。
『常に余裕をもって優雅たれ』
その言動も態度も遠坂家の家訓そのものを体現し、全く欠けたところのない完璧な人物。
それが、遠坂凛という少女にとっての遠坂時臣だった。
父が、サーヴァントという人智の及ばぬ怪物に襲われて絶体絶命の窮地に立たされた凛を助けるべく颯爽と助けに現れた時は、涙がこらえきれなくなるほどにうれしくて、誇らしくて、かっこよかった。
しかし、今凛の目の前にいる父は、これまでの彼女が知る父の姿ではなかった。
普段から皺ひとつないオーダーメイドのスーツは赤黒く染まり、スラリとした脚のラインを覆うズボンからは真っ赤な血が滴っている。
毎日朝食前には必ず整え終わっている髪も滲む汗と激しい動きで乱れ、全力疾走した後のように呼吸も荒い。
眉間に険しい皺を寄せ、痛みに耐えるかのように歯を食いしばって苦悶の表情を浮かべる父の顔は、これまで見たことがなかった。
如何なる試練が立ち塞がろうと、強大な敵と相対しようとも、きっと父はいつもの佇まいを崩すことなくこれを破り、悠々と凱旋するものだと信じていた。聖杯戦争に参加することを知った時も、きっと父ならば苦戦することもなく聖杯を手に入れるだろうと、微塵も疑わなかった。
それは、何も知らない子供が抱いていた幻想にすぎないことを、凛は知った。
完璧な存在だと思っていた父が、防戦一方の状況に追い込まれている。傷一つなく勝利するものと信じていた父が、重傷を負っている。
では、その砕けた幻想は、何を凛にもたらしたのか。
憧憬は幻滅へと変わったのか、はたまた信頼は失われたのか。
答えは否。
その姿に余裕などはない。優雅という言葉が瑕疵一つない雅やかな立ち振る舞いのことを指すのであれば、優雅とは程遠いが、異形の怪物の群れから自分と友人を守るために負傷を怪我をおして戦い続けるその背中は頼もしく、一歩も引いてはならぬという気迫を感じずにはいられない。
家訓の示す遠坂の魔術師の姿ではなくとも、いま、自分たちを守って戦う遠坂時臣という魔術師の堂々たる姿に心が震える。
――対して、遠坂凛はどうか。
自分たちを守るために我が身を盾とする父の背中に隠れ続けていればいいのか。
初めて知ったサーヴァントという規格外の怪物を前に、ただしり込みしているだけでいいのか。
目の前で両親を惨殺され、関わるべきでなかった闇の世界に寄る辺もなく突如放り込まれて恐怖に震える友人を前に、同じように震えていればいいのか。
父が駆けつける直前まで絶望に呑まれ、震え、竦み、ただ怯えることしかできなかった
助けを求めるコトネの視線にも応えようともせず、無責任にも他の何かに助けを求めようとしていた
何もできない自分自身が嫌になる感情を、凛は初めて覚えた。遠坂の娘でありながら、魔術の道を歩むと決めた身でありながら何もできない遠坂凛が醜く、憎いとさえ思った。
そして今、自分では助けられなかったコトネを、父が助けようとしている。大けがを負いながらも、自分たちを助けようと怪物と戦い続けている。
それに対して、遠坂凛は父の背中に隠れているだけでいいのか。遠坂時臣という立派な魔術師の薫陶を受けた身でありながら、魔術の世界を知らないコトネと同じようにただ震えているだけでいいのか。
きっと、父は凛を咎めないだろう。父ほどの魔術師ですら苦戦は免れないサーヴァントという規格外の存在に対して、凛が太刀打ちできないのは至極当然のことだ。凛にはまだ早いと、仕方がないことだと考えるはずだ。
今の自分ではどうすることもできない相手だ。何もできずに震えていても、仕方がないことだ。
ここで恐怖に負けて、何もせずにいてはいけない。上手く言葉にできないが、ここで退けば何か大切なものを失うという確信が凛にはあった。
遠坂凛は覚悟を決めた。
助けを乞う友達を前に何もできないさっきまでの自分のままではいられない。遠坂の家を継ぐものとして、そして、何よりも両親の前で胸を張れる自分であるために。
この時の凛の行動は、理性的とは到底言い難いものであった。
