眠るエヌラスの寝顔をジッと観察する香澄。それにつられて沙綾達も少しだけ離れて包帯だらけの姿を見守っていた。
出血がひどかったのもそうだが、重傷もいいところだ。新しい傷と古傷の見分けがつかないだけでなく、明らかな致命傷も負っている。それでも今は血が止まっている。
熱にうなされているのか、時折寝苦しそうに呻いていた。包帯に滲む血を見て、汗ばむ額を濡らしたタオルで拭き取る。
「……この人、本当にオカルトハンターだったんだね」
ぽつりと呟くたえに、静かに重い沈黙が場を包んでいた。
本物の魔術師で、本物のオカルトハンターで――自分達に最も身近な、怪物。
もうすぐ日本に到着するというのに、まだエヌラスの目は覚めない。
「香澄。怖くないの?」
「怖くないって言ったら、ちょっと嘘になるかもしんないけど……でも、ほっとけない!」
「だよね。まー、なんかちょっと前から変な人だなーとは思ってたから自分でも驚くほど、そんなに驚いてないっていうか……」
「私も。エヌラスさん、不思議な人っていうか。なんか、隠し事してる感じだったし」
「おたえも相当だと思うけどな……」
「? 私、隠し事特にしてないよ?」
前者の方だが、有咲はつっこむのが面倒だったので黙った。
エヌラスが一人で使っていた客室に五人で押し掛けているが、それでもスペースに余裕がある。
そして、唐突に壁と床の角からバイクの機首が覗いた。それを観て有咲がギョッとしていたが、りみも少し驚いている。
「うゎ!? ……って、先生のバイクか……」
「どうしたんだろ?」
(……いや待て私。そもそもバイクが独りでに動いていることに驚けっつーの! というかどっから出てきた!?)
空を走るし壁からでもどこからでも突然出てくる。自分も相当恐怖感とか麻痺してるな、とか思いながらもゆっくりと近づいてくる漆黒の車体に注目していた。
音もなく、まるで獣が歩み寄るかのような慎重さで香澄達の前で停まると車体の影が揺らめく。そこから現れるのは香澄達の荷物だった。ホテルに預けたまま出てきたとばかり思っていたが、どうやら持ってきてくれていたらしい。
ゆっくりと後ずさり、荷物を拾い上げるのも待つハンティングホラーをまじまじと観察する。
「どうやって動いてるんだろ?」
「ガソリン、じゃないよね……」
「私達の荷物持ってきてくれてたんだ。えっと、ありがとう……」
《……No.problem》
表示されるデジタル表記の英文に、驚いていた。
「意思疎通ができるみたい」
「そうだ、色々聞いてみよー! 名前は!」
《HUNTING HORROR――》
「先生が名付けたのかな」
「なんつーか、厨ニ的というか大げさっつーか……」
「さっきのアレ観てた限り、そうでもないと思うけど」
黒い大柄な車体。フルカウルのスポーツバイク。先鋭的なヘッドに、過剰な違法改造。バイクくらいなら香澄達も日常的に見ているはずだが、これは些か常軌を逸している。中々間近で観る機会がないからか興味津々といった様子で見つめていると、低くエンジン音を唸らせる。その感情表現がどこか犬っぽい。尻尾はないし、顔もないが。
「ハンティングホラー……だと長いから、はーちゃん!」
「相変わらず大雑把だな!?」
《……OK》
「いいのか!?」
機首を傾けて、首をかしげている素振りを見せるハンティングホラー改め、はーちゃん(香澄命名)と仲良くなれると思ったのか、香澄が近づく。
質問攻めに淡々とデジタル表記の短い英文で応える。読めなかったり解らないものは有咲が通訳していた。
答えられない質問には拒否の一言か、もしくは沈黙する。
「はーちゃんって空が飛べるの?」
《YES》
「私も乗ってみていい!」
《NO》
「そんなぁ~……ちょっとだけでもいいから。跨るだけでも!」
《NO!》
「そんな強く言わなくても!」
「こーら、香澄。はーちゃん嫌がってるんだから辞めなって」
「うぅ~……あ、じゃあエヌラスさんが許可出したら乗ってもいいかな?」
《…………NO》
どうあっても主人以外は乗せたくないらしい。それが、ハンティングホラーなりの気遣いであることは言うまでもない。人間が乗れるようにエヌラスは設計していない。それどころか女神ですらしがみつくので精一杯な異常な性能を誇る。モンスターマシンの名に恥じない機能を多数搭載しているだけに、一般人が乗り回そうものなら振り落とされてミンチになってしまう。
落ち込む香澄をよそに、たえが目の前にかがみ込む。
「…………じー」
《…………》
「なにしてんだ、おたえ」
「顔。どのへんかなって思って」
「バイクだぞ……?」
