第百二幕 朝・弦巻家、ご機嫌な朝食
――朝。窓から差し込む心地よい陽射しと陽気。
眠りから覚めれば、微睡む頭が再び睡魔に襲われる。このまま敗北してしまおうかという誘惑。しかし、エヌラスは天蓋付きのベッドの天板を見つめながら静かに息を吐いた。
本日も快晴。驚くくらい雲ひとつない晴れ渡る青空。小鳥たちもご機嫌な模様。そんな外の陽気とは裏腹に右腕と左眼の不調は続く。即急に治療すべきだが、右腕はともかく左眼は難しい。
脳に酸素を送り込むために深く息を吸い込む――。
「……んー……」
「…………」
はて。
これは、いったい。
どういうことなのだろうか?
目を閉じて、自分の置かれている状況を改めて確認する。
ポピパハロハピ合同合宿の海外小旅行。現地で起きた怪事件。魔人の軍勢と邪神絡みの災害から命からがら日本へ帰国してきた。そこまではいい。全員無事なことも含めて。
その戦闘の後遺症で古傷が開いた左眼と右腕が動かなくなった。現在治療中。ここまでは良い。
「……すぅ……」
「…………」
はたして、今。
自分の隣から聞こえてくる寝息は誰のだろう。怖くて見れない。
ほぼ瀕死の重傷を負ったのも毎度のことだ。三日もあれば完治する。魔術回路の不調に伴う身体機能の低下もリハビリで快復した。良い子は真似しないように。
結果として、現在。弦巻家の邸宅に担ぎ込まれて厄介になっているのだが――さて。ここまで確認したところで、改めて。
自分の右腕にひっついている少女に視線を向けてみる。
長い金の髪。絹のようにきめ細かいサラサラとしたツヤ。天使の寝顔とか多分こんなん。見ているこっちが幸せになれそうな寝顔を無防備に晒している。
名のある資産家である弦巻家。その一人娘である弦巻こころが、何故か今。
職業オカルトハンター(自称)兼、ライブハウス『CiRCLE』アルバイト兼、花咲川女子学園非常勤講師担当教科霊能学、というどこを切り取っても胡散臭さしかない不審者の寝床に入り込んで眠り込んでいる。
おかしい。昨日は確か、香澄達が見舞いに来てくれた。
そこから先の記憶が少し危うい。意識が途中からないが、間違いなく自分にあてがわれた部屋で寝たはずだ。念の為室内を確認する。間違いなく、世話になっている部屋。まかり間違ってもこころの部屋ではない。
はて。さて。これは難問どうすんべ。
いい匂いがするし、なんか柔らかいし、髪の毛くすぐったいし、心地よい重さ。
「………………」
再度、息を吐き出して視線を向ける。
寝間着姿のこころが。何故か。右腕にしがみついて眠っている。
……なぜに? おまえは? 自分の部屋で寝ていないのかね?
「こころ、起きろ。今すぐ起きろ。できれば五秒以内」
「……んー」
ダメだ起きやしねぇ。せめて右腕だけでも解放してくれないかと引き抜こうとするが、それを嫌がってますます身体を擦り寄せる。猫ですかお前は。
不意に、自分の喉に手を当てる。まだ本調子ではないが声が出せる程度にまで快復はしていた。間違っても極めつけミント味のど飴のおかげではない。二度と食うかあんなの。
「……こころ、ほら起きろ」
「……むにゃー」
むにゃーじゃなくてですね?
