運命なき浮世に候へば、日ノ本一の兵に   作:後藤陸将

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「御客人にはケイネス・エルメロイの殺虫工房をとっくり堪能してもらおうではないか。フロアひとつ借り切っての完璧な工房だ。結界(虫よけバリアスプレー)二十四箇所、ホウ酸ダンゴ十箇所、猟犬がわりのワーキングキャット三匹、無数のトラップ(ゴキブリ捕獲機)に、廊下の一部は予防スプレーが噴霧させている空間もある。
 ふはははは、お互い存分に生存を巡る競い合いができようというものだ。
 私が情けないという指摘、すぐにでも撤回してもらうよ」





……ゴキブリが出て、対策してたらこんな工房がほしくなりました。
やはり、1階は湿気多くて虫が入りやすいですね。


第14話 ロード・エルメロイ。好きなんだよなぁ、響きが

 冬木ハイアットホテルは、数年後に完成する新都センタービルにこそ及ばないものの、現時点では冬木市で最も高い建造物である。

 そのホテルの目玉の一つが、地上およそ一五〇メートルの高さから冬木市を一望できる展望レストランだ。冬木市近郊で取れた食材をふんだんに取り入れたフレンチの数々を、シェフの技光るライブキッチンで楽しめるということでも話題となっている。

 しかし、その展望レストランで最も眺めがいいテーブルに座るケイネス・エルメロイ・アーチボルトにとっては眼下の景色も運ばれてくる料理も大した価値のあるものではなかった。

 展望レストランから見れる景色ぐらいは自身が借り切ったスイートルームからでも見ることができるし、無機質なビルが雑多に並ぶだけの新都の街並みは彼の美意識に反する無価値な景色でしかない。

 シェフの技とやらも、大衆受けする見世物(ショー)ぐらいの価値しかなく、味についても彼が倫敦の屋敷で雇っているフランス人シェフのそれと比べて格段に落ちる。普段は自身のスイートルームにこのレストランの食事を届けさせているのだが、彼はこれを戦場食だと思って我慢していた。

 食事にも眺望にも価値を見出していないケイネスが、この日の昼食に限り何故この展望レストランを訪れたのか。それは、彼の正面に座る一人の魔術師――遠坂時臣から会談の申し出があったからだ。

「会談に応じていただき、感謝する。ロード・エルメロイ」

 既に、このテーブルにはケイネスの手によって結界が施されていた。これにより、周囲の人間はケイネスたちの行動や言動を当たり障りのないものとしか認識できないようになっている。

「……この場所を指名したのは、私への配慮だと理解している。しかし、もしも()に会食の機会があるのであれば、この街を管理する貴方が知りうる限りで最高の飲食店を案内していただきたいものだ」

 言外に、こんな不味い飯で会食するのは一度で十分だと含ませるケイネス。その意味を正しく理解した時臣は苦笑した。

「では、()があれば和食の名店を案内しよう。この町の海の幸を扱っていて、私も家族とよく食事にいくいい店だ」

 時臣とて、美食、美術の何たるかを理解している文化人でもある。この展望レストランの食事が文化人からしてみれば児戯に等しいことは理解していたが、この街の管理者である時臣が指定した店で会談を行うとなると、そこに罠があると警戒される可能性が高かった。

 そのため、会談を申し込むにあたり不用意な警戒心を抱かせないために敢えてケイネスの本拠地に最も近いこの場所を指定したのである。

「それで、態々昼間にサーヴァントを引き連れて遠坂家の当主が一体どのような話を持ってきたのだね」

 ケイネスは、時臣の隣の席に座る幸村に視線を向けた。紺のスーツを身にまとったその姿は、纏っている凛とした覇気や端正な顔立ちとも相まって幸村という男の持つ男としての魅力をさらに引き出している。

 因みに、スーツ姿の幸村を見て思わず言葉を失った凛の姿を見た時臣が、聖杯戦争の後もこの英霊を現界させ続けてはならないと決意を固めたことを幸村は知らない。

「まさか、宝石や美術品をひけらかす成金のように、サーヴァントを自慢に訪れたわけではあるまい?」

 幸村はケイネスの視線を意に介すことなく、能面のような表情を貫いている。そして、幸村の視線はこの席にかけた時から常に彼の目の前にいる端正な顔立ちをした男――ケイネスの召喚したサーヴァント、ランサーに向けられていた。

 時計塔における触媒の手配ルートはほぼ時臣が手を入れているため、ランサーの真名がディルムッド・オディナであることは既に時臣も知っていた。勿論、時臣はそのようなことを口に出す男ではないし、表情にも一切出していない。

