――時刻は十二時。エヌラスはピッタリに目を覚ますと、すぐに動き出した。
執事の一人を捕まえて、補佐を頼む。オールバックに丸メガネ。
「お呼びでしょうか?」
「ああ。手が空いていれば、身の回りの補佐を頼みたいんだ」
「かまいませんよ。何なりと。こころお嬢様の大切なお客様ですので」
「助かる。まず、この小切手の換金をお願いしたい」
海外小旅行の最中、セレブ達との社交で入手したものだ。といってもこれを資本金に作品を提供しなければならない。小切手を受け取った執事が換金額を見て目を丸くしていた。そこに記載されている名前も含めて。
「これだけの額で、一体なにをなさるおつもりですか?」
「ちょっとした仕事を頼まれて。工芸品の提供を」
「どういった品をお作りになるのです?」
「今回はちょっと鼻で笑われて腹が立ったから、この先百年は人類が追いつかないレベルの宝石加工技術で人形作ることにした」
それこそ値がつけられない作品に仕上げるつもりだ。
会釈して執事が下がる。エヌラスは寝室の窓を開けて、ハンティングホラーを呼び寄せた。いつものバイクではなく漆黒の魔犬となって芝生の上で寝転がっている。こういうところは本当に犬っぽい。
顔の無い犬がジッと顔を見つめてくる。
「今回はお前も無茶したからな、たまには整備してやる」
《……》
尻尾をブンブンと振りながら部屋の中に入ると、影の中から工具セットを咥えて取り出す。早くやれ、とでも催促しているかのような現金な態度にエヌラスは渋々従った。
右腕の魔術回路の不調もある。まずは先にそちらを治療することにした。
電極を刺して回路を起動。ほつれている箇所を修繕していく。あまりに損耗が酷い箇所はそのまま切除する。
思えば、この身体の不調とも随分と付き合いが長い。自分の肉体を改造してでも戦ってきたがそれでもやはり後遺症はついてまわる。術式の構築に加えて、それに合わせた最適化を繰り返してきたが、戦っているとやはり摩耗して失われていく。
“固有時制御・決壊”の制御に用いていた魔術回路が酷く損傷していた。あれほどの長時間使用したのもあるが、“天雷”の影響も少なからずある。
自分の右腕を調節する、というのはさほど苦にならない。こういう時に人形工学の知識が活かされる。理想とする形で動くように回路を設置すると、一通り終えたところでエヌラスは手を握り、開く。
動作に支障なし。確認がてら、右腕で身体を支えながら逆立ちからの腕立て伏せ。多少軋むが問題なし。
続いて左眼。網膜というのはとてもデリケートなもので。
過去に負った古傷は水晶体にまで刃が届いていた。潰れていて然るべきだが、それでも再生してしまうのが銀鍵守護器官による治癒機能。少々時間を要したせいで痕が残っているし、左眼の神経も魔術回路で繋いでいる。そのせいか、左側だけは視力だけでなく余計なものまでよく見えた。
鏡を見ながら癒着した目蓋を切り開いて目を開ける。急激に光が差し込んだせいで目の奥が痛むが、問題ない。正常に起動している証拠だ。
右手で左眼を押さえて、意識を集中させる。自分の目の中に手を入れる感覚と共に魔術回路を修繕していく。回路同士の直流と交流によって、より効率的に、より最適な形で魔力を運用するためにこうした肉体改造も何度か重ねていた。今となっては手慣れたもので。
――本来は魔導技師免許が必要だが、当然ながら無免許である。
左眼から血涙が伝う。タオルで拭い去り、何度か瞬きを重ねるとピントを調節する。
正常に稼働していることを確認すると、左眼だけで周囲を見渡した。ある程度、瘴気の流れや魔力反応、この世ならざるものの可視化もできていることを確認できたところでエヌラスは一度深く息を吐き出した。これでいつもどおり。
次はハンティングホラーの整備と点検だ。とはいっても自分と同じく自己再生能力があるので車体に目立った損傷はない。細かな傷は仕方ないにしても。
「なんか違和感とかあるか」
首を横に振る猟犬。しかし、無言で手に噛みついてくる。どうも、あれほど無茶をした飼い主を怒っているつもりらしい。毎度のことだろうに、なに怒ってんだこのわんころは。
多分それを怒っているのだが、知ったこっちゃない。他になにか方法があったなら言ってくれ。
「補助魔導燃焼機関も大半損失したからな……」
かといってその補充も補填もどうしようもない話だ。
また師匠の書庫に忍び込んで命懸けで入手してくるというのも、リスクに見合わない。そもそもコスト度外視の性能だ。魔導書五冊で一国を落とす兵器など不釣り合い過ぎる。自分でもどうやってそこまで造ったのかほとんど覚えていないのが正直なところだ。
天雷の残骸も使いみちが無い。かといって武器庫の肥やしにしておくのも勿体ない話だ。
「……んー、なんか作れるか……?」
《…………》
この時、ハンティングホラーの心境としては一言――懲りねぇなこの人。
考え込むエヌラスに向けて、頭から突撃する。相手は四、五百キロはある車体の獰猛な猟犬。こづかれるだけでも相当な衝撃だ。思考を中断させられたエヌラスが不服そうな顔をするが、それより他に優先してやるべきことがあることに気づく。
「ハンティングホラー、リハビリに付き合え。繋いだばかりだし慣らしておかないとな」
《…………》
ハンティングホラーは思った。――この人馬鹿なんじゃないかな、と。
顔のない犬はこれみよがしに呆れて息を吐いた。
これだから狂人の弟子は手がつけられない。そもそもにして大前提としている参考資料が参考にすらならないというのにそれを基準にしている時点でぶっ壊れてるのに。
