幸村が語る最悪の想定に時臣の心は揺らいでいた。
時臣は科学の力は下賤なものだと断じる典型的な魔術師だ。しかし、だからといって全ての近代兵器は魔術の前には無力化されると考えるほどに盲目ではない。
空爆や砲撃に長時間耐えることはできないし、化学兵器を使われれば即死はしないまでも瀕死になる。もしも核兵器を使われれば一瞬で蒸発してしまうだろう。
これまで近代兵器と戦うということをまともに考えてこなかった時臣は、幸村の想定をもとにここで初めて冷静に考察する。
そして、理解した。
忸怩たるものがあるが、彼の持つ全ての魔導の力を結集しても、近代兵器による襲撃に耐えられない可能性があることを時臣は認めざるを得なかった。
「アーチャー。貴方の危惧については、確かに理解できる。しかし、そこまでのことをすれば、監督役も黙ってはいまい」
「監督役が罰則や新たな規則で縛ろうとするのであれば、先んじて監督役を始末するという方法があるぞ。現場に犯人を示す証拠さえ残さなければ、表立って罰則が与えられることもなかろう。新たな監督役を立てるまでの間、教会とやらも混乱するであろうから、その混乱に乗ずれば上手く状況を動かせるだろう」
「そんな、まさか、聖杯戦争の監督役を一時の戦局のためだけに殺害するなどということが――」
幸村は時臣の戸惑いをばっさりと切り捨てる。
「それよ。そのありえないという考え方が、思考を縛り、選択を誤らせる。衛宮切嗣だけではない。他のマスターの召喚するサーヴァントとて、どのような思想を抱えているか分からぬ。古今東西あらゆる時代、地域に名を遺した英雄というのはな、常識では計り知れないことを成し遂げたから英雄になっておるのだ」
時臣は何も言い返せない。そう、常識を覆し、不可能を可能にしてきたからこその英雄だ。彼らを魔術師の常識で量ることがそもそも、誤っていたのだ。
衛宮切嗣という男が手段を選ばない浅ましい賞金稼ぎだとしか思っていなかった。
勝利のためには監督役すらこの手にかけるなどという発想がまず彼の頭の片隅にもなかったし、勝利の妨げになるのなら聖杯戦争のルールすら歯牙にもかけないマスターがいるなどという考えが到底納得できない。
しかし、固定観念に縛られた時臣でも一つだけ確信していることがあった。
衛宮切嗣という男が幸村が例に挙げた外道な手段を取らないという根拠が、かの男にも最低限の良識があるだろうという希望的な観測しかないのだ。そして、時臣は衛宮切嗣という男の経歴と悪評からは、到底良識などというものを期待できなかった。
「時臣殿、これを魔術師同士の殺し合いだとは思わぬ方がよい。科学の力を使う敵もいれば、魔術師の道理など意に介さぬサーヴァントもおるであろう。全ての陣営のマスターが典型的な魔術師で、サーヴァントを完全に律した上で正々堂々と戦いに臨むなどという幻想は捨てることだ。策を練る時、楽観論と精神論は捨てよ。確定した事実、情報に基づいて行動することができずして勝利することなどできるはずがない」
幸村は、衛宮切嗣という男のことを知識として知っている。だからこそ、勝利のためであれば如何なる手段をも選ばない男だと理解している。自身の参戦とジル・ド・レェの脱落で既に原作から大きく外れてしまっている以上、衛宮切嗣が原作通りに動いてくれるとは限らない。
第五次聖杯戦争時の遠坂凛というキャラクターにそれなりの好意と敬意を抱いている幸村は、ここで危機意識を共有し、この男の動向に最大限の注意を向けられるようにして凛の生存確率を上げられるようにしておきたかった。
幸いにも、衛宮切嗣の手口については資料にまとめられていたため、その資料をもとに多少誇張して語ったところでさほど怪しまれることはなかった。幸村の魂胆は悟られることなく、あくまで酸いも甘いも体験しつくした戦国武将の歴戦の経験からくる警戒心に衛宮切嗣という存在が引っかかっただけだと思われていたのである。
「……そもそも、キャスターとの戦闘を顧みるがいい。あのような外道が、まともな聖杯戦争をやるように見えたか?」
時臣は言い返すことができなかった。
これまでの時臣は、魔導の道を歩むと決めてから重ねてきた鍛錬と、諜報面では最良の能力を有するアサシンというアドバンテージ、そして最強のサーヴァントがあれば、勝利は確定したようなものだと考えていた。最強のサーヴァントの召喚という目論見こそ外れたものの、この第四次聖杯戦争に向けて万全の準備をしてきた己が負けるはずがないと信じて疑わなかった。