 敵サーヴァントの真名を知るが故に心中にも余裕のある時臣に対し、ケイネスの胸中は揺れていた。

 ディルムッド・オディナの召喚には成功したものの、当初召喚予定だったイスカンダルと比べればやはりステータスでは及ばない。また、クラス補正の得られるセイバーでの召喚を狙っていたところが、ランサークラスでの召喚。

 加えて、聖杯に願うものはないなどと宣うとなれば、英霊ともあろうものがなんの対価もなく魔術師に使役されることを受け入れるはずがないと判断する一般的な魔術師の感性を持つケイネスがランサーに信をおけるはずがない。

 加えて、遠坂のサーヴァントは一見したところ、黒髪黒目の二十代後半ほどのモンゴロイド系のように見える。ヨーロッパで生まれ育ったケイネスにはその顔が中国系か日本系かも分からないが、とりあえず東洋所縁の英霊だろうと判断した。

 しかし、本来冬木の聖杯戦争では東洋の英霊は召喚できないはずだ。ケイネス自身、召喚システムを予め詳しく調べ、その上で変則的なマスターとしての契約を結べるほどに聖杯戦争の仕組みを解体したという自負がある。

 そのケイネスでも一体どのような手を使って東洋の英霊を召喚したのか見当がつかなかった。その危惧が、時臣のサーヴァントに対して恐れを抱かせる。

 ケイネスは自身の魔術師としての能力や才能が時臣の上にあることを露ほども疑っていない。魔術師としての決闘であれば、十分に勝てる相手だと認識していた。

 しかし、ことサーヴァントの戦いとなると、ケイネスには自信がなかった。想定よりも低いステータスで召喚されたディルムッドという信のおけない英雄が、果たしていかほどの戦力となるのか、正直なところあまりあてにしていなかった。

 ランサーは遠坂のサーヴァントに勝てるのか。ケイネスは勝てると断言できる自信がなかったのである。

 そのようなケイネスの内心も、時臣は大体察していた。その上で、時臣は普段のような余裕のある笑みを浮かべている。

 サーヴァントを伴い、令呪を有する魔術師が敵対するマスターの下を訪れた。この事実だけで時臣がマスターであると敵陣営に誤認させることができるのだ。この事実はおそらく他の陣営の使い魔にも見られているだろう。

 本来はマスターではない時臣をマスターだと誤認させることができれば、それは凛の安全にもつながり、またマスター同士の戦いにおいても魔力供給の負担のない時臣が有利にことを運ぶことができるという目論見もある。

 ――そもそも、御三家の一角たる遠坂家の当主がサーヴァントの枠を取られて不戦敗になり、代わりにまだ小学生の少女がマスターをやっているなどということは、普通の魔術師であれば考えられないだろうから、こんな偽装を知らしめること自体の効果は薄いのだが。

「何、彼は万が一のための警護をしているだけだ。昼の間は戦いを控えるのがこの聖杯戦争における不文律だが、前回の聖杯戦争ではそれを破った不届きものがいたと聞く。そのため、いざという時にすぐ反応できるよう、実体化して仕えさせている」

 ケイネスの下に時臣から会食の申し出があったのは、今朝のことだ。翡翠でできた鳥が携えていた手紙には、日時と場所の指定、そして会談の場には一人付き添いを連れてくるということが記されていた。ケイネスもこれが罠である可能性は低いと判断し、ひとまずは会食の申し出を受け入れた。

 しかし、ケイネスもつい先ほどまではサーヴァントを霊体化させて付き従えて来るものだと考えていたため、現世の服を用意させてまで実体化させて付き添わせるということは予想外だった。

 時臣の人となりや、時計塔における業績について予め調べていたケイネスは、時臣がこの場で恥知らずにもサーヴァントを暴れさせるような短慮な男ではないことは知っていた。しかし、会談の相手がサーヴァントの姿を堂々と晒して会談に現れるとなれば、ケイネスも対抗してサーヴァントを傍に侍らせる必要がある。

 幸いにもケイネスとランサーの身長は数センチしか変わらないため、ケイネスが持参していた予備の服を使うことができた。

 因みに、今日のランサーのコーディネートは、ケイネスの婚約者であるソラウの手によるものである。婚約者たるケイネスですらソラウに一度もコーディネートされたことがないのにも関わらず、熱心にランサーのコーディネートを考えるソラウの姿はケイネスにとっては非常に不愉快なものであった。

