運命なき浮世に候へば、日ノ本一の兵に   作:後藤陸将

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やっぱり魔術のまの字も出てこない小説ですが、とりあえずこれ、原作Fateのつもりです。
第四次聖杯戦争までもうちっと待ってください。


第7話 死力を尽くして押し通りまする

 先ほどまで隣で槍を振るっていた若武者が喉に矢を受け、倒れていく。

 馬上から声を気炎を吐いていた老兵が胴に鋭い槍の穂先を叩きこまれ、呻き声をあげて蹲る。

 敵兵を刀で薙ぎ払いながら道を切り拓いていた荒武者が槍衾の中で凄惨な死を遂げる。

 

 その光景を視界の端でとらえながらも幸村は一切馬の腹を締め付ける脚の力を緩めなかった。

うおぉぁぁぁ!!

 幸村は喉が破れんばかりの絶叫で戦場を震わせながら、ただひたすらに敵を薙ぎ払い疾走する。

 その絶叫は一体何のためのものだったか。

 立ち塞がる敵を掃討せんという心意気か、運命(さだ)められた死地へと向かう恐怖を払わんとする気勢か、はたまた己のために命を投げ出していく麾下の兵への慚愧の念の発露か。

 大坂夏の陣――戦国の世の幕引きとなる大舞台に挑むことに対し、高揚する自身がいる。

 人理によって定められた死に場所に向かう恐怖もある。

 共に真田丸で戦いぬいた同志が、信州から連れ従えた部下が次々と命を落としていくことに対する悲しみがある。

 しかし、この時幸村の胸中を支配していた最も大きな感情は怒りに他ならなかった。

 

 この天王寺口の戦いの末路を誰よりも幸村は理解していた。

 幸村は力尽き、大坂城は落城し、豊臣が滅んで徳川の太平の世が始まる。これは既に覆しようのない事実であり、幸村もこれを覆すつもりはない。

 豊臣が勝ったところで戦乱の世が再度繰り返されるだけのこと。多くの日本の民が戦いに巻き込まれ、死んでいくのだ。しかし、徳川が勝てば徳川の天下の下で少なくとも二〇〇年の太平の世が約束される。彼が知る正しい歴史の流れをたどれば、まず剪定事象となることなく存続することだろう。

 幸村がやろうとしていることは、抑止力によって与えられた使命を果たすことと、あわよくばこの戦いの結末に一石を投じて少しだけ歴史を変えておこうという程度のもの。

 すべては世界のためであり、また幸村自身の僅かな自己顕示欲のためである。

 豊臣の世を守るつもりはなく、秀頼を生き延びさせるつもりもない。徳川を滅ぼさんとするつもりもなければ、この戦いで勝利するつもりもない。あくまで、幸村の目標は抑止力が定めた標的を討ち、幸村の知る歴史の流れに沿う結末を迎えることであった。

 幸村はその生涯を通じて、この状況を作り出すことに腐心してきた。これは豊臣の最後の抵抗にほかならず、もはやここからの巻き返しはありえないことを幸村は確信している。

 しかし、幸村に従う兵たちは誰も幸村の本心を知らない。

 彼らは皆、幸村が家康の首を刎ねて豊臣に勝利をもたらすために戦っている知勇兼備の猛将だと信じている。幸村の息子である大介も、幼いころから付き従う内記も、義理の弟である吉治も幸村の本当の目的を知らない。

 幸村は怒り心頭に発していた。怒りの対象は、真田幸村を名乗る畜生(自分自身)

 幸村ならば必ずや家康の首を討ち、勝利を導くと豊臣方の誰もが信じているだろう。

 彼を信じ、豊臣の勝利のために命を散らす将兵がいる。

 家康を討てば勝てると信じ、幸村がそこにたどりつくために死地へと飛び込む将兵がいる。

 木村重成と毛利勝永は彼が家康の首を獲ることを信じて、柳生但馬守宗矩との戦いに挑んでいる。

 そして、幸村は彼らの屍を踏み台にして、己の目標へと手を伸ばさんとしている。

 幸村は己に付き従う兵が、自身の背中に夢を見ていることを知っていた。不可能を可能とする英雄の背中に憧れ、その夢を共に果たさんと彼らは追いかけてくるのだ。

 そんな彼らの思いを理解していながら、彼らの思いを裏切る結末があると知っていながらも偽りの誇りと理念を抱かせて死地に送り込む。これを外道と言わずしてなんというか。

 そのくせして、幸村に成り代わったこの男は豊臣の勝利を全く信じておらず、彼らの挺身が無駄になることを理解していながらも申し訳なさを感じているのだ。

 犠牲となった彼らを己の野望を果たすための駒だと割り切り、その犠牲に心を痛めることもなく覇道を突き進む超越者にもなりきれない。

 信頼を寄せられていることを理解していながらも、失望され裏切られることが怖くて、己の本心を打ち明けてそのために死んでくれと命令することもできない。

 彼の知る真田信繁という男の偉業を汚さぬため。二度目の人生を縛り続けた抑止力へのささやかな抵抗のため。たったそれだけの理由で何万もの兵を騙して偽りの満足感を抱かせた上で死なせていく。