魔術師がサーヴァントに太刀打ちできないのが常識で、ましてや魔術の修行を始めて僅か数年の、見習い魔術師以下の少女に何ができようか。
時臣とて、将来はともかく現在の凛に魔術師としての期待はしていない。魔術師として助けを求めるのであれば、弟子であり父の盟友の息子である綺礼に求めるだろう。凛に何かを求めるという選択肢は、重傷を負っている時臣の脳裏にも全くなかった。
早い話が、時臣は窮地に陥ってもなお、凛に打開の術を見出してはいなかった。
幼い少女が全身を縛り付ける恐怖に抗い、生まれたての小鹿のような震える脚で立ち上がる。父に向けられたものでしかない殺意の残滓に反応し、全身の毛が逆立つ。濃厚な死の臭いが圧力と化して心を押しつぶし、脳を締め付ける。
震えは止まらない。心に叩きつけられた寒さによって全身から熱が奪われているように感じながらも、凛は戦うことを選んだ。ただ庇護をうけるだけの非力な少女ではなく、遠坂の魔術師であることを選んだのだ。
無論、ただ策もなく我武者羅に敵に挑もうとしたわけではない。サーヴァントが自身の拙い魔術で対抗できる相手ではないことを凛は身をもって体感している。それならば、サーヴァントに対抗できる存在――サーヴァントをこちらも召喚すればいい。
そして、凛にはサーヴァントを召喚する術があった。
凛は遠坂家の魔術師だ。未だ未熟者ではあるが、魔術回路は質、量ともに次期遠坂家の当主として相応しいだけのものを備えている。魔力供給に窮するようなことはまずなく、マスターとしての素質は十分にあると言えた。
サーヴァントを召喚する際に必要となる詠唱は、父から与えられた魔導書に記されていたし、つい先ほど目の前で聞いたばかりだから知っている。
足元には、先ほど自身が召喚したサーヴァントに殺された殺人鬼が残したコトネの両親の血で描かれた召喚陣。既に
問題は、凛にはマスターの証たる令呪がないという一点だけ。
令呪は、聖杯がマスターとして選別した魔術師に令呪を与え、サーヴァントを召喚して聖杯戦争に参加する権利を与える。現在、凛の手にはその令呪はないということは、彼女は聖杯からマスターとして選ばれていないということに他ならない。
サーヴァントは、最高峰の使い魔であり、およそ人間の用いる兵器としては最強のものである。しかし、英霊をサーヴァントとして召喚することは大魔術の域に匹敵する難行だ。一人の魔術師が好き勝手にできるものではない。
冬木の聖杯戦争においては、サーヴァントの召喚自体は大聖杯が行う。聖杯に選ばれたマスターは、召喚されたサーヴァントを現世に繋ぎとめる。サーヴァントは本来、この世には存在しないはずの不確かな存在であるため、マスターの役割は、サーヴァントの世界に対する座標を固定し、現界を維持するだけの魔力を供給し続けることにすぎない。
つまりは、聖杯のバックアップのあるマスター以外の魔術師が、サーヴァントを召喚することなど不可能に等しいということだ。
凛も、当然そのことは理解している。それでも、凛は一縷の可能性に賭けた。
凛の知る限りで、マスターは父と、その弟子の綺礼。そして、先ほど自身が召喚したサーヴァントに殺された殺人鬼の三人。最大で残り四人、マスターの枠が余っていることになる。まだ一人でもマスターの枠が残っていれば、凛が新たにマスターとして選ばれる可能性はまだあった。
「あんなやつにもできたんだ……」
そして、何よりもあのような魔術師の風上にもおけない殺人鬼だってマスターに選ばれたのだ。ならば凛がマスターとして不足であるはずがない。遠坂凛は、あの遠坂時臣の娘なのだから。
「私だって!!」
負傷の身を押して戦い続ける父の背中と、父を惨殺せんと迫る狂気の牙をまっすぐに見据えながら、遠坂凛は戦いへと身を投じる。
「――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ」
凛が始めた詠唱。それはキャスターの攻勢に耐え忍ぶ時臣の耳にも届いていた。聖杯戦争の参加者たる時臣が、その詠唱の意味するところを知らないはずがない。