 さらに、ソラウの手により新宿歌舞伎町でも天下を取れるほどのイケメンホストと化したランサーがあまりに周囲から注目を浴びるため、ランサー自身にも認識阻害の魔術をかける手間をかけさせられたケイネスの胸中は察するに余りある。

 無論、そのような個人的な怒りをこのような会談の場で表に出すほどケイネスは狭量ではないのだが、つい先ほどまでのケイネスの態度とその胸中を察しているランサーは時臣との会談が始まるまでの間非常に居心地が悪かった。

 会談が始まり、幸村に対してまっすぐに警戒心を向けられるようになったことで若干気が楽になったぐらいだ。ただ、幸村もランサーから向けられる警戒の眼差しに反応して圧力をかけていたため、一流の武人同士の立ち合いに伴う緊張感がこのテーブル一帯を包み込むこととなった。

「今回の聖杯戦争にもそのような慮外者が紛れ込んでいると?」

 この会談が、刃を交えない戦いの一つであることを魑魅魍魎が闊歩する倫敦の時計塔で活躍してきたケイネスが察していないはずがない。既に、先ほどまでのランサーやソラウに向けていた感情は拭い去られ、今はただこの会談にのみ集中できていた。

 二人の英雄が発するプレッシャーは、現代の魔術師である二人にもかつてない緊張感をもたらしていた。その緊張感もまた、ケイネスの意識を切り替えさせるのに一役買ったのだろうか。

「逆に、今回の聖杯戦争においては、秘術を尽くして堂々と戦うに相応しい相手がどれだけいるかということだ」

 時臣の言わんとするところはケイネスも理解していた。事前の調査においてケイネスが警戒心を抱いた魔術師は、時臣と間桐臓硯だけであった。御三家の一角たるアインツベルンも確かに北の名門ではあるが、滅多に外界と接触しない一族でもあるため、ケイネスも彼らの実力を把握できていなかった。

「こちらはキャスターを討ち、そのマスターも私の手で討ち取った」

 時臣の台詞に、ケイネスは僅かに眉を吊り上げた。

「ほう……既に一つ勝利を得ていたとは。流石、聖杯戦争を作り上げた御三家の一角の当主ということはある」

「なに、他愛のない相手だった。勝つべくして勝っただけのこと」

 ただ、他のサーヴァントの情報を流しただけではないことをケイネスは即座に看破した。そして、これが時臣からの挑発だと理解した。既に、遠坂陣営はマスター同士の戦いで首級を挙げていることを告げ、己の武勲を誇っているのだ。

「それで、次はこの私だというのか」

 宣戦布告ということならば、堂々と受けてたつ。ケイネスは不遜とも思える尊大な態度で時臣と相対する。

「軽々と挙げられる首級だと思われているのであれば、このアーチボルト家九代目頭首、ケイネス・エルメロイも舐められたものだ」

「私とて、神童と謳われたロード・エルメロイの名を軽んずるつもりはない。逆に、貴方との闘いでは我が一族と私自身が積み重ねてきた研鑽の全てをぶつける必要があると考えている。だからこそ、今私は貴方との会談に臨んでいる」

「ふん……」

 遠坂には即座に宣戦を布告するつもりはない。ケイネスはそれを理解すると同時に、時臣の狙いの一つを看破した。

 

 ――なるほど、同盟を組もうというわけか。

 

 遠坂はこの地の管理者だ。この地に入った魔術師の動向について監視するだけの態勢を整えていることは想像に難くない。聖杯戦争の参加者についても外来のマスターであるケイネスよりも多くの情報を有しているはずだ。

 おそらくは、単独では対処しづらい相手がいることをつかみ、その対処にケイネスを巻き込もうとしているのだとケイネスは推察した。その理由が時臣のサーヴァントでは相性が悪い相手か、あるいは政治的な事情で戦闘を回避したいのかは分からないが。

 ここまで遠坂の事情を察したケイネスだが、そのことを口に出すことはない。ロードである自分から同盟の話を切り出すことは彼の矜持に反するからだ。戦果をまだあげていないケイネスが、既に戦果という実績を作った時臣に対して同盟を申し出るということは、その実績と能力を頼りにし、下手に出ることを意味する。

 ただ、ケイネスは同盟なぞなくとも自身の勝利は揺るがないと考えてはいるものの、時臣のような魔術師として一定の敬意を抱ける相手からの申し出であれば、受け入れることも吝かではない。戦局のはっきりしない緒戦において、有力な相手の一人である遠坂の動向について警戒をしなくてすむという点も、この地での情報収集能力に劣るケイネスにとっては悪い話ではない。