そんなやり取りを聞いたからか、ハンティングホラーが形を変えた。
前輪と後輪を車体の内側に折り込むように格納して、その代わりに生えてきたのは鋼鉄の前足と後ろ足。無機物がまるで流動体のように蠢いて変化していく様はまるで水銀のようだ。
『
「……お手」
「いやいや、そんな犬っぽいからって――」
ハンティングホラーが前足を差し出されるたえの手に乗せた。
「すんのかよ!?」
「おかわり。おすわり、はしてるから、伏せ」
ペタンとその場に伏せてみせる。その頭を撫でて、たえは頷いた。
「いいこいいこ。ぐっぼーい」
「ちゃんと躾けられてて偉いね。よしよし」
たえとりみに背中と首を撫でられて、ハンティングホラーは短い尻尾を振っている。喜んでいるのだろうかは定かではないが、少なくとも敵意はない。
「何食べるんだろう?」
「ささみとか」
「どっからどう見ても元バイクの犬だぞ!? 普通のモノ食べると思わないけど……」
「……人間とか」
――沈黙。
それとなく離れるたえ達に、有咲が取り残される。一瞬遅れてから、慌てて離れる。
「はーちゃん、なに食べるの?」
《NO》
「食べないの?」
《YES》
「ごはん、おいしーよ?」
《YES》
「っていうか口どこだよ……」
そもそも、顔がない。口?らしき場所はあるが、何かを食べるとは思えない。無機物魔導生命体であるハンティングホラーは食事を必要としない。その動力源である魔導燃焼機関も、エヌラスから魔力を分けられて稼働している。一種の使い魔ないし、共依存関係。だが正確な契約を交わしていない奇妙な信頼関係を築いている。
それから、香澄達の楽器も収納していた空間から取り出して返却すると、壁と床の隙間に向かって音もなく消えた。
「いい子だったね」
「う、うん……ちょっとびっくりしたけど」
「でもなんで出てきたんだろ? 私達の荷物、預かってたから返しにきてくれたのかな」
飼い犬が勝手にそんなことをするとは思えない。そうすると、自然と視線が集中するのは飼い主である満身創痍のエヌラス。飼い犬は飼い主に似るとはいうが……。
あんな戦いに、今までずっと付き添ってきたのだろう。忠犬と呼ぶ他にない。
香澄達のはしゃぎ声を聞いてか、美咲が様子を見に来た。
「あのー、なんかありました?」
「今ね、はーちゃんが私達の荷物届けに来てくれたんだ!」
「……はーちゃん? 飛行機の中に荷物?」
大丈夫? 幻覚? とでも言いたげな美咲の視線に、沙綾が順を追って話す。それをいまいち消化しきれないようだがなんとか飲み込むことに成功して、ものすごく唸っていたが。
「う~~~~ん…………? まぁそういうこともあるかぁ(?)」
無い。普通は断じて無い。ありえないのだが、そのあり得ない現実に巻き込まれてきたばかりなので信じる他になかった。現に荷物が足元に置かれているわけで。
とりあえず、黒服にお願いして荷物を片付けてもらう。
「皆様。もうじき日本へ到着しますので、お席の方へ」
「あ、はい」
「あの。エヌラスさんは……?」
「ご安心ください。弦巻家が責任を持って身柄をお預かり致しますので」
その名前を出されては何も言えない。だが、自分達にはどうすることもできないもどかしさもある。なにか出来ないだろうか、なにか。はやる気持ちを察したのか、香澄の肩を叩いて沙綾が笑ってみせた。
「怪我が治ってからでいいんじゃない?」
「うん、そうだね! それまで私達はいつもどおり、キラキラドキドキで!」
「そりゃお前だけだっつーの……」
「いつもの香澄ちゃんでよかったぁ。その方が、エヌラスさんも安心するよね」
「きっとすぐ目を覚ますよ」
まだ熱にうなされているものの、怪我の快復は順調だ。あれだけ瀕死の重傷を負っておきながら日本に着く頃にはほぼ完治している。異常極まりない回復速度だが、まだ目を覚まさない。
空港に到着してから、送迎のバスに乗って移動。エヌラスだけは黒服と共にヘリで移送されていた。
香澄達はそのまま家の近くまで送り届けられ、解散する。
家の前に着いてから、お土産を買うのをすっかり忘れていたことに香澄が気づいて悲鳴をあげてちょっとした騒ぎになったが、それでも――明日からは、いつもの日常生活が始まる。
――懐かしい、ゆめを見た。
それは、本当に。遠くに置いてきたあの日の思い出。
捨ててきて、投げてきた、自分が本当にほしかったもの。
――また来たの?
――ほんっとうにしょーがねーなー、もー。
――私、忙しいんだからさー。で! なに食べたいの?
――は? 飯たかりに来たんじゃないの!? 何しに来たの!?