エヌラスは声をかけても起きる気配のないこころの身体を軽くゆする。それに眉を寄せて嫌がるものの、ますますしがみついてくる。寝息を立てている姿を起こすのはしのびないが、頬をつついて起こそうと試みた。
弾力とハリのあるすべすべとした赤子のような肌触り。撫でるだけでも心地よく、しかしエヌラスは軽く引っ張ってみた。むにーん。
「……ぅ~」
さすがにそれは嫌がっていた。なんだかとても申し訳ない気分になる。
頭を撫でてみる。指で梳いても絡まない髪の細さとしなやかさは癖になる心地よさだが、いつまでも眠っているわけにはいかない。
仕方ないのでエヌラスは身体を起こした。それにつられてこころも無理やり身体を起こす体勢になる。寝苦しい体勢からか、腕から滑り落ちた。かと思えば今度は膝の上に身体を横にして腰に手を回して抱きついてくる。
「……お前は俺を抱き枕かなにかと勘違いしているんじゃないのか?」
「すぅ……」
とても心地よさそうに眠っていらっしゃいますが、いい加減起きてくださりやがれお嬢様? 何度か頭を撫でてからエヌラスは片手で抱きかかえるとベッドから降りた。
扉を力の入らない右手で開けると、入り口で待機していたメイドと目が合う。深々と頭を下げて挨拶をしてくる。
「おはようございます」
「あー、おはようございます……そちらのお嬢様がですね?」
「はい。存じています。お預かりいたしますか?」
「部屋に持ってってください。そしてできれば今後二度と部屋に潜り込まないようにしといてくれるととても目覚めが良いです」
「そうは申されましても……意識不明のエヌラス様とはこの数日このような状態でして」
「人の意識が無いのをいいことに放置するな」
というか二日も意識不明だったのか。三日も眠っていながらこの状態だったと考えると相当疲れを溜め込んでいたらしい。
エヌラスがメイドにこころを渡そうとするが、首にしがみついて離れたがらない。
「……こーこーろー」
「ん……、んー……?」
何度か目をまばたきさせてから、ぼんやりとした顔で見上げてくる。少しずつ顔が明るくなるとしっかりと首に手を回して抱きついてきた。それからすぐに離れる。
「おはよう、エヌラス! よく眠れたかしら?」
「よく眠れたが起きるのはすげぇ苦労した」
主にお前のせいだぞ、こころ。二度と人のベッドに入り込むな、男性の。
「目覚めが悪い時はお日様の光を浴びるとすぐに目が覚めるわよ!」
「俺は地下育ちだから太陽苦手なんだよ……」
「そうだったの? こんなに晴れているのに、もったいないわ」
「なんだったらお前の笑顔だけで十分眩しいっつーの。いいから着替えてこい」
「もうそんな時間だったのね」
「こころ様、こちらへ」
メイドを連れて立ち去るこころを見送って、エヌラスは深々とため息をつく。
「失礼いたします、エヌラス様」
「ん?」
振り返ると、執事が頭を垂れていた。きっちりとしたオールバックに執事服を着こなした相手には見覚えがある。包帯を取り替えたり代えの服を用意してくれた執事だ。
「ああ、執事さん。どうも。おはよう」
「おはようございます。喉の調子も戻ったようで何よりです」
「どういたしまして。弦巻家には感謝してる」
「こころお嬢様のご厚意の賜物です。朝食は和食と洋食、どちらになされますか?」
「洋食で。軽めで十分だ」
「かしこまりました。ではご用意いたします」
花咲川女子学園の制服に袖を通したこころと、全身包帯だらけのエヌラスがテーブルに着く。上着を羽織ってはいるが、ミイラ状態よろしくな身体は見ているだけで痛ましい。
自分の前に運ばれる食事を見て、それからエヌラスの食事を見比べる。
「エヌラス、それだけで足りるの?」
「まだ調子悪いからこれでいい」
「ちゃんと食べないと元気になれないわよ」
エヌラスの前に用意されたのはサンドイッチとオニオンスープ。食後のコーヒーなども遠慮しておいた。
「あたしもエヌラスと同じのにしようかしら」
「それこそお前はちゃんと食べた方がいい。気にしないで食べてくれ」
「これもこれも、とーっても美味しいわよ♪」