しかし、マスターではない凛がサーヴァントを召喚することは不可能。そんなことよりも、目先のキャスターに集中しなければ――そう考えたところで、時臣は気が付いた。
今朝の時点において、璃正神父や魔術協会に潜り込ませていた協力者の報告では既にマスターの枠は自分も含めて六人の枠が埋まっているとのことだった。まだ召喚された英霊は、弟子であり協力者である綺礼が召喚したアサシンのみである。
そして、つい先ほど聖杯は七人目のマスターとして魔術回路を持ち合わせただけの一般人を選んだ。
その最後のマスターは、偶然にもサーヴァントの召喚に成功したものの、召喚されたサーヴァントによって殺害された。聖杯は、脱落したマスターから残った令呪を回収する。そして、マスターを失ったはぐれサーヴァントが出た場合には、回収した令呪を配布することでまた新たなマスターを仕立てることがある。
また、最後のマスターとして一般人を選んだことからも、聖杯はこの期に及んで多少強引ながらも七人目のマスターを選抜し、聖杯戦争の開戦を望んでいることが伺える。目の前のキャスターはマスターを失ったはぐれサーヴァントだ。新たな人物に回収した令呪を与え、新たなマスターに仕立てることは十分に考えられた。
そこに、凛だ。
魔術師としてはまだまだ未熟であるが、魔術回路のみを考慮してもマスターとしての素質は先の一般人のそれとは比べ物にならない。
聖杯はより真摯に聖杯をそれを必要とするものに対して優先して令呪を配布する。そのため、聖杯獲得を一族の悲願とする遠坂、間桐、アインツベルンは優先して令呪を得ることができる。 凛は遠坂家の娘だ。幼くとも、聖杯戦争の意義は理解しているものだと時臣は考えている。
そう――――聖杯が凛を新たなマスターとして選抜する下地は、十分に整っていた。
聖杯戦争の歴史の中でも御三家のうちの一つの家から二人のマスターを輩出することなど、前代未聞。前回の第三次聖杯戦争においては、エーデルフェルトの双子が共にマスターとして参戦したが、あくまで二人で一組のマスターとして彼女たちは選ばれただけであり、聖杯は彼女たちに三角の令呪しか与えなかった。
まさか、遠坂家から、二人目のマスターが出るということがあり得るのだろうか?しかし、御三家にマスターの枠が一つずつしか割り当てられないというルールも聖杯戦争には存在しない。
凛は、今まさにサーヴァントの召喚に挑んでいる。時臣の知る限りの情報に照らし合わせるに、聖杯は凛を選ぶ可能性は非常に高い。遠坂家は三体目のサーヴァントを得ることができるだろう。それは、勝利の天秤を遠坂家へと大きく偏らせるかもしれない。
ところが、凛は触媒を用意していない。召喚に成功したとしても、喚び寄せることができるサーヴァントは凛の本質に近いサーヴァントとなる。時臣の召喚する予定のサーヴァントとの相性や、召喚されたクラスが埋まることも踏まえると、戦力が単純に増えると喜ぶことはできない。
召喚をこのまま続けさせるか、否か。
時臣は、正面を向いたまま僅かに首を傾けて、その視野の端に凛の姿を収めた。
凛は、友人を庇うように立ち、前を――キャスターとその尖兵たる怪物たちを向いていた。その澄んだ瞳に映るものは、怯懦でも不安でもなく、戦うべき相手の姿のみ。
――ああ、そうか。
サーヴァントの召喚こそがこの状況を打開する最善策か、サーヴァントを召喚した後の戦略はどうするか。そんなことは凛を止める理由にはならない。
時臣はこの時、確信を得た。
我が娘は、必ずや最優のサーヴァントを召喚する。
何も、声をかける必要はない。彼女には、ただ誇るべき父の姿を――、遠坂家の魔術師のあるべき姿を示し、その成長の時を信じるだけで十分だ。
もう、時臣には迷いはない。凛が何をしようとしているか察して、一層攻勢を強めたキャスターの怪物たちを後少しの間だけ押しとどめる。
ただ、それだけでいい。
「降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
凛がサーヴァントの召喚を試みていることは、キャスターもすぐに理解した。