 中途半端に罪悪感だけ感じながらも純粋に己を信じる友を、部下を、仲間を死地へと送り込む己自身を心の底から幸村は軽蔑する。

 

 幸村は情けない己に対する行き場のない怒りの矛先を目の前の兵へと向け、穂先をその額に叩きこんだ。

 邪魔ものを排除する意図が半分、後の半分は八つ当たりだ。

 幸村はやり場のない怒りを振りまきながら家康の本陣を蹂躙する。

 気が付けば、幸村の眼前には金扇の大馬印。三方ヶ原の戦いの後、四〇年の間決して崩れなかった徳川家康の不敗の象徴がそこにあった。

 健気にも、家康の馬印を守らんと幸村の前に立ち塞がる若武者。これが初陣なのだろう、その手に握る刀の切っ先は震え、顔は恐怖に強張っている。

 己を鼓舞するがごとく叫びながら刀を振りかぶり突撃する若武者。しかし、その動きは幸村からしてみればあまりにも遅すぎた。

 その刀が振り下ろされる前に突き出された槍は若武者の兜を貫き、その頭蓋を破砕した。意識を失ったままその神速の突きに吹き飛ばされた若武者の身体は家康の馬印に激突し、重なるように倒れた。

 しかし、そこに探していた人物の姿はない。既に彼の標的は危険を察知し本陣から離脱していたのだろう。

 血の池に沈む若武者だったものと家康の馬印を一瞥した幸村は周囲を見渡す。

 気づけば、周囲にいる配下の兵は数十人ほどとなっていた。

 数万の兵が入り乱れて戦う大混戦の中ではぐれたものもいるだろうが、この徳川家康の本陣で果てたものも少なくないだろう。いくら損害軽微で家康の本陣に突入していたとはいえ、茶臼山からここまでの道のりを休むことなく駆け抜けたのだ。強行軍で疲弊し、ここでどれだけの兵が力尽きたのか。

 幸村の跨る愛馬もまた、ふらついたかと思うと静かに膝を折った。鐙を外して下馬した幸村は、胸懸から滴る血を見て愛馬の限界を悟る。

 しかし、幸村の目指すものはまだこの先にある。幸村はついに倒れこんだ愛馬を一瞥すると、槍を抱えたまま自らの脚で駆けだした。

 愛馬の献身に対する労いも、ここまでに散っていった輩への弔いも不要。彼らに恨まれ、罵倒されて当然であり、弔いや労いなどと厚顔無恥にもほどがある。

 それに、幸村の眼には既に己の生涯の頂が見えていた。己の生涯の終着点にして、真田幸村を英雄たらしめるもの。

 旗本に守られながら後方へと退いていく僧衣を着た老人と袴姿の老人がそこにいた。

 踏み出される一歩は次第に強くなり、その都度加速する。

 ここまでたどり着かせるために散っていった者たちへの弔いだとか、宿敵を前にした憎しみだとか、そのような感情は一切ない。

 ただ、生まれながらに背負った宿命と、真田幸村としての宿願がその脚を、身体を突き動かす。

 ヒュン、ヒュンと風を裂く鋭い音と共に飛翔する矢の雨。雷の如き轟音と共に迫りくる鉛玉。

 衝撃が身体を幾度も貫くが、アドレナリンが過剰に分泌されているのか痛みや苦しみは感じない。

 気づけば、幸村の後ろには誰もいなくなっていた。幼いころから常に共にあった内記(傅役)も、冬の戦いから支え続けてくれた吉治(義弟)も、その最後を戦場で飾らせるべく同行させた大介(息子)もいない。

 茶臼山に陣取った赤備えの軍勢の雄姿はそこにはもはや存在しなかった。赤備えの中でここに至ったのは、返り血か己の血かもわからない血に塗れ、くすんだ赤に身を染めたたった一人の兵。