サンドイッチを口に運んでいたエヌラスの前に差し出される、こころのスプーン。載せられているスクランブルエッグが空腹の胃に響く。ニコニコと笑顔で向けてきていた。
「? 食べないの?」
「……」
タマゴサンドを食べていたエヌラスの手が止まる。
そのスプーン、先程までお使いになられてませんでした? 間接キスというやつになるのですがまったく気になさらない? しかし、このまま放っておいても対処に困る。
差し出されていたスプーンをくわえることにした。卵の風味といい調味料といい、あっさりとしていながらほどよい食感。簡単な料理ながら料理の腕前が窺える。
「もぐ……」
「どうかしら?」
「んー? 美味い」
「まだ沢山あるわよ♪」
「あー、いや。こころ、こころ。一口だけでいい。間に合ってる。ちゃんと自分の食べてくれ。学校もあるんだし」
「それもそうね。このままエヌラスと一緒にいたいけれど……そうだわ!」
「美咲達を連れてくるっていうなら却下」
「――すごいわエヌラス! どうしてわかったの?」
「あと俺を学校に連れて行こうとするのも却下」
「でも寂しくない? 美咲達と会いたくないの?」
「執事さんもメイドさんもいるし、あんまり世話になるのもお前の家に悪いしな」
「あたしは全然かまわないわ。ずーっといてくれていいのよ?」
「お前はよくても――」
そこまで言いかけて、自分が弦巻こころを個人的なものとしてではなく「弦巻家の財産」という形で認識しかけていたことに、エヌラスは言葉を訂正する。
「お前がよくても、俺がよくない。何の恩も返せないぞ」
「そうかしら。エヌラスはあたしの命の恩人だもの。みんなもそう言ってたわ。それなら一緒にいてくれるだけで恩返しになるじゃない」
「……そういうものか?」
「はい、あーん」
再び隣から差し出されるスプーンにはサラダが載せられていた。それを一口。
「とっても美味しいでしょ?」
「そうだな……」
「エヌラスが食べてるのも美味しそうね」
「もぐ……食べるか? そっちの貰ったし」
「いいの?」
まだ手を付けていないミックスサンドを差し出すが、こころが物欲しそうに見つめているのは食べかけのツナサンド。
「あたしはそっちがいいわ」
「……食いかけだぞ?」
「ええ。エヌラスが食べているのが美味しそうだもの」
「…………」
確かに美味しいけれども。だからってこんな庶民派の代表格みたいなサンドイッチをお嬢様が欲しがらなくても。
「あーん」
「……」
もーだめだ、まるで親鳥から餌をねだる小鳥のように口を開けてスタンバってる。
本当に食べかけでいいのだろうか。とはいえ、相手の要求はそれなので。エヌラスは食べかけのツナサンドをこころの口に差し出す。
「ほら、あーん」
「あむ……。んー、そっちもとてもおいしいわ♪ あたしも頼もうかしら?」
「こころ。のんびり朝食の時間を楽しんでいるところ悪いんだが……学校、遅刻するなよ」
「その時はエヌラスが送っていってくれる? はーちゃんにあたしも乗ってみたいわ」
御免こうむる。ハンティングホラーもかなり無茶をしてくれたのでしばらく休暇だ。
今は裏庭で日向ぼっこ中である。それでも頼めば乗せてくれるだろうが、遠慮したい。
「また今度な。今度。いいから朝ごはん食べて、学校に行って文化祭の準備してこい。美咲達にも俺の代わりに言っておいてくれ」
「ええ、もちろんよ。次の日曜日がとっても楽しみだわ!」
朝食を終えたあと、学校へ登校するこころを執事たちと一緒に見送るエヌラス。
その姿が見えなくなってから、肩を落として深く息を吐き出した。
「なぁ執事さん……頼みがあるんだ」
「はい。私どもでよろしければ、お伺いします」
「俺をぶん殴ってくれ、一発でいい。できれば全力で」
「突然どうされました!?」
「俺はクズ野郎だ……」
「い、いえ。仮にクズ野郎であったとしても、こころお嬢様がご厚意にされておられるお客様、ましてやけが人で命の恩人を全力でぶん殴るなどということできません」
「……すまん、寝る。昼に起こしてくれ……」
「はぁ……どうぞ、ごゆっくり」