――戸山香澄は考えていた。
学校のテストではないし、文化祭の催し物についてでもない、次のライブについてでもない。
かといって新曲の歌詞でもないし、今夜のご飯でもない。
「う~ん……」
「どうしたの、香澄。珍しく悩んで」
「日本って、平和だよね」
何を言い出すかと思えば。
中庭でお弁当を広げていた香澄といつもの顔ぶれ。こうして何気なく話しているだけでも、つくづく日本の平和を噛みしめる。
「まぁ、あんなバケモノカーニバルな事件に巻き込まれたのは確かに悪夢みてーな話しだけど。こうして学校に来てるだけいーじゃねーか」
「そうだけどぉ……」
「んー、香澄はやっぱりエヌラスさんが気になる?」
「心配だなーって」
「瀕死の重傷三日で動けるような人だぞ……」
あまりにも平然としていたからか、つい忘れそうになる。
あの怪事件に巻き込まれて、わずか三日しか経過していない。
文化祭の準備も順調に進んでいる。女子高生の青春は多忙なのだ。瞬きする間にどれだけの思い出を残せるかが大事。
たえがハンバーグを食べながら、長い髪を揺らして首を傾げていた。
「またお見舞い行こっか?」
「弦巻さん家だぞ?」
「気後れしちゃうよね……」
なんというか、尻込みしてしまう。気軽にお邪魔できるような家でもない。
ならばいっそエヌラスの方から来てくれれば、とも思う。しかしあれほどの怪我、いくら動けると言っても限度がある。心配なのに変わりはないが、それでも気にかかる。
霊能学の授業も文化祭の開催までは休講中なのは幸いといったところ。学校側もプライベートまでは口出ししない。
「あんな調子で頑張ってたらエヌラスさん、いつか倒れちゃうんじゃないかな」
「ぶっ倒れても這いずり回りそうだけどなあの人……」
「わかる……」
「……よし!」
「よし、じゃねぇから」
「有咲! エヌラスさんがまたあんな風にならないように頑張ろう!」
「私を巻き込むな!」
「霊能学の授業楽しみじゃないの?」
「楽しみじゃない。確かに暇つぶしくらいにはなるけど」
有意義かどうかと聞かれれば、悪くない授業ではある。
しかし、それはそれ。これはこれ。あの人がオカルトハンターで怪事件に立ち向かうのに巻き込まれるのは金輪際遠慮したい。できれば香澄も含めて。
「またあんな事件に巻き込まれるかもしんないんだぞ」
「その時はエヌラスさんがなんとか!」
「またあんな大怪我するかもしんねーぞ?」
「う、うぅ~……さーやー、有咲がいじめるー」
「おーよしよし。香澄かわいそうに」
「有咲ひどい。ヤキモチ妬いてるからってそんな風にいじめるなんて」
「そうなの? 有咲ちゃん」
「ちげぇ! 普通にリスクマネジメント的な意味でだよ! はぁ~!? 意味わかんねぇし、なんで私があの人に嫉妬とかしなきゃならないんだ!」
「? だって、香澄が取られそうでイライラしてるんじゃないの?」
「そうなの有咲!?」
「ちげぇぇー!!」
そんなはずがないだろうに、いや仮に万が一にでも億分の一でもその可能性があったとして? そんな見るからにわかりやすくヤキモチなわけがありませんし? 別に香澄が誰と交際したとしても関係がないからであって? その相手が自分以外だったとすると自分の中にある気持ちとか感情とかあれやこれやがどう整理つけたらいいのか分からなくなってしまうので大変に困るわけだから別にこれはヤキモチとか嫉妬とかそういうジェラシーでもなんでもないし! ――私は一体なにを考えているんだ?
有咲が我に返って弁当を黙々と食べ始める。
「っていうか、一応。あの人はうちの学園の教師なんだからそういうのまずいだろ」
「……すごい正論で返された。どうしよう、何も言い返せない」
無理に言い返さなくても。
しかし、それにはなにか思うところがあるのか沙綾が小さく頷く。
「有咲の言い分もわかるよ、私。確かに危険なことに巻き込まれるのは遠慮したいよね」
「ほらみろ」
「さーやまで~……」
「でも香澄の言いたいこともわかるな。エヌラスさん、私達が近くにいる時は落ち着いてるみたいだし。なんていうのかな、先生っぽいっていうか」
「頼りになる大人って感じで、安心するよね」
「うん、りみの言う通り。無茶する人かもしんないけど、それって誰も止めてくれないからじゃないかな? ずっと一人だったみたいだし。なら、私達が止めてあげるっていう意味で一緒にいるのはいいことじゃない? 有咲の言うリスクマネジメント的な意味でも」
沙綾の言うことも一理ある。怪事件に巻き込まれてもなんとかしてくれる、そして無茶をしそうな時はちゃんと自分達が止める。それならお互いに危険も少ない。
「……報酬」
「え?」
「そこまでしてもらって、タダ働きなんて先生可哀想じゃんか……」
「んー、ならやまぶきベーカリーのパンでなんとか手を打ってもらおうかな」
「パン、美味しいもんねぇ」
「そんなんでいいのか……」
果たしてそれで納得してくれるだろうか、あの先生は。有咲は少し不安だったが、そこまで嫌っているわけではない。それにヤキモチも妬いてない。みんながそれで納得するならそれでいいではないか、と自分に言い聞かせて渋々頷く。
「まぁ、それであの人がいいっていうなら私はこれ以上言わないけど」
「ほんと、有咲! わぁーい!」
「……」
ほんと懲りねぇなこいつ。
そんなことを思いながら、有咲はいつもと変わらない満面の笑顔を浮かべる香澄の顔を見つめていた。