 その歩みの先には隙間なく槍を構えた槍隊が待ち構えていたが、幸村は一人、怯むことなくそれに立ち向かった。

 正面から膂力に任せて力任せに槍を振るい、槍衾を崩して進む。己の身体を滴る液体も、左肩に何かが食い込んだような違和感も今の幸村にとっては些事であった。

 剣林弾雨の中をただ槍を振るいながら幸村は駆け抜けた。

 その手に持つ槍を左肩を貫く衝撃と共に手放すと、腰の刀を抜いて戦い続けた。

 肺が空気を吸い込む度に焼けるような熱を持ち、アドレナリンによって鈍麻されたはずの全身の感覚器もまた激しく痛みを訴える。

 左肩はついに感覚を失い、出血から視界も僅かに霞み始めるも、それでも幸村は止まらない。

 そして、槍隊を突破した幸村はついにたどり着く。

 およそ七〇メートル先、その眼に映る標的はありえない光景を前に驚愕の表情を顔に貼り付けていた。

 旗本たちが幸村を止めんと駆け出すが、もう遅かった。

 刀を地面に突き刺した幸村は、即座にその腰に下げていたもう一つの切り札を手に取って両腕で構えた。

 馬上宿許筒――幸村がこの時のために堺の鉄砲鍛冶に依頼して作成させたオーダーメイドのホイールロック式の短銃である。さらに、銃身にはライフリングが刻まれ、椎の実状のミニエー弾を採用している。幸村が知る限りで当代最高の職人が二年かけて手がけた、生産効率度外視とはいえ当時としては最高の命中精度を誇る短銃であった。

 その銃口を標的に向け、幸村は勝ち鬨をあげながら、引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 一人の男が膝をついた。

 黒漆を塗られたはずの鎧は赤黒い液体に染まり、その胸部から脇腹にかけて切れ目がついている。

 鎧を染めた液体はその草摺から滴り、地面で跳ねる。

 その後ろには、刀を握りしめたまま血の池に沈みこと切れた若武者の姿。

 男――毛利豊前守勝永は崩れ落ちそうな身体を支えるためにその手に握る刀を地面に突き刺し支えとした。

 血を流しすぎたのだろう。勝永には自分たちに深手を与えた男の姿が霞んで見える。

 

 ――届かなかったか。

 

 元々勝ち目が薄いことは勝永も理解していた。彼の知る限り豊臣に味方する将兵の中で最も個人の武勇に秀でているのが幸村であり、その常人離れした膂力の生み出す突きは必殺の威力と精度を誇っていた。

 勝永も、一対一で戦ったとしても勝機がないと確信していた。幸村以外の大坂五人衆全員で戦って初めて勝ちの目が僅かにあるといったところだろう。

 その幸村が一対一で互角か、やや不利となる相手。戦えばよくて相打ち、九割方敗北することは分かっていた。

 きっと、先に血の池に沈みこと切れた重成もそのことは理解していただろう。彼は己の身をもって宗矩の刃を留め、その隙に宗矩の脚を斬りつけた。

 脚を傷つけられたことで足さばきが乱れた宗矩だったが、それでもなお勝永との間には覆しがたいほどの技量の差があった。

 しかし、重成が己の命と引き換えに宗矩に残した傷を無駄にはできない。死力を尽くした戦いの末、幾度か宗矩に直接斬りつけることに成功した勝永であったが、そのほとんどは籠手や胴丸によって防がれており、大きな傷を与えることはできなかった。

 宗矩に与えた傷の代償として、勝永の身体には深い傷が刻まれていた。即死に至る斬撃は辛うじて回避していたとはいえ、複数の傷からの出血は深刻であった。もはや勝永の死は時間の問題となっていたのである。

 だが、それでもなお勝永は諦められなかった。

 ここで己が死ぬのはいい。だが、宗矩に幸村を追わせてはいけない。勝永は幸村に賭けていた。

 あの男なら必ず、家康のもとへとたどり着くと。

 自分を含め、あの大坂城にいるものたちは皆、徳川のつくる世には不要な存在。古き時代の廃棄物だ。

 金、忠義、徳川への反目など、武器を取る理由は各々違うかもしれないが、新しい時代に歴史が進み始めた中で取り残された存在であるということは彼らに共通していた。

 しかし、自分たちが新たなる世にとって不要な存在だからといってはいそうですかと受け入れられるものではない。自分たちを無価値だと、消し去らねばならないと決め付けた徳川という権力に目にものをみせてやりたい。

 それは、あるいはただの夢かもしれない。いくら太閤殿下が残された莫大な金銀と難攻不落の名城大坂城があるとはいえ、徳川とその配下の軍勢は豊臣方とは比べ物にならないほどに強大である。

 勝永自身、豊臣方に味方した理由として豊臣家の忠義というものが大きいが、戦場で死にたいという理由がなかったわけではない。

 関ケ原の戦いの後の日々は勝永にとっては惨めなものに他ならなかった。そんな日々の中で死に絶えるか、如何なる形であれ戦場で散り、毛利勝永ここにありと死をもってその名を天下に知らしめるか。勝永にとって、この戦いは後者の希望を叶える最初で最後のチャンスだった。