しかし、それはあくまで自身の価値観に基づく観測――ある種の楽観論に過ぎなかったことをここで時臣は自覚した。確かに、時臣は自身の研鑽と成果には絶対の自信を持っているが、相手が時臣の有利な土俵以外で戦いを挑んでくれば苦戦は免れない。そうならないためのアサシンによる諜報なのだが、それでも、万が一ということは考える必要があるのだと時臣は幸村に教えられた。
まともな魔術師がまともな英霊の手綱を握り、聖杯戦争のセオリーに従って戦うという図式こそが――時臣が大前提としていた事実がそもそも不確定だということを、時臣はここで初めて受け入れたのである。
そして、同時に今まで以上に衛宮切嗣という男に憤りを感じていた。魔術を扱うものには、それ相応の品格が求められるというのが時臣の持論だからだ。
「もしも、某の危惧を検討した上でマスターが聖杯戦争の序盤は静観に徹し、情報が集まるまではこの屋敷に籠城するというのなら某は止めぬ。しかし、その時は例え何が起こっても情報が集まるまで決して動かないという決意が必要になると知るべきよ。そう、例えば衛宮切嗣がマスターの御母堂を人質に取ったとしても、あるいは他のマスターが神秘の隠匿を無視して白昼堂々とこの冬木の地で暴れまわったとしても決して動かぬ。城に籠ると決めたならば、勝機が見えた時以外には如何なる誘いがあろうとも絶対に外に出ないという覚悟が必要と心得ねば」
「
「いかにも。孫子が言うように、動かぬと決めるのであれば、敵から如何なる揺さぶりがあろうとも決して動いてはならぬ。信玄公の戦の哲学の一つと父上も言っておった」
静観を選択するのであれば、軽々しく引き摺りだされてはならないのだと言いたいのだろう。幸村の主張に理があることを、時臣は認めていた。
「……衛宮切嗣については、こちらから積極的に仕掛けなければならない、か。最優先で討つべきはこの男だな」
「いいのかね、時臣君。事前の基本方針から大きく外れることになるかもしれないが」
「やむをえません、言峰さん。この男を野放しにしておけば、我々に……いや、この冬木の地にどのような災厄がもたらされるか分かったものではありません。この地のセカンドオーナーとしても、静観することはできないのです」
時臣は基本方針の一部を変更する必要があると判断した。
衛宮切嗣は、魔術の極みの一つと言える聖杯戦争を汚す戦いをするだろう。聖杯戦争を侮辱するこの男には、それ相応の罰を与えなければならない。そして、魔術師の面汚しを排除したところで正しく聖杯戦争を行うことが最良であると考えた。何より、あの男が聖杯戦争を汚す様を傍観していることは、遠坂家の矜持が許さない。
「しかし、我らは諜報面では圧倒的有利な立場に立っている。衛宮切嗣という男のやり口については別として、他のマスターに関しては無理に攻めかかる必要はないのでは?」
なおも、定石を捨てることに抵抗を捨てきれない璃正の言葉に自身の意図が正しく伝わっていなかったことを察した幸村は苦笑する。
大坂冬の陣でも籠城は最後の手段として積極的に出撃する方針を取っていたり、時には真田丸から夜襲に打って出ることで徳川方に大損害を与えた逸話が後世に伝わっていたためか、幸村という武将は防御よりも攻勢の姿勢を取る猛将に思われがちなところがあった。
「璃正殿、誤解しないでいただきたいのだが、私は何も敵の首級を求めて序盤から積極的に攻めよと言ってはおらぬよ。いくら衛宮切嗣を早急に排除すべきだからといって、何の準備もなく正面から攻めて倒せる相手ではないだろう」
「……と、言いますと?」
「今回は他の五騎全てが敵。相手に情報を吹き込むなり、一時的な協定を結ぶなり、実際に戦わずして戦況を動かす方法はいくらでもある。誰もが本格的に動いておらず、様子見に徹している今だからこそ、我らの動向は大いに彼奴等を揺さぶることができよう」
時臣は納得した表情を見せた。なるほど、バトルロイヤルといえど、時臣が綺礼と組んでいるように必ずしも全てのサーヴァントを敵とする必要はない。相手に同盟を組ませない、あるいは不戦協定を結ぶということは戦況を大きく動かす要因となる。
「何も、実際に協定を結ぶことに成功しなくともよい。敵と接触したという事実だけでも十分な効果がある」
幸村の言葉に、凛が首を傾げた。
「どうして?話し合いが上手くいかなかったら失敗じゃないのですか?」
「日中、堂々と会いに行く様子を見せることに意味があるのです」