精神汚染を有していてもなお健在であったキャスターが百年戦争の中で培った戦術眼、それが年端もいかない少女を危険視している。
あの少女がもしもサーヴァント――それも、対城宝具や対軍宝具を持つサーヴァントの召喚に成功した場合、マスターのいない今の自分の力では、まともに対抗できる保証がない。召喚直後にマスターを失った今の自分は、魔力供給にも事欠く。早急に新たなマスターを見繕わなければ、消滅してしまう。
無論、これはあの少女がサーヴァントを首尾よく召喚できたらの話だ。所詮は子供。魔術師としての素養はあるようだが、それだけ。常識的に考えるなら、令呪ももっていない小娘が事前の準備もなしでサーヴァントの召喚に挑み、成功するわけがない。
しかし、キャスターは少女の瞳に己が正しいと思ったことをやり通す意思の火を見た。その堂々たる立ち姿に、どのような困難が立ち塞がろうと、決して折れない鋼の決意を見た。
同じものを、キャスターはかつて見たことがある。それは、例え悪徳を重ね、その身を堕落させてもなお忘れることのなかった記憶。
自分の選択が、正しい道を拓くと信じて戦い続けた女性がいた。
神の啓示に従った末に、凄惨な結末しかないことを知っていてもなお、迷わずに進み続けた女性がいた。
そして、あの女性と――キャスターが復活を求めんとする聖処女と同じものを持っている少女。あの少女なら、必ずやサーヴァントの召喚を成すという確信がキャスターにはあった。
生前もそうだった。可能、不可能という理屈ではない。ただ、成すべきと思ったことを彼女は成すのだ。
だが、あの少女はキャスターが求める聖処女ではない。その内に、近しいものを持っているというだけの別人だ。サーヴァントの召喚を試みるのであれば、それはキャスターの願いを阻もうとする敵に他ならない。
となれば、容赦は不要。キャスターが抱く大望のためには、生かしてはおけない。
なんとしても、サーヴァントを召喚する前に、あの少女を始末する。
キャスターはさらに配下の海魔を召喚するペースをあげ、物理的に圧殺するほどの量を以って時臣の防御を貫かんと試みた。
「
いまだ、血液の酸化により黒ずんだ召喚陣に召喚の兆しとなる光が灯ることはない。凛の手の白磁のような美しい肌には令呪どころか傷ひとつ存在しない。それでも、凛は詠唱を止めない。
「――――
凛はスイッチを入れる。遠坂凛という少女が、生きながらにして
取り込まれた外界の生命力は、魔術回路を介して魔力へと変換されていく。駆動した魔術回路は、まるで身体の中でやすりの身体を持った蛇がのたうち回っているような激しい痛みを少女の肉体に刻み込む。
この痛みは、魔術師であるならば生涯付き合っていかなければいけないものだと凛は知っている。それでも、その痛みは少女が外面を取り繕うことができる限度を超えていた。
気を抜けばのたうち回りながら悲鳴をあげてしまいそうな激痛。涙目になり、歯を食いしばり、顔を歪ませながらも凛は詠唱を続けた。
「――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ――」
その澄んだ声音で紡がれる詠唱には、願いが込められている。後ろで震える友人を守り、優雅に戦う父の助けとなり、邪悪を打ち砕かんとする願いだ。
それは決して祈りではない。
その願いは、誰かに叶えてもらおうとするものではなく、凛が自身の力で叶えんと欲するもの。
今、まさに凛は願いを叶えるために戦っていた。
相手がいる話ではない。何と戦っているのかと問われても、凛自身にもよくわかっていないだろう。
しかし、一つだけはっきりしていることがあった。
これが戦いである以上、凛には負けるという考えはない。ただ、全力で勝ちにいき、やるからには徹底的に勝つだけだ。
「――誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
そして、ついに聖杯は戦いを選んだ凛をマスターとして認めた。