 だが、大坂に入城した後の彼は違う。

 絶望的な戦力差の中で奮戦し、華々しく散るという結末しか考えられなかった勝永に対し、真田左衛門佐幸村という男はこれまで考えもしなかった結末を夢見させてくれた。

 かの桶狭間の戦いよりも絶望的な戦場に身を投じ、野戦にて最強と謳われる徳川家康の首を獲る。

 如何に負けるかしか考えていなかった勝永は、死中に活を求め、その道筋までも導き出す幸村の姿に理想の英傑の姿を見た。

 この男なら、家康の首を獲ることができる。その偉業を見届けたい、成功の一助になりたい。徳川の世を前に、勝利を諦めていた己の心に再度情熱の炎を灯してくれた男に報いたい。

「剣術無双、貴様は……俺、が、俺たち、が……」

 手に握る刀の感触ももはや感じ取ることができない。悲鳴や怒号、雄叫びが響き渡る戦場にいて、その声すら今の彼の耳には届かない。

 それでも勝永は刀を支えに立ちあがる。

 もはや目も見えていないであろうが、宗矩がいるであろう方向に迷わずまっすぐ切っ先を向ける。

 痛みすらボンヤリと自覚があるかどうか。意識も朦朧とする中でも、勝永は宗矩に対する意識だけは失わなかった。

「家康は、左衛門佐が……だ、から貴様、は……」

 勝永は血の滴る腕で、刀を振りかぶる。しかし、宗矩は動かない。もはや、勝永が剣を振るうことはないと確信していたからであった。

 その時、家康の馬印の掲げられている方角から一発の銃声が鳴り響いた。

 銃声がどこから聞こえていたのか、そもそも銃声を聞き取れているかも定かではない。しかし、確かに宗矩は見た。勝永がその銃声の直後、安心したかのように微笑む様子を。

 直後、全身の力が抜け落ちたかのように勝永は前のめりになり崩れた。自らが流した血溜りに沈んだ勝永は、二度と動くことはなかった。

 

 

 

 宗矩は血が滲み赤く染みのできた籠手を脱ぎ棄てる。その左手の小指には生々しい一筋の傷跡が刻まれていた。

 左手を軽く握り、開くを繰り返したが、宗矩の左手の小指の関節が動かない。

 宗矩の左手の小指は腱が切られて動かなくなっていたのである。

 

「我が剣が奪われたか」

 

 剣を握る際、小指の握りは必要不可欠である。斬撃の際に小指を締めることで、その冴えは大きく変化するからだ。

 そして、宗矩はその小指の握りを失った。

 剣を握るだけならばこれまで通りできるだろう。しかし、小指の握りを失った今、これまでと同等の冴えの斬撃をくりだすことはできないと宗矩は理解していた。

 もはや、己の剣はこれまでと同じ冴えを取り戻すことはない。

 勝永と重成は、その命と引き換えに宗矩の剣を奪ったのだ。

 今の己の剣で剣術無双を名乗るなど、烏滸がましいにもほどがあると考えていた宗矩は、この戦いが終わった暁には剣術無双の異名を返上すると心に決めた。

 柳生但馬守宗矩は生き残ったが、剣術無双はこの時死んだのだ。

 

「見事也、毛利豊前守勝永。そして、木村長門守重成。其方らは確かに剣術無双を討ち取った」

 

 宗矩は、血の池に沈む若武者と智勇の将に静かに敬意を表した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運命なき浮世に候へば、日ノ本一の兵に

 

 

大阪府大阪市。

南東部に位置する東住吉区は、大坂の陣における最大の激戦地となりました。

豊臣方の毛利勝永と木村重成は現在の桑津中学校(※)のあたりで剣術無双と謳われる剣豪、柳生宗矩と戦います。

しかし、奮闘もむなしく毛利勝永と木村重成は柳生宗矩に討ち取られ、壮絶な最期を遂げます。

 

大坂の陣から五年後の元和六年。

勝永と重成の奮戦を惜しんだ宗矩は、二人を弔うため大阪市に紅炎寺(※)を建立しました。

大坂の陣の記憶がまだ世に残る中、豊臣方の諸将を祀ることは憚られる風潮にありましたが、宗矩は二代将軍秀忠に二人を弔う許しを得るために尽力したと伝わっています。

幸村の血路を切り拓くべく最強の剣豪に立ち向かった勝永と重成。

二人の雄姿は今も、この地の人々の間で語り継がれているのです。

 

 

 

語り 得河碇智アナウンサー

 

 

「紅炎寺」

大坂鉄道城南線「桑津」(※)からバス「桑津中学校」(※)下車 徒歩9分

 

「毛利勝永・木村重成顕彰碑」

大坂鉄道城南線「東住吉」(※)下車 徒歩20分

 

 

 

 

(※)架空の地名です。




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