そう言うと、幸村は綺礼に視線を移した。
「綺礼殿、お主の配下の暗殺者に伺いたいことがあるのだが、よろしいか」
綺礼が誰もいないはずの地下室の一角に視線を向けて小さく頷いた。
すると、そこに髑髏を模した仮面をつけた痩身の女性が姿を現した。教会で防諜を担っているアサシンの内の一体が霊体化を解いて実体化したのである。突如姿を現した異形に凛は驚き、傍らにいた幸村の影に身を隠しながらおそるおそる顔を向けた。
「……アサシン殿、と呼べばよろしいかな?」
「好きに呼んでいただければ結構。今の我らは個にして群。固有名詞は持たない」
「分かった。それでは本題であるが、現在遠坂の屋敷は監視の目がつけられておるな」
「はい」
我が家が監視されていることを知った凛は驚きの表情を浮かべるが、幸村はそれに構うことなく質問を続けた。
「監視の目は、昼夜構わず常に張り付いている」
「はい」
「監視している勢力はいくつある?」
「四つの異なる使い魔の気配を確認しております」
「そうか、ありがとう」
幸村はアサシンに感謝の言葉をかけ、凛に視線を戻した。
「遠坂の屋敷は常に見張られている。つまり、戦闘が禁じられている日中でも、当主がどこかへ出かければ当然監視している敵方にも筒抜けとなるわけです。聖杯戦争中に当主が本拠地を離れるとなれば、敵はその動向を注視せざるをえない。今のように、どのマスターも動きを見せていないとなれば、なおさら最初に誰が動くのかということに敏感になるでしょう。さて、マスター。そんな時に敵のマスターが別の敵の本拠地に白昼堂々足を運んだ。そして、無傷でその本拠地を後にした。それを知った時、貴方はどのように考えますかな?」
凛はしばし腕を組んでいたが、突如閃いたかのように大きな声を出した。
「……!!そっか、話の内容は分からないけど、戦ってないってことは同盟を組んだかもしれないって考えるんだ!!」
「正解です。会談したという事実だけでも、同盟を組んだと錯覚させることで敵に圧力を加えることができます。実際に同盟を結んでもよし。同盟を結べなくとも、こちらが同盟を組んだと錯覚した敵が他の陣営と自発的に同盟を組むということもあるでしょう。そうすれば、会談の相手も敵の同盟に対抗するため改めてこちらと同盟を組むことを考えるかもしれません。あるいは、会談した相手に偽りの情報を吹き込むことで、行動を操ったりすることも考えられるでしょう。いずれにせよ、戦いというのは実際に干戈を交えるだけではありません。戦場の外でのやりとりも含めて、戦なのでござる」
弱肉強食の戦国時代を強かに生き抜いた真田の軍略。その一端を見た璃正は唸った。
大坂の陣での八面六臂の大活躍から戦場で本領を発揮する猛将としての印象を持っていたが、幸村は謀略、調略の名手たる真田昌幸の子だ。祖父幸隆から代々受け継がれてきたその知略もまた、天下一品のものだと実感していた。
「情報が集まるまで座して待つのではなく、こちらからも戦いによらずして揺さぶりをかけていく……間諜の英霊たるアサシンがそれを補佐するのなら、その効果はさらに大きく期待できるか」
「試してみる価値はあるとは思えませぬか?」
時臣は顎に手をあて、しばし考える。
「戦わずとも、話をするだけで情報を得られる可能性もあるか。場合によっては同盟を結び、衛宮切嗣に対抗するという方法もある。しかし、どの勢力と接触するのかね?御三家たるアインツベルンと間桐の拠点は言わずもがな、ロード・エルメロイもホテルに滞在していることが分かっている。全く情報のない外来のマスターとあの衛宮切嗣を擁するアインツベルンを除けば、実質的な交渉相手は間桐とロード・エルメロイの二択となるが」
昼間とはいえ、衛宮切嗣を擁するアインツベルンと接触することは避けたい。あの男ならば白昼堂々爆発物を投げ込んできたりしてきてもおかしくないと時臣は考えていた。
しかし、それ以外の勢力となると、未だ正体が分からない外来のマスターの一人を除けば、実質こちらから接触ができる相手は冬木ハイアットホテルに陣取ったケイネス・エルメロイ・アーチボルトと、同じ御三家の一角である間桐の二択となる。
「先ほど綺礼殿から伺った情報を鑑みるに、誘いをかけるべき相手がどちらかははっきりしておる。まずはそやつから声をかけてみるのはどうかな?」
企みを口にする幸村の眼は、地下室のランプの温かな明かりに照らされ、妖しい光を灯していた。