はにかみながら、困ったような顔をして、だけどどこか嬉しそうに笑って。
忙しい時間の中で、なんとか空いた時間を捻出して。
いつも、料理を振る舞ってくれていた。
どんな時でも。何度繰り返しても変わらない世界と時間の中で、それは太陽にも勝る笑顔で迎えてくれた。
怪我をしていたら泣いて怒って。
用事もなく立ち寄れば怒りながら仕事を投げてきて。
怒ってばかりで、口やかましくて、お節介で、世話好きで。お金大好きで、無賃労働上等で人をこき使って。
そこにいけば、いつだって会えた。いつも忙しそうにしながら、相手してくれた。
自分にとってかけがえのない、大切な人。帰るべき場所にいてくれる、大事な人。
彼女、ではないし。恋人、というほどでもない。なんと表現すればいいのかわからないが、とても身近で、唯一無二の存在。
――顔を見に来た、って……。大丈夫? 病気? え、頭の心配してるんだけど。
めちゃくちゃ失礼なことを言い合うような気さくな仲だった。こちらが一方的に押し掛けては説教しながら世話を焼いてくれる。その代わりに、報酬の出ない過酷な労働を強いられるが、当然の対価だ。
座右の銘は「働かざる者食うべからず」――個人的にそこに付け加えるなら「貧乏人は死ね」。
もう、傍にいない。ずっと、遠くに置いてきたまま。もう何年も顔を見ていない。
会いたい――とは、思う。帰りたいとも、考える。声を聞きたい。また、手料理を食べたい。
――キミはさー、ほんっと自分のこと考えなさすぎ。心配するこっちの身にも……いやそりゃ心配くらいするけど!? 何その顔、わりーのかこんにゃろー! 別に、ほら、変な意味じゃないけど! 頼ってくれたりするのは、その、ちょっと嬉しいし?
その手を取って。他の全てに妥協して。
どうか、この人だけは助けてやれないかと思った。……だが、それは無駄だった。
神は祈りを聞き届けない。神は願いを叶えない。
それが許せなかった。赦せなかった――“そんなもの”に頼ろうとしていた自分が。
だから決めたのだ。
世界の全てを殺してでも。
世界を敵に回してでも。
普く邪神尽くを全て殺戮する。そういう“契約”を交わした。
多次元宇宙の世界の管理人、次元の神と。
いつか殺す。必ず殺す。
その喉元に刃を突きつけるその日まで、戦いを辞めるわけにはいかない。
――諦めんな。もうご飯作ってやんないぞ。
(……誰が、諦めるか)
アイツの手料理が食えないのなら、人生の十割損していると言ってもいい。
世界で一番美味かったのだから。
だから――、せめて。夢の中でくらい、笑っていてほしい。
口やかましくてお節介で世話好きで守銭奴で、そのくせ胸と態度ばかり大きい吸血鬼に。
ゆっくりと目を開けたエヌラスは、見知らぬ天井をぼんやりと見つめていた。外はすっかり暗くなっている。自分の身体の具合を確かめると、怪我は大体完治していた。しかし、左眼と右腕だけは魔術回路が不調を訴えている。天雷の後遺症だ。他にもいくつか術式を欠損している。
無茶をやりすぎた。それでも自分が死なないと分かっている。
そういう風に、自分はできている。左胸で“第二の心臓”が脈打つ限り、致命傷を負っても生存可能であることは、身体に叩き込んできた。
だから、どんな無茶だってやれる。
それくらいしか、自分にはできないのだから。
(…………)
声を出そうとして、喉に違和感を覚えた。どうやら声も出せないらしい。どこか他人事のように思いながら、エヌラスは身体を起こそうとした。
全身に走る激痛に、布団の温もりから抗えない。筋繊維断裂やら骨折やら打撲やら出血多量だの薬物中毒だの何だのと併発していたせいで内面の快復が遅れている。
寝ている暇などないと自分に言い聞かせて気息を整えるなり、上体を起こした。
広い間取り。広すぎる空間に、ぽつんと置かれていた。天蓋付きのベッドに、豪華な拵えの室内は裕福層の邸宅であることが手に取れる。馴染みあるものだ。
身体を起こすだけでも脂汗が吹き出す。頭も痛む。
室内を見渡してから、魔術で全体の間取りを確認して――あまりに広すぎる屋敷と庭園に中断した。とりあえず館だけで済ませる。
ズキズキと痛むこめかみに、相当魔力暴走を起こしていたことをようやく自覚した。
自分の格好を見れば、半裸にミイラ男状態。いっそ棺桶にでもぶち込んでおけばいいものを。
(……どこだ、ここ。日本、か? それにしては随分とまぁ、なんつうか……)
浮世離れしているというか……人のことは言えないけれど。俺は庶民派だからいいんだよ、と言い訳しつつエヌラスは自分がどこに担ぎこまれたのか疑問に思っていた。
しかし、それはすぐに解決する。
廊下から近づいてくる人の気配、それから間もなくして扉が開かれた。
「あら。おはよう、エヌラス! 今は夜だから、こんばんわかしら?」
「…………」
寝間着姿の弦巻こころが、満面の笑みを浮かべている。
ということは――、弦巻家の屋敷であることは疑いようがなかった。考えるまでもなく。