凛の右手の甲に、熱せられた鉄を押し付けられたかのような激痛が奔り、そこに円形の紋様が浮かび上がる。
しかし、凛は己の手に現れたマスターの証どころか、その予兆たる痛みにも気づいていない。
生まれて初めての魔術回路の全力駆動。身も心も、己の全てを魔力の精製のために捧げ、ありったけの魔力を召喚陣へと注ぎ込む作業は、幼い少女にとっては身の丈に合わない行為だった。
瞼は閉じていないが、もはや凛の頭は視界の中のものをまともに認識してはいない。全身が痛覚だけを感じる器官となったかと錯覚するほどに、凛の脳は痛覚に押し潰されていた。
それでも、凛は詠唱を止めることはなかった。
召喚陣もさきほどの輝きを取り戻す。煌々と輝く召喚陣からは幼き少女の身体を揺さぶるほどの風が吹き荒れ、小さな稲光が断続的に閃いた。
「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!!」
ついに、少女の戦いが決着する。
眩い光と嵐を貫き、それは現れた。
光の幕を突き破ってきた赤い、人型のシルエット。
消耗と眩い光の残像によってまともに視覚が機能していない凛には、ただその赤い何かが召喚陣から飛び出してきたことしか認識できなかった。
「赤い……彗星?」
僅かな軌跡を残して過ぎ去ったその影を見て、咄嗟に凛が連想したのは彗星だった。
召喚陣から飛び出した赤い影は、正面を覆っていた怪物の群れへと突撃する。同時に、痛みを失った肌に灼熱の太陽を思わせる熱波が浴びせられる。
そして、乾いた銃声が一発。立て続けに、痛みすら感じるほどの熱風が二度。それを最後に、全ての音が消えた。
やがて瞳孔が縮み視界が徐々に色彩と明暗を取り戻す。
そこに、もうあの敵サーヴァントの姿も、蛸とヒトデが混じったような禍々しい怪異の姿もなかった。
サウナの中のような熱を残す室内には、先ほどまで存在していなかった一人の男がいた。
男は凛に歩み寄ると、その視線の高さに合わせるかのように片膝をつき、口を開いた。
「……危急の事態とはいえ、勝手に動いたことをまず、詫びよう」
今回の召喚は、イレギュラーがいくつも重なっていた。
マスターを失ったはぐれサーヴァントのために、拙速を尊び新たなマスターを用立てた聖杯。さらに、そのマスターは御三家から重ねて輩出されるという前代未聞の珍事。
また、龍之介がキャスターの召喚に使った召喚陣だが、魔術の基礎知識もない一般人が見様見真似で書いたものということもあり、小さなミスが散見された。召喚そのものが失敗するような大きなミスではないが、それでもその召喚陣は正常とは言い難いものであった。
加えて、聖杯そのものの変質。聖杯戦争の関係者の中では間桐の老翁しか把握していないことではあるが、前回の第三次聖杯戦争でアインツベルンが試みた裏技は聖杯戦争のシステムそのものに変調をきたしていた。英霊とは程遠い悪霊と言ってもいいキャスターを召喚したことがその証左である。
そして決め手となったのが、『
英雄王を召喚しうる触媒は時臣の手違いによって凛に誕生日プレゼントとして渡されてしまい、父を尊敬する凛はそのプレゼントを大切に禅譲の屋敷に保管していた。そして、こっそりプレゼントをすり替えて失態をなかったことにしようと企んでいた時臣は、この戦場に本来の凛への誕生日プレゼント――とある戦国武将の兜の緒の切れ端を持ち込んでいたのである。
イレギュラーとバグとうっかりが重なった結果として、その時不思議な事が起こった。
本来ならば、西洋の英霊しか召喚できないはずの聖杯が、この日ノ本縁の英霊を喚び寄せたのだ。
「その上で、問おう――」
赤備えの甲冑に身を包んだ、三十代前半くらいの武士。そして、その兜には金色に輝く六文銭と、武勇の象徴たる雄々しい大鹿の角。
凛は息を呑んだ。
この装束に、荒々しいまでの覇気。敵サーヴァントの異形の軍勢を一瞬で殲滅した武威。これを、見間違うはずがない。
かの人こそ、真田左衛門佐幸村。『日ノ本一の兵』と謳われた、戦国時代最強の大英雄。
「其方が、私のマスターか」
その日、幼い少女は運命に出会う――