 それに、この地の管理者である遠坂との闘いとなれば、それなりに準備もしておきたいものだとケイネスは考えている。遠坂の秘術を解析し、その全てを圧倒的な才能と技量をもって組み伏せる戦いをしてみたいと心躍る自分がいることにケイネスは気づいていた。

「貴殿のことは、時計塔でも中々の評判だ。互いに万全の状態で秘術を尽くして戦う機会があるならば、是非お手合わせ願いたいと思っている」

「私も同感だ、ロード・エルメロイ。そして、我々の戦いは無粋な客人の立ち入る隙のない環境、後顧の憂いなく戦える舞台でなければならない」

 相変わらず、二人は目の前の食事には一切手をつけていない。時折、ガラスのコップに注がれた冷たい水を口に含ませるぐらいだ。目の前の料理から熱が奪われ、香ばしさが失われていくのとは反対に、彼らの会談はここからが食べごろとなる。

「我々が干戈を交える舞台は、聖杯戦争の勝者を決する最終決戦であるべきだ。他の参加者を駆逐し、横やりの入る余地がなく、ただ互いに相手との闘いにのみ全てを投じられる舞台こそが相応しい」

 そして、時臣が切りだした。

「サーヴァントが残り二騎になるまでの不可侵。それで如何か」

「ふむ」

 ケイネスの眉が僅かに動いた。

 歴史を紐解いていけばわかるように、同盟といってもその形は一つではない。兵力を直接融通する同盟もあれば、外交面での圧力を主目的とした半ばハッタリのような同盟だってある。

 ケイネスも時臣からあまりに関係性を深めるような同盟関係を提案してくるとは思っていなかったから、不可侵、不干渉ということは妥当な線であると考えていた。

「悪くない話だ。我々が組めば敵はいないだろうが、有象無象を間引くことなど私には造作もない。助け合いなどというお題目を掲げた戯れ合いとて私には不要だ」

「あくまで、サーヴァントの数が減るまで互いを相手としない。ただそれだけでいいと私は考えている」

「よろしい。それならば私にとっても異存はない」

 ケイネスは僅かに目尻を下げ、隣に控えるランサーに視線をやった。

 その視線の意味するところを察したランサーは、ここで初めて僅かに力を抜いた。

 それに伴い、幸村も肩の力を抜く。といっても。ランサーも幸村も露骨に警戒することを止めただけであり、周囲への警戒は全く緩めていないのであるが。

自己強制証明(セルフギアス・スクロール)などという野暮なものは必要ないだろう。ただ、我が名にかけて最後の二騎となるまでの不可侵協定を遵守することを誓おう」

 時臣の宣言に、ケイネスもまた薄く笑う。

「貴殿の宣誓に私も倣おう。アーチボルト家の当主として、そしてロード・エルメロイの名において遠坂時臣との不可侵協定を誓う」

 書面もない、署名捺印もない、口約束のようなものだ。

 しかし、ケイネスも、そして時臣も、互いに相手が宣誓をした以上はこの不可侵協定を破るはずがないと理解していた。

 これが時計塔内部の抗争ならば、ケイネスもこれほどすんなりと時臣からの申し出を受けなかっただろう。敵対する相手からの申し出など、まずはのらりくらりと受け流して相手からより多くの見返りを得られる算段をつけていたはずだ。

 しかし、よくも悪くもケイネスはこの戦いを時計塔の外の戦いだと割り切っていた。純粋に魔術の腕と磨き上げた神秘の技を競い合う殺し合いであり、権威と陰謀、権力を駆使して戦う舞台ではない。武勲を求める戦いと、時計塔の抗争とは別種のものであると考えていたのだ。

 敵の政治的な背景、思惑などといったものを一切考えず、ただサーヴァントの戦力とマスターの魔術師としての力量が勝敗を分けるという思考は確かに間違ってはいない。しかし、戦争が外交の一部であるように、そもそも戦闘というものが戦争における一つの手段であることをケイネスは深く意識していなかった。

 もしも、聖杯戦争が時計塔で行われていれば、あるいは遠坂が時計塔の三大派閥のいずれかと深い関わりのある一族であればケイネスも時計塔での抗争時と同様の意識を持ち、もっと深く時臣の申し出について考えていたのかもしれない。

 しかし、現実はそうではない。あっけないほどにケイネスは時臣からの提案を受け入れ、ここに時臣とケイネスの不可侵協定が結ばれた。

 このことがケイネスにとって吉と出るのか、凶と出るのか。それはまだ誰も分からない。




なんか今週の投稿は誤字脱字多すぎてすまない。

いつも直してくださるみなさま、ありがとうございます。

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